デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.171-183(DK340024k) ページ画像

大正13年4月4日(1924年)

是ヨリ先、アメリカ合衆国北部バプテスト教会総会会長コーウィン・エス・シャンク博士ハ、同国四千万ノ基督教徒ヲ代表シテ、排日問題ニ対スル同教徒ノ態度ヲ我国民ニ宣明シ、且ツ大正十二年関東大震災ニ対スル同情ヲ伝達センガタメ渡来ス。是日当委員会主催同博士歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ主人側ヲ代表シ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二十五日、同博士及ビ同国宗教家ジェームズ・エッチ・フランクリン、ウィリ
 - 第34巻 p.172 -ページ画像 
アム・アクスリング及ビテニーノ留別晩餐会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一出席シテアメリカ合衆国ノ排日問題ニ就テ懇談ス。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK340024k-0001)
第34巻 p.172 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
四月四日 金 午後六時半 シヤンク氏歓迎会(銀行クラブ)
  ○中略。
四月八日 火 正午    シヤンク氏夫妻歓迎会(アスカ山邸)
       午後七時半 外務大臣催シヤンク夫妻歓迎会
             燕尾服勲章ナシ (同官邸)
  ○中略。
四月十四日 月 午十二―一時 清浦首相ヲ訪問(同官邸)
  ○中略。
四月廿五日 金 午後二時 フランク《(フランクリン)》氏来約(事務所)
        午後七時 シヤンク氏より御案内(帝国ホテル)
  ○中略。
四月廿八日 月 午前十時 アキスリング氏来約(飛鳥山邸)


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正一三年(DK340024k-0002)
第34巻 p.172 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記  大正一三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
 十三、四、四 銀行クラフ、日米関係委員晩餐、Mr. Corwin S. Shank 招待、同人ハ国務卿ヒユース親友、弁護士、宗教会長等ニテ有力者ナリ、目下ノ排日法案並加州問題ノ善後ニ付ヒユースノ意見ヲ内密ニ語ル、ヒユース並クーリツジニ全然信頼スヘシト語ル渋沢、阪谷、頭本、小野、伊東、浅野、串田、アキスリング、山田、服部、小畑、増田、赤松(外務)
  ○中略。
十三、四、二五 帝国ホテルニテシヤンク氏留別 松井外相、渋沢、阪谷、浅野、頭本、串田、千葉○豊治、宮岡、山田、アキスリング、テニー、フランクリン、ベニンホフ、井上子爵、シヤンク、アキスリング、テニー、フランクリン、渋沢演説頗ル意味アリ


(増田明六)日誌 大正一三年(DK340024k-0003)
第34巻 p.172 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年     (増田正純氏所蔵)
四月四日 金 晴
○上略
午後六時半、日米関係委員会主催、銀行倶楽部ニ於テシヤトル市弁護士シヤンク氏招待会を催す、同氏ハ北部バプテスト教会総会の総長にして、今般来邦の目的ハ、我国の震災ニ対し米国人の同情を伝へ、且日米親善を図らんが為めなり、夫人・令嬢を同伴、極めて公平の志想を有する人なりと云ふ
○下略


日米関係委員会往復書類 (一)(DK340024k-0004)
第34巻 p.172-173 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (一)      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ハ今般日米親善ノ目的ヲ以テ渡米セラルヽ米国北部バプテスト教会々長コルウヰン・エス・シヤンク博士並「ア
 - 第34巻 p.173 -ページ画像 
ウトルツク」誌其他ニ関係ヲ有スル有力ナル寄稿家ジオジ・マーヴヰン氏近日来着致候ニ付テハ、来四月四日午後六時三十分東京銀行倶楽部ニ於テ歓迎晩餐会相催候間、万障御繰合御出席被成下度、此段御案内申上候 敬具
  大正十三年三月廿九日
                 日米関係委員会
                  常務委員 渋沢栄一
                  同    藤山雷太
         殿
  御諾否同封端書ニテ御回示願上候


日米関係委員会集会記事摘要(DK340024k-0005)
第34巻 p.173-174 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会、大正十三年四月四日午後六時半、於東京銀行倶楽部開催 シヤトル市シヤンク博士歓迎晩餐会
  出席者
  渋沢子爵・伊東米治郎氏・小野英二郎氏・頭本元貞氏・串田万蔵氏・山田三良氏・浅野総一郎氏・阪谷男爵
  (幹事)服部文四郎氏・増田明六氏・小畑久五郎氏
  (賓客)コーウヰン・エス・シヤンク。ウヰリアム・アキスリング。赤松移民課長
    記事
七時頃一同会堂に入る、渋沢子爵は主人側を代表して一場の挨拶をせられ、シヤンク氏は答辞を述べらる
渋沢子爵 シヤンク君並に皆様、今夕は北浸礼教会大会々長として米国人の間に知られて居らるゝシヤンク君を御迎へして、此処に一夕の会合を催ほすことを得たるを欣幸と存じます、シヤンク君はシヤトル市にありて常に日本人に同情を表せらるゝばかりでなく、広い意味に於ける日米親善に多大の興味を抱かれて居るといふことを兼ねてより聞き及んで居りましたが、今回米国に於ける有力なる宗教団体を代表して慰問の為め御渡来下さいましたことを感謝致します
 我々日米関係委員は米国と深い関係を有する人々より成つて居りますから、シヤンク君は我々の間にありて聊かも御遠慮なさる事はありません、親しい友人等と相語るが如き態度で腹蔵なき意見の交換をなさることを御勧め致します、先年大震災の際米国が我々に対して示された好意と同情とは実に深厚なるものであつて、感謝の辞がないのであります、唯だ復興事業の遅々として其進歩の緩漫なるを遺憾とする次第で御座います、シヤンク君が御帰国の節は我々日本人が貴国民に対して衷心より感謝致し居ることを御伝達せらるゝやう願ふ次第で御座います、爰に杯を挙げてシヤンク君の御健康を祝し上げます
シヤンク氏 私は常に日本及日本人を尊敬して居る一人で、此度我北浸礼教会並に一般米国の基督教徒を代表して、慰問の意を表することを得るのは私の光栄とする所で御座います、貴国に大震災の起りし時、我国民は最も自発的に老若貧富の区別なく銘々能ふ程度に於
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て同情を表せられたので御座います、私は此大災禍に臨んで貴国民の取られし方針、且つ之に対せられたる態度に感服致して居るので御座います、帰国の上は日米親善の為め一層の努力を致し度いと思います、渋沢子爵を始め皆様に厚く御礼を申上けます
シヤンク氏は渋沢子爵と種々懇談をなされしが、大統領及国務卿より内意を齎らし、排日案に関しても適当の機会に於て之か緩和に努めらるゝ由告げられる
食後再び客室に移り委員各自の懇談あり、九時過散会
  ○アクスリング博士ハ永ク在日、三崎会館ニ関与セリ。本日ノ陪賓ナリ。
  ○本章第五節所収「其他ノ外国人接待」大正十三年四月九日ノ条参照。


渋沢栄一書翰 金子堅太郎宛 大正一三年四月八日(DK340024k-0006)
第34巻 p.174 ページ画像

渋沢栄一書翰  金子堅太郎宛 大正一三年四月八日   (渋沢子爵家所蔵)
(太字ハ朱書)
大正十三年四月八日付金子堅太郎子宛総長親書写
拝啓、益御清適奉賀候、然者米国移民問題ニ関し過日小生も米大使訪問いたし、先頃来外務省との引合向夫となく談話致し大使之意見承合候処、大使にハ此際専使派遣等ハ却而有害無益と相考候旨申居候、然処頃日渡米之シヤンク氏今日王子弊荘へ招宴、阪谷・頭本等と種々懇談相試候に、其名義と方法ニよりてハ老閣にても御奮発被下候ハヽ有効なるへしと申居候、尤もシヤンク氏ハ明日出立関西へ旅行、月末ニ再応帰京之由に付、可相成ハ其際御会見相成、充分御熟議被下度候、右不取敢一書可得貴意如此御座候、近日御出京之折拝眉万可申上候
                         匆々敬具
  大正十三年四月八日            渋沢栄一
    金子老閣
       侍史


外国人履歴 【シヤンク氏略歴】(DK340024k-0007)
第34巻 p.174 ページ画像

外国人履歴                (渋沢子爵家所蔵)
    シヤンク氏略歴
一国際法学者 法学博士
一ワシントン州々立感化院創立委員長ニシテ、引続キ院長トシテ六年在任
一シヤトル市日本協会第一回ノ会長
一横浜正金シヤトル支店ノ顧問
一合衆国北部バプテイスト教会ノ会長
    シヤンク氏ノ使命
米国バプチイスト一千万ノ団体タル北部バプチイスト教会総会ノ会長トシテ、米国四千万ノ基督教徒ヲ代表シテ排日問題ニ対スル米国基督教徒ノ態度ヲ日本国民ニ宣明スル外、其真情並震災ニ対スル同情ヲ日本国民ニ伝達スルニアリ
東京滞在ハ一週間ナリ


日米関係委員会往復書類(一)(DK340024k-0008)
第34巻 p.174-175 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)       (渋沢子爵家所蔵)
(写)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然者先般来々遊中の紐育ドクトル・ジエ
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ームス・エツチ・フランクリン氏、来廿六日出発帰国の途に就かれ候に付ては、同博士に打合はせ候上、来廿五日午後二時当処に於て目下の移民法問題に付き同氏と懇談致候事と相成候処、同博士に於ても貴台に御面晤致度希望に候間、何卒御繰り合はされ是非御来会之程願上候、右御案内申上候 敬具
  大正十三年四月廿三日
                      渋沢栄一
    金子子・阪谷男・添田寿一・頭本元貞・団琢磨・姉崎正治・山田三良


竜門雑誌 第四二九号・第一三―一四頁 大正一三年六月 国民外交の時来る 子爵渋沢栄一(DK340024k-0009)
第34巻 p.175 ページ画像

竜門雑誌  第四二九号・第一三―一四頁 大正一三年六月
    国民外交の時来る
                   子爵渋沢栄一
 本篇は去五月廿日民友社より発行せる対米問題研究の冊子たる「重大の結果」に掲載せられたるものなり(編者識)
○上略
      二 聯合調査委員会を起せ
○中略昨晩(一三、四、二六《(二五日)》)は又亜米利加の宗教家の人と会しました今日帰る人達で、シヤンクといふ人と、フランク《(フランクリン)》、それから日本に永く居られたアキスリング=私のは年より英語で発音は変ですが=それからテニー、その外に一人と、皆宗教家ですが専門的の宗教家ではありません。一人はバプテストの宗教家、シヤンクといふ人は法律家です。相当に名高い位置の人です。今日出発しますので、訣別のために帝国ホテルに昨晩向ふから招かれました。日本人が十一人、亜米利加人が五人、十六人の会食でしたが、五人の亜米利加人の中先程の四人が演説しました。その演説は実にそれはもう少しも淀みなく、上下両院の斯の如き非人道、乱暴な、他国民を侮辱する、差別を立てゝ人種平等の大精神を没却した、亜米利加人にも斯の如きものがあるといふことは、それが然かも議員であるといふことは、実に私共もあな方に対して面目ないと言つて、頻りに卓を叩いて論じてゐましたが、真にさう思つてゐる。私共が本国へ帰つたら、充分にこれを非難して今の中にその採決をどうしても大統領に拒否させなければならぬと、かう言つて居ります。○下略


国民新聞 第一一五八九号 大正一三年四月二八日 官民の代表を選び至急設立を望む 子爵渋沢栄一氏談(DK340024k-0010)
第34巻 p.175-176 ページ画像

国民新聞  第一一五八九号 大正一三年四月二八日
    官民の代表を選び至急設立を望む
                  子爵渋沢栄一氏談
米国の新移民法案は決して全国民の意志ではあるまいと私は確信して居る、其の証拠は二つある、その一は私が個人として米国有数の実業家である十人の知人に対して打電し、新移民法案をして実現せしめざらん事を切望したるに対し、未だ全部の返電には接しないが、いづれも私の
△提言に賛成 して阻止の為めに努力すると云つて居る、又近い例としては、二十五日夜帝国ホテルで米国のシヤンク、フランクリン、ア
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キスリング、テニーの四氏と意見を交換したが、其の際前記四名の演説を綜合すれば斯うである
 今回米国上下両院を通過したる非人道的な而も他国人を無視する法案の如き断じて善良なる米国人全部の意志ではない、而も斯る法案が通過したるに対して、日本人は腹の底にはさぞかし憤怒の念があるに相違ないが、何等之れを外部に表はさず冷静にして私共にも何等変りなく懇切なる待遇をして呉れた事は、深く感謝すると共に流石大国民たるの度量に感歎するが、要するに本国に帰るや直ちに全力を尽して斯る非文明な法案が実現しない事に努力する
此れを見ても実業家は反対の様に推測される、翻つて日本としては、此際如何なる手段を以て該案の阻止に努力す可きか、私は之れに対し数年来提案して来た日米高等委員会を此際至急設立す可きであると思ふ、そして委員は官界・実業界の代表者たる可き人物を
△七名以内を 以て組織し米国は大統領が日本同様に指名す可きで、即ち移民法案賛成者と反対者と両者の代表者を委員とし玆に日米双方隔意無き意見の交換を為し妥協策を講ずればよい、然し果して米国が此提案を賛成するか否やは疑問であると思ふ


外交時報 第四六七号 大正一三年五月一五日 日米問題の解決と対支新方策 子爵渋沢栄一(DK340024k-0011)
第34巻 p.176-177 ページ画像

外交時報  第四六七号 大正一三年五月一五日
    日米問題の解決と対支新方策
                  子爵渋沢栄一
○上略
 併し乍ら此の重大なる日米関係に鑑み、此の儘放任して置くと云ふことは断じて出来ない。何等か之が根本解決に就いて考慮せねばならぬ事態に当面してをるのであるが、予の意見としては、現在の排日法案の善後策に対しては、正義人道を伝統とせる米国民に訴へ、其の輿論の力によつて議会の反省を求め、以て排日法案の抹削を為さしむるより外に方策はないと思ふ。恐らく米国は此の手段に依つて日米の危機を救済して呉れるであらうと期待してをる。それと同時に今後の根本的解決方法に就ては如何にするが適当であるかと云ふと、それには次の二方法より外には先づ良策は発見することは不可能であらう。
第一、移民労働者問題対策 加州に於ける移民労働者問題の解決に就いては、日米両国政府諒解の下に両国より事情に精通したる有力者を推薦し、之れによつて高等委員会を組織し、其の委員会に於て十分調査研究して、同会自ら之が対策を議定するなり或は公開して一般識者の意見を集むるなりして、其の適切なりと認むるものを採択し、更に其の草案に就いて胸襟を披瀝して討議し、其結果を条約、協定又は法律の何れかにして実施することにすれば、大体円満なる解決を為し得るであらうと思ふ。
第二、対日感情融和対策 次に全米国に於ける一般の対日感情を融和する為には日米両国より政治・実業・教育・宗教・学芸等各界の有力なる代表者を網羅したる一つの日米聯合会を組織し、日米両国人の隔意なき国民的諒解を遂げしむるならば、其結果日米両国の真相を知悉することが出来るのみならず、延いて日米の親善関係を一層緊密に為
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し得るであらうと信ずる。而して其の具体方法としては視察団の派遣や交換教授も良ければ、団体旅行も可なり、或は公刊物の発行も差支へないと信ずるのである。
 予は去る四月下旬帰米の途に就いたシヤンク氏の送別会の席上、シヤンク氏の外同会に出席した米国側の有力者アクシデント《(アクスリング)》、テニー、フランクリンの諸氏に対し、此の意見を公表した所、何れも大賛成で帰米の上は米国各界代表者と会見協議して極力此の目的達成の為めに努力すべしと声言せられ、予等の卑見は今や米国人士の間にも漸次諒解賛同を得つゝあることは誠に日米両国前途の為め喜ぶべき現象で、是非とも叙上の計画を遂行したいと期する次第である。
○下略


(ジエームス・エツチ・フランクリン)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年四月二五日(DK340024k-0012)
第34巻 p.177-178 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(コーウィン・エス・シャンク)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年四月二六日(DK340024k-0013)
第34巻 p.178-179 ページ画像

(コーウィン・エス・シャンク)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年四月二六日
                   (渋沢子爵家所蔵)
             Imperial Hotel, Tokyo Japan,
                    April 26, 1924.
My dear Viscount―
  As I sail from your beautiful land I take this opportunity of expressing to you my high personal esteem and thank you
 - 第34巻 p.179 -ページ画像 
for the many courtesies extended to me and my family while in Japan. I shall remember with delight my personal contact with you.
  With reference to the one question uppermost in both of our minds I can assure you that I return to America with an increased desire and determination to have this question settled right and I believe it will be adjusted within so short a time as to commend itself to you and all of the broad thinking men of the country.
  I remain, with high personal regards,
           Yours very sincerely,
            (Signed) Corwin S. Shank
Viscount E. Shibusawa,
  Tokyo.
(右訳文)
    (別筆)
    一覧済
                      (栄一鉛筆)
                      五月五日一覧
 東京市                 (四月廿六日入手)
  子爵渋沢栄一閣下     東京、一九二四年四月廿六日
                カーウヰン・エス・シヤンク
拝啓、美しき日本を出発するに臨み滞在中私共家族が閣下より忝ふせる鄭重なる御厚意に対し奉深謝候、閣下の謦咳に接し得たる事は喜に不堪処にして決して忘却仕る間敷候
私共の最も心配致居候例の問題に就ては正当なる解決を希望し、且つ其決心を抱いて帰米可致候、尚ほ同問題は日ならずして決解せらるゝ事と信じ申候に付、其上は閣下を始め憂国の諸氏に御通告可仕候
右御挨拶旁得貴意度如此御座候 敬具


(エルマ・エー・スベリ)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年九月一八日(DK340024k-0014)
第34巻 p.179-181 ページ画像

(エルマ・エー・スベリ)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年九月一八日
                 (渋沢子爵家所蔵)
     THE SPERRY GYROSCOPE COMPANY
        MANHATTAN BRIDGE PLAZA
         BROOKLYN, NEW YORK
                 September 18, 1924.
Viscount E. Shibusawa,
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa:
  We all appreciate the interview that you have accorded to my friend, Dr. Axling, which has been published in a pamphlet containing statements of many of your distinguished compatriots, and which is being widely distributed by the National Committee on American Japanese Relations. I have read your words with keen interest and am so glad that America has understanding friends in Japan who will help bridge over this time which we all look upon as more or less critical, owing to the foolish demagogy of our so-called legislators.
 - 第34巻 p.180 -ページ画像 
  …
  Of course, as you know, the mass of the American people are not back of any such propaganda and are farthest from any such attitude, and I am happy to say that some of your eminent Japanese citizens have been able to make first-hand observation corroborating this. For instance, your splendid Admiral Takeda spent about two months with us and had unusual opportunity for contact with leading businessmen, bankers, engineers and others in different parts of the country. He took home with him the result of accurate observation.
  We must depend upon the steady hand and continued effort of the substantial people in both nations to counteract this ruthless act which has so shocked and pained the great Japanese people. Outside of England, our parent nation, we should be closer to Japan than any other from the fact that these are our closest neighbors across the seas and, what is more important, from the fact of the beautiful character, efficiency and accomplishments of your people, which more and more Americans are beginning to have knowledge of and appreciate. I believe that with steady determination this great wrong will be rectified. As it is now, we are nearly as unhappy as you over this untoward event.
  It is two short years ago that I was approaching your beautiful land on my visit that virtually opened up a new world for me with many cherished friendships.
  Hoping that you are enjoying the best of health, and with warmest personal regards, I beg to remain,
              Sincerely yours,
             (Signed) Elmer A. Sperry
(右訳文)
          (栄一鉛筆)
          来意に対する相当之情意を以て回答案
          調成すへき事 十月十日一覧
 東京市                  (十月七日入手)
  子爵渋沢栄一閣下    紐育、一九二四年九月十八日
                エルマー・エイ・スペーリー
拝啓、益御清適奉賀候、然ば小生友人アキスリング博士を御引見被下候段誠に難有奉存候、御会見の際の御高話の次第は貴国の有名なる人人の説と共に取纏めて小冊子となし、紐育米日関係委員会を経て広く頒布せられ候、小生は御説を拝見し深く興味を覚申候、而て米国の所謂議員と称する愚劣なる煽動政治家の為めに、幾分両国々交上の危機を招来せりとも称すべき今日、両国の友誼の為に尽力怠らざる知己の日本に存する事は、米国の大なる喜とする処に御座候
○中略
御承知の通り米国民は大部分此の如き宣伝の後援を為すものには決し
 - 第34巻 p.181 -ページ画像 
て無之候、而して一流の日本人諸氏が此れを証明すべき直接の観察を遂げられたるは小生の欣快とする処に候、一例を以て申上げんに竹田海軍大将《*》は過般二ケ月許り当地に在住せられ、我国の諸地方に於ける実業家、銀行家、技師其他と接触する絶好の機会を得られ、此れによりて得られたる正確なる観察の結果を土産として日本に持帰られ候
偉大なる日本国民を驚かし苦悩せしめたる此無慈悲なる行為を打消すには、両国に於ける堅実なる国民の隠忍と着実なる努力に俟たざるべからず候、祖国たる英国を除いては、日本は海を隔てたる最も親密なる隣国なりとの理由の外に、近来米国民は日本を次第に諒解し尊重し始め、貴国民の美しき性格、能力並びに才能を認め来れる更に重要なる事実よりして、米国は益々日本に接近せざるべからず候、若し吾等に断乎たる決意あるに於ては、議会の為せる此大なる誤を矯正する事を得べく候、今日の情況に於ては吾等も亦閣下と殆んど同じ不愉快の日を送り居る次第に御座候
小生が美はしき日本を訪問せしは僅かに二年前の事に有之候が、此旅行が小生に取り多くの愉快なる人々に接して親交を結ぶべき好機会と相成候
終に臨み閣下には愈々御健勝に被為在候様祈上候、猶謹んで敬意を奉表候 敬具
*(欄外記事)
 [竹田秀雄中将ノ事ナラン
  ○スペリニツイテハ本章第五節所収「其他ノ外国人接待」昭和四年十一月二十四日ノ条参照。


渋沢栄一書翰控 エルマー・エー・スペリ宛 大正一三年一一月二二日(DK340024k-0015)
第34巻 p.181-182 ページ画像

渋沢栄一書翰控  エルマー・エー・スペリ宛 大正一三年一一月二二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
      案                明六
 紐育市
  エルマー・エイ・スペーリー殿
    大正十三年十一月二十二日      渋沢栄一
拝復、九月十八日付貴翰正に落手難有拝誦仕候、老生はアキスリング博士とは旧知の間柄にて、同博士は日米親善の為め平素絶えず尽力せらるゝ方に候、過般排日条項を含む移民法の成立せるや同博士は一方ならず心を痛められ、我国の識者を歴訪して同問題に関する意見を求められ、老生にも同様の懇請有之候為め愚見を披瀝致せし次第に候、御来示の小冊子○次掲参照は老生へも一部送付せられ候
クーリツヂ氏が再選の栄を担はれ候に付ては、同氏が従来此方面の為めに尽力せられたる態度に徴し、今後必ずや両国々交の為め、惹ては世界の平和、人類の幸福の為めに尽力せらるべきを疑はざる所に候
御説の如く彼等も堅実なる国民として恥しからざる態度を持し、隠忍持久、以て円満なる解決を期待せざるべからずと存居候、両国間に円満なる国交を成立せしむる様、今後共御協力の程切望に堪へざる次第に御座候
右御回答まで得貴意度如此御座候 敬具
 - 第34巻 p.182 -ページ画像 
  ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕竜門雑誌 第四四二号・第六九―七〇頁 大正一四年七月 黄白に開く二つの花(DK340024k-0016)
第34巻 p.182-183 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。