デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
2款 財団法人協調会
■綱文

第31巻 p.572-584(DK310094k) ページ画像

昭和3年4月19日(1928年)

是ヨリ先、野田醤油株式会社ニ争議起リ、既ニ二百余日ニ及ブ。栄一之ヲ憂ヘ、鈴木文治・松岡駒吉ト種々折衝シ、当会常務理事添田敬一郎ヲシテ調停ニ立タシメ、是日解決ス。


■資料

東京朝日新聞 第一五〇三七号 昭和三年三月二四日 野田争議調停に渋沢子つひに起つ きのふ各方面の意見を聴取 意を決して乗出す(DK310094k-0001)
第31巻 p.572 ページ画像

東京朝日新聞  第一五〇三七号 昭和三年三月二四日
  野田争議調停に渋沢子つひに起つ
    きのふ各方面の意見を聴取
      意を決して乗出す
野田争議に関し協調会では、二十二日午後常務理事添田敬一郎氏が松岡駒吉氏と懇談を重ねたが、更に二十三日午後二時、副総裁渋沢栄一子は外相官邸に田中首相を訪ひ、更に鈴木内相を訪うて、争議調停に対する政府の見解を確めて後、同四時丸之内の渋沢事務所に鈴木文治氏を招いて意見の交換を行ひ、午後六時会見を終つた、渋沢子は添田常務理事よりの報告によつて、かねて成行を気づかつてゐた事とて、この際自ら調停に乗り出すべく、第一歩を進めたと伝へられてゐる、右について添田常務理事は語る
 渋沢子は協調会副総裁として、かねて私からの報告に注意して居られ、争議の成行にも非常に心配して居られたから、黙しがたく懇意にして居られる政府筋の方々を訪問した事と思ひます、乗り出すといふ様な大がかりのものではないはずです
  けふの交渉危まる
    野田争議の第四回会見
〔野田電話〕 野田争議団では、二十四日第一集会所で家族慰安会を行ふが、その際関東同盟会長松岡駒吉氏も来野することになつてをり、その機において野田醤油会社との間に第四回の交渉会見が行はれるものと見られて居たが、松岡氏と協調会の添田理事長の間に交渉問題はすこぶるデリケートな中にあるので、それがいづれかに目鼻がつくにあらざれば、会社との第四回の会見は、二十四日松岡氏が来野するとしても、なされないものと見られて居る


東京日日新聞 第一八五二八号 昭和三年三月二七日 野田争議の交渉に 代表取りかへ運動 渋沢子・知事立会ひ 茂木専務と鈴木会長の会見を(DK310094k-0002)
第31巻 p.572-573 ページ画像

東京日日新聞  第一八五二八号 昭和三年三月二七日
  野田争議の交渉に
    代表取りかへ運動
      渋沢子・知事立会ひ
        茂木専務と鈴木会長の会見を
野田争議は、最近の直訴事件以来会社対争議団の解決への動きは可なりに熟し、この好機は再び来らずとし、会社は協調会添田理事の調停を求め、一方警視庁大久保官房主事と松岡氏との会見となり、協調会副会長渋沢子と鈴木総同盟会長との懇談となる等、各方面に手をつくされてゐるが、両者間の中心解決問題である
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 (一)組合団結権の確認 (二)復職問題 (三)解雇手当問題
に対して、会社は最後の争議前から一貫した組合破壊の強硬な態度をかへず、復職・解雇手当の問題のみを切離して考慮しようとし、総同盟では飽くまで組合を守り団結権の確認に猛進し、それに伴ふ復職者解雇手当問題についても、松岡氏私案を厳守してゐるので、両者の腹は根本的に相反し、添田理事の妥協案は可なり会社側に近く、総同盟側は耳をかす余地なかるべく、険悪な空気を示してゐる、一方福永千葉県知事も調停者は今日まで廿数名を出してゐるものゝ、何れもさじを投げ、会社も弱り抜いて、近く争議団と手を切らんとする形勢も見えるが、総同盟では今更惨敗的な降伏も出来ず、玉砕的決心を堅めてゐる、然し某方面では個条書きの解決案よりも、右三問題を一丸とした超解決案の大局をして後、各条件を議して行く方法より外ないとなし、これがため会社も争議団も、代表者の並木工場課長・総同盟松岡駒吉氏を退け、調停者として渋沢子の出馬を乞ひ、福永知事の斡旋立会の下に、会社側は争議の当面者常務取締茂木盛平治氏を、争議団側は総同盟会長鈴木文治氏を起てゝ、これが解決を計るより外に途はないと見られ、現在はこの方法に向つて進むべく運動を起してゐる情勢である。


報知新聞 昭和三年四月八日 野田争議ようやく解決の光を認めらる 渋沢子や政府の肝いりで 添田・松岡間の交渉進む 根本問題を抜いて(DK310094k-0003)
第31巻 p.573 ページ画像

報知新聞  昭和三年四月八日
  野田争議ようやく解決の光を認めらる
    渋沢子や政府の肝いりで
    添田・松岡間の交渉進む
      根本問題を抜いて
罷業実に二百七日にわたる野田醤油争議は、労資の主張が双方頑強なるため、幾度か解決のしよ光が見えながら成らず、昨今議会開会を目前に控へた政府当局は急に狼狽し出し、内務省から福永千葉県知事を動かし、一方鈴木内相が渋沢子爵と数度会見した結果、渋沢氏の肝いりで、添田敬一郎(協調会理事)氏、総同盟側主事松岡駒吉・会長鈴木文治氏等が相互に具体案をつきまぜて、極秘裏に種々折衝を重ねて居る、交渉の結果、争議団側の根本主張である組合確認と、復職問題(千四十六名)は、結局このまゝではいつまで交渉を続けても会社側との妥協点が見出せぬので、調停者側では最後案として、組合確認問題には触れずに、組合の面目を立てるある条件付の復職(最初会社案二百名)と、解雇手当増額(最初の会社案は一人百円)で折合ふ事に近づいて来た、しかし持久戦七ケ月を経た今日、争議団側として今更二百円や三百円の手当をもらつたところでどうにもならないのは始めからわかり切つたことで、問題は手当の多少ではなくて、復職が重大条件である、総同盟としては最初組合確認については最後まで戦ふと社会に言明したが、五千の罷業団家族の現在の惨状を救ふには、結局調停者のいふいはゆる組合問題を抜きにした形の復職と、手当問題だけで歩みよる模様であるから、解決の具体案はこゝ数日中に出来る形勢である

 - 第31巻 p.574 -ページ画像 

東京日日新聞 昭和三年四月一四日 松岡駒吉氏と秘かに凝議 福永知事が(DK310094k-0004)
第31巻 p.574 ページ画像

東京日日新聞  昭和三年四月一四日
  松岡駒吉氏と
    秘かに凝議
      福永知事が
野田争議解決については、既報の如く協調会の添田理事及び総同盟の松岡駒吉氏を中心に、渋沢副会長・鈴木会長 ○総同盟などの尽力に依り、暗々裡に促進されてゐるが、政府当局の意向をうけてゐるといふ福永千葉県知事は十二日夜秘かに上京、政府筋を歴訪、改めて此方面の意向を聴取した結果、十三日午前十時半松岡氏を東京ステーシヨン・ホテルに招き、極秘裡に会見、約四時間に亘つて会談する所があつた、その内容に就ては両者共固く口を緘して語らないが、その会見に依つて解決への歩みも一段と進捗した模様で、今後前記諸氏の動きは頗る注目されてゐる。


東京朝日新聞 第一五〇六四号 昭和三年四月二〇日 さしもの野田争議 急転して解決を告ぐ 会社側四十五万円を提供して 芝協調会の大評定(DK310094k-0005)
第31巻 p.574-575 ページ画像

東京朝日新聞  第一五〇六四号 昭和三年四月二〇日
  さしもの野田争議
    急転して解決を告ぐ
      会社側四十五万円を提供して
          芝協調会の大評定
昨年九月十六日罷業を開始して以来、幾多の事故や犠牲を起して天下の視聴を集めてゐた野田醤油会社の大争議は、協調会添田理事の奔走により、数日前より解決の形勢濃厚となつたが、十九日に至り突然形勢急転して、労資双方は添田氏の新調停案に基き協議を重ねた結果、午後六時協調会に会合、大体復職員数三百四十二人、解雇手当四十五万円と議まとまり、かくて総罷業日数実に二百十七日間にわたる我国労働運動最大の争議も、こゝに円満なる解決を告ぐるに至つた
  疲労も恨も忘れて
    取交す温い握手
      意義深い沈黙はやがて笑声に
          記念すべき正式会見
野田争議労資両者の会見は、夕刊所報の如く十九日午後六時より協調会会議室において行はれた、これより先午後三時に至り、工場側からは茂木社長・両茂木常務・並木工場課長・太田顧問の諸氏、総同盟からは鈴木会長・松岡駒吉両氏が来着し、協調会三階の常務理事室を隔てゝ各一室づつに陣取つた、中央の理事室には添田敬一郎氏・草間労務課長・福永千葉県知事・横井警察部長の四氏が、前夜来両者間の交渉で一睡もせぬ充血したひとみを張つて熟議をこらし、草間氏は総同盟案と会社案との妥協案を携へて頻繁に左右両側の部屋を往つたり来たりする、会社側と総同盟の人達の青白く緊張した顔が時々廊下に現れる、午後六時最後に会社側との交渉によつて、調停妥協案は全く一致した、いよいよ記念すべき会見の幕は、協調会会議室に静かに開かれる、中央に添田理事と福永知事、右側に総同盟、左側に会社側の人達がズラリと着席する、添田氏は着席を待つて起ち上ると
 「長い間の争議が労資両者の誠意と雅量とによつて、極めて円満に
 - 第31巻 p.575 -ページ画像 
解決の決意をされました事は、誠に喜ばしい事と存じます」
と冒頭して、一句々々に力をいれたあいさつを述べる、この間室内はしんと静まり返つてしはぶき一つ聞えない、これに続いて茂木社長と鈴木文治氏とが簡単なあいさつに『解決の決意』を述べ終つた、この時間約一分、連日の交渉に疲労し切つた調停者も、労資両者の代表も無量の感慨に意味深い沈黙に落ちた、かくて争議史上かつてない二百余日の野田争議の幕は下された、直にシヤンペンが持込まれ、朗かな笑声と杯のかち合ふ音に包まれながら、労資両代表はテーブルを隔てて温かい握手を交したのであつた
  解決案の内容
    七百名の救済は追つてとして
          けふ野田で報告協議
右会見終了後、総同盟関東同盟会では、直に緊急中央執行委員会を開き、鈴木・松岡両氏の報告を協議の結果これを容認するに決し、午後九時散会したが、松岡氏始め中央執行委員一同は、廿日午前八時四十五分上野発にて野田に赴き、争議団委員会議・大会等において報告協議をなすはずである、尚添田氏から提示し、労資両者によつて承諾された今回の解決案の内容大要は
 一、三百四十二名を十日以内に復職させること
 一、会社側より解雇手当として三十八万円、争議中の賃銀並に争議費用として七万円、計四十五万円を提供すること
で、問題視された労働組合の団結権には両者共触れなかつたが、残る七百名の失業救済問題については、追つて千葉県当局において適当の処置を講ずるものと見られてゐる


集会日時通知表 昭和三年(DK310094k-0006)
第31巻 p.575-576 ページ画像

集会日時通知表  昭和三年        (渋沢子爵家所蔵)
二月廿三日(木) 午後一時半   添田敬一郎氏来約(事務所)
   ○中略。
三月廿三日(金) 午後零時半   添田敬一郎氏来訪(事務所)
         午後四時    鈴木文治氏来約(事務所)
三月廿四日(土) 午後三時    協調会理事会(同会)
   ○中略。
三月廿六日(月) 正午      松岡駒吉・添田敬一郎氏との会見(永楽町事務所)
   ○中略。
三月廿九日(木) 午後二時    添田敬一郎氏来約(事務所)
三月三十日(金) 午後二時    添田敬一郎氏来約(事務所)
三月卅一日(土) 午前十一時   鈴木文治・添田敬一郎氏来約午餐アリ(事務所)
   ○中略。
四月四日(水)  午後二時    添田敬一郎氏来約(事務所)
   ○中略。
四月六日(金)  午後一・五〇時 添田敬一郎氏来約(事務所)
四月七日(土)  正午      松岡・添田敬一郎氏来約(事務所)
 - 第31巻 p.576 -ページ画像 
         午後二時半   茂木七郎右衛門・茂木啓三郎両氏来約(事務所)


(福永尊介) 書翰 渋沢栄一宛 (昭和三年)四月二二日(DK310094k-0007)
第31巻 p.576 ページ画像

(福永尊介) 書翰  渋沢栄一宛 (昭和三年)四月二二日 (渋沢子爵家所蔵)
虔而奉啓候、春暖之候益々御清勝御座被遊欣頌の至りに奉存候 過日は香取神宮御参拝御来県被下候処、丁度上京不在、御出迎も不仕誠に失礼仕候段、御仁恕被下度候、其節横井警察部長をして野田争議に付御内願申上候処、御快承被下、種々解決促進に付御配慮被下置、御厚情誠に難有奉存候、添田君御鞭撻被下候甲斐ありて、其後急転直下双方協定相調へ、十九日夜協調会館に於て調印相済ませ候事に御座候、小子の観測にては、結局閣下を奉煩候に非れは解決せずと相信し居候処、添田君手許に於て解決仕候事は、協調会面目の為めにも誠に好都合にして、畢竟段々との御配慮の結果に有之、厚く御礼申上候
何れ拝光万情御聴に達し度奉存候得共、不取敢御礼旁々如此に御座候時下為邦家折角御加養被遊候様奉祈上候 恐々敬具
  四月二十二日
                      福永尊介
    渋沢先生
         奉呈侍曹
 東京市外滝ノ川
  西ケ原一〇三六
    渋沢栄一閣下
                  直展
 千葉県庁
   固
           福永尊介
                   昭和参年四月廿参日


集会日時通知表 昭和三年(DK310094k-0008)
第31巻 p.576 ページ画像

集会日時通知表  昭和三年       (渋沢子爵家所蔵)
八月九日(木) 午后弐時 添田敬一郎氏来約(事務所)



〔参考〕労働争議野田血戦記 日本社会問題研究所編 第三三三―三四二頁 昭和三年六月刊(DK310094k-0009)
第31巻 p.576-577 ページ画像

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〔参考〕野田争議の顛末 野田醤油株式会社編 第五八―六七頁 昭和三年一二月刊(DK310094k-0010)
第31巻 p.577-581 ページ画像

野田争議の顛末 野田醤油株式会社編  第五八―六七頁 昭和三年一二月刊
 ○第四 争議経過中の主要事件
十九、調停運動及協調会の活動
野田労働事情悪化の源因は種々あるであらうが、大正十二年の争議に際して本県当局が調停せられたる結果につきて、労働組合側がその反省を怠り、社会は常に無条件に労働運動に共鳴し、官憲も亦然るであらうと誤解したる点も亦其の一つであるは否み得ない所である。されば今回の争議に当りては会社に於ては「不自然なる調停には断じて応ぜざること」及「一旦解雇したる者は如何なる事情ありても復職せしめざること」を二大根本方針として、之が徹底を期し、以て禍根を一掃せんとしたのである。各方面の有力者も亦会社のこの決心を諒とせられたるものゝ如く、福永本県知事も、鈴木内相も共に「漫りに調停には立たず、本争議は労資双方当事者の誠意ある交渉によりて自主的に解決すべし」との談話を、新聞記者に対して試みられてゐる。
 然し乍ら争議経過の遷延すると共に、松岡駒吉氏はしきりに調停誘励の裏面策動を試み、遂に窃かに森外務政務次官を野田に同行して争議の実状を視察を乞ひたる等の事実もあり、その他、凡有機会を利用し、凡有機縁を辿り、手段と方法の限りを尽して、調停者の出現運動をなしたと信ずべき節があるのであるが、会社はその都度之を謝絶したので、その悉くが失敗に帰したるものの如くである。二月二日の争議団大会に於て、解決一切を無条件にて松岡氏に一任するに至りたるも、万策悉く尽きて窮余の活路を見出さんと試みたる一の表はれなりとの巷説甚だ高きものがあつた。
 会社に対しては、当町土木請負業下田助四郎氏は、争議勃発後間もなく文書及口頭を以て、大和民労会は十月下旬副総裁藤代天放氏より口頭を以て、勤労報国会は総裁頭山満氏より文書を以て、十月卅一日に、国粋会より梅津勘兵衛氏・倉持直作氏外数氏より口頭を以て数回に亘り(九月下旬及び十二月中旬等)夫々調停申入れがあつた。然し乍ら争議団側に於て解決に対する誠意なく、徒らに会社反抗の気勢を昂げ居る限り、会社としては到底調停には応じ難き次第なるを以て、右諸氏の好意は充分感謝する所なるが、事情を縷陳し謝絶し、諸氏亦会社の存意を諒とせられたのであつた。
 更に東京に於ては、昭和二年十二月二十一日ステーシヨン・ホテルに於て大化会・大行社等、右翼団体三十有余の本争議に関する会合あり、赤松克麿等総同盟側よりの出席者もあり、結局調停に立つことを
 - 第31巻 p.578 -ページ画像 
決議し、大川周明氏を実行委員長として、その衝に当らしむることとなつた趣であつたが、遂に本社に対しては何等の申出もなかつたのである。
 この外全過程に於て、有名無名各種の人々から文書又は口頭を以て仲介申入れがあつたが、その何れもが会社の陳ぶる所を諒とせられて引下がるので、調停者は全く出現せざる状況を示し来り、争議団側に於ても、もはや如何ともなし能はざるに至り、遂に松岡氏一任となり玆に同氏と会社との間に解決に関する懇談を試みることゝなつたのである。
 かくて経過の上に一道の光明認められたりやの感があつたのも束の間、前項の如き経緯を以て却つて陰暗複雑を加ふるに至り、勃発後二百日に垂んとするも、尚且前途測るべからざるの実況であつた。
 財団法人協調会は、その本然の立場より、本争議の頭初より特に深甚なる注意を払はれ、松岡氏と本社代表者の会見に於ては、同会草間労働課長は会見立会人として種々斡旋尽力せられ、会見が無期延期となりて後も、種々両者間を奔走して解決の機運醸成に尽力せらるゝ所があつたのである。同会常務理事添田敬一郎氏は、二月二十日施行の普通選挙に際し、福井県下に於て立候補され、その為専ら本争議に携はる折がなかつたのであるが、政戦終るや戦塵を清むる間もあらせず直ちに本争議解決に関して専念尽力せらるゝに至り、同会は殆んど挙会一致、大阪支部よりも有力なる所員の応援を求め、三月中旬より非常なる奔走を試みらるゝに至つた。
 然るに松岡氏の肚裏は、特別議会の近づくと共に政府不信任案に関し朝野両党の勢力伯仲せるに乗じて、社会民衆党新代議士の勢力を巧に利用し、以て野田争議を政治問題化して有利なる解決をなさんとするに至りたるものゝ如く、協調会の調停を喜ばざる如き口吻を洩し来り、現に鈴木文治氏は田中首相と数時に亘り会見せる事実も喧伝せられ、各政党亦議会の近づくと共に、本争議に関する調査を始め、前途甚だ暗澹たるに至つたのである。
 協調会は之等各種の策動あるにも拘はらず、熱心不断の努力を続けられ、同会副会長渋沢子爵は或は鈴木文治氏及松岡駒吉氏を招いて種種懇諭せられ、或は政府要路の大官と懇談を試みらるゝ等、老躯を押して痛心奔走せられたのであつたが、総同盟側の態度甚だ強硬にして屈せず、この間特別議会の迫ると共に、大小の策士陰躍して甚だ複雑を加ふるに至つた。
 争議を政治問題化することの是非に関しては、本社亦一個の見解なきに非ず、総同盟側のかくの如き態度は甚だ遺憾であり、之がため不純の動機に出発せる各種策士の出没するは甚だ以て迷惑とする所、かくの如きは速かに真の解決を齎す所以に非るを痛感せるを以て、四月十六日附を以て左の声明を発したのである。
 「争議の解決が容易でないので、幾多の人々が仲裁の労をとるが如き新聞記事が発見せられ、問題解決の中心が奈辺にあるかを疑はしむるかに思はるるは遺憾に堪へず。本件に関し去る二月二日松岡氏から会見申込みがあつた際、会社は協調会の当事者に立会ひを乞ふ
 - 第31巻 p.579 -ページ画像 
ことを希望してこれを提唱し、松岡氏も賛成したので、以後その立会を以て会見を重ねて来たのであり、殊に現今同会常務理事添田氏に一任してある以上、協調会及びこれと協同尽力者以外の何人にも依頼する意思は全然ない。」
 この声明が新聞に掲載さるゝや、調停経過は大いに明瞭となり、且確然とするに至り、各種の策動は漸次影を潜め、松岡氏亦協調会によらずんば到底局面の転回は期し難きを痛感せる如くであつた。
 かくて調停は本筋となり来つたが、之れより先福永本県知事は、特別議会の会期切迫と共に、本争議の調停経過が漸次複雑となり来るを憂えられ、屡々上京して各方面と懇談を試みられ、或は松岡駒吉氏と面会し、或は会社主脳部と数次に亘りて面談せらるる等、大いに斡旋尽力せられたのであつた。主たる調停者たる添田協調会常務理事は、之より先屡々福永知事と会見懇談を試みる所あり、四月十六日頃に至るや、会社の肚裏も嚮の声明により明明瞭となり来りたる関係もあり両氏は愈々共同調停を積極的に試むることゝなりたる模様あり、殊に協調会側の活動は殆んど不眠不休、これがために解決の気運漸次濃厚となり来つた。この間総同盟関西同盟会某有力者は盛に裏面にあつて尽力せられ、これがため大いに解決の気運促進せらるる所があつた由である。
 四月十八日に至るや、松岡氏も協調会によらずんば解決全く至難なるに想到されたるものの如く、同夜添田氏との会見の結果は、解雇手当四十二万円、解雇者中よりの新採用者数は三百名まで歩み寄つたのであつた。松岡氏は翌日関東同盟会執行委員会を開きて右案を附議することとなつた由であつたが、同氏は同夜深更添田氏邸を訪ひて手当の増額を申入れたる事実あり、一方鈴木文治氏及関西同盟の某有力者も盛に活動さるゝ等、状況甚だ機微の関係となつた。
 かくて翌四月十九日早暁、東京よりの急電により、両常務・顧問・工場課長等会社の主脳部は急遽上京して、在京中の社長と協議の上、一同して添田邸に至り、手当四十五万円、新採用者三百名の解決案に肯諾を与へ、添田氏は鈴木文治氏を招きて、懇談の結果、之又同意を得、かくて会社側も組合側も共に協調会に至り、折柄福永千葉県知事及横井警察部長も来り会し、協調会会議室に於て
調停者側よりは
 福永知事・横井警察部長
 協調会添田常務理事、草間労働課長、橋本・広池・町田各参事、大月嘱託
組合側よりは
 鈴木文治・松岡駒吉の両氏
会社側よりは
 社長茂木七郎右衛門、常務取締役茂木七左衛門・同茂木佐平治、顧問太田霊順、工場課長並木重太郎の諸氏
列席して正式会見をなし、左記覚書四通を作りて仮調印をなして交換し、明日双方に於て夫々の機関に諮りたる上にて正式に成立せしむる事とし、玆に抗争二百十七日に亘りたる本争議も、完全に解決の協定
 - 第31巻 p.580 -ページ画像 
成立したのである。時に午後六時三十分。
 かくて添田氏、及会社よりは社長、組合側よりは鈴木文治氏交々立つて挨拶し、協調会の好意による晩餐を共にし、歓談を交換して分袂した。
 野田に於ては、午後六時半過国民新聞がポスターを貼出して争議解決を報じ(組合員は貼出直後剥ぎ取り歩きたり)ラジオニユースにも報ぜらるゝ等、何となく空気のざわめくのを覚えしめた。会社側幹部の一行は深更帰野、直ちに重役会を開きて解決案を承認したが、二百十七日の長き闘争もかくて愈々円満解決するを思ふては、流石に云ひ知れぬ感慨の去来するを禁じ得ざるものがあつたのである。
二〇、争議解決覚書
昭和二年九月十六日以来継続シタル野田醤油株式会社ニ於ケル労働争議ハ、今回当事者双方ノ間ニ完全ナル協定成立シ、左記各項ニ依リ円満ニ解決シタリ
一、争議団ハ昭和三年四月三十日限リ之ヲ解散スルコト
二、会社ハ争議団解散後十日以内ニ、解雇者中ヨリ詮衡ノ上参百名ヲ採用スルコト
三、会社ハ解雇者ニ対シ、左ノ標準ニ依リ解雇手当並ニ生計援助費ヲ支給スルコト
 (一) 工員規定第六十一条ニ依ル解雇者ニ対シ、解雇手当一人平均金弐百円宛ヲ贈ルコト
 (二) 解雇者中新規採用ニ漏レタル者ニ対シ、生計援助トシテ一人平均金弐百円宛ヲ贈ルコト
 (三) 工員規定第十九条ニ依リ解雇シタル者九十七人ニ対シ、同規定第五十二条ノ二ニ依ル解雇手当総額参万五千四百八拾参円八銭ヲ支給スル外、生計援助トシテ一人平均金弐百円ヲ贈ルコト
 (四) 工員規定第十八条ニ依ル解雇者ニ対シテハ(一)(二)ノ例ニ依ル
 (五) 処分未了者四十二名中、争議ニ関係ナキ入営中ノ者十一名ヲ除キ他ノ三十一名ニ対シテハ、生計援助トシテ一人平均金弐百円ヲ贈ルコト
以上解雇手当並ニ生計援助費総計金参拾八万円ハ、争議団関係者ニテ適当ニ之ヲ分配スルモノトス
  昭和三年四月十九日
          野田醤油株式会社代表 茂木七郎右衛門(印)
                     茂木七左衛門(印)
                     茂木左平治(印)
             日本労働総同盟 鈴木文治(印)
                     松岡駒吉(印)
          調停者  協調会理事 添田敬一郎(印)
                     福永尊介(印)
    附記
一、本争議ニ関シテ提起セラレタル刑事問題告訴ハ、互ニ之ヲ取下グルコト
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二、解雇者ニシテ工員社宅居住者ハ、解決ノ日ヨリ三ケ月以内ニ退去スルコト



〔参考〕竜門雑誌 第四八一号・第一八九―一九三頁 昭和三年一〇月 渋沢子爵と労働問題(添田敬一郎)(DK310094k-0011)
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竜門雑誌  第四八一号・第一八九―一九三頁 昭和三年一〇月
    渋沢子爵と労働問題 (添田敬一郎)
      一
 渋沢子爵は我が邦事業界の大恩人であり、子爵自らの生涯が明治維新後の事業史を物語るとも言ひ得る程の大人物であることは言ふ迄もない。特に渋沢子爵の生ひ立ちに就ては、万人周知のことであつて、今更之を繰り返へすの用はない。只同子爵が現代の重大問題である労働問題に対して、如何なる考へをもち、如何なる態度を執つて、之に望んで居られるかを明かにすることが本稿の目的であり、亦お互が共に知らんとする所である。然し乍らそれを知るには、先づ老子爵の平生の主張を知り、根本精神を知らねばならぬ。老子爵の根本精神とも言ひ得べきものを一言にして尽せば、『事業界を通じ、王道に拠りて仁義を行はんとするにあり』と言ふことが出来ようと思ふ。
 老子爵は幼にして孔孟の学を修め、長じて泰西の文物を研め、採長補短の実を挙げ、自由活達なる手腕をもち、我が邦事業界の先駆となつて、税制・幣制等の制度組織を布かれると共に、銀行会社等の創設者として、経済上・物質上、重大な位置をもつて居られたのである。即ち我が邦商工業の発達にはなくてならぬ人であり、見逃がすことの出来ない大恩人である。而して子爵は功利一辺の人でなく、あく迄も道義を中心とし実践躬行の道徳家である。随つて経済の振興、産業の勃興に深く意を用ひたと雖も、経済の道徳化、産業の倫理化てふ方面には、より一層の心を致して居られた事は見逃がす事の出来ない事実である。
 また明治時代のモツトーが富国強兵に在つた為、国富と兵力の増大を最も必要としたのであるが、子爵は此の時代にあつて財界・事業界を指導し、国家経済の発達に貢献する処最も大であつた。子爵の驚くべき勢力と、経済上の卓見と、手腕と、努力とが、よく今日の実業界の隆盛を招来したとも言ふことが出来るのである。此の事業界の発達振興と共に、我が邦の産業革命が漸く実現され、我が邦の資本主義経済組織は構成され発達されたのである。
 其の結果に現はれた労資の関係が、今日の如く紛糾錯雑を極め様とは、道義を中心として物を考へ、仁義を本として事を処理せんとする老子爵に在ては、恐らく考へて居られなかつた事であらうと思ふ。今日と雖も尚子爵は王道により、忠孝仁義の道に立つて、今日の経済界の険悪なる空気も一掃し得るものと確信せられて居るのである。
      二
 封建制度の下に人格の自由を失ひ、階級的圧迫の下に人として伸びる事の出来ない事情を、どうしても忍ぶ事が出来ないと、『尊王攘夷』の旗印を立てゝ、之が打破に志し、更に官尊民卑の弊風を打破して人格平等の大道を布かねばならぬと心懸けられた子爵にとつては、今日階級対峙の形を以て闘争を事とする社会問題・労働問題を軽々に見逃
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がす事は出来ない。之に対して、細心の注意を払ひ、人一倍の苦辛を附されて居るのである。特に子爵が製紙業に紡績業に其の他幾多の事業に関係せられた体験を通じて、産業支持者たる労働者の問題を如何に扱ふべきかに就ては相当の苦辛もし、研究もし、又相当の識見も有たれると同時に、此の問題の推移に就ては充分なる注意も払はれ、また非常に心配もせられたのである。
 抑も此の事たるや欧洲大戦争の影響により、急激なる財界の変動を来し、常道を以て律することの出来ない経済異状と、世界的思潮の動揺とによつて惹起されたものであつて、其の結果幾多の事件が一時に勃発するの已むなきに到り、世は挙げて社会問題・労働問題の為に幻惑さるゝ有様となつたのである。
 此の時に当つて、渋沢老子爵は我が邦の産業界を健全に発達せしむる為には、寧ろ労働組合を認め、之を助長し、之が堅実なる発達を期して、労資の協力を求むるより外なしと迄考ふるに到つたのである。実際に於て、我が邦の資本主義経済組織を建設したとも見られ得る同子爵によりて、此の事が言はれ得ると言ふことは実に驚くべき卓見である。過去に囚へられず徒らに未来を怖れず、著々現在の問題を道義的に解決せんとする定著固執なき子爵にして初めて言ひ得ることである。併しその根柢はあく迄も経済と道徳の一致であつて、経済の道徳化、道徳の経済化こそ子爵の念願であり、根本精神であるのである。
 然し乍ら資本主義に立つ現在の経済組織は、東西共に決して道徳化されたとは言はれない。資本独裁の力も現はれ、労働専制の運動も行はれて、世は混雑を重ね、紛糾に紛糾を重ねて居るのである。為に老子爵の憂ひは決して止むことがないのである。
      三
 労資協調を目的とする、現在の財団法人協調会設立の当初に於ても老子爵は率先、その発起人となり責任者となりて、産業の健全なる発達を期する為に、労資の協調偕和を念願されたのである。当時この会の創立に犬馬の労を取りし自分は、幾度か子爵と懇談を重ね、且その指導を受けたので在つたが、当時自分をして、最も感動せしめたことは、老子爵が此会の創立に付き非常の決心を以て、国家に対する最後の御奉公として老躯を捧げんとの意気を示され、或は趣旨綱領の作製に、或は寄付金募集に、実に壮者も及ばざる努力を致されたる事であつて、其努力と其誠意夫れ自身に依つて、自分は尊き教訓と感化を受けたのである。当時労働運動を阻止するものとして考へられた治警第十七条の撤廃の如き、また、労働組合法の制定の如きにも論及せられた、撤廃すべきものは早く撤廃し、制定すべきものは早く制定して、労働者も資本家も共に立ち得る様に致さねばなるまいと、主張せられたことは、却つて一部資本家の誤解を招く程であつたが、之れこそ仁義道徳を本とし、忠恕を旨として、以て凡ての基調となさんとする子爵の面目が躍如するのみならず、眼を世界の大勢に注ぎ、徒らに防圧手段を講ずるは却つて其反動を来たすとの、公明にして卓越せる識見に基くのであつて、誠に敬服の外ないのである。即ち子爵の労働問題に対する態度としては、労働組合の発達しない我が邦に於ては、組合
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の認むべきは之を認め、之を助長し、組合をして健全なる発達を遂げしめ、指導誤りなきを期すると共に、根本精神に於ては協調主義を深く奉じて、労資両者が平等なる人格の基礎の上に立ち、自他の正当なる権利を尊重して、自制互譲、以て産業の発達、文化の進展、国家社会の安寧・福祉を増進せしめんとするにありと言ふことが出来ようと思ふ。
      四
 上述の信念と態度とを持つて、老子爵は労働問題にのぞまれ、それの正しき進みを期して已まぬのである。協調会の最高責任者として、その創立より今日迄、時には鞭撻し、時には指導し、関係者を督励せられて居る。協調会が合理的な基礎に立つて進まんとする処より、一面には資本家の誤解批難となり、他面には労働者の抗撃するところとなつて、困難に遭遇する場合も幾度かあつたが、老子爵は常に内外に対し慰撫奨励よく努められたのである。老子爵の如く解つた人、熱のある人、育てんとする人、調べんとする人あつてこそ、現下の複雑なる社会問題・労働問題もその解決の道を見開くのである。



〔参考〕(町田辰次郎) 書翰 渋沢栄一宛 昭和三年一月二一日(DK310094k-0012)
第31巻 p.583-584 ページ画像

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