デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
17款 財団法人癩予防協会
■綱文

第31巻 p.195-198(DK310036k) ページ画像

昭和5年10月21日(1930年)

栄一兼ネテ癩予防並ニ該病者救護ニ尽力シ来リシガ、是日、内務大臣官邸ニ大臣安達謙蔵ヲ訪ヒ、当会設立ニツキ協議ス。


■資料

(安達謙蔵) 書翰 渋沢栄一宛 (昭和五年)一〇月一八日(DK310036k-0001)
第31巻 p.195 ページ画像

(安達謙蔵) 書翰  渋沢栄一宛 (昭和五年)一〇月一八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、秋冷の候益御清栄奉賀候、陳者癩予防協会設立の件に関し御協議申上度に付、御繁忙中御足労なから、来る十月廿一日正午、内務大臣官邸へ御来臨願度、此段得貴意候 敬具
 追て粗餐の用意致置候間御含被下度申添候
   十月十八日              安達謙蔵
    渋沢栄一殿


中外商業新報 昭和五年一〇月一二日 愈よ癩予防協会 設立に着手 渋沢老子爵尽力に立つ(DK310036k-0002)
第31巻 p.195 ページ画像

中外商業新報  昭和五年一〇月一二日
  愈よ癩予防協会
    設立に着手
      渋沢老子爵尽力に立つ
十一日午前十時、潮内務次官・赤木衛生局長は安達内相の旨を承け、日本橋渋沢事務所において渋沢子爵と会見、癩予防協会設立に関して種々協議したが、さきに畏くも皇太后陛下より、世に最も愍むべき病者を救ふべく多額の御内帑金御下賜の御内命もあつた事とて、渋沢老子爵も財界不況の折柄ではあるが、いよいよ奮起して協会設立のため尽力する事となつた、なほ内務省で目論でゐる予防協会の事業は
 一、知識の啓発 二、癩に関する研究費の補助 三、癩患者に対する補助(癩療養所に収容せられたる患者の家族にして、本人の入所に依り生活すること能はざるものに対し、適当なる生活費の補助をなすこと) 四、未感染児童の保護施設 五、患者相談所の設置 六私設療養所の助成 七、患者の慰安及援助 八、癩の救療従事者の慰安及後援等
であるが、現在我が国には、一万五千人の癩患者があるといはれてゐるが、安達内相の意図では、今後廿ケ年には癩を全く根絶せしめんとするもので、今月末開所する岡山の国立癩療養所、その他公私立の療養所とも協調して、病気中最も嫌悪せらるゝ癩の絶滅を期するはずである
 なほ皇太后陛下の有難き思召に依る、癩療養従業者にして特に功労あるものに御恩賞を賜はる御内沙汰ありたることは既報の通りで、内務省では各地方長官に通牒を発し、管内における功労者を報告せしめることになつたが、地方長官より報告して来たものは既に百余名に達してゐる
 - 第31巻 p.196 -ページ画像 


社会事業 第一四巻第一二号・第一―三頁 昭和六年三月 癩予防事業の確立に就いて(DK310036k-0003)
第31巻 p.196-198 ページ画像

社会事業  第一四巻第一二号・第一―三頁 昭和六年三月
    癩予防事業の確立に就いて
                    子爵 渋沢栄一
 私が予て祈念して已まなかつた、癩病を我国より駆逐し、且つ不幸にして不治の難病に罹つた癩患者の余生を比較的安穏に送らせ、又その家族親類のものをして不合理なる世の指弾から脱れしむるために、いよいよ最近癩撲滅の国策が樹立せられ、之を促進する癩予防協会が官民一致挙国的組織として結成さるゝに至つたことは、誠に欣懐の至りに堪へないところである。
 顧みれば私が、癩病のことに就て深い関心を持つに至つた動機は、旧い幼い折の経験にその端を発して居る。
 秩父の血洗島、それは私の生れた懐かしい故郷である。私の育つた宅のぢき近所に私より一つ年下の幼い友達があつた。その母親が癩に罹つて居ると云ふので、村の人たちは誰れも彼れも此宅と交際を避けるようにして居た。然るに、非常に情けの深い性質であつた私の母はつとめてその宅とのつきあひを続けて居た。私も母のそうした情け心をうけて、嫌悪と憐憫と交錯した心持を持つて、その宅の幼い友達と遊び戯れる折も稀ではなかつた。そうこうして居る間にその子の姿がいつとはなしに私の周囲から全然姿を消して仕舞つた。やがてその子も亦癩病にかゝつて閉ぢこめられて居るのだと聞いて、私の心はどんなに悲みと憐みとにうたれたことであらう。斯うした幼い折の痛ましい記憶は、その後図らずも東京市養育院をお世話することになつて、其処に収容されて来る気の毒な癩にかゝつた人たちを見るにつけて、これは社会として人道上打ち捨て置き難いことゝ痛感するに至つた。
 そして段々その人たちの心持を知つて来ると、何れも大か小か恐ろしい自暴自棄な世を呪ふ反社会的な気持を持つて居る。それもその人たちの不幸なめぐり合せを思ふと誠に無理からぬことゝ思はれて、これは社会防衛上何とかせねばならぬことゝ併せ考へるようになつた。
 更に或時養育院の近所にあつた或酒屋の一人の可愛い子僧さんが病気になつて養育院に収容されて来た。それが癩病で、然かも気の毒なことには、その酒屋の主人が癩であつたのが伝染したのであると云ふことであつた。時の院医光田氏がそれに関聯して、癩の伝染であることを懇切に私に聞かせてくれた。私もそしてまたその時の幹事をして居た安達憲忠氏も共に成程と首肯する点が多く、これでは国民保健上打ち捨て置く事の出来ない重大問題として、独立した癩患者の療養所を設立することを計画する迄になつた。
 日露戦争前後のことであつた。私は全国各地の実業家諸氏と相携へて、所謂国民的使節としてアメリカに日米親善のために使ひをしたのであつたが、外人の間に当時隆々として発揚されつゝあつた我国威並びに文化に対して、容易に容認しないものがあつた。その人たちのうちには、「日本は一等国文明国になつたと云ふ、成程戦争には強いが、未だに世界のどこの文明国にも影をひそめた癩病を自分の手ではどうにもなし得ないではないか」と云ふものがあつた。私は米国よりの帰
 - 第31巻 p.197 -ページ画像 
途布哇に立ち寄り、そこのモロカイ島に於ける癩療養所を視察し、米国の布哇に於ける大がゝりな癩撲滅策の実行を見て非常に心をうたれることであつた。故国へ帰つて、もう一度我国の癩に対する考へ方、及び癩患者の処遇を仔細に眺めて驚きと悲みを深うした。
 当時神社仏閣の前には沢山の浮浪癩患者が徘徊して参詣者の憫みを乞ふて居た。そして全国何ケ所かの癩療養所は大部分外国宗教家の経営に委されて居た。
 乃ち、私は屡々政府当局を訪ふて、何とかして頂き度いと繰り返へし懇請した。当時の衛生局長は、今日我が中央社会事業協会の副会長である窪田静太郎博士であつて、大に私の意を容れて呉れられ、同氏の非常なる尽力によつて、間もなく制定発布されたのが今日施行されて居る癩予防法であつて、その結果として全国に五ケ所の道府県聯合癩療養所が出来、一と通り浮浪癩患者の強制収容が行はれて、彼等の可憐なる姿は私たちの視界から遠ざかつたのである。
 然し、それを以て我国の癩患者は総て適当な施設に然るべき保護療養をうけ得るようになつたのではなかつた。尚ほ大部分の癩患者は或は自宅に屏居し、或は不備な施設に放置せられて居る状態が続いて居るのであつた。
 癩予防法の施行と相前後して生れた我が中央社会事業協会に於て私と窪田博士とは不思議にも会長及び副会長として屡々相会する機会を持つようになつた。従て癩に関する意見は幾度か交換せられ、遂に癩調査会を設け一と通り癩予防撲滅に関する計画を立て、再び政府と交渉を進めることになつた。一昨年の夏であつた。私は窪田副会長・原総務部長と相携へて、新任間のない安達内務大臣を官邸に訪れて、癩に関する私たちの意見を具陳した。然るに安達内相は直ちに私たちの意見に同意を表せられたのみならず、若し渋沢にして果して老躯を厭はず此事業のために尽すならば私も共に如何なる尽力をも辞さない、と云ふ強い御言葉であつた。
 さり乍ら我国の経済状態はその頃に入つて益甚しく疲弊して来た。折角安達内相との会見に勢づいた私も、この際どうしても実業家諸君に癩事業の為めに出捐方を切り出す勇気を持てなかつたので躊躇徒らに月日の経つのを焦慮した。その時に当つて図らずも
 皇太后陛下が私たちの計画を聞し召されて、畏くも御内帑金を賜はらうとの御内旨を拝聞して恐懼した。この事のあつて間もなく、全国各地の同憂の士より色々な奨励の手紙を受けとり、中には貴い志をこめたる同情金の送附さへ受けとつた。
 玆に於て、私は最早や躊躇する場合でないことを思ふて断然心を定め、安達内相に御相談して、愈々癩撲滅の国策促進の挙国的機関たる癩予防協会設立のことを進めることになり、昨秋先づ安達内相の御助力を得て、先づ之を東京の有志諸君に計つたところ直ちに御承諾を得たので、続いて内相及内務当局の御骨折にて、六大都市始め全国各地の有力なる方々の御同意をも得、遂に本年一月廿一日を以てその創立総会を挙行せらるゝ迄に至つたことは、老齢に達して居る私一個人として、年来の意志が達成の一歩を進めたことに涙ぐましい喜びを感じ
 - 第31巻 p.198 -ページ画像 
て居ることは固よりであるが、我邦家社会のため誠に慶賀に堪へないところである。
 どうか今後全国有志各位の御援助によつて此協会の事業が着々と進められ、一日も早く、我国より此癩が姿を没する日の来らむことを切望してやまないのである。(文責記者にあり)