デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
1款 在米日本人会
■綱文

第33巻 p.373-387(DK330018k) ページ画像

明治44年8月29日(1911年)

是ヨリ先、当会、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ起レル邦人排斥問題善後策ノ一トシテ、日本ノ実状ヲ紹介シ、在米同胞発展ノ状況ヲ視察シ、且ツ指導助言ヲ乞ハンガタメ、島田三郎ヲ招待シ、且ツ更ニ他ノ人選ヲ栄一ニ依頼ス。仍ツテ栄一、交換教授トシテ渡米スル農学博士・法学博士新渡戸稲造ニ乞ヒテ、カリフォルニア州ニ滞在シ島田ヲ援助セシムル事トナス。是日栄一、両名ヲ飛鳥山邸ニ招ジテ送別午餐会ヲ開ク。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK330018k-0001)
第33巻 p.373-375 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年 (渋沢子爵家所蔵)
七月二十七日 晴 暑
午前○中略 島田三郎氏ト電話ヲ交換シテ、昨夜桑港ヨリ到着セシ電報ノ事ヲ協議ス○下略
七月二十八日 曇 暑
○上略 午飧後島田三郎氏来リ、米国行ニ関シテ種々ノ談話ヲ為ス○下略
七月二十九日 雨 冷
○上略 正午第一銀行ニ於テ午飧シ、再ヒ事務所ニテ種々ノ来人アリ、朝日新聞記者来リ、在米日本人会ヨリノ来電ニ関シテ種々ノ談話アリ、是ヨリ先外務省ニテ石井氏○菊次郎ヲ訪ヘ同様ノ事ニ付協議スル処アリ
○下略
   ○中略。
七月三十一日 曇 暑
○上略 二時事務所ニ抵リ○中略増田明六ニ命シテ、明日石井次官ニ面会シテ桑港永井氏○松三ニ電報ノ事ヲ取扱ハシム、川崎氏来ル、桑港日本人会ヨリ来電ノ事ニ付種々ノ談話ヲ為ス、夜七時帰宿○下略
   ○中略。
八月二日 曇 暑
 - 第33巻 p.374 -ページ画像 
○上略 十一時事務所ニ抵リ、来人ニ接待ス、米国ヨリノ電報ニ関シテ種種ノ照会ヲ発ス、午飧後外務省ニ抵リ、石井次官ト桑港ヨリノ電報ニ付打合セヲ為ス
○下略
   ○中略。
八月四日 雨 暑
○上略 午飧後桑港中島氏ヨリノ電報ニ接シテ、俄ニ明日ノ旅行ヲ中止シテ、来電ニ関スル事ヲ尽力セントス
八月五日 晴 暑
○上略 今日ハ伊香保旅行ノ筈ナリシモ、昨夜米国日本人会ヨリノ来電ニ接シテ、余儀ナク一日ヲ延引シタルナリ、午前十時自働車ニテ外務省石井次官ヲ訪問スルモ、途中事故ヲ生シタルニヨリ人力車ニテ外務省ニ抵リ、石井・倉地《(倉知)》○鉄吉二氏ト米国来電ノ事ヲ協議○中略午飧後事務所ニ抵リ、新渡戸氏ヘ軽井沢ニ向ヘ、詳細ノ書状ヲ発ス○中略
午前九時過島田三郎氏来リ、米国行ノ事ニ関シテ種々ノ談話ヲ為ス
八月六日 曇 暑
○上略 午後二時伊香保ニ着ス○中略夜飧後軽井沢新渡戸氏ヨリ電報来ル、米国行ノ事ニ関シテナリ○下略
八月七日 半晴 冷
午前六時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後新渡戸氏軽井沢ノ別荘ヘ書状ヲ発シテ、米国行ノ事ヲ打合ハス、又島田三郎氏ヘモ同様ノ事ニテ一書ヲ発ス、石井次官ヘモ亦同シ、留守宅八十島ヘ桑港電報ノ件○中略ニ付書状ヲ発ス○下略
   ○中略。
八月九日 雨 冷
○上略 八十島ヨリ来書アリテ、米国日本会《(人脱)》ヘ返電ノ事ヲ通シ来ル、ハ十島ヘ書状ヲ発シテ、要務ヲ指示ス○下略
   ○中略。
八月十一日 晴 暑
○上略 軽井沢新渡戸氏ヨリ来状アリ○中略返書ハ直ニ之ヲ郵送ニ付ス○下略
   ○中略。
○栄一十六日帰京ス。
八月十九日 曇 暑
○上略 六時田町浅野総一郎氏邸ニ抵リ、島田三郎氏米国行ノ送別会ニ出席ス、余興アリ、夜十一時散会帰宿ス
   ○中略。
八月二十三日 晴 暑
○上略 午前九時半小日向台町ニ新渡戸博士ヲ訪ヘ、米国行ニ付送別会ノ事ヲ談ス○下略
八月二十四日 晴 暑
○上略 十一時半事務所ニ於テ○中略新渡戸・島田二氏ト電話ヲ通シ○下略
   ○中略。
八月二十九日 曇 暑
○上略 今日ハ新渡戸・島田二氏渡米ヲ送別スル為メ開宴スル筈ナレハ、
 - 第33巻 p.375 -ページ画像 
朝来其準備ニ忙シ、桑港牛島謹爾氏ニ送付スヘキ紀行ニ添フル小品文及絶句一詩ヲ浄書ス、十二時頃ヨリ招客来会ス、書院ニテ午飧会ヲ開キ、余興ニハ芸妓ノ手踊ト天山《(典カ)》ノ講談アリ、食事畢テ愛蓮堂ニテ一同ヲ会シ、在米日本人会ヨリ来電ノ事ヨリ、今日新渡戸・島田二氏渡航ニ至ルマテノ経過ヲ演説ス・来客中石井・永井二氏及新渡戸・島田氏等ニモ種々意見ヲ述ヘラレ、賓主歓ヲ尽シ夕五時頃散会ス
○下略


(八十島親徳) 日録 明治四四年(DK330018k-0002)
第33巻 p.375 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治四四年 (八十島親義氏所蔵)
八月五日 晴
男爵今朝伊香保ヘ赴カルヽ筈ナリシモ、米国加州日本人会ヨリ、視察且演説ノ為適当ノ民間人士人選派遣ノ依頼事件過日来引カヽリ居リ、未了ノ為一日延引セラル


渋沢栄一書翰 八十島親徳・増田明六宛(明治四四年)八月七日(DK330018k-0003)
第33巻 p.375 ページ画像

渋沢栄一書翰 八十島親徳・増田明六宛(明治四四年)八月七日
                     (八十島親義氏所蔵)
○上略 出立前新渡戸氏へ発送せし書状ニ対する回答、別紙之通り昨夜到着候ニ付、今朝書状ニて尚将来之事共申遣候、就而桑港牛島氏へハ左之趣意ニて発電致度ニ付、早々御取扱可被下候
 再三ノ来電ニ対シ、種々心配ノ末、島田氏ノ外ニ新渡戸博士ニ依頼シ、同氏今般ノ米国行ヲ好機トシ、桑港着後貴会ノ為メ十日間滞在ノ事ニ取極タリ、而シテ両士トモ必ス春洋丸ニテ出立ノ筈ナリ、日本人会ノ方モ右ニテ御同意セラレタシ
趣意相分り候ハヽ、字句ハ節約致候方ト存候、可然御取計可被下候
右ニ付而ハ、島田氏へも一書通し置候方ト存し発状仕候、又石井次官へハ一書封入仕候、御届可被下候
○中略
  八月七日               渋沢栄一
    八十島親徳様
    増田明六様
          梧下


渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治四四年)八月一〇日(DK330018k-0004)
第33巻 p.375-376 ページ画像

渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治四四年)八月一〇日
                   (八十島親義氏所蔵)
八日・九日両度之貴翰落手拝見いたし候、米国牛島氏へ之電報、当方より申進候文案御修正之上発信候処、九日附先方より返電有之、多大之御尽力感謝之旨申来候由、了承仕候、いつれ来ル十六日ニハ帰京いたし、新渡戸氏も島田氏も其頃ニハ在京、篤と面談ニて打合候積ニ御坐候
○中略
  八月十日
                     渋沢栄一
    八十島親徳様
          御答
 - 第33巻 p.376 -ページ画像 
「芝区白金台町一ノ七一」 八十島親徳様 拝復親展 渋沢栄一
「四十四年」 八月十日


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK330018k-0005)
第33巻 p.376 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年 (渋沢子爵家所蔵)
一月八日 晴 寒
○上略 午前十時事務所ニ抵リ、島田三郎氏来訪ニ接シテ、米国滞在中ノ実況ヲ詳話セラル、十二時共ニ第一銀行ニ抵リテ午飧ス○中略午後事務所ニ抵リ牛島氏米国行○中略ノ書状ヲ裁ス○下略
一月九日 晴 寒
○上略 午後二時外務省ニ抵リ、内田大臣ト米国ニ関スル談話ヲ為ス○下略
   ○中略。
一月二十八日 晴 寒
○上略 午前十一時内田外務大臣官舎ニ抵リ、珍田大使其他外務ノ官僚ト共ニ、島田三郎氏米国ニ於テ各地ヲ巡回セシ視察談ヲ聞ク、十二時半ヨリ午飧ヲ共ニシ、食後珍田大使ト米国談ヲ為ス、二時半帰宅○下略
一月二十九日 晴 寒
○上略 六時築地精養軒ニ抵リ、島田氏歓迎会ニ出席ス○下略
   ○中略。
六月十六日 晴 暑
○上略 午後一時半事務所ニ抵リ、島田三郎氏来訪ニ接シテ、米国日本人会ヨリ照会ノ事ニ付協議スル所アリ○下略



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第一一九―一二四頁昭和七年二月刊(DK330018k-0006)
第33巻 p.376-379 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第一三七―一三九頁昭和七年二月刊(DK330018k-0007)
第33巻 p.379-380 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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〔参考〕東京朝日新聞 第八九八三号明治四四年八月一〇日 ○排日案提出 七日 桑港特派員発(DK330018k-0008)
第33巻 p.380 ページ画像

東京朝日新聞 第八九八三号明治四四年八月一〇日
    ○排日案提出
                    七日 桑港特派員発
米国上院移民委員たるギリングサム氏、移民修正案を提出せり、之に依れば、日本移民に対し支那人排斥法の稍寛大なるものを適用せんとするに在り



〔参考〕対米移民問題並加州排日運動ノ沿革 外務省編 第一―一三頁大正九年一〇月刊(DK330018k-0009)
第33巻 p.380-386 ページ画像

対米移民問題並加州排日運動ノ沿革 外務省編 第一―一三頁大正九年一〇月刊
                              (阪谷子爵家所蔵)
(表紙)

  対米移民問題並加州排日運動ノ沿革
      附 加州問題日米交渉顛末
               外務省

    一、明治三十九年学童問題迄ノ推移
米国ニ於ケル日本人ノ移住ハ慶応年間ニ始マリシカ如キモ、其数素ヨリ僅少ニシテ、同国在住日本人数ハ明治三年ニ五十五名、同十三年ニ百三十八名ヲ算スルニ過キサリシカ、明治十五年合衆国議会ニヨリ初メテ支那人排斥法制定セラレタル以来、農園其他ニ於テ大ニ労働者ノ欠乏ヲ来シ、其ノ代用トシテ邦人ノ渡来ヲ誘引シタル結果、明治二十三年ニハ在留本邦人数二千三十九人ニ増加セリ、然ルニ当時米国ニ於テハ各方面ヨリノ移住者漸次増加シ、人口給足ノ度進ムニ従ヒ、移住者ノ種類ヲ選択スヘシトノ議論追々其ノ勢力ヲ加ヘ、遂ニ一八九一年(明治二十四年)三月ニ至リ移民法制定セラレ、不健康者、貧困者、公共ノ負担トナル虞アル者、醜業関係者及契約労働者等ノ入国拒絶ヲ規定セリ(従来ノ移民法ハ単ニ契約労働者ニ関シ規定セルノミニシテ之レサヘ励行セラレサル有様ナリキ)新移民法ノ実効ハ直ニ渡米本邦人ニ及ビ、同年四月ニ至リ桑港ニ渡航セル本邦人中、或ハ貧困者タル理由ノ下ニ、或ハ又契約労働者タル理由ノ下ニ、続々上陸ヲ拒絶セラルヽモノ生スルニ至レリ、尤モ従来渡米セル本邦人ハ主トシテ学生ニ
 - 第33巻 p.381 -ページ画像 
シテ、青雲ノ志ヲ抱キ遊学ヲ目的トスルモノナリシカ、米国新移民法制定当時ニ於テハ其有様全ク一変シ、純然タル出稼ノ徒続々渡米シ、着港早々糊口ニ窮スルモノ多カリシ為メ、新移民法ノ励行ニ遇ヒ、此ノ条項ニ触ルヽ者ヲ頻出スルニ至レルナリ、当時桑港駐在ノ珍田領事及華府ノ建野公使ハ此ノ形勢ヲ看取シ、帝国政府ニ具状シテ渡米者ノ取締方ヲ注意セルコトアリシヲ以テ、榎本外務大臣ハ明治二十四年六月各府県知事ニ通牒ヲ発シ、米国新移民法ヲ説明シテ渡米者ニ対スル旅券発給ニ関シ充分ノ取締ヲ為スヘキ旨警告セリ、之レ対米移民問題発生ノ嚆矢ト云フヘシ、其後渡航者ノ数逐年増加スルニ伴ヒ、本邦人ノ最モ多ク移住セル加州方面ノ労働者間ニ、本邦人排斥ノ気運漸ク発生セル傾向アリシモ、格別ノ問題ヲ惹起スルニ至ラス、明治三十年ニ於テハ在米邦人一万三千ヲ算スルニ至レリ、此年初メテ「アイダホ」州地方ニ多少ノ排斥起リ、明治三十一年三月末桑港ニ於テ我渡航者二十四名カ公共ノ負担トナルノ虞アリトセラレ上陸拒絶ノ命ニ遇ヒ、続テ渡航セル三十三名モ亦同様ノ運命ニ遭ヒ、事態不穏ノ徴アリシヲ以テ、我政府ニ於テモ問題ノ重大ナルヲ認メ、渡米者ニ対シテ充分ノ取締ヲ為スヘキ旨更ニ地方長官ニ訓令スル処アリタリ、明治三十一年末ニ至リ、加州議会下院ニ於テ民主党員「コウワン」ハ「近年日本労働者ノ合衆国ニ入国スル者驚クヘク増加シ、為メニ当国民ノ労働上及商業上ノ利益ニ影響スルコト尠カラス、又醜業婦ノ渡米ハ社会ノ道徳ヲ紊ルノ虞アリト認ムルヲ以テ、其入国ヲ禁止又ハ制限スル法律ノ制定ニ付、当州会ハ合衆国議会ニ於テ加州ヲ代表スル上下両院議員ノ尽力セラレムコトヲ希望ス、又書記官長ヨリ右議員ニ本決議案ノ写ヲ送ルヘキコトヲ決議ス」トノ決議案ヲ提出セリ、右決議案ハ下院ヲ通過シ上院ノ特別委員会ニ於テモ之ヲ可決シタルモ、上院本会議ノ議ニ上ルニ至ラスシテ議会閉会トナリ、同年華州々会ニ於テモ日本人ヲ公共事業ニ使用スルヲ禁止スルノ案提出セラレ、右ハ帝国領事ノ尽力ニヨリ幸ニ不成立ニ終リタルカ、是等ハ米国ニ於テ政治問題トシテ公然排日ノ声ヲ挙ケタル最初トス
翌明治三十二年五月ニ於テハ「ユタ」州「ソートレーキ」市ニ於テ開催セラレタルThe Western Labor Union(「ロツキー」山以西合衆国諸州及加奈陀領諸州ノ労働団体五十八個ノ聯合)ノ年会ニ於テ、日本労働者ノ渡米ニ反対セル決議案通過セラレ、本邦人ノ渡米ハ既ニ米国労働者間ニ重大視セラルヽニ至リ、形勢漸ク我ニ非ナルモノアリシニ拘ハラス、明治三十三年ニ至リテハ渡米者ノ数激増シ、益々排斥熱ヲ高メ、遂ニ米国中央政府ノ注意ヲ惹キ、吏員ヲ太平洋岸及本邦ニ派シ調査スルニ至レリ、如斯形勢日ニ不利ナルモノアリシヲ以テ、帝国政府ハ在米帝国公使ノ建言ニヨリ、明治三十三年五月米国行渡航移民ヲ一ケ月各府県ヲ通シ二百名以内ニ局限セシカ、之ト共ニ米国ニ於テハ日本人ノ身体及営業等ニ対スル各種ノ迫害諸処ニ起リ、事態漸ク紛糾スルニ至リシヲ以テ、青木外務大臣ハ同年八月当分ノ内一切米国行移民ノ渡航ヲ差止ムヘキ旨各府県知事ヘ訓令セリ、之ニ依リテ一時小康ヲ得タル観アリシモ、以来太平洋沿岸殊ニ加州ニ於ケル政治家カ労働者ノ歓心ヲ得ン為メ、日本人排斥問題ヲ以テ政争ノ具ニ供スル風ヲ
 - 第33巻 p.382 -ページ画像 
馴致セルモノヽ如ク、翌三十四年一月、加州知事ハ州会ニ与フル教書中、加州選出ノ合衆国上下両院議員ニ対シ、東洋人労働者排斥ノ為メ現行条約ノ改正及相当ナル法律ノ制定ニ尽力スヘキヲ訓諭スル決議案ノ通過ヲ慫慂シ、右趣旨ノ決議案該州会上院ニ提出セラレタルコトアリ、尚同年十一月桑港ニ於テ支那人排斥法継続ニ関シ大会開催セラレタル際ニ於テモ、本邦人排斥問題盛ンニ議論セラレタリ、又一方ニ於テ本邦政府ノ渡米禁止ハ漸ク弛緩ノ傾向アリ、加フルニ布哇ヨリ大陸ヘノ転航者頻リニ其ノ数ヲ増シ、明治三十五年ヨリ同四十一年ニ至ル七年間約三万七千ノ渡米者ヲ見ルニ至レリ、今渡米者数ヲ年次別ニ表示スレハ左ノ如シ
  米国本土ニ入国シタル日本人数(米国政府ノ調査ニ基ク)
    (年度ハ其年六月ニ至ル既往一ケ年ヲ指ス)

図表を画像で表示米国本土ニ入国シタル日本人数(米国政府ノ調査ニ基ク)

  明治三十年度     一、五二六  同三十一年度     二、二三〇  同三十二年度     三、三九五  同三十三年度    一二、六二六  同三十四年度     四、九〇八  同三十五年度     五、三二五  同三十六年度     六、九九〇  同三十七年度     七、七七一 此間ニ布哇ヨリノ転航者約三七、〇〇〇、墨国及加奈陀ヨリノ転航者ヲ合スレバ五〇、〇〇〇人ニ近カラム  同三十八年度     四、三一九  同三十九年度     五、一七八  同四十年度      九、九四八  同四十一年度     七、二五〇  同四十二年度     一、五九〇 


如斯在米日本人数激増セルニ加フルニ、日露戦勝後帝国ノ国際的地位亦昔日ノ比ニアラサルモノアリ、玆ニ於テ明治三十八年初頭頃ヨリ排日ノ気運倍旧ノ勢ヲ以テ興隆シ、在留邦人ノ増加発展最モ顕著ナリシ加州地方ニ於テ特ニ熾烈ナルモノアリ、排日運動ノ中心タル労働者ハ屡々排日的集会ヲ行ヒ、同年五月数万ノ労働者ヲ会員トスル日韓人排斥同盟会ナルモノ組織セラレ、中央及地方各団体ト相呼応シテ排日運動ヲ開始スルニ至リ、所在新聞紙亦盛ンニ此ノ運動ヲ煽動スルモノアリシヲ以テ、桑港市長・州議員等、其ノ政治的生命カ主トシテ労働者ニ依頼スルコト多キ者ハ、自然此等排日的運動ニ耳ヲ傾ケ、労働者ノ意ニ迎合スルアルヲ免レサリキ
    二、学童問題
大勢斯ノ如クナリシニ加フルニ、三十九年四月同地震災後ハ、諸般状態ノ変化ノ結果、排日派ニ種々ノ機会ヲ与ヘタル為メ、一般排日気勢ヲ昂メ、本邦人料理店ニ対スル「ボイコツト」及本邦人迫害事件等ノ不祥事ヲ惹起シタルカ、之ト前後シテ前顕労働者同盟会ハ委員ヲ選ンデ市学務局ニ運動ヲ試ミ、遂ニ同局ハ同年十月十一日ヲ以テ、市内公立各小学校長ハ十月十五日以後日清韓人学童ヲ東洋人小学校ニ転校セシムヘキ旨ノ決議ヲ為シ、其結果我学童ハ同期日ヨリ事実公立各小学校ヨリ放逐セラルルニ至リ、玆ニ本邦人学童排斥問題惹起セラルルニ
 - 第33巻 p.383 -ページ画像 
至レリ
玆ニ於テカ在桑港帝国領事ハ、本件ニ関スル条約上並ニ法律上ニ関スル論点ハ暫ク之ヲ保留シ、事実市ノ東北隅ニ偏在スル一隔離学舎ニ総テノ我学童ノ収容セントスルガ如キハ不正且ツ不可能ナルコト、並ニ当局者ノ処置ハ人種的偏頗ノ措置ニシテ、帝国ノ国民的抱負ニ対スル一大侮辱ナリ等ノ趣旨ヲ以テ、再三桑港当局ニ抗議反省ヲ促シ、本件解決ニ努メシモ、当局ハ加州学務令第一六六二条
 学務委員・学務局ハ悪習若クハ伝染病アル児童ヲ排斥シ、又印度人支那人・蒙古人ノ児童ノ為メニ、隔離学校ヲ設クルノ権限アリ、斯ル学校ノ設置セラレタル場合ハ、右児童等ハ他ノ小学校ニ入ルヲ禁ス云々
ノ規定ニ基キ決行シタルモノヲ今更取消シ難ク、実際ニ於テモ日本人ハ東洋人小学校ヘノ通学容易ニシテ、且更ニ一箇ノ小学校ヲ日本人ノ為メニ設クル計画アリナト主張シ、我ハ其曲ヲ指摘シテ鋭意反省ヲ求メシモ頑トシテ之ヲ容レス、最後ニ市長代理ハ我領事ニ答ヘテ、桑港市内ノ教育行政ニ関シ、市学務局カ法律ノ範囲内ニ於テ行動スル以上ハ、如何ナル官憲モ之ヲ容喙スル権限ナシ、唯訴訟ニ依リ本件ヲ解決スルノ途アルノミトノ旨ヲ言明シ、玆ニ加州地方官憲ノ手ニ依リ救済ヲ求ムルノ途杜絶シタルノ姿トナリタルヲ以テ、帝国政府ハ進ンデ華盛頓政府ニ対シ、本件ヲ含メル(他ニ料理店事件、邦人迫害事件等アリ)加州排日運動ニ対シ抗議ヲ提出スルコトトシタルカ、本邦内地ニ於ケル人心ノ激昂モ此前後ニ於テ頂点ニ達シタリ、而シテ右在米青木大使ノ抗議ニ対シ華府政府ヨリハ、排日運動ハ震災後ノ該地異常ナル状態ニ伴ヒ発生シタル地方的労働問題ノ結果ニ過キス、学童問題ノ如キ亦地震ノ際従来日本人ノ通学セシ学舎倒壊シ、之ニ代フルヘキモノヲ築造スルニ十分ナル時日無カリシ事実ニ起因スルモノナルモ、日本人ニ同情シ本件解決ニ十分尽力スヘキ旨ヲ言明シ、且「ルーズヴエルト」大統領ハ、学童問題等日本人ニ関スル事件ヲ調査シ、併テ之カ救済方法ヲ講スル為メ、商工務長官「メトカフ」ヲ西下セシムルコトトシ、同長官ハ十一月一日入桑、十二日迄滞在シ、其間帝国領事ハ同長官ト隔意ナク意見ヲ交換シ、学童事件ニ対スル解決方ニ対シテモ新タナル努力ヲ試ミタルカ、十一月二十六日同官ヨリ大統領ニ致セル報告書ハ、学童問題其他邦人排斥事件ニ関シ公平ニシテ我ニ有利ナル観察ヲ下シ、十二月三日第五十九議会開会ノ当初之ニ与ヘタル大統領教書中ニハ、排日運動ハ米国人一般ノ意志ニアラサルコト、日米両国ハ歴史的友交ヲ有スルコト、日本ノ現文明ハ欧米一等国ニ伍シ得ルコト、震災ノ際日本ヨリ多大ノ救済金ヲ受ケタル桑港カ日童ヲ排斥スルハ愚挙ナルコト、太平洋沿岸発展ノ為メ、将タ人道及文明ノ為メ、日本人ヲ公平ニ取扱フノ要アルコト等ヲ説キ、進ンデ米政府ハ必要アラハ兵力ヲ動カスヲ辞セス、又日本人ニ帰化権ヲ与フル法律制定ヲ議会ニ勧告スル旨ヲ宣明シタルノミナラズ、更ニ大統領ハ十二月十八日前顕長官ノ報告書ヲ議会ニ提出スルニ当リ、学童問題ニ付テハ日童隔離令ノ謂レナキ不当ノ処置ナルコトヲ明ニシ、桑港市民ニ其取消ヲ求ムル旨ノ一教書ヲ之ニ添附シタルカ如キ、合衆国政府ノ両国親善ヲ顧念シ我
 - 第33巻 p.384 -ページ画像 
ニ同情シタル処寔ニ浅少ナラサリキ
右大統領ノ教書及長官ノ報告カ前後発表セラルルヤ、加州選出議員乃至新聞記者等ノ多数ハ益々昂奮ノ状アリ、即チ教書等ハ事件ノ真相ヲ曲解スルモノニシテ、日童中ニハ他ノ児童ニ弊害ヲ与フルモノアルヲ以テ、州ノ自治権ニ基キ分離ヲ命シタルモノニシテ、政府ノ容喙ヲ許サス、且兵力云々及日本人ノ帰化許可ノ如キハ加州否米国全社会ノ公益ヲ無視スルモノトシテ極力反対ノ態度ヲ採リ、其他太平洋沿岸及南部選出議員ノ多数モ反抗ノ態度ヲ示シタルモ、米国一般上下議員並ニ思慮アル階級ノ感想ハ、教書ノ言明ハ能ク米国多数ノ真意ヲ直言シタルモノトシテ是認シタルモノノ如ク、一時激昂シタル本邦内地ノ輿論モ、右教書等ニ依リ大ニ緩和セラレタルノ観アリキ
是ヨリ先桑港在留民側ニ於テモ本問題ノ為メ鋭意努力シ、在留日本人ヲ代表スル協議会及重ナル父兄代表者ハ、弁護士ニ依頼シ本件ニ関シ訴訟ノ鑑定ヲ為サシムルアリ、一方当時合衆国政府ニ対シテハ我大使ヨリ慎重交渉ヲ重ネ、大統領ハ検事「デヴリン」ノ手ヲ経テ本件ニ関シ訴訟ヲ提起スルニ決シ、同検事ハ我ニ有利ノ判決ヲ得ルノ信念ヲ有スル旨ヲ言明シタルカ、其後検事総長ト華府ニ於テ打合セ、一月十七日ヲ以テ、一ハ州ノ高等法院ニ、一ハ合衆国巡廻裁判所ニ、都合二ケノ訴訟ヲ提起シタリ、前者ハ我学童ヲ原告トシテ学校長ヲ被告トシテ原告ヲ復校セシムルカ、又ハ復校能ハザル理由ヲ法廷ニ示スノ命令ヲ発センコトヲ訴願シ、合衆国モ本件ニ対シ重大ノ利害関係ヲ有スルヲ以テ本訴訟ニ参加センコトヲ求メタリ、後者ハ合衆国自ラ原告トナリ桑港学務局及学校監督並ニ各小学校長ニ対シ衡平法上ノ訴ヲ起シ、加州学務令並ニ隔離命令ヲ日童ニ適用スヘカラストノ禁令ヲ発センコトヲ求メタルモノニシテ、同訴状ノ要旨内容ハ前者ノモノヨリモ詳細ニシテ、条約違反並ニ通学ノ困難等ノ事情ノ外、加州ノ公立学校ハ合衆国ヨリ補助ヲ受クルヲ以テ、同校ハ合衆国憲法並ニ外国トノ条約ニ違反セザル様管理セラルヘキコト、日本人ハ「モンゴリアン」ニアラサルコト、加州学務令ハ沿革上ヨリ見ルモ日本児童ニ適用スヘカラザル事等ヲ含ミタリ
合衆国政府ノ此行動ハ加州地方ノ多数米人ヲ激昂セシメ、桑港市ヨリハ検事「バーク」ヲ右訴訟ニ於テ学務局弁護ノ任ニ当ラシムルコトトシ、且同検事等運動ノ結果、日童ヲ「モンゴリア」人児童ト共ニ隔離学校ニ送ルコトトスルノ新法案ハ加州上院ニ提出サレ、「オークランド」市ニ於テモ同学務局員中日童隔離説ヲ主張スルモノアルニ至リ、排日的気勢ハ一段昂進シタル模様アリタルヲ以テ、大統領ハ四十年一月三十日在華府加州選出国会議員ヲ招キ懇談ヲ遂ケタル結果、桑港学務局員一同及学務監督ハ市長ト共ニ二月三日桑港ヨリ東上シ、一行ハ大統領ト屡次会商シタルカ、其間政府ハ加州当事者ノ強硬ナル主張ヲ慰撫スル必要上、日本学童隔離令撤廃ヲ条件トシテ、之ト交換ノ意味ニ於テ日本労働者ノ布哇ヨリノ転航禁止ニ関スル移民条例修正法案ヲ突如議会ニ提出セシメ、同時ニ追テ日本トノ間ニ労働者渡米制限ニ関スル商議ヲ開クニ至ルヘキ意向ヲ説示シ、極力学童問題ノ解決ニ尽瘁シタルヲ以テ、前記移民条例修正案ノ議会通過ノ当日、即チ、二月十八日
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(二月十六日上院通過、同十八日下院通過、同二十日大統領裁可)華府滞在ノ右学務委員等ハ市長ノ名ヲ以テ学童問題ニ関スル大統領トノ交渉顛末ヲ公表シ、日本学童ニ対シ小学校ヲ開放スルコト及之カ報酬トシテ日本移民入国制限ヲ定メタルノミナラズ、大統領ヨリ日本労働者排斥ニ関スル新条約ヲ締結スルコトノ約諾ヲ得タル旨ヲ宣言シ、更ニ一行ノ帰桑後即チ三月九日略同様ノ宣言ヲ市長ノ名ニ於テ発シ、越テ三月十三日桑港市学務局ハ右華府協定ノ趣旨ニ従ヒ隔離命令ニ関スル前年十月十一日ノ決議ハ日本人児童ノ入学ヲ許スヘキ旨通達シ、翌十四日以来我児童ハ続々各校ニ通学スルニ至リ、又本件ニ関シ裁判所ニ繋属中ナリシ各訴訟モ同日ヲ以テ撤回セラレタルヲ以テ、日米間ノ国交ヲ掩ヘル暗雲モ前後約五ケ月ニシテ無難通過シ、玆ニ学童問題ハ一段落ヲ告ケタリ
    三、所謂紳士協約ノ協定
如斯シテ一時日米間紛争ノ一難問タリシ学童隔離問題ハ我ニ取リ有利ノ解決ヲ見タルカ如キモ、桑港ヲ中心トセル排日的迫害ハ、依然継続シ、明治四十年五月二十日同地ニ於テ米人五十名許リ日本人経営ノ一洋食店及風呂屋ヲ襲撃シ、窓硝子及食堂器具等ニ大損害ヲ与ヘタルコトアリ、一方又本邦ニ於テモ曩ニ対米同志会ノ設立セラレ盛ンニ米国殊ニ加州ニ対スル国論ヲ喚起シ、其間在米有志ノ帰国シテ在留同胞ノ窮状ニ関シ訴フル処アリ、此際日米国交ノ円満ナル持続ヲ計ラムカ為メニハ、是非トモ何等カ渡米労働者制限ニ関シ両国ノ協定ヲ要スル形勢トナレリ、殊ニ米国政府ニ於テハ日本労働者ノ渡航制限カ学童問題解決ノ鎖鑰タリシ関係上、一方ニ於テ前述新移民条例ニ基キ大統領ハ明治四十年三月十四日行政命令ヲ発シ、布哇在住日本労働者ノ大陸渡航ヲ禁止シ、他方ニ於テ遂ニ明治四十年九月ニ至リ、米国政府ハ帝国政府ニ対シ移民渡航ノ制限ヲ提唱シ来リ、本件ニ関シ同年十一月以来在本邦米国大使「オブライヱン」氏ト林外務大臣ノ間ニ数回ノ往復ヲ重ネタル結果、帝国政府ハ内外ノ情勢ニ顧ミ全然主動的ニ自己ノ任意ヲ以テ或程度迄米国行移民ヲ制限スルコトニ決シ、同年十二月三十一日覚書ヲ以テ、林大臣ヨリ「オブライヱン」大使ニ対シ、帝国政府カ将ニ採ラムトスル処置ヲ通告セリ、之レ即チ所謂紳士協約ニシテ、爾来今日ニ至ル迄帝国政府ハ旅券ニ依リテ渡米者ノ取締ヲ実行シ、再渡航者・在米者ノ父母妻子・学生・商人等ヲ除クノ外新ナル労働者ノ渡米ヲ全然禁止シ来レリ
    四、紳士協約協定後土地法制定(大正二年五月)迄
帝国政府カ内外ノ形勢ニ鑑ミ断然自制的ニ移民制限ヲ実行スルニ至リタル以来ニ於テモ、加州ヲ中心トセル太平洋沿岸諸州ニ於ケル排日気勢ハ更ニ終熄スル傾向ナク、明治四十一年二月桑港ニ排亜同盟会設立セラレ、排日運動ノ中心トナリテ不断ノ活動ヲ為スアリ、明治四十二年ノ加州々会(同年一月四日ヨリ三月二十四日迄)ニ於テハ上下両院ヲ通シ提出セラレタル排日的法案又ハ決議案十六種ニ及ヒ、内一件即チ支那人排斥法ヲ亜細亜人全体ニ適用センコトヲ合衆国議会ニ請願スル決議案(上院議員「カミネツチ」提出)ハ遂ニ州会ヲ通過セリ、又一院ヲ通過シテ他院ノ協賛ヲ得ス結局不成立ニ帰シタルモノ二件アリ
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即チ日白人結婚禁止法案ハ下院ヲ通過シ、移民局設立ニ関スル法案ハ上院ヲ通過シタルカ、何レモ他院ヲ通過スルニ至ラス、蓋シ、之等排日法案ノ提出セラレタルヲ聞クヤ「ルーズヴエルト」大統領ハ電報及書面ヲ以テ、加州知事ト往復ヲ重ネ、日本政府カ忠実ニ渡米者ヲ制限シ、現ニ渡米者ノ数ハ帰国者ノ数ニ比シ少キ有様ナルニ当リ、斯種排日法案ヲ制定セントスルハ重大ナル過失ナル旨説示シ、加州知事亦其意ヲ体シ、上下両院議員ニ説ク処アリ、一方ニ於テ、西部諸州ノ大新聞ハ多ク加州ノ排日的態度ヲ非難シ、桑港ノ新聞等モ亦、比較的冷静ノ態度ヲ持シタル形勢ナリシヲ以テ、遂ニ大部分ノ法案ノ不成立ヲ見ルニ至リタル次第ナルカ、此間大統領ノ尽瘁ハ、大ニ多トスルニ足ルヘシ
其後明治四十四年ノ加州議会ニ於テモ劈頭上院及下院ニ於テ、帰化権無キ外国人ノ土地所有禁止法案及日白人雑婚禁止法案等提出セラレタルカ、結局何レモ不成立ニ終リ、偶現行日米条約合衆国上院外交委員会ノ審査ニ上ルアリ、新条約ニ於ケル旧条約第二条但書ノ削除ニ対シ是非ノ論州会ヲ賑ハシタルモ、之亦事無クシテ終レリ
○下略



〔参考〕日米国際記要 大日本文明協会編 第一四二頁大正一三年一〇月刊(DK330018k-0010)
第33巻 p.386-387 ページ画像

日米国際記要 大日本文明協会編 第一四二頁大正一三年一〇月刊
 ○第四篇 日米関係公文集
    日米紳士協約要綱
一、日本政府は熟練及不熟練労働者に対し合衆国大陸に通用すべき旅券を発給せざるべし。但し以前に合衆国に定住せる者又は是等の者の両親・妻、若くは二十歳以下の子供は此限に非ず。旅券の形式は偽造を防止するやう工夫せられ、其の発給は詐偽を防遏せむが為に各種の探査規則に基き之を行ふ。日本政府は千九百七年四月八日の合衆国行政命令に示されたる労働者の定義を是認せり。
二、旅券は外務省の監督の下に特に権限ある官吏に依り発給せらるべし。外務省は本件に関する最上の監督権を有し、右行政事務を処理する為に必要なる職員を有す。此等職員は学生・商人・旅行者・其の他の者が旅券下付を申請せし場合、右申請者が労働者となる虞ありや否やに関し十分なる調査を遂げ、且申請者は現在の身分を維持するに必要なる資力又は其の保証を有することを要す。
 申請者が、旅券の発給を受くる資格ありや否やに付き疑ある場合には、当該事件は其の決定を得る為に外務省は照会せらるべし。合衆国に定住したることある労働者に対する旅券は、合衆国に於ける日本領事官の証明書の提出ある場合始めて発給せられ、当該労働者の両親・妻子に対する旅券は、日本領事官の証明書の提出及日本に於ける労働者家族の戸籍謄本の提出ありて始て発給せらるべし。日本政府は詐偽を防遏する為に慎重なる最善の手段を講ず。
三、所謂写真花嫁に対する旅券の発給は、紳士協約の条項に依り禁止せられ居らずと雖も、日本政府は千九百二十年三月一日以来之を停止せり。
四、日米両国政府は米国に入国し及米国より出国する日本人に関する
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月別統計表を交換す。
五、紳士協約はハワイ諸島には適用なしと雖も、該諸島に対する旅券の発給を制限するの方策は、合衆国大陸に対すると実質上同様に強行せられつゝあり。
六、日本政府は日本労働者が合衆国密入国するを防遏する為に、合衆国に隣接せる外国領土に赴かむとする此等労働者の監督を一層厳密ならしめつゝあり。



〔参考〕東京日日新聞 第一〇八九三号明治四〇年四月二二日 ○シヤトル商業会議所決議(DK330018k-0011)
第33巻 p.387 ページ画像

東京日日新聞 第一〇八九三号明治四〇年四月二二日
    ○シヤトル商業会議所決議
(日米移民条約の反対)
  米国シヤトル商業会議所国政要務委員等は、三月廿日の会合に於て日米間に締結せられんとする両国間の移民制限条約は、太平洋海岸に於ける米国商工業の発展を阻害するのみならず、両国間に於ける旧交を破壊するものなりとの決議をなし、同日之を会議所会頭に提出し、会頭より大統領及び国務卿に呈し反省を促せし由なるが、今其決議文を得たるを以て玆に訳載す
アツソシエーテツド・プレス新聞の華盛頓特派員の報告に依れば、米国政府は日本児童を復校せしめて、所謂児童問題を処決せる後、日本と新移民条約を締結すべしと云ふ。然れども我シヤトル商業会議所の意見としては、太平洋海岸人民の多数は、欧洲国民と区別して日本人を取扱はんとする移民法を悦ばざることを主張せんとす。吾人は日米両国民の商業貿易及び友誼に依りて結合せられたることが、過去に於て両国に取りて大なる利益なりしを認めたり。而して此状態にして継続せば、更に将来両国に一層大なる利益を与ふるものなることを信ぜんとす。吾人は日本人を他の文明国民と区別し、日本に他の文明国と同等の権利を与へざる所の如何なる移民条約も、頗る時宜に適せざるものなることを信ず。且つ吾人は、此の如き条約は太平洋海岸の商業貿易に取りて有害にして、為めに此方面の発達繁栄を阻害し、直接に我米国人雇傭の範囲を狭め、我労働に対する需要を減少するに至るべきものなることを信ずるもの也。此の如き条約は、麦粉及び其他の食料品の大にして利益ある市場に牆壁を設くるものにして、為めに太平洋沿岸の農民を傷害するに至るべし。此の如き条約は、日本・韓国・満洲に向つて鉄条・器械・道具及び其他の貨物を供給しつゝある我米国工業に大なる影響を及ぼすに至るべし。かゝる条約は日本・韓国・満洲より、米国の資本を杜絶し、是等の土地に於て従来使用せられつつある熟練なる米国労働者の排斥を導くに至るべし。加之、日本人を他の国民と異りたる地位に置かんとする条約、若しくは之れと類似の規定を設くる法律・規則の強行は、必ず両国人民間に不和・悪感・紛争の種を蒔くに至るべきや必せり。
故に我商業会議所は、玆に他の文明国と締結せる条約と異りたる方法を以て日本人を取扱はんとする如き条約を締結するは、太平洋海岸及び全米国の大なる利益に反するものなることを決議す。此決議案の謄本は、之れを大統領及び国務卿の手元に送附するものとすと。