デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.395-397(DK340042k) ページ画像

大正13年10月21日(1924年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国エール大学教授アーレン・ジョンソン博士招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

日米関係委員会集会ニ関スル控(DK340042k-0001)
第34巻 p.395 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控 (日米関係委員会所蔵)
 大正十三年十月二十一日正午、於東京銀行倶楽部
 米国エール大学教授アーレン・ジヨンソン博士招待会
               (太丸・太字ハ朱書)
                ○アーレン・ジヨンソン
                    ○宮岡恒次郎
                    ○佐分利貞男
  外交官試験ノ為メ時間ノ繰合悪シキ故 欠山田三良
                    欠美濃部達吉
                    ○小野塚喜平次
                    欠立作太郎
                    欠吉野作造
                    ○鳩山秀夫
                    欠穂積重遠
                    ○高木八尺
      旅行中ニテ廿九日帰宅ノ由  欠内ケ崎作三郎
                    ○林毅陸
                    欠井上準之助
                    ○堀越善重郎
                    ○団琢磨
                    ○添田寿一
                    ○頭本元貞
                    欠串田万蔵
                    欠藤山雷太
                   欠男阪谷芳郎
                    ○主人
                    ○小畑久五郎
                    ○増田明六
                    ○滝本為三
                    ○神崎驥一
  合計弐拾六名 出席者拾九名欠席者七名


日米関係委員会集会記事摘要(DK340042k-0002)
第34巻 p.395-396 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 大正十三年十月二十一日正午、於銀行倶楽部、日米関係委員会主催エール大学教授アーレン・ジヨンソン博士招待会
  出席者
   (賓客)アーレン・ジヨンソン氏、宮岡恒次郎氏、佐分利貞男氏、小野塚喜平次氏、鳩山秀夫氏、高木八尺氏、林毅
 - 第34巻 p.396 -ページ画像 
陸氏、神崎驥一氏、滝本為三氏
   (委員)渋沢子爵・堀越善重郎氏・添田寿一氏・頭本元貞氏
   (幹事)増田氏・小畑氏
渋沢子爵 尾食に移る頃、子爵は一場の挨拶をなされたり。朝河貫一教授と懇意なる所より嘗つてエール大学を訪問せしこと、ジヨンソン博士は同教授より紹介状を持参せられたること、高木八尺氏がジヨンソン博士《(招待脱)》の任に当られ居ること等より、高木氏が今日帝国大学の米国歴史及憲法の講座を担任せらるゝことに相成りしは、米国の特志家ヘボン氏の寄附に基くこと、而してヘボン氏は元来銀行家なりしなれども、頭脳明晳にして平和の愛好者たること、其平和を日米間に実現せんとの目的を以て講座を東京帝国大学内に設置せんとの希望を漏らし、子爵に斡旋の労を託せられたること等を述べられ引いて学者の渡米は大に歓迎する旨を力説せられ、仮令ひ排日移民法通過の為め年来の日米国交に一時の支障を見るも、両国の有識間に真の諒解ある時は、早晩問題の解決を見るに至るべき旨を述べられて結ばれたり
ジヨンソン氏 同氏の為めに盛大なる歓迎会の開催されしことを謝し日本に滞在中少からざる材料を蒐集せられし旨を語らる。両国に於ける知識階級者の意見交換は最も有効なるべしとの言葉を以て、感謝の辞とせらる


(朝河貫一)書翰 渋沢栄一宛大正一三年六月一三日(DK340042k-0003)
第34巻 p.396 ページ画像

(朝河貫一)書翰 渋沢栄一宛大正一三年六月一三日
                  (日米関係委員会所蔵)
拝啓
先月中申上置候ヱール大学史学教授アレン・ヂヨンソン氏御紹介申上候。今年ハ日米の関係に一期を劃し、此後ハ主として両国輿論の相互の影響と、個人の交誼とに頼るべき時と相成候折柄、ヂヨンソン氏の如きハ《(衍カ)》第一流の学者の、日本に赴かれて、此後も両国間の一勢力となられ候はんことハ、頗る意義あることに存候。何卒今回の旅行中、氏ニよりて米国の国情を日本に伝へ、且つは日本の真情を米国ニ伝ふるの便宜を得候様、御斡旋被下度奉願上候。御多忙中恐縮の至に候へども、公共の利福の為に押して申上候 謹言
  大正十三年六月十三日 朝河貫一
    子爵渋沢栄一殿
  猶々同氏は多分九月及び十月を通じて日本に逗留せらるべく候
  但し東京に留まらるゝ時期は同氏より御了承被下度候


(増田明六)日誌 大正一三年(DK340042k-0004)
第34巻 p.396 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一三年 (増田正純氏所蔵)
十月廿一日 火
○上略
正午日米関係委員会主催ジヨンソン博士招待会(於銀行倶楽部)ニ出席
○下略

 - 第34巻 p.397 -ページ画像 

竜門雑誌 第四三四号・第八五頁 大正一三年一一月 青淵先生動静大要(DK340042k-0005)
第34巻 p.397 ページ画像

竜門雑誌 第四三四号・第八五頁 大正一三年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
○中略
二十一日 ○中略日米関係委員会主催ヱール大学教授ジヨルダン《(ジヨンソン)》氏招待会(東京銀行倶楽部)に出席
○下略