デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.464-484(DK310073k) ページ画像

大正8年8月16日(1919年)

是日栄一、貴族院議長公爵徳川家達・衆議院議長大岡育造・子爵清浦奎吾等ト謀リテ帝国ホテルニ当会発起人会ヲ催ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK310073k-0001)
第31巻 p.464-465 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
八月五日 晴 暑
○上略 午後三時原総理ヲ官舎ニ訪ヘ、協調会ノ事、其他 ○中略 意見ヲ交換ス ○下略
   ○中略。
八月七日 晴 涼
○上略 又曩ニ実業之日本社ヨリ依頼ノ、労働問題ニ付余ノ意見ヲ述ヘタル筆記ヲ修正ス、夕方ニ至リテ修正ヲ了リタレハ、書状ヲ添ヘテ雑誌社ニ郵送ス ○下略
   ○中略。
八月十一日 半晴 軽暑
○上略
添田地方局長ヘ一書ヲ送リテ、来ル十六日開催スヘキ協調会大会ニ関スル準備ノ事ヲ注意シ遣ス、又同件ニ付徳川公爵ヘ一書ヲ送ル、頃日公爵ヨリ再度ノ来書ニ応答セルナリ
○下略
   ○中略。
八月十三日 晴 暑
○上略 午後三時内務大臣官舎ニ抵リ、徳川・清浦・大岡三氏、及床次大
 - 第31巻 p.465 -ページ画像 
臣・小橋次官・添田局長等ト協調会ノ事ヲ談ス
来ル十六日ノ発起会ニ関シ、当日ノ順序又ハ寄附金勧募ノ方法等種々ノ意見アリ、且当日和田・大橋二氏ノ来リ意見開陳ノ事アリシヨリ、更ニ原首相トノ熟議ヲ要シテ、明後十五日ノ会見ヲ約スルニ至レルナリ
○下略
八月十四日 雨 冷気
○上略 午後三時清浦・大岡二氏ト共ニ原首相ヲ官邸ニ訪フテ、協調会ノ件ニ付種々ノ意見ヲ交換ス ○下略
八月十五日 曇 冷気
○上略 一時有賀・桐島・郷・中島・和田ノ諸氏及添田地方局長ト共ニ、協調会寄附金ノ件、評議員予撰ノ事ヲ談ス ○下略
八月十六日 曇 冷
○上略 午前十時駿河台なる岩崎小弥太男を訪ひ、協調会寄附金ノ事ヲ依頼ス ○中略
午後一時帝国ホテルニ抵リ、徳川・清浦・大岡ノ三氏及添田其他ノ諸氏ト本日開会ノ順序ヲ協議ス、午後三時ヨリ続々来会者アリテ二百名余ニ至リ四時頃開会、徳川公ノ挨拶ニ次テ余ノ演説アリ、後各大臣ノ賛成演説アリテ本会ノ成立ヲ告ケ、後晩飧ヲ共ニシテ八時散会セリ ○下略


集会日時通知表 大正八年(DK310073k-0002)
第31巻 p.465 ページ画像

集会日時通知表  大正八年       (渋沢子爵家所蔵)
八月二日(土) 午後三時 協調会ノ件(内相官邸)
   ○中略。
八月十五日(金) 午後二時 和田・大橋・有賀・桐島・藤山・中島・添田諸氏ト協調会ノ件ニ付キ御会合(兜町)


協調会書類 【(印刷物) 拝啓、時下炎暑の候益々御清適の条欣慰の至に候、…】(DK310073k-0003)
第31巻 p.465-467 ページ画像

協調会書類               (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、時下炎暑の候益々御清適の条欣慰の至に候、然者現下我邦の一問題たる社会政策、特に資本労働の協調は実に喫緊の案件にして、其の挙措如何によりては国運の隆替にも関係可致と存候に付ては、賢台にも既に夫々御講究の事と察上候、拙生共に於ても、爾来種々討議の末、自ら揣らさるの行為には候得共、此際別紙趣意書及綱領の通り協調会を組織し、忠誠勤勉其の事に当り、所謂斃而已矣の覚悟を以て挺身、両者の間に介立して其の協同調和に努力可仕と存候、而して本会の成立と奏功とに関しては国家の援助を要望するは勿論に候得共、大方諸君の御同情と御協力とに依頼仕候儀に付、賢台にも右御賛同の上発起人たること御承諾被成下度、尚之に関し種々御協議致度儀有之候間、御多用中乍恐縮、来る十六日午後三時東京市内山下町帝国ホテルへ御抂駕被成下度、此段可得貴意如此御座候 敬具
  大正八年八月五日
                    男爵 渋沢栄一
                       大岡育造
 - 第31巻 p.466 -ページ画像 
                    子爵 清浦奎吾
                    公爵 徳川家達
          殿
   追而当日御差支の有無、別紙封入の葉書にて御一報被下度、万一御出席無之場合は発起人諾否の儀御記入被下度申添候
(別紙)
    協調会設立趣意書
 資本・労働ノ協調ハ産業発展ノ第一義ニシテ、又社会ノ平和ヲ保維スル所以ナリ、然ルニ此ノ事タル言ヒ易クシテ行ヒ難キハ、之ヲ欧米諸国ノ事例ニ徴シテ明ナリ、惟フニ我国ニ於ケル事業主ト一般労務者トノ関係ハ、幸ニシテ未タ欧米ニ於ケルカ如ク著シキ反目嫉視ヲ見ルニ至ラスト雖、而モ輓近産業ノ顕著ナル発展ニ伴ヒ、紛擾又ハ罷業ノ処々ニ発生シテ社会ノ平和ヲ破ルアリ、時勢ノ変転ト思想ノ動揺トハ、今ハ徒ニ旧慣ニ拘泥シテ以テ両者ノ協調ヲ期待スルヲ許サス、須ク時代ノ推移、人心ノ帰向ニ察シ、法規ノ設クヘキハ之ヲ設ケ、国家ノ施設スヘキハ之ヲ施設シ、事業主ハ労務者ノ人格ヲ尊重シテ其ノ生活改善ト能率増進ノ為ニ最善ノ力ヲ尽シ、労務者亦自ラ修養鍛錬ノ功ヲ積ミテ其ノ地位ノ向上ヲ期シ、相共ニ反省奮励スル所ナカルヘカラス、現時欧米諸国ニ於ケル社会政策的施設ハ事頗ル多岐ニ亘ルモ、其ノ実績必スシモ遺憾ナシト謂フヘカラス、乃チ之ヲ我国ニ施スニ当テハ、特ニ我国情民習ニ照シテ参酌按排、其ノ宜シキヲ制セサルヘカラサルハ固ヨリ論ナキ所ナリ
 本会ノ施設ハ、之ニ依テ以テ自ラ一切ノ社会政策的事業ニ当ラント欲スルニ非ス、期スル所ハ一ニ利弊得失ヲ研究調査シ、以テ時勢ニ適応スル施設ノ実現ヲ図ルニ在リ、刻下喫緊ノ案件タル労働問題ノ解決ニ関シテハ、先ツ現時ノ資本・労働ノ関係ヲ考察シ、本会自ラ実行スヘキハ之ヲ実行シ、政府若ハ公共団体ノ施設ヲ要スルモノハ之ヲ政府若ハ公共団体ニ要望シ、事業主ノ企画ニ待ツヘキモノハ之ヲ当業者ニ勧奨シ、労働者ノ奮励ヲ促スヘキハ之ヲ促シ、中正不偏専ラ時代ノ要求ヲ大観シ、以テ健全ナル社会政策ノ樹立ヲ期シ、傭主・労務者斉シク其ノ処ヲ得、相共ニ戮力シテ社会ノ福利ヲ増進セムコトヲ欲スルニ外ナラス、故ヲ以テ本会ノ会員ハ広ク之ヲ社会ノ各方面ニ求メ、互ニ胸襟ヲ披瀝シテ以テ資本・労働ノ協調ニ努力センコトヲ期ス、庶幾クハ時代ノ大勢ニ順応シテ国家ノ進運ニ貢献スルヲ得ムカ、大方ノ士吾人微衷ノ存スル所ヲ諒トシ、進ンテ本会ノ成立ト其ノ発展トニ寄与セラレンコトヲ望ム
(別紙)
    協調会綱領
 第一、目的
  本会ハ、事業主ト労務者トノ協調ヲ図リ、社会政策的施設ノ調査ト其ノ実行ヲ促進スルヲ以テ目的トス
 第二、事業
  本会ハ本部ノ外全国枢要ノ地方ニ支部ヲ設置シ、主トシテ左記ノ事業ヲ実行シ若ハ之ヲ誘助スルモノトス
 - 第31巻 p.467 -ページ画像 
  一、公私ノ機関ト連絡ヲ取リ社会政策ニ関スル研究調査ヲ為シ、其ノ結果ヲ公表スルコト
  二、社会政策ニ関シ政府ノ諮問ニ応シ、又ハ政府其ノ他公私機関ニ対シ意見ヲ提出スルコト
  三、講演会・図書館等ヲ開設シテ、事業主及労務者ノ修養ニ資スルコト
  四、職業紹介事業ノ中央機関タルヘキ適当ナル施設ヲ講スルコト
  五、労働紛議ノ仲裁和解ニ尽力スルコト
  六、其ノ他時勢ノ推移ニ応シテ必要ナル施設ヲ講スルコト
 第三、組織
  本会ハ有志者ノ寄附金ヲ基礎トスル財団法人ト為ス
  本会ニ評議員会ヲ設ケ、各方面ノ人士ヲ網羅シ、本会ノ事業執行上ニ於ケル議決機関ト為ス


労資協調会発起人会議事速記録(DK310073k-0004)
第31巻 p.467-473 ページ画像

労資協調会発起人会議事速記録     (財団法人協調会所蔵)
  大正八年八月十六日午後四時開会
○公爵徳川家達君 此度吾々ガ社会ノ趨勢ニ鑑ミマシテ協調会ナルモノヲ成立致シタイト存ジマシタ、本日発起人会ヲ開キマスニ際シマシテ、御多忙ノ際ニモ拘ラズ、諸君ノ御来会ヲ相願ヒマシタ、多数ノ諸君ノ御光来ヲ辱フ致シマシテ、誠ニ感謝ノ至リニ堪ヘマセヌ、本会設立ノ趣意ハ、渋沢男爵ヨリ御申述べニ相成ルコトニ願ツテ置キマシタカラ、同男爵カラ詳シク御話ガアルダラウト存ジマス、御清聴ヲ願ヒタウゴザイマス、私ハ本日諸君ニ御来会ノ御礼ヲ申上ゲ、是ダケノコトヲ申上ゲテ置キマス(拍手起ル)
○男爵渋沢栄一君 私モ今日皆様ノ尊臨ヲ御願ヒ申シタ一人デゴザイマス、唯今徳川公爵ヨリ、尊来ヲ請フタ趣意ハ斯様デアルト云フコトヲ陳述致シマシテ、私ヨリ其今日ニ至ツタ趣意及其沿革ヲ一言陳情致スヤウニト云フ御打合セニナツテ居リマス、果シテ私ガ其位地デアルカ自カラ疑ヒマスケレドモ、兎ニ角私ヨリ此会ヲ起シテ是非将来ハ斯クアリタイト思フ希望ヲ、又是迄ノ沿革ヲ陳情致シテ清聴ヲ煩シタイト思フノデゴザイマス、趣意書ヲ皆様ノ御手許ニ差出シテゴザイマスデ、或ハ御覧下サイマシタカ、又ドウゾ緩々御覧モ願ヒタウゴザイマス、其中ニ綱領ト云フ表題ニ依ツテ、斯ル趣意ニ依ツテ斯ウ云フ風ニ取扱ハウト思フト云フ件々ガ数項ニ分ケテ書イテゴザイマス、本会ガ如何ナル事務ヲ取扱フデアラウカト云フコトノ要点ダケハ、御諒知ヲ願ヘルダラウト考ヘマスガ、蓋シ吾々並玆ニ協調会ヲ発起シマシタ趣意ハ、果シテ十分ナル成算ヲ以テ、斯クスレバ、屹度此社会政策モ完備ガ出来ル、資本主・労働者ノ協調モ期シ得ラレルト云フ、成竹ヲ備ヘテ申出シタ訳デゴザイマセヌノデ、時代必要デアルカラ何トカセネバナラヌト云フ、甚ダ斯ウ申スト無策ノ申シヤウデゴザイマスケレドモ、赤誠捨置ケヌヤウナ感ジカラ、此事ノ玆ニ及ンダト云フコトヲ、先ヅ第一ニ御諒察ヲ願ヒタウゴザイマス、事業ノ進歩ヨリシテ、経済界若クバ一般ノ社会ニ大ナル変化ヲ惹起シタト云フコトハ、今此処ニ喋々ヲ要シマセヌ、皆様モ御集リノ御方々ハ或ハ実業ニ、若クハ政治
 - 第31巻 p.468 -ページ画像 
ニ、学問ニ、教育ニ、精神的ニ、総テノ方面御揃ヒデゴザイマスカラ何ゾ私ハ呶々ヲ要スルコトハゴザイマセヌケレドモ、併シ特ニ玆ニ一番主トシテ力ヲ入レネバナラヌト思フノハ、事業ト、労務ヨリハ寧ロ労働ト云フ、此二ツニ対シテハ、別シテ今日所謂目下ノ喫緊問題ト申シテ宜カラウト思フノデアツテ、而シテ其玆ニ至ルト云フコトガ、能ク考ヘテ見マスト、此場合ニ於テアヽ成程ト思ヒマスケレドモ、実ハ然ルベキ原因ガアツテ今日ニ及ンダト云ツテ宜カラウト思フノデゴザイマス、事々シウ昔ヲ引イテ申スデハゴザイマセヌガ、従来本邦ノ事柄ハ多クハ家庭的ノ組立デ、其家庭的ノ組立ハ、自然ト事業主若クハ之ニ従事スル者ハ、師弟トカ主従トカ云フヤウナ関係ニ依ツテ成立ツタノデゴザイマス、物理・化学ノ応用ガ、欧米ノソレノ如ク進ンデ居リマセヌカラ、仕事ガ極ク小規模デアル、小規模デアルト同時ニ、前ニ申スヤウナ有様デ事足リテ居ツタカラ、決シテ此間ニ物議ヲ惹起シ軋轢ヲ生ズル等ノコトハナカツタノガ当然デアル、何時モ所謂温情デ都合好ク進ンデ参ツタヤウニ思ヒマス、併シ事物ノ変化若クハ進歩ハ年一年ト変ツテ、機械工業ガ段々盛ニナリマスレバ、前ニ申ス有様ヲ勢ヒ変化セザルヲ得マセヌ、此変化ハ年一年ト進ンデ参ツテ、数年前ノ欧羅巴戦乱ニ及ブ頃迄ニ、業ニ既ニ大ナル、昔日トハ有様ヲ変ヘテ参ツタノデゴザイマス、故ニ或ハ欧羅巴伝来ノ事業ニ依ツテ経営スル大キナ会社ナドニハ、十分彼ノ宜シキヲ採ツテ、其仕組モ殆ド完全ニ備ツテ居ツタノモゴザイマス、併ナガラ又一方ニハ、昔ノ有様ヲ維持シテ居ツタノモ、ナキヲ保タヌト申シテ宜シイヤウニ思ヒマス、斯ノ如キ有様カラ、事業主ト之ニ従事スル労働者ノ間柄ニハ、何カノ方法ガナケレバナラヌト云フコトハ、政治上カラモ社会ノ上カラモ、亦経済上カラモ種々論ジ来ツテハ居リマシタガ、未ダ今玆ニ斯クアツタラ宜カラウト云フ、一定ノ政策ヲ見ルコトハ出来ヌト申シテ宜カラウト思フノデゴザイマス、我政府ハ早ク玆ニ見ル所アツテ、工場法モ備ヘラレテヰル、其他法律上ノ設備モゴザイマスケレドモ、併シ殊ニ此四五年ノ欧羅巴戦乱ハ、前ニ申上ゲマシタ事業上ニ厳シイ変化ヲ与ヘテ一方ニハ此実際ノ変化ト共ニ、物質以外ノ思想上ニ亦大ナル変化ヲ惹起シマシタノデゴザイマス、此思想上ノ変化ハ、既ニ国際聯盟ガ労働問題ニ干与サレルト云フガ如キハ、世界ノ風ガ我日本ニ強ク吹キ廻シテ来ルト云フコトハ、私ノ喋々ヲ要サヌデモ御諒知ノコトデゴザイマスガ、右等ノ有様ハ、業ニ既ニ旧態ヲ変化シツヽアル我事業界ニ、大ナル変化ヲ惹起サヾルヲ得ヌノハ、能ク考ヘテ見マスト、皆当然ト申シテモ敢テ過言デナカラウカト思フノデゴザイマス、果シテ然リ、近頃ノ種々ナル資本家・労働者ノ間ニ物議ヲ惹起シマスノハ、前ニ申上ゲマス理由ガ、即チ事実ニ於テ現ハレ来ルモノト申シテモ差支ナカラウト思フノデゴザイマス、前ニ申上ゲマシタ通リ、徳川公爵・清浦子爵・大岡衆議院議長、並ニ私、此四人ガ斯ル事柄ニ付テ十分ニ学理上カラ大ナル研究ヲシタカ、実際上カラ大ナル経験ガアルカ、斯ウ御尋ヲ蒙リマシタナラバ、否ナイトシカ申上ゲラレマセヌ、併ナガラ是ハ甚ダ大事ナコトデアルト云フ観念ダケハ、満堂ノ諸君皆思召シテゴザルガ、吾々モ諸君ニ譲ラヌ心配ヲスルト云フ点ダケハ持ツテ居ルノデ
 - 第31巻 p.469 -ページ画像 
ゴザイマス、前ニ申上ゲマスヤウナ進ミカラハ、或ハ恐ル、早ク牖戸ヲ綢繆シナカツタナラバ、天ノ陰雨ニ如何ニシテ之ヲ応ヘテ宜カラウカト云フコトヲ思フノハ、即チ友情ノ深イ常デアラウト思ウノデゴザイマス、或ハ労働組合ヲズンズン作ラシテ、彼ト是トヲ相並ビ走ルヤウニシタラ宜カラウ、又或場合ニハ政府ハ相当ナル法ニ依ツテ、検束スベキハ検束シ、折合フベキハ折合ハセルコトハ、何ゾ難キコトアラン、ト云フコトモ言ヒ得ラレマセウケレドモ、前ニ申ス俄ノ変遷ト云フモノハ、唯ソレダケノ一片ノ道理デ円満ニ物ガ進ンデ往クト云フコトモ、如何アラウカト私共懸念致スノデゴザイマス、或ハ資本者側カラ申シマスト、ドウモ今日労働者ハ自己ノ信念ガ乏シイ、所謂優遇スレバ益々望ミヲ強クスルト云フ嫌ガアル、果シテ、時ヲ大切ニシテ実ニ能率ニ力ヲ入レル、我職務ノ分界ヲ明カニ理解スル、ト云フコトガ出来ヌ、而シテ自分等ハ大ナル資本ヲ以テ此事業ヲ企テル、唯ソレノミニ力ヲ尽ス、労働者ノ待遇ニノミ力ヲ尽スコトハ出来ヌデハナイカ故ニ余リ満足ヲ論ズレバ、益々事業ヲ困難タラシムルト云フ、又彼是ト論理ヲ進メル、其進メル論理ハ寧ロ議論ヲ生ズルノ嫌ヲ惹起ス訳ニナル、寧ロ成ベク黙シテ呉レルノヲ好ムト云フヤウナ有様ガ、先ヅ近頃迄ハ押並べテ風習ト申シテ宜カツタヤウデゴザイマス、前ニ申ス欧羅巴的事業ニ依ツテ、矢張大ナル会社ノ経営ハ皆今私ノ申述ベタヤウナトハ申上ゲマセヌケレドモ、先ヅ一般ニ概言スレバ、資本者側ノ労働者ニ対スル概括的ノ評論ハ、今ノヤウナ有様ト申シテ宜カラウト思フ、之ニ反シテ労働者側ハ大ニ其見解ヲ異ニスル、殊ニ今申上ゲマシタ通リ、時代ノ変化、即チ諸物価ノ昂騰、生活ノ困難、且玆ニ現然現ハレテ来タノハ、其事業ニ対スル俄ノ利益、此俄ノ利益ハ一般ニ感謝致シマスガ、労働者ニハ殊更ニ著シク能ク見エル訳デアル、会社即チ資本主側デハ平生一割、一割二分ノ利益ハ適当ナモノトシテ居ルノガ数割ノ利益ヲ得ラレマスガ、労働者ニ対シテハ唯事務ニ処スル労役ニ就クダケデアルカラ、ソレダケノ報酬シカナイ、斯ノ如キハ適当ナ方法デナイト云フ観念ヲ起スノモ、無理ナラヌノデゴザイマス、況ンヤ此事ニ付テハ、知識階級ノ方面カラ、欧羅巴ノソレニ見習ヒ聞キ傚ヒマシテ、種々ナル論説ガ其間ニ生ジテ、彼等ノ心ヲシテ成程ト云フ思入ヲ起サシムルニ於テヲヤ、今日ノ懸念シマス点ガ、唯単ニ今ノ資本労働ノ両者ノ間ニノミアルトハ申シマセヌガ、現ニ屡々見マス所ハ、甚ダ是ハ憂フベキコトヽ存ジ上ゲルノデゴザイマス、私共ノ此会ノ組織ヲ惹起シマシタ原因ハ、既ニ其筋ニ於テ、即チ此処ニ内務大臣モ御出席下スツテ居ラツシヤイマスガ、御職務柄頻リニ深ク御注意ナスツテ、吾々モ懸念スル、此懸念ト懸念ガ相集ツテ、玆ニ打寄ツテ、何カノ方法ガナケレバナルマイト云フコトノ評議ノ数回ノ議ヲ経マシテ、玆ニ一会ヲ組織スルト云フコトニ立至リマシタ訳デ、前段ニ申上ゲマス通リ、私共ニ十分ナル所見、又完全ナル成竹ヲ以テ組立ツタ訳デハゴザイマセヌノデ、幸ニ段々吾々ノ意見ヲ進行シテ参ルニ付テ、独リ内務大臣ノミナラズ、大体ノ政府ノ御意嚮ヲ能ク伺ハナケレバナラヌト考ヘマシテ、御臨席ヲ頂イタ総理大臣ニモ出マスシ、農商務大臣ニモ伺ヒ、彼是致シテ、玆ニドウシテモ、此会ヲ設立スルガ必要ト考ヘ
 - 第31巻 p.470 -ページ画像 
マシテ、遂ニ此会ヲ起スト云フコトニ私共四人一決致シテ、即チ或ハ実業家側、或ハ政治家側、或ハ学者側、各方面ノ一応ノ御意見モ伺ヒマシテ、数度ノ協議ヲ経マシテ、勢ヒドウシテモ此会ヲ組織スルヲ必要ト自カラ考ヘマシタ為メニ、前段申上ゲマシタ通リ、殊ニ私ナドハ御覧ノ通リノ殆ド老衰致シタ身体デハゴザイマスケレドモ、例ヘ所謂夕ニ死ストモ、朝ニ道ヲ聞イテ務メト致サナケレバナラヌコトヽ考ヘマス所カラ、自カラ奮ツテ、所謂斃レテ已ムノ所存ヲ以テ此会ヲ組織シタイト企テタ所以デゴザイマス、此会ノ起ルニ付テ、或ハ一寸一般ノ誤解ヲ持ツテ居ル辺ガアリハセンカト思ヒマスカラ、御集リノ皆様方ニハ必ズナイト考ヘマスケレドモ、一言ノ弁駁ヲ致シテ置キタイト思ヒマスガ、甚シキハ、労働組合ヲ作ルガ宜カラウト云フ世間ノ声ガ高イ、政府ハソレヲ作ルヲ躊躇シテゴザル、躊躇シテゴザル所カラ、先ヅ斯ルモノヲ中間組織ニ作ラレテ、ソレデ様子ヲ見タラ宜カラウ、斯ウ云フヤウナル、平タク申スト、其或事柄ノ必要ヲ事曖昧ニ附スルガ如キ、浅イ考デ組立テタ如ク誹謗サレル点ガアルヤウデゴザイマス是ハ私共甚ダ遺憾ニ存ジマスノデ、不肖ナガラ吾々此会ヲ起シテ、社会ニ問フテヤツテ見タイト思フノハ、或ハ是ハ物笑ヒニナルカハ知リマセヌケレドモ、仮令自カラ量ラヌ行為ト雖モ、所謂至誠ヲ以テ斃レテ已ムノ所存デナケレバナラヌ、殊ニ此時代頗ル必要ナコトデアル、其必要ナコトニ向ツテ、苟モ一言発シテ、之ヲ是非ヤラネバナラヌト云フコトハ、前ニ申上ゲマスヤウナ事柄ニ於テ組立テ得ラレルモノデアリマセウカ、若シサウ云フコトヲ、或ハ文筆ニ従事スル諸君ナドデモ御聞込下スツタナラバ、是ハ全ク間違デアルト云フコトノ、十分ナル御理解ヲ願ヒタイト思フノデゴザイマス、要スルニ趣意書及綱領デ御覧ヲ願ヒマスレバ、前来陳情致シタコトノ取詰メタ要旨ハ御了解ヲ得ラレヤウト思ヒマスガ、其玆ニ至リマシタ吾々ノ精神、又此会組織ニ及ビマシタ経過ハ、彼是取リ混ゼマシタカラ申上ゲ方ガ錯雑シマシタケレドモ、上来陳情致シタニ過ギマセヌノデゴザイマス、仰ギ願クハ、幸ニ此趣意ニ依ツテ御賛同ヲ頂キマシタラ、皆様方カラドウゾ十分ナル御賛成ヲ得テ、本会ヲシテ成立セシムルコトニ只管懇願シテ已マヌノデゴザイマス、玆ニ会ヲ開クニ至リマシタル趣旨及沿革ヲ、唯今御挨拶申上ゲマシタ徳川公爵ノ御指図ニ依リマシテ私ヨリ四人ノ代表トシテ陳情致シタノデゴザイマス、駄弁ヲ費シテ尊聴ヲ煩シマシタ
  (拍手起ル)
○内閣総理大臣原敬君 ○演説略ス
○農商務大臣山本達雄君 ○演説略ス
○内務大臣床次竹二郎君 ○演説略ス
○男爵渋沢栄一君 皆様ニ申上ゲマスガ、是ヨリ此会ノ設立ノ順序ニ就キマシテ御評議ヲ乞ヒタイト思ヒマス、就キマシテハ一人ノ座長ヲ設ケマシテ、御意見ガアツタラ伺ヒモ致シマスシ、又御問ニ対シテ説明申上ゲネバナルマイト思ヒマスガ、座長ニハ甚ダ御案内申上ゲタ側カラ申スハ失礼デアリマスケレトモ、徳川公爵ヲ御願ヒ申シタラ如何カト考ヘマスガ……
  (拍手起ル)
 - 第31巻 p.471 -ページ画像 
○男爵渋沢栄一君 御異議ガゴザイマセヌケレバ、徳川公爵ヲ御願ヒ致シマス
  (拍手起ル)
 〔此時公爵徳川家達君座長席ニ著ク〕
○座長(公爵徳川家達君) 甚ダ恐縮デゴザイマスガ、暫ク座長席ヲ汚シマス
  (拍手起ル)
○男爵渋沢栄一君 趣意書ハ既ニ皆様ノ御手許ニ差出シテゴザイマスルガ、大体ニ於テ本会設立ニ就テ御同意ヲ乞フテ、本日ヲ以テ此協調会ヲ設立セシムルヤウニ為シ下サルコトヲ、希望致シマスルデゴザイマス
  (「賛成」ト呼ブ者アリ、拍手起ル)
○男爵渋沢栄一君 大体ノ御賛同ヲ得マスレバ、是ヨリ順序ト致シテハ、寄附行為ノ制定ガ必要ニナツテ参リマセウト思ヒマスルガ、又此財団法人ニ致シテ組織致シタラ宜カラウト云フ考カラ、即チ前ニ申上ゲタ通リ、寄附行為ヲ制定致サネハ相成リマセヌノデゴザイマス、又設立者モ定メ置カネバ相成リマセヌデゴザイマス、此寄附行為案ノ制定及設立者ノ選定ヲ、若シ御一同ニ御異議ゴザイマセヌケレバ、申上ゲマシタ四人ニ御一任ヲ蒙リマシタナラバ、吾々共カラシテ評議員ノ御指名ヲ申上ゲ、又設立ノ順序ヲ進メテ行キタイト考ヘルノデゴザイマス、而シテ本会ハ是非相当ナル寄附ヲ仰ギマシテ、其寄附金及ビ今斯ウ云フ御席デ申スハ如何ゴザイマスルガ、或ハ或御筋カラ特殊ノ御補助等ヲ蒙ツテ、大ニ此会ノ力ヲ増シタイト希望致シ居ルノデゴザイマス、其寄附ヲ受ケマセネバ即チ寄附行為ノ制定ガ出来マセヌカラ、設立ノ順序ヲ運ブニ付テハ、是等ノ運ビモ設立者ガ定マリマスレバ、ソレ等カラズンズント運ンデ参リマシテ、続イテ此前ニ申上ゲタ評議員ハ、幸ニ皆サンノ御同意ヲ得マスレバ、成ルベク多数ノ御方ニ御願ヒヲ申シテ、評議員ニ依ツテ会長若クハ副会長ノ御選定ヲ乞フヤウニ致シ、唯今又此理事等ノ人々ニ付テハ、チヤントシタ指定リハゴザイマセヌ、又今申上ゲタ四人ノ人ガ果シテ総テノ実務ヲ取扱フコトハ出来能ヘマスマイケレトモ、ソレゾレ意中ノ人モゴザイマスルノデ、適当ナ御人ヲ得マシテ、寄附行為ニ依ツテ其大体ノ職務ヲ定メ、又更ニ評議員ノ議決ニ依ツテハ、他ノ細カイ事務章程ヲ立テヽ実務ヲ行ツテ行クヤウニ致サネバナルマイト思ヒマス、要スルニ其行フ実務ハ、趣意書ニ附帯シタ綱領ヲ目的ト致シテ、ソレニ依ツテ追々ニ進ンテ行キタイ考デゴザイマス、第一ニ此設立者ヲ吾々ニ御任セヲ戴クコトト、評議員ノ選任ノコトヲ――指名ノ扱ヒヲ御任セヲ蒙ルヤウニ願ツタナラバ、事ノ運ビガ宜カラウカト思ヒマス
  (拍手起ル)
○渋沢栄一君 唯今大体ニ於テハ御賛同ヲ蒙リマシテ有難ウゴザイマスガ、寄附行為文案ヲ評議員ニ於テ制定スルカ、設立者ノ四名ニ於テ考案ヲ定メルカト云フノデゴザイマス、何レ評議員ニモ尚ホ御評議ヲ致シマセウケレトモ、先ツ今申上ゲマシタ財団法人ニシヤウト云フコトデゴザイマスデ、此財団法人ノ実務ヲ行フノハ、選ビマシタ評議員
 - 第31巻 p.472 -ページ画像 
ニ依ツテ、評議員ノ議決権ニ依ツテ事ヲ行フト云フコトガ、寄附行為ノ先ヅ根本デゴザイマス、併シ会ノ体裁トシテハ、会長・副会長ノ下ニ、実務ノ理事ヲ若干名、又幹事ヲ若干名、此理事中ニハ或ハ専任理事モ数名ヲ要スルト思ヒマス、又専任デナウテ、所謂名誉ノ位置ニ立ツテ時々ニ寄ツテ協議ヲシテ貰フ理事モ必要ダラウト思ヒマス、若干名ト云フノハ四五人ト云フヨリハモツト人数ヲ多ク致シタイト云フ希望デゴザイマス、此顔触ハ自カラ吾々共ニ斯クアツタラ宜カラウト云フ方針ガゴザイマスケレトモ、評議員ガ定マリマシタナラバ、評議員会ニ於テ決定シ得ラレルダラウト考ヘマス、又寄附行為デゴザイマスルデ、寄附ガ定マリマセヌト、設立ノ順序ガ付キマセヌケレトモ、総テ寄附ガ了ツテカラ設立スルト云フコトニ致シマスト、設立ノ時期ガ大変ニ遅レマスカラ、其主ナル部分ノ寄附ガ出来マシタナラバ、設立当時ノ寄附行為ニ対スル本会ノ資産ハ幾ラト云フコトニ致シテ、其後進ンデ参ル寄附ハ追々ニ増加致シテ、是ハ差支ゴザイマセヌノデゴザイマス、而シテ其当初ノ寄附ヲ受ケマスコトハ、成ベク設立者ヨリ御打合ヲ申上ゲテ、其向向ヨリ然ルベキ寄附ヲ請上ゲマシテ、而シテ此設立ノ順序ヲ運バセタイト思ヒマス、元来今度ノ会ハ決シテ事業家、若クハ政治家・学者ト云フヤウナ一方面デハゴザイマセヌデ、最初ニ申上ゲマスル通リ、各方面ヲ網羅致シテ、成ベク所謂国ノ各種類ノ方ガ総テ斯ウ相交ツテ、此会ヲ組織スルヤウニ致シタイト云フ考カラ、御案内申上ゲタノモ大分数ガ多クゴザイマス、殆ド七百人以上ノ御方ヘ御賛同ヲ乞ヒマシタガ、ハツキリトシテ御答ヲ今日迄ニ得マシタノガ四百余名デゴザイマス、今日御出席ニナツタノハ其半分位デゴザイマスケレトモ、斯ウ云フヤウナ少シ広イ範囲デゴザイマスカラ、評議員ノ御人数モ少クモ百五十名以上ニハ御願ヒシナケレバナラヌ、而シテ其御顔触ハ学者モアリ、政治家モアリ、文筆ヲ以テ何スル御方モアリ、実業家モアリ、斯ウ云ウヤウナ御方ヲ是非御願ヒシタイト云フ考デゴザイマス、是等モ予メ御聴置キヲ戴キタウゴザイマス、大体ニサウ云フ趣向デ宜シイト云フコトデゴザイマスレバ、総テ今申上ゲタ通リヲ以テ会ハ設立致シタモノト見マシテ、其設立順序ヲ御案内申上ゲタ四人ニ於テ進行ヲスルヤウニ仕リマスル、ソレデ御異議ハゴザイマセヌカ
  (拍手起ル)
○座長(公爵徳川家達君) 唯今渋沢男爵ノ述ベラレマシタ総テノ点ニ於テ、御同意ヲ得タモノト心得テ宜シウゴザイマスカ
  (拍手起ル)
○座長(公爵徳川家達君) 然ラバ総テ御同意ヲ得タモノト認メマス
○男爵渋沢栄一君 玆ニ一言申上ゲテ置キマスノハ、前ニモ一寸理由トシテ陳情致シマシタガ、徳川公爵ヲ始メ私ニ至ルマデ、余リ斯様ナル事柄ニ熟練致シタ身柄デハゴザイマセヌ、又此間ニ立ツテ十分ナ協調ガ出来ルカハ自ラモ疑ヒマスルケレトモ、真ニ誠心上ヤツテ見ヤウト思ツテ取掛ツタノデゴザイマスカラ、殊ニ私ナドハ最早甚ダ老衰ハ致シテ居リマスケレドモ、先ヅ余程若イ心ニナツテ実務ニ従事スルノ所存デゴザイマスカラ、年寄ダカラ何モ出来マイト云フ御軽侮ヲ下サ
 - 第31巻 p.473 -ページ画像 
ラズニ、余程若クナツタト思召シテ、十分御信任サルコトヲ希望致シマス
  (拍手起ル)
○座長(公爵徳川家達君) 是デ散会ヲ告ゲマス
  午後五時二十分散会


竜門雑誌 第三七六号・第五七―五八頁 大正八年九月 ○協調会成立と其経過(DK310073k-0005)
第31巻 p.473 ページ画像

竜門雑誌  第三七六号・第五七―五八頁 大正八年九月
○協調会成立と其経過 資本・労働の調和を目的とせる協調会にては愈諸般の準備完成せるを以て、八月十六日帝国ホテルに於て発起人会を催し、徳川公爵・清浦子爵・青淵先生及び大岡氏四氏の首唱者を始め、原首相、床次・山本・野田各大臣、貴衆両院各派代表者、主なる実業家・官吏・学者・宗教家等二百余名出席の上、劈頭徳川公爵は立つて首唱者を代表して一場の挨拶を述べ、次で青淵先生は本会設立の主旨並に経過に就き、大略左の如く演述せらるゝ所あり、曰く
   ○演説ハ前掲ニツキ略ス。
右終つて原首相は政府側を代表して民間の協力を希望する旨演述し、更に山本農相及び床次内相亦立つて、之が実行方面に亘りて説明的演述あり、夫れより青淵先生の発議にて、徳川公を座長に推薦して議事に入り、寄附行為の制定、財団法人設立者の選定を諮り、満場異議なく発起人四氏を以て之が設立者たらしむるに決し、評議員の指名も亦発起人に一任することとなり、斯くて本会の成立を告げたるを以て玆に発企人会を閉ぢ、直に食堂に入りて徳川公の挨拶、原首相の謝辞あり、夜八時散会せる由。
 尚ほ同会は二十一日午後丸の内銀行集会所に於て相談会を開き、発起人会の決定に基ける事項に就き協議し、其細目に関しては尚審議の必要を認めたるを以て、未了のまゝ散会し、二十三日午後内務省大臣室に於て更に協議する所あり、次で九月五日午後華族会館に於て同様協議を重ね、発起人四氏の外添田地方局長、桑田熊蔵・松岡均平両博士等諸氏出席の上、(一)評議員の選定、(二)寄附金の募集、(三)事務主任の銓衡等にして、評議員は実業家・官吏・学者・新聞記者・政党等の人々を網羅する由なりと。


協調会事業一斑 協調会編 第一―三頁 大正一二年六月刊(DK310073k-0006)
第31巻 p.473-474 ページ画像

協調会事業一斑 協調会編  第一―三頁 大正一二年六月刊
    一、沿革
(一) 設立の動機及由来
 欧洲大戦争の影響は我国の産業界に異常の進展を来たし、国民経済及国民生活の諸方面に種々なる変化を及ぼし、大戦に伴ふ世界的思潮動揺の影響と相俟て、社会各階級の間、動もすれば調和を欠き、国家の進運、社会の福祉は為めに累を蒙ることなきを保せざるの状況にあつた。殊に資本・労働の関係に就ては生産政策上より云ふも社会政策上より云ふも、最も重要且喫緊の問題なるを以て、朝野の識者大に之を憂ひ、適当の施設に依り、之が匡救善導を為さんことを庶幾しつゝあつたのである。他方政府に於ても此の点に付て十分の考慮を払ふの必要ありとし、大正七年十二月救済事業調査会(後に社会事業調査会)
 - 第31巻 p.474 -ページ画像 
に諮問する所あつたので、該調査会に於ては其の要綱の一として、資本・労働両者の協同調和を図る為め、適切な民間の機関の設立に関し政府に於て調査を遂ぐべきことの一項を掲げ、大正八年三月、之を答申した。爾来当局に於ても此の種機関の設立は緊切の事項なるを認め時の内務大臣床次竹二郎氏の熱心なる慫慂と、時の貴族院議長徳川公爵・枢密院副議長清浦子爵・衆議院議長大岡育造氏並に渋沢子爵の卒先奮起と相俟ち、政府も之が援助と便宜とを与ふるの労を吝まざることゝなり、斯くて機関設立実施方法の講究に、着々歩を進むるに至つた。而して之が準備着手として、大正八年八月二日財団法人協調会設立の趣意書及綱領を公にしたのである。
(二) 発起より設立までの経過
 (1) 発起人会
 労資協調を目的とする一大機関を設くるには、先づ以て汎く朝野の意見を叩くの要あるのみならず、相当の資金を得るにあらざれば事業の遂行を期する能はざるに依り、設立趣意書を発表すると共に朝野各方面の有力者に対して発起人たることの承認を求めたるに、幸にして四百余名の同意者を得た。玆に於て大正八年八月十六日を以て発起人会を帝国ホテルに開くことゝしたが、時恰も盛夏の候にも拘はらず、発起人諸氏は挙つて出席し、其の数二百名に達した。開会劈頭徳川公爵より開会の辞を述べ、次で渋沢子爵は本会設立の趣旨に就き力説する所あり、原首相・床次内相・山本農相等相次で賛成演説を試み、更に渋沢子爵は本会設立に関しては一切を徳川公爵・清浦子爵・大岡育造氏及び子爵に一任されんことを諮りたるに、満場異議なく之を可決し、玆に初めて本会設立の萌芽を露はすに至つたのである。
○下略


東京朝日新聞 第一一九〇八号 大正八年八月一七日 朝野の粋を網羅して協調会の幕開き 倒而已と真剣な渋沢男、富の分配を説く原首相 別室の協議会で基金一千万円募集を決定す(DK310073k-0007)
第31巻 p.474-475 ページ画像

東京朝日新聞  第一一九〇八号 大正八年八月一七日
  朝野の粋を網羅して協調会の幕開き
    倒而已と真剣な渋沢男、富の分配を説く原首相
      別室の協議会で基金一千万円募集を決定す
徳川家達公や渋沢男の首唱に成る協調会設立総会は、昨日午後三時から帝国ホテルで開いた、参会二百名、原首相、野田・床次・山本の諸大臣を筆頭に、六大市長・各府県知事、東京は勿論全国の資本家、桑田・気賀・矢作・松岡諸博士、桑門秀我・酒井日慎両師、山室軍平、両院議員と其顔振の種々を取り交ぜて、定刻に近くホテルの附近は是等の自動車で埋つてしまふ、その中に大阪砲兵工廠の村岡提理と坂本海軍中将の軍服姿が特に目につく、『朝に道を聴いて夕に死ぬとも構はぬと云ふ信念の下にこの会を設立しやうと思ふ、成否は問はず我等は倒れる迄努力を傾注する……』と渋沢男が真剣な弁舌を揮ふと、原首相は『如何にして国内の富の分配を公平ならしむるかと云ふ事は戦後の重要問題である、国民協力一致それが解決に向つて進まなければならぬ、官民の協同、資本家・労働者の融合が最も必要である……』との演説をやる、続いて内相・農相の演説があつて議事に移り、徳川公・清浦子・渋沢男・大岡下院議長の四人が設立者に選ばれる、軈て
 - 第31巻 p.475 -ページ画像 
食堂を開いて七時散会したが、引続き上記四名の人達は別室で協議会を開き、主務大臣の許可申請と同時に、愈々三井・三菱から百万円宛を土台に、一千万円の寄附金募集のことを決めた。


実業之日本 第二二巻第一八号・第一三―一四頁 大正八年九月一日 協同的精神の発揮(男爵渋沢栄一)(DK310073k-0008)
第31巻 p.475-476 ページ画像

実業之日本  第二二巻第一八号・第一三―一四頁 大正八年九月一日
    協同的精神の発揮 (男爵 渋沢栄一)
      ○改むべき資本家の態度
 今日の現状を観ると、私が『労資協同』なる貴問に対して御答するのは、恰も水の出花に小さな土俵を以て、防止せんとするが如きもので、其効が甚だ薄いと思ふ。
 去りながら元来私は世に媚びることが嫌であるから、敢て自分の信ずる所を言ふが、或は世間では、老人の愚痴と想ふ者があるかも知れぬ。然し中庸の言を為さんとするのが、私の意志である。畢竟私共が企てつゝある協調会と云ふものも此趣旨に外ならぬので、何れかと云へば私は数年来労働者に加担する意見を表白して居つた。蓋し従来我国に於ては、資本家を仰ぐこと主人の如く、労働者を観ること従者の如く、又資本家は師匠の如く、労働者は弟子の如くして居つたが、欧米の新たなる工業組織は侵々として輸入せられて、古来の内職的旧態を破壊するに至り、従つて資本家は労働者に対して従来の家来的待遇を改めざるべからざる時機が到来したのである。
      ○温情的憐愍は不可
 私は此趨勢を観て、数年前から資本家諸氏に対して苦言を呈して居つた。然るに資本家の一部では、斯くしては遂に労働者が多数の勢力を以て資本家を圧迫し、労働者自ら求むる所のみ多くして、資本家は之れが応接に暇あらぬやうになるであろう、と懸念の説を為す者もあつたが、私は之れに対して、資本家が今日に於て覚醒して、労働者に対する従来の態度を改めざれば、遂には労働者の反感を招き、其憤懣を買ひ、其極由々敷大事を惹起するに至るであろうから、此際資本家の方から労働者の地位を認めて遣らなければならぬ。従来の如く唯温情的に憐愍を垂れるが如き態度では可かぬ、と云ふことを切言して居つたのである。其後の時勢は追々と進歩したので、従来の主張の外に更に百般の社会政策をも加味する必要を生じたので、私の当春以来徳川公爵始め其他の有力なる方々と計画しつゝある協調会は、畢竟資本家と労働者との中間に介在して、不偏不党飽迄公平なる態度を以て、両者の間の調停を計らんとするのである。
      ○資本家虐めの行動不可
 先に協調会設立の議も愈々熟して、将に具体的に発表せんとする時機が迫つて来た矢先に、社会の耳目たる有力なる都下の新聞社の間に端しなくも同盟罷工が突発して、新聞を発刊すること能はざるに立ち至つたのは実に意外千万である。
 仮し資本家に要求すべき点があるとしても、労働者の方で資本家を困らせてやれと云ふ行動は善くない。元来新聞紙其れ自身は社会の公共物である。其れを発刊し能はざらしむるが如き行動を採ると云ふことは、決して穏当なる処置と称することが出来ない。新聞社の職工が
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過当の要求を為した為めに、止むなく工場を閉鎖の非常手段に出でたのであると云ふ。職工の方にも、恐らくは相当の理屈があるのであらう。双方とも其れ其れ理屈あるのであらう。
 然しながら斯る場合に、強制的に権利を主張することは決して妥当ではない。折角社会から人格を認められて来た折柄、社会の耳目たる新聞社に対して、労働者の方から斯る紛擾を惹起したのは洵に遺憾千万の事である。
      ○権利と共に義務に覚めよ
 凡そ人から尊敬を受くると云ふ事は、自ら求むべきものに非ずして人から与へらるべきものである。故に私は常にかう云つて学生等を戒めて居る。学校出身の者が自己の修めた学問を鼻に懸けて、其従事する会社の待遇に不平を言ふ者があれば、其れは偶々自己の無能を表白するも同様である。人格高潔にして手腕卓抜なる社員は、会社では何日かは抜擢せられて立身出世すべき運命に遭遇すべきが必然である。
 権利を主張する前には先づ自己の義務を完全に履行せねばならぬ。権利は自己の主張すべきものに非ずして、人から与へらるものでなければならぬ。今日同盟罷工を行ふ労働者中には、自己の権利のみを主張して、動もすれば自己の義務を怠る者あるが如き観あるは甚だ惜むべき事で、斯くては啻に世間から尊敬を払はれざるのみならず、却つて嫌悪の情を起さしむる虞がないとも言はれぬ。
 私共の計画して居る協調会は、畢竟から云ふと、紛擾を調停し、資本家と労働者とをして所謂和衷協同して、各々産業の発達に努力せしめんが為めである。此趣旨に於て私は、世の幾多の資本家対労働者間の紛議が、速に調停せられんことを望むものである。


竜門雑誌 第三七六号・第二六―二八頁 大正八年九月 ○老後の事業(青淵先生)(DK310073k-0009)
第31巻 p.476-477 ページ画像

竜門雑誌  第三七六号・第二六―二八頁 大正八年九月
    ○老後の事業 (青淵先生)
 本篇は八月廿八日やまと新聞に掲載せられたる青淵先生の談話なりとす。(編者識)
     一
 経済と道徳とは由来一致せぬものである、資本と労働とは兎角調和を欠きたがるものである。此の経済と道徳とを一致せしめる、資本と労働を調和せしめるには、其間に力を尽す者が無くてはならぬ。自分が大正五年に実業界を引退したのも、一ツは此処に思ひを致したからで、強ち老衰用を為さずと考へたからばかりでは無い、斯く云へば甚だ高言のやうであるが、未だ世の荒波に多く揉まれざる人、経験尠き人達に対して、己の時は斯くありし、斯くの如き時は斯く為せしと、注意なり経験なりを語るは、一日も先に世にある者の勤めであると常に思惟するのである。
     二
 自分が労働問題なる者を根強く感じ出したのは、大正四年桑港に巴奈馬開通博覧会が開かれた時からで、当時亜米利加の知友から此機会を利用して労働者大会を開くにより、日本からも労働者の代表を出して貰ひたいと云ふ通知に接した。併し労働問題の喧しくなかつた当時
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の事だから、人選は非常に困難であつたが、幸ひ友愛会の鈴木文治と云ふ人を捜し得て、同君に渡米して貰つたのである。爾来自分は労働問題の忽せにすべきで無い事を覚り、引退後間も無く銀行集会所に四十余名の実業家を招き、向後労働問題は必ず紛糾するであらうから、斯かる際自分は資本家と労働者の間に立つて調停の労を執りたいと思ふと述べた所、会衆中四五の人達を除く外は、総て反対を唱へるのみか、余計な事をして労働者を煽てゝ呉れては困る、大丈夫問題なぞ起りはしない、起りもせぬに君が此のやうなことを言ひ出しては平地に波を起すものだと抗議された位だ。
     三
 併し乍ら来るべき波は来た、労働問題・労資問題と云ふやうな波は年一年、日一日高くなつて来た、是に於て自分は初志の断じて翻すべきで無い事を愈々固く覚り、爾来人毎に説き人毎に語り、遂に今日に至つたのであるが、斯の如き意思から歴代の内相、即ち一木氏にも後藤男にも水野氏にも、又床次現内相にも、屡々労働問題の重要なる事を語つたのである、床次内相には昨年の十月、初めて労働問題の忽に出来ざる事、各業各労働組合を設くるの必要なる事、然りとて無暗に組合のみ多く作つて資本家を圧追するも不可なる事等を話したが、其の後内相も考究されたと見え、自分に対して労働者と資本家との中間性のものを作つたら何うであらうかと相談された、是れが抑も今日の協調会を産んだ起りで、決して自分が最初から此の会を作らうと思つて居た訳ではない、事の成行から会を産んだのである。
     四
 事の成行から産れたとは云ひ条、協調会に対する自分の決心は断じて、人後に落ちるものでは無い。素と是れ自分の初志と異なるとは云へ、克く考へて見れば、各業各組合を組織し、所謂猫も杓子も組合を拵へたなら、是れ亦統一及び組合自身多大の欠陥あるを免れまいから中間性のものを組織して、労働者・資本家相互の融和を計るは最も必要であると考へ、一度内相の依頼を受けて以来、何物を措いても此の研究に没頭して居た次第である。斯くて或は信愛協会或は相愛協会、或は共存会と、会名についても幾多博識の考慮を煩はしたが、結局協同調和の意味から、縮めて協調会と為し、遂に今日の結果を来したのである。
     五
 目下問題中の砲兵工廠の如きも、此の協調会が完全に成立して居れば、調停の労を取る事が出来るのであるが、今は理事其他の人選中で完全に成立を告げて居ないのは残念である。併し乍ら自分始め、献身的に会務に従ふ理事三名、中二名は既に人選を了し、目下残る一名を銓衡中であるから、間も無く成立を告げる事であらう。殊に会員としては、四百余名の賛成を得、尚ほ続々申込みを受けて居るやうな次第であるから、之れが完成は決して遠い事では無からうと思ふ。最後に繰返して言ふが、協調会に対する自分の覚悟は、素より確乎たる意見確信のある訳では無いが、天より与へられたる使命として余生を注ぎ至誠を以て之れが玉成を期する決心で在る。
 - 第31巻 p.478 -ページ画像 


竜門雑誌 第三八〇号・第二二―二六頁 大正九年一月 ○協調会の設置に就て(青淵先生)(DK310073k-0010)
第31巻 p.478-480 ページ画像

竜門雑誌  第三八〇号・第二二―二六頁 大正九年一月
    ○協調会の設置に就て (青淵先生)
 本篇は青淵先生の談話として「実業公論」八月号に掲載せるものなり。(編者識)
 労働問題は現代世界の各国を通じて正に白熱的に喧々囂々せらるゝ所であるが、欧米諸国に於ける諸問題が、既に多年の歴史を閲し、殊に労資の階級争闘を激成し、マークス以来独逸の労働界をして一層資本者側と相反目せしむるに至つた、然るに幸に我国に於ては斯かる歴史もなく、一般同盟罷工を意味する今回の如き運動を見るに至つたのは、有史以来初めての出来事である、素より世界の大勢上斯かる時代が何れの時にか捲土重来すべきことは、先年欧米諸国を視察して帰朝した以来、屡々予言して置いた所であるが、如何に日本が労働問題に就て、平穏無事であつたにしても、戦後に於ける経済上の変遷に連れて、物価の暴騰を惹起すは明かなことである。物価暴騰が直ちに無資産階級の生活難を感ぜしめ、無資産階級の生活難が、終に同一の苦痛を感じ、同一の意見を抱ける彼れ等階級を聯結せしめて、協力一致、以て同一方針の下に運動を開始するは、当然到来すべき運命であることは、識者を俟たずとも、判りきつたことである、故に該問題に関しては、既に数年前より筆に口に、或は実業家諸氏の集会席上等に於て敢て僭越を顧みず躬自ら此の問題の先覚者を以て任じ、中心憂慮とする所を発表して居たのである、然しながら謂ふは易く行ふは難しで、其事たるや容易ではないが「如何にして資本と労働を調節すべきか」と云ふことに就ては、余が造次顛沛の間も忘るゝことの出来ない積年の宿題である、為政の当局の如きも、爾来屡々余等に対して、余りに労働問題を云謂するは、反つて之を煽動する様になりはせぬかなど注意せられたこともあるが、経済界の変動は、此処に物価の問題を伴ひ物価の問題は直ちに生活問題を惹起して、終に労働運動となり同盟罷工となるは啻に理論に止まらずして、現代実際の象徴として明かに其萌芽を示せる以上、余も亦社会の一員であり、生命を保有する限りは社会同胞に対する公の義務として、飽迄緘黙することの出来ない所である、と云ふのが平生余の主義主張である。
△協調会の設置 果せる哉当今労働問題の勃発と共に同盟罷工の頻々として行はるゝを見るに至りては、政府側としても到底此儘に放置することの出来ない時運に到達したと云はねばならぬ、即ち最早熟考の時代ではなく、急遽之れが対応策を採らねばならぬ時代となつたのである、床次内務大臣は現内閣員中該問題に対する先覚者であるが、而かも政府としては未だ何等の対策を講じて居ない、其結果、徳川公を始め清浦子・大岡氏及自分等四人に対して、之が調節機関を創設す可きことを勧告せられた。於此乎同志糾合の結果幾回か集会を催し、寄附を募つて、資本金壱千万円の協調会なるものを組織した、勿論協調会は資本主側でもなく、労働者側でもない、即ち資本・労働の中間に立つて、偏せず党せず、之れが調和を計ることを目的として設けたものである。
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 協調会の名称は協同調和の意味から起因したもので、主として利益分配に関し、資本家側に対して充分なる反省を促すと共に、労働者側に対しても徒らに同盟罷業を起して資本側に対抗することの無い様に協調するのが目的である、然るに或新聞の如きは「政府の意見を具体化したる労資協調会は、渋沢男爵等に依りて発表せらる、而して政府筋の説明に由れば、協調とはコーポレーシヨンの意味で、資本家と労働者の協力を計る事であると云ふが、協力の目的を達するには双方が対等の力あるを要す、一方が強くて一方が弱ければ、狼と羊の協力の如く一方は他方に食はるべし」などゝ弥次つて居るが、余等などの考から云へば、労働は決して資本に対して弱いものでない、勿論従来の如く自覚せざる労働は資本に対して屈従的であつたにした所が、将来の労働は必ずや資本と相俟つて協力一致、産業界の発展に尽さねばならぬ、即ち、車の両輪の如く協同一致、相調和せねばならぬものである、即ち狼の貪慾を制し、羊の併呑せらるゝが如き憂患を防ぐは勿論本会の目的である。
 そして協調会は決して政府の事業ではない、寧ろ政府がやらないから、吾々がやるのである、職業紹介所の如き、理化学研究所の如き、或は結核予防所の如き、等しく国民の利害休戚に関する事であつて、皆な政府がやる可き仕事であると謂つて放任して仕舞ひ、何もかも政府にのみ倚らなければならん、民間で仕ては悪いと云ふことはないのである、外交の如きも専ら政府の仕事であるとのみ思ふ者が多いけれども、国民外交の如きは政府に何等の関係なく民間でやつて居る。労資協調の如き、政府にして相当の機関なき以上は、政府に俟つことなく民間に於て之を為すに於て、何等間然する所の無い筈である。
○中略
△協調会の事業 協調会の事業は略ぼ前に述べたる所により明かなるも、任意調停でも強制的調停でも容易に決しない場合に、寧ろ協調会に一任して之が解決を俟たんと欲するものゝ如きは、須く本会に依頼す可きである、今協調会の綱領を挙ぐれば
   ○綱領前掲ニツキ略ス。
 兎に角労働問題の解決が、社会百般の問題中でも一番難物であることは、素より自覚して居る所であるが、吾々は終生の事業として熱心此難関に当る考へである、而かし資本者側や、労働者側から果して其協調を依頼され得るや否やは未定の問題である。
 然るに国際聯合労働問題を如何に解決すべきか、之れに対する代表者の選定を如何にすべきか、既に協調会が成立した以上は、之れ等の事も万違算なからしむべく協調会へ一任するなどゝ注文する者もあるが、勿論政府にのみ打ち任すべき筈のものでもないから、内務省とも相談もし、又農商務省とも協議もする必要があると思ふ、然るに過日も添田局長に対して、代表者を如何にすべきか、内務大臣の意見を聞きたいと注文した所が、イヤ内務省では一向判らない、多分農商務省の方へは聯合労働会から通知があつたのでしよう、我政府当局としては、其対内的労働問題は内務省に於て之を管掌し、対外的労働問題は農商務省に於て管掌するかの如く未だ一定の楽屋はないのである、と
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云つた位の事で、代表者は三名で、中一名は婦人をとの事であるが、未だ其公式の通知を確め得ないのである。
 斯くて協調会は愈々組織せらるゝに至つたが、未だ、専務理事其他の人物を物色中である、理事長の如きは是非共適任者を得なければならないのであるが、意中の人が果して応じて呉れるか否やは疑問である。兎に角新らしい組立であるから、目下人才を揃へるにも苦心中である。


竜門雑誌 第三八〇号・第二七―二九頁 大正九年一月 ○労働紛議の仲裁(青淵先生)(DK310073k-0011)
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竜門雑誌  第三八〇号・第二七―二九頁 大正九年一月
    ○労働紛議の仲裁 (青淵先生)
 本篇は、青淵先生の談話として「日本魂」十月号に掲載せるものなり。(編者識)
     一
 私は老後の思ひ出として、凡そ三個の項目を樹てゝこれに微力をいたしたいと思ひます。而して此事たるや、今始まつたことではなく、従来私の屡次発表し来つたところでありまして、一には道徳・経済の合一、二には資本・労働の調和、三には済貧救恤の適宜と申すのであります。然るに今日では資本・労働の関係が余程複雑になつて、動もすれば紛擾を惹起せんとする傾きがあるのであります。是れ産業発展の上にも、また事業界の平和を維持する上より観ても重大な問題でありまして、及ばずながら私どもが発起となつて、両者協調の任に当らうと覚悟し、謂ゆる協調会なるものを設立したわけであります。而して私が老後の思ひ出とする前述の三項は、悉く協調会の趣旨に包含せらるべきものでありまして、若し此事が理想的に進んでまゐりましたならば、私個人としては勿論、協調会発起の一人としても、聊か使命を完うし得たと云へるであらうと思ふのであります。
 さて、労資の協調は、言ひ易くして、而も甚だ行ひ難いのであります。我が国に於ける資本・労働の間は、まだ欧米におけるそれの如く著しく反目嫉視を見るに至らないのでありますが、それとて、近時顕著なる産業の発展と、生活の窮迫と、而して思想の動揺とは、必然的此方面に影響して、紛擾罷業は各所に勃発しつゝあるのであります。これに依つて労務者側にありては各種の組合を組織し、謂ゆる団結の勢を藉つて目的を達せんとする傾向が、漸次に濃厚となつて来たのであります。去りながらこれを協調するについても、徒らに旧慣にのみ拘泥して決して能くし得べきでない、即ち審かに時代の推移、人心の帰嚮に察し、以て正邪曲直、是非善悪の如何を察し、最善の力を竭したいと思ふのであります。
     二
 協調会の趣旨は過般発表した通りでありますから、こゝに蛇足を添ふる要もないのでありますが、前申した通り、時代の推移、人心の帰趨に察し、雇主は労働者の人格を尊重し、労働者も亦自ら修練の功を積んで、経済的地歩の向上を期し、相ともに反省奮励して、国家産業の発展と、事業界の平和を保持するに勗めねばならぬと思ふのであります。こゝに於いてか我が協調会は、その名の示すが如く、事業家と
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労働者との間に立つて、常にその協調を促し、社会政策的施設の調査と、その実行を促進せんとするのであります。単に協調と申しても甚だ漠然たることでありますが、これに就いては、能く欧米諸国に於ける事情をも調査し、これを我が国に施すにおいては、特に我が国情因襲乃至良風美俗にも照して、参酌按排し、以て宜しきを失はないやうにしなければなりませぬ。かゝる見地よりして、協調会は、充分に利弊得失を研究調査して、専ら時勢に適応する施設の実現を図らうと思ふのであります。故に事業としては、全国公私の機関と聯絡を執り、一切の社会政策に関する調査研究を為し、或は労務者の修養開発に資すべく機関雑誌を発行するとか、通俗講演、或は図書館を開設するとかいふ方法に致したいと思ふのであります。その他労働保健法制定に関しても、調査を重ねて、政府に必要なる資料を提供せんとする等、専ら学理と実際とに触れて、新時代の機運に順応し、国家産業の根基を鞏固ならしむべく、尚ほ事業としては職業紹介所の設立があるのでありますが、これとて従来のものとは少しく趣を異にし、単なる職業の紹介を為すといふに止まらず、失業者は或期間之を収容すると共に彼等の性格気質をも知り、長所短所をも知り、以てその救済の方法を遺憾なからしめやうと思ふのであります。托児所の如きも、目下養老院でやつては居るものゝ、これとて今少しく組織的にやりたいのであります。
     三
 要するに協調会は、現時の資本・労働の関係を考察して、その自ら之を実行すべきは実行し、その政府若くは公共団体の施設を要するものは、これを政府若しくは公共団体に要望し、一面また事業主の企画に俟つべきものはこれを当業者に勧奨し、労働者の奮励を促すべきものはこれを促し、専ら中正不偏の態度に出で、健全なる社会政策の樹立を期し、雇主も労務者も、共にその所を得て、相共に協心戮力し、社会の福利を増進せんとするのであります。
 斯の如くして協調会が、時々に生ずる問題を処理し、労働紛議の仲裁和解に尽力し、時勢の推移に応じて必要なる施設を講ずるものとすれば、その事業の範囲も亦甚だ広いやうに思はれます。即ち労資の関係が徒らに旧慣にのみ拘泥することを許さないとすれば、そこに欧米諸国の事情を調査して、これを我国に施す上に参酌按排を誤らないやうにせなければならないし、紛議の仲裁を為すにしても、海外の事情なり、内地のそれなりに鑑みて、是非善悪の判断を正確にしなければならないし、何れにしても余程複雑な仕事であらうと思はれます。それには基本として少なくとも一千万円程度のものを要し、一ケ年三十万円位を支出するやうにしたいと思ふのでありますが、何しろ一般寄附に仰がなくてはなりませぬし、協調会は兎角これからの仕事であります。若しこれに依つて、資本・労働の紛議が解決せられ、済貧救恤の目的が達せられたならば、私の老後の思ひ出は、これにして足ると云はねばなりませぬ。


自由評論 第七巻第一〇号・第一〇―一二頁 大正八年一〇月 協調会と其の真使命 世界思想と日本労働者=日本的解決=協調会の使命 労働運動者の責任=労働者全部の自覚=国策の確立 男爵渋沢栄一(DK310073k-0012)
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自由評論  第七巻第一〇号・第一〇―一二頁 大正八年一〇月
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  協調会と其の真使命
    世界思想と日本労働者=日本的解決=協調会の使命
    労働運動者の責任=労働者全部の自覚=国策の確立
                    男爵 渋沢栄一
 社会問題・労働問題に対して、最初に念頭すべきは、『真面目』に国家社会を念ずる態度である。
  目下の日本の状態は労働問題
全盛の姿である。此の労働問題に就いて論議する人々に何程の真面目があるやといふ一事は、吾等の深く考へねばならぬことである。私は唯此私の真面目を以て私の信ずるところを実行しやうと思ふものである。私の立場や意見に対しては、世間兎角の評も有り、賛否交々の状態であるから、誰が何と言つても、また反対者側より譬へ如何なる迫害を蒙るとも、私の信ずるところに進む考へである。
 今の日本の状態は、実に単に時代思潮に媚びたり、単に時代思潮に逆行しやうとしてゐらるべき場合ではない。
 日本の国家社会を標準にして、其処に時代の思潮々流を按排調和せしめ、最も穏健にして中庸を得たるの道を辿るべき時である。
 私の労働問題に対して憂慮し出したのは、既に久しい以前のことであつて、一通りの歴史沿革を有つてゐる。
 そして労働問題に対して注意を払ふに従つて、労働問題は時代の進化と共に愈々姦しくなるべき者だと直覚するに至つたのである。
 もう七八年の昔になるが、ある雑誌社の社長が来られて、私の著書を出版したいからと話された時、種々の話の末、今後の日本は労働問題に悩むことがあるであらうと云つたことがある。其頃は未だ労働問題は、新聞雑誌の上に於ても、決して喧しく論議されてはゐなかつたが、爾後数年を経過した今日に於ては、私の予想の通り労働問題中心の世界となつて了つた。
 この労働問題は、日本の多くの人々にとつては
  あまり急激に到来した問題
であつたため、何等の用意準備もなく、ために、大分狼狽の気味がある。
 今のところ工場主・資本主側も、また政府当局も一般学者に於いても、確たる具体策は無い様である。これは無理からぬことであるが、この具体策の無いために、労働問題か稍々極端に過激に走る様な傾向はあるまいかとも思はれる。
 私は、この労働問題に対する、政府のお注意のためにとの老婆心から、一木内相時代から、後藤・水野、それから床次現内相と、順次具陳して来た様なわけであるが、一木・後藤両内相時代には、政府に於ても、それ程重要視してゐなかつたらしい。その後水野内相の時代にお話したときには、内相も少しく首を傾げ出し、現床次内相になつてからは、内相自ら乗り出して、此問題のため努力される様になつたわけである。その間には、短日月の間ながら、時代の推移といふものが今更に思はれるのである。只今のところでは、私も協調会のために働いてゐる様なわけであるが、一旦任じた以上は、飽く迄も協調主義の
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ために戦ふつもりである。
 協調会に対する世間の御意見は大いに参考にするつもりであるが、只渋沢のやり方は、生温すぎるとの批評に対しては、今遽かに同感し兼ねるものである。
 協調会は、元々資本と労働との協同調和を図るための中介機関てあつて、決して資本主の味方でもなく、また労働者の味方でもない。従つて資本主側より見たる時は
  協調会の態度は労働者に媚びる
かに見え、労働者側より見たるときは、何となく資本主を抑制するにあまりに微温的であるかにも思惟されやう。
 しかし、それは各自の立場から偏して観たる時の協調会の姿であつて、協調会その物の本体は公平無私、一視同仁である。由来、社会の規約は、決して労働者の利益のみを主張することを許さざると共に、また資本主側のみの利得を許すことも出来ない。両者両全、社会全般の福祉のために図つて、以て善なるを以て内容とし目的とせねばならぬ。
 従つて労働問題の解決は、資本主の利己心と労働者の利己心とを調和せしめて、其処に社会的道義観を加味せしめたる人道主義を以てすべきである。
 労働者の利己主義を主張し、資本主が資本主の資本主義を把持してゐる間、資本と労働とは、永久に衝突のみあつて、遂に調和を見るの時はないであらう。
 また労働問題を解決するために努力しつゝある労働者が、この労働運動を以て或は政治的野心の具に供し、或は単なる痛快なる感情を買はむがために、猥りに弱者の味方と称して、労働者のために偏倚し、また労働運動を以て自己の生活の資料を得るの方便とする等の、諸多の堕落せる心情を有せる間は、労働運動は、決して向上すものではない。労働運動は反つて堕落するばかりである。
 また労働運動のために奔走しつゝある人々が、有産階級に位する人であるから、彼は資本主の味方である、資本主のお提灯持ちであると邪推する様なことがあつては困る。
  現に私の如きは、実業界を隠退
して、其残年の御奉公を、労働問題のために尽さうと思てゐる者でさへ、世間からは、資本主のお提灯持だと言ふ者もある。その人を見て其地位を認むべきで、其地位・立場を以て其人を量つては不可ない。



〔参考〕和田豊治伝 同編纂所編 第四五六―四五九頁 大正一五年三月刊(DK310073k-0013)
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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。