デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
1款 渡米実業団
■綱文

第32巻 p.47-53(DK320002k) ページ画像

明治42年8月4日(1909年)

是日、東京銀行集会所等四団体主催ノ渡米送別会、丸ノ内東京銀行集会所ニ催サル。総代豊川良平ノ送別ノ辞ニ対シテ栄一答辞ヲ述ブ。次イデ九日東京商業会議所主催送別会、日本銀行総裁松尾臣善主催送別会、十二日外務大臣小村寿太郎主催送別会、十四日大倉喜八郎他数人ノ発起ニヨル送別会、十五日日本貿易協会及ビ日本工業協会主催送別会、十六日内閣総理大臣桂太郎主催送別会開カレ、栄一之等ニ出席ス。


■資料

渋沢栄一日記 明治四二年(DK320002k-0001)
第32巻 p.47-48 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四二年 (渋沢子爵家所蔵)
八月四日 曇又雨 暑
○上略 午後六時銀行倶楽部ニ抵リテ、各団体ノ催ニ係ル送別会ニ出席ス豊川良平氏ヨリ挨拶アリタルニヨリ、一場ノ謝詞ヲ述ヘ、後立食ヲ共ニシ、食後種々ノ談話ヲ為シ、夜十時帰宿ス
   ○中略。
八月十二日 晴 暑
○上略 午後五時小村外務大臣官舎ニ抵リ、渡米実業団全体ノ送別会ニ臨席ス、大臣ヨリ政事・経済ニ関スル懇切ナル訓示演説アリ、後来賓ノ代表者トシテ一場ノ挨拶ヲ述ヘ、夫ヨリ洋食ノ夜飧アリ、夜九時過散会○下略
   ○中略。
八月十四日 晴 暑
○上略 午後五時日本橋倶楽部ニ抵リ、各実業界ノ親友ヨリ催サレタル送別会ニ出席ス、種々ノ余興アリ、食卓上大倉氏ヨリ送別ノ辞アリ、依テ其答辞ヲ述ヘ、夜十時宴散シテ帰宿ス、此夜兼子・愛子等モ同伴ス
八月十五日 曇 暑
○上略 午飧畢テ小石川大六天《(第)》ニ抵リ、徳川公爵○慶喜ニ謁シ渡米ノ告別ヲ為ス、又早稲田ニ大隈伯ヲ訪ヒ告別シ、且種々ノ談話ヲ為ス、又千駄ケ谷ニ徳川公爵○家達ヲ訪ヒ告別シ○中略午後五時ヨリ田町浅野氏ニ抵リ工業協会・貿易協会二団体ヨリノ送別会ニ出席ス、食卓上ニ金子・池
 - 第32巻 p.48 -ページ画像 
田氏等ノ演説アリ、依テ其答辞ヲ為シ、夜九時半散会ス○下略
八月十六日 晴 暑
○上略 十二時桂総理大臣官舎ニ抵リ午飧会ニ列ス、小村・大浦二氏参会ス、中野・土居・西村・大谷氏等来会ス、畢テ桂大臣・小村大臣等ヨリ種々ノ談話アリ○下略
   ○八月九日ノ日記ヲ欠ク。


銀行通信録 第四八巻第二八七号・第三四四―三四五頁明治四二年九月 渋沢・佐竹・園田三氏送迎会(DK320002k-0002)
第32巻 p.48 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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銀行通信録 第四八巻第二八七号・第三一七―三二二頁明治四二年九月 渋沢・佐竹・園田三氏送迎会演説(八月四日東京銀行集会所に於て)(DK320002k-0003)
第32巻 p.48-51 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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竜門雑誌 第二五五号・第四四―四七頁明治四二年八月 ○送別会彙報(DK320002k-0004)
第32巻 p.51-53 ページ画像

竜門雑誌 第二五五号・第四四―四七頁明治四二年八月
    ○送別会彙報
 青淵先生が八月四日以後各処の送別会に臨まれたる概要は左の如し
○銀行倶楽部送別会○前掲ニツキ略ス
○東京商業会議所の別宴 東京商業会議所会員諸君は、青淵先生一行の為め八月九日亀清楼に於て鄭重なる祖道の宴を開かれたり
○松尾男爵の送別 日本銀行総裁松尾男爵は、青淵先生の為めに、八月九日特に北新堀の日本銀行舎宅に於て鄭重なる送別の宴を催さる
○外務大臣の祝宴 外務大臣小村伯爵は、青淵先生一行の為め、十二日夜其官舎に於て送別会を催し、慇懃なる挨拶ありしよし
○日本橋倶楽部の送別会 日本橋倶楽部員大倉喜八郎・古河虎之助・浅野総一郎・佐々木勇之助・大橋新太郎・柿沼谷蔵・梅浦精一其他の諸君発起と為り、青淵先生並に令夫人を主賓とし、十四日午後六時より日本橋倶楽部に於て送別会を開きたり、主人側代表者大倉喜八郎氏の別辞に対する青淵先生の謝辞なりとて中外商業の報ずる所左の如し
      青淵先生の謝辞
 会長並に会員諸君、今夕予等今回米国に渡航するを祝し、斯かる盛大なる送別会を開かれたるは、一行に取り誠に恐縮の至なり、只今大倉君が諸君を代表して述べられたる御丁寧なる送別の辞に於て、殊に予の身に付き一言を添へ、頗る溢美を極められたるは、敢て当らざる所にして恐縮に堪へず、今回彼国の我々を迎ふる希望は、蓋し両国の懇親を厚うせんとするに在るは云ふ迄もなく、進んでは此太平洋の水をして、更に其巾を狭からしめんとの趣旨に出づるものの如し、米国が農に工に実に非常の力を以て進歩し居るは、屡々諸君と共に聞く所にして、同国は将来此偉大なる力をば、更に東洋に
 - 第32巻 p.52 -ページ画像 
発展せんと画策するものゝ如し、翻つて我帝国も維新前後より頗る長足の進歩を致せりとは、自らも思ひ人も許す所なれば、等しく東洋の事業をして進歩せしめんとせば、此両国が互に其情意を疏通し気脈を通ずべきは、吾人に於ても肝要とすると共に、彼れに於ても亦た必要視する所ならん、斯る事態より、吾人が将に招きに応じて彼土に渡らんとするは、其任務極めて大にして、吾人の微力果して能く其効果を収め得るや否や、頗る疑なき能はず、左れど此度決定したる渡米実業団一行は、幸に学識経験に富めるの士多ければ、予等微力と云へど、之れに従ひ一同誠心誠意、加ふるに一致の愛国心を以て、此の使命の十分の一たりとも遂行し得んと祈念して止まざる所也、今夕御招待下されたる諸君は、総て実業上而かも実地に力を尽されつゝあるの人士にして、殊に予が最も平素親密に説を戦はしたる人にして、其の経営せらるゝ事業は種々の方面に亘れり、而して前述の如く日米の関係は即ち実業にあり、而して其実業の根本は、此一堂の裡に存すと云ふも敢て不可なし、然らば斯る一種の実力の集れる所よりして、一行の行を壮ならしめんと斯る催しを得、玆に諸君の後援に依り、予自身の魯鈍を能く磨練して、或は希望の万分一に達し得るかと、只管諸君に対し感謝する次第なり、更らに此海外旅行も、事物の進歩と共に其様式亦変替すと思はる、大倉君が御演説に於て、其昔米国通商条約の初は咸臨丸云々と、四十九年前の事実を述べられたるが、其当時渡航せられたるは新見豊前守と云ひ、村垣淡路守と云ひ、小栗上野守と云ひ、共に皆政治家たり、而して維新前後より、引続き自らも送別を受け、又人を送れるは十指を屈するも尚ほ足らず、左れども其回を重ぬるに随ひ、又其様式の変ずるは頗る興味ある所にして、殊に今日の会合を見れば、恰も新見・村垣時代と互に合せ鏡と為り、頗る愉快に堪へず、今回予等の任務も全く政治と相離るゝ能はざらんも、其主とする所は実業にして、送らんとするものゝ観念も、行かんとするものも、要するに実業以外に出づることなし、試に其証左を挙げんか、此集会に列する者は、敢て辞令を受けて事業を為すものなく、此送別会は又全く官たらずして民業者の集合なり、而して其行かんとするものゝ職責も勿論民業たり、昔新見・村垣の当時に於ては、口を開けば即ち政治たりしも、今や実業が即ち国家の基本たり、元素なりと云ひ得るに至れり、於是乎送る者も送らるゝものも、自ら慰め又自ら重んぜざるべからずと信ずると共に、今日発起の各位諸君の趣旨、亦此に存すと、重ねて厚く感謝する所也、斯くして予は前述の如く、政治の関係よりは国家に対し微力到底充分なる報告を為し得ざるも、諸君の経営せらるゝ実業に対しては、彼国に於て敢て充分とは行かざるも、同国の状態を視察すれば、必ずや吾人をして更に奮起一番せしむべきものあるべしと思考せらるゝを以て、特に玆に注意し、以て他日土産として諸君に開陳し得べしと信ず、一言以て謝辞と為す
○両協会の送別会 日本貿易協会並に日本工業協会々員諸君は、十五日午後五時より青淵先生一行を芝田町浅野総一郎君の新邸に招待して送別会を開かれたり、出席者は百二十名にて、食後工業協会々頭金子
 - 第32巻 p.53 -ページ画像 
子爵の送別の辞に曰く「今回の渡米実業家一団の多人数なるは、恰も明治四年岩倉公一行約百五十名の洋行に比すべく、前者は官府的視察なりしも、後者は実業的視察にして、而かも国民的光彩の発揮なり、其任務の重大なるや固より言を俟たず、将来日米の交誼をして益々親密敦厚ならしめん為めに、願くは米国東海岸の実業家団の来朝を勧誘せられんことを」、次に池田謙三氏の挨拶あり、之れに対し青淵先生は「我々一行は甚だ微力にして、果して諸君の期待する如き、任務を果し得るや否や気遣ひなきに非ざれども、唯『忠君愛国』の至情に基く所の一致協同の言動により、聊か国家に貢献する所あらんを期するのみ」と述べ、一同挙盃来賓の健康を祝し、九時散会せりと
○桂首相午餐会 桂首相は、十六日午後一時永田町官邸に青淵先生其他の渡米実業家諸君を招待して午餐会を催されたり、主人側よりは桂首相・小村外相・大浦農相、石井・押川両次官、柴田書記官長の出席あり、首相は簡単に渡米諸君の健康を祈る旨の挨拶あり、之に対し青淵先生は「任務は異なれども愛国心に異なる所なし」との答辞を述べ食後別室に於て更に首相より渡米に関する一場の希望談あり、二時半退出したり