デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.478-490(DK330043k) ページ画像

大正6年12月17日(1917年)

是日、日米両国関係者合同主催、遣米特派全権大使石井菊次郎及ビ随員ノ帰朝歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK330043k-0001)
第33巻 p.478 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月十七日 月 午後七時 石井大使歓迎会 略綬、燕尾服(ホテル)
 - 第33巻 p.479 -ページ画像 

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正六年(DK330043k-0002)
第33巻 p.479 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正六年
                 (阪谷子爵家所蔵)

○六年十二月十七日ホテル石井大使歓迎会、日米人約二百五十名、米大使モリス、石井子、渋沢男演説ス


竜門雑誌 第三五六号・第六九―七〇頁大正七年一月 ○石井遣米特派大使及随員一行歓迎会(DK330043k-0003)
第33巻 p.479 ページ画像

竜門雑誌 第三五六号・第六九―七〇頁大正七年一月
○石井遣米特派大使及随員一行歓迎会 過般帰朝せる石井遣米特派大使及随員諸氏歓迎の為め、青淵先生初め徳川家達公・金子子・三島子三井男・阪谷男・近藤男・大倉男・古河男・中野・浅野・添田・豊川団・日置・浅野・藤山・井上(準)・高田、米国人フライシヤー、ゲーリー、スイフト、エンスウオース、フレーザーの諸氏廿四名発起人となり、十二月十七日午後七時より帝国ホテルに於て盛大なる晩餐会を催したり。出席者は主賓石井氏を初め菅野・永井・谷川の諸氏、又陪賓としては米国大使モーリス氏、シドモア総領事、本野外相・加藤海相・仲小路農相等の諸氏にして、主人側には青淵先生以下前記発起人諸氏を始め内外人二百余名、青淵先生トースト・マスターとなり、石井大使・モーリス米国大使の演説等ありて、和気堂に溢れ、其散会せるは十一時なりきといふ。因に青淵先生当夜の歓迎辞は追て本誌上に掲載する所あるべし。


竜門雑誌 第三五九号・第二五―二九頁大正七年四月 ○石井特派大使歓迎会に於て 青淵先生(DK330043k-0004)
第33巻 p.479-482 ページ画像

竜門雑誌 第三五九号・第二五―二九頁大正七年四月
    ○石井特派大使歓迎会に於て
                      青淵先生
 本篇は日米両国関係諸会の主唱により、京浜実業家亦之れに参加し大正六年十二月十七日帝国ホテルにて開かれたる石井特派大使歓迎会席上に於ける、青淵先生の歓迎辞即ち是れなり(編者識)
 石井特派大使閣下。満場の閣下諸君。本夕は東京市内に在る日米関係の各実業関係の人々が発起致して、京浜間の有らゆる方面の諸氏を合せて、大使の御機嫌克く御帰朝あらせられたるを祝して、之を歓迎し、且御随行の諸君をも御招ぎして此宴を開いたのでございます。幸ひ大使閣下は勿論、御随行の諸君、又米国大使閣下、其他諸貴紳を始め斯く多数の尊臨を辱う致しましたのは、此会を催しました会員一同の感謝措く能はぬ所でございます。私は玆に会員の代表位置に立ちましたに就て、一言蕪辞を呈して歓迎の意を表しやうと存じます。
 石井大使閣下の此度の御旅行に付ては、吾々大に期待する所あつて御発程の際にも其行をお送り申したのでございます。蓋し其任務や頗る重大にして、又其職に当れる人格として、必ずや満足なる結果を齎されるであらうと予想致したからでございます。果して然り、吾々の企望以上の好成績であつて、為めに吾々をして歓喜措く能ざるに至らしめたのであります。蓋し大使の忠誠と才識とに加へて、其斡旋宜しきを得たことは論を俟ちませぬけれども、米国当局の諸賢も亦大にお心添があつたことゝ深く感謝致すのでございます。
 回顧しますと一昨年の冬、私も唯だ自己の発意から亜米利加に旅行を致しました。今日当時の事を追懐しますると、老人の婆心に過ぎま
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せぬけれども、斯の如き慶賀すべき場合に立至るとは、真に想像以外であつて、私は唯々愉快の感に堪へませぬのでございます。元来米国と我帝国との国交は、年を追うて次第に親善を加へますことは敢て喋喋を要しませぬ。併し十数年前から米国の西部に於て、我国より移住する邦人に対して、吾々が心苦しい待遇を受けて不快の感を持ちましたことは、私の最も憂慮する処にして、どうぞ恰好の解決を得たいものと常に苦心致したのでございます。爾来時運の進歩から追々融和を得まするに依つて、私は心密かに喜びまして、引続き国民の交際として種々奔走努力を累ねました故に、桑港に開かれたる巴奈馬開通記念の大博覧会に参列するは何にかの裨補あることゝ考へて、一昨年十月末に東京を出立して老後の旅行を試みたのでございますが、其際に於て更に私の懸念致しましたのは、欧洲戦乱の影響から米国の実業力の発展が東洋に進展すると云ふ場合に、支那の事業経営上日米の間に於て西部以外の面倒を惹起しはせぬか。是は或は婆心であつたかも知れませぬけれども私には深く心に懸りましたのでございます。故に桑港に於ける博覧会一覧後、直に東部に渡つて従来面識ある米国の実業界の有力なる諸君に対しても、どうぞ亜米利加と日本と力を戮せて東洋の経営即ち支那に対する事業に着手致したいものである。若しも支那の開発に付て、両国が相争ふと云ふことになるならば、西部に於ける紛議が漸く鎮まるや、更に又、東部の面倒を生ずると云ふことになりはせぬか、此事は国民共に苟も国を憂ふる者の最も注意すべき所であると、紐育の経済界の方々には特に私の心を打明けてお話をしたのでございます。会談した諸君は私の微衷を諒とせられたやうに思ひましたけれども、当時に於ては紐育の実業界の有力者は、私の微衷を完全に了解し下されたるや否やと云ふ有様で、私は帰国致したのでございます。帰国の後には、自己の本領たる我邦の実業界又は政事界の諸友に対して、亜米利加に於て述べたる説を繰返して、其効果を見ることを希望して已まなかつたのでございます。然るに今回我が石井大使の御旅行に於て真に充分なる結果を見て、去月初旬発表されたる日米共同宣言書は私の爾来の希望した以上の満足なる福音であつて、実に両国民の最も歓喜し最も安心するものと言はなければならぬのでございます(拍手)吾々は更に進んで此意義を拡張して欧羅巴全般に亘つて東西洋の文明の融合調和を為して、遂に世界の平和を将来に維持したいと思ふ、而して其任務は西洋では北米合衆国、東洋に在ては我帝国であると信じます(拍手)然るに此両国が万一にも対支那経営に付て相争ふ如きことあつたならば、両国民の憂のみならず世界の平和てふ大なる企望も共に得られぬやうになりはせぬか、斯く考慮して見ますと前に申上げたる共同宣言と云ふものは、実に九鼎大呂よりも猶ほ重いのである、而して此大成功を羸ち得られたのは即ち我特派大使石井子爵閣下であるから、吾々は如何なる方法を以て大使の帰朝を歓迎すべきであるか、想ふに普通人の外国旅行から無事に帰国せられた時はこれを祝して歓迎するは個人として当然の事であらう、今日の如き場合に於て国民挙げて歓迎致して然るべきことゝ存じます(拍手)故に私は今夕の団体のみで大使の歓迎を私しやうとは思はぬのであります
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此機会に於て更に一つ大使に歓迎の辞を申上げたいと思ふことがございます。私は不肖ながら四十有余年実業界に拮据経営致しまして、生産殖利の事務に努力しました、而して此経済的の行動は兎角道徳と背馳し易いものでございます。正義人道を完全に履行しつゝ、生産殖利を満足に進めると云ふことは、実業家の為し難いことに相成つて居ります、故に商業には常に駈引と称て兎角有を無とし無を有とすることがあります、即ち正義真実に悖つたる行動が多いのであります、併し是は実業界の忌むべきことであつて、要するに人格高き実業家は居常道徳と経済との一致を心掛け、これを一致せねば完全の進歩は為し得られぬものとして居ります、如何となれば商売は何によりて成立するか、一に惟れ信用を基礎とすると云ふではありませぬか、果して信用を基礎とするならば、偽らざる是れ信でなければならぬ。斯かる主義を以て吾々は此帝国の実業をして欺かず飾らず、所謂虚偽騙瞞等の悪徳は全然排斥致したいと希望致して居るのでございます(拍手)翻て政治界は如何である。国際道徳が個人の道徳と一致して居るや否や、目今の欧羅巴の有様を見ますと、国際道徳は全く廃滅致したと言ふても過言ではなからうと思ふのでございます。而して政治界の樽爼の上の折衝と云ふ言葉は、文字の上は綺麗でございますけれども、酷評すれば嘘の交換である。斯の如き有様を政治界の特色として居ると申しても決して誹謗讒誣ではなからうと思ひます、然るに石井特派大演は御帰朝後何と言はれた。今般の日米両国の共同宣言は一片の至誠から成立つた、相互の交驩は正直を根拠としたのである、我心に思ふことは卒直に打出して言ふて、先方の企望に対しても同意すべきは同意し反対すべきは反対する、斯の如く光風霽月以て、今回の折衝を為したのである。今度の自分の職務は、唯一個の誠の字以て貫いたと過日私が大使を訪問した時に親しく拝聴致したのであります、果して然らば私が従来疑問としたる政治界は兎角術数を用ふる詰り商人の駈引同様と思ふたのは、全く政治界の悪い方面を見たのであつて、日米両国の政治家は全然之に反して唯々至誠を基とし、信用に拠りて相交ると云ふことが証拠立られるのでございます(拍手)斯の如き喜ぶべき福音をお伝へ下すつた石井特派大使に対し如何むぞ吾々は一に衷心よりの喜びを以て迎へざるを得ぬではございませぬか(拍手)吾々は将来に於ても大使に持ち帰られた此福音を、どうぞ政治界の正則たらしむやうに致したいと希望して已まぬのでございます。此歓を同じうしたる来会の諸君は多くは実業界の人々である。又米国の各位も同じく実業界の方々が多く居らるゝ様に思ひます。故に此米国の名誉ある政治家及我特派大使の苦心経営によりて斯の如き満足の効果を得るに至つたことを、近い未来に於て実業上の事実に表現して以て政治界に報答するのは満堂の諸君の努力に依るであらうと思ふのでございます(拍手)斯くあつて始めて真正なる、歓迎に相成るであらうと思ひますれば、今夕の此宴会は先づ歓迎の序幕と致して、玆に諸君と共に将来を誓うて此幸福を空しからざらしめたいと思ふのであります(拍手)私は臨場の諸君と共に盃を挙げまして大使閣下の御健康を祝します。
  (起立乾盃)
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 一寸御披露を致します。此宴席に飾りました各種の国旗は石井特派大使が米国に於て各方面の人々より贈られたものを拝借致して装飾として展覧致したのでございます、又中央に一つございますのは今日費府のワナメーカー氏から私に贈付せられたのでございます。私は旅行から帰つたのではございませぬから、国旗を掲げるは不相当と思ひましたけれども、恰も今日を卜して贈り越されたから嬉しく思ふて、此処に飾りまして臨場の諸君の一覧に供したのでございます。


中外商業新報 第一一三九〇号大正六年一二月一八日 ○石井子招待会 昨夜帝国ホテル(DK330043k-0005)
第33巻 p.482-483 ページ画像

中外商業新報 第一一三九〇号大正六年一二月一八日
    ○石井子招待会
      昨夜帝国ホテル
今般帰朝せる石井遣米特派大使及随員諸氏一行の為に徳川公、金子・三島両子、渋沢・三井・阪谷・近藤、大倉・古河各男、中野武営・添田寿一・豊川良平・団琢磨・日置益・浅野総一郎・藤山雷太・井上準之助・高田慎蔵、米国人フライシヤー、ゲーリー、ズイフト、エンスウオースの諸氏発起人となり、十七日午後七時より帝国ホテルに於て晩餐会を催し、出席者は主賓石井子を初め菅野・永井・谷川の諸氏、陪賓として米国大使モーリス氏・シドモア総領事・ラツタア商務、本野外相・加藤海相・内田逓信次官等の諸氏にして、主人側は渋沢男を初め、前記発起人諸氏約二百名並に米人約五十名出席、渋沢男トースト・マスターとなり、石井大使及米国大使モーリス氏の演説あり、十一時頃散会せり、渋沢男の挨拶及米国大使、石井子爵演説の大要左の如し
 ▽渋沢男の演説○前掲ニツキ略ス
 ▽石井子爵演説
 頃日渡米以来大小多数の会同に於ける予が演説を回想し、尚其演説中今に至り追加せんと欲するもの多々あるを覚ゆれども、今夕の会衆諸君に対し、否弘く世間に対し一言述べ置きたきは、滞米中になしたる演説の趣旨は毫も今日に於ても訂正若は撤回するの必要を感ぜざることなりとす(中略)尚予は今夕臨席の新米国大使モリス閣下に対し、此機を幸に感謝と敬意を表せんとす、米国人特有の率直誠実並公表の念は方さに遺憾無く同大使によりて代表せらる、帝国政府並臣民は北米合衆国の代表者として、斯る秀逸の士を迎へたるの幸運を喜ぶものなり、而して同氏内助の人として貞淑聡明の大使令夫人を帝都に迎へたるをも多とせざるを得ざるなり、同夫人に関し玆に諸君に語らざるを得ざる一逸話あり、一夕予は費府に催されたる米国政治社会学協会の講話会に列し、モリス大使並同夫人も席を同じうしたるが、予に次で演説に上りたる雄弁なる講演者が演説中卓を撃ちたるに当り、偶々卓上に飾られたる小日章旗の落下するありたり、而して殆んど何人も気付かざりしに先ち、淑然として徐ろに之を拾ひ、再び卓上に飾りて米国旗と並置したりしは実にモリス夫人其人なりき、会長、閣下並諸君、右一場の出来事は正に誠実なる心情の表徴なり、大使夫人の挙作たる、日米両国旗の恒に相並びて翩翻たるを見んと欲する米国人の熱烈なる希望を表彰したるも
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のに非ずして何ぞや、吾人は日章・星条の両国旗がともに正義と名誉とを代表せる諸国の国旗と常に相連らんことを切望す、蓋し日米両国民は斯くして恒久の平和を楽しむを得べければなり
 ▽米国大使演説
 予は石井使節及其一行諸君が日本帝国の使命を首尾能く全うせられしことに向つては、諸君と共に満腔の祝意を表する次第なり、本夕支那に対しての日米両国の政策に関する両国政府が協約一致せる主義方針を記載するところの外交文書に就て論及するは、予の目的に非ざるなり、ランシング卿の至言に曰く、「外交文書中の文句は説明を要せず」と、予は寧ろ特に石井使節及其一行諸君によつて、米国の輿論が変化せんことを言はんと欲す、一行諸君は真率無私・恬淡朴直、以て我々の敵国及び日米両国の国民中誤解に惑はされ熱心に過ぎたる人々が、勉めて伝播せし所の猜疑的の外交の空気を一掃し数日にして多年彼等が扶殖せし勢力を終熄せしめたり、是れ実に大功績なりと雖も、予をして喩へしめば、石井子爵は此猜疑の暗雲を一掃し、吾々多くの者には暗憺として透見することを得ざりしものを、子爵は明敏なる眼光を以て透見洞察して両国民に明示せり、是れ即ち今後必ず両国民が互に尽瘁することある援助裨益を意味す、而して石井使節は、両国の援助裨益の交換を実現せんには、尚ほ一層寛大なる精神を以て苦心戮力せざる可らざることを吾人に教示したり、予をして本夕予が諸君に向つて伝ふる所のものとして子爵の伝へし言葉を繰返すことを得せしめよ、吾々一同は今後永久両国をして相互に卒直・淡白なる交際を持続せしめんことを決心せずや、又「若し遠慮なく寛容なる精神を以て両国が接近せば、国威に触れず正当なる調和を望むことは不可能ならん」と云ふ疑念は、決して両国間に起ること能はずと云ふ信念を、石井使節と共に吾々に総てをして抱かしめよ、如斯にして両国民の友誼更に新に益々親善を加へ来る故に、吾々は同盟国として此の戦争に必要なる犠牲を払ふことに向つては惜し気なく協力一致すべし、而して将来平和克復の暁は商工業場裡に相提携する基礎を今より築き上げん


時事新報 第一二三四三号大正六年一二月一八日 ○遣米特使招待 帝国ホテルの晩餐会(DK330043k-0006)
第33巻 p.483-484 ページ画像

時事新報 第一二三四三号大正六年一二月一八日
    ○遣米特使招待
      帝国ホテルの晩餐会
今般帰朝せる石井遣米特派大使及随員諸氏一行の為めに、徳川公、金子・三島両子、渋沢・三井・岩崎・阪谷・近藤・大倉・古河各男、中野武営・添田寿一・豊川良平・団琢磨・日置益・浅野総一郎・藤山雷太・井上準之助・高田慎蔵、及米国人フレーザー、フライシヤー、ゲーリー、スイフト、エンスウオースの諸氏之が発起人となり、十二月十七日午後七時より帝国ホテルにて盛大なる晩餐会を催したり、出席者は主賓石井子爵、菅野・永井・谷川の諸氏、陪賓としては米国大使モーリス氏を始めとして、本野外相・加藤海相・仲小路農相等の諸氏主人側としては前記発起人の外星野錫・原六郎・大谷嘉兵衛・大橋新太郎・島村男爵(速雄)諸氏の外、米国人五十余名の出席ありて総計
 - 第33巻 p.484 -ページ画像 
二百五十余名、渋沢男トースト・マスタとなり、石井大使・米国大使の演説あり、近年に無き盛大なる晩餐会なりき、両大使演説の要旨左の如し
    △石井子の演説
 △日米の宣言 予は玆に頃日支那に関し日米両国政府間に交換せられたる外交文書に関して一言すべし、本文書の交換を遂ぐるに至りたるに付、余は大統領ウイルソン氏並に国務長官ランシング氏の厚意に負ふところ大なり、右は虚心坦懐腹蔵なく意見を交換したるの結果にして、日米並に支那の三国は之が為に裨益するところ大なりと謂はざるべからず、右宣言は一に日本が支那に対し特殊の関係あり、特殊の利益を有すとのことを宣明したる外他意なし
 △支那も諒解せん 日支両国は車の両輪の如く鳥の両翼の如しとは隣邦友人の常に吾人に語る所、支那の諺に唇亡びて歯寒しとあり、日支両国は唇歯闘《(マヽ)》の間柄に在りとは、是亦吾人が常に耳にする所なり、然るに今に於て聡明慧眼なる支那の人士が、此の明白なる事実を文書明記したるに対し、危惧の念を抱かるゝは、吾人惑なき能はざる所なり、乍去、余は隣国の人士も世界の大局に顧み、幾何ならずして単に日米の両国間に於けるのみならず、日米及支那の三国に於ける親交を深くするに多大の貢献をなすべき日米協定に対し、其疑義を捨て進んで之が無記名の当事者たるを喜ぶの日ある可きを確信するものなり
 △太平洋上問題なし 紐育市の主催にて開かれたる本使一行の歓迎会の席上、予は去る一九〇八年国務長官ルート氏と高平大使との間に交換せられたる協商に於て、太平洋上両国の所領は双互尊重せられる可しとあるに対し、日本は満足するものなるが米国人は如何、と卒直なる質問をなして、米国人亦然るものなることを認め、果して然らば太平洋問題に関しては今後日米両国間に何等問題存在せずと叫びたるが、今回の新協商成るに及んで、将来支那問題に関しても亦日米両国間に問題なかるべしと言ふを得るは欣快に堪へざるなり
 △米大使に感謝 終りに余は今夕臨席の新米国大使モリス閣下に対し、此機を幸に感謝と敬意とを表せんとす、米国人特有の卒直・誠実並に公正の念は方に遺憾無く同大使によりて代表せらる、帝国政府並に臣民は北米合衆国の代表者として、斯る秀逸の士を迎へたるの幸運を喜ぶものなり
    △米国大使演説○前掲ト略ボ同一ニツキ略ス



〔参考〕中外商業新報 第一一三七三号大正六年一二月一日 ○日本特使歓迎(DK330043k-0007)
第33巻 p.484-485 ページ画像

中外商業新報 第一一三七三号大正六年一二月一日
    ○日本特使歓迎
 九月二十七日紐育市シチー・ホールに於ける石井特使歓迎会席上鋼鉄王ゲーリー氏の演説大要左の如し(渋沢男宛到着)
日本国民も米国民も共に平和を愛好し対独宣戦の意義を徹底せん事を期しつゝあり、独逸は自国生存の為めに、止むを得ず戦ふと言ふも、是れ強盗、家人の抵抗に遇ひて自己生存の為に闘ふと弁明するの類のみ、況や独逸は戦前幾多弱小国の権利を侵害せんとの陰謀を企てし事露見せるおや、而して米国は今や此世界人道の敵を仆し公海の自由を
 - 第33巻 p.485 -ページ画像 
確保せん為に大戦に参加し、国内一切の資源を動員しつゝあり、而して今後三・四年以内に千五百万の精兵を戦地に送り、戦費一千億弗を調達して、而かも猶益々国内産業発展せしめ得可し、斯の時に当り日本の大人物が、日本皇帝の勅命を奉じて我国に渡来されたるは実に深き意義を有せり、特使の随所に於ける演説は米国に対する誠意好感を流露せるが、実に日米両国は相互の親友にして、彼の独逸の浅墓なる日米離隔陰謀に依り友誼を冷却するが如き事無かる可きや勿論也、即ち戦後は列国商権争奪の間にありて、日米両国に愈々経済関係を密接にし、米国の富源は日本の利益の為に提供さるゝに至る可く、両国の貿易は益々増大す可き也、蓋し友誼は之を事実に表現して始めて価値あり、特使の使命幸に此の大目的を貫徹せん事を希望す



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第四六二―四七五頁昭和七年二月刊(DK330043k-0008)
第33巻 p.485-489 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕一八五三―一九二一年日米外交史 トリート著・村川堅固訳補 第三〇四―三〇六頁大正一一年四月刊(DK330043k-0009)
第33巻 p.489-490 ページ画像

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