デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
11款 其他ノ関係諸事業 2. 社団法人東京市特殊小学校後援会玉姫長屋落成式
■綱文

第30巻 p.796-803(DK300097k) ページ画像

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■資料

竜門雑誌 第二八八号・第四九頁 明治四五年五月 ○玉姫長家落成式と祝文(DK300097k-0001)
第30巻 p.796-797 ページ画像

竜門雑誌  第二八八号・第四九頁 明治四五年五月
○玉姫長家落成式と祝文 四月廿二日午後二時玉姫小学校に於て挙行せられたる玉姫長屋落成式に際し、青淵先生が特に寄せられたる祝文左の如し。
 東京市特殊小学校後援会は創立以来漸次目的の事業を施行し、玆に又浅草区玉姫小学校児童保護者中罹災者収容所の建築落成の式を挙ぐ、惟ふに博施弘済の事業は一にして足らずと雖も、其の倚るなきの細民を水災疾病に於て救ふより大なるは無し、則此収容所は本市
 - 第30巻 p.797 -ページ画像 
有志者仁術の現象にして、其倚るなき細民の天国と云も憚らず、冀くば益貴会の規模を拡張して、以て市内到る処細民歎嗟の声無からしめんことを、謹で祝詞を呈す。


中央新聞 第九七八二号 明治四五年四月二二日 玉姫学校新築落成式 明日同校にて挙行(DK300097k-0002)
第30巻 p.797 ページ画像

中央新聞  第九七八二号 明治四五年四月二二日
    ○玉姫学校新築落成式
      明日同校にて挙行
浅草玉姫町玉姫学校罹災生徒保護者収容所落成式は、廿二日午後二時より同校内雨中体操場にて挙行の筈なるが、次第は特殊小学校後援会理事戸野周次郎氏が開会の辞に次ぎ、尾崎市長の演説、理事の建設事務報告あり、次に来賓板垣伯は社会教育と救貧事業に関する一条の講話を為し、渋沢男爵も慈善事業に関する講話を為す筈なるが、余興としては伊藤痴遊氏が立志講談あり、尚翌廿三日午前八時より午後四時迄収容所の一部を開放し、細民子弟の教育に関する参考品、特殊小学校児童成績品を陳列し、一般の参覧に供する由、後援会にては義捐金寄贈者諸氏千六百名へ宛て廿日悉く招待状を発したれば、当日は定めし盛会なるべし


中央新聞 第九七八三号 明治四五年四月二三日 玉姫長屋落成式 同情ある来会者悉く設備の完全を賞揚す(DK300097k-0003)
第30巻 p.797-799 ページ画像

中央新聞  第九七八三号 明治四五年四月二三日
    ○玉姫長屋落成式
      同情ある来会者悉く設備の完全を賞揚す
玉姫学校罹災生徒保護者収容所落成式は、既報の如く廿二日午後二時玉姫校内雨中体操場にて挙行されたり、と見る百五十四坪余五棟の建築物は夜来後援会の手に残る方無く整理され、白楊戦ぐ収容所の内外紅白の幔幕を引廻らし、正門前には大国旗を交叉し、式場には東京市の徽章を染抜きたる紫の幔幕を廻らし、同大国旗を交叉し、古染付の花瓶には躑躅・燕子花・八重桜等を挿しあり
△落成式開始 軈て午後一時となるや、来賓としては東京市会議員中沢彦吉氏・棚橋一郎氏を始めとして市学務委員・浅草区学務委員・後援会維持会員・普通会員・義捐金寄贈家諸氏、踵を接して相集り、休憩所に充てられたる玉姫学校階上に集り、学窓より竣工せる五棟の生徒父兄収容所を眺めては、後援会係員より交付されたる長屋建築平面図と比較し、感嘆すること良久しく、何れも大火義捐金の斯かる有益なる事業に供せられ、社会教育史上不朽の記念物となりたるを賞讚し時刻の移るを忘るゝものゝ如し、軈て第一号鈴を合図に来賓一同式場に充てられたる雨中体操場に入場、各設けの席に着く、太田後援会書記は壇上に進み開会を宣し、次いで尾崎東京市長は、特殊小学校後援会々長として一場の挨拶を述べ、細民教育に関し各寄贈者諸氏の同情と中央新聞社の尽力に対し満腔の謝意を表し、続いて後援会理事戸野課長は工事の報告を為し、次に内務省の中川書記官は壇上に登り『中央新聞社の厚志に依り、各同情家より募集せられたる寄附金を以て、斯ゝる有益なる事業に充て今回之が落成式に当り、親しく臨席し得たるは身の光栄之に過ぎず』と前提を置き、細民教育の現状より救貧事業の必要に就いて説くこと縷々数千言に及び、多大の感動を与へて降
 - 第30巻 p.798 -ページ画像 
壇、次に
△府知事其他の祝辞 あり、東京府知事阿部浩氏の祝辞左の如し
 孤独流離の窮民を救済し、其生を全うせしむるは、人道の通義にして、都市政策上亦緊切の事たり、本市有志家諸君玆に見る所あり、曩に東京市特殊小学校後援会を組織し、東京市立特殊小学校の目的を助成し、児童就学上の困難を救援し、且つ其卒業者をして善良なる市民たらしめんことを企劃し、更に又児童保護の為、本日を以て落成披露式を挙げらる、洵に済民上の慶事と謂ふべし、今や多数保護者並に児童を玆に収容し、児童をして出でゝは良師の薫陶を仰ぎ入りては心身の安居を得しむ、其効果期して待つべきなり、望むらくは、当事者諸君、益々励精以て其企劃を遂行し、済民の実蹟を挙げられんことを
府知事の祝辞終るや
△板垣伯の祝辞 今回の事業に特に深き同情を寄せられたる板垣伯は旅行中なるにも拘らず、左の祝辞を寄せられたれば、後援会の太田書記起つて代読す
 祝辞 今回東京市特殊小学校後援会の経営に係る玉姫町共同長屋の落成式を行ふに方り、予の祝辞を徴せらるゝによりて、予は簡単に所感を述べて聊か祝意を表せんとす
 抑も慈善家は、窮民と貧民との区別を知らざる可らず、窮民とは鰥寡・弧独・不具・癈疾等の、国家社会の扶助を受くるの外、到底自立すべからざるものを謂ひ、貧民とは個人的若くは社会的の種々の原因よりして、生活の余裕なきものを謂ふ、是故に窮民の救助は国家社会の責務に属し、決して慈善を以て目すべきものにあらず、慈善とは即ちこの生活の余裕なき貧民を保護し、彼等をして自営自活の道を得せしむるの謂なり、故に曰く「夫れ慈喜は施業にあらず、各人を各自営自活の道に就き、独立せしむるを目的とす」と、思ふに慈善家の先づ意を致すべきは、実にこの慈善の目的に在り
 蓋し慈善家にしてこの慈善の目的を忘れ、徒らに濫恵濫施の弊に陥る時は、貧民をして依頼心を長ぜしめ卑屈の民を作り、遂に彼等をして自営自活の精神を喪はしむるの恐れあり、されば同じく共同長屋を作りて之に住はしむるに方りても、自家の勤勉力行によりて漸次に其家賃を還償し、終に之を以て自家の所有に帰せしむる事を得るやうの方法を執る事は、最も望ましき事にして、斯くの如き方法を立つる時は、彼等の自立心を養ひ、勤勉力行の精神を勃興せしむる事を得べく、斯の如きは慈善の最も上乗なるものなりと信ずるなり(中略)則ち玆に特殊小学校後援会経営長屋の落成式を執行するに際し、所感の一端を述べて慈善家諸氏の参考に供し、以て祝辞に代ふること爾り
  明治四十五年四月廿二日         板垣退助
続いて男爵渋沢栄一氏の左の祝辞あり
  ○前掲ニツキ略ス。
△本社理事の挨拶 続いて本社筒井理事は、本社を代表して一場の挨拶を為し、募集当時より本収容所建築迄の経過を報告し、当事者とし
 - 第30巻 p.799 -ページ画像 
て玉姫学校長三町豊作氏又祝辞を述べ、是にて式を閉ぢ、余興としては痴遊伊藤仁太郎氏が得意の快弁を揮ひて、四郷南洲伝の一節を講演し、満場大喝采を博し、閉会後、後援会係員の案内にて来賓一同先づ託児場より二階の作業場に至り、寄附者の芳名を掲げたる三尺に六尺の大額面二個を観、万年・玉姫・三笠・芝浦・鮫ケ橋・猿江・林町・霊岸の八特殊学校の出品に為る各種の表、生徒及生徒保護者の製作物を一覧して、細民生活の一斑を知り、第三棟より順次第一棟・第二棟浴室等を参観し終り、別室に於て茶菓の饗応あり、一同歓を尽して散会せるは午後四時頃なりき
△設計工事の苦心 因に当工事は元市営繕課の設計に基き、田島課長専ら其指揮に当り、現場監督としては弘田技手・江連雇員殆んど詰切にて之に従ひ、工事一切の請負は神田千代田町高橋保志氏にして、氏は当初より此挙に賛し殆んど献身的に此工事に当られ、利害を顧みざりし篤志は特に当局者の感謝する所、又後援会よりは寄贈者全部に充て招待状を発したるも、募集後一箇年余を経過せることゝて住居の異動少からず、招待状の戻り来りしもの六百余通に上りしは頗る遺憾とする所なりし



〔参考〕中央新聞 第九七八二号 明治四五年四月二二日 教育史上の新記録 本日の玉姫学校長家落成式 活用されし本社募集義捐金(DK300097k-0004)
第30巻 p.799-801 ページ画像

中央新聞  第九七八二号 明治四五年四月二二日
    ○教育史上の新記録
      本日の玉姫学校長家落成式
      活用されし本社募集義捐金
我が中央新聞が、東京市空前の大惨事たりし浅草大火災に際し率先して之が救恤に当り、其義損金の一部を以て建築されたる特殊学校玉姫小学生徒父兄収容所は、工事全く竣成して、本日午後二時同校内に於て愈々之が盛大なる落成式を挙行せんとす、今や我が社会教育史上記念するべき建築物は、城北の一角に巍然として不朽の記録を印せり、而して之れに対する当局者の意見は如何、其設計の苦心は如何、今左に市当局が責任ある談話を紹介し、此事業が如何に重大なるものなるかを報道せん
  △理想を悉く実現し得たる収容所
              市教育課長 戸野周次郎氏談
中央新聞社で募集せられた浅草大火の義捐金を、市の特殊小学校後援会へ寄附せられ、夫れで玉姫学校の生徒父兄収容所が出来、罹災生徒の父兄を収容する事が出来るやうになつたことは、誠に欣嬉に堪へぬ所で有る
△二つの新設備 此種の長家に就いては、市でも従来の経験もありまするので、今回の収容所は確かに其最上を尽してゐるつもりである、火災後間も無く玉姫校の脇に一時的バラツク長家を建築する、続いて市営の長家が出来る、バラツク取払ひ、後は其材料を直他へ移して同じ性質の父兄収容所を造ると云ふやうに、今迄積んだ経験上出来る丈け便利に、开して愉快に住む人も住心地のよいやうにと思つて設計した筈である。又夫れに附属した作事場と託児場は後援会としては初めての試みで、設備としても決して劣る所は無いと思うてゐる、託児場
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に就いては、去る卅九年の頃牛込区山伏町に特殊学校を建設し、其附属として託児場も設置する目算で、当時託児場に関する欧米の実例を調査したり、市内に於て託児場のやうに多くの小児を養育し哺育した実例をも調査し、直ちに開設するつもりで、地所迄も購入したのであつたが、其後地所の都合で中止するやうになり、託児場も其儘になつてしまつた
△託児場の必要 然るに今回御社募集の義捐金に依り、此の立派な収容所も出来、附属として託児場迄建設し得たことは、当初の目的を達したわけで、誠に嬉しく思ふてゐる、設備としては別に大した事は無いが、廿人位は優に預かれると思ふ、夫れから周囲の空地には細い砂利を布き、戸外の運動を自由にし、一面には草花など植付けて美的思想を養ひ、新鮮な空気を呼吸せしむるやうにするし、塀一重で学校に接してゐるのであるから、大勢の運動などには学校の運動場を使用することも出来る、戸外の運動と云ふことは最も必要な事で、天気のよい日は成るべく戸外の運動をさせる、开して夫れを習慣にしてしまふ欧米では林間学校などの設備が有つて空気の新鮮な所で生活させる、次に室内でも小児の事であるから玩具も備付けて置くし、幼稚園とは趣も違ふが幼稚園の設備も有る、夫れから
△小児の睡眠 は大切なことであるから、託児場でも時間を見て小児を寝かせてやる、蒲団の設備も無ければならない、之も既に出来てゐる、飯も食べさせる、哺乳もする、斯くて一日小児を預かつて、母親が一日の内職が安心して出来るやうにするのである、託児場の設備として更に注意したのは流し場で、湯を沸かしたり乳を暖めたり、中々必要なもの、此点にも充分注意してある。
△二階は作事場 で、女親が子供を預け、乳のある人は一度乳を含ませれば直ぐに二階で内職の出来るやうになつてゐる、託児場の保姆は出来る丈慈悲心に富み教育のある人が欲しく、出来得るならば二階の作事場の監督もして行くならば、誠に一挙両得であると思ふ、夫れから物干の設備なども、日光消毒を遺憾なく厲行せしむるには、成るべく充分に設備もしなければならぬ、学校よりの外見上其美観を損ぜぬ程度に之も十二分の設備がある、要するに御社の御尽力で此の如き清潔にして便利な収容所が出来、託児場や作事場迄も整うて実施することが出来るやうになつたのは、単に玉姫学校生徒保護者の幸福ばかりでなく、其の利益は関係する所頗る大なるものであることゝ思ふ
  △最良最善の設備
               市営繕課長 田島工学士談
玉姫学校生徒保護者収容所の設計に関しては、予め市内に現在してゐる公設長家の実況を仔細に調査すると同時に、欧米に於て近来盛に鼓吹せられつゝある労働者長家の範例をも参考とし、経費の許す範囲内で成るべく居住者の向上を計り、生活上の愉快を感ぜしめやうと努めたつもりである、殊に細民の生活状態に鑑みては其の風紀上衛生上、従来の長家に有勝な欠点を成るべく少くするやうにと苦心し、各一戸分に対し大小の二室と南に向いた小庭をつけ、廊下や附属炊事場を附設し、両側には階段室を造り、階上階下に便所をつけ、且つ火災の危
 - 第30巻 p.801 -ページ画像 
険も顧慮して、炊事場及び階段室階下各室の天井等は悉く鉄板張にし階上階下共に廊下は混凝土の床としたのは、万一の場合延焼を予防せんが為めである
  △教育史上記憶すべき新記録
              玉姫学校長 三町豊作氏談
中央新聞社の多大なる御尽力に依つて斯く立派な生徒保護者収容所が建築されたことは、本校々長として真に欣喜に堪へぬ次第である
△忘れ得ぬ一事 夫れに就いて先づ第一に念頭に浮ぶのは、本校が類焼の災厄に罹つた際、市当局者が熱心に其の復興を計画せられ、其の結果現在のやうな立派な校舎が出来た事と、中央新聞社に於ては多額の金品を寄贈されたのみか、生徒に必要欠くべからざる教科書を寄贈せられ、為めに生徒は一日も授業を休むことが無かつた、是の一事は実に肝に銘じて忘るゝ事の出来ぬものである、続いて今回の生徒父兄収容所建築となり、細民の生活状態に
△一道の光明を 見る機会を与へられたことは、一に同情家諸氏と御社の尽力に依る処である、学校としては収容所が出来て之を利用し、親しく父兄保護者の生活に其向上を図る機会が出来たのは、我が教育上始めての事である、されば之に就ては一層特別な注意を払つて、其の善用を図らねばならぬ、然らば如何にして之を善用するか、如何にして之が建設の主旨を完うし得べきか、教育者として之に対する時は児童が尋常六年を卒業するやうに、保護者の方も夫れ迄に生活上一歩を進めて此処を卒業させねばならぬ
△託児場の希望 殊に託児場の如きは、特殊学校としては年来の希望で、後援会の理事も此に注意し附設したのであるが、教育者の側からは一層深い興味を以て之を利用し、其目的を貫徹したいと思ふてゐる当父兄を収容して単に衣食住の安固を計るのみならず、之に精神上の衣食を給するも亦我々の責任である、名士の有益なる演説講話、高尚なる娯楽など之等は彼等が最も都合のよい時期を見て時々開催し、精神上の方面を開拓して行かねばならぬ、管理は後援会の仕事であるが学校としては実に重大な関係を有するのであるから、一層熱心に責任を以て之れが善用に努める考へである



〔参考〕日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第二輯・第一〇一頁 大正九年五月刊(DK300097k-0005)
第30巻 p.801-802 ページ画像

日本社会事業名鑑 中央慈善協会編  第二輯・第一〇一頁 大正九年五月刊
    社団法人東京市特殊小学校後援会
                 東京市役所内
                 (会長 男爵 阪谷芳郎)
 事業 特殊小学校後援(其他貸長屋・保育等)
 組織 社団法人、基金利子・事業収入・臨時寄附金・補助金等を以て維持経営し、職員として会長以下、副会長一名・監事二名・書記一名を置く。
 沿革 明治四十三年七月、東京市特殊小学校児童水難救護会の事業を継承して之を設立し、同年八月社団法人の認可を得たり。大正七年一月大森皇后宮大夫会の事業を巡視し、皇后陛下より特に金三千円を下賜せらる。
 現況 大正七年度に於ては衣服・食料・治療等に関する給与額金二
 - 第30巻 p.802 -ページ画像 
七四〇円、奨励及職業周旋資金一、四二一円、慰藉費一〇〇円、表彰費八三円(六十四名)、修学補助費二九二円(八名)を支出せり。託児場・貸長屋事業は各其項に記す。現在敷地九百五坪、建物十五棟三百九十二坪、資産の総額三一、三八三円、大正七年度の収入金一六、一五八円、支出金一二、四七〇円なり。
      資産及収支(会計年度自一月一日至十二月末日)

図表を画像で表示資産及収支

 資 産           収 入                    支 出          円 基本金 一五、二七二          大正七年度  累計             大正七年度   累計                         円       円              円       円 土地   二、〇〇〇   御下賜金   三、〇〇〇   三、〇〇〇   事業費    七、〇八五  三七、七六五 建物  一四、一一一   醵金       二三二   一、六〇二   事務費其他  一、八九七  二六、一七二 合計  三一、三八三   臨時寄附金  三、七六二  六二、〇八六   基金積立   三、四八八  一五、二七二              補助金      四六〇   五、〇六〇   合計    一二、四七〇  七九、二〇九              (内務省・東京府・東京市)              事業収入   六、四三三   五、二四八              (慈善演劇・絵画頒布会等)              雑収入      三六一      ――              合計    一六、一五八  八三、四三〇 





〔参考〕日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第二輯・第六八頁 大正九年五月刊(DK300097k-0006)
第30巻 p.802 ページ画像

日本社会事業名鑑 中央慈善協会編  第二輯・第六八頁 大正九年五月刊
   東京市特殊小学校後援会玉姫長屋       東京市浅草区浅草町
 事業 貸長屋
 沿革 明治四十五年四月、浅草の火災に際し、中央新聞社が罹災民救助の為募集したる義捐金九、四九五円より、東京市玉姫尋常小学校在学児童の保護者並其家族を収容する家屋建築費として指定寄附をなせしを以て、東京市特殊小学校後援会に於て、之を資金として該長屋を建築したるなり。
 現況 本長屋は二階建十四戸二棟、同十戸一棟より成り、合計三八戸(一六七名収容)あり、資産及経費は左の如し。
○下略



〔参考〕中央新聞 第九七九七号 明治四五年五月七日 成績益々良好なる玉姫小学校 目下の生徒六百七十名(DK300097k-0007)
第30巻 p.802-803 ページ画像

中央新聞  第九七九七号 明治四五年五月七日
    ○成績益々良好なる玉姫小学校
      目下の生徒六百七十名
浅草区玉姫町なる特殊小学校玉姫尋常小学校は、去る四月新学期開始と同時に仮校舎に引移りて授業を始め、生徒も急に劇増して、昨年末には三百七十余名なりしもの六百七十余名となり、校長以下教員一同励精可憐なる貧家の子弟を教養しつゝあり
△弁当は持参せしめず 他の特殊小学校に於ては、教場の都合に依りて生徒を午前と午後の二部に分ちて教授し居るも、同校にては全生徒を午前に教授し、午後は一年二年の生徒にして家事の手伝を為さゞるものを集め、一時間の練習教授を為しつゝあり、三年四年の生徒となれば大抵内職の手伝を為して、相当の収入を挙げ得るが故に、大抵午後は家庭に在れど、尚ほ何等の仕事もせず、徒らに遊び居るものも少なからざるを以て、此等の生徒を毎日午後三時乃至四時間学校に集めて手工の練習を為さしめんが為めに、目下は鼻緒の前ツボを作らしめ
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材料は全部依託者より提供して、百足に付金四銭の賃銭なり、此等の生徒の中には遠方より通ふものもあれど、決して弁当を持参せしめず午前の授業と《(マヽ)》なりては後は、必ず帰家食事の上出校せしむる由
△親子共に小学生 細民の子弟にて五年生以上の年齢ともなれば、昼間は相当の手内職其他の仕事ありて、一日二十銭以上の賃金を得るより、同校にては五年・六年の生徒は昼間の教授を為さず、特に夜間部を設けて此等の生徒に夜間教授を為し、又諸種の事情に依りて義務教育を受くる能はざりし十二歳以上の少年少女の為には、別に特殊夜学部の設けありて、尋常小学一年より四年迄の課程を二年間に教ふる事とせり、此の夜学部に通学する学生は、各商店の小僧又は各工場の職工・工女等にして、近きは附近の商店、及び山崎工場・護謨会社等より、遠きは千住方面の各工場、又はサツポロビール工場等より通ひ居れど、工場の方は雇主の都合によりて就業屡々変更せらるゝが為め、半途退学するもの多く、一女生徒の如きは泣いて退学せし例もあれど商店より雇主又は父兄の頼み来るは容易に退校するものなく、其成績も亦良好なり、此等学生の年齢は十二歳以上と云へど極めて不同にて二十歳前後の生徒も少なからず、前学期に卒業せる女生徒の如きは、看護婦を志望して勉学の必要を感じ、其子と共に相携へて登校し居りしと
△父兄の職は百一種 而して今学期に於ける学生全部の父兄の職業を調査したるに、其の種類は
 車夫・賃仕事・日雇・職工・車力・鼻緒職・石炭運送・露店・魚行商・大工・人夫・靴工・古物商・女工・土方・畳職・革職・左官・桶職・玩具製造・八百屋・漬物行商・鍛冶屋・アサリ行商・指物・紙屑買・行者・アキ俵商・小使・飾職・竹細工・石工・菓子小売・建具職・研職・清潔屋・形付職・造花・瓦職・下駄歯入・農・軽子機業・理髪・花屋・植木屋・足袋職・女髪結・筏乗・鼈甲細工・渋紙商・帽子真田縮・蔦屋・髪製造・鉄葉職・おでんや・羅宇職・印刷業・飴売・しんこ屋・彫工・荷馬車屋・納豆売・染物職・綿打・裁縫・井戸屋・豆売・荒物商・ペンキ職・ボール紙商・帽子職・鳥屋・箱屋・針製造・鋸目立・綿打・下駄職・筒屋・揉療治・郵便配達・提灯屋
其他百一種なるが、中にも最も多きは車夫にして、此は草鞋と蝋燭さへあれば、借車にて何時にても業に就き易きが為なりと