デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
2款 日米同志会
■綱文

第33巻 p.417-424(DK330024k) ページ画像

大正2年4月15日(1913年)

アメリカ合衆国カリフォルニア州議会ニ提案セラレタル排日土地法案ヲ阻止センガタメ、是日、当会組織セラレ、栄一其会長トナル。二十一日当会主催ノ談話会築地精養軒ニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。二十六日午前外務省ニ外務大臣男爵牧野伸顕ヲ訪ヒ協議スル所アリ。午後当会主催各国通信社員招待会催サレ、同ジク出席シテ演説ス。五月二日当会ハ、全国商業会議所聯合会ト共同ニテ、在米同胞慰問使トシテ法学博士添田寿一及ビ神谷忠雄ヲアメリカ合衆国ニ送ルコトヲ決議ス。翌三日、栄一総理大臣伯爵山本権兵衛ヲ内閣ニ訪ヒ、排日問題善後策ヲ協議ス。


■資料

竜門雑誌 第三〇〇号・第五九―六〇頁 大正二年五月 ○日米同志会と青淵先生(DK330024k-0001)
第33巻 p.417-418 ページ画像

竜門雑誌 第三〇〇号・第五九―六〇頁 大正二年五月
    ○日米同志会と青淵先生
 米国加州議会の議題となりたる外人土地所有禁止法案は、在加州同胞の利権を蹂躙するのみならず、日米条約の精神に背反する不法の法案なり、此際挙国一致協力して、飽くまで加州議会の反省を促す手段方法を尽さゞる可らずとて、中野武営・島田三郎其他の諸氏発起となりて、四月十二日午後一時より築地精養軒に於て発起人会を開き、協議の結果、菅原伝氏の提議を容れて日米同志会を組織することゝなり越えて十五日午後一時より東京商業会議所に於て実行委員会を開きて会則を議定したり、即ち左の如し。
      △日米同志会会則
 第一条 本会を日米同志会と称す
 第二条 加州議会に提出せられたる排日案を防止し、日米両国間の和親を増進するを以て目的とす
 第三条 本会事務所を東京市麹町区有楽町五番地に置く
 第四条 本会に左の役員を置く
  会長一名・副会長一名・会計二名・評議員若干名・実行委員若干名・理事七名
 第五条 本会の経費は有志者の寄附を以て之れに充つ
斯くて会長には青淵先生、副会長には中野武営氏を推選することに決定せり、当時青淵先生には病後静養中にて其議に与かるを得ざりしかども、予て該問題の形勢頗る気遣はしとの報道を聞知し、憂慮措く能はざりし折柄、同会の委員諸氏が右の決議を齎らして懇請せられしより、青淵先生には予て憂慮しつゝありし日米国交上の一大事、微恙を顧るの暇あらずとて直に快諾し、病を力めて同月廿一日午後四時より
 - 第33巻 p.418 -ページ画像 
築地精養軒に開会せる日米同志会に出席せられ、会長就任の挨拶旁々大要左の如き意見を述べられたり。
 自分は旅行先にて病を得、今日尚静養中なるが、時局に関して黙止する能はざる者あり、抑も此の問題たるや十余年来余等の苦労を重ねたる問題にして、先月来加州に於る排日運動の形勢甚だ急を告ぐるを聞き、日夜憂慮し居りし処、日米同志会組織せられ、余を会長に推薦せられし旨の通知に接したるも、病中到底為すなきを慮り、一応辞退せんかと思ひしも、斯くては世の誤解を招き、延いて切角成立せし同志会の名を、自分一己の為に傷くるに至らんは、忍ぶ能はざる儀に付、之を承諾したる次第にして、病気の心配は左る事乍ら、今日の事は更に一層の心配に堪へず、徒らに名を列して員に備はるが如きは余の忍びざる所なりと雖も、多年の深憂亦た微力の限りを尽して已まんのみ、而して玆に一言したきは、吾人は大国民たるに鑑みて、権利の伸暢は何処までも尽すべきも、此際徒らに狭量に逸して、大国民たるの襟度を失せざらんことを戒慎すべきの一事なり
是より先き、ロスアンゼルスの南加州日本人会より、同月十四日午前九時発にて青淵先先生に宛て左の電報を寄せ来れり。
 排日案と重大の関係ある南加二万の同胞は、最も痛切に其運命を苦慮し、特に我政府外交の力を頼めり、閣下の督励に依り防止の功を奏する様御尽力を庶幾す。
爾来青淵先生には病を力めて、副会長中野武営其他の諸氏と共に極力尽瘁したるに拘らず、遂に加州議会の反省する所とならず、上下両院とも大多数を以て排日法案の通過を見るに至れるは、畢世の恨事と謂はざる可らざるなり。


東京日日新聞 第一三〇八五号 大正二年四月二三日 ○渋沢男、病を押して対米問題を議す 日米同志会の談話会(DK330024k-0002)
第33巻 p.418-419 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇八五号 大正二年四月二三日
    ○渋沢男、病を押して
      対米問題を議す
        日米同志会の談話会
日米同志会では、一昨日午後四時半から中野副会長が代議士・実業家新聞記者等の有志を築地精養軒に招待して、対米問題に関する談話会を催された、来会者は中野副会長を始め、堀越善重郎・高峰博士・志賀重昂・藤原俊雄・峰岸繁太郎・佐藤顕理、小久保・島田・関・相島の諸代議士等百余名であつた、軈て面窶れに病中の疲労を見せた渋沢男が久し振りで出席された、中野副会頭は中央に進み出でゝ、来会者一同に渋沢男爵が同志会の会長たることを快諾されしを報告して引き下がると、渋沢男は起つて「自分は未だ病身の肩書が取れないもので御役には立たないから御断りすべきであるが、斯る重大な問題が起つた際に、折角会長にと推されるを之を断ることは、或は会長たるのを嫌つてと誤解され、為めに或は此の会の事業を妨ぐるの端を生じては一大事であるから、病中を押して敢て会長となりました、然し此の対米問題には国権を伸ばすことは決して後れてはならぬが、大国民の襟度を害はぬ様にしたい」と一場の挨拶をして座に復したが、その様子
 - 第33巻 p.419 -ページ画像 
が如何にも難儀さうなので、幹事側では殊に闊くりしたアームチエーアを男爵にすゝめる、男爵は両側に肘をかけて其の中に身を埋めた
○中略
次に高峰博士が、米国の排日の由来を語り『或は米国には軍艦や砲台を作る為めに、金を使つて日本に対する悪評判を流布するものがある様に思はれる、劇場でも活動写真にでも、此んな排日的のものが見える、そこでこれは穏健な善後策を講じないと、却つて此の者共の術中に陥つて仕舞ひ、延いて彼地在留の日本同胞が更に酷い報復を受けやしないかと心配する、畢竟余りに激烈な騒ぎをすると、彼地同胞の為めの目的が贔屓の引倒しとならんかと恐るゝのである』と述べ、それより志賀重昂・今井兼三・望月小太郎諸氏の演説あり、六時食卓を開いて席上種々意見を交換したが、中野武営氏は本問題が如何に成行くとも、どこ迄も穏健なる方法を以て之を解決せねばならぬとて、突飛の行動を戒め、今後も引続き斯かる会合を催して意思の交換を計るべしと述べ、八時散会した


東京日日新聞 第一三〇八五号 大正二年四月二三日 ○桑港日本人会の謝電(DK330024k-0003)
第33巻 p.419 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇八五号 大正二年四月二三日
    ○桑港日本人会の謝電
基督教会同盟にては、十九日対米問題に関し桑港日本人会宛電報を送りたるに対し、同会長牛島氏より左の謝電ありたり
 貴教会の同情感謝に堪へず、本会は人道と米国立憲の精神に訴へ、飽迄平和的解決を望む、此上共宜しく頼む


東京日日新聞 一三〇八九号 大正二年四月二七日 ○牧野外相と渋沢男(DK330024k-0004)
第33巻 p.419 ページ画像

東京日日新聞 一三〇八九号 大正二年四月二七日
    ○牧野外相と渋沢男
対米同志会長渋沢男《(日)》は、中野商業会議所会頭と共に、廿六日午前十時外務省に牧野外相を訪問し、加州排日案に関し種々協議する所あり、正午頃退出せり


東京日日新聞 第一三〇九〇号 大正二年四月二八日 ○日米同志会招宴 排日問題意見交換(DK330024k-0005)
第33巻 p.419-420 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九〇号 大正二年四月二八日
    ○日米同志会招宴 排日問題意見交換
日米同志会々長渋沢男及び副会長中野武営氏は、廿六日午後一時より帝国ホテルに米国聯合通信員ケネデー氏外在京外国通信員路透社ブーレー、倫敦タイムス社ハーグローブ、紐育ヘラルド社ハリソン、紐育ウオールド社フライシヤ、倫敦デーリー・クロニクル社ポール、ユーナイテツド・プレツス上田氏及び頭本元貞・神谷忠雄の諸氏を招待し席上渋沢男は、先づ
 彼我の国交を一層親密ならしめ貿易の発展を助長せしむる事は、渋沢・中野何れも意見の一致せる所にして、加州に起れる排日的態度は此等の進展を阻止する事甚しきものあるべし、加州の排日的態度は七・八年前より形を表はしたるものにして、日本人は常に欧洲人と同一の待遇を受くる能はざるを遺憾とす、希くは諸君は日本人の希望する真相を伝へて、両国間の誤解なからしめんことを望む云々
と述べ、之に対し路透のブーレー氏は
 - 第33巻 p.420 -ページ画像 
 吾人は真相を報道するは職務なると共に、事の起りたる事を抹消して報道を怠る事能はざるも相同じ、故に日本人は自ら慎みて、日本人を悪罵せらるゝが如き行為と言論とを無からしむる事を、両氏の尽力に俟つものなり
と挨拶し、懇談を重ねて散会したり


東京日日新聞 第一三〇九二号 大正二年四月三〇日 ○日米同志会急電(DK330024k-0006)
第33巻 p.420 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九二号 大正二年四月三〇日
    ○日米同志会急電
紐育《(桑港カ)》に開かるゝ各州日本人会代議員大会に関し、日米同志会長渋沢栄一・副会長中野武営両氏の名を以て、牛島会長宛二十九日左の電報を発送せり
 本日(四月二十九日)開かるゝ各州日本人代議員の大会に関し、各位の健在を祝し、御尽瘁の労を謝し、飽く迄も穏健耐忍の態度を保ち、有終の効果を期せられんことを希望に堪へず


東京日日新聞 第一三〇九二号 大正二年四月三〇日 在米邦人大会来電(DK330024k-0007)
第33巻 p.420 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九二号 大正二年四月三〇日
    ○在米邦人大会来電
別項北米各州日本人大会は、廿九日日米同志会長渋沢男に宛、左の電報を送り来れり
 時局に対する御尽力を感謝し、尚一層の御奮励を切望す
右に対し日米同志会に於ては、直に左の返電を発せり
 貴電拝見、時局問題に対し熱誠に努力中なり


東京日日新聞 第一三〇九五号 大正二年五月三日 ○全国会義所代表者添田博士渡米決定(DK330024k-0008)
第33巻 p.420 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九五号 大正二年五月三日
    ○全国会義所代表者添田博士渡米決定
渋沢・中野の日米同志会正副会長、及び添田寿一博士は、二日午前十時より東京商業会議所に会合、全国会議所を代表して、北米加州在留同胞の慰問使派遣の件に付協議の結果、添田博士を慰問使とし、神谷忠雄氏(伯剌西爾拓殖会社取締役)を随員として派遣する事に決定、午後一時中野副会長は添田博士と携同、外務省を訪問、牧野外相に会見、如上の顛末を通告すると共に、外務当局の対米方針及び本問題の経過等をも聴取打合せたる上、午後三時五十分に至り辞去したるが、慰問使一行は来る十日正午横浜解纜の春洋丸にて桑港に向ふべく、尚一行は加州に二・三ケ月間滞在、親しく同胞の実情を視察、且つ慰問する筈


東京日日新聞 第一三〇九六号 大正二年五月四日 ○在米同胞の苦慮 切に母国民の後援を願ひ深く其態度の慎重を望む(DK330024k-0009)
第33巻 p.420-421 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九六号 大正二年五月四日
    ○在米同胞の苦慮
      切に母国民の後援を願ひ
      深く其態度の慎重を望む
 桑港日本人会長牛島氏より渋沢男爵宛二日午後七時半着電左の如しブ氏○ブライアンの交渉とジヨルダン博士の熱心なる運動ありしも、大勢は土地案通過に決せるものと見るの外なし、本日上院議員より、此案の審議は土地所有権に関し、日米両国の折衝纏まるまで延期すべしとの
 - 第33巻 p.421 -ページ画像 
動議出で、尚一縷の望を存す、通過の虞ある修正案は、帰化権なき外人の文字を改め、帰化権ある外人に限り所有権を許し、他の外人に対しては条約の規定に依る、就中在留民に最も必要なる農業借地権を殆ど絶対に拒否せんとす、同案は州の検事総長の起草にて、知事の黙認を経しものと伝へられ、前例なき苛酷を極む、今や労動機関紙を除き全米国の同情は吾々に傾注しつゝあり、華盛頓政府も根本解決の為め帰化権を許すの可なるを認むる模様あり、此際在留民は飽迄も慎重の態度を以て目的の貫徹を期す、最も面倒を極むる時局に対し、母国朝野一致の後援を願ひ、同時に我々に傾注しつゝある米国の同情を傷けざる様慎重の態度を母国民に切望す、若し此際母国に於て米人の反感を招くが如き軽挙盲動あらば、万事水泡に帰する虞あれば、此辺幾重にも御注意を乞ふ


東京日日新聞 第一三〇九六号 大正二年五月四日 ○渋沢男首相訪問(DK330024k-0010)
第33巻 p.421 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九六号 大正二年五月四日
    ○渋沢男首相訪問
渋沢栄一男は、三日午前十一時山本首相を内閣に訪ひ、前日来会談せし排日案に関する善後策に関し種々協議する所あり、尚首相よりの意見を聴取して正午過退出せり


東京日日新聞 第一三〇九六号 大正二年五月四日 日本人会の謝電(DK330024k-0011)
第33巻 p.421 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇九六号 大正二年五月四日
    ○日本人会の謝電
去る廿九日の発電に対し、渋沢男・中野氏宛にて、桑港在米日本人会臨時代表者会より五月二日夜次の如き電報ありたり
 鄭重なる祝電と熱誠の御尽力に対し満腔の謝意を表す、本会は満場一致根本解決の運動着手を決議せり


青淵先生関係事業調 雨夜譚会編(DK330024k-0012)
第33巻 p.421-422 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編      (渋沢子爵家所蔵)
    日米同志会
                  添田寿一氏談
大正二年米国カリフオルニヤ州議会に於て、外人土地所有禁止法案が議題となつて、在米邦人の驚きは勿論、我国内に於ても国論大に沸騰したのてあります。玆に於て東京商業会議所を中心に、在米同胞慰問及彼地の実地調査を兼ね、該立法を喰止めると云ふ目的を以て日米同志会を組織し、人を派遣する事になつたのてあります。そして渋沢子爵を会長に、商業会議所会頭中野武営氏を副会長に推薦したのてあります。当時子爵は御病気中にも不拘、日米間の事は子爵が年来最も憂慮なされてゐた問題て、此時も非常に御心配になり、遂に病気を押して築地精養軒に於て発会式にお臨になつたのであります。(竜門雑誌第三〇〇号五九頁参照)
会に於て派遣使の人選の結果、私と神谷忠雄氏両人が行く事になりました。然し私は其任に非らずとして一往辞退致したのであります。子爵は之に対して順々と説かれました。私は会の為め国の為め病気を厭はれない子爵の熱誠に動かされ『同胞の為め御渡米を願ひ度い』との御詞に対しては、返す言もなく御承諾を申上た次第てあります。
 - 第33巻 p.422 -ページ画像 
○下略


神谷忠雄談話筆記(DK330024k-0013)
第33巻 p.422 ページ画像

神谷忠雄談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
    日米同志会に就て
               昭和十一年六月二十三日、於東京海上ビルデング内東邦電力株式会社、編纂員山本勇聴取
      (1)名称の変更
 竜門雑誌○第三百号 所載の通り、発起人会の決議によつて先生○栄一は会長に就任されまして、それまで「対米同志会」と称してゐた本会を、先生は「日米同志会」と改称するやうにと申されましたので、之に決定致しました。最初の「対米同志会」と云つた時には――誰が云ひ出したのか忘れましたが――多分に反抗的気分を以て会を組織したのでありました。然し先生は「対米と云ふことは穏当でないと思ふ。吾々日本人は加州排日問題に対して人道上、国際正義の道理を以て米国人の反省を促し、両国間の親善を図らうとするものであるから、敵対視することはいけない。出来得れば米国人も本会に入会させ度い」といふ御趣旨であつたと記憶します。
      (3)《(マヽ)》 私が遣米使節の一人に選ばれた事情
 大正二年の加州に於ける排日問題が起る前から、私は東洋移民会社やブラジル拓殖会社に従事して居りました関係上、比較的移民問題の事情に明るかつたことゝ、従前より移民問題に就て青淵先生のお世話になつたことがありました。それに近藤男爵○廉平の御紹介がありましたので、遣米使節の一人として添田先生に随伴することになつた次第であります。
 添田先生は商業会議所特別議員でありましたが、私は商業会議所とは何等の関係を有ちませんでしたので、東京商業会議所名誉書記長といふ資格で参ることになりました。
○下略


現代 第二巻・第一号 大正一〇年一月 国際道徳の指導者を以て任ぜよ 子爵渋沢栄一(DK330024k-0014)
第33巻 p.422 ページ画像

現代 第二巻・第一号 大正一〇年一月
    国際道徳の指導者を以て任ぜよ
                     子爵 渋沢栄一
○上略 大正二年に至り復び加州人の排日思想は、不法な土地法案として表はれたので、余と同憂の士を以て組織した日米同志会から、視察員を出して、彼の地の実情を調べ、且情意の交換をすることゝした。此時の一行中には、添田博士などが参加されてをつたが、先方に行つて民主党の政府の人々に種々弁明し諒解を求めた。
 是がために大統領維遜氏を動かして、国務卿ブライアン氏を以つて加州の知事に教示せしむるに至つた。併し知事は頑として之を拒否したが、遂に土地法案は、最初の提案より大いに緩和されて来たのであつた。余は是に於いても、国民の努力の効果を認むるのである。
○下略



〔参考〕対米移民問題並加州排日運動ノ沿革 外務省編 第一三―一六頁 大正九年一〇月刊(DK330024k-0015)
第33巻 p.422-424 ページ画像

対米移民問題並加州排日運動ノ沿革 外務省編 第一三―一六頁 大正九年一〇月刊
                      (阪谷子爵家所蔵)
 - 第33巻 p.423 -ページ画像 
    五、排日的土地法問題ニ関スル交渉顛末
外国人、特ニ帰化権ナキ外国人ニ不動産ノ所有ヲ禁止セントスル法案ハ、前述ノ如ク既ニ明治四十二年及同四十四年ノ加州々会ニ提出セラレタルコトアリ、当時ニ於テハ米国政府ノ熱心ナル調停ト帝国官民ノ機宜ノ措置ト相竢テ幸ニ不成立ニ終リタリシモ、大正二年一月開会セル加州第四十議会ニ於テハ、又復日本人不動産所有禁止ヲ目的トセル数種ノ法案上下両院ニ提出セラレタリ
右諸案ハ何レモ各々其委員会ニ附託セラレ、委員会ニ於テハ審査ノ結果各代表案ヲ作成セリ、下院ニ於テハ右代表案ハ四月十五日通過セラレタルモ、上院ニ於ケル代表案ニ就テハ議論百出形勢変転シタル末、加州検事総長「ウエツブ」氏起草ノ新法案ヲ上院代表案トシテ採用スルニ決シ、同案ハ五月二日上院ヲ、同三日下院ヲ通過シ、越テ同十九日知事ノ署名ヲ了シ成立セリ、該土地法ノ要点左ノ如シ
 一、合衆国法ニヨリ合衆国市民タルヲ得ル外国人ハ、市民ト同様ニ不動産及之ニ関スル権利ヲ取得・保有・使用・譲渡・遺贈及相続スルコトヲ得
 二、合衆国法ニ依リ合衆国市民タルヲ得サル外国人ハ、該外国人ノ本国ト合衆国間ニ締結セラレタル条約規定ノ範囲内ニ於テノミ不動産及之ニ関スル権利ヲ取得・保有・使用及譲渡スルコトヲ得
  会員ノ多数カ此種外国人タル団体又ハ株式ノ過半カ此種外国人ノ所有ニ係ル会社ニ関シテモ亦同シ
 三、本法ニ違反シテ取得シタル不動産又ハ之ニ関スル権利ハ州ニ没収セラル
 四、第二項ニ該当スル外国人又ハ外国法人ト雖、三ケ年ヲ超エサル期間農業用ノ目的ヲ以テ土地ヲ賃借スルコトヲ得
然ルニ合衆国法上本邦人ハ帰化権ナシト認メラレ居ルノミナラス、現行日米条約ハ土地ノ所有ニ関シ特ニ規定スルトコロ無キヲ以テ、結局本法ハ日本人ニ対シ他ノ外国人ニ比シ劣等ナル差別待遇ヲ与フルモノニシテ、日米両国間交渉ノ主題トナリシモ専ラ此ノ差別的待遇ノ点ニアリ
帝国政府ハ土地法案ノ加州々会ニ現ハレタル当時、米国政府ノ首長タリシ「タフト」氏並ニ国務長官「ノツクス」氏ニ対シ、前年来ノ例ニ依リ排日立法阻止ノ為尽力セラレンコトヲ要望シ其ノ欣諾ヲ得タルモ間モナク三月四日ヲ以テ「ウィルソン」氏ノ政府ト交迭スルニ至リシヲ以テ、珍田大使ハ三月五日新大統領ニ謁見シテ特ニ加州問題ニ関シ注意ヲ喚起シ其ノ尽力ヲ切望セリ、加州ニ於テハ在桑港領事ハ政府ノ訓令ヲ奉シテ必要ノ行動ヲトリ、桑港博覧会々社及商業会議所等極力排日立法ニ反対シタルモ、排日派議員ノ活動漸次旺盛ノ状ヲ呈シ、事態漸ク重大ヲ告クルニ至リタルヲ以テ、珍田大使ハ帝国政府ノ訓令ニヨリ四月十二日国務長官「ブライアン」氏ト会見シ、更ニ同十五日大統領ニ謁見シ、加州土地法案ノ非理ニ対シ反覆説述スル処アリ、大統領及国務長官ハ何レモ深ク其ノ意ヲ諒トシ、友好的解決ノ為全力ヲ尽スヘキ決心ナルコトヲ言明セリ、其後大統領ハ両三度加州知事「ハイラム・ジヨンソン」氏(共和党進歩派)ニ電照シ、差別的規定ノ変更
 - 第33巻 p.424 -ページ画像 
ヲ勧告シ、珍田大使モ亦屡次国務長官ト会見シ、差別的待遇規定ノ現行条約ノ主義精神ニ悖ル旨ヲ繰返シテ我主張ノ徹底ニ努メタルカ、遂ニ大統領ハ国務長官ヲ加州ニ派遣スルコトニ決シ、四月二十八日「ブライアン」氏ハ加州首都「サクラメント」市ニ着シ、両院協議会ニ臨ミ親シク中央政府ノ希望ヲ開陳シ、調停的提議ヲ為シ斡旋ニ努メタリシモ、知事及其一派ノ議員ハ固ク州権不干渉説ヲ持シ、結局五月前述ノ如キ排日的土地法ノ成立ヲ見ルニ至レリ
帝国政府ハ之ニ対シ、五月九日珍田大使ヲ通シ正式ニ第一回抗議書ヲ米国政府ニ提出シ、以来数回折衝ヲ重ネ、今尚其主張ヲ抛棄シタルニアラサレトモ、其後交渉ハ中絶ノ姿トナリ今日ニ及ヘリ
当時帝国政府ハ一方ニ於テ加州土地法ニ関シ交渉ヲ継続セル傍ラ、他方ニ於テ、本問題ヲ根本的ニ解決セントセハ米国ニ於ケル日本人ノ立場ニ関シ将来ヲ確保スヘキ何等協約ヲ彼我ノ間ニ結ヒ、現行条約ノ欠陥ヲ補フヲ以テ最モ適切ナル措置ト認メ、種々攻究ヲ重ネタル結果、大正二年八月、珍田大使ヲシテ国務長官ニ対シ一ノ協約案ヲ提示スル所アラシメ、爾来同大使ハ本問題ノ為メ屡々国務長官ト会見シ、交渉幾多ノ曲折ヲ重ネタリシガ、結局米国政府ノ修正案ハ本協約ヲシテ加州問題ノ解決ニハ直接何等ノ影響ヲ有セサルニ至ラシムルモノナリシヲ以テ、大正三年六月遂ニ協約ニ関スル交渉ヲ打切ルニ至レリ