デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.545-559(DK310092k) ページ画像

大正13年10月11日(1924年)

是ヨリ先九月下旬、当会内務省ノ事務監査ヲ受ク、蓋シ世評ニ依ル所ナリ。其ノ復命要綱写ヲ交付サレタルニ付、是日当会常務理事添田敬一郎之ヲ栄一ニ送達ス。


■資料

協調会書類 【拝啓、去月廿三日ヨリ数日間内務省ヨリ本会事務監査ノ為メ…】(DK310092k-0001)
第31巻 p.545-549 ページ画像

協調会書類                (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、去月廿三日ヨリ数日間内務省ヨリ本会事務監査ノ為メ出張相成候処、執務参考上復命要領写交付ヲ受ケ候ニ付、御参考迄御送付申上候 拝具
 追テ本書ハ他ニ漏洩ヲ憚ル旨、社会局ノ申出モ有之候ニ付、御含ミ被下度候
  大正十三年十月十一日
                協調会
                 常務理事 添田敬一郎
    子爵 渋沢栄一殿
(朱印)
 安井事務官復命要綱写
第一、協調会ハ一般事務及会計ニ付テハ、世間ニ於テ批難スルガ如キ紊乱セル事実ヲ発見セズ、概観シテ整頓セルモノト認ム、加之創立以来今日ニ至ル迄、ソノ業績ハ比較的ニ挙ガレルモノト云フコトヲ得ベシ、世間ニ於テハ一・二ノ点ヲ捕ヘテ批難攻撃スルモノアルモ、之ガ為メニソノ成績ヲ没却スルヲ得ズ、要スルニ世間ニ於テ協調会ヲ其ノ実際ノ価値以下ニ見居ルコトハ、本会ノ為メ遺憾ニ堪ヘサル所ナリ
第二、次ニ本会ノ細目ニ付テ、稍々主観的ニ亘ル所感ヲ一言スルコト左ノ如シ
  但シ其ノ中(1)及(2)ニ付テハ、確乎タル根拠ニ基クモノニアラズ、云ハヾ憶測ニ過ギサルヲ以テ、全ク見当違ヒノ観察ナルヤモ図リ難シ
 (1)協調会ノ目的ニ関スル件
  (イ)協調会ノ目的ニ関シテハ、漠然ナガラ相当距離ノアル二ケノ矛盾セル考ヘガ会内ニ存在スルモノヽ如シ、其ノ一ハ創立当時ニ於テ抱カレ、主トシテ資本家的ノ見方トモ云フヘク、真ノ社会政策ニ立脚セズ、社会政策ノ仮面ヲ被レル温情主義的ノモノニシテ、会ノ活動ニ付テモ主トシテ労働争議ノ緩和・阻止等ニ重キヲ置キ、資本家ガ本会ニ寄附ヲナセル動機ノ如キモ、主トシテ自己ノ利益(国民経済ノ発達ト云フヨリモ資本家ノ個人経済ノ利益ヲ主トスルモノ)ヲ擁護スルニアリタルト認メラルヽモノナリ、其ノ二ハ純然タル社会政策ヲ主張スルモノニシテ、会
 - 第31巻 p.546 -ページ画像 
内職員ノ有スル思想ナルガ如シ、而テ近年出版セラルヽ社会政策時報及ヒ冊子類ニ其ノ趨勢ヲ見ル事ヲ得ヘシ
  (ロ)カクノ如キ二個ノ矛盾セル主張ノ存スルハ、協調会成立当初ノ事業ニ基クモノト考ヘラル、即チ協調会ヲ設立セル人々ハ、当時我カ国ニ起リ来レル思想界及労働界ノ動揺ニ不安ヲ感シ、之ヲ如何ニカシテ阻止セントスル稍反動的・保守的思想ヲ有スルモノニシテ、従テ創立以来今日迄会ノ最高幹部乃至評議員ノ職ニアル人々、殊ニ資本家側ノ役員、及会ニ寄附ヲ為セル資本家ガ依然トシテ創立当時ノ考ヘニ終始セントスル傾向アルハ、已ムヲ得サル所ナルベシ
  (ハ)故ニ協調会ガ真ノ社会政策ヲ旗印トシテ名実共ニ活動セントセバ、協調会成立ノ事情及協調会ノ議決機関及其ノ背後ニアル資本家側勢力ト矛盾衝突スルニ至ルヘシ、而テ此ノ矛盾ヲ去ルコトハ最大難事ト云ハサルベカラズ、然レドモ仮令此ノ矛盾ヲ去ルコト能ハズトスルモ、協調会ノ存続ハソレ相当ノ価値及意義ヲ有スルコト後ニ述フル所ノ如シ
  (附)社会政策ガ経済上ノ自由主義(若クハ資本主義)ニ対抗スル場合ニハ右ノ二ケノ思想ハ衝突スル虞アルモ、社会主義ニ対抗スル場合ニハアル程度調和スルコトヲ得ルモノト考ヘラル
 (2)協調会ノ機関ニ関スル件
  (イ)右ニ述ヘタル如キ、会内ニテノ矛盾セル思想ガ介在シテ、適当ニ会務ヲ挙ケテ行クニハ、常務理事ニ適任者ヲ得ルコトガ必要ナリ
     而テ現任者ハ此ノ点ニ於テ、正シク之ニ適合セルモノト認メラル、但シ之ガ為メニハ世間ニ風評セラルヽカ如キ、常務理事間ノ反目ニ亘ルガ如キ事ナク、専心協調ノ必要ナルコト言ヲ俟タズ、世間ノ風評ニ何等ノ根拠ナキコトヲ祈ルコト切ナリ
  (ロ)右(イ)ニ述ヘタル所ト離レテ抽象的ニ考フレバ、会ノ機能ヲ充分発揮スル為ニハ、常務理事ハ之ヲ一人トナシ、部長制ヲ廃シテ一常務理事ガ総テノ課ヲ統轄シテ会務ノ統一ヲ図ルコトヲ必要トスヘシ、然ルニ本会ニ於テハ一人ノ会長存スルモ、専心事務ニ当ルモノニ非ス、又常務理事中総務部長タル理事ガ各部ノ統一ヲ保持スルコトヽナリ居レルモ、果シテ適当ナリヤ否ヤ相当研究ノ余地アルベシ
 (3)協調会ノ事業ニ関スル件
  (イ)今日我カ国ノ現状ニ基キ、第三者トシテ協調会ニ対シ根本的ニ希望スヘキ事項ハ、大体左ノ通リナルヘキカ
   (A)社会政策思想ノ普及
       一面ニ於テハ資本主義ノ弊害除去
       他面ニ於テハ社会主義思想ニ対スル対抗―社会政策ノ哲学的及経済的根拠ノ確立
   (B)我ガ国労働事情ノ調査(及社会政策ノ立脚地ヨリスル産業ノ調査)
   (C)外国労働問題並ソノ学問上及実際上ノ対策ニ関スル研究調査
 - 第31巻 p.547 -ページ画像 
   (D)右(B)(C)ニ基キテ我カ国ニ実施ヲ必要トスル具体的問題ニ関スル法制ソノ他ニ付意見ヲ公表シ、一面政府ヲ督励シ、他面輿論ヲ喚起スルコト
   (E)一面ニ於テ事業主ヲ啓蒙シ、他面ニ於テ労働者ノ責任心・自治心ヲ喚起スルコト
   (附)右ヲ根本目的トシ、余力アラバ他ノ事業ニ手ヲ付ケルハ可ナルモ、徒ラニ間口ヲ拡ケテ真ノ目的ヲ達成スルニ必要ナル力ヲ殺グハ考ヘ物ナルベシ
      又可成根本的基礎的方面ニ着眼シ、一時的末葉的出来事ニ拘泥スルハ不可ナルヘシ、例ヘバ個々ノ労働争議ノ調停其ノ他処理等ニ付テハ、アマリニ立チ入ラサルヲ可トスベシ
      尚右ニ述ヘタル所ハモトヨリ財政ノ許ス範囲ニ於テ行ハルヘキコトニシテ、若シ財政上充分ナル経費ヲ支出スルコト能ハサル場合ニ於テハ、本末軽重ノ差ニ依リテ仕事ヲ取捨シ、其ノ主トスル所ニ力ヲ集注シテ本会独特ノ権威アリ意義アル結果ヲ収ムルニ努ムルコト肝要ナルベシ、而シテ右ニ述ヘタル中(B)(C)(D)ハ最モ重要ナルコトニ属スヘク、而テ同シク調査研究ソノモノニ付テハ其ノ中ニ自ラ軽重本末ノ差異アルヘシ
  (ロ)社会政策思想ノ普及宣伝ニ付テハ、相当努力セルモノト認メラル、社会政策思想ノ普及宣伝ガ今日我カ国ニ於ケル政治経済ノ穏健ナル発達ニ必要欠クヘカラサルハ言フ迄モナシ、此ノ点ニ於テ本会ガ民間ノ団体トシテ有意義ナルコトハ疑フヘカラズ
  (ハ)我ガ国労働事情ノ調査ハ政府ニ於テモ行フヘキ所ナルカ、此ノ点ニ関シテ政府ノ調査機関ノ行フ所ト、本会ノ行フ所トノ界限ニ関スル私見左ノ如シ
   (A)現在政府調査機関ノ未タ着手セサル方面ニ於テハ、本会調査ノ意義大ナルハ言フ迄モナシ
   (B)仮令政府カ調査シツヽアル事項ニ付テモ、本会ノ調査員ガ特ニ優レタルモノアルトキハ、本会ノ調査ハ有意義ナリ
   (C)同一事項ニ付テモ調査方法ヲ異ニシ、且ツソノ何レモ有意義ナル場合ニ於テモ、本会調査ノ有意義ナルヲ見ルヘシ
   (D)其ノ他ノ場合ニ於テモ、社会局ト能ク打合セヲ為シ、重複ヲ避ケ、無用ノ労力及費用ヲ避クルコト必要ナリ
     本邦労働事情ノ調査ハ、労務課及情報課ニ於テ分掌セルカ、労務課ノ如キ人員充分ナラサル憾アリ、又情報課ノ事務ハ今日主トシテ労働争議及労働組合ノ情報蒐集ニ在ルカ、ソノ蒐集ノ方法及内容ハ別ニ大ナル特色ヲ有スルモノト認ムルコト困難ナルカ如シ、果シテ然ラハ情報課ノ事務ハ之ヲ最小限度ニ止メ、ソノ余力ヲ他ノ方面ニ用フルコトヲ得策トセサルヘキカ
  (ニ)外国労働問題ノ調査研究ニ付テハ、本会ハアラユル海外調査資料ヲ蒐集シツヽアリ、本会カ広クアラユル方面ニ亘リテ資料ヲ蒐集整理シツヽアルハ、特ニ敬意ヲ表セサルヲ得ス、唯本会調査課モ人員少クシテ而カモ多量ノ資料ヲ消化セサルヲ得サルノミナラス、課員ハ種々ノ講習会・講演会ニ出講シツヽアリ、或
 - 第31巻 p.548 -ページ画像 
ハ過労ナラサルヤヲ疑フ
  (ホ)本会カ我カ国ニ於テ実施ヲ必要トスル事項ニ関シ意見ヲ公表シタルコトハ未タ極メテ少シ、然レトモ之レ本会創立以来未タ日浅キニ因ルモノト考フ、元来公表スヘキ意見ハ、堅固確実ニシテ、組織的ナル調査ヲ基礎トセサル可カラス、而カモ調査ノコトタル一朝一夕ニ望ムヘカラス、世上コノ点ニ関シテ誤解ヲ抱ク者少カラサルハ、本会ノ為メ遺憾ニ堪ヘス
  (ヘ)労務者ノ責任心涵養ニ付テハ、田沢理事在職中ノ熱心ナル努力ニ依リ成績ヲ挙ケツヽアリタルハ、今更言フ迄モナシ、唯此ノ事業カ田沢理事アリテ興リ、田沢理事去リテ衰フルカ如キコトナクンハ幸ナリ
 (4)財政ニ関スル件
  従来協調会ノ財政ハ入ルヲ計リテ出ツルヲ制シタルモノニ非ス、歳入ノ如何ヲ問ハズ、必要ナル経費ヲ支出シツヽアリタリ、従テ年年多額ノ基金ヲ蚕食シツヽアリタリ(毎年約弐拾参万円乃至五拾万円)然ルニ先般ノ理事会ニ於テ財政計画ヲ樹テ直シ、ソノ基礎ヲ鞏固ニシテ会ノ永久性ヲ保障セントスルニ至リタルハ、適当ナル措置ト云ハサル可ラス、其ノ新財政計画案ナルモノヽ要綱左ノ如シ(此ノ案ハ未ダ確定シタルモノニ非ズ、目下理事会ニ於テ審議中ノモノナリ)
  (イ)基金及特別積立金ノ確立、大正十三年度末ニ於ケル剰余金額ヲ五百五拾弐万円ト見積リ、此中五百万円ヲ一般会計基金トシテ基金ヨリ生スル利子ノミヲ毎年度ノ経費ニ充当シ、元本ヲ保存シ、残額五拾弐万円、収入未済寄附金百五拾万九千円ノ中若シ実収アレハ其額及毎年ノ歳計剰余金ヲ併セテ特別積立金トシ
     (イ)会ノ事業ノ中、特別会計トシテ経理スル経費ニ対シ、自給ノ収入ヲ得ル迄補給スルコト、(ロ)事業整理上必要アル場合又ハ緊急已ムヲ得サル場合理事会ノ決議ヲ経テ使用シ貸与スルコト、(ハ)一般会計経費支払上一時運用スルコト、此ノ三場合ニ運用シ又ハ処分セントスルモノナリ、寄附未収入額ハ百五拾万余円ノ多額ヲ算スルモ、既往及現状ニ照シ恐ラク実収ヲ得ルコト困難ナルヘキヲ以テ、特別積立金額ハ先ツ五拾弐万円ト年々ノ歳計剰余金ノ外多クヲ出テサルヘシ
  (ロ)予算編成上ノ方針
     従来ハ社会政策講義録ノ発行ヲ特別会計トセル外、全部ノ事業ヲ挙ケテ一般会計所属トシテ経理シタルカ、将来ハ独立ノ可能性アル(一)協調会館(二)産業能率研究所(三)蔵前専修工業学校ヲ特別会計トシ、各事業収入ヲ以テ自給セシムルコトヲ本意トシ、独立支弁シ得ルニ至ル過程間、特別積立金ヨリ補給若ハ資金ノ融通ヲ為スコトニ計画セラレタリ、従テ一般会計予算ヨリ(大正十三年度予算ニ依レバ)約十万円ヲ削除シ得ヘシ
  (ハ)一般会計ノ予算計画
     従来ノ基金ノ蚕食ヲ改メ、今日計画セラレタル基金五百万円ヨリ生スル利子見込額、其他雑収入ヲ見込ミタル四十万円ヲ限度
 - 第31巻 p.549 -ページ画像 
トシテ歳出予算ヲ編成スルノ方針ヲ採ルコト、従テ大正十四年度予算ハ現大正十三年度予算額五十九万七千約円ノ中約十万円ヲ特別会計ニ移シ、尚九万七千五百八円ヲ整理セサルヘカラサルコトヽナル



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK310092k-0002)
第31巻 p.549 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
壱月十七日(木) 午后五時 協調会催床次副会長招待会(協調会館)
壱月十八日(金) 午后五時 協調会催床次副会長招待会(協調会館)
壱月十九日(土) 午后五時 協調会催床次副会長招待会(協調会館)



〔参考〕報知新聞 第一六八七〇号 大正一三年一月二四日 協調会の大乱脈 新政クラブにからまりはしなくも公になつた改革の声挙る(DK310092k-0003)
第31巻 p.549-550 ページ画像

報知新聞  第一六八七〇号 大正一三年一月二四日
  協調会の大乱脈
    新政クラブにからまり
    はしなくも公になつた
      改革の声挙る
資本家から一千万円といふ大金を集めて財団法人にし、先の内務省地方局長官添田敬一郎氏を理事長に、芝公園にあたりをはらふ大建築をやつた労資協調会は、大正八年『円満な労資協調の実を挙げる』を名目として
 創立されて 以来五年の今日までの成績を点検すると、いたづらに労働者の怨みを買ひ、資本家側にはあなどりをうける『労資相戦ふ』といふ現象を、金の威力で助長させて来たといふ皮肉な結果を見せたに過ぎず、機会あれば、かゝる無用の長物は根底的に改革するかあるひは葬り去るかとの輿論はおきて居たが、はしなく
 新政クラブ のたんじようにまつはつて、同会の極度の乱脈を暴露するに至つた、同会は徳川家達公を会長として、渋沢子並に政友会の大岡育造氏を副会長にして、漸く一局長の経歴をもつ添田敬一郎氏が理事長のイスにより、年俸八千円以外に、機密費と称して一万円から一万二千円の高給を受け、課長級はいづれも五千円より七千円と知事級の
 高給をはみ 一千万円の財団資金の使用権は殆ど理事長の手ににぎられて居るといふ、この重要な位置にありながら一現職のまゝノコノコと政友会代議士として乗出して、代議士と理事長の二重の高給を懐にし、同会の事業を死灰としたさへ非常な罪であるのが、新政クラブが生れるや直に脱走組に加はつて自分で昼夜飛廻るだけに止まらず
 この数日来 武藤情報、想田社会、藤井調査等の、各課長に命令して、新政クラブの院外団的な仕事を強要して居たが、公私混同の命令に従順そのものゝ課長連は、二十三日は殆ど夜を徹せんばかりにして『一、教育の振作、二、思想の善導、三、民衆を代表し……』などゝ新政クラブの宣言綱領の
 起草に夢中 になつてゐる、同会の意気ある少壮連はこの公私混同の命令に憤概し、同会にこの人ありとわずかに面目を維持するとされて居る学者はだの永井第一部長は眉をひそめて黙し、熱血児の田沢第二部長は『病根もこゝに至れば……』と慨歎して居る、更に見逃すこ
 - 第31巻 p.550 -ページ画像 
との出来ないのは、政友会脱走芝居を演ずる約二三週間前にあたつて
 副会長であ る政友会の大岡育造氏を其のイスから退け、脱走組隊長の床次竹二郎氏が代つてすわつたこと、一千万円の資金が如何なる使途にあてられたか、現在は五百万円以下に使ひ尽されて、更にその金も如何なる公私混同に乱費されて居るやら、労働争議毎にそのリーダーに対してみにくい買収を続けて来た、その明細な
 えんま帖が ある人々の手ににぎられて、一度これを公開すれば、現在の労働運動をやじる、得々顔の労働ブローカーの致命傷であること、挙げ来れば、芝公園の堂々たる洋館の伏魔殿の持つ金力が流す害毒が、如何に会内のみならず会外にまで及んで居るか、漸く問題は大きくならうとして居る



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK310092k-0004)
第31巻 p.550 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
参月廿五日(火) 午后弐時 添田敬一郎氏来約(事務所)



〔参考〕読売新聞 第一六八八八号 大正一三年三月二六日 山積された事務を顧みぬ協調会の三候補者 協調の出来ぬ不穏の空気高まる(DK310092k-0005)
第31巻 p.550-551 ページ画像

読売新聞  第一六八八八号 大正一三年三月二六日
  山積された事務を顧みぬ
    協調会の三候補者
      協調の出来ぬ不穏の空気高まる

図表を画像で表示--

 添田総務、田沢部長、武藤課長と武藤君だけまづ辞意を洩したが 



芝公園の労資協調会は政友会の出みせのやうに見られたり、非難されてゐるのも久しい前からであるが、分裂以来は政友本党といふことになる訳だ、それは総務部長添田敬一郎氏をはじめ、第二部長田沢義鋪氏や情報課長の武藤七郎氏等が、そろつて政友本党の陣笠で名乗りをあげたからきた見方である、尤も田沢氏は
 ◇◆政友本党 と銘打つて出るのもきまりが悪いと見えて、純然たる中立を標榜はして居るものゝ、誰も本気に受けるものはなく、中立もいゝ加減なものである、とに角氏は代議士の候補に立ち、本職の協調会を空にして、静岡県の選挙地で労働代表で味をしめた夢を追ひ廻してゐるし、添田氏は秋田県で大びらに飛び廻つてゐる、埼玉県では武ト金氏と並び、大小武藤で大見得を切つてゐるのが例の武藤七郎氏だ、此の人は案外正直で
 ◇◆本党を名 乗り打つて出ることになるや、留守居役の第一部長永井亨氏の所まで辞意を申出でた、これは其の儀に及ぶまいと出るかと思ひの外、当ごとゝ何とやら『それもよからう』といふことに永井氏がのみこんでしまつたので、愈武藤七郎氏は協調会の情報課長の椅子を投げ出すことにきまつたのである、こんなあんばいで、協調会の仕事は山のようにたまつてゐるのも
 ◇◆不思議は ない、之れで仕事が片付くほどなら人が余る訳だ、と不平の声がブツブツ湧いて、お膝許だけはなんとも協調は出来ないと見え、独りぽつちの永井氏は『代議士の候補に立つのがいゝとか悪いとかいふ事はないでせう、官吏だつて立派に立てるのだからさ、之れは理窟ぢやありませんよ、実際問題です』と奥歯に物の挟まつた口
 - 第31巻 p.551 -ページ画像 
ぶりであつた、そして『政友本党の親類だと見られても、私は何んとも思つてゐないし、少くとも、私を知つてゐる人は
 ◇◆永井の居 る内は本党の機関になぞなりはしませんといつてるくらゐですよ』とつけ加へたが、添田氏や田沢氏の協調会をやめると云ふ噂については、問題に触れなかつた、武藤情報課長の後任についてはまだ何とも決つてゐないさうだ



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK310092k-0006)
第31巻 p.551 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
参月廿九日(土) 午前九時 添田敬一郎氏・田沢義鋪氏来約(事務所)



〔参考〕国民新聞 大正一三年四月三日 ぐらつき出した協調会 幹部遂に総辞職か 田沢理事辞表を提出 徳川公も思案にあまる(DK310092k-0007)
第31巻 p.551-552 ページ画像

国民新聞  大正一三年四月三日
  ぐらつき出した協調会
    幹部遂に総辞職か
      田沢理事辞表を提出
        徳川公も思案にあまる
協調会の添田総務部長や武藤情報部長、それに常務理事の田沢義鋪氏と、三幹部出揃つて総選挙に臨み、いづれもまけず劣らず猛烈な戦ひ振りを見せてゐる、田沢氏は一人武者となつて、静岡県清水市の選挙区から政友本党の宮崎友太郎氏を向ふに廻して、今が言論戦の真最中であるが、理想選挙を標榜して起つた氏は、愈々覚悟のほぞを固め、協調会とブッツリ手を切つて政界に乗り出すといふ氏の最後の思案は遂に数日前、会長徳川家達公に辞表を提出するといふまでになつた、徳川会長は予てから添田・田沢・武藤の三幹部が選挙戦に出馬した事には、協調会の事業の上から可成頭を悩ましてゐたし、辞職問題が起る事も予期してゐた事ながら、さて田沢氏の辞表を手にすると、どう解決してよいものか、渋沢栄一老に相談して、愈々理事会に持出す事となつたが、田沢氏を願ひの通り協調会から退ける事となれば、添田総務も武藤情報も、何とか身の振り方をつけねば納まらぬといふのが当然の事、さうなると今満洲に弁論旅行をしてゐる第二部長の永井亨氏を残して、協調会の主脳部は皆出はらひ、全く協調事業の頭をそがれる結果となるので、田沢氏の辞表はうつかり受付ける事は出来ぬと徳川会長も英断を振ふ勇気がない、然し田沢氏の辞意が固くして動かぬといふ事になれば、協調会内部に可成の動揺が起る事はまぬかれまいと観測されてゐる
    断然辞職する決心
      ◇ 政戦に忙しい田沢氏語る
協調会常務理事田沢義鋪氏は、今度の総選挙に静岡県第三区(清水市)から中立候補として目下連日各所に演説会を開いて居る、氏は立候補と共に協調会を去るべく、辞表を懐にして幾度か徳川・渋沢両氏を訪ね辞意を伝へたが、未だ容れられない、然し氏は飽迄も辞職を決行せんとして居る、氏は静岡の事務所で語る『現職の儘で立候補しても差支ない、殊に世間はどうであらうと協調会に関係はないと云ふものゝ二ケ月間も実際に政治運動に携はつて居るので、協調会の責任ある地位に其儘居ることは私として潔しとせぬ所で、既に協調会に入つてか
 - 第31巻 p.552 -ページ画像 
ら三年間になるから、之を機会に方向を転換して今後は政治教育方面へ進む覚悟である、当選した上は純理想で行き、新しい団体を作る筈で、仮令落選しても雑誌「新政」を中心にして政治教育に全力を尽す筈である、私が去つた後の協調会は添田・永井の二頭政治になるであらう、各方面の緊縮の際であるから、常務理事の保留は《(補充カ)》ないものと見て居る、情報部長の武藤七郎君も立候補の為めに辞職するさうであるが、武藤君と私とは立場が違つて居る』(静岡電話)



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK310092k-0008)
第31巻 p.552 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
四月十七日(木) 午后弐時  添田敬一郎氏来約(事務所)
   ○中略。
六月廿参日(月) 午前十時  床次氏ト御会見ノ約(徳川貴族院議長官舎)
         午后    協調会へ御出向
   ○中略。
七月七日(月)  午前十時  添田敬一郎氏来約(事務所)
   ○中略。
七月十七日(木) 午后弐時  添田敬一郎氏来約(事務所)
   ○中略。
七月廿日(日)  午前十時  内務大臣御訪問ノ約(牛込ノ私邸)
   ○中略。
七月廿参日(水) 午前十一時 床次竹二郎氏ト御会見(協調会)



〔参考〕東京朝日新聞 第一三七〇九号 大正一三年八月一日 政治教育の希望に燃えて いよいよ協調会を去る田沢氏のよろこび(DK310092k-0009)
第31巻 p.552 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七〇九号 大正一三年八月一日
  政治教育の希望に燃えて
    いよいよ協調会を去る
      田沢氏のよろこび
先頃の総選挙の際、真の理想選挙を標榜して静岡県から立候補した協調会理事田沢義鋪氏は、立候補と同時に理事の席を去るべく、当時辞表を提出したが許されず、田沢氏はそのまゝ選挙終了の翌々日北海道の協調会労務講習会に行き
 其後も 転々として各地に講演してゐたが、一旦辞意を決した氏は其後も絶えず辞意を洩らし、漸く理事会並に会長も之を認めて、八月一日附でいよいよ協調会から去る事になつた、氏の辞職の事情に就ては、色々の噂があるが、その真相は、第四回国際労働代表として列席帰朝以来、我国の一般国民特に青年の政治的自覚を促す事の緊要な事を痛感した氏は、これら政治的自覚ある青年を
 糾合し て社会民主党を樹立する意思で、来る十月からは各地政治教育講習会を起し全国各地に開催する手筈だといふ、右に就て氏は社会民主党を今樹立する積りはありませんが、将来に於てはさう言ふ場合もあるでせう、協調会は今や益々その力を発揮して来た時で私も働き甲斐が大いにあるのですが、政治教育の方は私には坐視し得ない気がするので、今回の辞職となつた訳です
と元気に満ちて語つてゐた
 - 第31巻 p.553 -ページ画像 



〔参考〕東京朝日新聞 第一三七二一号 大正一三年八月一三日 両氏辞任を機に協調会新陣容 亀戸に建てた新宿泊所も家庭的な組織にする(DK310092k-0010)
第31巻 p.553 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七二一号 大正一三年八月一三日
    両氏辞任を機に協調会新陣容
      亀戸に建てた新宿泊所も家庭的な組織にする
協調会では理事田沢義鋪、情報課長武藤七郎両氏の辞任について、その後任銓衡に当つて、在来の組織に多少の変更を加へることになつた新陣容によれば、調査課の内容を社会政策及図書事業とし、労務課に労働事情の実地調査を行はしめるのであつて、これまで田沢理事担任の第二部長(社会事業及び社会教育の事業)を添田常務理事の兼任として当分新任せず
 新帰朝 の小林鉄太郎氏を情報課長とし、草間時光氏を労務課長とし、調査課長に藤井悌氏が就任することになつた、かくて調査事業と社会政策的な事業を行ふこと在来の通りであつて、既に亀戸に新築された簡易宿泊所は、掘抜き井の水質検査が終るを待つて開所する事になつた、宿泊所は木造二階建で収容人員
 二百人 を定員とし、階下の食堂は硝子張の明快な室である、その宿泊者の監督も、これまで宿泊所に行はれてゐる如く就眠時間を制限して宿泊者を拘束するやうなことなく、自由にお互の家庭にあるやうに寛いだ共同生活が出来るやうにするので、娯楽機関の設備もし、宿料は一人廿銭位の予定である



〔参考〕報知新聞 第一七〇八五号 大正一三年八月二六日 滅亡近づく協調会(1) 創立後五年間の仕事は金もうけと内争 それで毎年の経費は六十万円 日本一の大浪費者(DK310092k-0011)
第31巻 p.553-554 ページ画像

報知新聞  第一七〇八五号 大正一三年八月二六日
 滅亡近づく協調会(1) 創立後五年間の仕事は
                     金もうけと内争
                       それで毎年の経費は六十万円
                          日本一の大浪費者
五百万円の資金と百四十余名の職員を擁しながら、過去五年間にわたつて協調会は一体何をして居たのであつたらう? 調査研究、社会政策学院、蔵前の夜学校、猿江の善隣館、せいぜい名称だけを拾つて
 手盛り にして見たところが、これだけしかない、年額六十余万円の巨資を投じて、大正八年十二月の創立当時から今日までに、仕事らしい仕事は何一つして居ない、この位の事は内務省社会局でやつて居るはずである、調査研究と称して半可通の翻訳をして見たり、社会政策学院は既に世間周知の如くてんから問題になつて居ない、資金は渋沢子爵が集め、現職員は副会長床次竹二郎氏の直接間接に息のかゝつたものばかりといつていゝ位だ、大正八年頃の好景気時代、労働争議に苦しんだ三井・三菱を始めとして、百余名の企業家連がストライキぼつ発の緩和機関として作つたのが現在の協調会なのである、その当時日本の新興労働階級を見くびつた資本家連は、いつぱし先手を打つた積で会にはえらい期待を持つて居たのである、腹の内ではさしづめ警視庁か憲兵隊の出店位には渋沢子始めたれもが考へて居たのは
 事実だ つた、しかるに先年の足尾銅山の争議では、古河が憤慨して整理といふ名目で年賦金(六万円)を断つて来た、セメント屋の浅野は、おれ達の意思に反するとかいつて、卅万円をフイにしてしまつ
 - 第31巻 p.554 -ページ画像 
た、もともと算盤づくで出した金だから、効目がないとなれば引込めるのが当然かも知れぬ、当時頻発した争議に際し、その都度労働者側からは資本家の犬だといつて追つ払はれ、会社側からは生温いといつてヒドク叱責され、事毎に労資両方面のはさみうちに遭ひ、最初の目的であつた労資協調を裏切ると同時に、全く存在の意義を失してしまつたのである、ところで彼等が死物狂ひになつてさがし出した口実は調査研究とか労働者教育とかいふものであるが、目下のところ、全国の組織労働者(労働組合員)で少くも彼等のゴマカシに乗る者は一人もないのは事実だ、自ら学究を以て任ずる常務理事永井亨氏はいふだらう『おれは資本家のせいちゆうは受けないぞ』と、しかしそれは氏の数々の名著にのみ
 怒号し て居るのだから、心配無用な訳である、学生や田舎廻りの講習会でヤタラにおどかして歩いても、それは決して今の労働階級の本質には何等関係ない事であるのは明かだ、協調に失敗して、再び街頭より書斎に引込んだこの消極的方向転換の名案も、いたづらに醜態を暴露するのみに終つたのは一体どうした訳か? 溺れる者はわらをもつかむのは、人情止むを得ぬことかも知れぬ、この春の総選挙には添田敬一郎(首席常務理事)田沢義鋪(常務理事)武藤七郎(情報課長)林平馬(会計係)の諸氏は、まさか会に見切りをつけた訳でもあるまいが、自分の仕事はそつちのけに、渋沢老人の嫌がるのを尻目にかけて、我先に飛び出し、田沢氏をのぞく三氏はいづれも政友本党に走つたが、終に四氏まくらを並べて見事に落選したのは、自業自得とはいへ醜態も甚だしい、いくらづうづうしい彼等でも、今度といふ今度は辞職するだらうと思つて居たら、落選とわかつて間もなく『これから会の方を専心やるから……』と添田理事は平然として出て来た、尤もこの位の
 勇気が なければ、理事は勤まらぬのかも知れぬ、手足のない会長徳川家達公や渋沢子爵等は、これを如何にもしようがない『困つた事だ』とつぶやいてばかり居るのはどうした訳であるか、きんちやくのひもさへ握つて居れば間違ひないものと考へて居る渋沢老子爵には、果して過去五ケ年間にわたるあらゆるむじゆんと情実の温床を如何に改造するか、確固たる成算があるだらうか、生命のなくなつた者が倒壊するのは当然の事である、この無能で有害な事業のため、百四十人の生命をつなぐため費す金は年額六十万円たらず、既に卅万円以上も基金にまで食ひ込んでゐる、日本一の浪費者と資本家にのろはれるのも無理はない



〔参考〕報知新聞 第一七〇八六号 大正一三年八月二七日 滅亡近い協調会(2) 失業者を拾ひ集めて まるで役人の避難所 それで暗闘と反目のうづまき 仕事などはてんで手につかぬ(DK310092k-0012)
第31巻 p.554-555 ページ画像

報知新聞  第一七〇八六号 大正一三年八月二七日
 滅亡近い協調会(2)
                  失業者を拾ひ集めて
                    まるで役人の避難所
                      それで暗闘と反目のうづまき
                        仕事などはてんで手につかぬ
協調会が現在の如き醜態を社会に暴露するに至つた原因は、『労資協調』といふ様な時代に逆行した目的のむじゆんにあるのは争はれぬ事
 - 第31巻 p.555 -ページ画像 
実である、これに加ふるに人を得なかつた結果、組織と運用が徒に勢力争ひの具に使はれ、会の没落を内部からいやが上にも促進したのは見逃す事の出来ぬ事だ
 幹部と 称する者がいづれも楽隠居か何かの積で、ほかの官省で首になつた様なものゝみ拾ひ集めてあるのも不思議な事だ、予備後備ばかりだから仕事が出来ない、永井・小林鉄太郎(情報課長)両氏は鉄道から、添田・田沢・藤井悌(調査課長)の諸氏は内務畑からといふ径路をたどつて来て居る、職員の全部を見渡すと、社会的の失業者と見なされる輩も少くない、この意味からいふと、頭から、やたらに無能呼ばはりするのは当を得て居ないかも知れぬ、最初から失業救済会と思つて居れば間違ひはないのだらう、これもほんの一例に過ぎないが、現在は内務省社会局第二部長のイスに納まつて居る三矢氏等も、例の豚箱事件でつまらぬ尻尾を出した時、何かの名儀で二百五十円づつ毎月もらつて居た事がある、由来この
 調子で 万事が行はれて居るから、役人には心強い避難所に違ひない、待遇から見ても、すばらしいものだ、理事等は年俸六七千円をとつた外に、賞与が半年分以上あるから、優に大臣待遇だ、課長級でまづ四千円見当はだまつて失敬して居る、朝晩の送り迎ひは備へ付の自動車二台がしつきりなし飛び廻つて居るから、何といつても課長級以上の諸公は楽なもので、こんなところを見ると、別に暗闘なんかなささうに考へられるが、なかなかさうではない、同じ床次氏の息のかゝつた連中でも、兄弟かきに争ふのは、いづれも人をかきのけても立身出世がしたい連中のみ故、こればかりは人為では到底止めて止まらぬものらしい、添田対永井の反目を中心として、うづはそれからそれと間断なくまき起され、互に飛躍とはいぜいを
 繰返し てゐる現状である、この間田沢氏は常に超然として居た様だつたが、到頭逃げ出してしまつた、断末魔の悲劇を見ない先に自から掛冠したのは、今となつて見ればむしろ賢い方法だつた、永井氏はその昔鉄道に居た頃経理局長をした男で、添田氏の自由になるものではない、ところが添田氏には直接の手足が多く残つて居ない、僅かに会計課長の中村英雄、社会課の惣田太郎吉氏位のもので、仕事上の事になると常に理屈で勝つて実際に負けるのである、前情報課長の武藤七郎氏が退いてから、痛切にこんな感じを深くして居る、会の首脳部に属する情報(小林)調査(藤井)を奪はれては、添田氏が何程頑張つて見たところが始まらない
 内部の 空気はこの二つの暗流が、ある時は対じし、ある時はかみあつて居るのだ



〔参考〕報知新聞 第一七〇八七号 大正一三年八月二八日 滅亡近い協調会(3) 機密費八万円の行方 労働組合幹部の買収費か 会計検査だけはパス 添田さんは自然消滅か(DK310092k-0013)
第31巻 p.555-556 ページ画像

報知新聞  第一七〇八七号 大正一三年八月二八日
 滅亡近い協調会(3)
                  機密費八万円の行方
                    労働組合幹部の買収費か
                      会計検査だけはパス
                        添田さんは自然消滅か
内外ともに、面目と勢力を失墜した添田理事が、遠からず自然消滅の
 - 第31巻 p.556 -ページ画像 
時期が来るのは明かな事である、先年山形県から当選した際などは、徳川会長に
 辞表を 出したといふ事を聞いた、永井派では添田氏辞任の機運を造るために、会の自動車を各方面に乗り廻し、昼夜兼行で暗中飛躍を試みたのは耳新しい事ではない『三ケ月分の給料を棒にふつたのは気の毒だ』と、今でも会内の一つ話しになつて居る位多くの同僚の目にあまつた行動だつた、これをウスウス感知して添田氏が憤慨したのはよほど後のことである、選挙には負けるし、会の内からはこの始末だから、ムシヤクシヤの腹いせに、会から洋行しようと試みたが、これもある事情のために沙汰やみとなつた
 争議の 調査なども、東京では警視庁労働課から報告材料をもらひ地方に行つては、警察や会社側からヨタまじりの宣伝をよせ集めて来て、社会政策時報にちらばつて居る様だが、あの位の仕事で、機密費(宣伝費と称して居る)八万円かかるとは一寸驚かざるを得ないではないか、然らばこの金は一体何に使用して居るのか、昨年三月あたり会計検査院から調べに行つたといふが、帳面づらだけはよく出来て居たのだらう、地震以来ある労働会の先生達共が、社会事業(政府から補助金をもらつた当時)の打合せとか
 何とか 称して、盛んに出入したが、まさかこの連中と飯を食つたともいへまいぢやないか、平常はだかつの様に協調会をコキ下して居る先生達だから、若い純な、そして争議などに監獄にばかり打込まれて居る何も知らぬ闘士にこの事を聞かせたら、随分憤慨するだらう、それに調査・労務・図書・教務・社会情報・農村・総務の各課にゴロゴロしてる連中の
 給料の 高いには一寸驚かされる、報告一つ書けぬ者が百円以上ざらにとつて居る始末だ、それに出張といふと日に十五円か二十円は、だまつて書き出して居るではないか、若い法学士などいつて、やたらに肩書を振り廻したがる連中も二三ないではないが、他から就職する者はいづれも今の処永井派にくつつかなければ生きる道がないので、黙つて服して居る状態だ



〔参考〕報知新聞 第一七〇八八号 大正一三年八月二九日 滅亡近い協調会(4) 非難の的は四人組 私利私慾の情弊を憤て辞職した善隣館主任(DK310092k-0014)
第31巻 p.556-557 ページ画像

報知新聞  第一七〇八八号 大正一三年八月二九日
 滅亡近い協調会(4)
                  非難の的は四人組
                    私利私慾の情弊を憤て
                    辞職した善隣館主任
金に目のない小林氏は四人組の筆頭だ、内部的の非難は多くこの辺から出て居るらしい、図書係の黒川小六、藤井、中央労働学院の粟野谷三氏等は肝胆相照らすといつた連中でいろいろ面白い
 仕事を 経営して居る、中渋谷辺に印刷所を作つて会の出版物をやつて居る『共同経営ぢやずゐ分まうかるでせうな』といふと、永井氏は『ウム、そんな事聞いて居たが、今ぢや止めたらうなー』と苦笑して居た、粟野氏は元来が小石川砲兵工廠の職工で、ストライキ後チヨイチヨイ協調会へ出入する内に、いつの間にか食ひ込んでしまつた仕事
 - 第31巻 p.557 -ページ画像 
師だ、本郷に中央労働学院を作つて、会から公然と補助をせしめて居る、この男同郷とかの関係で
 研究会 の福原俊丸男をかつぎ上げてナカナカ景気のいゝ事をいつて居る、この辺も真面目な方面から不平の出る一大原因である、この春の総選挙当時の立廻り方などは、ナカナカ巧妙なものであつた、表面自分で経営して居る労働学院の人気にさはつてはと考へたのか、その頃労働者側にうけのよかつた佐々木照山氏を極力応援した様だつたその当時白山閣や富士見楼あたりに、会の某幹部を引張つて行つて、区内の有志に引合せたとかで、あとから大分問題になつて弱つたらしいが
 仕事の なくなつた協調会としてはありさうな事だ、いつも自己に忠実な粟野氏の腹の中には、今までの行動から見て添田もなければ永井もないのが真実かも知れぬ、福原俊丸男を持つて来たい位の考へはあつても、オイソレとうまく実現するかどうか疑問である、男爵からは大分世話になつて居るのは事実だ、選挙当座本党の鳩山氏と戦つた佐々木氏を応援したのはどうも怪しい、なんていふうわさが出るのも彼の崇拝して居る福原男に関聯しての非難である、四人組を中心にして会内の硬派と称する
 若手連 がブツブツいつてサボリ出すのはけだし止むを得ない事だ『あれは天才だからおれがつれて来た』なんて、小林氏を重用するので、永井氏の与党内も始終暗闘が絶えないのは不思議だ、この情弊に憤慨してか、猿江裏にある善隣館主任の某氏は一昨日添田氏に辞表を出したといふ事である



〔参考〕報知新聞 第一七〇八九号 大正一三年八月三〇日 滅亡近い協調会(5) 世評を恐れて経費を半減 腐つた腹が見える 珍レコード「協調怪歌」(DK310092k-0015)
第31巻 p.557-558 ページ画像

報知新聞  第一七〇八九号 大正一三年八月三〇日
 滅亡近い協調会(5)
                 世評を恐れて経費を半減
                   腐つた腹が見える
                     珍レコード「協調怪歌」
近頃銀ブラをして、とあるカフエーにはいつて、妙キテレツのレコードを
 耳にし た、『協調怪歌』と銘打つてあるさうだ
 一、世の中も森羅万象もみな真逆しのシーツ、カメラの中ではさうだんがドンドン、ひろい広い宇ちゆうは無限に広い、松の木の根でも火鉢の隅つこでも宇ちゆうの真中よドンドン
 二、天は下、地は上、諸君! なんぼ威張つても、わしの前ぢや真逆様! 一から十までドンドン、大臣よりや百姓町人、部長よりや課長、課長よりや平参事、参事よりや書記、書記よりや小使が偉いドンドン
 三、荒川ア穏かな川、隅田川濁つた川ア、品川アワン! それでなくちや皆うその皮ドンドン
 四、あんまり長いのも御怠くつ長い(永井)ドンドン、も一つ添へた、添へた(添田)ドンドン、無道(武藤)らん事よして頂戴なドンドン、ヨーシ助(義鋪)どん如何で御座る
 - 第31巻 p.558 -ページ画像 
 五、石塊流れて木の葉は沈む、帝都は家も宝も恋も、皆かいても焼けぬケ原よ! 地震(自身)は絵にも字にもならず、不時の八魔(不二の山)真実、現出するにや暗い中で苦労せにやならぬ、さうぢやないかドンドン
盟約として合唱隊を組織し、会館も崩れよ天もゆるげと高唱する事、動作は各個自由放任の事、一九二四、二、八脱稿として、調べは狂ふ大協調子と書いてある、聞いて居る中に
 噴き出 しさうになつた、これはたれあらう情報主任荒川賢氏の創作にかゝるもの、これはかつて大枚二百金を投じ大阪でレコードに吹込んだ物であるさうだ、会の内部が如何になつて居るか、クドクドしくこれ以上ちようちようするのは野暮な事であらう、彼等が居眠りして居る間に、足もとから虎が飛び出して居るぢやないか?『荒川君それだけは止めてくれ』と添田氏がとめたとかいふ話しがある、昨今幹部は世間の非難をおそれて、整理を表面の口実にして、年額六十万円の経費を半減する計画をたてて居る模様だ、さうなれば六十人位は解雇されようが、いづれにせよ首をチヨン切られるのは下積の連中と相場がきまつて居るのだから、今の内に用心するがいゝ、従来はどんな駆け出しの者でも罷める時には
 口止め 料の二千や三千は出したものだが、今度は世間の手前さうも行くまい、利子だけでやつて行かうといふのだらう、協調会の諸公は今更そんな往生際の悪い事をいはないで、スツパリと楽屋をさらけ出し、惜しからうがこの際年来の牙城を政府に返上してはどんなものか(完)



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK310092k-0016)
第31巻 p.558 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
九月四日(木) 午后参時 協調会町田氏来約(事務所)



〔参考〕報知新聞 第一七一〇二号 大正一三年九月一二日 いよいよ内務省が協調会の内情調査 本紙の記事により世論沸騰 粛正の手幹部に及ばん(DK310092k-0017)
第31巻 p.558-559 ページ画像

報知新聞  第一七一〇二号 大正一三年九月一二日
  いよいよ内務省が協調会の内情調査
    本紙の記事により世論沸騰
      粛正の手幹部に及ばん
協調会の醜状を本紙が報道してから、本社に対して激励や感謝の手紙が日に何通となく舞込んで来る、凡てこの際
 協調会を 改造しなければならぬとの文意である、協調会内部の人は今更の如くに驚き、びぼう策に吸々たる有様だが、隠せば隠すほど内情が現われる、一月下旬頃に例の本田仙太郎氏に二千円与へてゐたとか、某高等官に毎月手当を出してゐるとか、労働運動の先達に色々な名義で手当を出し、選挙の時にはみんな本党の演説使ひや壮士として差向けたとかいふ事が明かにされ始めた、内務省でも世間であまりやかましくいはぬ間は黙つて見てゐたが、本紙の記事をキツカケに、世論の沸騰したのを見て
 内偵する と内部のぶん乱はあまり甚だしいので、遂にすておけず干渉することになり、目下人を選んで調査中である、内務省の意向では、済生会とか愛国婦人会とかいつた類の財団法人は凡て充分な監督
 - 第31巻 p.559 -ページ画像 
をしなければならぬと認めているが、中でも協調会はあまりひどいから、先づ第一に調べるのだといふ、協調会側では狼狽の極先づその過大な職員に大整理を行ひ、費用を節して当局の意を乞ふ態度に出ようとし始めたが、内務省側は
 そんな事 では承知せず、結局腐敗の根源たる中枢幹部に粛正の手を揮ふ決意らしい



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一四年(DK310092k-0018)
第31巻 p.559 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
一月五日 晴 厳寒
○上略 添田敬一郎氏今日帰京ノ由ニテ来リテ別ヲ告ク、依テ協調会ノ将来ニ関シ注意スル所アリ ○下略
   ○中略。
一月二十二日 快晴 寒
○上略 溝部義臣氏来リ労働自治会ノ事ヲ依頼セラル、近日赤根氏ナルモノト来報《(訪)》ノ由申出ラル、依テ協調会ニ紹介スヘキ事ヲ答ヘ置ク ○下略
   ○中略。
一月二十七日 晴 寒
○上略 協調会ニ抵リ、添田・永井二氏ト協議ス ○下略
   ○中略。
二月十九日 曇 寒
○上略 午飧協調会ニ出席シ、内務省ヘノ答申ニ付理事ノ諸氏ト協議ス ○下略
   ○中略。
二月二十三日 快晴 寒
○上略 午前十一兜町事務所ニ抵リ ○中略 協調会永井亨氏来リ、労働争議調停ニ関スル内務省諮問ノ答申書ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
三月三十日 曇 軽寒
○上略 添田敬一郎氏来リ、協調会ノ事ニ関シ種々協議ス ○下略



〔参考〕集会日時通知表 大正一四年(DK310092k-0019)
第31巻 p.559 ページ画像

集会日時通知表  大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
八月十二日(水) 午后四時  添田敬一郎氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
八月三十日(日) 午后弐時  鈴木文治・添田寿一両氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
九月七日(月)  午后壱時  添田敬一郎氏来約(事務所)
   ○中略。
九月十六日(水) 午前十一時 添田敬一郎氏来約(事務所)