デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
1款 社団法人東京慈恵会
■綱文

第31巻 p.49-51(DK310004k) ページ画像

大正9年4月16日(1920年)

是ヨリ先四月十二日高木兼寛逝ク。是日青山斎場ニ於テ葬儀行ハレ、栄一之ニ参列ス。


■資料

集会日時通知表 大正九年四月(DK310004k-0001)
第31巻 p.49 ページ画像

集会日時通知表  大正九年四月     (渋沢子爵家所蔵)
大正九年四月十六日(金) 午後二時 故高木男葬儀(青山祭場仏葬)


竜門雑誌 第三八四号・第六一頁 大正九年五月 ○高木兼寛男逝去(DK310004k-0002)
第31巻 p.49 ページ画像

竜門雑誌  第三八四号・第六一頁 大正九年五月
○高木兼寛男逝去 東京慈恵会医院医学博士男爵高木兼寛氏は、昨年六月頃より健康を害し、爾来本邸に在りて療養中一時快方に向はれしに四月十二日午前突如脳溢血の為め逝去せられたり、享年七十三。葬儀は十六日午後青山斎場に於て盛大なる仏式を以て執行せられたるが生前故人と親交ありし青淵先生には弔問乃至葬儀に参列の上、親しく悼意を表されたりと云ふ。


成医会雑誌 第四五三―四号・第一頁 大正九年七月 嗟吁会長男爵高木兼寛先生薨ず(DK310004k-0003)
第31巻 p.49-50 ページ画像

成医会雑誌  第四五三―四号・第一頁 大正九年七月
    嗟吁会長男爵高木兼寛先生薨ず
嗟吁天乎命乎、成医会長医学博士従二位勲一等男爵高木兼寛先生、大正九年四月十二日を以て薨ず、恰も万朶の桜花の一時に落下し地に委するが如く、転た愛惜の念に堪へざるなり、嗚呼先生によつて開ける爛熳たる万朶の花とは何ぞ、曰く海軍衛生の花、曰く医育の花、曰く慈恵の花、曰く立法の花、抑も又忠孝の花、体育の花なる乎、公私百般社会事業に関するところのもの、蓋し尠からず、嗚呼先生気英邁性剛毅、自信に厚く志操高く、加之博覧強記にして創思に富まれ、少壮
 - 第31巻 p.50 -ページ画像 
既に海軍奉職中より幾多の事業を画策せられたり、其事に当りては勇往邁進其功を収めずんば已ま、ず是れ先生の身を立て国家に尽せる所以なり、皇天何ぞ此人を奪ふの急なるや、吾人日夕親炙せるの身哀悼殊に切なり、少焉沈思すれば先生の雄姿髣髴として眼前に在り、嗟吁悲哉。
四月十六日午後二時青山斎場に於て葬儀を執行せらる ○中略
当日会衆朝野の名士・博士等無慮三千名、近来の盛儀と謂つべし、尚其霊前に供せられし弔辞氏名左の如し。
 ○中略 東京慈恵会副会長渋沢栄一氏 ○下略



〔参考〕高木兼寛伝 高木喜寛著 第二六五―二六七頁 大正一一年一一月刊(DK310004k-0004)
第31巻 p.50-51 ページ画像

高木兼寛伝 高木喜寛著  第二六五―二六七頁 大正一一年一一月刊
    第十五 諸家感想談
○上略
                   子爵 渋沢栄一
 予の高木先生の知を得たるは、明治十八年の頃、深川に居を卜せる時にてありし。鹿児島県人伊集院兼常氏、大倉喜八郎男と土木会社を共営し、予も亦之に関係を有したるを以て、同氏より、先生の風格を聴くこと屡なるだけ、敬慕の情切なるものありし。伊集院氏は、先生の偉材なるを語り『必ずや貴下を益することあらん』とて、交を締ばんことを従慂せられ、爰に同氏の紹介を得て、交誼を得。爾後三十余年間、其久しきを見るに至れり。
 明治二十七年十一月、面部に癌を患ひ、頗る悩む。特に先生を煩したるに、悪性なればとて橋本綱常子の立会を以て、執刀手術を受く。多くの医師の再発する事もやと怖るゝ中に、先生は根治したることを声明せられしが、果して今日に至るまで、再発することなかりき。次いで三十七年五月、中耳炎を病み、更に肺炎を発す。重態なり。家人知友、悉く憂ひ、予も亦生を望むの難きを想ふ。于時日露の国交破れて、病褥の裏、国事を懐ふ事切にして、国家財政に対する私見を述ぶべく、松方・井上両侯に会見の必要を感じ、先生に請ふに此意を以てせるに、先生は、断乎として是を斥け、病気の必ず恢復すべきを確言せられたり。
此時も果して、快復して、今更に先生の明断を感謝したりき。
 以上は、単なる私的関係に過ぎざるが、先生は慈恵会の創設及完成に力を尽され、其の今日に至れるは、悉く先生の熱誠の結晶ならざるなし。明治四十年、事業拡張の時、有栖川総裁宮殿下の御意を承けて予は専ら財務の処理に任じ、基金、最初の予定を超えて、百三十七万七千円を得たり。されど、近年物価騰貴によりて、尚足らずとなし、先生は進んで是を二百万円となすべく計劃し、一昨年是を予に謀られたるも、折柄財界の不況、其他の事情に制せられて、遷延したるが為め、先生の生前に、是を実現し得ざりしは、故人の遺憾も推せられて慚悔に堪へざるものあり。先生の如何に慈恵会事業完成の為めに、力を尽されたるかは、贅するの要なきも、其他社会政策上の施設の効甚だ多し。予の院長たる東京養育院に対しても、閑暇ある毎に視察せられ、指導を受けたること一再ならざりき。
 - 第31巻 p.51 -ページ画像 
 先生は慈善衛生上の施設計劃には、自ら興味を有せらるゝと同時に熱誠を以て事に当らるゝの人格者なりしを、今更追慕措く能はざるものなり。
○下略