デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.352-371(DK340035k) ページ画像

大正13年6月18日(1924年)

是日、当委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ノ成立ヲ見タルニヨリ、今後当委員会ノ執ルベキ態度ニ就テ討議ス。栄一、軽挙ノ不可ナルヲ説キ、両国親善ノタメニ努力センコトヲ述ブ。


■資料

日米関係委員会往復書類(一)(DK340035k-0001)
第34巻 p.353 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)(渋沢子爵家所蔵)
拝啓時下益御清適奉賀候、然ハ今般新内閣組織セラレ候ニ付テハ日米問題ニ対スル新政府ノ取ラルヽ方針及本会ノ同問題ニ関シテ取ルベキ将来ノ方針ニ付キ、御協議願度ト存候間、来十八日午後五時ヨリ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ御来会被成下度候、此段御案内申上候 敬具
  大正十三年六月十四日
                日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同    藤山雷太
    委員各位
  御諾否同封端書ニテ御回示被下度候


日米関係委員会集会記事摘要(DK340035k-0002)
第34巻 p.353-355 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会、大正十三年六月十八日午後五時於銀行倶楽部開催
  出席者
  渋沢子爵・金子子爵・森村男爵・大倉男爵・団博士・添田博士・藤山雷太氏・小野英二郎氏・一ノ宮鈴太郎氏・浅野総一郎氏・服部金太郎氏・山科礼蔵氏・頭本元貞氏
  (幹事)服部氏・増田氏・小畑氏
渋沢子爵座長 別紙記載の順に従ひ前回の委員会後起りし事柄を報告せられ、特に牛島氏との交渉に関し同氏との間に交換せられたる往復電報を披露せらる
    八時二十分再協議
渋沢子爵 子爵はライマン・ケージ氏《(ライマン・ゲージ)》の書面及同氏が大統領に対して発したる電報と、シヤトル市のローマン氏より寄せられたる書面を幹事(小畑)に朗読せしむ、子爵の提案なる日本銀行総裁を本委員会々員に推薦すること、及井上準之助氏は従来の通り会員として留らるゝ様同氏帰朝次第交渉すること等は原案通り可決せらる、前総理大臣及外務大臣松井氏と渋沢子爵・金子子爵・団博士との会見談の要領は政府としては此際人を派遣せざることゝせり、蓋し埴原大使よりの電報によれば此際如何なる使者を派遣するも何等功なきが故中止せらるべしといふにありし由
添田博士 博士は左の如き提案をなして委員会の考慮を請はれたり
 一、政府に対し本委員会より左の建議を為すこと
 (イ)国内の人心をして失望に陥らざらしむる為め、速に両国最高委員を設置すること
 (ロ)速に駐米大使を派遣し完全対等なる条約締結の準備に着手すること
 (ハ)不当有害なる宣伝暴利《(マヽ)》の取締を厳にすること
 二、国民をして日米問題に正当の理解判断を得せしむる為め、本委員会は左の手段を講すること
 (イ)全国に亘り講演会を開催すること
 (ロ)有力なる新聞紙に材料を供給すること
 (ハ)平易廉価なる印刷物を頒布すること
 - 第34巻 p.354 -ページ画像 
 三、米国の同志若くは団体に向つては上記本委員会の執れる手段を通報し、米国に於ても同一主旨を以て活動尽力を求むること
頭本氏 予は諸君と異れる意見を抱き、或は極端論者と思はるゝやも知らんが兎に角一言すべし。米国の新聞紙は一般に同情を表すれども、此場合を如何に切抜けるかといふ点に気が附いて居るものは無い様である。吾人は何処までも強く米国人に日本が今回の移民法によりて大に侮辱されしといふことを感ぜしむる必要がある、即ち日本政府をして飽まで抗議を継続せしむることである。又本委員会としては之を解散することである、而して解散と共に一種の宣言を発表し、米国の最高政治機関が日本に対して斯る侮辱を加へし以上は他の親善機関の如きは無力なりと考ふるが故に、日米委員会の如きは之を解散するものなりと称して、責任を米国に負はしむることなり。軽卒にも当方より使者を派遣するが如きは当方の弱点を裏切るものにて、恐らくは此際渋沢子爵が出馬さるゝとしても功果なからん……云々
藤山氏 此際沈黙を守るは主戦論者に機会を与ふることゝならざるか
山科氏 頭本君の意見も一案なりと思ふが、予としては日米委員会の活動すべきは斯る場合に於てゞあると思ふ、即ち当関係委員会と米国の関係委員会との協力を計り、爰に善後策を講ずべきものと思ふ
浅野氏 予は政治上無知なれども、事業上・商業上より考へ此際渋沢子爵に出馬を願ふて時局を収拾するより外に道はないと考へる。日米両国の関係は切つても切れぬ中なれば、何処までも先方の諒解を求むることを肝要とす。穏便なる手段に出づるを得策とすべし
渋沢子爵 頭本君の意見も此際大に考ふべきものと思はるゝが、世間では本委員会を目して比較的穏健なものと考へて居らるゝと思ふ、故に若し此場合之を解散するが如き事あらば国内に及ぼす影響は甚だ宜敷ないと思ふと同時に、米国の友人等も其理由を知るに苦むなるべし、此等の点は慎重の考慮を要することゝ思はるゝなり
団氏 此問題は非常に重大なる問題であつて、一歩を誤らんか国家の破滅を来すものとならざるとも限らざるなり。従つて官民共に相協力して適当の策を講すべきものと思ふ。若し我新政府が之を重大問題と考へられざるならば、吾人は政府を鞭撻して問題の真相を悟らしむる必要あるべし。故に先づ政府の方針を確め、然る後断乎たる処置に出づべきものと思ふ
藤山氏 団氏と同意見なり
渋沢子爵 政府にも聴く必要あるが、又当方より凡その意見を定めて若し尋ねらるゝならば斯くと答ふるを善しと思ふ
浅野氏 政府に聴くよりも寧ろ民間より案を具して政府に迫るを此際取るべき方針と思ふ
小野氏 団君と等しく此場合を重要視するものゝ一人なり、由つて本委員会の如きは卒先して時局の解決に努むへきと思ふ、就ては本委員会より小委員を挙けて政府当局と協議の上最善の策を講ぜられ度きものである
渋沢子爵 本問題の取扱を常務委員に托せられては如何
 - 第34巻 p.355 -ページ画像 
団氏 最初に渋沢子爵が単独にて政府当局と懇談せられ、然る後藤山常務委員と共に交渉せらるゝを便宜と思ふ
加州同胞代表者渡来の件に関しては、代表者の渡来を妨げずとの点に一致せり
   午後十時散会

大正十三年六月十八日於銀行倶楽部
日米関係委員会
報告事項
一本年度経営資金追加トシテ金五百円宛ノ払込ヲ請フニ至リシ件
  本年度経営資金ハ先キニ金五百円宛ノ払込ヲ受ケシガ、春来排日移民問題ニ関シ米国ニ発送シタル電報ノ料金多額ニ上リ、又本月二日ウツヅ大使ノ送別会開催等ノ為メ自ラ資金ニ不足ヲ生スルニ至リシヲ以テ、本件ノ払込ヲ請ヒシ次第ナリ
二五月廿一日(前回会議)ノ決議ニ依リ取扱ヒタル事項
 一日本政府ニ対スル希望条件ヲ齎ラシテ清浦総理及松井外相訪問会談ノ件
 二排日移民法案ノ阻止ニ関スル最後ノ電報発送ノ件
  五月廿二日発電々文別紙ノ通
  右宛先別紙通
  右発電ニ対スル返電三件別紙ノ通
三シヤンク外四氏トノ電報往復及ライマン・ゲージ氏ヨリ米大統領宛電報ノ件
  電報ハ別紙ニアリ
四太平洋沿岸在留人種調査ニ関スル件
五シヤトル市ローマン氏ヨリノ書翰○次掲
   ○別紙ヲ欠ク。但五月二十二日発栄一名義電報、返電、シヤンク外四氏電報ハ前掲(大正十三年五月二十二日ノ条)。ゲージノ米大統領宛電報ハ後掲。


(ジェームズ・ディー・ローマン)書翰 渋沢栄一宛一九二四年五月一日(DK340035k-0003)
第34巻 p.355-357 ページ画像

(ジェームズ・ディー・ローマン)書翰 渋沢栄一宛一九二四年五月一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
          SEATTLE, WASHINGTON,
   LOWMAN BUILDING, FIRST AVENUE AND CHERRY STREET
                     May 1, 1924.
Viscount Shibusawa,
  No. 1 Yaesucho Itchome,
  Kojimachiku, Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa:
  We on this side have been very much exercised, the same as you, about the new immigration law and have been doing everything we could, both with Congressmen, Senators and with the Administration. After the Bill has passed the House of Representatives, we centered all our efforts through Senator Colt, Chairman of the Senate Committee, and while our efforts fully convinced him and his friends, on the final vote they were
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 overwhelmed by the opposition.
  Many of the men voting for the law took advantage of the little indiscretion in Minister Hanihara's letter and voted what they thought was in the interest of their own political views. In fact our present Senate and House are both considerably below par as statesmen and are what are commonly known as politicians.
  We are also at a great disadvantage just now as a result of the war, which took in a great many young men of quite recent foreign parentage, and on their return they formed what they called the "American Legion" and through this body with constant agitation and working on the politicians they were able to frighten very many into their views when it came to a vote.
  Propaganda of this kind, fathered by an organization of returned soldiers, no matter how vicious it is, is very hard to counteract.
  As you and all of your people who are well acquainted with America and our complex form of Government, can readily see how handicapped we are in a contest of this kind. We were able to fully convince the President and Secretary Hughes of what should be done, but even they were somewhat helpless against these politicians.
  I am, however, very glad to see the view you take in this matter as indicated in your cablegram, as it coincides with our view here. No matter what happens, we will all do our best to correct anything that is done to injure the good feeling between our two countries.
  Hoping you and the Baroness《(Viscountess)》 are well, I remain,
          Very sincerely yours,
             (Signed) J. D. Lowman
JDL: rd
(右訳文)
         (栄一鉛筆)
         六月十六日一覧 明後日之委員会に持参可致候事
 東京市                 (五月廿一日入手)
  渋沢子爵閣下      沙市、一九二四年五月一日
                 ジエー・デイー・ローマン
拝啓、私共米国人は閣下と同様新移民法に対して大いに憂慮致し、上下両院議員及政府に対して能ふ限り対策を講じ候、同法案の下院通過後は私共は上院委員長コルト氏を通じて全力を挙げて運動致候為、同氏を始め友人諸氏の充分なる賛成を得候へども、悲しい哉最後の投票に際し反対派の為に一蹴し去られ候
議員の多くは埴原大使の書翰中に在る言葉尻を捕へ之れを利用し、政
 - 第34巻 p.357 -ページ画像 
党的見地よりして自党に有利なりと思惟する方に投票致候、事実米国現在の上下両院は政治家としては甚しく低級にして、所謂政治屋と称すべき類に属するものに御座候
吾等は大戦の結果甚しく不利の地位に在るものに候、即ち大戦に際し外国人を両親とする青年は多数参戦したるが、彼等が凱旋するや所謂「在郷軍人団」なるものを組織し、此の団体を通じ不断擾乱と政治家を操縦する事とにより、投票に際し多数議員の意見を変更せしむるに至り候
在郷軍人団の後援を有する此種の宣伝は如何に良からぬものと雖も、之れに反抗する事は甚だ困難に御座候
閣下を始め、米国並に錯雑せる米国の政体に就て御熟知の方々は、此種の争に関して如何に吾等は劣勢の地位に在るかは充分御承知の事と存候、私共は大統領及ヒユーズ国務卿に対し如何なる手段を執るべきかにつき充分なる確信を与ふる事を得候へども、此等の人々と雖も右の如き政治家に対しては幾分無力なるを免れず候
貴電によれば本問題に対する御意見は、私共の意見と符合するもの有之を見受け欣快に存候、如何なる事有之とも両国の親善を傷くるが如き事に対しては、私共は全力を尽して其訂正に尽力可致所存に御座候
閣下並に令夫人の御健康を祈り奉り候 敬具


渋沢栄一書翰 控 ジェームズ・ディー・ローマン宛一九二四年七月一一日(DK340035k-0004)
第34巻 p.357-358 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ジェームズ・ディー・ローマン宛一九二四年七月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                      (栄一鉛筆)
                      七月一日一覧
      案
 華州シャトル市
  ジェー・ディー・ローマン殿
                   東京 渋沢栄一
拝復、五月一日付の貴書正に落手難有拝誦仕候、然は今回米国議会を通過せし排日条項を含める移民法は、愈々七月一日を以て施行せらるることゝ相成候に付て、其径路を詳細に御通知被下候御懇情に対し、厚く御礼申上候、老生は米国が欧洲戦争の際当時国内に統一を欠きし為種々なる困難に陥りしに懲り、近来切りに米化運動に熱中せらるゝ結果移民法改正となりしものなることを了解し、且其の苦衷に深き同情を表し居候間、此意味に於ける移民制限法には決して反対するものには無之候得共、老生之深く遺憾とする処は、西海岸に於ける排日家の不当なる宣伝に瞞着せられたる米国議会が、友邦の親善を無視し其国民の希望に一顧を与へずして、排日条項を通過せしめたる一事に有之候、御書面中「米国現在の上下両院は政治家としては甚しく低級にして所謂政治屋と称すべき類に属するものに御座候」との御批評を伺ひ、国の東西を論ぜず所謂政治屋なる輩の頼むに足らざることを一層痛感仕候
要之今次の排日条項の通過は、一、米国議会の取れる方法の不道理にして非外交的なること、二、日米両国の親善を最も良く維持し来れる紳士協約を無断に破毀して、日本人を他の亜細亜人種と同一線上に立
 - 第34巻 p.358 -ページ画像 
たしむるに至りしは、日本国民に差別的待遇を与ふるを原則として為したる悪意の行為なること等を表明するものに候
此二点は日本国民が米国民に対して抱ける友情を蹂躙したるものにて我国民の憤慨決して故無きにあらずと思惟仕候
乍去単に過去を悔むのみにして善後策を講ぜざるは、御同様穏健に国家を憂ふるものゝ取らざる所に候得ば、貴台の如き有力者の援助により一日も早く現状を打破して従来の国交を挽回致し度次第に候
右御回答旁得貴意度如此御座候 敬具
  大正十三年七月一日
   ○右英文書翰ハ七月十一日付ニテ発送セラレタリ。


(ライマン・ジエー・ゲージ)書翰 渋沢栄一宛一九二四年五月二日(DK340035k-0005)
第34巻 p.358-361 ページ画像

(ライマン・ジエー・ゲージ)書翰 渋沢栄一宛一九二四年五月二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
         CUYAMACA CLUB
        SAN DIEGO, CALIFORNIA
               Point Loma, California,
                   May 2nd, 1924.
Dear Viscount Shibusawa:
  Pending final action by our Government on the new Immigration Act, my thoughts have gone across the Pacific to you and the other friends in Japan, with whom our little party of Americans met in daily council for six successive days in 1920.
  I am deeply grieved that legislation so inimical to your people should be formulated in terms so humiliating to your national pride and self-respect.
  I want to have you understand, if possible, that the sentiment of a large part of our people, if not a majority, is in opposition to the Immigration Bill as it now stands.
  I am enclosing a copy of a telegram sent by me to the President, which I am certain embodies the thought of thousands of our people. I will not enlarge upon that message to the President. I am only hoping that it, with many others similar in tone, will lead to a modification in the bill as now formulated.
  That your people should be excited, sore and indignant, with our attitude as it is expressed in that Bill, is natural and inevitable. In any case, however, whether this Bill becomes a law as now formulated or by modification in form and extent, I earnestly hope your people will be patient and rise superior to the injurious implications incidental to the Act.
  Nothing is to be gained by indulging in bitterness or the spirit of hostility. We must trust to time to bring us a better day when prejudices, ignorances and intolerances will give way to the higher sentiments of good will, justice and equity, and a broad sense of international brotherhood, which shall govern
 - 第34巻 p.359 -ページ画像 
 human action.
  Everything indicates that as yet humanity has not advanced along this higher road. Men like you and Kaneko, and scores of others in your land, have done much to open that road.
Many here are helping in that direction. Let us not despair.
  The ways of the Gods are beyond our understanding.
  Let us humbly walk, cherishing still courage, faith and hope. Those who do that will truly serve the present and the future, and rising beyond the limitations of Race or creed, be one in Spirit.
  Please remember me most kindly to your secretary, Mr. Obata, whose courtesy and kindness I still remember.
            Sincerly yours,
            (Signed) Lyman J. Gage
(右訳文)
               (栄一鉛筆)
               五月三十日落手一覧
拝啓、新移民法案に対する吾政府の最後の決定を見んとするに当り、小生は遥に一九二〇年に六日間に亘りて吾々米国人の小団体が御協議致したる、閣下を始め其他の日本の友人諸君を想起致候
日本国民に対して甚しき悪感を抱かしむる法律が、日本の体面と名誉とを損傷すべき文言を以て綴られんとするは遺憾に堪えざる処に候
米国民の大部分は、よし過半数と迄にはあらざるも、今日彼の移民法案に対して反対の意嚮を有し居事を御諒解被下度候
大統領に宛て発送したる小生の電報写同封致置候間御覧被下度く、右は米国民幾千人の意見を代表する事明瞭と存候、小生は大統領への右電文を玆に更に敷衍せんとする者には無之候得共、小生は兎も角該法案に変更の加へらるゝに至らん事を希望罷在候
右法案中に表はれたる米国の態度に対して、日本国民が激昂し悲傷し且つ憤怒せらるゝは当然のことにして避くべからざる事に候
然乍ら該法案が今日の儘若くは形式又は範囲に変更を加へて法律と相成候暁に於ても、貴国民が忍耐し、該法案の迫害的文言に対して超然たる態度を取らん事を熱心に希望仕候
怨恨又は敵意を抱くことにより吾等は何等得る処可無之、偏見・無知及狭量が一掃せられ親善・正義・公平及び国際的同胞心等が之に代りて人類の行為を支配する日の来らん事を期待せざるべからずと存候
人道が今日猶ほ理想の域に進み居らざる事は凡有ものによりて明に御座候、閣下及金子子爵を始め、貴国の多数の人々は此理想に至るべき道を開拓せんと努力せられ、又我国にも多数の後援者有之候へば、絶望せられざらん事を希望罷在候
神の道は到底吾等の諒解し難き処に御座候
吾等は今猶ほ勇気と信仰と希望とを抱持し居候へば徐々に道を歩み度く、斯くてこそ吾等は現在にも将来にも貢献し得べく、人種及信条を超越して精神的に調和協力するを可得と存候
小生が厚き御世話を蒙りたる閣下の秘書役小畑氏にも何卒宜敷御伝へ
 - 第34巻 p.360 -ページ画像 
被下度候 敬具
    渋沢子爵閣下
              加州ポイント・ローマ
                ライマン・ジエー・ゲージ
  大正十三年五月二日
   ○同封セル大統領宛電報写ハ次掲ノモノナリ。
           (COPY)
          WESTERN UNION
            TELEGRAM
          San Diego, Calif., April 21, 1924.
His Excellency President Coolidge,
  Washington, D. C.
  I earnestly hope you will return the Immigration Bill with your veto. The clause in act which operates by its effect to bar Japanese is unwise, cruel and unjust. Under the general quota provisions of the bill, the immigration of Japanese will be inconsequential at best. Why strike in the face a would-be friendly people? Why insult their national pride? Why alienate their friendly feeling and good will? They can be made wise interpreters for us in the problems of the Far East. They can be our useful coadjutors and helpers in the progress of a better international life. They are worthy of our confidence and respect. Let us not be arrogant and contemptuous toward those would be our friends. The question of Japanese immigration can be best settled, if settlement is needful, by a treaty with Japan which, with mutuality as its foundation, can be easily negotiated, whether as to admission of its nationals or as to their exclusion. Whatsoever we sow that likewise we shall reap. I am not speaking alone. Many voices echo the sentiments here expressed. Don't permit seeming political expediency to bar the path of equity, justice and good will.
                 LYMAN J. GAGE.
(右訳文)
               (栄一鉛筆)
               一覧快を覚ふ、五月三十日
    電報写
 華盛頓
  大統領クーリツヂ閣下
           加州サンヂエゴ、一九二四年四月廿一日
                 ライマン・ジエー・ゲージ
移民法案は閣下の拒否を以て議会に却下せられん事を小生は熱心に希望す、該法案は日本人の入国を阻止せんとするものにして、愚劣、惨酷且つ不正なるものなり、移民法案に規定せらるゝコーターによれば日本移民の如きは一些事に過ぎざるなり。何故に友邦に対して侮辱を加ふるや、何故彼等の国家的体面を毀損するや、何故彼等の友情と親
 - 第34巻 p.361 -ページ画像 
善とを阻隔せんとするや、吾等は日本をして東洋問題の賢明なる解釈者たらしめ得るなり、日本は国際親善増進の為め吾国に取りて有益なる協力者又助力者として信頼し尊敬し得る国なり、吾等は此等の友人に対し倣慢不遜なるべからず、日本移民問題は、日本と条約を締結することによりて最も解決することを得べく、其条約も相互の関係を基礎とせば、日本移民の入国を許すにせよ、許さざるにせよ容易に締結するを得べし、吾等の播く所は軈て吾等の刈取る所となるべし、斯く言ふは独り余のみにはあらずして多数の人々の意見なり、浅薄なる政略をして公平正義、親善を阻害せしむる勿れ

渋沢栄一書翰 控 ライマン・ジェー・ゲージ宛一九二四年七月一七日(DK340035k-0006)
第34巻 p.361-362 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ライマン・ジェー・ゲージ宛一九二四年七月一七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一鉛筆)
                  七月十一日一覧
      案
 加州ポイント・ローマ
  ライマン・ジエー・ゲージ殿
                   東京 渋沢栄一
拝復益御清適奉賀候、然ば排日移民法拒否推奨の目的を以て大統領宛御発信相成候貴電の写御封入の五月二日付御書面正に難有拝誦仕候
今回排日条項を含める新移民法案が米国議会を通過するの惧あるを御憂慮相成候折柄、一九二〇年東京に於て開催せられたる協議会と、之に参列せる吾々とを御追想被下候由にて、御芳情を込められたる御申越真に感佩仕候
老生に於ても御書面に接し一九二一年渡米の際往年の御答礼を兼ね、貴台を御訪問申上げんとコロナド・ホテルに宿泊中、御高齢にも拘らず貴台が自ら自動車を操縦しつゝ御来訪被下、心惜き無く御歓談致候事と、御別れの際老生の健康を御憂慮被下、シヤトル及ポートランドは加州と異り気候も至つて不順なれば北行の際は特に注意すべし、との御勧告を御与へ被下候事ども思ひ起し、懐旧の情抑へ難きもの有之候、若し日米両国間の相互的了解と同情とが貴我の其れの如く徹底的に有之候はゞ、今日御同様の胸中に不安の波動を起さしむる所の国交蹉跌を見るが如きこと、万々可無之と歎息致したる次第に御座候
老生は貴台が大統領に宛てられたる電文を拝誦し、貴台の正義に横溢したる御意気に感服仕候、老生も四月十七日当市に於ける汎太平洋倶楽部の午餐会に於て一場の演説をなせし折、其の結論として大統領が新移民法を拒否して其意志を中外に発表せられんことを希望する旨開陳致候
米国議会が移民法を改正し、外国、特に欧洲より流入する外国人を制限して国家の統一を計らんとする必要に迫られ居ることは老生の諒察に難からざる所に有之候間、此意味に於ける移民制限は米国の国是を確立する点に於て肝要と相考へ候
過去七十余年間善隣の関係を保持し来れる両国が、ワシントン会議によりて更に従来の親善関係を一層密接ならしめしに拘らず、米国議会が排日を以て職業とする一派に乗ぜられ、排日的移民法を制定して両
 - 第34巻 p.362 -ページ画像 
国の感情を疎隔せしむるが如き状態に陥らしめしは返す返す遺憾の至に候
貴国に於ける政況は大統領選挙を中心として全く国内問題に沸騰し居るが如く察せられ候間、今回の排日移民法改正の為め又は斯る移民法を制定せしむるに至りし諸原因調査の為め、老生等の主張する高等聯合委員を両国政府より任命するが如きことは、適当なる時機に有之間敷と相考へ候へ共、此際何等かの善後策を講せずんば両国を益悪化せしむるのみと憂慮罷在候、時局緩和の為め御名案にても御考慮被下候はゞ幸甚至極に存候
右御回答旁得貴意度如此御座候
   ○右英文書翰ハ大正十三年七月十七日付ニテ発送セラレタリ。


集会日時通知表 大正一三年(DK340035k-0007)
第34巻 p.362 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年 (渋沢子爵家所蔵)
六月廿六日 木 午後二時半 加藤首相及幣原外相ト御会見ノ約(首相官邸)
   ○中略。
六月廿八日 土 正午 幣原外相ヲ御訪問ノ約(外務省)



〔参考〕日米関係委員会緊要書類(DK340035k-0008)
第34巻 p.362-364 ページ画像

日米関係委員会緊要書類 (渋沢子爵家所蔵)
         Japanese American Relationship
                by
            Viscount Shibusawa
  It is extremely regrettable that Congress had passed an immigration bill with the exclusion clauses which President Coolidge deprecated as "unnecessary". This is not only a sentiment on the part of the Japanese, but is also shared by many American friends of mine, as I can clearly see from their telegrams and letters addressed to me.
  Some laugh at and others blame me, saying that in spite of Shibusawa's retirement from business activities in order to devote his efforts to public welfare works, one of which is said to be the improvement of the Japanese-American relations, these relations are getting from bad to worse. Because of this, some of my colleagues are disappointed, and others are pessimistic, so much so that they persuade me to discontinue the "useless effort".
  But I entertain no pessimism on the Japanese-American friendship. I am not working for it to court popularity. Popularity or non-popularity is a matter of indifference to me. What concerns me most is whether or not am I doing my full duty as a loyal citizen of Japan and one of my present duties is to help promote our friendship between the two countries. I am therefore determined to go ahead in this work with sincerity and faithfulness, in cooperation with those of my American
 - 第34巻 p.363 -ページ画像 
 friends and intend to avail myself of every possible means, until good fruit is reaped.
  From many correspondences that I recently received from my American friends I learn that some of them exerted the utmost effort to prevent Gongress from passing the anti-Japanese bill, while others tried their best to persuade the President to veto it after the passage of the bill, and this they did not do merely as a matter of courtesy to Japan, but as a fight for the cause of justice and humanity for which America is renowned. Mr. Lyman Gage, ex-Secretary of the Treasury, for instance, is a friend of mine, who is now 86 years old, being my senior by one year; he forwarded to me a copy of the telegram which he had sent to Washington that he might persuade the President to eliminate the anti-Japanese clause from the new immigration law. Mr. Gage's great effort ended in vain, and so did the efforts by many American religious leaders and businessmen. But they are never discouraged, and are continuing their fight against the injustice. They agree almost unanimously on the view that the anti-Japanese sentiment has not been accelerated by any settled public opinion of the country, but by a passing impulse. Thus they wrote me urging that I should not be discouraged either.
  Frankly speaking, I consider even the existence of the Gentlemen's Agreement rather regrettable judging from the peculiar historic relationship between Japan and United States, for these two countries ought to remove all discriminative barriers and open their countries each to the other on a perfectly equal footing. Although such is my belief, yet things do not always move as reason dictates. Therefore I have been working on the conviction that the friendly relations between Japan and America should be maintained by fully entering into the actual condition in that country, with the Gentlemen's Agreement as the key to friendly relations. I discussed this question with the Japanese Relations Committee of San Francisco in January 1922, when I passed that city on my way home from New York. All the members present fully endorsed my views, and promised to exert the best effort to promote the friendship between the two countries.
  Congress ignored the proper method of referring the matter to the authorities of the Japanese Government in accordance with the spirit of the Gentlemen's Agreement, and capriciously passed the anti-Japanese bill. It was this hasty act of Congress that stirred up not only the Japanese, but also many intelligent Americans, as an insult to Japan.
 - 第34巻 p.364 -ページ画像 
  Americans are instinctive and decide a question quickly. This is an advantage and at the same time a disadvantage for them. America has made a wonderful progress among the Powers on account of this characteristic, but she has also incurred upon her various misunderstandings or complaints from other countries for the same. I hope that this strategic trait of Americans should be utilized in such a way as to promote the permanent friendship between Japan and America.
  (別筆)
  本論文は新聞記者服部毅氏が子爵の御口授を受けて綴りしものを訂正したるものゝ写なり、原稿は大正十三年九月十八日午前速達便を以てジヤパン・タイムス社気附服部氏へ送付せり。



〔参考〕AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA. pp.298-310. Nov., 1937(DK340035k-0009)
第34巻 p.364-365 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA pp. 298-310 Nov., 1937.
         CHAPTER XIII
     IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS
  ………………
          SIDNEY L. GULICK
                   January 2, 1936
                   Ashland, Oregon
  ………………
  Probably nothing in his long life more deeply grieved and disappointed the Viscount than the ruthless Asiatic Exclusion Law adopted by the United States Congress in 1924. Yet notwithstanding that grievous disappointment, he never gave Up hope that in due time the people of the United States would see the light and would practice the Golden rule. It was his influence, I doubt not, that had much to do with the adoption by the Japanese Government of the sane and dignified policy of protest without threats of any kind and of declaring its belief that America's sense of justice and fair dealing on which it relied would in the end lead it to remove the humiliating stigma which the United States Congress had placed upon Japan by that exclusion law.
  ………………
            Ever cordialy yours,
             (Signed) Sidney L. Gulick
  ………………
          D. B. SCHNEDER
  ………………
  I met him rather often after that first meeting. My wife sometimes went with me, and occasionally talked to him an imitation of the Sendai dialect, to his great amusement. Always
 - 第34巻 p.365 -ページ画像 
 just before going to America and soon after returning I would go to him. His desire for cordial relations between Japan and America was genuine and deep. Once my departure for America occurred soon after some anti-Japanese legislation had been passed. He was deeply disappointed and wounded. He said, "We must not be selfish; we must think of the interests of other nations as well as our own." It reminded me of the words of St. Paul: "Look not every man on his own things, but every man also on the things of others." But he believed that kind and fair treatment of Japan would redound to the welfare of America as well as Japan. The passage of the Japanese exclusion act was to him the severest blow. But he had the magnanimous confidence that America itself would eventually right that wrong. Thus far, unfortunately, his confidence has not yet been justified.
  ………………
                  (Signed) D. B. Schneder



〔参考〕太陽 第三〇巻第七号・第二―六頁大正一三年六月一日 当年憂国の少年 子爵渋沢栄一(DK340035k-0010)
第34巻 p.365-369 ページ画像

太陽 第三〇巻第七号・第二―六頁大正一三年六月一日
                   子爵 渋沢栄一
    当年憂国の少年
 今回米国に於て排日案が上下両院を通過したことについては、従来私共の如く、この問題について多年関係してゐるものにとつては、遺憾この上もない次第である。勿論この問題を遺憾に思つて居るものは私一人ではないのであつて、苟も日本国民である以上この観念のないものは恐らくあるまい。随つて私がこの問題を我物顔にふるまふのは勿論烏滸がましい次第ではあるが、よく考へて見ると私がこの問題に関係する様になつたのは可成古いことであり、而も私は米国に対し少年時代から或る親しみをもつているといふ様なことは、私を駆つてそこに又格別の深刻な遺憾を感じさせるのである。
 私は生来漢学によつて教養された結果として、天下国家の問題に思を致す様に素養づけられていた。丁度私が十四歳の時米国のペルリは黒船に乗つて浦賀に来たのである。ペリー提督の来航は、当時日本朝野の迷夢を破つて喧々囂々の声は天地に満ちて居たのである。『鎖国主義を破るべし』『米船を討つべし』の声はいたるところに喧噪を極めた。当時十四歳の憂国の少年は、この米船に対して切歯扼腕したものであつた。
 当時漢学者の頭を支配していたものは、攘夷の論であつた。当時のこの鎖国主義即ち国家主義は、憂国の少年である私の頭を支配した信念であつた。
 又その頃『清英近世談』といふ書物があつて私も愛読したものであるが、それには支那と英国とが阿片問題で戦端を開いて、英国は遂に支那の香港をとつてしまつた様ないきさつが書いてあつた。あれやこれやで、我国に於ても『佐幕派』と『討幕派』とに分れて、盛んに議
 - 第34巻 p.366 -ページ画像 
論が沸騰したのであつた。私もかゝる空気に培はれて、それ等の問題に興味をそゝられ乍ら、頑強なる国家主義として、力んだものであつた。
其後私が三十歳前後の頃だつたと思ふが、私は幕府の命を受けて徳川民部太夫に随行して仏国に行き、彼の地及欧洲の事情を詳かにするに及んで、従来把持してゐた鎖国主義では到底駄目であつて、是非とも外国と修交を結び、交易を図り、彼の地の文物の輸入を図らねばならぬといふ思想に変遷したのである。即ち私の鎖国攘夷の思想は、一変して開国修交主義の思想となつたのである。
    私のアメリカ感
 遂に我国は、開国主義をとつて外国と修交を結ぶ国策が樹立されたのであるが、その修交諸国の内、最も私の銘感を深くした国は即ち米国であつた。彼の国の政体なり人情なり詳かにする様になつてからは一層その感を深くするのであつた。
 殊に下関事件や治外法権撤廃問題等に関しては、第一にその誠意を現はすといふ様に、彼の国の態度は正義人道を重んじ且つ親切であることを益々深く信ずる様になつた時、かつて少年時代にもつた排米攘夷の思想の邪をさとると共に、それに倍する親米の感情が油然として湧き出るのであつた。
 爾来日米の親交は年と共に加はり、その貿易は順調に進み、殊に輸出生糸の如きは、其七・八割は米国に向けられる様になつた。又日本人は賃金も安くて能率があがるといふので、彼国の資本家に盛んに歓迎された結果として、日本の移民は漸次加州其の他太平洋沿岸に集中される様になつた。
 この様な状態で、両国の親善は益々増長しつつあつたのであるが、一九〇三年頃から、両国の親善に一沫の暗雲がたゞよひ始めたのである。それは日露戦争に関聯して起つたことではあるが、全く遺憾なことである。私はこの間の消息及び私の米国に対する感情は、過日或米人の訣別式の会場でも親しく話したことであつた。
 日露戦争当時、我国が露国に打ち勝つといふ様なことは夢想だにもしなかつたことであつた、殊に米国に於ては、日本は必ず敗けるものと決めてしまひ、又日本が勝つといふことを喜ばぬ風があつた。然るにその予想に反して日本は連戦連勝の勢で露国に肉迫せんとする様になつた。そうしてゐる内にかくて米国の大統領ルーズベルトが両国の講和を斡旋し、遂にその講和もまとまつたわけであつたが、そのために我国民の予期した成績が得られなかつたので、それは皆米国の不親切によるものだ等と、加州辺では戦勝国を傘に着て、米人にあたり散らすもの等もあつた様である。この様なことが原因となつて、先づ加州に排日運動が起り、遂に日本学童の差別待遇だとか日本人の職業に制限を設けるといふ様に、益々排日問題が具体化し出したのである。これは確かに一九〇五年頃だつたと思ふが、私はこれは重大問題であつて、単にこれを外交官のみの形式的問題として置くことは出来ない真の国民外交によらねばならぬと思つて、その国民外交に微力を尽す様に決心するに至つたのである。
 - 第34巻 p.367 -ページ画像 
    三ケの排日主因
 其後引き続いて日本移民の排斥問題は漸次、かまびすしくなりつゝあつた。そこで機を見るに敏なるルーズベルト大統領は日本と日米紳士協約を締結し、所謂条約を設けずして、両国間の移民問題を単に紳士的に協定することにしたのである。けれどもこれは単に仮協定の様なものであつて、これによつて日米間の移民問題を根本的に解決すべき性質のものではなかつた。
 私は当時の外務大臣の小村侯爵とは懇意な間柄であつたので、小村侯は日本の商業会議所が米国の主なる商業会議所に連絡をつけて、日米の親善を図つてくれといふ様な相談をもちかけられた。当時私は商業会議所の会頭を中野武営氏に譲つてゐたので、会議所とは直接関係はなかつたけれども、矢張中野氏から何彼と相談を受けてゐたし、又一国民としても、日米問題の解決の衝に当りたいと考へてゐた際であつたから、私は喜んで小村侯の請を容れて、明治四十一年には米国の商業会議所の代表者を招待した。そしてその翌年には米国の商業会議所から招待されて、吾々は渡米して互に親善を図つた様な次第であるが、それ等も両国間の国交上に及ぼした影響は決して少なくなかつた様に思ふ。
 米国に於ける排日問題はこの様にして今日に至つて居るのであるが私の様にこの問題を我物顔にふるまつたものにとつては、今日かゝる悲しむべき形勢に立ち至つたのは、かへすがへすも、遺憾なことである。而してその原因は、既に述べた様にその発端が単にある感情上の問題であつたが、今日に至つてはそれに色々の理由が、くつついて来てゐる様である。
 先づ第一は、日本人の性格が米国の国民性に同化しないといふことである。即ち一国内にその国に同化しない人種の雑居してゐるといふことは、その国の平和を破るといふのである。人種や宗教を異にすることの出来ないことであるから、有色人種の帰化権や移住を禁止するといふことは米国の融和を図る上にもつとも必要なことであるといふのである。これは主として知識階級から称へられてゐる主張である。
 次に第二は、労働者階級からの経済的原因による排斥である。これは米国の人口が稀薄であつた間は問題とならなかつたのみならず、日本人が労銀が易い上に能率が上るといふので盛んに歓迎されたものである。然るに漸次人口増加し、彼の国の労働者も増加するに従つて、白人労働者側から起つた問題である。即ち日本の労働者は労銀が安く勤勉で、而も葡萄栽培の如きは特殊の技倆を有するといふので重宝がられる。随つて白人労働者の生活を脅威する点に於て、彼等の極力排斥するところとなつてゐる。
 又米国は国籍法に属地主義をとり、我国は属人主義をとつてゐる関係上、そこに又二重国籍問題が横はつてゐる。例へば米国で生れた子供は、属地法によつて米国人として登録し、我国は属人法であるから又同一の子供を日本人として登録としてしまふ。そこで二重国籍となつて、又問題が惹起するのである。而もそれ等の親は大抵は英語を解しないし、又何時日本へ帰国するかも知れないから、その子供等にも
 - 第34巻 p.368 -ページ画像 
日本語を教へる。そして日本人が集まれば必ず日本村を建て、日本風を発揮することなどが排斥される原因ともなつてゐる。
 この様なことが原因となつて、彼等は徹底的に日本人を排斥する様に色々の運動を起してゐる。そして遂に大正二年には、日本人の土地所有禁止法案を制定し、大正九年には、一層それを強めてしまつた。
    両国当局者の誠意を疑ふ
 曾つて米国の大審院が帰化権のない人に対する判決をした時に、私は多少移民法の改正を生じはすまいか、『霜を踏んで竪氷に至る』の語の通り、将来移民法の改正をなすの素地ではないかとあやぶんだのである。私は政府に向つて頻りにこれが勧告につとめたのであつた。それのみならず、加州議会及び加州に於ける排日政策の露骨なる態度に対する毎に、一時的の弥縫策では駄目であつて、これが根本的な解決をしない限り、我対米同胞と日米の国交とに憂慮すべき結果を招来するものであるといふことを主張してゐたのである。
 而してそれが対策として米国政府との諒解の下に、両国から出した委員によつて高等委員会を組織し、其の委員会で十分調査研究した結果を、両国政府に於て条約或は協約としてこれを締結すれば、此長年の懸案もその解決が容易であると思つて、政府に再三建議したけれども、夫れは不幸にして容れられなかつた。これは日米関係を憂慮してゐる日米両国の同志によつて組織された『日米関係委員』(これは米国の桑港・紐育にもあつて、彼の国では米日関係委員と称してゐて、彼の国の政府にも建言したことがある)によつて劃策し建言したのであるが、これ等に対して我政府が拱手側観してゐる間に、米国議会の形勢は急顛直下し、今や徹底的排日法案が上下両院を通過し、日米の関係は一層暗澹たるものになつた。ルーズベルト大統領の時代に締結した紳士協約によつて今日迄、不完全乍ら守られて来たのであるが、これも米国議会は紳士協約はたゞいはゞ私的のものであつて、条約ではないのであるから、遵守すべき必要は毫もないといつて否認してしまつた。こゝに於て吾々は殆んど頼みの綱もきれてしまつたといふもの、誠に憂慮に堪へない。今更愚痴をこぼす様ではあるが、今日迄に今少し両国政府が本問題を解決する誠意と熱心とがあつたならば、か程迄に紛糾しなくとも事を未然に防ぐことが出来たではないかと思ふのである。そして私は、かつて政府に建言したことが決して無駄ではなかつたと信じてゐる。
    最後に残された問題
 たゞ最後に残された問題は、即ち吾々のとるべき手段は、米国国民の衷情に訴へて其の失はれつゝある正義人道を取戻すことである。野にある米国の国民の輿論によつて、彼の誤りを反省せしめることである。私は決して日本だけの都合のいゝ様に、或は有利に導くことを主張するものではない。苟くも正義の存するところに向つて解決したいと希望する者である。
 過日も米人のテニー、アキシリング両氏の留別の会があつて、私も出席したのであるが、氏等も今回の米国議会の態度は、全く米国の恥辱であつて、米国の政治史に汚点を印したものであると極力これを非
 - 第34巻 p.369 -ページ画像 
難し、吾々は帰国しても、微力乍らその非を正す様に努力することを誓はれた程であつた。又新聞紙の報ふ《(すカ)》るところによると米国民の輿論もこれを非として、極力非難してゐる様であるが、さもあるべきことであると思ふ。正しき道理は最後の勝利である。善は年久うして必ず蘇生するものであることを信ずる。儒教に『善は最後の勝利者也』といふことがあるが、私はそれは儒教だけの教理ではなく、又基督教の教理でもあらうと思ふ。して見ると基督教の国民である米国人がそれ位見易い道理のわからないといふ筈がない。
 今回の米国議会の態度は、飽く迄正義人道を無視した態度であつて其の非なることは今更喋々を要しないことである。正義は最後の勝利者である。彼等がその非を悟る時の来ることを信じて疑はぬ。そして私は公正な人道的戦士タンセント・ハリスの面影を思ひ浮べて、限りなきなつかしさを感ずるものである。(完)



〔参考〕報知新聞 第一七〇一六号 大正一三年六月一八日 米貨排斥を財界はどう見るか(一) 大国民として自重せよ 渋沢栄一子(DK340035k-0011)
第34巻 p.369 ページ画像

報知新聞 第一七〇一六号大正一三年六月一八日
  米貨排斥を財界はどう見るか(一)
    大国民として自重せよ
                      渋沢栄一子
 最近各地の流行のやうになつた米国品のボイコツト運動は、そのよつて起つた動機においては真剣であつても、その
△選ばれた手段 は決して賢明の沙たでない、恰かも支那の日貨排斥を笑つた国民が同じ愚策を繰り返すことになるのであるから、大国民として大いに自重せねばなるまい、しかしこれとぜい沢品の不買同盟とは、全く別の問題である、若しも質実剛健の主義を以て奢し品の排斥を実行するとすれば、これは必ずしも米国製品と限らない、たとひ日本製品であらうと
△ぜいたく品の 使用制限は大いに必要である、もちろん米国の排日法実施は甚だ遺憾の事実であるから、われわれとしてはどこまでもこの悪制度の取消しのために各自が努力すべきである



〔参考〕東京朝日新聞 第一三六六七号大正一三年六月二〇日 此上の手段は 渋沢栄一子談(DK340035k-0012)
第34巻 p.369-370 ページ画像

東京朝日新聞 第一三六六七号大正一三年六月二〇日
    此上の手段は
                     渋沢栄一子談
日米問題も玆迄進展して来ては、適切なる解決法を発見することも頗る困難になつて来た、最初排日法案が米国議会に提案せられたとき、自分共は容易ならざる問題と思つて早速当時の政府に進言して、官民協力して議会を通過せぬ様に最善の努力をなすべきことを力説し、場合によつては民間から相当有力者を渡米せしめてもよいと云つたが
外務省や 駐米大使の方では左様な必要はないのみならず、却つて問題解決に不利な結果を齎す様になつてはよくないからとの理由で断られた、然るに排日法案は彼の如き圧倒的多数を以て上下両院を通過して了つたことは、政府としても最善の方法を尽したと云へるか何うか、然し事態は最早や死児の齢を算へる様なことを云つてゐらるべきときでない、殊に政府も更迭したことであるし、新内閣が如何なる方
 - 第34巻 p.370 -ページ画像 
策を有するかを先づ確めて、我々としても尚最後の手段迄は講じてみなければならない、それで実は昨夜も日米関係委員会の主なるもの数名で協議し、両三日中に政府当局と会見し自分共の意見も述べ、併せて適切な方法を講じたいと思つてゐる、素より政府としては十分解決の手段を持つてゐられることゝ信ずるが、民間の有志としても此の際遅蒔きながら
 然るべき 人物を派遣して米国に於ける輿論を喚起することに努むると共に、現に同法案に反対の意見を有する有力者も少くないから、此等の人々の手を通じて何とか方法を考へたいと思ふ、今回の問題の経過に徴するも、一国の外交は決して一官庁の外交技術のみによつて成功するものでなく、所謂国民外交でなければならぬことを痛感せしめられた、今後は一層政府も此の方針を以て国民の諒解と後援とによつて交渉を進められんことを切望する
   ○清浦内閣ハ六月七日総辞職ヲナシ、六月十一日加藤高明内閣成ル。



〔参考〕対米国策論集 第一五五―一五七頁大正一三年一二月二五日 【経済上より見たる日米問題 法学博士 小林丑三郎】(DK340035k-0013)
第34巻 p.370 ページ画像

対米国策論集 第一五五―一五七頁大正一三年一二月二五日
    経済上より見たる日米問題
                  法学博士 小林丑三郎
○上略 殊に排日法案の通過の如きは実に野蛮極まるもので、所謂恒久平和攪乱の禍根を亜米利加が播くものなりと、国際正義の上より糾弾して差支へ無いと思ふ。(拍手起る)是が即ち平和破壊である。斯う云ふ事をして人が自分の国に入る事を排斥して行けば何うしても戦争をしかける様なものである。(拍手起る)即ち国際正義、恒久平和の破壊を為すものであり、ソシテ其の結果が他国自尊心の傷辱である。我国民の自尊心も、此れが文明の幼劣なる国から傷つけられたのならば、躍気になつて憤る程のものではありませぬが、併し乍ら正義の宿であり人道の富であり、平和の神であると云ふ程誇つて居り、自ら以て世界第一等の文明国なりと称して居る亜米利加の如き国が、既に文明の洗礼を受けて久しき敏感性の吾々日本国民に向つて排斥法案を制定するに到つては、実に忍びがたき精神的屈辱である。(拍手起る)明治維新以来の進歩はさること乍ら、建国以来段々に築き来つた国民的精神があり、又た今日文明国として恥かしからざる所の知識と威信とを有するに至つた以上は、之れに対し亜米利加では少し位の恥辱と云ふか知らぬけれども、我国民の伝統的衿恃に響く所の精神的打撃は絶大なものである。(拍手起る)此点から観察しますれば、実に忍ぶべからざる侮辱なりと云はなければならぬ、故に此の問題に対し、我国人が世界の劣等国たる烙印を面上に付けられたと云ふて憤慨するのは寔に適当であり、さうなくてならぬと思ひます。随分是を以て一つの戦争理由となすことが出来るかも知れない、ソシテ挑まるゝ戦争と見れば無論何物をも犠牲として起つの覚悟がなくてはならぬ。(拍手起る)
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第四八二号・第二一―二二頁昭和三年一一月 青淵先生と日米問題 頭本元貞(DK340035k-0014)
第34巻 p.370-371 ページ画像

竜門雑誌 第四八二号・第二一―二二頁昭和三年一一月
    青淵先生と日米問題
 - 第34巻 p.371 -ページ画像 
頭本元貞
○上略
      十二、先生の日米親善運動は不断の努力である
 先生が日米親善の為め両国の間を四度往来された概要は前述の通りである。併し先生は或人々の如く、米国訪問のとき丈け両国親善の為め努められたのでは無く、日本に居らるゝときも、或は来朝の米客を引見し、或は之を其の邸若しくは銀行倶楽部等に招待して食事を共にし、或は日米関係委員会を召集して、当面の問題に付いて協議を催す等殆ど寧日なき有様である。
 先生の日米親善に対する信念は其の強固なること殆んど宗教の如きものである。之に関して我が最も感動されたのは、先年例の不都合極まる移民法が、米国に通過して大統領の裁可を経たときであつた。今も猶ハツキリと記憶して居るが、そのとき先生の召集に依り、日米関係委員会の会員は銀行倶楽部に集会し、之に対する善後策に附いて協議をした。当時我国に於ては、一般に米国の此立法に対して憤懣せざるものなく、従来親善の泰斗と目せられた金子子爵の如きすら、吾事終れりとして、断然として日米協会会長を辞せられ、又米国と最も関係探き新渡戸博士も大に憤慨して、此の法律の改正せられざる間は吾足決して米土を踏まずとの決心をされる等、米国に対する我々の不満は極度に達して居つた。故に此の会合に於ても列席者の中には事玆に至ては、最早日米関係委員会は其の存在の意義を失つたのであるから宜しく即時之を解散すべきであるとまで論じたものもあつた。実は記者の如きも其一人であつた。然るに先生は終始極めて冷静な態度で此等の議論を聴き、徐に口を開きて此際軽挙するの不可なる事を淳々《(諄)》と説かれ、吾等は米人中正義の士と計り不撓不抜の大決心を以て進むべきであると述べられた。是に於て鶴の一声の譬の如く衆議漸く一決し日米関係委員会を継続して益奮闘する事となつたのである。爾後先生は不相変努めて来遊米人を引見し移民法の不都合なる点を指摘し、之を改正するに非ざれば日米の諒解は永遠に不可能なる所以を力説されつゝある。近来米国より来朝する識者の内には、此の悪法の改正されるのは決して遠きにあらずとの信念を披瀝するもの一二に止らない。中には一両年中に其の改善を見るべしと、断言するものさへあるに至つた。果して然るや否記者の保証する所ではないが、兎に角米国に於ける対日空気は、近来漸く好転の徴あること最早疑ふの余地がないやうである。若し此の観察が幸にして正確であるとすれば、此の好気運の発生に対して青淵先生の赤誠が、正義を好む米人を感動した結果に成るもの少なからずと思ふ。