デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.334-352(DK340034k) ページ画像

大正13年6月2日(1924年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国特命全権大使サイラス・イー・ウッズ送別晩餐会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。ウッズ帰国ノ後、各所ニ排日法ノ不可ナル所以ヲ演説ス。


■資料

東京朝日新聞 第一三六三六号大正一三年五月二〇日 ウツヅ大使辞職す(DK340034k-0001)
第34巻 p.334-335 ページ画像

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日米関係委員会往復書類(一)(DK340034k-0002)
第34巻 p.335 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)(渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然ハ米国大使サイラス・イー・ウツヅ氏我国ニ赴任以来我国民ニ与ヘラレタル厚情ハ記憶スヘキモノ多々有之候処、今般御母堂病気保養ノ為帰国セラレ候ニ付テハ、本会ニ於テ晩餐会相催シ送別ノ意ヲ表シ度ト存候間、来ル六月二日午後七時帝国ホテルヘ御来会被下度候 敬具
  大正十三年五月廿三日     日米関係委員会
                  常務委員 渋沢栄一
                  同    藤山雷太
  追申
  一御服装ハ燕尾服(但勲章佩用ハ見合セト致候)
  一御来否封中端書ニテ御回示被下度候


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK340034k-0003)
第34巻 p.335-337 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控 (日米関係委員会所蔵)
 米国大使ウツヅ氏夫妻送別会(一三、五、二一、日米関係小委員会ニテ決定)
主催者 東京日米関係委員会
時日  大正十三年六月二日午後七時
場所  帝国ホテル
主賓
 - 第34巻 p.336 -ページ画像 
              (太丸・太字ハ朱書)
                  大使○ サイラス・イー・ウツヅ氏
                    ○ 同 令夫人
                 参事官○ ジエフアーソン・ケツフアリー氏
               一等書記官○ アール・エツチ・ノーウエツブ氏
               日本書記官○ ジヨン・ケー・コードウエル氏
                    ○ 同 令夫人
               二等書記官○ エス・デー・レクラーク氏
                 商務官○ イ・ヂー・バビツド氏
                陸軍武官○ ビ・アール・フエーモンビール氏
                海軍武官○ ガーネツト・ヒユーリングス氏
                    欠 同 令夫人
               東京総領事○ エヌ・ビー・ステイワート氏
                    ○ 同 令夫人
陪賓
                    ○ イ・ダブリユ・フレーザー氏
 ○ デイ・デイ・エル・マツグルー   ○ デー・エツチ・ブレーキ氏
 ○ 同 令夫人            ○ 同令夫人
 ○ ケー・シー・リーブリツク     ○ ジエー・アール・ゲアリー氏
                    欠 同 令夫人
                    欠 エツチ・エー・エンズウオース氏
                    欠 同 令夫人
陪賓
                    欠 総理大臣 清浦奎吾子
                    欠 同令夫人
                    ○ 外務大臣 松井慶四郎男
                    ○ 同 令夫人
                    ○ 外務次官 松平恒雄氏
                    ○ 同 令夫人
                    欠 通商局長代理 佐分利貞男氏
                    欠 同 令夫人
                    欠 幣原喜重郎男
                    欠 同 令夫人
                    ○ 徳川家達公
                    欠 同 令夫人
                    ○ 赤松祐之氏
                    欠 同 令夫人
  日米関係委員氏名表
                    ○ 伊東米治郎
                    ○ 一宮鈴太郎
                    ○ 同 夫人
                    ○ 服部金太郎
                    欠 原富太郎
                    欠 男爵 大倉喜八郎
                    ○ 大谷嘉兵衛
                       夫人ナシ
 - 第34巻 p.337 -ページ画像 
                    欠 小野英二郎
                 子爵 欠 金子堅太郎
                       夫人ナシ
                    ○ 梶原仲治
                    ○ 団琢磨
                    欠 高田釜吉
                    ○ 添田寿一
                    ○ 頭本元貞
                 男爵 欠 瓜生外吉
    団、内田両氏ノ内一人出席ノ見込 欠 内田嘉吉
                    ○ 串田万蔵
                    ○ 山田三良
                    ○ 山科礼蔵
                 男爵 ○ 古河虎之助
                    ○ 同夫人
               ○常務委員  藤山雷太
                    ○ 江口定条
                    ○ 姉崎正治
                    ○ 浅野総一郎
                    ○ 同夫人
                 男爵 ○ 阪谷芳郎
                    ○ 同 夫人
                欠 男爵  目賀田種太郎
              ○常務委員子爵 渋沢栄一
                 欠 男爵 森村開作
                    欠 市来乙彦
                    ○ 服部文四郎
                    ○ 同 夫人
                    ○ 小畑久五郎
                    ○ 増田明六
 出席五十一人      以上何レモ令夫人共54合計91人


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一三年(DK340034k-0004)
第34巻 p.337 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
○十三、六、二 夜帝国ホテル、日米関係委員会送別ウツヅ大使並夫人其他、渋沢子及大使演説、広重ノ東海道五十三次記念トシテ贈ル、松井外相・松平次官・徳川公・団・藤山・姉崎・山田・頭本、古河男、其他内外人夫人等、中央ニ庭ヲ作リ立派ナル催ナリ大使ハ余ヲ介シ渋沢子ニ同心ニテ尽力ノ旨ヲ語ル
        大使ハ六月五日東京発六日マツキンレー号ニテ出帆


集会日時通知表 大正一三年(DK340034k-0005)
第34巻 p.337-338 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年 (渋沢子爵家所蔵)
五月廿一日 水 午前十時  ウツヅ米大使ト御会談ノ約(帝国ホテル内同大使館)
 - 第34巻 p.338 -ページ画像 
   ○中略。
五月廿三日 金 午後七半時 外務大臣催
              ウツヅ大使送別会(同官邸)
                燕尾服勲章ナシ
   ○中略。
五月廿七日 火 午後七半時 総理大臣催
              ウツヅ大使送別会(首相官邸)
   ○中略。
五月三十日 金 午後〇半時 三井男爵催
              ウツヅ大使送別会(今井町三井邸)
   ○中略。
六月二日  月 午後七時  日米関係委員会催
              ウツヅ米大使送別会(帝国ホテル)
                燕尾服勲章ナシ
六月三日  火 午後一時  汎太平洋協会催
              ウツヅ米大使送別会(帝国ホテル)


日米関係委員会緊要書類(DK340034k-0006)
第34巻 p.338 ページ画像

日米関係委員会緊要書類          (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然は今般御帰国せられ候事と相成候に付ては御赴任以来閣下並に令夫人より不容易御高誼を辱ふしたるを記念する為め、甚だ軽微なから別包歌川広重筆東海道五十三次図一帙令夫人に拝呈仕候間何卒御笑納被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具
               日米関係委員会
                代表 子爵 渋沢栄一
    米国大使サイラス・イ・ウツヅ閣下
   ○右ハ大正十三年六月頃ノ書状案ト推定ス。


(増田明六)日誌 大正一三年(DK340034k-0007)
第34巻 p.338 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一三年 (増田正純氏所蔵)
六月二日 月 晴
定刻出勤
午後七時日米関係委員会の主催にて、帝国ホテルニ於て駐日米国大使ウツヅ氏の辞職帰国送別会催されたり、来賓は大使夫妻を主賓として同大使館員一同、留日米国人の主なるもの、総理大臣・外務大臣・同次官・局長等にして、主人ハ関係委員一同なり
渋沢子爵主人側を代表して送別の辞を述へ、且広重の画東海道五十三次の古木版絵を記念として贈呈したるニ対し、大使より懇篤なる謝辞あり、主客共ニ歓を尽して、宴を了りたるハ午後十時なり


竜門雑誌 第四三〇号・第七三―七五頁大正一三年七月 ○ウツヅ大使送別会(DK340034k-0008)
第34巻 p.338-340 ページ画像

竜門雑誌 第四三〇号・第七三―七五頁大正一三年七月
○ウツヅ大使送別会 日米関係委員会は今般任を辞して帰国せらるゝ米国大使ウツヅ氏の為に、六月二日午後七時帝国ホテルに於て同氏並夫人を始め同大使館員・外務大臣・次官等並在京米国実業家を招待して盛大なる送別晩餐会を開催し、席上同会よりウツヅ夫人に記念として広重の木版刷東海道五十三次の絵図を贈呈したる由。因に当日の出
 - 第34巻 p.339 -ページ画像 
席者は主賓の外ケツフアリー参事官・松井外務大臣・同夫人・松平外務次官・同夫人・徳川家達公・フレーザー氏・ブレーキ氏・同夫人・ゲアリー氏、及主人側青淵先生・藤山雷太氏・団琢磨氏・阪谷芳郎男・同夫人等主客五十一名なりしと。
 尚青淵先生及ウツヅ大使の挨拶要旨は左の如し。
    青淵先生送別の辞
 大使閣下、大使夫人、淑女並に閣下、紳士諸君、私は日米関係委員会を代表して一言送別の辞を大使閣下に呈する光栄を担ふことを歓ぶもので御座います。大使閣下は日夜盛大なる送別の席に列せられ且つ御出発の時日も近づき御多忙に入らせらるゝにも拘らず、私共の御招待を御受け下さいまして、今夕令夫人と共に御機嫌美しく御参列下さいましたことは、我等本会々員一同感謝措く能はざる次第で御座います。又米国大使館員諸君、我外務大臣閣下其他並に東京に於ける米国実業家の代表者たるフレーザー氏、ブレーキ氏及ゲアリー氏等の御参列を得ましたる事は、更に本会に光彩を添ふる次第で深く感謝致して居ります。ウツヅ大使が諸方面より受けられました送別会の席上で殆ど一致して居る感想は、此際ウツヅ大使の御帰国を惜み之を遺憾とすと申すのであります。私は此点に関しては聊か処見を異にする点でありまして、私は大使の御帰国を大に喜びとする者であります。如何となれば大使は本国に於て最も有力なる地位を占めて居らるゝ方であるからで御座います。ウツヅ大使の如く能く日本人を了解し又は日本人に了解された方が、此際本国に帰られて、時局問題に関し米国人の間に侃諤の言を吐かることは何よりの力であると思ひます。ウツヅ大使の御留任は至つて短期で御座いましたが、其間に我邦に於て同大使に少からざる御心配と御面倒とを懸けましたことが二つあります。即ち去年の大震火災と今回の排日移民法案とで御座います。去年の災厄は天災で人間の力を以つてどうする事も叶ひませんでしたが、然しウツヅ大使は御一身御家族の安危をも顧みず我罹災民救助の為非常なる御活動をなされて、終にマニラより又は米本国より多大の救恤品を輸送せしむる事となりました。我国民はウツヅ大使の此御活動に対しては永久に忘れ難き謝恩の情を有して居ります。次ぎは排日条項を含む移民法案通過の阻止に渾身の力を注がれたることで御座います。結果は大使の御骨折に就いては大に感謝せねばなりませぬ次第で御座います。先刻別室におきまして大使令夫人に呈上しました記念品は歌川広重の「東海道五十三次」で御座います。我邦に於ける昔の情況を画いたもので御座います。今を去る百年余の昔を語るもので御座います。御帰国後折々之を御覧遊ばされて、我邦に御滞在中の昔を御偲び下さる様御願ひ致します。然し之を米国の上下両院の議員又は或る新聞記者には御示の無い様に御願ひ致します。記念品を差上げて置きながら此如き注文を致すことは甚だ欠礼の儀とは存じますが、若し斯る記念品を彼の人々に御示す《(しカ)》に相成ると、日本人は這な野蛮な生活を営で居る未開者であると言つて、一層日本排斥の声を高めしむる事となつて、益大使閣下の御心配を増進せしむるのみであると思ふか
 - 第34巻 p.340 -ページ画像 
らで御座います。
  私は玆に諸君と共に杯を挙げて、ウツヅ大使・同令夫人の為に健康を祝し、且一路安全の航海を祈る験と致します。
    ウツヅ大使の答辞
  渋沢子爵閣下、閣下並に諸君、私共の帰国期は日一日近いで参りまするに従ひ、日本を去るの苦痛を切実に感じます。私は皇后陛下、摂政の宮殿下を始め、今夕の如き御厚意を忝ふしたること数限りも無い程で、下は一労働者に至るまで厚意を表して呉れましたことは私の深く感銘して措く能はざる所で御座います。特に今夕の如き御鄭重なる御盛宴を私共夫妻の為に御設け下さいましたことは衷心より感謝致します。今回我邦の上下両院に起りました移民法案通過に就ては実に遺憾千万で御座いますが、之を阻止せんが為に、今夕御列席の松井外務大臣閣下の協力を仰ぎ、凡有手段方法を講じましたが、意に任せませんで終に米国の法律となりましたことは、私として何とも申訳の無い次第、唯々恐縮して居るのみで御座います。最もヒューズ国務卿も大統領も之を阻止せんとして其希望を果し得ない有様で御座いましたから、私共の力の及ばざることは真に止むを得ぬことで御座いました。然しながら私は此現象は一時的のものと考へます。近き将来に於て時局改善の方法が施行せられ得ると考へます。私は大使の職は之を辞しましたが、日米両国親善の為に尽す決心は死に至るまで之を持続致すことを諸君に対して言明致して置きます。嘗つて渋沢子爵閣下は慨嘆して申された御言葉中に「私の二十年間の努力は今回通過した排日移民法案の為め水泡に帰した」と申されました。私は渋沢子爵を尊敬する者であつて、容易に子爵の御意見に反対するか如き事を致しませんが、子爵の此意見だけには御同意を表することが出来ません。播かれた種は他日必ず実を結びます。渋沢子爵が日米親善の種を播かれた事は世間周知の事で御座いまして、此種が必ず相当の実を結ぶべきは当然で御座います。又渋沢子爵は孔夫子の崇敬者で入らせられますから、従つて友誼の神聖てふ点に多大の重きを置かれますが、私も友誼の神聖なることを合点して居ります。而して日本国には多くの友人を持つて居る積りであります。今夕の御主人側たる日米関係委員会の諸君は、私の親友として将来御交際を願ひたい諸君で御座います。諸君が渋沢子爵を中心として国民外交を実施し来り、幾多の功績を挙げて居らるることを私は存じて居ります。私が帰国の上両国親善の上微力を致さんとするに当り、絶えず日米関係委員諸君の御援助を仰ぐ次第で御座います。玆に杯を挙げて渋沢老子爵の健康を祝します。
   ○本章第五節所収「其他ノ外国人接待」大正十三年五月六日ノ条参照。


時事新報 第一四七九八号大正一三年九月二一日 ウツヅ氏親日力説、依然として日本の友(DK340034k-0009)
第34巻 p.340-341 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一書翰 控 サイラス・イー・ウッズ宛大正一三年一一月五日(DK340034k-0010)
第34巻 p.341 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 サイラス・イー・ウッズ宛大正一三年一一月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
      案
                    (栄一鉛筆)
  サイラス・イー・ウツヅ殿      十月廿五日一覧
    大正十三年十一月五日
                    東京 渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、過日外務省通商局長佐分利貞男氏と会談致し候際、同氏より貴台の御近況を窺知することを得欣喜罷在候、貴台には徹底的日米親善を基調として今日も種々御画策相成、大統領選挙後数ケ所に於て御演説可相成、日程も已に御決定の由承り今更ながら御熱誠に感服仕候
貴台が弊国御滞在中は小生は別して御懇親を忝ふし、日米両国親善増進に関し屡々腹蔵なき意見の交換を行ふことを得しは、実に欣幸とする所に有之候、排斥条項を含める移民法通過の後に於ける我邦の形勢を見るにつけても、貴台の如き老練なる外交家に待つ所少からざるべしと相考へ、今日貴台の御辞職を惜む事切なるもの有之候、然し乍ら他の一面より考ふる時は、此際貴台が米国に於て御活動相成り候儀は最も時宜に適する事と、小生等の意を強ふする処に御座候、何卒今後共世界の文化と平和との為め、日米親善の基礎を鞏固ならしむる様御尽瘁あらんことを切望して止まざる次第に有之候
右御挨拶まで得貴意度如此御座候 敬具


(サイラス・イー・ウッズ)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一二月一一日(DK340034k-0011)
第34巻 p.341-342 ページ画像

(サイラス・イー・ウッズ)書翰 渋沢栄一宛一九二四年一二月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
  My permanent address is Greensburg, Pennsylvania.
           DE LAND
           FLORIDA
         Hotel Putnam, December 11th, 1924.
His Excellency
Viscount Shibusawa,
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa:
  I was delighted to receive your very interesting letter. I have thought of you many times since I left Tokyo, and you
 - 第34巻 p.342 -ページ画像 
 have been in my mind specially in my speeches in relation to the exclusion act and in the articles I have written on that subject. You see, I am trying to do here in the United States what you have been doing so ably in Japan in behalf of better relations between our two countries. I enclose you herewith an article I prepared for the Federal Council of Churches. It was published in over three thousand of our most prominent newspapers, and has been exceedingly well received. Of course, I got a storm of abuse from some of our congressmen, but that was what I expected. The general effect was most excellent. I also enclose you another article which I think will interest you.
  Please remember me to my friends in Japan, and do not allow them to forget me because I am not in Tokyo.
  With my sincere regard, in which Mrs. Woods joins,
           Very cordially yours,
             (Signed) Cyrus E. Woods
(右訳文)
         書中之○印を付したる両様之論文ハ早速翻訳提出有之度、去臘米国多数人士に発送せし代表的書状ハウツヅ氏へも差出候哉、其模様によりて此来翰に対する回答取調申度候事
              一月十二日湯河原ニテ一覧
 東京市            (大正十四年一月一日入手)
  渋沢子爵閣下
    プトナム・ホテルにて、一九二四年十二月十一日
                  サイラス・イー・ウツヅ
拝啓、興味深き御手紙を頂き誠に難有存申候、東京を去りてより小生は常に閣下を憶ひ、特に排日法に関する演説及び同問題に関する論文執筆の際には念頭を去る事無之候、日米両国の親善増進の為に日本に於て閣下が御尽力被遊候と等しく、米国に於て小生は努力を試み居候
小生が教会聯合会の為に執筆せる《○》一論文を封入致置候、右は我国に於る三千種以上の一流新聞紙に掲載せられ、好評を博したるものに有之候、勿論小生は議員達よりは甚しく非難の声を浴せられ候へとも、此は予期せる処に御座候、乍併一般に対する効果は顕著なるもの有之と存候、尚ほ御参考までに別に《○》一論文を同封致置候間御覧被下度候
何卒日本に於る友人諸氏に宜敷御伝声被下度、尚ほ小生は東京に在らずとも小生を御忘れなき様御伝へ被下度候
終に臨み荊妻と共に謹んで敬意を奉表候 敬具
   ○同封論文見当ラズ。次掲書翰ニ同封セル新聞紙切抜ノ記事参照。


(ジェームズ・エッチ・フランクリン)書翰 日本友人宛一九二四年一二月一九日(DK340034k-0012)
第34巻 p.342-344 ページ画像

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New York Times. Dec. 6, 1924. WOODS SEES PERIL IN JAPANESE BAN(DK340034k-0013)
第34巻 p.344-348 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一書翰 控 サイラス・イー・ウッズ宛大正一三年一二月二五日(DK340034k-0014)
第34巻 p.348-349 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 サイラス・イー・ウッズ宛大正一三年一二月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
         (別筆)
         十四年一月十五日於湯河原中野読上
               (栄一墨書)
               一月十六日再応一覧
 ペンシルヴエニア州グリーンバーグ
  サイラス・イー・ウツヅ殿
               大正十三年十二月廿五日
                      渋沢栄一
拝啓、新移民法に関する貴下の「獅子吼」を新聞によりて承知致し愉快に存候、移民法の通過によりて捲起されたる重大なる形勢を実地に見聞せられたる貴下の演説は、貴国の民心に多大の感動を与へたりし事と存候、今日米国民に対して最も大切なるは問題の実状を知らしむるに有之、而して之れを為すには貴下を措きて他に適任者無之候
同封の書類によりて東京日米関係委員会の真意を御諒解相成事と存候
小生は予而此る陳述書を米国の友人諸氏に寄せん事を目論見居候、御序も有之候は《(ば脱)》本陳述に関する御意見を伺ひ度と存候、右御挨拶まで得貴意度如此御座候 敬具
  (栄一墨書)
  此書状発送後ニ同氏より来信ありと存候、取調之上右来信ニ対してハ早々適当之回答致度候事
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送。同封ノ書類云々ニツイテハ、本款大正十三
 - 第34巻 p.349 -ページ画像 
年十二月二十五日ノ条参照。是日栄一、一九二四年移民法通過前後ノ米人側努力ニ対シ謝意ヲ表スル書ヲギューリック博士他七十名ニ送ル。



〔参考〕(小田切万寿之助)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月一二日(DK340034k-0015)
第34巻 p.349-352 ページ画像

(小田切万寿之助)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
       (別筆)  (栄一墨書)
       十三日落手 十月二十二日翻訳文一覧済
  大正十二年十月十二日
                    横浜正金銀行
                      小田切万寿之助
    子爵 渋沢栄一殿
拝啓 意外ノ巨災ニ際シ何等御障リナキノミナラス、不相変為邦家御鞅掌之段奉欣賀候、陳者在上海月刊雑誌The Far Eastern Review持主兼主筆Geo. Bronson Rea氏(米人)ヨリ別紙写ノ通リ小生迄申出、其書中ニハ特ニ尊名ヲモ記入致居候ニ付玆呈貴覧候、同氏ハ過去三年間日米支三国親善主義ヲ提唱シ、在支排日米人ヨリ幾多ノ妨害ヲ蒙リタルニ不拘、不撓不屈其主張ノ貫徹ヲ努メタルハ其筋ノ認識スル所ニシテ、今回上海ニ在リ東都震災ノ報ニ接スルヤ、米国救護団長「マツコイ」少将等ト同船渡来シ、目下該団ノ行動ヲ援助シ居ル者ニ有之候、別紙書面ヲ見ルニ其旨趣行文共ニ光明正大《(公)》ニシテ、且其大胆的ナルニ徴シテ米大使ノ意ヲ承ケ起草セシモノト思ハレ、少クトモ同使ノ撿閲ヲ経テ発送セシモノナランカト想像致居候次第ニ御座候間、左様御承知奉願上候、尚別紙写ハ伊集院外相・井上蔵相ヘモ送付致置候間、是亦併セテ御含置被下度候、氏カ小生ニ対シテ斯ク申出テタルハ別ニ事情アルニハ無之、前年小生巴里会議ニ参列中、氏ト対支政策ニ関シテ数回意見ヲ交換シタル後、所見一致シ、氏ニ於テ極力日米支親善論ヲ主張スルコトヽ相成、其後小生ハ本邦其筋有力者ト氏トノ間ニ立チ意思疏通ノ労ヲ取リ、今日迄其関係ヲ継続シ来リタル為、氏ニ於テハ米大使ノ意思ヲ小生ヲ通シテ本邦朝野有力者ニ転達スルコトヲ便利ト認メタルモノニ外ナラス候間、此儀御諒悉被下度候、余ハ譲拝唔万縷候、臨緘祈御健在候 敬具
(別紙)
                Imperial Hotel, Tokyo
                    October 8th, 1923
Mr. M. Odagiri,
  Yokohama Specie Bank, Ltd.,
  Tokyo.
Dear Mr. Odagiri:
  When I arrived in Tokyo several days after the disaster and met Ambassador Woods, he outlined to me the high points of his mission to Japan. This morning he reverted to the same subject and emphasized the policy he intends to follow. As this policy meets with the full and cordial approval of the State Department and the President, I feel that you and your friends should be informed of its trend.
 - 第34巻 p.350 -ページ画像 
  It will prove a source of deep satisfaction to your group, especially to Baron《(sic)》 Shibusawa, Baron Ijuin and Mr. Inouye and also your good self, to learn that your plea for cooperation and closer business and financial relations is answered and accepted by the present American government as the highest aim of its diplomacy with your country.
  Ambassador Woods is animated with the hope that it may be his great good fortune to be instrumental in binding America and Japan closer together by ties of commercial and financial partnerships that will draw the two nations into such close understanding that war will become impossible and unthinkable. Ambassador Woods has held this idea even before he left Madrid to receive his instructions from Washington and is firmly convinced that permanent peace in the Pacific can only be attained in the same manner that it has been established in the Atlantic between America and Great Britain.
  In the stress of the past month when so many other important and pressing matters have engrossed the attention of your group, it has been inappropriate to bring this before you.
I took the occasion, however, to tell the Ambassador this morning that his program reflects the sincere desire of yourself and your group and that his mission to Japan cannot but be successful as he brings to your financiers the answer to their own fervid hopes of establishing such intimate and cordial business and financial relations.
  So we come to the end of a long drawn out campaign started in 1915 by Baron Shibusawa and carried on by your group since 1919. The American government has finally adopted your program as the only one that will bring the two nations together and assure the prolongation of the Washington treaties when they expire.
  It may be that these treaties will not be extended; it may be that other parties to the pact may wish to cancel their self-denying privileges, but in this case, if the policy of the present American government reflected by Ambassador Woods is successful and America and Japan are drawn into closer business relations before the expiration of the pacts, there will be no reason for future distrust.
  I do not feel that I am breaking any confidence in communicating to you unofficially, or officiously, the sentiments of the Ambassador, as he is only awaiting an opportunity to reiterate and emphasize the message he conveyed to you all at his first speech made after his arrival. If I might make a suggestion, I would urge that as soon as conditions permit,
 - 第34巻 p.351 -ページ画像 
 you and your group extend through Baron Ijuin an invitation to the Ambassador so that he can talk to you in person as he has to me. I feel warranted in saying that he would welcome this opportunity to convey to you all the sentiments he so frankly has expressed to me. I remain,
            Cordially yours,
          (Signed) Geo. Bronson Rea.
(右訳文)
 横浜正金銀行
  小田切万寿之助殿
                 ジオジ・ブロンソン・レー
拝啓
震災突発数日後に東京に到着致候節、ウツヅ大使を訪問致し同大使の日本に対する使命に就き概略を承知致候処、今朝同大使は再びその計画につきて詳細説明相成候、右計画は米国々務省及大統領が衷心より賛意を表せるものなれば、小生は貴下及御友人諸氏にも其大体を申上度と存候、貴国の方々特に渋沢子爵・伊集院男爵・井上氏及貴下には日米両国の商業及財政上の提携を計り親密なる国際関係を維持せんが為に御努力中の処、米国政府に於ても漸く此れを以て貴国に対する外交策として採用するに決し候に就いては、多年の御希望の酬いらるゝ時期到来せるものと可申候
ウツヅ大使に於ても商業と財政との絆により自ら両国の諒解と親善とを計り、将来は両国間の戦争を不可能ならしめ、且つ之を夢想だにし得ざるものと為さんとの大なる希望を抱き居り候、同大使は華府政府より日本大使たるべき命を拝し先任地たるマドリツドを出発せんとしたる時より、氏が嘗て英米の平和に貢献せしと同じく、日米間の永久的平和の確立をも必す実現すべしとの信念を有し居候
先月は緊急に解決を為すべき諸問題多数輻輳せしにより本問題を持出すことは遠慮致居候処、小生は今朝ウツヅ大使に面会致候に付、其序を以て大使の計画は貴下及御同僚の真面目なる御要求と合致し、猶同大使の日本への使命は、商業及財政上の親密なる国際関係を招待せんとする貴下側の熱望に報いんとするものなれば、必ずや其実現を期し得べしと申置候
されば一九一五年に渋沢子爵によりて高唱せられ、一九一九年以来貴下御同僚によりて継続せられたる永年の運動も今や漸く其効を奏するに至り、米国政府は日米両国民の提携を計り、華府条約の期限到来の後にも尚ほ此れを継続せしむべき唯一の手段として、右提携を主張することに決定するものに御座候
華府条約の延長は或は行はれざる事かと存候、条約加入国の中には自制的義務の特権なることを忘れて条約解除を希望する向も可有之かと存候、乍併此場合に於てウツヅ大使の高唱せんとする米国政府の政策が成功し、条約期限満了前に日米両国が商業上及財政上相接近するに於ては、将来不信を招くが如きことは必ず可無之と存候
ウツヅ大使は着任当時初めて披瀝せる所信を繰返すべき機会を待ち居
 - 第34巻 p.352 -ページ画像 
りしものなれば、右の如く大使の意を非公式に又差出がましく申上げ候とも、同大使に対し格別失礼と為るが如きことは可無之存候
  最後に一言申上度候、即ち事情の許す限り速かに貴下及御同僚に於かれて、伊集院男爵の名を以てウツヅ大使を御招待相成候はゞ、同大使は小生に談話せられたると同じく、親しく御話可有之と存候同大使は先般小生に披瀝せられたる所懐に就いて、貴下を始め御一同に対し喜んで談話可相成と信すべき理由有之ものに付、敢て右御提言申上候次第に御座候 敬具



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 小田切万寿之助宛大正一二年一二月一九日(DK340034k-0016)
第34巻 p.352 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 小田切万寿之助宛大正一二年一二月一九日(渋沢子爵家所蔵)
    小田切万寿之助様
拝啓、爾来意外ノ御無音ニ打過候処益御清適奉賀候、扨先般ハ上海月刊雑誌ゼ・フアー・イースターン・レヴユー持主並主筆ジー・ブロンソン・リー氏ヨリ貴台ヘ寄セラレタル書翰ノ写ヲ添ヘラレ、同氏ノ日米支三国親善主義ニ付御報道ノ尊書難有落手熟読致候
一九一五年小生渡米ノ際、同国ノ各地ニ於テ日米支三国親善ノ必要ヨリ、先ツ日米ハ商業及財政ノ提携ヲ為サヾルベカラズト主唱致候ヘシガ、今回同氏ノ書翰ニヨリテ全然意見ノ一致ヲ見、如此支那ノ実情ヲ理解シタル有力ナル同志ヲ得タルヲ衷心ヨリ悦居候
ウツヅ大使ニハ当地ニ於テ屡々会見、意見ヲ交換致候、尊示ノ如ク同大使ハ、日米ノ親善ヲ以テ我国ニ来任シタル使命トマテ致居ラレ候ニ付、明春米国ヨリ帰任ノ上ハ、必ス両国ノ親交ヲ増進スル一新機軸ヲ画スルニ至ルベシト期待致居候
近来特《(殊)》ノ外多忙ニ紛レ、尊書ニ対スル拝答ヲ怠リ、誠ニ欠敬ノ至リニ御座候、御寛容被下度候 匆々敬具
                       渋沢栄一
  大正十二年十二月十九日



〔参考〕読売新聞 第二二二二三号昭和一三年一二月一〇日 ウツヅ元駐日大使(DK340034k-0017)
第34巻 p.352 ページ画像

読売新聞 第二二二二三号昭和一三年一二月一〇日
    ウツヅ元駐日大使
〔フイラデルフイア八日発同盟〕元駐日米国大使サイラス・ウツヅ氏は、十一月一日より当地において入院加療中であつたが八日逝去した、享年七十七、同大使が日本在任中大正十二年の関東大震災に際し罹災者救済のため尽した努力と功績は、いまなほ日本国民の記憶に新な所である