デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.24-35(DK350002k) ページ画像

昭和2年4月4日(1927年)

昨冬来日セルジェームズ・エッチ・フランクリン中国旅行ヲ了リテ再度渡来ス。仍ツテ是日、当委員会、歓迎懇談会ヲ飛鳥山邸ニ開キ、栄一、歓迎ノ辞ニ加ヘテ合衆国千九百二十四年移民法ノ非ナルヲ説ク。


■資料

日米関係委員会往復書類 (二)(DK350002k-0001)
第35巻 p.24 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (二)      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適賀上候、然は昨冬来邦の紐育市東洋関係委員長ジエームス・ヱチ・フランクリン博士は多年日米親善の為に尽力せられ今回の来邦も同市に於ける同志の意を齎らして、排日移民法に対する本邦人の意向を調査致度様子に有之候、今度支那旅行を了り再度当地に帰来致候に付ては、来四月四日(月曜日)午後四時飛鳥山拙宅に来車を請ふて同法に関し懇談致度と存候間、御多忙の際恐縮に候得共御繰り合はせ御来駕被成下度此段御案内申上候 敬具
  昭和二年三月廿三日
                      渋沢栄一
        殿
  乍御手数御諾否御回示被下度候

 - 第35巻 p.25 -ページ画像 

集会日時通知表 昭和二年(DK350002k-0002)
第35巻 p.25 ページ画像

集会日時通知表 昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
四月四日 月 午後四時 フランクリン氏招待会(飛鳥山邸)
  ○中略。
四月廿八日 木 午後三時 フランクリン、アキスリング両氏来約(アスカ山)


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK350002k-0003)
第35巻 p.25 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控     (日米関係委員会所蔵)
昭和弐年四月四日(月)午後四時、於飛鳥山邸
 フランクリン博士招待会
              (太丸・太字ハ朱書)
        ジエームス・エチ・○フランクリン博士
           ウヰリアム・○アキスリング博士
           シー・ビー・○テニー氏
                 ○新渡部稲造氏《(新渡戸稲造)》
                 欠井上準之助氏
                 欠小野英二郎氏
                ○子金子堅太郎氏
                 欠団琢磨氏
                 ○添田寿一氏
                 ○頭本元貞氏
                 ○串田万蔵氏
                 欠姉崎正治氏
                ○男阪谷芳郎氏
                  ○主人
                  ○小畑久五郎
                  ○増田明六


招客書類(二) 【昭和二年四月四日(月)午後四時、於飛鳥山邸 フランクリン博士招待会】(DK350002k-0004)
第35巻 p.25-26 ページ画像

招客書類(二)             (渋沢子爵家所蔵)
昭和二年四月四日(月)午後四時、於飛鳥山邸
 フランクリン博士招待会
             (太丸・字字ハ朱書)
        ジエームス・エチ・○フランクリン博士
           ウヰリアム・○アキスリング博士
           シー・ビー・○テニー氏
             食ナシ ○新渡戸稲造氏
                 欠井上準之助氏
                 欠小野英二郎氏
                子○金子堅太郎氏
                 欠団琢磨氏
                 ○添田寿一氏
                 ○頭本元貞氏
                 ○串田万蔵氏
                 欠姉崎正治氏
                男○阪谷芳郎氏
 - 第35巻 p.26 -ページ画像 
                  ○主人
                  ○小畑久五郎氏
                  ○増田明六
     以上〆十六人
       内出席十二人(内食事不用一人)
         欠席 四人


日米関係委員会集会記事摘要(DK350002k-0005)
第35巻 p.26-29 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要        (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会小委員会            明六
 昭和二年四月四日午後四時ヨリ飛鳥山渋沢邸ニ於テジエームス・エチ・フランクリン博士歓迎懇談会
 出席者
  来賓 ジエームス・エチ・フランクリン博士、ウヰリアム・アキスリング博士、シー・ビー・テニー博士
  会員 子爵渋沢栄一氏・子爵金子堅太郎氏・男爵阪谷芳郎氏・添田寿一氏・串田万蔵・新渡戸稲蔵氏《(新渡戸稲造)》・頭本元貞氏
  幹事 増田明六氏・小畑久五郎氏
    記事概要
座長渋沢子爵 子爵はフランクリン博士を始め来会諸氏一同に対して懇切なる挨拶をせられ、サテフ博士に対し昨年十二月末には病気の為め同博士に会見することを得ざりしを遺憾とする旨陳述せられ、直ちに移民法問題に入り、吾々日本人が此問題に関して沈黙を守り居るは決して此問題を忘れたるに非らず、米国の友人等をして専ら同法改正の衝に当らしむるを適当と認むるが為めなりと語らる、而して若しフランクリン博士が此際、吾々日本人が此問題を決して忘れ居るに非らずとの点に関し、詳細の報告を齎らして帰国せられたしと言はるゝに於ては、出来得る丈報告材料を供給する様努め度しと述べらる、又米国議会が彼の紳士協約を勝手に破棄したるは、如何に考ふるも穏当の所為と見ること能はず、元来該協約は吾吾日本人に取り決して満足なるものには非らざりしなれども、兎に角従来の日米国交に比較して、日本の地位を認め他の東洋諸国に優る関係を我邦に与へたるものであるから、吾々は不満なからも漸進を望んで幾十年間之を忍耐し、米国と対等の国交、即ち米国が欧洲国民に対すると同等の関係を獲得する日を待ち来つたる者なりき、然るに円で此期待に反して、議会は一千九百廿四年七月を以て紳士協約を偏務的に廃棄し、我国に差別待遇を与ふる訳けに至つたのである、之れによつて米国は過去六十余年間親交を継続し来りしのみならず先進国として我邦を誘導しつゝ今日に至れる其行為に対する謝恩的感情を我国民より奪去るに至つたのであつて、実に無情冷酷の所為と申しても決して過言にあらざるべしと考へらるゝなり、斯る所為は米国に取つても甚だ愚かな遣り方なりと考へざるを得ざるものにして、此等の事を考ふる時に、渋沢は仮令ひ老齢にして将来も余り長からざるべくと思ひつゝも、此問題の解決を見ざる間は瞑目し兼
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ぬるが如き感じを抱き居るなりと(玆にフランクリン博士は、若し移民法の存続が子爵の御長寿に貢献するとせば之を改正せざるは世界の為めに有益ならんと諧謔の言を吐かる)
フランクリン博士 博士は先づ今回の招待を深謝し、自分は腹蔵なく所感を述べ皆様の質問に応ずるを喜ぶ旨述べられ、其れより博士が彼の移民法通過の際は東京に在りて親しく当時に於ける日本朝野の空気を味ひし故、此法律は是非改正せしめねばならないし又改正せしむる様努力すれば必ず効果を奏するならんとの確信を抱き、此処に列席のアキスリング及テニーの両博士と共に帰国の途に就き、帰国の上は公会の席に於て個人的談話に於て此移民法の正義人道に反するものなると日本国民の感情を痛く害せしことゝを述べ、之れか為めに大統領を訪問し、新聞雑誌等にも投稿し、大に輿論の喚起に努めたり。子爵の御懇請に従ひジヨジ・ウヰツカーシヤム博士、ジヨン・フインレイ博士及ボストン市のヱリオツト博士をも訪問せり右諸氏は何れも此移民法を非難せられしが、問題は已に政治化したる故に之を改正し或は破棄するに尤も困難となれり、第一大統領選挙に際し決定権を握る程の投票数を有するは加州なれば、将来大統領の地位を占めんとするものは加州政治家の意志に反することを欲せざるなり、加州の政治家は斯る秘訣を握り居るが故に、排日移民法を擁護するに力あるに加へて米国の海軍側より切りに海軍の拡張を主張し、日本に対して備へざるべからずとの宣伝を行ひ、日本に対する国民の恐怖心を煽ふるに至れり。故にウツヅ大使の有力なる演説も、アキスリング氏の意見発表も、米国基督教会聯合会の運動特にギユーリツク博士の活動の如きも、案外効果を奏せざるのみならず、却つて加州に於ける排日派の悪感を買ふに至れり。此に於いて公然と移民法改正の議を称ふることが有害にして無功ならずやとの考を起し、西部親日派の人々とも意見の交換を行ふに至れり、果せるかな西部の意見は此移民問題に公々然と反対することは在米日本人の改良を計る上に大なる障害となり、且つ日本に対する反動も激げしくあるべければ、決して善良の方法に非らざるべしとの注意を受くるに至れり、直接移民法改正運動を緩めて教育運動に入りしは之が為めなり、此移民法は吾々米国人の主張たる四海同胞主義を根本的に破壊するものなれば、米国人として殊に基督教信徒として之が改正に努むることを怠るべからずとは吾々同志の主張なり、故に方法は如何に変化するとも此問題を忘るゝが如き事はなかるべく米国の面目を維持する上に於ても大に努力せざるべからずと述べらる。今回の旅行を企つるに当り、ウヰツカシヤム博士等と親しく協議を遂げ種々の方面より今後の教育運動法に関し考慮せり。其内の最も重要なる事と考へらるゝは、大学教授の協議会を或る大学に開催し、此方面より移民問題の研究或は解決案を提出せしむることゝせんとの事なり、之れは先年ジヨンス・ホプキンス大学に於て支那問題研究の為め会合せし大学教授等の案外良結果を来せしを以て、此方法に則らんとするものなり、彼の会合には有力なる支那人も出席して自由に意見を発表し又は討議に与かられたれば、若し吾々の
 - 第35巻 p.28 -ページ画像 
企図を実施する暁には日本より有力なる代表者の派遣せられんことを望むものなり、現在に於ては此問題は極めて秘密に計画され得《(居)》るものなれば此点は御含みを請ふと語らる、次に日本人の中には移民問題を過去のものとして忘れつゝありと伝ふるものあるが故に、米国に於ける有志者の運動に少からざる支障を与ふるとの点にも注意を喚起せらる
金子子爵 排日運動は米国の陸海軍及文士によつて大に気勢を高張するに至れり、人種的差別待遇の存続する限り日本は決して米国の不正義・非人道を忘るゝ事なかるべし、日本人が此問題を忘れたりといふが如きは之を言ふ人の浅薄さを暴露するのみ、日本人は決して之れを忘れず、唯だ吾々が温和手段によりて本問題の解決を望み居るを以て過激派の分子を緩和し居るが故なり、若し今にても吾々が此移民法の不都合を称へなば国民は蜂の巣を衝き破りしが如き有様にて激昂すべし、金子子爵移民問題改正案として人種差別の条項を削除し、之れに替ふるに筋肉労働者及望ましからざる移民の入国を禁ずるといふが如き条項を挿入するを可とすべし、之れ濠洲の移民制限法にて吾々の首肯し得る所なりと述べらる、子爵は聯合高等委員会の有効なるべきを指摘せられ、米墨両国問題が最近之れによつて解決せられたる事を示さる、而も当時の米国側委員は前大使ワーレン氏にして、日本駐在中には此聯合高等委員設置の意見に反対の意を示せし人なりき―・云々
阪谷男爵 男爵は移民問題は討議の時期を越えて行動の時期に入りたれば、此処に何等かの企図を画して進まざるべからずと述べらる
添田博士 博士は吾々の沈静を守り来りしは、米国に於ける友人諸氏が斯る方針の改正に貢献する所多かるべしと忠告せられしに起因すると述べらる、若し吾々が沈黙を守らざりしならば此移民問題は由由しき国家問題となりしなるべく、今にても吾々が此問題を提げて公衆に訴ふる時は反米的輿論を喚起すること容易なるべし、自分は貴族院の総会議席上に於て本問題に関し演説したり、其抜萃をフランクリン博士の参考に供すべしと告げらる
新渡戸博士 今晩は他に先約ありて間もなく御無礼せざるを得ざれば二・三の感想を申述べて御参考に供し度しとて(一)ジエネヴア滞在中米国の学者・政治家に接触せしが、何れも皆移民法の不都合を咎め同法は頗る愚法なりと言ひしこと(二)佐藤正なる人が桑港に於て排日の巨頭なるヴイ・エス・マクラチー氏を訪問して、加州の人々が在留日本人の婚期に達し居る者に対して妻を迎ふる道を断つたといふことは頗る非人道的ならずやとの質問を発せし処、マ氏も之れを開いて厚き同情を表して何とか方法を講じ度きものなりと答へられしとのこと(三)ポーロ・モンロー教授がロツクフエラー財団の後援を得て、日本の学生を米国の諸大学に在学せしむるの道を開かんと計画せらるゝとの談話を聞きて、教育的に日米親善を増進せんと努めらるゝこと等を見、米国人の傾向も移民法改正に便宜を与ふる様進展し居る様思はるゝなりと語られ、最後に新渡戸博士は此移民法の改正せられざる限り決して再び米国の土を履まざるべしとモンロー博
 - 第35巻 p.29 -ページ画像 
士に告げられしことを述べらる、而して同博士の斯る決意に出でられたるは米国を嫌ふが為には非らず、米国が日本人に対して国の門戸を閉ぢたるが故なりと言はれたり。此点に関して博士の夫人(米国人)も博士と全然同意見なる由附言せられたり
頭本氏 食卓を囲み頭本氏は先年日米関係委員会を代表して米国を訪問せし際、シヤーレンバーク氏と会見して談話を交換せし事が、或は東部に於ける親日派諸士の移民法改正運動を鈍らせし原因となりしには非らざるかとの懸念に関し、フランクリン博士に釈明する所ありたり。要はシヤーレンバーグ氏がホノルヽの会議に於て半公開の席上に於て若し日本が移民法改正を称ふることをせざれば、シヤーレンバーク氏は在留日本移民の擁護に努むべしと言はれしを以て然らば当分移民問題に触れざるは在留同胞の安寧幸福を増進する所以なるを以て暫らく隠忍するも一手段なるべしと考へ、此点を東部の親日派連にも話せし次第なりと
  以上の談話は食前、食中、及食後に起れるものを総合して略記せるものなり、食前の談話は青淵文庫の客室に於て、食後の談話は西洋式客間に於て行はれたり、散会せしは九時頃なりき


(増田明六)日誌 昭和二年(DK350002k-0006)
第35巻 p.29 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年       (増田正純氏所蔵)
四月四日 月 晴     出勤
後四時、飛鳥山邸ニ於て催されたる紐育パプテスト教会宣伝部長フランクリン氏招待会に出席した、来会者は同博士の外アキスリング博士テニー博士(両博士ハ二十年ニ近く日本ニ在りて日本の風俗・人情を解し頗る日米親善に力を尽す高徳の人なり)新渡戸稲造博士・金子堅太郎子・阪谷男爵・添田寿一博士・串田万蔵・頭本元貞の諸氏と、主人側として渋沢子爵・増田明六・小畑久五郎合計拾二名なり、フランクリン博士の近時日本人は排日移民法ニ関し意ニ介せさる如くなるが果して然らハ吾々米人ハ何を苦んで同法の改正を主張すべき哉との発議ニ対し、子爵を始め金子・阪谷・新渡戸・添田の諸氏より交々同法の不公平不正義なるを論し、人道正義を重んする米国人にして之が改正を為し能ハさるを疑ふと迄極論し、博士も諸氏の意を諒解し、帰米の上は同志ニ告くべしと答へ、種々緩談の後午後九時解散す


渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギユーリック宛昭和二年四月二八日(DK350002k-0007)
第35巻 p.29-31 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  シドニー・エル・ギユーリック宛昭和二年四月二八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
               (栄一鉛筆)
               昭和二年四月二十五日一覧
 紐育
  シドニー・エル・ギユーリツク博士
拝啓去る三月十一日付書面を以て御通知致候通、小生は昨年十二月末病臥の為めフランクリン博士と会談するの機会を逸し居候処、去三月上旬以来健康全く旧に復し、博士の当地に再来せらるゝ時機を待居候中、恰も三月下旬支那より帰来せられしに付、去四日多忙なる博士に御繰合はせを請ふて飛鳥山拙宅に於て同博士、アキスリング、テニー両博士を主賓とし、金子子爵・阪谷男爵・添田博士・新渡戸博士・串
 - 第35巻 p.30 -ページ画像 
田万蔵・頭本元貞の諸氏等と相会し、排日移民法に関し互に胸襟を披きて意見を交換致候
当日来会者の意見の大要は左記の通にて、聊か冗長に失する義には候へ共、同法に対する日本国民の意見として御一読被下度候
小生は、主催者として先はフランクリン、アキスリング、テニーの三博士に対し、三氏並ギユーリツク博士等の爾来の御尽力を感謝し、元来吾々は紳士協約を以て満足するものにあらさるも、該協約は米国に於て日本の地位を認め他の東洋諸国に優る待遇を我国に与へたるものなれば、不満足ながらも他日欧洲各国と対等の関係に至るべき日あるを思ひ幾十年間耐忍し来りしに、図らずも米国議会は一九二四年四月突如紳士協約を破棄し、排日移民法を決定して玆に六十年間継続し来りし両国の親交を無視して省みざるに至りし行為は、日本国民の何人も黙視する事能はざる処なり、然るを尚吾々が隠忍沈静の状にあるは米国の友人諸君に信頼期待する処ありて国民を慰撫し居る次第なる旨を述べ
金子子爵は、日本国民は人種的差別待遇法の存続する限りは決して米国の不正義・非人道を忘るゝ事能はざるなり、日本国民が此問題を忘却したりと云ふ者あらば夫れは浅薄なる思想を暴露するものとして、日本国民が沈黙するは吾々が温和の手段を以て本問題を解決せんが為め特に過激の人々を緩和し居るが為めなり、若し今日吾々が移民法の不都合を鳴らせば国民は直に蜂起すべし、予はフランクリン博士及其他の友人が本問題の解決に尽力せらるゝを知り、国民と共に深く感謝する処なるが、予の案としては米国は先年濠洲に於ける移民制限法の如く人種的差別の条項を削除して、之に代ふるに筋肉労働者及好ましからざる移民の入国を禁止する条項を加へては如何、又此際両国に於て聯合高等委員を設け、米墨問題を解決したる如く協議する事も一策ならんと思考すと述べ
添田博士は、吾々の沈黙を守るは米国に於ける友人諸君の忠告に依りしに起因す、若し吾々に於て沈黙を守らざれは本問題は由々しき国家問題となり、我国民は起つて反米運動を起すべきは明かなり、予は貴族院の会議に於て本問題に関し演説したるに付、為参考其写を作りて博士に送附すべしと述べ
又新渡戸博士は、ジネヴア滞在中多数の米国の学者・政治家等と会談したるが孰れも該法の不当を詰り居れり、ポーロ・モンロー教授も其一人なるが、同教授はロツクフエラー財団の後援を得て日本の学生を米国の諸大学に入学せしむるの途を開き、以て両国親善の増進を図らんと計画中の由を語れりと述べ、《*》尚ほ新渡戸博士はモンロウ氏との対談に於て、予は排日移民法の存続する間は米国領土内に足を入れずと決心せりと告げ、斯る態度は独り予一人のみならず多くの有識者の其れなり、而して予の此の如き決心に出でたるは米国を嫌ふ為に非らず米国が予に対して門戸を閉鎖せしが故なり
右の外阪谷男爵・頭本元貞氏等の意見ありしも、大同小異に付き之を略す、以上諸氏の意見を聴取したる博士は、先年移民法通過の当時東京に在りて親しく日本の輿論に接し必ず之が改正に努むべしと堅き決
 - 第35巻 p.31 -ページ画像 
心を以て帰米後到る処に於て演説を試み、又大統領を始め各地に諸名士を訪問して大に輿論の喚起に努めたるが何等の効無く、ウツヅ前大使の有力なる演説も米国基督教聯合会の運動特にギユーリツク博士の熱心なる活動も効果を奏せざりしのみならす、是等の運動は却て加州に於ける排日派の悪感を買ひ、遂に米国西部の親日派の人々より移民法改正を高張するは在米日本人の改良を図る上に大なる障害を生じ、有害となるも利益とならずとの注意を受くるに至り、不得止直接の改正運動を緩めて教育運動に入りし次第なりと詳細に運動の経過を述べ同法は米国人の四海同胞主義を根本的に破壊するものなれば基督教徒は飽迄之が改正に尽力する決心なりと説き、尚来会者の意見は帰米の後ギユーリツク博士其他に伝ふべしと結びたり
以上は当日会談の要領に候、要するに先便申上候フランクリン博士の語れる「移民法に対し今や日本人は過去の問題として意に介せず」との談話は、何人かゞ自己を利益せんが為の談話に過きずして、日本人は決して之を忘却致居るものには無之、正義人道を重んずる米国人は他日必ず日本国民を欧洲各国民と対等の地位に置くべきを信じ暫く隠忍すべしとの意見に一致致居候次第にして、小生等は最も能く日本人を諒解せらるゝ貴台等の御運動に信頼するを日本人の目的を達する最も穏健の策として確信致居候間、何卒此後共十分の御尽力偏に希上候若し御運動に関し何等か小生等の努力を必要とする事項有之候場合は早々に御申越可被下出来得る限り努力可仕候、先は御通知申上度、尚詳細はフランクリン博士帰米の上御話可有之と存候 匆々敬具
                  東京 渋沢栄一
 (栄一鉛筆)
 追啓、先頃来再三御通知申上候貴国より雛人形御恵贈の事に付而は、日本に於る各地方運送等は都而好都合に相済候へども、此上米国に対して何等の方法を以て謝意を表すべき哉と頻に考案中に御坐候、而して此人形の一挙は全般に渉り好評嘖々到る処に評判有之候、乍序此段申添候 匆々
*(欄外別筆)
 此部分ハ子爵並増田氏ノ御了解ヲ得テ挿入セシモノナリ小畑
  ○右英文書翰ハ昭和二年四月二十八日付ニテ発送セラレタリ。


(ジェームズ・エッチ・フランクリン) 書翰 渋沢栄一宛一九二七年四月二九日(DK350002k-0008)
第35巻 p.31-32 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(シドニー・エル・ギユーリック) 書翰 渋沢栄一宛一九二七年五月一六日(DK350002k-0009)
第35巻 p.32-33 ページ画像

(シドニー・エル・ギユーリック) 書翰  渋沢栄一宛一九二七年五月一六日
                   (渋沢子爵家所蔵)
      FEDERAL COUNCIL OF THE CHURCHES
         OF CHRIST IN AMERICA
    NATIONAL OFFICES, 612 UNITED CHARITIES BUILDING
        105 EAST 22d STREET, NEW YORK
                     May 16, 1927
Viscount E. Shibusawa
  1 Nichome, Eiraku-Cho
  Kojimachi-Ku, Tokyo, Japan
My dear Viscount Shibusawa :
  I wish to thank you very heartily for your full letter of April 28, reporting the conference with Dr. Franklin, and giving in some detail the statements made by the various members present.
  We are expecting Dr. Franklin back in New York now in a few days and shall hope to have a meeting of our committee, at which he can make his own full statement. I shall at that time read your letter to them.
 - 第35巻 p.33 -ページ画像 
  It may interest you to know that our Committee on World Friendship Among Children is now beginning to plan for a project of goodwill between the children of the United States and those of Mexico. If it should turn out even one half as successful as was that of the doll messengers of friendship we shall be highly delighted. In truth, I cannot imagine a more gratifying response to an effort of goodwill on the part of the children of America than the response that was made by yourself and the many workers and young people in welcoming the dolls from America.
  With all good wishes, I am cordially yours,
              (Signed) Sidney L. Gulick
                    Secretary
(右訳文)
            (栄一鉛筆)
          六月十七日一覧 是迄発送したる回答に相洩れ候事共有之候ハヽ此来状ニ対して丁寧に謝意申送度候事
 東京市麹町区永楽町二ノ一        (六月七日入手) 明六
  子爵渋沢栄一閣下
            紐育市、一九二七年五月十六日
               シドニー・エル・ギユーリツク
拝啓、愈御清栄之段奉賀候、然ばフランクリン博士との御協議並に其節御列席の諸氏の意見をも稍詳しく御通知被下候四月廿八日附長文の貴書に対し謹て御礼申上候
フランクリン博士は玆数日中に紐育に帰着の筈に候間、我紐育日米関係委員会を催し、その席上充分の報告を承り度と存居候、小生は其節尊翰を朗読可致候
我国際児童親善委員会が目下合衆国児童と墨西哥児童との親善計画を立案致居候義を御承知被下候はゞ、御興深く感せらるゝ事と存候、若し親善人形一半の成功を贏ち得候はゞ吾等の欣快大なるへくと存候、実に米国児童としては、閣下を始め援助を賜はりし多くの方々並に日本児童より米国人形に与へられたる歓迎に優る満足すべき反響可有之とも覚え不申候
謹んで敬意を奉表候 敬具


渋沢栄一書翰控 シドニー・エル・ギューリック宛 昭和二年七月二五日(DK350002k-0010)
第35巻 p.33-34 ページ画像

渋沢栄一書翰控  シドニー・エル・ギューリック宛 昭和二年七月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
               (栄一鉛筆)
               同年七月廿一日一覧 明六
     (案)
 紐育
  シドニー・エル・ギユーリツク博士殿
                東京、昭和二年七月五日
                      渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば五月十六日附貴書正に落手難有拝誦仕候
 - 第35巻 p.34 -ページ画像 
先般我国へ御来遊相成候フランクリン博士も已に無事御帰着の事と存候、同博士の報告により日米問題特に千九百二十四年の排日移民法に対する老生等の態度を一層明瞭に御承知被下候事と存候
今回は米墨児童親善助長計画を御立案相成り、目下御準備中の由誠に結構なる御企と存候、此計画も前回と同様大なる成功を収められ候様奉祈候
尚ほ親善人形に対し当邦に於て開催せし諸歓迎会に付公式の謝状を賜はり恐縮至極に存候
右御返事旁得貴意度如此御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ昭和二年七月二十五日付ニテ発送セラレタリ。


(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九二七年八月一七日(DK350002k-0011)
第35巻 p.34-35 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰  渋沢栄一宛一九二七年八月一七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
            COMMITTEE ON
        WORLD FRIENDSHIP AMONG CHILDREN
            289 FOURTH AVENUE
             NEW YORK, N.Y.
                    August 17, 1927
Viscount E. Shibusawa
  1 Nichome Yeirakucho Kojimachiku
  Tokyo Japan
My dear Viscount :
  I have just returned this morning from a two months' absence from the city and find on my desk your welcome letter of July 25.
  During this absence I visited the more important cities on the Pacific Coast and have participated in several summer conferences. My addresses dealt with the whole international question, including the problem of American-Japanese relations.
  I met in each of the important cities groups of Japanese and gave four addresses in the Japanese language, one each in Oakland, San Francisco, Sacramento and Stockton. It seemed rather strange to be speaking again in Japanese, after four years of silence in that language.
  I am preparing a report on what I learned regarding the Japanese situation on the Pacific Coast and when it is ready I shall, of course, send you a copy.
  I trust you are enjoying good health through these summer months and will be ready for the duties of another year with the approach of autumn.
  With all good wishes, I am
             Cordially yours,
           (Signed) Sidney L. Gulick
                 Secretary
(右訳文)               11/11 明六
          (栄一鉛筆)
          九月十九日一覧 早々回答を発し引
 - 第35巻 p.35 -ページ画像 
続きたる同氏之尽力を感謝致候旨丁寧ニ書送可致且又例之日本より返礼之為メ米国へ進呈する人形之事ニ付、目下種々心配中之義も申添度候事
 東京市                  (九月九日入手)
  渋沢子爵閣下
         紐育、一九二七年八月十七日
               シドニー・エル・ギユーリツク
拝啓、益御清栄奉賀候、然ば小生儀二ケ月の旅行を終へ今朝無事帰着仕り、七月廿五日附の喜ばしき貴翰を机上に見出し難有拝見仕候
小生は旅行中太平洋沿岸の比較的重要なる都市を歴訪致し数箇の夏季の会議に列席致候、小生は日米問題をも含む国際問題全体に関して演説仕候
小生は各都市に於て日本人の集会にも出席致しオークランド・桑港・桜府及スタックトンの諸都市に於ては日本語を以て四回演説を試み候四ケ年間も使用せざる日本語を話せし為め一種異様の感に打たれ候
太平洋沿岸に於ける日本人問題に関して、小生の知り得たる件に就き報告書を作成中に候へば、出来次第必ず御送附可申上候
閣下には御無事に夏季も御過し被遊、秋季の到来と共に新なる御活動に被為入居り候事と存上候 敬具
  ○本書ニ対スル栄一ノ返書ハ本資料第三十八巻所収「日本国際児童親善会」昭和二年十一月四日ノ条ニ収ム。