デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
16款 財団法人熊本回春病院
■綱文

第31巻 p.192-194(DK310035k) ページ画像

昭和4年5月21日(1929年)

栄一、当病院ニ対シテ、明治四十三年以後引続キ尽力スル処アリ、是日、東京会館ニエッチ・リデル女史慰労午餐会ヲ開ク。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK310035k-0001)
第31巻 p.192 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 晴 軽暖風強シ
○上略
朝安達憲忠来リテ癩患者ノ事ヲ談ス、午後三時、金沢久氏事務所ニ来リ、英人リデル嬢ヨリ申出デタル癩患者救護ノ事ニ関シテ談話ス


渋沢栄一書翰 増田明六宛 (明治四三年)四月二一日(DK310035k-0002)
第31巻 p.192 ページ画像

渋沢栄一書翰  増田明六宛 (明治四三年)四月二一日   (増田正純氏所蔵)
○上略
回春病院寄附金ハ尚不来之分催促被成、精々御取纏可被下候、リデルヘ之発状ハ帰京後ニ可致と存候
○中略
  四月廿一日
                       渋沢栄一
    増田明六殿
           御答
○下略


集会日時通知表 大正一〇年(DK310035k-0003)
第31巻 p.192 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
五月十八日(水) 午後八時 熊本癩病院援助舞踏会(ホテル)


集会日時通知表 昭和四年(DK310035k-0004)
第31巻 p.192 ページ画像

集会日時通知表  昭和四年       (渋沢子爵家所蔵)
五月十七日(金) 午前十時 ミス・リデル来約(飛鳥山邸)
五月廿一日(火)  十二時 リデル女史歓迎午餐会(東京会館)


招客書類 (三) 自昭和三年七月至昭和六年十一月 【昭和四年五月二十一日(火)正午於東京会館 エツチ・リデル女史慰労午餐会】(DK310035k-0005)
第31巻 p.192-193 ページ画像

招客書類 (三)  自昭和三年七月至昭和六年十一月    (渋沢子爵家所蔵)
昭和四年五月二十一日(火)正午於東京会館
エツチ・リデル女史慰労午餐会
                        ○エツチ・リデル女史《(太印ハ朱書)》
            社会局長官       ○長岡隆一郎氏
            衛生局長        ○山田準次郎氏
            社会部長        ○大野緑一郎氏
            中央社会事業協会主事  ○原泰一氏
            東京市養育院幹事    ○田中太郎氏
            東村山全生病院長    ○光田健輔氏
 - 第31巻 p.193 -ページ画像 
            大阪病院        ○村田正太氏
                        ○主人
                        ○小畑久五郎
          午後一時半ヨリ出席者
            内務次官        欠潮恵之輔氏
            中央社会事業協会副会長 ○窪田静太郎氏


小畑久五郎談話筆記(DK310035k-0006)
第31巻 p.193 ページ画像

小畑久五郎談話筆記           (財団法人竜門社所蔵)
             昭和十一年十一月三十日 於本資料編纂所
 私は此の時 ○昭和四年五月二一日通訳を致しましたが、良くは覚えて居りませんが、光田氏とリデルさんの意見が異つて居た様です。光田氏は医学上の立場から断種を主張し、リデルさんは宗教上の立場から人体を傷ける事は不可ない、厳重に男女を隔離して置けば良いと言ふ意見でした。
青淵先生は両者の見解に対して、別に批評らしい事は仰言らなかつた様に記憶して居ります。


小林正金談話筆記(DK310035k-0007)
第31巻 p.193 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(エッチ・リデル) 書翰 渋沢栄一宛 一九三〇年一二月一三日(DK310035k-0008)
第31巻 p.193-194 ページ画像

(エッチ・リデル) 書翰  渋沢栄一宛 一九三〇年一二月一三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
          The Imperial Hotel
            of Tokyo
          13th,December,1930.
 Dear Viscount Shibusawa,
   Although I have been at this Hotel since Nov.8th,I have been quite unable to pay my respects to you,because I have been ill all the time,having two doctors and two nurses.
   Now,however,I hope to be able to travel about 18th,and am very anxious to reach Kumamoto by Christmas.
 - 第31巻 p.194 -ページ画像 
   There were several things I greatly hoped to have had an opportunity of talking to you about,but it is now I fear,impossible.
   Please take great care of yourself as the cold weather comes on.
   With kindest regards,and many thanks for all your courtesy when I was last in Tokyo.
            Believe me,
            Ever Sincerely Yours,
             H. Riddell (Per A.H.W.)


(渋沢敬三) 書翰控 エツチ・リデル宛 一九三〇年一二月一六日(DK310035k-0009)
第31巻 p.194 ページ画像

(渋沢敬三) 書翰控  エツチ・リデル宛 一九三〇年一二月一六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
帝国ホテル
  エーチ・リツデル女史様
                    第一銀行
  一千九百三十年十二月十六日       渋沢敬三
拝啓、陳者祖父事去月二十日以来病気のため籠居罷在候ため、本月十三日付御秘書代筆の御書面小生に回送相成拝見仕候、貴女史には御病気の由遺憾千万に存候、然るに漸次快方に向はせられ、来る十八日ホテル出発、熊本へ御帰還遊ばさるまでに御恢復の由拝承致し、大いに安堵仕候、今後共御摂生の程祈上候、御書面は機を見て祖父に提出可仕、祖父も貴女史の御病気を知らばさぞ驚かるゝことゝ存候、祖父の病気は医師も重病とは見做さず候得共、高齢なる上喘息を発する患有之候故、音声を使用することなき様警戒せらるゝ次第に御座候
貴女史には速かに御全快の上、遠からず再び御上京あらせらるゝやう希望仕候
右祖父に代り得貴意度、如此御座候 敬具



〔参考〕日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第六輯・第四八頁 大正九年五月刊(DK310035k-0010)
第31巻 p.194 ページ画像

日本社会事業名鑑 中央慈善協会編  第六輯・第四八頁 大正九年五月刊
 ○九州方面 熊本県之部 施薬救療事業
    財団法人熊本回春病院  飽託郡黒髪村立田 (院主ハンナ・リデル)
 事業 施療(癩病)
 組織 財団法人、内外国人の醵金及寄附金を以て維持経営し、職員として、院主以下医師二名、薬局主任一名、看護婦六名、幹事一名書記四名を置く。
 沿革 明治二十八年十一月、英国人ハンナ・リデル嬢の設立に係るリデル嬢は宣教師として我が邦に派遣せられたる人にして、熊本に於て布教に従事し居たるが、偶同市外に遊びて本妙寺境内に多数の癩患者が徘徊し居るを見て、是等人々の霊肉の苦痛を救ふことの急務なるを感じ、直に職を辞して英国に帰り、篤志家の援助を得て再び渡来、遂に本院を設立せしなり。
 現況 大正六年十二月末日の在院患者六五名あり。 ○下略