デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
3款 東北九州災害救済会
■綱文

第31巻 p.266-289(DK310048k) ページ画像

大正3年1月15日(1914年)

是ヨリ先、東北地方凶作ニシテ被害民ノ窮状甚シキヲ以テ、栄一等相謀リテ東北凶作救済会ヲ設立セントシ、是月十三日発起人会ヲ開ク。偶々同十二日鹿児島県桜島山噴火シテ同県ノ被害甚シ。因テ両者ヲ併セ救済セントシ、是日当会設立セラル。栄一之ガ副総裁トナリ会務ニ尽力ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正三年(DK310048k-0001)
第31巻 p.266-268 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正三年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 快晴 無風
○上略 原敬氏・益田孝氏等ヘ東北凶作救済ノ件ニ付書状ヲ発ス ○下略
一月三日 快晴 午後風アレトモ寒威厳ナラス
○上略 午前九時半永田町ニ山本首相ヲ官邸ニ訪ヒ、東北凶作ニ付救済会組織ノ事ヲ談ス ○中略 十一時松方侯爵ヲ三田邸ニ訪ヒ、同シク凶作救済会ノ事ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
一月六日 晴夕曇
○上略 三時三友倶楽部ニ抵リ、東北救済会発起ノ事ヲ議ス、振興会員及東北代議士数名来会ス、六時散会 ○下略
一月七日 小雨
○上略 午前十時松方侯爵ヲ三田邸ニ訪ヒ、益田孝氏ト共ニ侯爵ニ会見シテ、東北凶荒救済会設立ノ事ヲ協議ス、去ル明治四十三年ノ水害救済会ニ倣フテ挙行スヘキ事ニ決定シ、書類ノ調査等ハ余等之ヲ担任スルモノトシ、更ニ大岡議長ヲ其官舎ニ訪ヒ、同意ヲ得テ向後ノ着手順序ヲ打合ハセ、又林田書記官長ヲ訪問シテ、同氏及衆議院ノ事務員ニ相当ノ助力アラン事ヲ依頼ス ○下略
一月八日 快晴 寒強シ
○上略 日下氏ヨリ東北凶荒救済会ノ事ニ関シテ電話アリ、本日午後三時衆議院図書館ニ会合ノ事ヲ告ケ来ル ○中略 午後三時衆議院図書館ニ抵リ東北凶作救済会設立ノ準備ニ付相談会ヲ開ク、大岡・益田・林田及地方ノ代議士数名来会ス、趣意書及規約、又発状案、其人名等ヲ協議決定ス、夜六時王子ニ帰宿 ○下略
   ○中略。
一月十日 曇 寒強シ
○上略 正午ヨリ帝国ホテルニ抵リ、東北凶作救済会設立ノ件ニ関シ、各新聞記者及雑誌等ノ主任者ヲ会シテ設立ニ関スル再来ノ手続ヲ述ヘテ充分ノ賛成助力ヲ求ム、一同協力ノ旨ヲ答ヘラレ、後午飧ヲ共ニシ、更ニ種々ノ手続ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
一月十三日 快晴 無風、寒威少シク減スルヲ覚フ
 - 第31巻 p.267 -ページ画像 
○上略 午後五時帝国ホテルニ抵リ、東北凶作救済会発起人会ヲ開ク、阪谷氏ノ動議アリテ、西南桜島ノ噴火アルニヨリ西南ノ災害ヲモ共ニ救済スヘキ事ト決ス、議事畢リテ一同夜飧シ、夜九時帰宿 ○下略
一月十四日 曇 時々雨降リ、南風強ク寒気大ニ減ス
○上略 午前九時半内閣ニ抵リ、山本総理大臣ニ面会シテ、東北凶作九州噴火ノ災害ニ付救済会設立ノ事ヲ具陳シ援助ヲ求ム、又渡辺宮相ヲ詰所ニ訪フテ、救済会ニ帝室ヨリノ御下賜金ノ事ヲ請願ス、十時過キ衆議院図書館ニ抵リ、大岡・益田、其他ノ来会者ト救済会ノ事ヲ協議ス高崎親章氏ニ大阪地方勧誘ノ事ヲ談シ、又松方巌氏ニ侯爵ヘノ伝言ヲ依頼ス ○下略
一月十五日 快晴 寒気厳ナラス
○上略 九時衆議院図書館ニ抵リ、災害救済会評議員会ヲ開キ、趣意書・規約等ヲ決シ、委員ヲ選定ス、後内閣ニ抵リ、山本総理ト渡辺宮相ニ面会シテ本会ノ成立ヲ告ケ、充分ノ賛成ヲ求ム、再ヒ図書館ニ抵リテ其報告ヲ為ス ○下略
一月十六日 快晴 寒威厳ナラス
○上略 午前九時図書館ニ、救済会ノ委員諸氏ト寄附金募集ノ手続ヲ協議ス、後日本銀行ニ抵リ、木村氏ニ面会シテ、応募ノ事ヲ依頼ス ○下略
一月十七日 晴 風寒シ
○上略 十二時半帝国ホテルニ抵リ、益田孝・安川敬一郎・団琢磨氏等ト救済会ノ事ヲ談ス、午飧後救済会事務所ニ抵リ、要務ヲ弁ス ○下略
   ○中略。
一月十九日 曇 風寒シ
○上略 増田明六来リテ、災害救済会ヘノ伝言ヲ付托ス ○下略
一月二十日 曇
○上略 増田明六来リテ、昨日開カレタル救済会ノ景況ヲ述ヘラル、救済会ニ関シテ大岡議長・益田孝等ヨリ続々電話来ル、同件ニ付大倉・安田二氏ヘ寄附金ノ勧誘ヲ出状ス ○下略
一月二十一日 晴 寒威強シ
○上略 救済会ノ事ニ関シテ広瀬吉郎氏来リ、大岡・益田氏等ノ伝言ヲ述フ、依テ増田ニ命シテ事務所ニ回答セシム ○下略
   ○中略。
一月二十五日 晴 寒威厳ナラス
○上略 午前十一時半帝国ホテルニ抵リ、救済会ノ会同ニ出席ス、山本総理大臣以下各大臣来会ス、各会社個人等ノ来会者ニ、寄附金勧誘ニ付一場ノ演説ヲ為ス、東北凶作ノ実況ハ潮内務参事官、西南噴火ノ惨状ハ河原田書記官ノ演説アリ、畢テ午飧ヲ共ニス、食後種々ノ協議アリ午後三時散会 ○下略
一月二十六日 晴
○上略 午前十一時頃宮内省ニ抵リ、救済会御下賜金ノ事ヲ宮内大臣ニ謝意ヲ表ス、又山本総理大臣官舎ヲ訪ヒ同シク謝詞ヲ述フ、午飧後救済会事務所ニ抵リ、関西行ニ付種々ノ打合ヲ為ス ○下略
   ○中略。
二月十八日 曇天 寒気厳ナラス、少ク春色ヲ催フスニ似タリ
 - 第31巻 p.268 -ページ画像 
○上略 午前九時半衆議院図書室ニ抵リテ救済会ノ事務ヲ見ル、東北地方宮城・岩手・福島三県ヨリ出京セル人々ニ会見シテ、地方ノ窮状ヲ聴ク ○中略 午後三時事務所ニ抵リ大江天也師・岩手県知事、其他数名ノ来人ニ接ス、修養団篠原氏来リ東北九州災害救済会ノ事ヲ詳話ス ○下略
   ○中略。
二月二十七日 快晴 軽寒
○上略 救済会ニ出席ス、益田・岡崎・朝吹・大橋ノ諸氏来会ス、内務吏員ノ地方巡回ニ付要旨ヲ談スル為ナリ ○下略
   ○中略。
三月二日 曇午後雨
○上略 救済会ニ抵リテ要務ヲ談シ ○下略
   ○中略。
三月六日 半晴 南風強ク軽暖ヲ催フス
○上略 十時四十分事務所ニ抵リ来書ヲ点撿ス、救済会員来話ス ○下略
三月七日 朝曇大風ナリシカ、夕方ヨリ快晴 南風ニテ春暖ヲ覚フ
○上略 佐治幸平氏来リ、救済会ノ事ニ付意見ヲ陳告セラル ○下略


竜門雑誌 第三〇八号・第八〇―八二頁 大正三年一月 ○東北凶作救済会の経過(DK310048k-0002)
第31巻 p.268-270 ページ画像

竜門雑誌  第三〇八号・第八〇―八二頁 大正三年一月
○東北凶作救済会の経過 青淵先生主催にて、東北凶作救済の件に就て旧臘二十六日午後二時より三友倶楽部に開かるべき協議会席上に於ける陳情委員、即ち東北凶作の実況を陳述すべき委員選定会は、十二月二十三日午前九時より衆議院内に於て開会せられ、協議の上左記諸氏を委員に推選せり
 青森県広沢弁二・菊地武徳 岩手県福田善三郎・鈴木巌 宮城県村松亀一郎・菅原伝・福島県鈴木万次郎・日下義雄 山形県長晴登・伊藤知也 秋田県添田飛雄太郎・田中隆三 北海道東武・浅羽靖・木下成太郎
予定の如く同月二十六日青淵先生には大倉・益田・大橋・佐竹・朝吹諸氏及び東北選出代議士並に東北出身新聞記者諸氏と会合し協議の上東北凶作救済会の設立、及び実業家並に代議士側より各委員十五各を挙ぐることに決し、越へて同月二十八日午後三時同所に於て委員会を開きて協議する所あり、尚ほ本年一月八日衆議院図書館に於て開会、青淵先生・大岡議長・林田書記官長・益田孝・浅羽靖・東武・長晴登日下義雄・菅原伝の諸氏出席、左記諸項を協議し、五時散会せり
 一、発起人推薦状は松方侯・渋沢男・大岡育造三氏名義にて発送の事
 一、救済会趣意書及規則(別項)を定むる事
 一、救済寄附金取扱銀行は、渋沢男交渉の上取極むる事
 一、来十日正午帝国ホテルに、大岡・渋沢男両氏の名を以て、新聞通信及重なる雑誌の社長を招待し賛同を求むる事
 一、来十三日午後五時帝国ホテルに於て発起人会を開く事
 一、本会の事業に対し賛同を得る為、各派交渉会の開会を大岡議長に依頼する事
尚ほ救済会の規約は左の如し
 - 第31巻 p.269 -ページ画像 
 第一条 本会は東北凶作救済会と称す
 第二条 本会は大正二年東北地方の凶作に対して臨時救済の為め普く義捐金及物品を募集し応急に之を分配するを目的とす
   但し募集金の分配は災害最甚しき青森県及北海道を主とし、其他は内務省の報告に基き窮乏の地方に限るものとす
 第三条 前条の目的を達する為め其筋に稟議して適宜の所置を為すべし
 第四条 本会事務所を衆議院図書館に置く
 第五条 本会の役員左の如し
  △総裁一名△副総裁二名△評議員若干名△会計監督二名△委員若干名△評議員は総裁之を指名す、会計監督及委員は評議員中より総裁之れを嘱託す
 第六条 本会に名誉顧問を置くことを得
  名誉顧問は総裁之を嘱託す
 第七条 本会の重要事務は評議員会の議決を経て之を執行す
 第八条 寄附金は金一円以上とす
 第九条 寄附申込は大正三年三月末日限りとす
 第十条 寄附者は分配すべき地方を指定することを得
 第十一条 寄附金は第一銀行・第十五銀行・第百銀行・三井銀行・三菱銀行・安田銀行・住友銀行東京支店・浪速銀行東京支店・北浜銀行東京支店に於て之れを取扱ふ
   但し各地方取扱銀行は追て之を定む
之れに就て青淵先生が中外商業新報記者の訪問に答へられたる要点は即ち左の如し
 前略 該救済会が東北方面の饑民を救済するに幾許の資金を要す可き乎と云ふに、内務省に達せし報告に救済を要すべき饑民の延人員は北海道の五百万、青森の二百余万を始め、其他の東北各方面を併せ総ての延人員九百有余万、即ち凡そ一千万人近きを算ふ、仮りに之を標準として、一日一人に就き十銭を要すとせば百万円、二十銭とせば二百万円の資金を用意せざる可らざる勘定なれど、饑民の救済なるが故に斯くの如き金額を要せず、一人一日六・七銭にて足るとしても、先づ六・七十万円に上る次第なれば、尠くとも玆に百万円以上の資金を必要とせん乎と自分だけは思考し居れる也云々
○東北凶作救済会 東北凶作救済会は一月十日正午より帝国ホテルに新聞通信社の代表者を招待し、其創立を発表したるが、当日は青淵先生・大岡議長・林田翰長を初め東・菅原・日下・長・浅羽・添田の各代議士も出席あり、青淵先生は主人側を代表して左の挨拶を為せり
 去る明治三十五年及三十八年の関東各地水害の当時は、其のことの頗る目立ちたるものありしより、靡然として世の同情を買ひ、救済の事も案外成績宜敷かりしが、今次北海道及び東北の凶作に至りては、土地の遠隔せる関係もあるけれど、意外に閑却されたるやの感あり、余の如きも亦実は最近に至るまで其実状を明にせざりしが、端なく客臘二十八日、東北地方振興会に於ける中川農学博士の東北と農作に関する演説を聞きて尠からず驚愕し、爾来各方面に付て聞
 - 第31巻 p.270 -ページ画像 
けば聞く程惨状言語に絶するものあり、北海道の如きは平年六十万石の米収穫は、僅かに三万八千石前後に過ぎず、且大小豆其の他の雑穀・果実類、暴風雨又は降霜早かりし為め大なる影響を受け、青森県の如きは藁を食せるものさへある程なれば、玆に予て共に関東水害救済会の事に当る松方老侯とも数次会談を遂げ、其政府当局とも交渉商議の上、玆に一個の救済会を設くるの存念を堅め、松方老侯の承諾を得たれば、愈々松方侯・大岡衆議院議長、並に不肖の名義を以て、来る十三日を期して其の発起人会を開くべく、大阪・神戸・横浜・名古屋及び東京の各実業家有力者に向て其の旨通知状を発し置きたるが、本救済会が救済せんとする人員は、北海道約五百万人(延人員)、青森(二百七・八十万人)、(同上)山形・新潟各三万人(同上)、其の他福島・秋田・岩手の各県を合して約計延人員一千万人を救はんとするに在り、願はくば多大の同情を以て之が後援を与へられんことを
とて別項記載の青森県下三沢村長鈴木某より同県代議士広沢弁二氏宛信書、並に北海道庁長官より東北凶作救済会に宛てたる信書、潮内務省参事官の視察報告を引照して縷述する所あり、次いて添田代議士よりも簡単なる依頼ありたるに対し、松山忠二郎氏は三十五年・三十八年の関東水害救済に対すると同様の努力を以て本会の応援を辞せざるべしとの代表挨拶をなし、之に対して大岡議長より感謝の辞あり、夫より食堂に移り二時過ぎ散会せり、因に同会成立に付十日午前衆議院に於て各派交渉会を開き、各派挙つて同会の後援を為すに決したりと
   ○右救済会規約ハ桜島災害ニツキテノ救済ヲ加エザル以前ノモノナリ。後掲規約ト略々等シケレド掲グ。


東北九州災害救済会報告書 同会編 第五―一七頁 大正三年一二月刊(DK310048k-0003)
第31巻 p.270-274 ページ画像

東北九州災害救済会報告書 同会編  第五―一七頁 大正三年一二月刊
 ○第一章 救済会の設立
    三 東北振興会
大正二年夏頃京浜の有力なる実業家数十名相謀り、東北六県管内の産業全般に亘りて其現勢を審査し、其開発振興に資すべき方法を考究立案して、一般の福利を増進するに務むるの目的を以て、東北振興会を組織し、男爵渋沢栄一・益田孝・大倉喜八郎・大橋新太郎・根津嘉一郎の五氏委員に選挙せられ、渋沢男委員長の任に当らる、準備会 ○東北凶作救済準備会委員諸氏はこの東北振興会に交渉し、之れと聯絡して一層の援助を求むるの必要なるを感じ、委員長渋沢男爵に会見して、凶作窮民の実状を縷陳して、救済に関し尽力あらんことを懇請す、超えて十二月二十六日日本橋区三友倶楽部に於て、渋沢男・益田孝・大橋新太郎氏等、東北振興会員十数氏及準備会委員十数氏出席会合して、救済方法に関する意見の交換を為せり、翌二十八日渋沢男爵《(マヽ)》は救済に尽力すべきことを声明せられ、直ちに救済会総裁として徳川貴族院議長を推戴せんと欲し、徳川公爵に懇請したりしも都合ありて承諾せられざりしに依り、更に松方侯爵に懇請する処ありたり、超えて十二月三十日準備会委員諸氏は山本内閣総理大臣を永田町官邸に訪問し、凶作地の窮状を陳述して其の助力を請うて快諾を得たり
 - 第31巻 p.271 -ページ画像 
準備会委員諸氏は、飢渇に瀕する同胞を一日半時も速かに救助せんと欲し、成るべく年末迄に救済会を成立せしめんと奔走努力せしも、意の如くならずして遂に大正二年は暮れぬ、明けて大正三年一月四日山本首相より更に松方侯爵に懇請する所ありたる結果、同月六日に至り松方侯爵は救済会総裁たることを承諾せられたるを以て、即日午後三時三友倶楽部に於て、東北振興会委員長渋沢男爵を始めとし、益田孝朝吹英二・大橋新太郎・大谷嘉兵衛・松方巌・有賀長文の諸氏、及其他有力なる実業家並に菅原伝・日下義雄・広沢弁二・添田飛雄太郎・浅羽靖・東武・長晴登・福田善三郎・鈴木万次郎・村松亀一郎の各代議士諸氏、及佐藤真一・松岡俊三・伊藤亀雄・黒沢十太の東北記者会諸氏出席し、各自其意見を交換したる結果、東北振興会諸氏は一団となりて尽力すべきことを声明し、玆に於て松方侯を総裁に、渋沢男・大岡衆議院議長を副総裁に推戴することに内定し、又一月八日衆議院図書館に於て救済会設立に関する諸般の準備を協議することに決定散会せり
    四、東北凶作救済会の発起
一月八日東北凶作救済準備会及東北振興会の諸氏、大岡衆議院議長及林田衆議院書記官長と共に衆議院図書館に会合し、東北凶作救済会設立に関する相談会を開くの運に至れり、当日の参集者は左の諸氏にして
  大岡育造  男爵 渋沢栄一   益田孝
  林田亀太郎    日下義雄   菅原伝
  浅羽靖      長晴登    東武
  佐藤真一     松岡俊三
凝議の結果、東北凶作救済会設立趣意書及規約案文等を定め、一月十三日を以て、発起人会を帝国ホテルに開くに決定し、侯爵松方正義・男爵渋沢栄一・大岡育造三氏の名を以て、朝野の有力者及新聞通信社等三百八十余名に対し、発起人推薦状を発せり
一月十三日午後五時発起人会を帝国ホテルに開くや、来会者七十五名益田孝氏開会を宣し、大岡氏を坐長に推薦す、渋沢男は発起人会開会に至るまでの経過を、菅原伝氏は凶作地の状況を演説す、次て本会設立の趣意書及規約案を付議するや、男爵阪谷芳郎氏より本会の設立には至極同意なり、然るに昨夕入手の電報に依れば、鹿児島県下桜島爆発し、惨状甚しきが如し、東北凶作を救済すると共に、此被害をも救済するの必要あるべしと信ず、故に此趣意書及規約を決定するに当り桜島噴火の被害をも併せて救済することあるべし、との条件を付して議決したしとの提議あり、渋沢男は此提議に対し、阪谷男の発議は至当なりと信ず、依て此趣意書及規約は一先原案の通に決定の上、次で選定せらるべき役員会を至急召集し、此会に於て桜島に於ける災害を調査し、其意見に依り趣意書及規約を訂正することを得べきものとなすべしとの意見を述べられたるに、満場之に同意し、趣意書及規約は原案の通に議決せり、次で規約に依り、松方侯爵を総裁に、大岡氏及渋沢男爵を副総裁に推薦し、午後八時散会を告く
一月十三日発起人会出席人名
 - 第31巻 p.272 -ページ画像 
大岡育造 男爵渋沢栄一 ○外六五名氏名略
    五 桜島の大噴火
桜島は周囲約七里、往昔噴火に依りて鹿児島湾に生じたる島嶼にして鹿児島市を去る僅に里余、島中東西桜島村の二村十九字あり、平坦の地少く水田皆無なれども土地肥沃、物産豊富にして、島民亦頗る勤勉なり、而して大爆発は実に一月十二日に起り、同日午前八時頃桜島山の頂上附近に於て雲霧状の白煙騰り、午後八時に至り大噴火を為し熔岩頻りに流出し、次て十五日午後二時再び大噴煙を為せしも、爾来漸次其勢を減じたり、大噴口は東西三ケ所ありて、西桜島村に於ては七百八十六戸は熔岩の下に埋没せられ、二百七十戸は焼失し、東桜島村に於ては四百十戸は熔岩の下に埋没せられて、百九十六戸は焼失して全島の約三分の二は滅失に帰せり、又全島積灰堆く、多きは五尺乃至六尺、少きも一尺に達せり、是れを以て帰るに家なく耕するに土地なく島外に避難して糊口に窮迫する者一万八千五百余人に及ぶ、降灰の害は独り桜島に止らず、対岸大隅地方に於ては一層甚しきを見る、即ち姶良・肝属・囎唹の各郡にありては、山河草木悉く灰に蔽はれて、満目悽惨たり、甚しきに至りては降灰五尺若くは六尺に及び、住家の軒に達するものあり、又鹿児島市地方にありては十二日に強震起り、家屋及障壁崩壊し、圧死者数十人を出せり、此災害は幸に昼間に起りしを以て死傷者を出すこと割合に少かりしは、不幸中の幸なり
此の稀有の災害は独り、災源地たる桜島に止まらず、一市四郡に亘り其地積十八万三千町歩、戸数七万二千戸、人口四十三万四千人に係る災害にして、損害高実に三千七百余万円に達せり
    六 東北九州災害救済会の設立
一月十三日東北凶作救済会設立発起人会に於て、其設立を可決し、併せて桜島被害救助に関する機宜の処分を評議員会に委任するや、翌十四日直に評議員の推薦を了し(役員選定の件は次章に詳記す)、十五日を以て評議員会を召集せり
評議員会は午前九時を以て開会し、出席四十九名、大岡副総裁坐長席に着き、協議の末、桜島噴火被害たるや甚大にして、東北の凶作と併せ救済せざるべからざるの必要を認め、満場一致を以て、此趣旨に依り趣意書及規約を訂正し、会名を東北九州災害救済会と改むるに決せり、玆に於て東北九州災害救済会の成立全く成る、改訂したる趣意書及規約左の如し
    趣意書
 天何ゾ殃ヒヲ下スノ酷ダシキ、東北ノ凶作未ダ救ハレザルニ、更ニ西南ノ変災ヲ以テセリ、抑東北ノ地タル元来天恵ノ薄キニ加フルニ頻年ノ災害ヲ以テシ、疲弊困憊ヲ極ムルニ際シテ、復又今回ノ大凶作ニ遭遇ス、或ハ木実ヲ拾ヒ、或ハ草根ヲ掘リ、辛クモ飢餓ヲ凌ギシモノ、今ヤ積雪山野ニ満チテ、採ルニ食ナク得ルニ業ナシ、我々坐視スルニ忍ビズ、有志胥謀リ其饑寒ヲ救済スルノ計画ヲ為スニ当リ、突如トシテ桜島大噴火ノ飛報ニ接セリ、熔岩ニ埋メラレ、熱灰ニ焦ガサレ、骨肉相救フニ遑ナク、親子一朝ニシテ相失フ、惨禍之ヨリ急ナルハ無シ、東北ノ困窮、西南ノ災害、併共ニ済ハザル可ラ
 - 第31巻 p.273 -ページ画像 
ズ、乃チ洽ク天下ノ同情者ニ訴ヘ、義捐金ヲ募集シテ、以テ此不幸ナル南北同胞救済ノ資ニ供セント欲ス、大方ノ篤志家諸君、冀クバ本会ノ趣旨ヲ諒シ、奮テ此挙ヲ賛助セラレンコトヲ
  大正三年一月十五日
               東京 衆議院図書館内
                東北九州災害救済会
                総裁  侯爵 松方正義
                副総裁    大岡育造
                副総裁 男爵 渋沢栄一

     東北九州災害救済会規約
第一条 本会ハ東北九州災害救済会ト称ス
第二条 本会ハ大正二年東北地方ノ凶作及同三年九州地方噴火ノ災害ニ対シテ、臨時救済ノ為メ普ネク義金及物品ヲ募集シ、応急ニ之ヲ分配スルヲ目的トス
  但シ募集金品ノ分配ハ、災害最甚タシキ北海道・青森県及鹿児島県ヲ主トシ、其他ハ内務省ノ報告ニ基キ、窮乏ノ地方ニ限ルモノトス
第三条 前条ノ目的ヲ達スル為メ、其筋ニ稟議シテ適宜ノ処置ヲ為スヘシ
第四条 本会事務所ヲ衆議院図書館ニ置ク
第五条 本会ノ役員左ノ如シ
  総裁          一名
  副総裁         二名
  評議員         若干名
  会計監督        二名
  委員          若干名
  評議員ハ総裁之ヲ指名ス
  会計監督及委員ハ評議員中ヨリ総裁之ヲ嘱託ス
第六条 本会ニ名誉顧問ヲ置クコトヲ得
 名誉顧問ハ総裁之ヲ嘱託ス
第七条 本会ノ重要事務ハ、評議員会ノ議決ヲ経テ之ヲ執行ス
第八条 寄附金ハ金壱円以上トス
第九条 寄附申込ハ大正三年三月末日限リトス
第十条 寄附者ハ分配スヘキ地方ヲ指定スルコトヲ得
第十一条 寄附金ハ第一銀行・第十五銀行・第百銀行・三井銀行・三菱銀行・安田銀行・住友銀行東京支店・鴻池銀行東京支店・浪花銀行東京支店《(速)》・北浜銀行東京支店ニ於テ之ヲ取扱フ、但シ各地方取扱銀行ハ追テ之ヲ定ム
     地方ニ関スル規約
第一条 本会ハ評議員会ノ決議ヲ以テ地方ニ支部ヲ設ク
第二条 地方評議員会ハ其決議ヲ以テ、其地方ノ有志ヲ評議員ニ推薦スルコトヲ得
第三条 地方評議員会ハ会長ヲ互選スヘシ
 - 第31巻 p.274 -ページ画像 
第四条 支部ハ募集金取扱銀行ヲ指定シ、受付締切ノ翌日之ヲ本会ニ送致セシムヘシ
第五条 支部ハ一週間一回宛其状況ヲ本部ニ報告スヘシ
第六条 支部ハ其募集シタル金員ノ百分ノ五ヲ超ヘサル金額ヲ、経費トシテ使用スルコトヲ得
  一月十五日評議員会出席人名
男爵渋沢栄一 ○外四五名氏名及ビ三団体名略
    七 秋田県の震災
玆に附記すへきは、凶作地秋田県に於ける去る三月十五日の震災これなり、該被害は一市六郡十五町六十五ケ村に亘り、死者九十四人・傷者三百二十四名、住家の全潰戸数六百四十・半潰戸数五百七十五・破損戸数四千二百三十二、其他住家以外の建物にして崩壊したるもの少なからす、而して仙北郡は震源地なるを以て被害甚しく、殊に強首村強首・大沢郷村北の目及神宮寺町宇留井各地の如きは、殆ど一部落全滅の状態に陥り、平鹿・由利の二郡之れに亜く、該県は昨年の凶歉に遭遇し、困憊を極むるに際し、更に此震災に遇ふ、悽愴悲惨の状言語に絶す、是に於て本会は特に評議員会の議を経て、義捐金の一部を割きて是れか救恤の資に充てたり、其経過は之を後章に記せり


中外商業新報 第九九五九号 大正三年一月一六日 ○災害救済評議会 常務員十六名選挙 義捐金募集決定す(DK310048k-0004)
第31巻 p.274 ページ画像

中外商業新報  第九九五九号 大正三年一月一六日
  ○災害救済評議会
    常務員十六名選挙
      義捐金募集決定す
東北凶作、並に桜島噴火災害救済評議員会は、十五日午前十時より開議、今回突発せる桜島の大爆発災害は頗る甚大なるを以て、東北飢饉と併せて救済する事に決し、趣意書を別項の如く改め、尚委員中より左の諸氏を常務員に挙げたり
 岡崎邦輔     有賀長文    荘清太郎
 柿沼谷蔵     大橋新太郎   大谷嘉兵衛
 林田亀太郎    日下義雄    菅原伝
 肥田景之     浅羽靖     武満義雄
 日本電報通信社  東北記者会   加藤正義
 福原有信
右常務員等は直に会議を開き、義捐金募集に就ては都下新聞通信社並に全国新聞社の援助を得て、偏く募集する事に決し、別に大口義捐募集に就ては、渋沢男・益田孝、其他有力なる実業家議員等自から出張して勧誘を試むる筈なり、席上長谷場純孝氏は、今回東北救済会に桜島災民救済をも併せられたる事を、鹿児島県民並に在京有志を代表して謝意を表せり、中村北海道長官は同地方窮民の惨状を陳べ、又別に携へ来りたる貧民の食物、木の実、半熟の米等を参考に供し、一層各委員の同情を惹けり
    △趣意書 ○略ス


中外商業新報 第九九六九号 大正三年一月二六日 ○東北九州救済会協議会 各大臣及実業家招待(DK310048k-0005)
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中外商業新報  第九九六九号 大正三年一月二六日
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    ○東北九州救済会協議会
      各大臣及実業家招待
東北九州災害救済会にては、二十五日午前十一時より帝国ホテルに、内閣各大臣・知名実業家・代議士・各新聞通信記者を招待し、東北九州災害に対する寄附金募集方法其他に関し協議する所ありたるが、来会者は山本首相・原内相・山本農相・高橋蔵相・斎藤海相・牧野外相渋沢・大岡両副総裁、高木男・益田孝・大倉喜八郎、其他都下の重立たる実業家、東北出身代議士並に新聞通信記者等百余名にして、大岡育造氏開会の挨拶を述べたる後、別項潮内務省参事官・同河原田書記官の、東北九州両方面に於ける災害地調査の視察談あり、次で渋沢男より
 東北九州各地に於ける災害民救済に関しては、一に御来会諸君の御同情と実力とに俟たざるべからざる次第なるを以て、何卒応分の御尽力を望む
との希望を述ぶる所ありたるが、合せて高木男より
 東北九州災害救済の一助として、今回災害民に慰問袋を配布する事となりたるが、災害地に於ける窮民は東北九州を合して約十万に達するを以て、差当り慰問袋十万を募りて配布すべく、而して慰問袋に納むべき物資は食料を第一とし、衣服・調度の類を第二とすべきも、奢侈に類する物品は絶体に差控へられたし
との趣旨を縷述する所あり、次に山本首相は来賓を代表して
 昨年来東北地方に於ける災害の善後策に関しては、政府に於ても勿論適当の方法を講ずるの必要を認め居たるに際し、朝野知名の人士に依りて本会の創立を見たるは慶賀の至りに堪へず、殊に 聖上・皇后両陛下に於かせられても、今回の災害を深く御軫念あらせ玉ひ特に内帑の資十五万円を下賜し給ふに至れるは恐懼の至りに堪へざる次第なり、臣等微力と雖も、尚能く一臂の力を致し、以て天恩の万分一に報じ奉る覚悟なり
との答辞ありたる後、食堂を開き、席上原内相より救済会役員諸氏に対する簡単なる謝辞を述ぶる所ありて、三時散会したるが、二十四日迄に救済会に於て受理したる各方面の寄附金は、合計五十万六千三百三十三円四十六銭に達したりと


東北九州災害救済会報告書 同会編 第二四―五九頁 大正三年一二月刊(DK310048k-0006)
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東北九州災害救済会報告書 同会編  第二四―五九頁 大正三年一二月刊
 ○第二章 本会の経過
    四 新聞社の同情
本会の事業は専ら江湖の同情を得て成立すべきものなるも、更に新聞社の援助あるにあらざれば其成功を奏するの難きは言を俟たす、是れを以て本会は発起人会開会前、即ち一月十日東京の各新聞通信社長を帝国ホテルに招待し、大岡育造・男爵渋沢栄一・日下義雄・菅原伝・添田飛雄太郎・浅羽靖・長晴登・東武・林田亀太郎・佐藤真一・松岡俊三の諸氏出席の上、渋沢男より、各新聞通信社の援助によりて、本会を設立し罹災民を救助したき旨懇談に及ひ、大岡・菅原の両氏よりも、本会の目的・希望及被害地の状況等に関して陳述したりしに、出
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席の各社諸氏は一斉に賛同の意を表せられ、席上直に之に関する相談会を開き(一)出席の各新聞通信社は救済会設立発起人たること(二)寄附金募集に関する広告は無料掲載し、若くは其料金を義捐すること(三)東北凶作地視察の為め記者団を組織する事を決定せらる ○中略
    七 京浜有力者の招待
○中略
次て同二十五日再ひ募金の件に関し、各大臣、重立たる華族、実業家及会社代表者等、東京及横浜に於ける朝野の有力者を帝国ホテルに招待し、渋沢・大岡両副総裁、益田幹事長、及幹事・常任委員等出席せり、席上東北及九州に於ける災害地の視察を為し来れる潮内務省参事官及河原田内務書記官の詳細なる報告あり、終て渋沢副総裁は本会設立の趣旨より、窮民救済の必要に論及して来会者の寄与を懇請し、高木兼寛男より慰問袋募集の趣旨を演説し、次て山本内閣総理大臣は、東北九州災害救済会が天下に率先して窮民救済の道を立てんとするは極めて機宜に適したるものにして、政府に於ても深く同情を表するものなり、特に今回 聖意窮民に及び、鉅額の御下賜金を仰出せられたるは、誠に感激に堪へざる所なりと述べ、終て一同食卓に着き、大岡副総裁及原内務大臣の挨拶あり、当日の来会者は左の諸氏にして、席上に於て申込まれたる義捐金総額は実に八万三千余円の多額に達せり
  伯爵山本権兵衛 ○外一二一名氏名略ス
○中略
    九 東京市に於ける応募勧誘
東京市に於ける応集勧誘に関しては、市長及各区々長の斡旋に待つの必要を認め、一月二十八日阪谷東京市長に依頼状を発せり
次で二月九日阪谷東京市長・原田市助役及各区々長を帝国ほてるに招待し、主人側より渋沢副総裁・益田幹事長、及幹事・常任委員等出席し、東京市に於ける寄附勧誘の件に関し懇談を遂げたり、二月二十日東京市当路者協議の上、更に東京市に於ける所得税百円以上の納税者及営業税百円以上の納税者に対し、応募勧誘状四千三百七十余通を発送せり
○中略
    十三 被害地々方長官の招待
被害地々方長官より被害地に於ける被害の程度及救済方法を聴取し、以て義捐金分配方法を定むるの資料と為さんが為、二月二十三日被害地々方長官を帝国ホテルに招待し午餐会を催せり、来会者主客二十五名、其人名左の如し
  中村北海道庁長官  森宮城県知事    秦秋田県知事
  堤岩手県知事    田中青森県知事   谷口鹿児島県知事
  竹井福島県内務部長 藤井山形県理事官  水野内務次官
  小橋地方局長    赤池内務書記官
 主人側
  大岡副総裁     渋沢副総裁     益田幹事長
  岡崎邦輔      朝吹英二      男爵 高木兼寛
  有賀長文      菅原伝       道家斎
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  園田実徳      浅羽靖       松田源治
  広瀬主事      玉木主事
渋沢副総裁より本会の経過を述べ、次で義捐金応募額は百万円を超過する予想なること、及本会に於ては義捐金分配に関し、調査委員を設けて之れが調査をなしつゝあるも、尚今日玆に被害地々方長官諸氏を招待し、親しく被害の程度及救済方法を聴取し、以て其施設に遺漏なからんことを期する旨を演説し、各地長官より腹蔵する所なく所轄府県の被害状況及救済方法に関し所思を陳述せられたり、其梗概は大同小異にして、何れも窮民調査は市町村長及警察官吏に命じて之を調査せること、救済方法は作物減収・食物不足を標準として之を定むること、差擱き難き窮民を直接に救助すると共に生業を奨励して惰民を生せざる様注意せること、及不急の工事を起さゞること等なり、大岡副総裁及水野内務次官よりも、救済上注意を要すべき点に関し陳述せられたり
○中略
    十四 役員総会
本会の事務は、曩に記載せる如く常務委員会及幹事会に於て処理し来り、当初予定の募集金締切期限も到来せるを以て、諸般の報告及び義捐金の分配処理其他重要事務に就き承諾を求めんか為め、四月六日を以て衆議院図書館に於て評議員会を開会せり、当日の出席者左の如し
  松方総裁      渋沢副総裁     益田孝
  浅羽靖       朝吹英二      肥田景之
  左右田金作     福原有信      山中隣之助
  三村君平      広沢弁二      今井五介
  中央新聞社     菅原伝       井上準之助
  東武        日下義雄      大谷嘉兵衛
  男爵 高木兼寛   中山佐市      佐藤真一
  松田源治      大橋新太郎     野崎広太
  松岡俊三      自由通信社     神田鐳蔵
  帝国通信社     日本電報通信社   有賀長文
午後一時開会を宣するや、松方総裁立て左の挨拶をなせり
 昨年に於ける東北の凶作は、其被害甚大にして、頗る悲惨なる状情をも耳にし、何とか救済の方法を講せねばならぬと思ひ居る折柄、玆に御出席の渋沢男爵・益田君を始め、東北出身の代議士・新聞記者、其他重なる実業家諸君御発起となりて、東北凶作救済会を設立せらるゝことゝ相成、不肖正義を総裁に推薦致したしとの御話でございました、不肖正義固より其任てございませんが、自分も救済のことに関し心をなやまして居りました折柄でございました旁々、折角の御話だから取敢へず御請をすることに致しました、然るに間もなく桜島の噴火が起り、其被害は東北地方に劣らざる惨状でございましたから玆に本会の目的を拡大して、東北の窮困、西南の災害を併せ、共に済ふ議を決し、会名を東北九州災害救済会と改訂したる次第であります、爾来渋沢・大岡両副総裁以下、諸君の御尽力に依り会務着々進捗致しましたか、自分は昨年来病痾を湘南の地に養ひ
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今日まで上京の機を得さりしを以て、親しく会務を見ることが出来ず、衷心常に本会に関し心配し居りたるも、徒に総裁の名を犯すが如き感ありて、残念にも思ひ、諸君に対し相済まざるの念に堪へざることでございました、然るに本日は幸に帰京致し居りて、親しく諸君と相会するを得たるは誠に満足する処にして、開会の辞を述ぶるに当り、先は今日まで諸君と相会するの機を得ざりしことに就き諸君の御了承を乞はんとするものであります
 扨本会は成立以来、内地は勿論、外国人及在外邦人の同情を得て、応募者陸続として相次き、殊に事 天聴に達し、優渥なる御沙汰と共に多額の御下賜を辱う致しましたるは、諸君と共に恂に感激に堪へざる次第であります
 今日までの募集金額は実に百三十二万六千円に達し、其他慰問袋二十七万七千個、及寄贈物品八百二十点であります、東北の凶作桜島の噴火、共に其被害の甚大なるは今更申すまでもなきことながら、本会の救済に依りて、被害民の上に再び生色を見るに至ることと信じます、顧ふに此の如き良成績を得るに至りましたは、畢竟江湖の多大なる同情を得たると、諸君の御励精の致したるに外ならぬことと存じます
 義捐金品の分配に就ては、御承知の通、特に寄附金分配方法調査委員会を設けて、義捐金品の分配率及費途に関する条件を審査して、救済方法に遺漏なきを期しますと共に、救済の為めに惰民を作る等の弊害の生ぜざる様に注意するものであります
 義捐金締切期限は去三月三十一日限りてございますが、海外よりの寄附金の如きは未到着の分も少からざるに付、旁寄贈の義捐物品は当分の内之を受領することに致す積でございます
 尤も五月中には一切の決算を了し、最後の分配をなす予定であります
 尚詳細の事柄は、渋沢副総裁・益田幹事長より御報告旁、御諮りを致します
 終に臨み、諸君の御尽瘁に依り、本会事業の大なる成功を遂げたることを、諸君と共に喜び、併せて重て諸君の御尽瘁の段を感謝致します
次に渋沢副総裁より本会の経過の大要を、高木男爵より慰問袋に関する経過大要を、益田幹事長より義捐金品の募集及分配状況を報告せり次に曩に幹事会及寄附金分配方法調査委員会に於て決議したる義捐金品の分配率及其使途条件に就き、評議員の意見を求めたるに、何れも異議なく可決せり
右了て渋沢副総裁より今後の方針として
 義捐金募集締切期限は三月三十一日限なるも、当分之を延期し、五月十五日を以て一切の締切期限となし、申込の義捐金にして同日までに払込なきものは之を打切り、同日以後到着の分は之を本人に返付すること
 義捐金は四月初旬に第二回分として金五十万円を分配し、五月中には総決算を了し、最後の分配を為す予定なること
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を述べ、益田幹事長より左の諸件を報告して、正午散会せり
 本会成績を宮内大臣宛報告すること
 本会成績報告書を編纂印刷すること
 特に本会の為めに尽力せし人々に対し礼状を発送すること
 義捐者褒賞の件を内務大臣に交渉すること
本会募集金は四月六日の評議員会に於て、五月十五日を以て一切の締切期限となせるも、事情已むを得ざるものありて、順次延期して七月十一日を以て一般事務を締切りたるを以て、諸般の報告及決算の承認を求むる為め、七月十四日を以て衆議院図書館に於て最後の評議員会を開けり、当日の出席者左の如し
  松方総裁      渋沢副総裁     益田孝
  菅原伝       林田亀太郎     浅羽靖
  福原有信      朝吹英二      園田実徳
  松田源治      野崎広太      大橋新太郎
  大谷嘉兵衛     肥田景之      松方巌
  左右田金作     木村清四郎     原六郎
  松岡俊三      渡辺地方局長    万朝報社
  中央新聞社     東京日々新聞社   国民新聞社
  日本電報通信社
松方総裁より左の挨拶あり
 本日は炎暑の折柄御来会を得光栄に存じます
 本会も愈去る十一日を以て、一般事務を締切ることゝ致しました
 而して義捐金総額百七十五万三千四百余円、慰問袋数三十万四千余袋に達しました
 此好果を上げ得たるは、聖恩の然らしむる所たるは申すに及ばす、内外多数仁人の義侠に因ると共に、副総裁・幹事長を始め、役員諸氏の御精励の結果に外ならざることゝ深く感謝致します
 尚残務の処理・決算・事業成績及救済状況報告等は、副総裁及幹事長より申上げます
 玆に最後の評議員会を開くに当り、一言御挨拶を申します
渋沢副総裁より、曩に被害地に出張したる園田幹事及広瀬・玉木両主事の視察に係る救済概況を報告せらる(後章参照)
益田幹事長より収支決算を報告して、評議員会の承認を求めたる処、異議なく承認するに決す
次て益田幹事長より、義捐金者地方別職業別、在外邦人義捐金高国別及外国人義捐金高国別を報告せられ、渋沢副総裁、本会事業成績を朗読せらる
此の如くして、最後の評議員会は任務を完うして散会を告げたり


東北九州災害救済会報告書 同会編 第八六―九〇頁 大正三年一二月刊(DK310048k-0007)
第31巻 p.279-281 ページ画像

東北九州災害救済会報告書 同会編  第八六―九〇頁 大正三年一二月刊
  第六章 本会の事業成績及収支決算
    一 事業成績(最後の評議員会に於ける渋沢副総裁報告)
本会募集金額は百五十六万三千六百一円八十九銭六厘にして、之に御下賜金十五万円・預金利子八千八百九十四円六十六銭・新聞広告料相
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当寄附金三万九百七十四円七十四銭四厘を合せ、総額百七十五万三千四百七十一円三十銭なるが、此内より各新聞社の広告料相当寄附額及本会事務費を控除せば、差引額金百六十八万七千百六円三十二銭六厘なり、此内金二十三万円は一月二十三日地方長官に送付して、差向饑餓に瀕する災民救済の費に充て、次で四月八日第二回として金五十万円、五月二十九日第三回として金七十七万円を使途条件を附し、内務大臣に委託して災害救済の資に充て、尚秋田県震災に就ては、役員総会の議に付して、寄附金中より特に金二万五千円を割きて其救済に資せり、而して新潟・埼玉及長野県の災害地に対する特別指定の分金百三十五円七十五銭七厘ありて、残額十六万千九百七十円五十六銭九厘は最後に分配すべき額なりとす、又慰問袋応募総額は三十万四千八百二十六袋にして、外に寄贈物品九百四十四点あり、是等は其都度之を被害地々方長官に送致して被害窮民に分配せり
寄附者の総数は約個人二十五万八千余人、団体三万三千余口にして、重なる義捐者一万五千二百余名、及重なる取扱者三百七十余名に対しては、既に礼状発送の手続を了せり、又一面義捐金額住所氏名は洩れなく之を内務省に報告し、褒賞授与を申請し、報告書は可成速に之を編纂印刷し、重なる義捐者・重なる取扱者・災害地官公衙、及役員等に配付すべき筈なり、尚本会成績概要は直に宮内大臣へ面会の上之を報告し、執奏を乞ふべし、終に臨み、本会は被害民と共に内外仁慈寄附者諸氏に対し、深厚の謝志を表す
本会は本会の創立より終結まで、各新聞通信社に負ふ所多大なるものあり、即ち在京新聞通信社は本会創立の議あるに当りては、卒先発起人に列して尽力至らざるなく、又特に凶作地視察記者団を組織して東北の野を跋渉せらる、更に地方及朝鮮・台湾・布哇等の所在新聞社と共に其記事に於て之を鼓吹し、其広告料をも寄附せられ、其額巨額に達したるは先きに報告したる如く、此外其広告料の金高を通知せられざる新聞社少なからず、此処に特書して永く其厚情を記憶せんとす
慰問袋及寄贈物品の発送は、鉄道院の厚志に依り、無賃運送の便を得たり
    二 収支決算
      収入の部
  一金十五万円           御下賜金
  一金五千百円           各宮王公殿下御下附金
  一金壱百五十五万八千五百壱円八十九銭六厘
                   一般義捐金
  一金三万九百七十四円七十四銭四厘 新聞広告料義捐金
  一金八千八百九十四円六十六銭   預金利子
   合計金壱百七十五万三千四百七十一円三十銭
      支出の部
  一壱万四千百七十三円五十六銭二厘 本部経費
  一金八千四百五十七円四十九銭三厘 地方事務費
  一金八千六百四十九円十七銭五厘  慰問袋費
  一金三万九百七十四円七十四銭四厘 新聞広告費
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  一金四千壱百十円         残務費
   合計金六万六千三百六十四円九十七銭四厘
   差引金壱百六十八万七千壱百六円三十二銭六厘
                救済金総額被害地へ送付の分
右の通に候也
  大正三年七月十一日
        東京衆議院図書館内 東北九州災害救済会
               総裁   侯爵 松方正義
               副総裁  男爵 渋沢栄一
               会計監督    益田孝
               会計監督    佐竹作太郎
 追て慰問袋三十万四千八百廿六袋、及義捐物品九百四十四点は被害地へ送付済
  備考
   決算後、新聞広告料金弐千六百七拾三円八拾五銭、地方事務費金七拾九円参銭七厘の請求と共に、同額を義捐するの申出ありたるに付、之を受理し、彼是相殺せり


東北九州災害救済会報告書 同会編 第二〇―二四頁 大正三年一二月刊(DK310048k-0008)
第31巻 p.281-282 ページ画像

東北九州災害救済会報告書 同会編  第二〇―二四頁 大正三年一二月刊
 ○第二章 本会の経過
    三 慰問袋の募集
一月二十三日本会常務委員会に於て、災害地同胞の慰藉に資せんが為め慰問袋を募集することを議決し、男爵高木兼寛氏に慰問袋に関する委員長を、根津嘉一郎・福原有信・左右田金作・広沢弁二・武満義雄東武・大谷嘉兵衛・権藤震二(日本電報通信社)・松岡俊三(東北記者会)の九氏に同委員を、辛島知巳・平田久の両氏に同幹事を嘱託せり、慰問袋に関する委員会は即日開会の上、(一)慰問袋は約十万袋の募集を標準として計画すること(二)慰問袋の分配に関しては、北海道及青森県各四万袋、鹿児島県二万袋とし、其他は委員会に於て必要と認むる場合に分配すること(慰問袋分配に関しては、此後寄附金分配方法調査委員会に於て調査分配することゝなれるは、前章記する所の如し)等の大体の方針を定め、翌二十四日には左の趣意書及注意書を定め、松方侯爵夫人以下数十名を発起人に推薦せり
而して(一)慰問袋の仕立方は、府下の主なる女学校の賛同を得て、各女学校に於て全部引受くること(二)慰問袋の荷作及発送一切の手続は、三越呉服店に於て取扱ふこと(三)東京倉庫株式会社所有に係る銭瓶町倉庫の一部を借受け、慰問袋の集纏・荷造・発送の事務を取扱ふことゝせり
又横浜市に出張所を設け、慰問袋の募集に便ならしめたり、又当初募集〆切期日を二月末日限りとすることを決議せしも、其後応募陸続絶えざるを以て、申込期日を三月十五日まで、受入期限を三月末日まで延期することゝせり

     慰問袋募集趣意書
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 東北ノ凶作ト云ヒ、西南ノ変災ト云ヒ、頻々トシテ来リ天下ノ人心ヲシテ寒カラシム、況シテ時厳寒ニ際シテハ、其窮苦ノ状益々甚シカラム、思フテ此ニ至レハ誰カ同情ノ念ニ勝ヘサルモノアラム、曩ニ松方侯・大岡議長・渋沢男爵等起ツテ東北九州災害救済会ヲ設ケラルヽヤ、畏クモ我 皇室ヨリハ、厚キ思召ヲ以テ内帑ノ金十五万円同会ニ下シ賜ヘリ、 聖恩ノ洪大ナル申スモ畏キ所ニシテ、同会ノ施設些ノ遺憾ナカルヘキモ、苟モ臣子同胞タルモノ斯ル惨苦ヲ坐視スルノ時ニアラサルヘシ、下名等玆ニ相謀リテ広ク慰問袋ヲ募集シ、右救済会ノ一助トナリテ彼不幸ナル同胞ノ慰藉ニ資セムト欲ス切ニ願フ、世ノ篤志家子女ノ論無ク、奮テ此挙ヲ賛シ力ヲ共ニセラレムコトヲ
  大正三年一月
                    (発起人 連名)

     注意
 一、外袋入用ノ御方ハ、東京衆議院内東北九州災害救済会(電話新橋二番)ニ申込アリタシ、自ラ仕立テラレタル袋ヲ用ヰラルヽモ妨ナシ
  袋ニハ一定ノ形式ナシ
 二、慰問袋ニ入ルヘキ物品ニハ制限ナキモ、可成贅沢品ヲ避ケ、左ノ物品ヲ選ハレ、表面ニ種別ヲ表記セラレタシ
  第一種 米穀・雑穀・粉類
  第二種 缶詰・其他腐敗ノ虞ナキ食料品
  第三種 新古ヲ問ハス衣服類・手袋・足袋・脚胖・手拭・常用小切レ類、但シ古物ハ洗濯シタルモノニ限ル
  第四種 学校児童用品
 三、慰問袋ハ、麹町銭瓶町東京倉庫内東北九州災害救済会慰問袋取扱三越呉服店出張員詰所(電話本局五〇四九番)ニ御届アリタシ、五十袋以上ノモノハ御通知次第受取人ヲ差出スヘシ
 四、慰問袋ノ中ニハ、必ス趣意書及寄贈者ノ名刺(住所記入)ヲ封入シ、袋ノ口ハ厳重ニ縫合セラレタシ
 五、慰問袋ハ、主トシテ北海道・青森県及鹿児島県ニ分配ス、地方ヲ指定セラルヽモ妨ナシ
  其場合ニハ、其旨表面ニ御記載アリタシ
 六、募集〆切ヲ本年二月末日トス


東北九州災害救済会報告書 同会編 第九四―一〇八頁 大正三年一二月刊(DK310048k-0009)
第31巻 p.282-288 ページ画像

東北九州災害救済会報告書 同会編  第九四―一〇八頁 大正三年一二月刊
 ○第七章 各災害地に於ける救済金品の処理及報告
    二 視察報告
      園田幹事報告摘要
桜島爆発に因る被害地救済状況視察の為、六月初旬鹿児島に到着、滞在すること週日、救済に関し屡県当局の意見を叩き、又桜島並に肝属郡に於ける実際を調査せり
桜島及南大隅一帯の被害の程度は予想外に甚しく、災害は唯に噴火降
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灰に止まらず、噴火後に於ては豪雨の都度灰石を流出して、家屋・田園を埋め、道路・橋梁を壊ち、一層其惨害を加へ、西桜島村・西道武の両部落、並に肝属郡牛根・百引の諸村に於ける罹災民にして一たび帰住したるものと雖も、水害を懼慮して再び避難するの已むなきに至り、牛根村麓の如き一村殆ど声なきの惨状を極め、特に梅雨期に於ける被害を予想し、噴火後五箇月を経たる今、尚鹿児島市及郡部の仮救護所に自炊し、帰住を躊躇しつゝある窮民尠からず
災害突発に伴ふ避難者救護に次ぎ、応急の施設として東西桜島及肝属郡牛根、百引の諸村に於ける罹災民の大部分は、他に移住せしむるの必要を認め、吏員を派して遠く朝鮮・北海道・台湾等に適当の移住地を求め、一方肝属・熊毛の二郡に於ける官有地に移住地を選定し、移住民に対しては宅地・耕地を附与し、小屋掛・農具・種苗・家具・食料の資を給与することゝせり、其結果県の指定したる地に移住したるもの千余戸、其他任意の土地に移住したるもの二千三百余戸に達せり又原住地に帰住したるもの約六百戸に対しても、小屋掛・就職及食料の資を給せり、尚今後桜島及南大隅に於ける災害地の復旧、罹災民の移住其他の救助に関しては、漸次莫大の費用を要すべく、是等は国庫の補助、本会其他の義捐金に俟つものにして、是迄救助費として支出したる本会の義捐金は約二万余円なりと云ふ、本会の慰問袋及義捐物品は到着の都度被害民に分配せられ、受領者の深く感喜する処なり
      玉木主事報告摘要
余は秋田・青森両県及北海道を巡視せしが、是等地方は本会の設立なく、天下の同情なくんば幾何の餓死者を出したるや知るべからず、各地の当局者は皆な此の言を、本会の為に尽力せらるゝ方々に致し、篤く謝辞を伝へんことを委嘱せり
秋田県
秋田県は御物川流域と米代川流域とに分る、而して凶作は米代川流域の北秋田郡に多し、御物川流域にては山間地の田沢湖沼岸地・平鹿郡横手・雄勝郡稲庭附近に甚し、災害劇甚地は三分作以下にして、大抵山間地なり
此の県は凶作の外震災を受く、震災は三月十五日にして、死者九十五名・負傷者三百七十一名、住家全潰七百二十一戸・半潰六百八戸、其他土地の損害数ふべからず、震災劇甚地強首村を視る、此村戸数三百十戸にして、地震の尤も劇甚なりしは、戸数百四十一戸の強首部落なり、全部落一戸として損害を蒙らざるなく、死者十九名・傷者九十四名・牛馬の死八頭・傷十五頭を出せり、倒壊家屋の稍々復旧に着手したるあれど、金なき者は依然倒壊家屋の下に棲めり
本会の震災救済金は四月八日発送せしに、県庁にては余の到着せし日までは分配せず、県募集の義捐金の締切を待ち居たり
御物川流域の凶作地たる平鹿郡長に救済状況を聞くに、同郡にては直接救助をなさず、生業扶助・信用組合の補助に充て、生業扶助は、養蚕・綿織物・椎茸の奨励を為し、信用組合に対しては、肥料・農具の購入、稲架の設置に補助すべしと云へり、大体南方は、凶作劇甚地と雖、其区域狭少にして、救済の要は寧ろ北部に在り
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北部なる北秋田郡は十数流の渓谷より成り、其渓谷に村落ありて、或部落は村役場より七八里の遠きに在り、雪中は全く交通杜絶し、凶作の結果餓死者を出さん虞あり、昨冬此の窮民を如何にせんかと、郡長は苦慮の末村長を集めて、兎に角村の義務として差当り救助すべきは之を救助すべしと命じ置きしに、本会の組織成り、第一回の送金ありしと聞きし時の喜は如何許ぞ、是れさへあらば十分救済の目的を達し得べしと、村長に向つて『未だ分配の金額も明ならず、又た如何なる者を救助すべきや範囲も明ならざれど、兎に角村長の見込を以つて差措き難き者を救助せよ、後日分配を受けなば其補はなし得べし、若し救助すべからざる者を救助したる場合は、村の負担とする覚悟にて断行すべし』と命じて、窮民の救助を為したりと云ふ
此郡の災害は天候の為もあれど、又鉱山煙毒の為もありと云ふ、現に花岡鉱山の煙毒の為め山林の樹木全く枯死し、其鉱山の製煉事業は中止中なりき、小阪鉱山にては、此の郡の比内部と称する十一個村の農業者耕作反別一町歩以下の者の内窮困者は春耕時期に際し一人一斗宛の米を給し、其人員四千八百余人に及べり、此の郡の主なる救済事業は、種子の給与、外米の共同購入、町村造林事業、産業組合の設立、産業組合設立奨励、蚕業奨励、国有林木低価払下、鉄道運賃の低減等なり
救助は必らずしも農民に限らず、北秋田郡の救助戸数に付て聞くに、農百二十九戸・其他二百四戸あり、此其他といふは多くは日傭取にして、或は農業に傭はれ、或は他に傭るゝ者、之を救助するは云はゞ間接被害民の救助なり
青森県
此県には凶作と共に一種の議論行はれ、人間は生くるの権利あり、生きて余裕ありて始めて租税も納むべし、小作料も払ふべしとの不穏なる言論唱道され、少なからず人聴を牽きたるより、県庁にても大に驚きたる模様なり
当時の県当局者は凶作救済の為に活動し、殆ど東北の主動力となりて世論を動かすに努めたり、此県の救済事業は他県の如く水害復旧工事あるにあらず、又々、鉱山の労役あるにあらず、一体事業なき県なれば救済事業も従つて困難なり、左れば雪中道路砂利置工事を起して、窮民救助の一端となし、三井物産と交渉して外米の低価買入を為し、大日本人造肥料会社と交渉して、肥料代延納買入を為し、種籾を給与し、国有林等の低価払下、藁細工・炭焼・アケビ蔓細工・麻つなぎの奨励、産業組合・耕地整理の奨励を為し、為に県債、政府低利資金、勧業銀行其他の融通、市町村積立金の運用、肥料代の延納等、総額約四百万円に達する負債を為すに至れり、而して県にては別に義捐金の募集の為に救済会を起さゞりき、五個月間の窮民救助延人員二百四十万人、一日平均一万六千人なり、其給与額は一日男米三合、女二合の割合なり、本会分配金は一、二回合せて十四万五千円なりしを、五月二十日までに半額七万八千円を分配し、余の到着の頃更に残金の分配を為せり、本会以外の寄贈は一万七千円あり、此の県は津軽と南部の二に分れ、津軽は全くの米作地なり、余は先づ南部に赴き、上北郡浦野
 - 第31巻 p.285 -ページ画像 
館村を訪ひしに、宮妃殿下の慰問袋は窮民の高齢者に頒たれ、或一家の如きは粟と稗を常食とせるが、九十一歳の老母に妃殿下下賜の慰問袋の米少量を時に加へて進め居たり、他にも妃殿下の慰問袋を頂戴したる者あり、親族縁者数粒宛、分与を乞ひ、有難く恩賜を頒ちたりと云ふ、
七戸郡長に聞くに、同郡今日までの状態によりて推せば、本会の分配金にて充分救済の目的を達し得べし、同地方には牧場多く、窮民の之に雇はるゝ者多し、是れ亦救済の一端なりと、
翌日津軽方面に向ふ、津軽は岩木川の流域に在りて沃野茫々、県下米の八割を産する米産地也、然るに此の地の米作全滅に近し、聞く天明年間津軽藩の凶歳に死する者六万人に及べりと、今や凶歳に当りて一人の餓死者を出さず、聖代の恩沢申すまでもなきことなるも、抑も亦本会の救済与つて力あり、最凶作地南津軽郡戸数一万四千余戸、此内救助戸数農千百七十二戸、其他九百二十二戸、合計二千九十二戸にして、全戸数の七分の一なり、同郡女鹿沢村にて施米の現場を視、一同に本会の趣旨を言ひ聞かすの機会を得たり、此の村に宮妃殿下の慰問袋を頂戴したる一家あり、勿体なしとて今に神棚に上げ居れり、
津軽にては今年は昨年より植付十日以上早し、昨年までは連年豊作にて農夫も漸く晩稲を作るの習となりしに、昨年の失敗にて覚醒する所あり、既に青田を見て生気恢復の模様あり、
此の県には大地主多く、小作人は平素既に窮民に近き者多し、本会の分配金は専ら窮民の食料給与に用ゐられて、農民・非農民に洽く其恵沢を及ぼせり
北海道
本道にては米六十万石の収穫三万石に減じ、種籾にすら不足し、大小豆・玉蜀黍も三分一作にて被害は実に水田のみにあらず、元来農民の多くは未収穫の時田畑の収穫予想を為し、之を担保として、衣服・味噌・醤油等の供給を受ける風習あり、又小き小作人は耕作の傍、其地方の大農家に傭はるゝを常とせしが、凶作の日過去の負債を支払はざる為、商店に更に供給を仰ぐ能はず、又傭はれ口もなく、冬期中収入の途も杜絶したれば、細民中には楢の実・澱粉滓・キヤベージの根をも食する者あるに至れり、之を救済する為、道庁にては砂利置工事、藁細工の奨励、材木払下、種子給与等を為したるが、今は砂利工事も略ぼ竣成し、藁細工も終りに近からんとし、而して一方農繁時期に入りて、救助は一層多くを要することゝなれり
本道にては別に救済会を起し、町村長を各委員となし、受け入れたる金品を纏めて分配しつゝあり、北海道凶作救済会の寄附金七万五千円之に本会の分配金二十九万一千円、慰問袋四万八千個を加へて、主として直接救助に従事せり
先づ空知支庁管内に入る、此管内は石狩川の流域にして、水田最も早く拓けたるの地也、地北に偏して尚ほ米を作るは、米の収穫、麦雑穀に比し価高ければなり、五年に一度の凶作ありとも米作は止めざる也救助すべき窮民は、道庁が定めたる窮民の標準により調査したる者の内より実際救助を要すべき者を精査し、甲乙丙の三種に分ちて、甲乙
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に救助を為すこととせり、而して藁細工を為す者には藁を与へ、種子の不足の者には種子を与へ、慰問袋其外現品の寄贈品を分ちて、尚ほ足らざる者に麦を与ふ、麦は一斗、二斗と時々交付し、耕作期には窮民一戸に一俵を与へたる村あり
上川支庁管内も亦石狩川流域にして、空知に次ぐの農耕地なり、支庁にては其受くる分配金六万円を、次の如く支出せり、一万五千円土功費、五千円藁細工等副業費、二千円植樹費、三千五百円種子料、一万五千円肥料購入費、千五百円農具購入費、一万二千五百円食料費、一万円害虫駆除費是なり、町村の救済事業中、灌漑工事に窮民を使用せるもの三ケ村あり、是れ凶作が却て水田増加の原因をなすものなり、亦一奇とすべし
十勝平原は河西支庁管内にして大豆の主産地なり、水田少し、此管内救助戸数三百二十戸(総戸数一万五千戸)にして、大地主は小作人に種子を給与せり、室蘭支庁管内亦水田少し、救助戸数三百九十戸なり、此支庁にて分配金一万四千八百円と見積り、食料給与以外の処分法研究中なりき、窮民に堆肥小屋・改良農具(マニラホーク)・害虫駆除誘蛾灯・種卵を与へ、又山桑を植ゑしめ、永住心涵養の為墓地を与ふる等に使用せんとの考案もありき、
要するに北海道は土地広く、道庁の訓令も長鞭馬腹に及ばざる処あるも、救済金の支出は実際濫に流れたる迹を見ざりき、又何れの地も本会の分配金にて救助に不足なりと云ふ者なく、募集金の分配を受けなば、それにて十分なりと云へり、
      広瀬主事報告摘要
一県下の視察を三日間と予定し、成る可く被害の劇甚地を選び、多方面に渉るを主とし、山形県に於ては北村山・最上・東田川、巌手県に於ては二戸・巌手・和賀、宮城県に於ては宮城・登米・伊具、福島県に於ては信夫・相馬・耶麻・東会津の諸郡を巡廻し、当局吏員・被害民、其他に就き現況を調査せり、時恰も本会事業の半ばにして第三回の義捐金漸く各県に到着し、第一・第二回の義捐金と雖処理中に係るを以て、其救済状況の一端を窺知し得たるに過ぎず、義捐金の使途、救済の方法に就いては、県に依り多少其趣を異にする処なるも、当局者は孰れも諸種の特別取扱及施設、若しくは他の小額義捐に依り救済に汲々たるに際し、本会の後援を得、適切穏健に、分配金の使用に勉め、本会の義挙に対し、罹災民と共に深く感謝せられつつある所なりとす
山形県 凶作の程度は県下を通じて約八分作にして、六分作以下の町村三十有五に渉り、被害尤も劇甚なりしは北村山・最上の二郡なりとす、被害民は雑業に従事し多少労金を得、粗食に依り露命を繋ぎ、二三月の農繁期に於て困憊の程度を極めたるも、幸に粗悪米見込以上に多額の増収穫ありしと、諸般の施設、隣保其他の救助に依り、現時小安を得たる状態にあり、三月の調査に依るに、救助を要する窮民は六千九百六十余戸、此人員一万六千五百余人なり
本会の配当金七万九千円の内、二月二十八日金参千円を支出し、以て応急救済の資に充て、郡を経て各町村に配付せり、次で第二回分配と
 - 第31巻 p.287 -ページ画像 
して金参万円を各郡に配付し、被害町村に対する生業扶助の資に充つることヽし、目下其使途の計画を立てしめつヽあり、残余義捐金は必要に応じて漸次之を支出し、生業扶助其他有益の使途に充つべき見込なり
窮民直接救助の一例を掲けんに、尾花沢町に於ける小林キク其他五名の窮民に対し、四月二十六日初めて本会の義捐金を以て食料給与を実行し、以前に在ては隣保其他の救助に依りたる状態にありて、如何に本会の義捐金が穏健に使用せられつゝある一端を見るに足るべし
巌手県 昨年の凶作は、主要時期に際せる温度の低冷、日照の減少及暴風雨の襲来等に原因し、米作は平均平年の六分五厘に過ぎず、就中九戸郡は一分五厘作、上・下閉伊外四郡は五分作以下なるの惨状を呈し、九戸・二戸・上閉伊の諸郡に於ける窮民は、平素木実と雑穀を混用したる粗食に生活しつゝあるも、罹災の為め、食料粗悪の程度を増し、飢餓に迫り救助を要するもの八百五戸、三千六百十八人に上り、三月の頃には収穫物尽き、一層の困難に陥るべき見込なりしも、幸に融雪早く、救済に関する諸般の施設宜しきを得、現今細民は困憊の度を減じ却て中産者の困難を増加する状態にあり、而して一般救助を要する窮民は約一万千五百戸、人員五万四千四百余人なり
本会配当金十五万八千円の内、第一回分二万円は、二月五日差措き難き窮民の応急救助として、各郡市に配付せられ、各町村に於て之を窮民の食料給与其他に使用中にして、第二回分五万七千円は、四月二十二日本会の使途条件を遵守すべき旨を以て、各郡市に配付し、郡市長は之を保管し、町村が適切の使途を立て、之が配付要求するを待ちつつあり
二戸郡其他に於ける救済状況を視るに、第一回に配付せられたる金千二百余円の内、金一千円を応急救助の資として各町村に分配せしも、食料給与等の直接救助に使用せられたるは其一部分に過ぎず、重なる部分は生業扶助若くは生業資金に使用せられつゝありて、麦作・養蚕の見込佳良なる為め救済の急なるのは少なし、巌手郡沼宮内町及御堂村に於ては、第一回分配当金の全部を生業扶助に使用し、又和賀郡黒沢尻町に於ては、第一回配当金の大部分を窮民食料給与に使用したる等、其使途区々なりとす
宮城県 天候不良と水害とに因り、一般収穫物の減少を来し、昨年の米作は平年に比し平均六分〇四作にして、其五分作以下のもの八十八ケ村の多きに達せり、本県は明治三十五年の凶作に次ぎ、同四十三年の大水害起り、民力疲弊を極めたるに際し、今回の凶作に遭遇し、窮民困憊の度を極め、六月十日の調査に依るに、直接間接に救助を要するもの一万五千三百余戸、此人員七万六千五百余人を算す
本県は昨年十二月二十七日凶作罹災民救助の資として、明治四十三年水害の際に於ける義捐金基金より金八万円を支出し、之を被害町村に配付し、後に本会が配当したる金十七万二千円の内を以て、右基金の支出額を塡補したるものなり、即ち本会配当の義捐金中八万円は目下救済に使用せられつゝある姿なりと雖も、其残金の使途に就ては今之を予想すべからず、而して前記金額は目下使用中にして、其報告県に
 - 第31巻 p.288 -ページ画像 
達せざるもの多し、左に郡に就き調査せし状況を掲ぐ
登米郡の配付を受たるは金四千百六十四円にして、右の内米山村は八百九十七円余の配付を受け、百円は食料給与に、残余は菅製縄器購入の資に充て、登米町は二百九十三円余の配付を受け全部植林の資に、米川町は四百八十五円の配付を受け、全部を山林防火堤の工事費に使用し、其他の町村に在ては之を食料給与・生業扶助融通資金に使用しつゝあり、又伊具郡は七千三百三十六円の配当を受け、内千八百余円を食料給与の資として町村に分配し、約四千円は「マニラ」麻継き業の資本に供せり
福島県 昨年の凶作程度は米作五分八厘にして、本県は明治三十八年の凶作に次き四十三年の大水害あり、又同三十九年及四十五年の霜害に依り養蚕の収獲減少し、其傷痍未だ癒せざるに、今回の凶作に遭遇し、窮民は益々困難に陥り、一月の調査に依るに直接間接に救助を要するもの三万八千二百九十余戸、其人員二十万四千八百余人なり
本会の配当金十三万千円の内、二月一日金五千円を応急救助の資に充つる為め、郡市を経各町村に配付し、重に食料給与・藁細工原料資金等の直接救助に使用し、耶麻郡月輪村の如き、其配当金六十三円の内現に三十円を保管しつゝある村あり、又六月四日金五万円を各郡市に配付し、其使途に就き郡市長会議を開き、本会の使途条件に則り適切の方法を考究し、町村を監督することに決せり、而して町村に対し未だ之が配付を為さる郡多し、北会津郡に於ては之を町村の救済基金に充当せんと計画中にして、耶麻郡に於ては食料給与・失業扶助、学齢児童の慈善的施設に充つる目的を以て、之を町村に分配せり、残余の分配金に就ては、県に於て使途考案中にして、其一部は窮民移住費に使用すへき見込なり、要するに扶助、諸般救済の施設好結果を得、農作・養蚕亦好成績を見る今日に於ては、直接救助を要するもの少く、配当金の大部分は生業扶助其他に使用せらるゝものと信ず
慰問袋義捐品は、各県を通じ被害町村に分配済にして、偶々其一部を町村に保管しつゝあるも、漸次食料等の補給として窮民に分配せらる可し



〔参考〕現代日本文明史 小野武夫著 第九巻農村史・第五四六―五四七頁 昭和一六年四月刊(DK310048k-0010)
第31巻 p.288-289 ページ画像

現代日本文明史 小野武夫著  第九巻農村史・第五四六―五四七頁 昭和一六年四月刊
 ○第二篇 第八章 明治後半期の農業災害
    第二節 東北地方の冷害
○上略
(4)大正二年の冷害 大正二年東北地方は、又もや冷害凶作に襲はれた。曾ての明治三十八年度の飢饉から八年目である。今大正二年度に於ける東北六県の米収穫高を、平年作に比較すれば左の如き減収を示して居る。

 県名  大正二年米収穫高    平年米収穫高     平年に比し減   減収率
             石          石         石     %
 宮城    六二六、五四七  一、〇一六、六四七   三九〇、一〇〇  三八・四
 福島    七三〇、八九四  一、二六一、四二四   五三〇、五三〇  四二・〇
 岩手    四六一、四〇五    七〇二、四八〇   二四一、〇七五  三四・〇
 青森    一八三、八九二    八八五、二八一   七〇一、三八五  七九・二
 - 第31巻 p.289 -ページ画像 
 山形  一、三五五、九〇四  一、五三四、二六七   一七八、三六三  一一・六
 秋田  一、〇一九、五七八  一、四五一、六〇七   四三三、〇二九  二九・八
 全国 五〇、二五五、二六七 四九、九一〇、八五五 増 三四四、四一二

 即ち上表の示す如く、全国の稲作柄は平年以上であつたのに、東北六県丈けは青森を中心として大凶作となり、三割二分の減収を見せて居る。
 今右六県中、青森県の凶作状況を見るに、県下同年の気温は苗代期間に於て例年より低く、又日照時数少くして、苗の発育を遅らせ、延いて挿秧の時期を失はせた。殊に挿秧期の気温著しく低く、分蘗期の日照時数も平年より三十余時間少く且つ低温であつた。七月下旬から八月上旬に至る穂孕期間の日照は平年以上であつたけれども気温が低く、八月中旬から下旬に至る出穂開花期に於ても温度極めて低く、開花を不可能ならしめた。又結実期も温度が低かつた。以上の如く低温冷湿なるに加へ、六月下旬には水害を蒙り、八月下旬には暴風に襲はれ、結局稲作に於て七割九分の減収率を示すに至つたのである。即ち水田五万八千七十六町歩の中四万百四十九町歩は七割以上の減収、一万四千二百六十五町歩が七割乃至五割の減収、二千九百五十七町歩は五割乃至三割減、而して僅かに七百四町歩のみが三割以下の減収であつた。畑作物は大正元年に比し粟は三万一千石、稗は三万七千余石、大豆は二万六千余石、蕎麦は九千石、馬鈴薯は百十八万貫の減収であつた。而して米の減収を金銭に見積れば、其の価格実に千三百二十五万円に達し、畑作の減収価額百三十二万円となり、合計千五百万円の損失になつて居る。窮民戸数は三万七千五百九十六戸に達し、総戸数十一万四千九百余戸の三分の一に当つて居る。此等の窮民は、例に依り楢の実・藁粉・稗糠・稗殻・松の皮の如き、平時は牛馬さへ口にせぬものを食料にして露命を継ぐ状態であつて、栄養不良に罹つて死亡する者もあり、小学校の欠食児童増加し、又腸チブスや発疹チブスの流行となり、出稼人や犯罪人の増加を来し、随つて町村税の滞納を惹き起すに至つた。
○下略