デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.539-545(DK310091k) ページ画像

大正12年9月21日(1923年)

関東大震災ニ際シ内務大臣後藤新平ノ請ニヨリ、栄一、協調会ヲ代表シテ応急救護ニ尽力シ、是日協調会館ニ開カレタル当会主催ノ震災善後策協議会ニ出席シテ一場ノ演説ヲナス。


■資料

協調会書類 【大正十二年九月四日 内務大臣 後藤新平】(DK310091k-0001)
第31巻 p.539-540 ページ画像

協調会書類                (渋沢子爵家所蔵)
  大正十二年九月四日
                 内務大臣 後藤新平
    協調会副会長 渋沢栄一殿
謹啓、今回ノ震災ニ関シ御協議致シ度候条、本日午後一時内務大臣官舎ヘ御枉駕相煩度、此段得貴意候也

 - 第31巻 p.540 -ページ画像 
  大正十二年九月四日
    覚書
今回ノ震災ニ関シ内務大臣ヨリ協調事項アル旨ノ別紙書面ニ依リ、本日午後一時内務大臣ト御会見、要領如次
 場所 内務大臣官邸
 時間 午後一時
 子爵御出席ノ理由 官民合同ニテ救済事項ヲ相談スルノ必要上、民間代表者トシテ協調会々長《(副脱)》タル子爵ト、同会理事添田敬一郎トヲ招カレタル由ナリ
 新大臣後藤子爵ハ救恤ニ付テノ内務省発表ノ書類ヲ示サレタリ、其ノ内容ノ一二ヲ挙ゲレバ如次
  一、救済方法ノ事
  二、東京警備ノ事
  三、保険金ノ事
  四、支払金猶予ノ事


白石喜太郎手記 大正一二年(DK310091k-0002)
第31巻 p.540-541 ページ画像

白石喜太郎手記  大正一二年     (財団法人白石喜義氏所蔵)
九月四日
子爵ハ後藤内相ヨリノ書翰ニヨリ、同大臣ヲ官邸ニ訪問ス、渡辺得男随行、災害ニ対スル応急策ニ関スル件、協調会ノ活動希望ノ件(金ヲ出スニアラズ、人ヲ働カセル方)
○中略
協調会ヲ訪問シ内相ヨリ相談ノ件ニ関シ添田・田沢両氏ト懇談セラル
九月五日
午後子爵東京ニ出動、白石随行、先ツ協調会ニ於テ添田・田沢両氏等ト昨日来ノ義ニ付協議ス、具体案ナラズ、次ニ東京商業会議所ニ至リ山科・服部両氏ニ会見 ○下略
九月六日
子爵ハ午前九時半頃ヨリ出動、渡辺得男随行、首相・内相訪問、協調会 ○中略 ヲ順廻シ ○下略
九月七日
午前九時飛鳥山邸発、子爵出動、白石随行
先ツ内務大臣ヲ訪問セラレタレトモ在ラス、塚本次官・池田社会局長官ト面会、救護ニ関スル協調会ノ活動ヲ詳述シ ○中略 協調会ニ至リ、添田・田沢両氏ト種々協議ヲナシタル後帰途ニ就カル
九月八日
○上略 首相官邸ニ到リ、後藤内相ニ面会シ、協調会ノ活動ノ模様ヲ報告シ ○下略
九月九日
協調会ニ到リ ○栄一自身添田・田沢諸氏等ト種々打合ヲナシ、午餐ヲ摂ル ○中略 内務大臣ヲ訪問シ ○中略 協調会ニ於テ江東地方ニ於テ病院設置ノコトヽナリ、費用嵩ムニ付テハ自然御含ヲ得度旨申出ラル ○下略
九月十二日
○上略 午後一時頃協調会ニ赴キ ○栄一、白石同行会ノ事業ノ其後ノ模様等ニ付打
 - 第31巻 p.541 -ページ画像 
合ハセヲナシ、国際聯盟協会事務所倒壊ノ為メ、協調会ノ貸金ヲ都合スル様添田氏ニ交渉シ ○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK310091k-0003)
第31巻 p.541 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
九月十九日(水) 午後二時  協調会事務所ヘ御出向
九月廿一日(金) 午後二時  協調会催震災善後策協議会(同会)
十月一日(月)  午後三時半 協調会理事会(同会)
十月五日(金)  午前十時  後藤内相ヲ御訪問(総理大臣官邸)
十月十四日(日) 午後四時  罹災社会事業団体復興策協議会(麹町元衛町社会局)


協調会書類 【今般未曾有ノ災害ニ遭遇シ、…】(DK310091k-0004)
第31巻 p.541 ページ画像

協調会書類                (渋沢子爵家所蔵)
今般未曾有ノ災害ニ遭遇シ、御同様ニ当面ノ応急救護ニ多忙ヲ極メツツアル次第デアリマスガ、将来ニ渉ル善後ノ対策ハ、一ニ熱心ナル斯業関係者ノ協同企画ニ待ツノ外ナシト信ジマス、幸ニ本会事務所ハ類焼ヲ免レテ居リマスノデ、僭越ナガラ各位ノ御参会ヲ乞ヒ、震災後ニ善処スベキ社会事業ニツキ腹蔵ナキ御協議ヲ煩ハシ、適切ナル施設経営ノ方案ヲ得タイト存ジマス、就テハ万障御繰合ノ上、九月二十一日午後二時芝公園六号地協調会ニ御来会ヲ願ヒマス
 追テ御参会ノ際ハ、左記事項ニ就キ御意見拝承致シ度シ、御含ミ置ヲ願ヒマス
 一、震災善後ノ為貴所ニ於テ新ニ計画サレツヽアル事業
 一、震災後ニ於テ必要ニシテ適切ナル社会事業ニ関スル御意見
  大正十二年九月十七日
            財団法人協調会会長 公爵 徳川家達
    九月廿一日協調会《(以下三行、栄一鉛筆)》
    此日本協会ノ会議室ニ於テ、来会者一同
    ニ対シテ一場ノ演説ヲ為シタリ
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。


協調会書類 【震災後直チニ実行シタルモノ】(DK310091k-0005)
第31巻 p.541-542 ページ画像

協調会書類                (渋沢子爵家所蔵)
    震災後直チニ実行シタルモノ
 一、罹災者収容ノ件
 一、炊出場設置ノ件
 一、災害情報案内所設置ノ件
 一、掲示板設置ノ件
 一、罹災工場ノ情況調査ノ件
 一、震災後ニ於ケル労働争議調査ノ件
    現ニ進行中ノモノ
 一、臨時病院設置ノ件
 一、社会事業団体打合会開催ノ件
 一、収容所設置ノ件
 一、伝染病舎建設ノ件
    講究中ニ属スルモノ
 - 第31巻 p.542 -ページ画像 
 一、労働人夫統一ニ関スル件
 一、托児所設置ニ関スル件
 一、労働者職業輔導ニ関スル件
 一、労働者宿泊所建設ニ関スル件


協調会書類 【震災ニ対スル施設並事業概要(十一月廿日現在調)】(DK310091k-0006)
第31巻 p.542-543 ページ画像

協調会書類                (渋沢子爵家所蔵)
    震災ニ対スル施設並事業概要(十一月廿日現在調)
一、罹災者収容
 震災後直チニ本会会館ヲ開放シテ芝公園附近ノ避難者ヲ収容ス、一時ハ約千名ニ達セシカ、日ヲ経ルニ従ヒ漸次減少シタルヲ以テ、芝離宮収容所ニ交渉シテ九月廿七日全部移転セシメタリ
一、炊出場設置
 芝公園増上寺ノ内外及下谷・金杉ノ三箇所ニ炊出場ヲ設置シ、一日一箇所五俵乃至三十俵ノ炊出ヲ実行セシカ、金杉ハ九月十三日限リ廃止シ、芝公園ノ分ハ九月廿二日限リ廃止セリ
一、災害情報案内所設置
 臨時震災救護事務局其他各所ヨリ確実ナル情報ヲ蒐集シ、罹災者ノ相談ニ応スル為メ、品川停車場前・芝赤羽橋際・飯田橋際・上野公園山下ノ四箇所ニ職員数名ヲ配置シ、案内所ヲ設置セリ、而シテ品川停車場前外二箇所ハ九月十五日限リ、上野公園山下ノ分ハ同十九日限リ廃止セリ
一、掲示板設置
 市内枢要ノ場所五十箇所ニ掲示板ヲ設置シ、震災公報其ノ他ノ情報ヲ掲示スル外一般ノ利用ニ供セリ
一、収容所設置
 深川猿江町善隣館焼跡ニ約三百坪ノ罹災者収容所ヲ設ケ、十月五日ヨリ開所セリ、目下三十五家族百五十名ヲ収容ス
一、臨時病院設置
 芝公園増上寺前ニ三百人ヲ収容シ得ヘキ無料病院ヲ設置シ、十月一日ヨリ開院ス、内科・外科・産科ノ三科トシ、目下入院患者二百二十余名、外来日々二百名内外ナリ
 横浜市神奈川平尾前ニ二百人ヲ収容シ得ヘキ同様ノ病院ヲ設置シ、十月廿日ヨリ開院セリ、前者ニ比シ開院後日浅キ為メ、入院患者八十余名ニ過キサルモ、将来増加スヘキ見込ニシテ、是亦外来患者二百名内外アリ
 洲崎埋立地ニ三百人ヲ収容シ得ヘキ伝染病舎ヲ建築シ、十月十一日工事完成ト共ニ其経営ヲ日本赤十字社ニ移シタリ
一、罹災者慰安会開催及会館無料提供
 十月八日ヨリ六日間、避難者慰安ノ為メ本会会館ニ於テ活動写真、其他曲芸・滑稽物等ヲ主トセル演芸会ヲ催シ観覧セシム、六日間ノ入場者大人三千六百五十余、児童千四百十余名ナリ、又十一月廿一日以後横須賀及横浜ニ於テ各数日間慰安会ヲ開催スルコトヽシ、其他十月中九回ニ渉リ、本会以外ノ団体ノ主催ノ下ニ開催セル慰安会会場トシテ、本会会館ヲ無料ニテ提供セリ
 - 第31巻 p.543 -ページ画像 
一、帝都復興講演会開催
 十一月十五日以降十二月二十日迄、毎木曜日ヲ期シ、市民ノ意気ヲ振作スルト共ニ、復興ニ関スル資料提供ノ目的ヲ以テ、各方面ノ諸大家ヲ聘シ、本会会館ニ於テ講演会ヲ開催シツヽアリ
一、罹災工場及震災後ニ於ケル争議調査
 震災以後罹災工場ノ被害、能力、職工ノ異動状況其他争議ニ関シ調査ヲ進メ、調査ノ結果ハ取纏メ必要ノ向ニ対シ参考ニ資シツヽアリ
一、社会事業団体打合会開催及資金下付申請
 九月廿一日本会主催ノ下ニ第一回協議会開会、後数回会合ヲ重ネ、震災後施設ヲ必要トスル社会事業ニ付計画案ヲ具シ、之ニ要スル資金下付方、東京府社会事業協会長・社会事業協会長・協調会会長、各団体ヲ代表シ、十月四日内閣総理大臣及内務大臣ニ申請セリ
一、臨時国立職業紹介所設置建議
 震災ニ依ル失業者ニ職業ヲ授クル為メ、罹災地ハ勿論、各産業府県ニ国立職業紹介所ヲ設立セラレンコトヲ、本会理事会ノ決議ヲ経、九月十七日臨時震災救護事務局総裁及内務大臣ニ意見書ヲ提出セリ
一、労働統制及失業手当支給ニ関スル建議
 震災ニ際シ非常ノ対策トシテ、労働ノ直接統制ト失業手当ノ給与ヲ政府ニ於テ断行セラレンコトヲ、本会理事会ノ決議ヲ経テ、十月四日内閣総理大臣及内務大臣ニ建議セリ


竜門雑誌 第四二四号・第四二―四四頁 大正一三年一月 ○大震災の追憶と所感の一、二(青淵先生)(DK310091k-0007)
第31巻 p.543-545 ページ画像

竜門雑誌  第四二四号・第四二―四四頁 大正一三年一月
    ○大震災の追憶と所感の一、二 (青淵先生)
○上略 続いて四日 ○九月の朝早く内務大臣になられたと云うて、後藤さんから至急に相談したい事があるから出て来いと、騎兵を使に寄越された、当時は此処 ○飛鳥山邸でも家屋破壊の為め、庭に小屋を建てゝ寝て居る時でしたが、何か重要の事だらうと思つて其日の午後一時に三宅坂の内務大臣の官舎まで行きました。其処で初て昨日新内閣が組織された事を聴きましたが、又臨時震災救護会事務局が成立して、其総裁は山本さん、副総裁は後藤さん、それぞれ役割が出来て、今や其人達が打揃つて、色々仕事に取掛られて居る事も聴きました。早速後藤さんが、ヤア大変だ、余儀なく後を引受けた、昨日極つたんだが、実は今朝総理の所に閣議があつて色々相談して来た、それに付て貴方と相談して見たいと思つたから急に言うて上げた、早速来て下すつて宜かつた、どうか協調会に働いて貰ひたいと思ふが、どうだらうか、多分協調会の添田氏にも来て貰つて居る、果して協調会が斯う云ふ臨時の震災に応ずる場所であるかどうかは第二の問題として、極く人手も揃つて居るし、聞く所に依ると幸に焼けなかつたと云ふ洵に好い塩梅だ。先づ臨時救済の事に付て、此事務局の援護者として相当の仕事をして貰ひたい、或はバラツクを造ると云ふか、病院を設けると云ふか、何れも必要の事である、予め之をして呉れとは言はぬが、先づ第一に徳川さんとも相談したが、細かい事はお前が知つて居ると思ふから、態態呼んだのだ。驚入つたことです、それに対して斯う云ふ事を前の内閣に申上げましたと、後藤さんに前述べた米と、戒厳令の話をした処
 - 第31巻 p.544 -ページ画像 
が、果して君の建言であつたかどうか、そこまで詳しく知らぬけれども、それ等の事に付ては相当の注意を致してある、米は大抵六十万石許り此方へ這入つて来る事になつて居る、遅くも一週間の中には来る既に昨日も大阪の方から飛行機で来た。是は確かであるから、食糧に付ての心配は先づない、其他にも実は今評議して来たが、こんな風にして来たと云うて、紙に書いた要件の廉々を示された、其中には此経済界の事をどうして宜いか、銀行に破綻でも起ると困る、火災保険の事が困難の問題と思ふ、どう云ふやうにして宜いか。どうぞ此場合経済界の大混乱を引起さぬやうにせねばならぬ、だから差向いては罹災者の援助、第二には経済界の安定、先づそれを主としてやらねばなるまいと思ふ。それ等の事は協調会ばかりでもいくまい、是は委員でも拵へて攻究させるが宜いだらうと思ふ、銀行者にも色々説があるさうだ――後藤さんの右のお話は最も所謂肯綮に当つた事であつて、逸早くさう云ふ所へ気が著いて、種々の施設をされたことは、確に機敏の事と敬服して居ります。協調会の資格がどうであるかの詮議を先づせねばならぬやうに思ひましたけれども、そんな事を言つて協議して居ると、又説が出る、又寄らなければならぬ、終には薬の相談が調うたら病人が死んでしまつたと申すやうな事が出来ぬとも限りませぬからさう云ふ長たらしい事ではいくまい、所謂拙速を貴ぶ、責任は私が持ちます、間違つたら叱られる覚悟でやりませう。丁度添田君も見えましたので、それでは是から君と行つて、どんな事をして宜いか評議を極めませう。どの位まで出来るか知らぬが、何でも宜しい協調会に相応しいか相応しくないか知らぬが、出来るだけは尽すと云ふ覚悟を以てやりませうと言うて別れました。それから協調会は何をやつたら宜からうと云ふことを頻に相談して、第一に救護局に相談して見た所が焚出の途がなくて困る、焚出の手配をして呉れと云ふから、陸軍から釜を借りて来て、何でも一週間余り焚出をやりました。それから新聞が些とも出ないものですから、情報が通じない、所謂下情上達せず、上意下に通ぜずと云ふやうな風で、是は困るから幾らか其間に立つて心配をしようと云ふので、五箇所に情報案内所と云ふものを作つて、是も暫くの間やりました。後に、新聞が出来るやうになつて止めました。それからバラツクを造つて人を収容することを協調会自身にやつたら宜からう、成べく労働者部類に属する者の救済を講じたいと云ふやうな希望もありましたが、バラツクの建築には時が掛かる、且つ大分東京市でもやり、救護事務局でもやると云ふ事になつて居るから、今差向いてやらぬでも宜からう、寧ろ病院が必要だと云ふので、今の協調会の向ふに病院を設けました、それから横浜に一つ、深川に一つ、三箇所許りを造ることになりました。尚ほ其他に失業者の処置、労働者宿泊所の処置と云ふやうな事に付て研究して居ります、それは研究に過ぎませぬが、前に申す焚出・情報、是は済みましたけれども、今現に、専ら力を尽してやつて居るのは三つの病院、一つは負傷者の病院、二つは通常病院、其一つは直ぐ協調会の側に出来て居るが全部入れると三百人位まで這入りませう、私も徳川さんと御一緒に行つて実地を視察しましたけれども、バラツク式ではあるが幾らか他の場所よ
 - 第31巻 p.545 -ページ画像 
りは設備も届いて居ります。是は協調会の仕事でありますが、特に内務大臣のお勧めを承つて、十分に力を入れませうと言うた結果がさう云う事になつたのであります。 ○下略