デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.630-634(DK330092k) ページ画像

大正11年7月7日(1922年)

是ヨリ先七月二日、アメリカ合衆国海軍卿エドウィン・デンビー来朝ス。是日当委員会及ビ京浜在住実業家聯合シテ其歓迎晩餐会ヲ福井楼ニ開ク。栄一出席シテ主人側総代トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一一年(DK330092k-0001)
第33巻 p.630 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一一年
                  (阪谷子爵家所蔵)
 十一、七、二 米国海軍卿Hon.Edwin Denby一行、米国運送船Henderson号ニテ横浜ニ到着ス、一行六十五人、内千八百八十一年アンナポリス同窓二十七人ヲ包含ス、瓜生大将モ同窓ノ一人ナリ
        七月七日福井楼ニテ日米関係委員会等ノ招待会アリ


集会日時通知表 大正一一年(DK330092k-0002)
第33巻 p.630 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年 (渋沢子爵家所蔵)
七月七日 金 午後六時半 デンビー氏一行歓迎会(福井楼)


竜門雑誌 第四一一号・第四九―五〇頁大正一一年八月 ○米国海軍卿デンビー氏一行歓迎晩餐会(DK330092k-0003)
第33巻 p.630-632 ページ画像

竜門雑誌 第四一一号・第四九―五〇頁大正一一年八月
○米国海軍卿デンビー氏一行歓迎晩餐会 今般東京に於て開催せられし米国アンナポリス海軍兵学校同級会に出席の為め来朝せる米国海軍卿エドウヰン・デンビー氏一行の為めに、青淵先生主宰の日米関係委員会中心となりて、京浜間有力の実業家八十余名発起の下に、七月七日午後六時半両国矢倉福井楼に於て、盛大なる歓迎晩餐会を催されたり。当日の主賓はデンビー卿及同夫人を始め、上院議員ウエラー氏、アジア艦隊司令長官ストラウス氏・同夫人・海軍少将フーゲワーフ氏同夫人、陸軍少将バーネツト氏・同夫人、其他陸海軍将校・夫人・令嬢等一行六十三名にして、又陪賓としては米人側ウオーレン米国大使同夫人、バーネツト海軍中佐・同夫人其他二十余名、邦人側加藤首相同夫人、内田外相・同夫人、幣原大使・同夫人、井出海軍次官・加藤海軍々令次長・伊集院情報部長其他十余名、及び日米新聞記者十余名又主人側よりは青淵先生を初め、伊東米治郎氏・井上準之助氏・石井健吾氏・服部金太郎氏・堀越善重郎氏・大倉男爵・和田豊治氏・神田
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男爵・団琢麿氏・添田寿一氏・頭本元貞氏・瓜生男爵・白石元治郎氏浅野総一郎氏・佐々木勇之助氏・阪谷男爵、其他夫人・令嬢共八十余名列席の上、定刻、太神楽・独楽・尺八の余興に始まり、八時食堂に移りたるが、階上に設けられたる食堂は全部卓子及び椅子を配置し、一同の着席を待つて、先づ主人側総代青淵先生は、音吐朗々と歓迎辞(前号所載)を朗読せられ、小畑久五郎氏はこれを英訳す、次でデンビー氏は一行を代表して大要左の謝辞を述べられたり。
 私共は只今渋沢子爵の御歓迎の辞を拝聴致しまして、私の訥弁なる到底感謝の意を尽すこと能はざるを遺憾とする次第であります。然し乍ら私共は今夕斯る盛宴を御催し下さいました其御友情に対しては、衷心より感謝の意を表して居ることを充分に御諒察下さらんことを希望して已まぬのであります。渋沢子爵の御演説は私共に深き感銘を御与へ下さいました、然し私共は日本語を解せざるが故に其原文を知ることの出来ぬのを悲みと致しまするが、通訳者の熱誠なる訳述によりて其意を了解致しましたことを幸甚と存じます。
 諺に「最終のものは最善のものなり」と云ふことが御座いますが、私共が今日まで拝聴致しました演説の中、子爵の御演説は其最善のものであると云ふことを断言するに憚りませぬ。或は今後斯の如き最善の演説を聴くことが在るかも知れませぬが、今日迄の所にては此子爵の御演説に匹敵すべきものは無かつたのであります。――一八八一年卒業の同級――私は此団体が果して此名称に添ふや否やを知らぬのでありますが、然し今回私共が旅行のプログラムに記載してある所を以て見れば、アデライナ・パテ(有名なる声楽家)の如く、アンコールに依つて何時果つべしとも思はれませぬ故、この意味よりすれば、私共今夕の御招宴は最終の招宴に対する前芸であるかの如くにも感ぜられるゝのであります。
 今朝私共一同は久里浜に、六十九年前来朝せるペリー提督の記念碑を訪問して、殆んど全日を費し此盛宴に列した次第でありますが、只今渋沢子爵の御演説を拝聴して、私共の記念訪問が今夕の御招宴に対し洵にふさはしき事であつたと同時に、私共が提督を彼地に追懐して一日を過せしことの決して徒事ならざりしを思ひ、又日本国民に対して其意に添ふた如くにも思はるゝのであります。
 渋沢子爵は其御演説中、孔夫子の句を引用せられましたが、私も亦孔夫子の句を引用致します。即ち「政を為すに徳を以てす、譬へば北辰の其所に居て衆星の之に共ふが如し」又た、「四海の内皆兄弟なり」と。而して私は此第二の旬の真髄を知ることが出来ませぬけれども、太平洋の一海を隔てゝ私共は皆諸君の同胞であると云ふ事丈けは申し得ることゝ思ひます。
 私共は今日久里浜の途上、浜辺に於ける漁夫と言はず、微笑める子等と言はず、日米両国旗を波の如くに振り翳して「バンザイ」を連叫しつゝある其真摯質実の歓迎を見、転た日本国民の友情厚きに感激致しました。
 私共はペリー提督の記念碑の傍に、本国より携へ来れる二本のアメリカ松を植えました。其一本は一八八一年級の名に於て、今一本は
 - 第33巻 p.632 -ページ画像 
私の名に於てゞあります。
 願くば此松幾重久しく長生して、緑滴るが如き美観を呈するが如く日米両国の友情をして、益々濃密ならんことを希望する次第であります。
右終つて饗宴を開き、紅裙六十余名其間を斡旋し、日本酒・葡萄酒の飲物に汁・向・口代り・鉢・さしみ代り・茶椀・煮物・水菓子等純日本料理に、来賓一同の満足この上なく、両欄に灯されたる岐阜提灯は隅田川の川風に揺れて涼気満堂に満ち、一同和気靄々裡に食を畢り、更に来賓の希望にて紅裙の手踊数番あり、主客歓を尽して散会せるは十時半なりき。
 因に青淵先生には此日朝来気分勝れられざりしも、強て出席の上主人側総代として歓迎の辞を述べられ、次でデンビー氏の答辞を聴かれたる後、辞去して静養せられたる由。


竜門雑誌 第四一〇号・第一八―二〇頁大正一一年七月 ○米国海軍卿デンビー氏一行歓迎晩餐会に於て 青淵先生(DK330092k-0004)
第33巻 p.632-634 ページ画像

竜門雑誌 第四一〇号・第一八―二〇頁大正一一年七月
   ○米国海軍卿デンビー氏一行歓迎晩餐会に於て
                     青淵先生
 本編は七月七日矢の倉福井楼に於て開会されたる米国海軍卿ヱドウヰン・デンビー氏一行歓迎晩餐会席上、主人側総代として述べられたる青淵先生の歓迎辞なりとす。(編者識)
 閣下、淑女、紳士諸君
 私は各種の宴席へ主催者として列した事も数多くございますけれども、今夕御臨場を得ました貴賓の方々程に名誉あり地位ありて、殊に私をして懐旧の感深からしむる事は稀であります。
 私の常に尊敬して居ります孔夫子の言に「有朋自遠方来、不亦楽乎」といふは今夕の私の心を言表はしたものと思ひます、此席に集会しました吾々在東京の日米関係委員及び米国に関係深き実業家の同志が申合せて、衷心から此珍客を歓迎し、而して私は之を代表して一言を述べますることは、私の大なる愉快であり名誉であり又特権であります
 貴賓諸君は吾々の平素敬愛する米国より来遊せられ、然も其国粋を代表して居らるゝのでありますから、我国中到る処で鄭重なる歓迎を受けらるゝは当然の事と存じます、殊に諸君は今日、我が日本国民に多大の尊敬を受けて居らるゝ海軍大将瓜生男爵の友人として又賓客として来訪せられたのでありますから、同男爵に交情厚き吾々にも又友人たり賓客たりとするのは相当の事と思ひます。
 今を距る事約七十年前、吾国は米国から重要なる訪問を受けました其時の一行も亦海軍の軍人が主脳者でございました、然し遺憾な事には其時はまだ瓜生男爵は生れて居りませぬ、故に米国の学問、米国人の心事をも理会し得ぬので、ペリー提督及び其一行は日本から何等の歓迎を受けないで帰国しました、而してそれは私の十四歳の時でありましたから、訪問の要旨抔を聞知することは出来なかつたけれども、黒船の一隊が鎖国の江戸湾に迫つた時、少年なる私の心に映じた印象は自然敵愾心なき能はずと申す外はありませぬ、左様な有様で大切なる歴史的使節に対して、私共の抱いた感情は、如何なる方面から見て
 - 第33巻 p.633 -ページ画像 
も親善とは言はれないのでありました、故に当時のペリー提督の一行は、今夕吾々が諸君を歓迎する様な温情の一滴を一味《(マヽ)》ふことが出来なかつたのであります。
 光陰は実に砲弾の速度よりも速であります、時代の進歩が齎らす処の偉大なる変化は只々驚嘆に堪へませぬ、米国は日本を侮辱するものなりと思ひ誤りて、怫然として激怒し愛国の至情に燃えたる当年の一少農夫は、今や米国の貴賓諸君、而も海軍の軍人を、自己の友人、賓客、否国民の貴賓としてお迎へすべく、八十三歳の老躯を以て今夕此席に起つて此辞を述べるのでございます、真に長生こそ致すべきものであると悦び居ります。
 ペリー提督一行の渡来は、日本の歴史上に一新紀元を劃し、日本は之れによつて世界の進歩に歩調を合せて進むることを得たのでございます、吾々は其際世界の事を知らぬ為め、提督の訪問に対しても好感を以て酬ゆることが出来なかつたけれども、爾来我邦は漸次に文化的趣味を鑑賞し得るに至つたのでございますが、其経歴中に於て米国が終始一貫我国へ与へられたる親善の国交は、吾々の深く記憶して感謝する処であります。
 ペリー提督の使命は公式的又政治的でありました、而して前述べました日本歴史上に新しい紀元を劃したのでございます、故に我国の進歩が大なれば大なる丈、其重要なる点も亦大なるのでございます、今夕の主賓にして米国海軍の主脳者たるデンビー卿御一行の使命は公式ではありませぬ、併し乍ら公式たると非公式たることを問はず、吾々の感受する処は其重要の度に於て、ペリー提督の使命と何等の差がないのでございます、ペリー提督は堅く鎖した我門戸を根気よく且つ思遣り深く激せず撓まず之を叩いて、終に吾々をして門戸を開放せざるを得ない様にしたのでありましたが、吾々は是によつて今日の進歩と愉快とを得ることゝなつたのでございます、又今夕の貴賓諸君は私共の心の門戸を叩きに来られたのと思ひますが、実は諸君が御来訪になります以前から全然開放せられてあつて、今日では我邦は国際上必要なる凡有儀礼には順応する様になつたと、密かに自負して居るのであります。
 諸君の御来訪は最も時宜に叶ふて居ると存じます、昨年ワシントン会議に於て好都合に成功されました国際間の平和と親善とに関する大事業を、更に完成せしめんが為めであると申しても差支ないと考へます、私も昨冬華盛頓に旅行して、合衆国の大統領及其閣僚が斯る歴史的会議を真摯質実に成就せしめたのを拝見して、真に全世界に大なる恩恵を施したるものであると断言して居るのでございますが、満堂の諸君も必ずや私と同感であると信じます。
 貴賓諸君、私は政治界の事を云為する資格はありませぬが、ワシントン会議に於て締結されました条項に対しては、今夕此処に参集致しました一同の内一人もワシントン会議に対して不満足を称へる者はありませぬと確信致します。
 吾々は国際の平和と融合とを衷心より希望するものであつて、特に日米両国間の誤解及紛擾の諸原因が、完全に処理せられましたことを
 - 第33巻 p.634 -ページ画像 
見て欣快に堪へぬのでございます、吾々は日米両国間に起る問題で、平和的解決を見ることの出来ないものは一つも無いといふことを確信する者であるが為に、其喜びは一層強いのでございます、日米両国は何れも戦争に依つて益する所はございません、太平洋の一方にある吾吾は此事を能く了解して居ります、同じ太平洋の一方にある米国の諸君も能く御了解のことゝ存じます、此点に関して吾々は誠実であり率直であるといふことは、今後我国民が華府会議に於て約束しましたことを励行することに依つて、愈判明することゝ存じます、玆に私は更に孔夫子の一言を引用して将来の自省と致します、それは「己所不欲勿施於人」の格言であります、願くは吾々の此の精神を、御帰国の上貴国各階級の方々に徹底する様に御伝へ被下ますれば、本懐の至でございます。
 終りに臨みて私は今夕貴賓の御臨場に対して、会員一同と共に厚き謝意を表して衷心よりの欣快の情を披瀝致します、唯遺憾とする所は貴賓に対して吾々の情意を十分に発揮する丈の実質を備へた御待遇の出来ないことでございます、何卒私共の赤心を諒とせられ、形に現はれた歓迎準備の不満足を、諸君の善意を以て補綴せられんことを切望して止まないのであります。