デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.529-532(DK310085k) ページ画像

大正10年4月1日(1921年)

是日当会、労働雑誌「人と人」創刊号ヲ発刊ス。栄一、同号ニ労資両者ノ自覚ヲ促セル論説ヲ掲グ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK310085k-0001)
第31巻 p.529 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
二月二十三日 晴 寒
○上略 夜飧後協調会ニテ近日出板スル労働ノ日本ト題スル雑誌ニ意見ヲ述フル為メ、速記者来リテ原稿ヲ作成セシム ○下略


労働雑誌人と人 創刊号・第六―九頁 大正一〇年四月 醒めよ労資相携へて(渋沢栄一)(DK310085k-0002)
第31巻 p.529-532 ページ画像

労働雑誌人と人  創刊号・第六―九頁 大正一〇年四月
    醒めよ労資相携へて (渋沢栄一)
 我が協調会に於て今度「人と人」と云ふ小雑誌を発刊するに就て、私は玆に愚見を述べる機会を得たことを喜ぶのである。
 本会は創立より既に三年を経過し、財団法人となつてからも一年の歳月を費して居るが、未だ以て社会に対して十分な効果を見ることの出来ぬのは、私共其職に居る者の共に恥入る処である。然し此事業は随分其範囲も広く、且つ新らしい施設であつて、兎角世間から誤解されたり、又は其趣旨が徹底しなかつたりして、之に従事する者の困難も容易でないことを、社会からも諒恕して貰ひたいと思ふのである。
 曩に「社会政策時報」を発刊して、本会の趣旨及事業の一般を紹介
 - 第31巻 p.530 -ページ画像 
すると共に、特に資本・労働の関係に就て世間の了解を求めるやうに努めたるも、多くは専門家及知識階級に限らるゝ傾きが在つて、一般に徹底せざるより、其の欠陥を補ひ、広く世間全体の人々、特に労働者の理解を得たいと云ふことを趣旨として、本誌が産れ出でたのである。
 従来学者間には、資本家と労働者とを一種の相対立する階級として之を論ずるものが多い、甚だしきは闘争に依つて互に相接近し、共に其権利を主張し、相対抗して最後の解決を得るより外策はないと迄断案する者がある。併し是は私共協調会としては甚だ同意致し兼ねるのである。もしも真に利害の異なるものである場合には、そのやうな階級戦と云ふことも免れ難いであらうが、元来資本と労働の如きは両者相一致してこそ、始めて其処に利益が生ずるのであつて、一方のみ利益を貪つて、他方を圧迫するやうであつたならば、其極一方が困弊するのみならず、両者共に倒れて、結局何人も利益を保ち得ることが出来ぬのである。故に資本家と労働者とは、両者相拠り相助けて共に立ち、並び進んで行かねばならぬ。
 近頃商業戦とか、経済戦とか云ふ言葉が用ひられる様になり、殊に海外貿易に就いて兎角過激なる文字を用ひ当事者を興奮せしめたり、緊張せしむるやうであるが、元来戦争と経済とは全く性質が違ふので在つて、商工業を戦争に比喩する如きは大なる間違ひである。試みに戦争で言ふならば、勝つた人に利益があると同時に、負けた人にそれだけの損害があるので、両者の間に於て一方が得て、一方は失ふことは当然である。然るに商工業はさうではない、売る者にも利益があれば、買う者にも利益がある、製作した者にも利益があれば、消費した者にも利益がある、決して戦争の如く一方が利益を得れば他の一方が損害を受けると云ふやうなものではない。両者相共に利益して、始めて社会も事業も進歩し発展するのである。資本と労働との関係の如きも、全く其の通りであると私は確信する。万一之を誤つて、一方の都合のみを謀れば、必ず他の一方が不利益を来たすは、数の免がれざる処にして、其の結果は互に相和せずして、遂に紛争を生ずるやうになる。是は実に憂慮すべき事柄にして、識者の早く注意して予防の方法を講じなければならぬ点である。
 現在我が国の工業は欧米のそれに較べると、其の歴史も短く其の経験も浅く、従つて資本家側も、理論に於ても事実に於ても研究の積まぬ所があると同時に、労働者側も、まだ自覚が付いてゐないやうである。そこで一方からは昔の家庭的の旧習から使用人のやうに考へ、一方からは唯圧制軽侮を受けるとのみ思ひ誤つて、動もすれば前に述べたやうに資本・労働の階級戦が起らんとして居る。又悪意ではなからうけれども、論理にのみ拘泥して実際に暗き言論が、徒らに両者の軋轢を増すが如きことゝなり、遂に両者相争ふと云ふことになれば、独り其直接関係者の不利益のみならず、折角是迄進み来つた我邦の工業に大なる損害を来さぬとも限らぬのである。是を以て其中間に立つて或は資本側にも忠告すべく、又労働者に対しても十分なる理解を求めて、どこまでも協同調和を図つて、産業の発展を期するのが協調会の
 - 第31巻 p.531 -ページ画像 
趣旨である、故に此趣旨に基きて、微力ながら吾々が日夜刻苦経営して居る所以である。
 私は労働者がもしも資本家の仕向の宜くない場合に、同盟罷業を以て之れと争うと云ふことは已むを得ぬことゝ思ふから、絶対に同盟罷業を嫌いはせぬが、併し「サボタージユ」に就ては予て論じたのであるが、誠に謂はれないことで、卑怯未練な仕方であると思ふ、是は日本男子として決して行ふべきことではない。故に今後労働界の人々はどうぞ「サボタージユ」と云ふやうなことはせぬやうにして頂きたい是れ位賤しむべき、嫌ふべきものはない。日本国民の尊重する武士道と、全く氷炭相容れざる仕方である、真に男らしくない行動である。斯の如きことは大に謹んで、行ふべきは堂々と行なつて貰ひたい。
 東京・大阪は勿論、各地方ともに、設備の完全なる大工場は別として、一般の工業界を見渡すと、未だ昔の主従関係とか、師弟の間柄と云ふやうなことが行はれて居る。働く者は資本家の随意気儘に労務に就かされて、然も十分なる待遇をされぬと云ふやうに、資本家側の自覚が進んで居らぬ部分も中々多いやうである。一方又労務に従事する向に於ても、今日の通弊は唯自己の受くる賃金の多きを求めて、其工業の能率を顧み、職責を重んずると云ふ観念が甚だ乏しい。畢竟するに今日の有様は、一方に利益をのみ貪る者と、一方に権利をのみ主張する者と在つて、義務を果して本分を尽すと云ふ人が少ないのであるから、結局一般の事業をして両者相俟つて共に進歩させることが出来ないと言はなければならぬ。
 此の問題の解決には、学者の説も色々あるが、私の考ふる処によれば、相愛忠恕の道を以て容易に之れを解決することが出来ると思ふ、忠は真直ぐにして、恕は思ひ遣りである、相愛は、説明するまでもない。此相愛忠恕が両者間に完全に行はるれば、決して齟齬を惹起するやうなことはないと思ふ。資本・労働の問題に就て古風の学説を唱道するのは可笑しいやうであるけれども、私はどうしても孔子教の基礎とする忠恕と云ふことが、両者の接触には実に必要であつて、此忠恕を完全に行へば、階級戦抔に陥らず、必ず相調和して行くに相違ないと思ふ。而して此忠恕は決して富豪が忠恕でなくてはならぬ、資本者が忠恕でなければならぬと云ふのではない、労働者も矢張忠恕の心がなければならぬ、貧民も忠恕の心がなければならぬ。相共に思ひ遣り相共に人の為に忠実なる観念を持たなければならぬのである。若し忠恕を以て之を解決するならば、縦令其間に意見の相違が生ずることあるも、道理正しい、穏和な論争に止まつて、相反目するとか、相攻撃すると云ふことに至らずに済むに相違ない。而してそれが完全に維持して行けば、資本も労働も、富者も貧者も相和して、共同の幸福を享くるに相違ないのである。
 今日世界の大勢から観察すると、欧羅巴は大戦後各国が各事業の進歩を図る為に、労務に対する方法に就て、各国共に種々に腐心して居る。而して其運動が国際労働会議の如きものに現はれたのも当然である。斯くて我邦も等しく其影響を受けて今日の状勢となつた。故に若し我邦に於て此両者が不調和になり、資本家は労働者に対して親切を
 - 第31巻 p.532 -ページ画像 
欠き、労働者も亦資本家を嫉視して、互に相反目して忠恕を欠くに至つたならば、結局我邦の事業は、第一に能率が悪くなるのは必然である、能率が悪くなれば生産費が高くなる、生産費が高くなれば貿易上に支障を生じて輸出が衰頽する、もしも斯様に成り行くとすれば、実に国家の大事にして、国民挙て注意せねばならぬ事である。協調会は事の細大となく、常に両者の間に立入つて、双方に十分なる覚醒を求め、忠恕の道の行はるゝ様に努めて居るが、尚引続いて飽迄も此趣旨を貫徹せしむることに尽力するのである。


協調会事業一斑 協調会編 第六九―七二頁 大正一二年六月刊(DK310085k-0003)
第31巻 p.532 ページ画像

協調会事業一斑 協調会編  第六九―七二頁 大正一二年六月刊
    七、施設経営
(一)雑誌及資料の刊行
○中略
 (ロ)労働雑誌「人と人」
 社会問題・労働問題の真の解決は、どうしても労資相互の理解と向上発展とに俟たねばならぬことは言ふ迄もない、そこで工場なり鉱山なり農場から帰つて来て、自宅なり宿舎なりに在つて、心安く読み得る様な、平易な、然も有益な、興味ある適当の読み物を労働者に提供して、其精神を修養し、知識を啓発し、併せて高尚なる趣味を涵養し親しき座右の友たらしめんとする趣旨から、大正十年四月より月刊として労働雑誌を発行することゝし、題号につきては社会の共同共存を本義として、真に人と人との一致協力によつて進歩発達向上すべきものたるに鑑み、覚醒せる人と人の協力を希望する点より「人と人」と命名した。本誌の内容につきては、新聞雑誌類を読み得る程度の多数の労働者を目標とし、表紙は主として労働讚美の名画を採り、口絵には各種労働事情の実施を紹介し、労働問題・社会問題に関する論説数篇の外、発明苦心談・労働美談・模範職工紹介等の記事を掲げて労働者の発奮を促し、其の他家事・衛生・経済、及び伝記・講談・小説・和歌・俳句・新詩・川柳・都々逸・散文等の労働文芸、工業に関する新知識、機械問答・衛生問答・法律問答・人事相談・漫画、等の欄を設け、頁数を百頁以上とし、定価は出来るだけ低廉を旨とした。
 かくて創刊以来各地工場・鉱山、其他労働者及び一般の歓迎する所となり、漸次固定的読者を得て、現在毎月一万五千部前後を発行するに至つた。本誌分布の範囲は全国各府県に亘り、朝鮮・満洲・ハワイ等にも其の読者を加へ、就中多数の読者を有するは、六大都市を首めとして、北九州に於ける鉱山所在地、及び長野・群馬等の如き機業地方、並に阪神・中国其他北海道等に於ける大工場所在地であつて、尚農村方面にも逐次普及せらるゝ模様である。
○下略
  ○「人と人」ハ昭和三年一月限リ廃刊サル。(事業ノ経過並ニ新計画概要=昭和三年三月調ニヨル)