デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
3款 其他 3. 労働問題懇談会
■綱文

第31巻 p.598-600(DK310098k) ページ画像

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■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK310098k-0001)
第31巻 p.598 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
九月廿三日(金) 正午 鈴木文治・賀川豊彦・石本恵吉男等来約(事務所)


招客書類(一) 【大正十年九月二十三日正午於兜町事務処 労働問題懇談会】(DK310098k-0002)
第31巻 p.598-599 ページ画像

招客書類(一)            (渋沢子爵家所蔵)
大正十年九月二十三日正午於兜町事務処
  労働問題懇談会
                    鈴木文治
                    賀川豊彦
                    高山義三
                  男 石本恵吉

                    添田寿一
                    添田敬一郎
 - 第31巻 p.599 -ページ画像 
                    田沢義鋪

                    主人


竜門雑誌 第四〇一号・第五三頁 大正一〇年一〇月 労働問題懇談会(DK310098k-0003)
第31巻 p.599 ページ画像

竜門雑誌  第四〇一号・第五三頁 大正一〇年一〇月
○労働問題懇談会 青淵先生には、九月二十三日正午渋沢事務所に於て、鈴木文治・賀川豊彦・高山義三三氏並に石本恵吉男爵を招待の上労働問題に関し種々懇談せらるゝ所ありたるが、当日陪賓として添田寿一・添田敬一郎・田沢義鋪諸氏出席せりと云ふ。



〔参考〕日本労働総同盟会長松岡駒吉談話筆記(DK310098k-0004)
第31巻 p.599-600 ページ画像

日本労働総同盟会長松岡駒吉談話筆記 (財団法人竜門社所蔵)
                昭和十二年四月二日 於総同盟本部
 「私が始めて渋沢子爵にお会ひしたのは大正七年か或は大正八年の始めだつたか、子爵に日本橋の事務所に招かれた時です。其の時には元友愛会主事をして居た板倉定四郎なる者が、会長鈴木文治氏を中傷した手紙をお見せになつて、私に其の真相を確かめられました。私は其れが事実でない事を述べた所が、子爵は鈴木氏の長所も短所もよく知つて居られた様で、欠点は良く君達も一緒になつて直す様にしてやつて呉れと言はれました。当時既に左翼的になりつゝあつた友愛会に対して、其の穏健な発達の為に飽く迄援助を惜まれなかつた子爵の態度に、私は今でも感謝して居ります。
 其の次にお会ひした時は、大正十年私共の応援した神戸川崎造船所のストライキの終つた頃、確か十月だと思ひますが、鈴木文治・棚橋小虎・麻生久・賀川豊彦(争議の実行委員長)と私の五名、協調会から添田敬一郎・田沢義鋪・永井亨の三理事が、渋沢事務所で労働問題について――話は此の争議で君達も少しやり過ぎるからと云ふ様な事で――懇談された時です。此の時協調会の三理事の中、添田氏は理論上は兎も角、真向から労資協調一点張りで、田沢氏も生一本な性格から労資協調に一種の信仰心を持つて居られた様でした。永井氏は如何にも学者らしい立場から、労資協調の手段方法も考慮せねばならぬと云ふ様な事を言つて居られましたが、私達には何等首肯し兼ねる様な理論でした。然るに渋沢子爵の言はれるには『徳川幕府が倒れたのも慶喜が個人的に見て悪かつたのではなく、幕府は倒れるべき運命にあつたのだ。資本主義機構も早晩改革されねばならず、それは只時の問題だ』と云ふ意味の事を云はれましたが、此の事を聞いた時私は、渋沢子爵は此の席の最大の年長者であり、而も自ら資本主義の輸入者である。此の人から斯かる言を聞く、悟りを開いた人は偉いものだと非常に感心しました。
 昭和三年の野田争議の時にも、添田さんとは度々会見しましたが、御承知の様に中々解決がつかない、其の中に直訴事件などがあり、渋沢子爵は大変心を痛められて、再三私を呼出されましたが、私も非常に忙がしかつたものですから、一度お会ひしましたが、其の時には子爵は大変衰弱なさつて、お側の者達は会見を嫌がつて居ましたが、子爵が是非にと云ふので私と添田さんが会ひました。此の時子爵は何と
 - 第31巻 p.600 -ページ画像 
か妥協の仕方はないかと言はれましたので、私は最早かうなつては妥協の余地はない事、及び私の決意を述べました所、子爵は一々肯いて添田氏を鞭撻されて居ました。私は此の時は非常に親切な老人だなあと言ふ事を感じました。」