デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
4款 第四回米国行
■綱文

第33巻 p.369-372(DK330016k) ページ画像

大正11年2月25日(1922年)

是日、栄一等ノ日米関係委員会ニ対スル渡米帰朝報告会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。次イデ三月八日、栄一東宮御所ニ伺候シ、アメリカ合衆国見聞談ヲ言上ス。同十八日芝離宮ニ催サレタル皇族講話会ニ於テ合衆国旅行談ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第四〇六号・第五四―五五頁大正一一年三月 ○青淵先生帰朝報告会(DK330016k-0001)
第33巻 p.369-370 ページ画像

竜門雑誌 第四〇六号・第五四―五五頁大正一一年三月
 - 第33巻 p.370 -ページ画像 
○青淵先生帰朝報告会 日米関係委員会を代表して大正十年十月十三日横浜出発渡米せられたる青淵先生、及び添田・頭本両氏の帰朝報告会は、二月廿五日午後七時より銀行倶楽部に於て開催せられたり。当日の出席者は前記三氏の外
 服部金太郎氏  大倉男爵    大谷嘉兵衛氏
 金子子爵    高田釜吉氏   瓜生男爵
 内田嘉吉氏   山田三良氏   山科礼蔵氏
 冮口定条氏   姉崎正治氏   浅野総一郎氏
 阪谷男爵    島田三郎氏   森村男爵
 服部文四郎氏  増田明六氏   小畑久五郎氏
にして、先づ青淵先生より、渡米経過の顛末を縷々報告せらるゝ所あり、之に対し金子子爵及び阪谷男爵の青淵先生一行に対する謝辞等ありて、七時半食堂に移り、更に八時半より再会、添田博士の華盛頓会議に付て、及び頭本元貞氏の布哇に於ける排日問題に付て報告等ありて、九時四十分報告会を終り、次で桑港の米日関係委員会よりの提出案件に就きては、特別委員を設けて夫々研究審議することを申合せ、十時半散会せる由。


竜門雑誌 第四〇六号・第五四頁大正一一年三月 ○青淵先生の東宮御所に於ける渡米談(DK330016k-0002)
第33巻 p.370 ページ画像

竜門雑誌 第四〇六号・第五四頁大正一一年三月
○青淵先生の東宮御所に於ける渡米談 青淵先生には東宮殿下の御思召に依り、三月八日午後四時東宮御所に伺候、拝謁の上、閑院宮殿下牧野宮相・珍田東宮大夫・入江侍従長、並に閑院宮殿下の副官二名陪席の席上に於て、約二時間に亘り米国旅行談を申上げられたり。
 当日の御模様を承るに、東宮殿下には先生に椅子を与へられ、卓を挟みて極めて平易の御態度にて傾聴あらせられたる趣なり。先生言上の要旨は、日米問題の為めに多年尽力せらるゝ所以より説き起し、東京及び桑港の日米関係委員会の組織並に経過に及び、尚ほ近頃米国一般は日本に対し好感を寄せつゝあるに拘はらず、加州に於ける排日問題が今尚ほ依然として争議せらるゝは、洵に昭代の遺憾なる次第を陳べ、尚ほ此の問題に付ては是非円満の解決を告げしむべく、国民として努力を怠らざる旨を縷々説述せられたりと云ふ。
 超えて三月十三日午後六時、青淵先生には再び東宮殿下の御召に依り、東宮御所に於て晩餐を賜はられたる由なり。


竜門雑誌 第四八五号・第七九―九〇頁昭和四年二月 青淵先生説話(DK330016k-0003)
第33巻 p.370-371 ページ画像

竜門雑誌 第四八五号・第七九―九〇頁昭和四年二月
      青淵先生説話
○上略
    両度の御大典共に参列し能はざりしわが終生の恨事
○中略
  日米関係について言上
 また、大正十年十一月には、米国で華盛頓に軍縮会議が開かれ、全権委員として加藤さん(友三郎)幣原さん・徳川公等か全権委員として十月に出発された。私はこの時も私自身の考で民間から渡米した、といふのは先方の全権が移民関係については国務卿のヒユーズ氏であ
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つたので、多少でも影から心配したいためであつた。
 そこで私は大正十年添田さんなどと一緒に、その十月十三日東京出発後桑港に著して、翌十一年一月三十日に帰朝した。
 しかるに、畏れ多くもその年三月八日 東宮御所に伺候し 陛下が東宮殿下にあらせられし折、初めて拝謁申上げ、米国の模様について私の知れるところを言上するの光栄に浴した。その時、私は余りいろいろ考へると私の申す意味が間違ふと却つて畏れ多いと存じて、自由にそして丁寧に言上したのであつた。
 陛下には、御若くてゐらせらるゝによく御理解下さつて、いろいろと御質問があり、「どうすればよいと思ふか」など仰せあつた。元来、私は言葉もよく通ぜぬが、前にも申した通り、小村侯とは従来米国のことについて、国交のことは外務省だけでなく、民間相互に於て国民的交渉が必要であると力説されたことは大いに同感して以来、これまでその点に向つて及ばずながら種々と奔走も致した。米国には桑港の大実業家でアレキサンダーといふ人が中心となり、「日米関係委員会」といふのを商業会議所に作つて居る。私はこの人とは懇意の間柄であるので、国民外交を挙ぐるのには、こういう機関が必要と存じ、帰朝後、日本にもこの会を組織して、今日まで続いてゐる、非常な効果があつたわけでもないが、椽の下の力もちをしてゐるつもりで、幾分なりと日米親善の実を挙げたいと念じてゐる。
 大正九年に西部からアレキサンダー、東部からはヴァンダーリップ等を招待して、日米有志が集り協議会を開いたことがある。その時両国に高等委員を作らうといふ説が出たけれども、米国の方では行はれなかつた。
 大正十年に渡米したときには、右等の行きがかりも何とかして盛り返さうといふ考へを持ち、徳川公やその他委員の方々の御説をも聴いて参考と致し、出来るだけの好転を見やうと志した次第である。
 帰途は桑港、シヤトル、ロスアンゼルス等の太平洋海岸の有志と会合して、種々とお互に国交の親善に向ふことについて談合した。
  聖上御軫念
 米国とは斯ういふ関係があるので、側近の方からでも言上致したのか、その話を申上げることになつたのである。
 で、私は、その折日米国民外交の起りから、見聞したこと、考へて居ることなど数々申上げた。
 陛下には
 「うまく行くか、結局心配はないかね」
と仰せあつたので、私は、「これが極端に走つては宜敷ありませぬ。米国は何しろ、突飛な国で御座いますので、これを私かに憂へて居ります。しかしまた政治家はこの移民問題を、心中左程思はないでも、政策的に問題にして宣伝致すものも御座います。これは何処の国でも免かれない現状だと存じますので、安心は出来ませぬが、さう憂うることも御座いますまいが、国民の人気が極端に走らぬやうせねばなりませぬ」と申上げたやうに記憶する。
○下略
 - 第33巻 p.372 -ページ画像 


竜門雑誌 第四〇七号・第六〇頁大正一一年四月 ○皇族講話会に於ける講演(DK330016k-0004)
第33巻 p.372 ページ画像

竜門雑誌 第四〇七号・第六〇頁大正一一年四月
○皇族講話会に於ける講演 竹田宮妃昌子内親王殿下御主催の皇族講話会は、三月十八日午後二時より芝離宮に於て御開催相成りたるが、当日は御主催の宮を初め、御在京各宮妃殿下並に女王殿下御参集の上青淵先生の外遊所感を聴召さるゝ所あり、御一同御満足の上、同四時御散会、夫々御帰還相成たりと云ふ。