デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
3節 内鮮融和
6款 向上会館
■綱文

第31巻 p.779-786(DK310117k) ページ画像

大正15年6月12日(1926年)

是ヨリ先四月、京城ニ於テ向上会館ヲ経営セル青森徳英・渓内弌恵等、朝鮮総督子爵斎藤実ノ紹介ニヨリ栄一ヲ訪ヒ、当会館ヘノ援助ヲ乞フ。仍ツテ、是日栄一、日鮮懇話会ニ謀リテ寄附金ヲ募リ、八月之ヲ贈ル。


■資料

(斎藤実) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一五年)三月三〇日(DK310117k-0001)
第31巻 p.779 ページ画像

(斎藤実) 書翰  渋沢栄一宛 (大正一五年)三月三〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清祥奉大賀候、陳者在京中親シク御示教ヲ願度存居候処、遂ニ帰期ニ迫ラレ寸暇ヲ得ズ、失礼ノ儘退京帰任仕候、然ルニ左ノ二件ニ関シ本人共罷出御願可仕候間、懇話会ノ方江御紹介被成下候ハヽ難有仕合ニ御座候

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 在京城向上会館維持費募集ニ関スル件 在間島光明会、教育事業ニ対スル基金募集ニ関スル件 青森徳英 渓内弌恵 日高丙子郎 



右二者共ニ相当成績ヲ挙ケ、将来ノ見込モ相立候様相見得候ニ付、特ニ高配願上候次第ニ御坐候、詳細ハ本人共ヨリ御聴取被下候様奉希候時下折角御自愛祈上候 敬具
  三月三十日
                        斎藤実
    渋沢子爵閣下


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK310117k-0002)
第31巻 p.779 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 晴 軽暖
○上略 青森徳英氏来リ、朝鮮人救済ニ付向上会援助ノ事ニ付依頼アリ
○下略


集会日時通知表 大正一五年(DK310117k-0003)
第31巻 p.779 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
四月二日(金)  午前九時  青森徳英氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
四月五日(月)  午後一時  青森徳英氏来約(事務所)
   ○中略。
四月十一日(日) 午前九時  渓内弌恵・青森徳英氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
四月十五日(木) 午後三時半 青森徳英氏来約(事務所)
   ○中略。
六月十二日(土) 午前十一時 内鮮懇話会(工業クラブ)

 - 第31巻 p.780 -ページ画像 

(青森徳英) 書翰 白石喜太郎宛 (大正一五年)五月三日(DK310117k-0004)
第31巻 p.780 ページ画像

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(青森徳英) 書翰 白石喜太郎宛 (大正一五年)五月二〇日(DK310117k-0005)
第31巻 p.780-781 ページ画像

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朝鮮関係諸意見書類 【大正十五年五月廿五日 朝鮮銀行…】(DK310117k-0006)
第31巻 p.781-782 ページ画像

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(青森徳英) 書翰 渋沢栄一宛 大正一五年六月一七日(DK310117k-0007)
第31巻 p.782-783 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 斎藤実宛 大正一五年六月二一日(DK310117k-0008)
第31巻 p.783 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  斎藤実宛 大正一五年六月二一日  (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、爾来御疎情に打過候処、益御清適奉賀候、然ば今春御上京中御申聞被下、更に御書翰並に電報を以て尊示の在間島光明会教育事業に対する基金募集に関する件、並に在京城向上会館維持資金募集に関する件に付ては、其後内鮮懇話会幹事たる朝鮮銀行総裁鈴木島吉氏及東洋拓殖会社総裁渡辺勝三郎氏と協議致度と存候処、折柄李王殿下薨去の為め渡辺氏渡鮮不在となりし等の為め、其意を不得打過候も、余り遷延も致兼候に付、鈴木氏と諮り懇話会総会を開き、右二問題を議題として協議致、且折柄在京中の日高丙子郎氏の説明を聴取致、結局出席者に於て小生等幹事に立案を委任せられ候に付、鈴木氏と相談の上向上会館に対し金九千円、光明会に対し金弐万円を醵出することゝし会員に割当て寄付金を募集することゝ相成、夫々勧誘中に有之候間、不取敢御報告申上候、折角の尊諭に対し、緩怠に当り候段、何とも恐縮至極に御座候得共、事情御諒察の上平に御海容被下度候
尚序を以て申上候は佐々木清麿氏此程御地の旅行より帰京致、貴地滞在中時々拝光、御高教を賜候由承知致、感謝罷在候、同人は小生の世話内の一人に有之、多年懇親に致居候、為念申上候
右得貴意度如此御座候 敬具
  大正十五年六月二十一日
                      渋沢栄一
    子爵 斎藤実閣下


(大橋徹映) 書翰 渋沢栄一宛 大正一五年八月二三日(DK310117k-0009)
第31巻 p.783-784 ページ画像

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(松寺竹雄) 書翰 渋沢栄一宛 大正一五年八月二五日(DK310117k-0010)
第31巻 p.784 ページ画像

(松寺竹雄) 書翰  渋沢栄一宛 大正一五年八月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
謹啓、時下残暑酷敷御座候処、愈御清安奉賀候、陳者今般日鮮懇話会より当地向上会館に対し多額之御援助金御恵与被成下、事業経営の将来に関し鞏固なる基礎を得候事、偏に深甚の御配慮によるものと、厚く感謝の微意を表し申候、就ては本会に於ても今後益事業後援の実を挙げ、以て有終の美を済さしめ度冀願罷在候に付、此の上共何分之御指導御激励相仰き度、此之段御挨拶旁得貴意候 敬具
 尚恐縮千万に御坐候共、貴会員各位へ可然御伝声之程伏て御願申上候
  大正十五年八月二十五日
             向上会館後援会長 松寺竹雄
    子爵 渋沢栄一閣下


(稲葉昌丸) 書翰 渋沢栄一宛 大正一五年一〇月二日(DK310117k-0011)
第31巻 p.784 ページ画像

(稲葉昌丸) 書翰  渋沢栄一宛 大正一五年一〇月二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
謹啓時下秋冷ノ候ニ御座候処、愈々御清安之段大賀此事ニ御座候
陳者今回朝鮮京城向上会館経営ニ関シ、特別ノ御配慮ヲ蒙リ、此程日鮮懇話会ヨリ多額ノ御援助金御恵与被成下、経営上多大ノ便宜相受ケ候事、偏ニ啻ナラヌ御執成ニ依ルモノト厚ク感謝ノ意ヲ表シ申候、就テハ当本山ニ於テモ今後精々当事者ヲ督励仕リ、事業ノ堅実ナル発展ヲ遂ケシメ、以テ同胞相和ノ実ヲ挙ケ度冀願罷在候ニ付、此上共御指導御声援之栄ヲ得度、別封讃仰帖記念ノ為メ御高覧ニ供シ候ニ付、御受納被成度、此段以書中御挨拶旁得貴意候 敬具
  大正十五年十月二日
                大谷派本願寺
                寺務総長 稲葉昌丸
    子爵 渋沢栄一殿


向上会館総則(DK310117k-0012)
第31巻 p.784-785 ページ画像

向上会館総則              (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    向上会館総則
第一条 本会館ハ仏教ノ精神ニ基キ専ラ朝鮮人ヲ教化スルヲ以テ目的トス
第二条 前条ノ目的ヲ達センガタメ左ノ三部ヲ設ク
    一、教化部
    二、修学部
    三、産業部
    但シ各部ノ事業ハ別ニ細則ヲ設ケテコレヲ行フ
第三条 本会館ニ左ノ職員ヲ置ク
    館長 一名  主幹 一名  教務主任 一名  庶務主任
 - 第31巻 p.785 -ページ画像 
一名  生徒監 一名  書記 若干名  会計 一名
    館長・主幹・教務主任ハ本山コレヲ任命シ、庶務主任・生徒監・書記・会計ハ館長コレヲ任命ス
    館長ハ館務ヲ総理シ本会館ヲ代表ス
    主幹ハ館長ヲ補佐シ本会館ノ主務ニ任ズ、館長事故アル時ハコレヲ代理ス
    教務主任ハ館長ノ命ニ従ヒ本会館ノ教務ヲ処理ス
    庶務主任ハ館長ノ命ニ従ヒ本会館ノ庶務ヲ処理ス
    生徒監ハ館長ノ命ニ従ヒ生徒ヲ監督シ、風紀粛正ノ事ニ当ル書記ハ上職ノ命ニ従ヒ本会館ノ事務並ニ記録ヲ掌ル、会計ハ金銭ノ出納並ニ財産保管ノ事務ヲ掌ル
第四条 本会館ノ趣旨ヲ賛同スル篤志家中ヨリ評議員四十名以内ヲ選ビ、館長コレヲ委嘱ス
    評議員ハ評議員会ヲ組織シ、本会館予算決算ノ認定及其他重要ナル事項ヲ審議ス
    評議員会ハ毎年一月館長ノ招集ニ応ジテコレヲ開ク、但シ必要ニ応ジテ臨時ニコレヲ招集スルコトアルベシ
    評議員中ヨリ理事七名ヲ互選シ、理事ハ会計監査ノ任ニ当ルモノ二名ヲ互選ス
    理事ノ任期ハ二ケ年トス
    理事ノ互選ハ半数以上出席ノ評議員会ニ於テコレヲナス
    理事ハ本会館ノ重要事項ヲ審議ス
    理事会ハ毎月一回コレヲ開ク、但シ必要ニ応ジテ臨時ニコレヲ開クコトアルベシ
第五条 本会館ノ会計年度ハ毎年一月一日ニ始マリ同年十二月末日ニ終ル



〔参考〕向上会館要覧 大正十三年七月刊(DK310117k-0013)
第31巻 p.785-786 ページ画像

向上会館要覧  大正十三年七月刊
    沿革
 本会館設立者渓内弌恵師は朝鮮在住十有余年の久しきに渉り、朝鮮人教化に関し不動の識見と抱負とを有せらる。大正七年春真宗大谷派朝鮮布教管理者に推挙せられ、京城別院輪番の職を兼ぬるに及び、京城その他鮮内須要の地に於て朝鮮人専用の教化機関を設立し、以て朝鮮人の物質的並に精神的生活を向上せしむるの必要を痛感しつゝありたり。
 時恰も大正八年三月、全鮮に亘りて朝鮮独立運動の蜂起するや、審かにその軽挙その妄動を観察し、常に知己の人々に対して教化機関設立の急務を慫慂す処ありたり。
 次て大正八年九月斎藤総督並に水野政務総監の新たに朝鮮総督府に着任せらるゝの際、南大門駅頭兇漢の爆弾を投する者あり。同師亦出迎の一行中にあつて自らこの兇変を目撃し、遂に平素の所信を断行すべき時機至れりとなし 直に大谷派本山に出頭して如上の事情を具陳し、精神的にも物質的にも応分の援助を与へられん事を請願したり。本山に於ても法主始め寺務の要路者は一派朝鮮開教の歴史に鑑み、直
 - 第31巻 p.786 -ページ画像 
に請願の趣を允可し、建築資金の内金参万円を下附せらるゝ事となりこゝに漸く理想実現の曙光を認むる事を得たり。
 次で朝鮮総督府に於ても師並に本山の熱誠に鑑み、大正九年一月六日附を以て現在本館敷地一千百八十坪一合五勺の無料貸附を認可せられたるにより、その前途に益々光明燦然たる者あるに至れり。
 大正拾年六月事業内容及建築に関する細密なる考案成り、十五名の発起人と共にこれを天下に発表す。幸にして朝野の甚大なる賛同を得期月ならずして寄附金申込総額約六万円に達せるを以て、同年拾月直に建築に着手したり。
 建築工事中は和田常市・山口太兵衛の両氏は建築総務兼会計として三好和三郎・進辰馬・増田三穂・天日常次郎・山岸祐太郎の五氏は建築委員として、それそれ工事監督の任に当られたるを以て、耐久力・外観等の点に於て多大の得益ありたる事、言を待たざる処なりとす。
 建築既に成り設備亦大半を了したるを以て、八月八日直に事務を開始し、事業着手の準備を成し、同年十月一日より産業伝習部を開始して現在に及ぶ、当部の内容たる洋服科及洋靴科の設置は、本会館発起人中の一人小林源六氏の建議に依る者たり。
 超えて大正十二年四月一日、修学部の事業として朝鮮総督府私立学校規定により、実業夜学校を開設したり、各大学出身者及京城高等商業学校出身者等各々教職の任にあり、生徒亦孑々として勉学したるも諸種の事情により大正十三年三月三十一日を以てこれを閉鎖し、これに代ふるに東宮・同妃両殿下の御成婚を紀念せんがため、翌四月一日より向上女子技芸学校の設立を以てし、現在に至れり。
 本事業の始終、畏くも天聴に達し、大正十一・十二の両年に亘り、紀元の佳節に至り少なからぬ御内帑金の御下賜を拝戴し、又講堂の仏龕築造に際し李王殿下よりその築造費として金参千円の御下附を見、更に朝鮮総督府はその建設並に維持に関し多大の援助を与へられ、又朝鮮総督府法務局長松寺竹雄氏以下、朝野の名士挙つて本会館事業の充実発展を援けられつゝあるは、当事者一同の恐惶感激措く能はざる処なり。