デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
8款 災害救恤関係諸資料 5. 浅草区火災
■綱文

第31巻 p.417-418(DK310064k) ページ画像

明治44年4月9日(1911年)

是日、東京市浅草区及ビ下谷区ニ火災発生ス。栄一、浅草区罹災者ニ対シ主食・副食物ヲ賑恤ス。大正元年十一月二日右ニツキ、賞勲局総裁ヨリ木杯一組下賜サル。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK310064k-0001)
第31巻 p.417-418 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
 - 第31巻 p.418 -ページ画像 
    賞典
大正元年十一月二日 明治四十四年四月東京市浅草区橋場町外十五町・下谷区竜泉寺町・北豊島郡南千住町火災ノ際浅草区罹災窮民ヘ握飯参千九百参拾人分・沢庵漬参樽賑恤候段奇特ニ付、為其賞木杯壱組下賜候事        賞勲局総裁



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一四巻・第三九九頁 昭和一一年六月刊(DK310064k-0002)
第31巻 p.418 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一四巻・第三九九頁 昭和一一年六月刊
    吉原遊廓大火=殆ど全滅す
〔四・一〇 ○明治四四年東朝〕 昨日午前十一時三十分、新吉原江戸町二の廿貸座敷美華登楼事鈴木浜之助方より発火し、朝来吹き募りたる南の烈風のため火は凄まじき勢を以て瞬く間に隣家新花井楼を焼き、夫れより猛火は京町一丁目へ出づるよと見る間に火先は三方に散じ、一は角町方面に向ひ風力に煽られて漸次揚屋町・江戸町一・伏見町に拡がり角海老其他の大店は是れ亦忽ち炎々たる猛火に包まれ悉く焼尽せり、又仲の町方面に延焼せる火は同町に櫛比せる各引手茶屋を焼抜き、衣紋坂の両側に及び、尚も日本堤に到りて同警察を焼き、火勢益猛烈を極め南方より北へ北へと押進み田中町方面へ吹き付けたり、又一方には午後零時十分頃下谷竜泉寺町二〇六番地某家へ飛火し、附近へ延焼しつゝあると同時に今戸町方面へも延焼し、火勢一層鋭く更に千住方面に向ひたり、日本堤にてはいろは・新川屋其の他の飲食店何れも焼失せり、是より先江戸町二非常口方面に向へる火先は、東に転じて千束町・田町方面に延焼し、廓外角町河岸の一帯へ燃抜け尚熾に同方面を焼きつゝあり、廓内は殆ど全滅の姿なり。(午後一時三十分)
 △延焼益々甚し
 ▽金杉・田中・千住方面
午後二時半下谷金杉方面に延焼したる火は、同町百五十番地の一部を焼却し金杉上町を焼きつゝあり、又竜泉寺町方面は同町北詰を残したるのみにて他は悉く焼失し、千戸内外に及べり、又田中町方面の火は黒煙濛々として物凄き許りに南千住方面の空に流れ居れり、京二の河内楼は二時頃尻火にて焼けつゝあり、中米楼も危かりき(午後二時三十分)〔下略〕
○下略