デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.479-483(DK340054k) ページ画像

大正14年4月11日(1925年)

是ヨリ先、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事シドニー・エル・ギューリック、書ヲ栄一ニ寄セテ、同国移民法改正ノ事容易ナラザルニヨリ、之ヲ中止スベキヤ否ヤヲ問フ。是日栄一、之ヲ当委員会会員数名ニ謀ル。


■資料

日米関係委員会集会ニ関スル控(DK340054k-0001)
第34巻 p.479-480 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控 (日米関係委員会所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば最近ギユーリツク博士より別紙写の如き来示有之候処、右に対し相当の回答を必要と致候に付ては、御集会相
 - 第34巻 p.480 -ページ画像 
願御協議可致筈に候得共、御承知の如く老生の健康未だ十分恢復不致候為め其運びにも相成兼候に付、書面にて御意見を伺ふことゝ致候間御多忙中恐縮ながら別紙御一覧の上御高見御示し被下度候
右得貴意度如此御座候 敬具
  大正十四年四月十一日
                        渋沢栄一
        殿
  藤山・阪谷男・添田・頭本・姉崎・山田・堀越ノ七氏ヘ発信
   ○別紙ハ次掲書翰ニ同ジ。


(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九二五年三月一一日(DK340054k-0002)
第34巻 p.480-481 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九二五年三月一一日
(渋沢子爵家所蔵)
         NATIONAL COMMITTEE
             ON
       AMERICAN JAPANESE RELATIONS
        287 FOURTH AVE., NEW YORK
                    March 11, 1925.
Viscount E. Shibusawa,
  2 Kabutocho Nihonbashi,
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa :
  Under separate cover I am sending you a copy of a pamphlet on Japanese Exclusion recently issued by the House Committee on Immigration. To my mind this pamphlet is utterly wrong ― both in its spirit and in many of its detailed statements ― but it is a carefully prepared document and is bound to exert a great deal of influence in the United States. It illustrates the difficulty of the task ahead of us as we seek to restore right relations between America and Japan.
  May I ask your personal judgment? Would it be better for us to try to secure a change in the law, even though we may ultimately fail, or not to try at all? There are those among us who feel that the case is so hopeless that failure is certain and that therefore it is a mistake even to try to get the law changed.
          Very cordially yours,
           (Signed) Sidney L. Gulick
                     Secretary.
(右訳文)
         (別筆)
         ○写ヲ配リ意見ヲ徴スルコト○小冊子ハ如何、小畑氏ニ聞クコト
         (栄一鉛筆)
         此来状ニ付而ハ近日中ニ委員中数名之人々と内協議を要す
           十四年四月六日一覧
              (別筆)
              阪谷男・添田・頭本両氏カ
 - 第34巻 p.481 -ページ画像 
 東京市 (三月三十日入手)
  子爵渋沢栄一閣下 紐育、一九二五年三月十一日
               シドニー・エル・ギユーリツク
拝啓、最近下院移民委員の発行せる排日に関する小冊子一部別便を以て御送申上候、小生としては此冊子は、其精神に於ても詳細なる多くの記述に於ても、全然正鵠を失せるものなりと存候得共、此は周到の用意に依つて成れるものにして、米国内には多大の影響を与ふべしと存候、吾等は日米両国間に正当なる国際関係を恢復せん事を希望せるものには候得共、前途甚だ困難なるを思はしめ候
結極失敗に帰するにも不拘、吾等は法律の改正の為に努力すべきや、或は全然放棄致すべく候哉、閣下の御意見を御伺申上度と存候、吾等の中には事態殆ど絶望にして失敗は明なれば、法律の改正を企画する事すら誤なりと感じ居るもの有之次第に御座候 敬具


(添田寿一)書翰 渋沢栄一宛(大正一四年四月)一二日(DK340054k-0003)
第34巻 p.481 ページ画像

(添田寿一)書翰 渋沢栄一宛(大正一四年四月)一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                    (別筆)
                    四月十三日入手
拝啓
四月十一日ノ貴書ヲ以テ御下問ノ一条ハ素ヨリ困難ナル事柄ニ有之候モ、絶エズ運動ヲ継続候事得策ト存候、然ラザルトキハ承服候モノト認定セラレ候虞可有之、解決ノ望ナキニ立到リ可申、就テハギユーリツク氏ニハ成否ハ兎ニ角引続キ尽力切望ノ旨御申送リ奉祈上候
  十二日 添田
    渋沢子爵閣下
      二白
  呉々モ御自愛ノ上一日モ速ニ御全快祈上候


(阪谷芳郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年四月一三日(DK340054k-0004)
第34巻 p.481 ページ画像

(阪谷芳郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年四月一三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                    (別筆)
                    四月十六日入手
拝啓、三月十一日付ギユーリツク氏来状ニ付御尋ノ趣キ了承仕候、米国政界ノ状況判断ハ日本ニ在ル吾人ハ到底米国ニ在ル米人ニ及ハサルハ論ヲ待タス、故ニ此点ニ付テハ一ニ正義ヲ重ンスル米人諸氏ノ意見ニ信頼スルノ外無之、但日本人ノ立場ヨリ見タル意見トシテハ仮令通過セサルマテモ、米国人ニ於テ正義ノ為ニ最善ノ努力ヲセラルヽコトハ、大ニ日本ノ人心ヲ和ラケ両国間ノ平和ニ貢献スル所大ナリト存セラレ候、右御答申上候 以上
  大正十四年四月十三日
                         芳郎
    渋沢子爵閣下

(堀越善重郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年四月一五日(DK340054k-0005)
第34巻 p.481-482 ページ画像

(堀越善重郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年四月一五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第34巻 p.482 -ページ画像 
謹啓、去十一日附之貴翰拝誦、ギユーリツク博士ヨリ御送附ノ小冊ハ未ダ拝見不仕候ヘ共、移民問題ニ関スル事ニ候ハバ其書ノ内容ハ略推察シ得ラレ申候
此問題ハ過般銀行倶楽部ニ会員集合ノ折ニモ一寸卑見ヲ呈セシ如ク、当分沈黙ヲ守リ何等運動ガマシキ方針ヲ採ラザル方却テ米国識者ノ同情ヲ買フニ非ルカト愚考仕候、是ヲ今日ノ儘抛擲致シ置候事、実ニ千秋ノ遺憾ニ不堪候得共、サリトテ今我主張ヲ固執スルモ到底其望ナキヤ明白ニシテ、ギユーリツク博士ノ末文ニ見フ《(ユ)》ル如キ結果ニ終ルベク若シ夫レ斯ノ如キ結果トナルベキ事大体予想シ得ルモノトセバ、我権利ヲ主張シテ濫ニ米人ノ感触ヲ害スルハ策ノ得タルモノニ非ルベシト奉存候 謹言
                    堀越善重郎(印)
  大正十四年四月十五日
    子爵渋沢栄一閣下
                    (別筆)
                    四月十六日入手



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第七九四―七九五頁昭和七年二月刊(DK340054k-0006)
第34巻 p.482 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕(増田明六)日誌 大正一四年(DK340054k-0007)
第34巻 p.482-483 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一四年 (増田正純氏所蔵)
四月十七日 金
○上略
午後七時事務所ニ同○安孫子夫人の来訪を受け、東京の津田英学塾火災復興資金を米国ニ於て五十万弗醵集の計画あるが、其中ニ就き桑港のアレキサンダー夫人ニ於ても折角尽力せられ居るニ付てハ、此際アレキサンダー氏と別懇の渋沢子爵の主宰せらるゝ東京日米関係委員会ニ於て、同夫人の尽力ニ対し金弐万五千弗寄附せらるゝニ於てハ、アレキサンダー氏も必ず同額を寄附すべきニ付き、此意を子爵ニ談話せられたしと、桑港の右醵集ニ賛成せる某氏より篤ニ依頼ありしかは、序の節子爵ニ転話ありたしと詳細の談話ありたり
四月十八日 土
朝子爵御病気御見舞を為し前日我孫子夫人《(安孫子)》の談話を御話したるニ、子
 - 第34巻 p.483 -ページ画像 
爵ハ目下大震災後の東京人ハ孰れも疲弊して困難の境遇ニあり、又東京日米関係委員会は年々必要なる経費を会員より醵集するものなれハ如此寄付金を為す余祐無き旨を述べ、向後其心持を持し時機を待つ外無き次第を回答し置くべしと申聞かされたり