デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.316-334(DK340033k) ページ画像

大正13年5月28日(1924年)

是日、当委員会主催外務省参事官佐分利貞男招待
 - 第34巻 p.317 -ページ画像 
会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法通過ノ結果、窮迫ニ陥レル在留日本人農業者救済法ニ就イテ協議ス。

尚、是日引続キ同所ニ於イテハワイ大学教授ケー・シー・リーブリック博士歓迎午餐会ヲ催ス。


■資料

日米関係委員会往復書類(一)(DK340033k-0001)
第34巻 p.317 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)(渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然ハ在米日本大使館参事官佐分利貞男氏ニ依頼シテ、目下切迫シタル排日移民法案ニ尤モ密接ノ関係アル太平洋沿岸在留邦人ノ近状ニ付御話ヲ願フ事ニ致候間、来五月廿八日午前十一時丸ノ内東京銀行倶楽部へ御枉駕被成下度候、尚当日ハ右ニ引続キ午後零時半ヨリ、布哇大学教授リーブリツク博士招待午餐会開催ノ筈ニ候間、万障繰合セ御出席被下度候 敬具
  大正十三年五月廿四日      日米関係委員会
                      渋沢栄一
                      藤山雷太


日米関係委員会往復書類(一)(DK340033k-0002)
第34巻 p.317 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)       (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然ハ布哇大学教授ケー・シー・リーブリツク博士来邦セラレ候ニ付来五月廿八日零時半丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テ歓迎午餐会相催候間御来会被成下度候、此段御案内申上候 敬具
  大正十三年五月廿三日      日米関係委員会
                   常務委員 渋沢栄一
                   同    藤山雷太
  追申
  一同博士ハ布哇大学ニ於テ歴史政治学ヲ担当スル少壮ノ教授ニテ日米親善ノ為ニ常ニ尽力セラレ居候、本会ハ今般ノ来邦ヲ機トシテ我大学々生ノ為ニ講演ヲ請フ事ニ致居候
  一御来否封中端書ニテ御回示被下度候


集会日時通知表 大正一三年(DK340033k-0003)
第34巻 p.317 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年(渋沢子爵家所蔵)
五月廿八日 水 午前十一時 日米関係委員会催佐分利通商局長代理招待談話会
        引続    リーブリック氏歓迎会午餐会《(衍)》(銀行クラブ)
   ○中略。
五月三十日 金 午後三時 リーブリック氏講演会(女子大学)
   ○中略。
六月九日 月 午前十一時 リーブリック博士招待午餐会(飛鳥山)


日米関係委員会集会記事摘要(DK340033k-0004)
第34巻 p.317-319 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要(渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会、大正十三年五月二十七日午前十一時《(八)》、於銀行倶楽
 - 第34巻 p.318 -ページ画像 
部開催
  出席者
  渋沢子爵・阪谷男爵・古河男爵・森村男爵・大谷嘉兵衛氏・添田博士・一ノ宮鈴太郎氏・江口定条氏・服部金太郎氏・頭本元貞氏
  (幹事)服部氏・増田氏・小畑氏
渋沢子爵座長 佐分利参事官を委員会に紹介せらる
佐分利参事官 参事官は大要左の如く語らる
 日本人に帰化権なしとの大審院の判決は、加州在留の同胞農民に大打撃を与へたり、而して打撃の内容は土地を買つて半額を払ひしも残りの半額は未払である。或は七割五分まで払ひしも残りの二割五分は未払である。此等をドーして支払ふかゞ問題である。而して斯る情況に困り居るのはフレスノ地方の農民である。彼等は一九一三年土地法発布の時正金銀行より融通せられたることありし故、今回も斯る救済法を施され度しといふにあるが如し。一九一三年度には凡そ拾参万弗程融通せられし由なるが、今回は非常の多額に登つて凡そ六百万弗程を要するといふものゝ如し、農民中には日本政府が支那・満州等を開拓する為めに多額金融を為しつゝあれば、之と同様の金融方法を講ぜられたしといふにあり。之に対し参事官は
 (一)支那・満州等には日本政府が投資するも妨げ無けれども米国は事情を異にす(二)今日は日本政府には資金なし(三)仮りに政府に資本ありとするも在留同胞に対して信用なしと答へられし由なり、然しながら佐分利参事官としては、何とかして融通の道を開いて遣り度きものなりと語らる
一ノ宮氏 米国在留の農民に資金を融通することは過去の経験に照らして大体失敗に帰せり。此問題は抽象的に論ずること能はず、現場に臨み個々の場合に就きて取扱はざるべからず
阪谷男爵 法律関係は如何
佐分利参事官 米国の法律は既得権を侵害することなし
渋沢子爵 牛島との間に交換せられたる往復電報を披露せらる。
佐分利参事官 機密金があつて融通せられしも、情実的に使用せられしが故に、今日までの成績によれば先づ失敗に帰せりと言はざるを得ない。今後は一切の情実を離れて、米国監督官の検査を受けても一向差支なき方面に融通する必要あり、徹底的に改造を要するものにして、此金融問題は実地問題として之を取扱ふことに帰着すると思ふ
渋沢子爵 佐分利参事官は時局に処する方法を如何に御考へなさるやと質問せらる
佐分利参事官 子爵の質問に対して左の如く語らる
 (一)大統領を始め国務卿其他知識階級は排日移民法に反対なれば、之を根拠として米国民に対すること
 (二)此場合に於て日米問題を冷静に且つ徹底的に解決する方針に出づること、但し現場に於て問題を起すことは現議会を再び激興《(昂)》せしむるものとなるが故に、暫らく隠忍して好時機を待つこと
 等なりと
 - 第34巻 p.319 -ページ画像 
渋沢子爵 本月一日外務省に於て総理大臣・内田前外務大臣・幣原前米国大使・金子子爵・渋沢子爵・団博士等との会見談の大要を披露せられしも、結局当局者に於ても何等纏りたる策なしといふにありき
   ○栄一ト牛島謹爾トノ間ニ交換セラレタル往復電報ハ後掲「其他関係諸資料」中大正十三年四月二十五日ノ条参照。


(増田明六)日誌 大正一三年(DK340033k-0005)
第34巻 p.319 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一三年(増田正純氏所蔵)
五月廿八日 水 晴
○上略
前十一時銀行倶楽部ニ於ける日米関係委員会催の佐分利貞男(大使館参事官)氏の太平洋沿岸ニ於ける在留邦人の状況談話会ニ出席、引続き〇時半布哇大学教授リーブリツク博士招待会ニ列席
リーブリツク博士は今朝横浜に上陸、直ニ同会場ニ到着列席したるなり、博士ハ布哇大学ニありて政治及ヒ歴史を担当し、予て日本観光の希望あり、今度外務省ニ於て金壱千弗を日米関係委員会ニ補助し、同会ハ同博士ニ講演料として之を給与する事《(と脱)》して、観光費を補助したる次第なり、講演所ハ東京帝国大学を始とし、早稲田・慶応・明治・立教・日本女子の各大学、青山学院青年会、汎太平洋倶楽部等なり
○下略
   ○佐分利ガ大正十三年六月十八日第四十回時局研究会ノ席上ニ於テ講演シタル「米国排日移民法の経過」ト題スル速記ハ左ノ書ニ掲載セラレタリ。
    「日米国際紀要」(第二〇七―二二八頁 大正一三年一〇月刊)
   ○尚佐分利ハ後国際聯盟協会理事タリ。
   ○リーブリック博士歓迎ニツイテハ本章第五節所収「其他ノ外国人接待」大正十三年六月九日ノ条参照。


(原田助)書翰 渋沢栄一宛大正一三年二月二〇日(DK340033k-0006)
第34巻 p.319-320 ページ画像

(原田助)書翰 渋沢栄一宛大正一三年二月二〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
         (栄一鉛筆)
         十三年三月七日一覧外務省へ打合可申事
             大正十三年二月廿日ホノルヽニテ
                      原田助
 東京ニテ
  日米関係委員長渋沢子爵閣下
敬啓、愈御安泰奉恭賀候、陳者当地布哇大学教授ケー・シー・リーブリツク氏事予テ日本遊歴ノ志望有之候処、本年夏季休暇中ニ決行致度希望ヲ抱キ○中略リ博士ハ当地ヘ赴任迄ハ加州々立大学助教授タリシ人ニテ、四年前当大学教授トシテ赴任サレ、歴史及政治学ヲ担任セル有為ノ壮年教授ニ御坐候、当地汎太平洋クラブ副会長ノ一人ニテ熱心ナル日米問題ノ研究者ニ有之、今回渡航ノ目的モ亦此目的ニ外ナラサル事、別紙同氏自筆ノ書面ニ見ユル通ニ有之候
同氏滞在中日米問題又ハ日布関係ニ付講演御所望下サレ、又タ各方面ニ御紹介下サレテ調査ノ便宜ヲ御供シ被下候様願度存候
同氏ノ如キ人ガ我国ノ有力ナル人々ニ面談シ親ク其意見ヲ仰キ、又我国ノ真情ヲ諒解シ居ル事ハ、将来ノ国交上最モ望マシキ事ト存候間、同氏ノ希望ノ達シ得ラルヽ様御賛助ノ程懇請ノ至ニ御坐候
 - 第34巻 p.320 -ページ画像 
○下略
   ○別紙書面略ス。


日米関係委員会書類(DK340033k-0007)
第34巻 p.320-321 ページ画像

日米関係委員会書類(渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御隆昌奉賀候、然は予て御引合致居候布哇大学教授ケー・シー・リーブリツク博士講演の件、別紙の通り決定致候間、乍遅延玆許御送付致候に付御査収御一覧被下度候、尚序を以て同博士略歴御参考まで同封致候間是亦御入手被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具
  大正十三年五月三十一日   日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
    立教大学教務課殿
    早稲田大学高田早苗殿
    慶応義熟大学林毅陸殿《(塾)》
    東京ワイ・エム・シー・エー斎藤惣一殿
      布哇大学教授ケー・シー・リーブリツク博士略歴
一、一千八百八十五年アイオワ州ニ出生
一、一千九百十五年加州大学ヨリ留学ノ為メ欧洲ニ派遣セラレ、欧洲歴史ヲ研究ス
一、加州大学卒業後同大学助教授ニ任ゼラレ欧洲歴史ヲ教授ス
一、一千九百二十年布哇大学教授ニ任ゼラレ歴史及政治学ノ講座ヲ担任ス
一、ホノルヽ米日関係委員会々員
一、ホノルヽアドクラブ会頭
一、汎太平洋クラブ副会頭
         以上
(別紙)
             (COPY)
  The Places, Dates and Subjects for the Addresses
              of
      Professor K. C. Leebrick, Ph. D.



図表を画像で表示--

  Place        Date       Subject Aoyama Gakuin     May 29 (Thur.)  Japanese-American Problem in Hawaii.            10 A.M. Japan Women's Univ.  May 30 (Fri.)   Women in Political and Economical Life in U.S. and Hawaii.            3 P.M. Meiji University   May 31 (Sat.)   Political Changes Taking Place in America.            1 P.M. Waseda University   June 3 (Tue.)   Points of Contact between Japan and the United States.            3 P.M. Keiogijuku      June 4 (Wed.)   Race Relations.            1:30 P.M. Rikkyo University   June 5 (Thur.)   American Ideals.            4 P.M. Tokyo Y.M.C.A.    〃〃〃       Pan-Pacific Y.M.C.A. Conference in July, 1925.            7:30 P.M. 



           Visits
 - 第34巻 p.321 -ページ画像 
Nikko June 7-8
Hakone June 9
Kyoto-Osaka-Nara-Kobe June 10-14


渋沢栄一書翰 控 稲畑・浜岡・滝川宛大正一三年六月九日(DK340033k-0008)
第34巻 p.321 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 稲畑・浜岡・滝川宛大正一三年六月九日(渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば本書持参之ケー・シー・リーブリツク博士は布哇大学歴史及政治学教授にして、過般来遊、老生の主として世話致居候日米関係委員会の依頼に応し、当地諸大学に於て有益なる講演有之候処、明朝出発朝鮮・支那を経て帰国せられ候事と相成、途次貴地に立寄られ候に付以本書御紹介致候間、御訪問之節は御面会被下御差支無之限り御便宜御与へ被下度候、右御紹介申上度如此御座候
                         敬具
   大正十三年六月九日           渋沢栄一
  大阪商業会議所
    会頭 稲畑勝太郎殿
  京都商業会議所
    会頭 浜岡光哲殿   各通
  神戸商業会議所
    会頭 滝川儀作殿


(小畑久五郎)書翰控 ケー・シー・リーブリック宛一九二四年六月一一日(DK340033k-0009)
第34巻 p.321-322 ページ画像

(小畑久五郎)書翰控 ケー・シー・リーブリック宛一九二四年六月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
              (COPY)
                    June 11, 1924
Dr. K. C. Leebrick,
  Doshisha, Kyoto.
My Dear Dr. Leebrick,
  I trust that you found yourself in a new surrounding just as pleasant as seemed you did while here. I conveyed to the Viscount your kind words, but have not been able to present your aughtgraphed《(autographed)》 photo to him on account of his busy hours. While riding with him in his car as I am often permitted to do, he ordered me to write you somewhat as follows:
  He was very glad to hear me report that your addresses found very pleasant reactions everywhere and that they much benefited university students. He is very grateful to you for all that you did. What he regrets is that he did not have time enough to discuss with you on some other questions. He would have you give him on your way home at least one day to talk on the Hawaiian Japanese questions, mostly listening to you about your views on the Hawaiian Japanese questions. I told you that he may be spending his days in some summer place about the time you will pass Japan. Well he said that he will come back to the city even if he were out of the city
 - 第34巻 p.322 -ページ画像 
 to have this second visit from you. Therefore please let me know beforehand about what day in August you will reach Tokyo.
  Your kind telegram to the Viscount Shibusawa, regarding Japanese Relations Committee's buying San Francisco papers for the prupose of devoting them for the promotion of American Japanese friendship duly reached this office and Mr.Masuda will show it to him as soon as the Viscount comes here.
  Hoping that you will enjoy your visit to Kyoto and to the vicinity, I am
              Yours very truly,
                 (Signed) K. Obata.


(小畑久五郎)書翰控 ケー・シー・リーブリック宛一九二四年七月二五日(DK340033k-0010)
第34巻 p.322 ページ画像

(小畑久五郎)書翰控 ケー・シー・リーブリック宛一九二四年七月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
             (COPY)
 July 25, 1924
Dr. K. C. Leebrick
  Astor House Hotel, Shanghai.
My Dear Dr. Leebrick,
  ...........
  The Viscount is fully informed of your movement and is anxious to confer with you once more before you leave Japan for good. Therefore please plan to come to Tokyo from Kobe on train as you intimated in your last letter. He and the members of the Japanese American Relations Committee may greet you again on the 6th either at luncheon or dinner.
  ...........
  With my best wishes, I am
           Very cordially yours,
                 (Signed) K. Obata.
  P.S. ...........


(ケー・シー・リーブリック)電報 渋沢栄一宛一九二四年八月三日(DK340033k-0011)
第34巻 p.322 ページ画像

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渋沢栄一電報控 ケー・シー・リーブリック宛大正一三年八月五日(DK340033k-0012)
第34巻 p.322-323 ページ画像

渋沢栄一電報控 ケー・シー・リーブリック宛大正一三年八月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
              (COPY)
Profersor Leebrick, President Grant, Tokyo, Aug. 5, 1924.
  Kobe.
 - 第34巻 p.323 -ページ画像 
Telegram received please come Tokyo by seven oclock night train Shibusawa
                 (別筆)
                 大正十三年八月五日発信


(ケー・シー・リーブリック)電報 渋沢栄一宛一九二四年八月六日(DK340033k-0013)
第34巻 p.323 ページ画像

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(ケー・シー・リーブリック)電報 渋沢栄一宛一九二四年八月七日(DK340033k-0014)
第34巻 p.323 ページ画像

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(ケー・シー・リーブリック)書翰 渋沢栄一宛一九二四年九月六日(DK340033k-0015)
第34巻 p.323-325 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 ケー・シー・リーブリック宛 大正一三年一一月五日(DK340033k-0016)
第34巻 p.325-326 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ケー・シー・リーブリック宛大正一三年一一月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一鉛筆)
                  十一月三日一覧
      案
 布哇ホノルヽ
  ケー・シー・リーブリツク殿
    大正十三年十月 日
                   東京 渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然ば九月六日付の貴書正に落手難有拝誦仕候過般御渡来の節は何等御歓待も不致却て連日各学校に於て御講演被成下、我国の学生に多大の裨益を御与へ被下候事を感謝致候と共に、老生は貴下の如き日米親善の為めに多大の御努力を被為候御方と相知るに至りし事を欣快に存候
支那よりの御帰途には是非御再会致し、特に布哇に於ける日本人問題に関し御懇談を遂げ度所存に候処、神戸御入港の予定遅れ候為め其機を逸し候事は返す返すも遺憾に存候、貴下には御帰布以来日米親善増進の為或は他人の謬見訂正に多大の御努力を被遊候由感謝罷在候、猶ほ今後とも宜敷御尽力の程願上候、右御返事旁御挨拶まで如此御座候 
敬具
 - 第34巻 p.326 -ページ画像 
○右英文書翰ハ同年十一月五日付ニテ発送セラレタリ。


(アーサー・エル・ディーン)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一二月八日(DK340033k-0017)
第34巻 p.326-327 ページ画像

(アーサー・エル・ディーン)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一二月八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
          THE UNIVERSITY OF HAWAII
            HONOLULU, HAWAII
                   December 8, 1924
Viscount E. Shibusawa
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa:
  Through the kindness of Consul Yamasaki, there is being forwarded to you a parcel containing a calabash of our Hawaiian Koa, which I hope that you will accept from Mrs. Dean and me as a token of our "Aloha."
  Dr. Leebrick brought back an interesting account of his trip in Japan, where he evidently was well received due to your kindness in arranging for his visit. He brought back very happy impressions of Japan and of the men whom he met there.
  There were many of us here who were much disturbed over the action of Congress in the matter of the Immigration Bill and did what little we could to influence Congress and the President. Of course, Hawaii has but little influence in Washington, and I do not suppose that what we did amounted to very much. I feel pretty sure, however, that the action that was taken was in opposition to the wishes of the State Department and of the President.
  I am very glad of the action which Japan has taken in the matter of the citizenship of the Japanese who are born here, and I think that that will have a good result in the end. It certainly has been of much help to the young Japanese in Hawaii.
  We are to have Mr. Kagawa with us today, and he is going to address a group of the students.
  Perhaps you will be interested to know that the Dramatic Club of the University has presented Mr. John Masefield's "The Faithful" with conspicuous success. The coaching of the play was done by one of our own students who had to work under the handicap of never having been to Japan or seeing a firstclass Japanese theater. The work, however, was greatly assisted by some professional Japanese actors and the cooperation of members of the Japanese community. I am enclosing one of the programs with the thought that you may be interested in it and in the fact that an English version of the most famous drama of Japan has been successfully presented
 - 第34巻 p.327 -ページ画像 
 by our students.
  May I extend to you the greetings of the season and express a hope that the year 1925 will prove to be a happy and satisfactory year with you?
            Sincerely yours,
              (Signed) A. L. Dean
                      President.
(右訳文)
         (栄一墨書)
         寄贈品を陳謝し、来意を受けて丁寧なる回答案取調可申事
               一月十一日 湯河原ニテ一覧
          附リブリツク氏日本出立之際老生ハ一夕緩々会談を希望せしも、其機会を得ざりしを今日も残懐致居候旨申添度事
 東京市               (十二月廿三日入手)
  子爵渋沢栄一閣下
             布哇、一九二四年十二月八日
              布哇大学 エイ・エル・ディーン
拝啓、山崎領事に托し布哇産コーア(アカシヤ樹の一種)の瓢一包を拝送仕候、右は小生夫妻よりの御挨拶の印として御受納被下度候
リーブリック博士は日本旅行の面白き土産話を持帰られ候、同博士が日本に於て歓迎せられたるは閣下が種々御斡旋被下たるによるものと存候、博士は日本並ニ其の面会せられたる人々に関して好印象を有せられ候
過般我国議会が移民問題に関して為せる議決に対し憤懣の情を抱ける士は多数当地にも有之、吾等は微力乍ら議会と大統領とを動かすに努め申候、勿論布哇は華盛頓政府に対し微力にして吾等の努力も大なる効果有之とは存じ不申候、併乍議会の為せる議決は国務省及大統領の意志に反せる事は明かに候
当地に於て出生せる日本人の市民権問題に関して日本政府の執れる行為は誠に結構にして、結局良き効果を齎らし得る事と存候、之れが為に布哇在留の日本青年は多大の便益を得たる事は確実に御座候
本日当地に賀川豊彦氏来着の筈にして、学生に向つて一場の講演有之筈ニ御座候
本大学の演劇倶楽部に於てジョン・メースフヰールド氏の「忠臣蔵」を上演致候処多大の成功を博し申候、此劇の上場に就ては本大学の一学生が指導者と為りしも、悲しい哉彼は日本に参りし事もなく、一流の日本劇をも見たる事無之により多大の不便を感じ申候へども、日本俳優及日本人より多大の援助を受くるを得たるは幸に御座候、御参考までに右劇の次第書を同封申上げ、日本の有名なる劇の英訳物が我学生によりて巧に上演せられ候事を御知らせ申上候
終に臨み季節の御挨拶を申上げ、尚ほ幸福にして満足なる新年を御迎へ被遊候様祈上候 敬具
 - 第34巻 p.328 -ページ画像 


(ケー・シー・リーブリック)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一二月一八日(DK340033k-0018)
第34巻 p.328-329 ページ画像

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渋沢栄一電報 控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年二月二一日(DK340033k-0019)
第34巻 p.329-330 ページ画像

渋沢栄一電報 控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年二月二一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第34巻 p.330 -ページ画像 
      電報
御案内の件を松平大使に伝達せしが、大使は已にフアーリントン知事よりの案内を承諾せしを以て其他は辞退し度しとの事なり
右電報す
  ホノルヽ
    リーブリツク殿                渋沢
  大正十四年二月二十一日


渋沢栄一書翰 控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年二月二四日(DK340033k-0020)
第34巻 p.330 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年二月二四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
      案
 布哇ホノルヽ市布哇大学
  ケー・シー・リーブリツク教授殿
    大正十四年二月廿四日     東京 渋沢栄一
拝啓、昨年十二月十八日附の貴書正に拝見仕候、過般の御旅行に依り東洋に関する御了解を深ふせられ、御蒐集の資料は両国諒解の為め極力御利用可被成由、日米親善の為め慶賀至極と存申候
貴大学文芸倶楽部員が貴地に於て、メースフヰールド氏翻訳の「忠臣蔵」を演じ大喝采を博せし由にて、同部員は来る七月頃当地帝国劇場に出演致度旨申居候に付、老生より同劇場取締役山本久三郎氏に御協議致、其の結果を通知致候様御申越の趣拝誦致候、早速秘書役を遣はし交渉せしめ候処、震災復興後の同劇場は意外の繁昌にて、実は来年春頃迄の興行を既に契約致、其間他の演劇を難加由にて折角の御計劃に対し遺憾千万乍ら御引受致兼候旨申出候、右様の次第に付御気の毒とは存候得共、御断申上候外無之候間不悪御了承被下度候、尤も貴台に於て今一応山本氏と直接の御交渉を希望せられ候はゞ、同氏に於ても喜んで御応答可致旨申居候間添て申上候
今般赴任の松平大使貴地寄港の際、貴米日関係委員会の為め演説せられ候様御希望の由にて、老生より同大使に貴意御伝達方御依頼に付御交渉致候処、同大使にはフアリントン知事よりの招待を受諾せられ居り候由にて、貴台よりの御招待も多分右と同一の御催なるべく、自然貴意に副ひ候義と存候間、貴方へは別に御約束不致旨答られ候に付左様御承引被下度、尚右御依頼に付て電報せられ候由来示に候得共、未た接手不致、何かの行違かと存候、序ながら申添候
右御回答迄得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰控 ケー・シー・リーブリック宛 大正一四年四月一七日(DK340033k-0021)
第34巻 p.330-331 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年四月一七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
      案               白石
 布哇
  ケー・シー・リーブリツク教授殿
    大正十四年四月十五日        渋沢栄一
拝復、一月廿日附の御懇書並に御同封のクラーク大学教授ブレークス
 - 第34巻 p.331 -ページ画像 
リー氏宛御書面写順着、翻訳により精読致深き興味を覚え申候
貴下が日米問題の為種々御尽力被成候儀は老生等の感謝措く能はざる処に有之、特に先般御来遊の上親しく我邦の文物御研究之結果深く御了解被下、御帰任の上は貴国人啓発の為御努力相成候義を承知致し、欣快此事と存候
過般過りて制定せられたる排日移民法は是非改正せざるべからざる義にて、之が気運を醸成し従来維持し来れる両国間の歴史的関係を恢復するは吾人の義務なりと確信致候、然れども前途は甚だ多難にして幾多の紆余曲折を経ざるべからずと存候に付ては、貴下の如き有力なる人士の御尽力に待つ所益多かるべくと存候間、尚一層の御奮励希望の至に御座候
右御返事旁得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同年同月十七日付ニテ発送セラレタリ。


(ケー・シー・リーブリック)書翰 渋沢栄一宛一九二五年五月六日(DK340033k-0022)
第34巻 p.331-333 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一書翰 控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年七月一一日(DK340033k-0023)
第34巻 p.333-334 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ケー・シー・リーブリック宛大正一四年七月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                      (別筆)
                      白石君承認
      案
 ハワイ、ホノルヽ市
  ケー・シー・リーブリツク殿
    大正十四年七月十一日
                  東京
                    渋沢栄一
拝復四月十七日付貴翰落手拝見仕候《(五月六日)》、然者排日移民法の改正に付ては米国側より積極的行動に出でさるべからすとの愚見に御賛成被成下候段本懐の至に候、又比率の一般的採用が次議会に通過可致との説相当優勢にして、或は実現するやも不計との趣拝承欣快の至と存候、何卒貴台の御期待の如く今後益々其勢を増し日米親善を進め候様企望仕候次ニ在布日系米国人国籍離脱ニ付種々御尽力被下候趣御高配拝謝仕候「バロメター」誌切抜は翻訳の上通読仕候、又貴地々方会議に於て米国本土に旅行せんとする日系米国人に旅行証明書を賦与すべしとの議案提出せられ、之れが詮考委員も決定せられ候段拝承仕候、右は米国人たるものが自国内を旅行するに当りて証明書を要するとは奇異の感有之候得共、排日移民法の励行を見る間は日本人と日系米国人とを区別する上に於て当然にして誠に適当の企劃と存候、右提議の通過を切望罷在候
目下貴地に開催中の太平洋会議に高木八尺氏の出席せらるゝ様御希望の趣も了承致候、同氏は御希望の如く本邦代表者の一員と相成候間既に御会見相成候義と拝察仕候、同氏の出発に際し貴台御申越の次第申置候間御聴取被下事と存候
貴地「日布時事社」発行「米艦歓迎号」は同社々長相賀安太郎氏より送附有之、日米親善増進の一助とも可相成と愉快に披見仕候
老生の健康未だ本復に不至候も、幸に漸次快方致、不日全快之上再び
 - 第34巻 p.334 -ページ画像 
活動し可得と楽居候間御安心被下度候、右御回答迄可得貴意如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。
   ○リーブリック博士ハ、大正十四年太平洋問題調査会代員タリ。本書翰ニ対スル返信ハ、本章第三節所収「太平洋問題調査会」ノ条ニ収ム。



〔参考〕家庭週報 第七四九号大正一三年六月二〇日 五月卅日布哇大学歴史及政治学教授ケー・シー・リーブリツク氏来校(DK340033k-0024)
第34巻 p.334 ページ画像

家庭週報 第七四九号大正一三年六月二〇日
    五月卅日布哇大学歴史及政治学教授ケー・シー・リーブリツク氏来校
 午後三時より講堂に於て、北米合衆国及び布哇に於ける婦人の政治経済に関する生活といふ題でお話があつた。なほこの講演は次の廿七日発行号に掲載の筈である。
   ○五月三十日ニ於ケル博士ノ講演ノ訳文ハ左ノ雑誌ニ掲ゲラレタリ。
    「家庭週報」(第七五一号・大正一三年七月四日)