デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.375-377(DK340037k) ページ画像

大正13年7月10日(1924年)

是日、当委員会主催都下新聞記者代表者招待午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国排日問題ノ事情並ニ従来当委員会ノ執リ来リシ行動ニ就イテ談話ス。


■資料

日米関係委員会集会ニ関スル控(DK340037k-0001)
第34巻 p.375 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控 (日米関係委員会所蔵)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然は日米問題に関し篤と御意見承はり、且愚見申上度と存候間、御多忙之際恐縮に候得共、来拾日正午東京駅前日本工業倶楽部へ御来車被成下候はゞ本懐の至に御座候、此段御案内申上候 敬具
  大正十三年七月五日
                日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同 藤山雷太


日米関係委員会集会記事摘要(DK340037k-0002)
第34巻 p.375-377 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会新聞記者招待会、大正十三年七月十日正午、於工業倶楽部
   零時半開会
  関係委員会側出席者
  渋沢子爵・藤山氏・添田氏・頭本氏 幹事 増田氏・小畑氏
  新聞記者側出席者
  簗田𨥆次郎氏(中外)米田実氏(東京朝日)
  四方田義茂氏(日々)太田正孝氏(報知)山川瑞王氏(国民)
  正力松太郎氏(読売)吉原正隆氏(中央)直海善三氏(やまと)
  斯波貞吉氏(万朝)渡辺豪氏(二六)木村政次郎氏(毎夕)
  大谷誠夫氏(都)
渋沢子爵 日米委員会即ち主人側を代表して来会の記者諸君に謝辞を呈し、且つ会合の目的に関して一言せられし後、日米関係委員会の
 - 第34巻 p.376 -ページ画像 
起源及四回に亘る子爵の米国渡航は専ら日米両国の親善を増進せんとするにありし旨述べらる
 一、一九〇六年時の外務大臣小村侯爵国民外交の必要を説かれしを以て、商業会議所会頭中野武営氏等と計り、明治四十一年(一九〇八)米国太平洋沿岸に於ける八商業会議所代表者を歓迎せり、(八商業会議所とはサン・デイゴ。ロス・アンゼルス。オークランド。サン・フランシスコ。スポケーン。ポートランド。タコマ及シヤトル等なり)此人員凡そ五十三名、翌年即ち一九〇九年先方よりの招待に応じ、日本六商業会議所(東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)代表者凡そ五十三名の訪米実業団を組織して米国の各主要都会を訪問して大歓迎を受けたり
 二、一九一五年桑港にパナマ開通記念博覧会開催せられ、日本実業界を代表して出席せり、此際にも東部の方面を旅行して日支の関係に就て、日本に対する米国の誤解を訂正せんか為に努め、桑港には米日関係委員、東京には凡そ三十人より成る日米関係委員会を組織して、日米間特に桑港に起る日米問題の解決に資することとせり
 三、一九二〇年の秋加州に人民投票を行ひ、在留同胞の農業者の権利を局限せんとの企あるがに故に、日米問題研究の為め同年春桑港米日関係委員会の代表者を東京に招きて協議を遂げ、両国側委員満場一致を以て、聯合高等委員を設置して日米問題の各方面を調査し、其結果を両国政府当局に推薦して、条約を締結せしむるを可とするとの案を通過せり、此協議会に引続き東部よりフランク・エー・ヴアンダリツプ氏を団長とせる一行を招き、前同様の協議会を開き、特に支那問題に関して腹蔵なき意見の交換を行へり、聯合高等委員設置に関しては、同じく満場一致の委員設置を可とすとの決議をなせり
 四、一九二一年ワシントン会議を機会として渡米せり、此度は添田頭本の両氏と共に日米関係委員会を代表して出馬せり、若し機会あらば当会議中に日米問題を提出せんとせしも、会議の性質上日米両国にのみ関係する問題を当会議に提出するのは策の得たるものにあらずとの当局者の意見なれば、会議終了に近く《(きカ)》頃東部を辞して西部即ち太平洋沿岸に来り、南はサンデイアゴ市より北はシヤトル市を訪問して在留邦人を慰問すると同時に、地方の有力者と懇談し日米親善に努めたり、而して再び桑港に戻り出発間際に於て米日関係委員等と協議を遂げし結果、此度は先方より聯合高等委員の件を提出せり、由つて予は帰国後関係委員等に報告すると同時に、賛同を得て政府側の意向を伺ふこととせしが、終に政府側よりは若し米国の政府が本問題を提出さるゝに於ては、当政府も之れに賛成すべしとの口約を得るゝことゝなれり。然るに米国側にては中々困難と見え、事件の進捗を見ざりし間に大統領選挙問題に絡りて排日運動起り、終に先般通過せし排日条項を含む移民法成立となれるなり
 五、以上は我日米委員会《(関係脱)》の今日に至るまで取り来りし方針及実行の
 - 第34巻 p.377 -ページ画像 
大意にして、此際諸君に本委員会の如何なるものなるかを一応御説明申上置く必要あるのみならず、本委員会は出来得る限り日米親善を今後とも計る希望なれば、此点に御了解を得ん為め御多忙なる皆様に御会合を願ひし次第なり
一時十五分食堂を開き、食事中種々懇談ありしも別に纏りたる申合せの如きものもなく、午後三時散会せり
   ○「竜門雑誌」第四三二号・第五〇頁(大正一三年九月)ニモ本会ノ記事アリ。