デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.43-56(DK350007k) ページ画像

昭和2年11月10日(1927年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ハーヴェー・エッチ・ガイ招待晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ合衆国内ニ於テ出生シタル日本人ヲ指導スルノ件ヲ談ズ。次イデ十二月一日、当委員会主催ガイ招待懇談会同所ニ催サレ、栄一出席ス。


■資料

日米関係委員会往復書類 (二)(DK350007k-0001)
第35巻 p.43 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (二)     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適賀上候、然ハ多年日米親善ノ為ニ尽力致居候桑港日米関係委員会々員エチ・エチ・ガイ博士ノ来遊ヲ機トシ、来十日(木)午後五時三十分丸ノ内永楽町東京銀行倶楽部ニ於テ歓迎晩餐会開催致度ト存候間、御差繰御出席被成下度此段御案内申上候 敬具
  昭和二年十一月五日
               日米関係委員会
                常務委員 渋沢栄一
                同    藤山雷太
 阪谷・添田・団・串田・山田・姉崎・頭本・井上・渋沢諸氏ハ附箋付、他ハ附箋ナシ
  御諾否乍御手数折返シ御回示願上候
  (附箋)
  追テ晩餐会開始前同博士ト御懇談願度候間、御繰合セ特ニ午後四時三十分迄ニ御来臨被下度候


日本関係委員会集会記事摘要[日米関係委員会集会記事摘要](DK350007k-0002)
第35巻 p.43-45 ページ画像

日本関係委員会集会記事摘要         (渋沢子爵家所蔵)
 昭和二年十一月十日(木)午後四時三十分懇談会及午後五時三十分晩餐会、日米関係委員会主催
 出席者
 - 第35巻 p.44 -ページ画像 
  来賓 エチ・エチ・ガイ博士(主賓)
  陪賓 アール・デイ・マツコイ氏。通商局長武富敏彦氏。聖学院院長石川角次郎氏。外務省情報部第二課ノ石川豊氏。
  会員 大谷嘉兵衛氏。小野英二郎氏。添田寿一氏。頭本元貞氏。串田万蔵氏。山田三良氏。藤山雷太氏。姉崎正治氏。渋沢子爵。白仁武氏。
  幹事 服部文四郎氏。増田明六氏。小畑久五郎。
    記事概要
懇談会出席者は渋沢子爵を始めとし添田・頭本・串田・山田・姉崎及ガイ博士なりき。懇談の要点は在米第二世即ち日系米国人を将来如何に指導すべきかといふにありて、ガイ博士は加州に於ける日米両国人より委員を挙げて此問題を攻究するを要すと述べらる、之れに対し頭本氏は、日系米国人は米国の市民たるが故に、彼等の将来に関して攻究する委員中に日本人を加ふる事は如何なるものにやとの質問を発せられしも、ガイ博士は其憂なかるべしと語らる、因つてガイ博士に託して、委員会を組織する事に尽力せらるゝ様桑港のアレキサンダー氏に伝言することゝせり
六時食卓に就き、食後子爵は左の如き挨拶をせられたり
子爵 英語を話せませんので斯る折には通訳を通じて語り且つ聴くと申すのが私の習慣であります、従つて話を致します時にもコー言つたならば通訳は困りは仕舞いか、或は間違ひは仕舞いか、或は徹底するや否やなど、苦心するので、何となく不安を感ずるのでありますが、今夕は丸で友人等と語るが如く自由に語り、且つ誤解せらるる恐れもないと思ふので、易す易す話すことが出来るのを喜ぶ次第であります。尚ほ又ガイ君は唯日本語に堪能なるのみならず、思想感情に於ても私共と同様でありますから、遠慮無く申上げ、且つ遠慮なく御話を承るとが出来ることを愉快に存ずるものであります日米関係委員会の会員は三十二名程ありますが、今夕は出席者の少いのを遺憾に思ひます。別に取設けもありませんですが、御出で下さいましたことを厚く感謝致します……云々
ガイ博士 風俗習慣を異にする異人種が相接触する時に、種々の軋轢阻却が起るといふことは寧ろ自然の事であります。言語が通じないといふことは大なる妨害でありますが、所が天下で一番六ケ敷いものは日本語であります。東西の両文化を融合することは至難の事で之れには永い年月を要します。然し第二世の問題及農業問題は実際問題であります。加州に於ける排日熱は非常に緩和されました。此際静に啓発運動に努めることは有効と思ひます。私が東西の文化を調和せしめることは容易の事ではないと申し上げましたが、然し決して不可能とは申しません、若し此二種の文化が融合せぬとしたならば、将来由々しき大事が起るでせうと思ひます。私は三十四年前に日本参り十五年間教育事業に従事致しました。再び日本に参る積りでしたが、家内の健康が許さないので到々参られませんでした。此度二十年目で参つて見ましたが、私の知つた日本は全く変化して其痕跡を留めないと申しても過言ではありますまいと思ひます。然
 - 第35巻 p.45 -ページ画像 
し玆に唯一つの変らないものを見ます。其れは皆様の御親切であります。私は桑港米日関係委員会の一見として此度参りました。アレキサンダー氏は此際何にか為し度いといつて気込《(意脱カ)》んで居ります。日米問題の解決は前途遼遠でありますが、千里の歩みも一歩よりと申しますから、先づ忍耐持久の精神を以て之に当るべきと思ひます。私の宗教は希望であります。即ち将来に望みを置くのであります。今日病気であれば明日は癒る。今日貧乏でも明日は暮らしが能くなるといつた様に、凡て光明を未来に置くのであります。支那を訪れて気の付いことは、寺を粗末にして居ることであります。朝鮮は寺院の無い国でありまして、朝鮮衰亡の徴は五百年前に兆したと思ひます。支那でダンキズイ、レイゲンコーといふ様な偉人に会ひました、何れも四海同胞を説かれますが、必要なるは実行であります。私は帰りましたならば、日本を紹介し、且つ日本を諒解せしめる為に全力を傾注する覚悟であります。今夕私の為に此宴会を御催ふし下さいました御厚意を衷心から御礼申上げます。


日米関係委員会往復書類 (二)(DK350007k-0003)
第35巻 p.45 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (二)      (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適賀上候、然ハ去十日目下来邦中ノ桑港エチ・エチ・ガイ博士ヲ招待晩餐会相催候処、尚同氏ト打合ハセノ上、来十二月一日(木)正午東京銀行倶楽部ニ於テ日米問題ニ関シ懇談致候事ニ致候間何卒御繰合ハセ御出席被成下度此段御案内申上候 敬具
  昭和二年十一月廿二日
               日米関係委員会
                常務委員 渋沢栄一
                同    藤山雷太
 渋沢・阪谷・添田・藤山・井上・団・串田・姉崎・山田・頭本 十氏宛
  乍御手数御諾否御回示願上候


日米関係委員会集会記事摘要(DK350007k-0004)
第35巻 p.45-46 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要        (渋沢子爵家所蔵)
 昭和二年十二月一日正午銀行倶楽部ニ於テ会談、日米問題ニ関スル件
 出席者 ガイ博士・渋沢子爵・阪谷男爵・頭本氏・団氏・藤山氏・添田氏・増田・小畑
先ヅ子爵ヨリ本日会談ヲ催スニ至リシ趣旨ヲ述ベタル後、千九百十五年渡米ノ際桑港ニ於ケル米日関係委員会ヨリ招待ヲ受ケ、会長アレキサンダー氏ノ紹介デ其席上一場ノ意見ヲ述ヘタルガ、其時ノ打合ハセニ依リ、帰京ノ上当地ニ本会ヲ設立シタリ、本会ハ会員小人数ナルガ実質ニ重キヲ置キ、其多キヲ望マスト内容ヲ談話シ、大正九年春桑港アレキサンダー氏一行、続テ紐育ヴアンダーリップ氏一行ノ来遊ヲ請フテ日米問題ニ付テ種々協議シタルガ、両回共高等委員設置説ヲ決議シタルコト、其翌年開カレタル華府軍縮会議ニ予ノ出席シタルモ、要ハ日米問題解決ノ希望ニアリシナリト論シ、最後ニ一九二四年ノ排日移民法ノ通過シタル不法ヲ難シ、吾人ハ飽迄モ之カ改正ヲ希図シテ止
 - 第35巻 p.46 -ページ画像 
マサルナリト論シタリ
ガイ博士 日系米人ノ将来ノ職業トシテハ学校ノ教師・弁護士・工場従業者ヲ最モ適当トスルガ、如何ナル方法ニテ其位置ヲ得セシムベキヤ、桑港ニ於テ之ガ調査委員ヲ作リテ調査スルコト如何
 (ギューリック氏ノ報告ニヨレバ、米国ニハ現在六万五千ノ米国出生日本児童アリ、内四万ハ加州在住ナラン)
子爵 委員ハ米日両国人ナランガ加州在留日本人ニ其人ナキヲ憂フ
頭本氏 日本人側ノ選定ハガイ博士、アレキサンダー氏等ニ選定ヲ請ハヽ可ナラン
子爵 日系米人ハ農業ニ従事セハ一番可ナランモ、日本内地ニ於テモ現時農業ヲ厭フノ状態ナレハ、況ンヤ加州ニ於テハ不可能ナラン、依テガイ氏ノ委員説可ナリト思フガ、日本人ニ其人ナキヲ懸念セサルヲ得ス
ガイ氏 アレキサンダー氏ガ是非日本人ノ為ニ何カセント熱心希望シ居ルニ付キ、必ス相当ノ方法ヲ考ヘ得ルコトヽ思フ
団氏 日本人ニ於テ之ヲ世話スルコトハ其効ナカルヘシ、米人側ノ尽力ニ拠ル外ナカラン
子爵 加州ニハフイラン、エンマン、マクラツチー、ジヨンソン、シヤーレンバーグ等ノ排日家アリ、是等ヲ緩和セシムル方法ナキヤ
ガイ氏 之等ノ人々ハ何レモ排日家ナルガ、目下移民法ニ触ルヽコトハ絶対ニ反対スルモ、在留日本人ノ改善ニ付テハ賛意ヲ表セリ
子爵 ガイ氏ノ委員ノ選定ハ米国側ニ委任スルトシテ、其機関ノ設置ニハ全然賛成ナリ、故ニガイ氏ハアレキサンダー氏其他ニ協議ノ上成案ヲ得タラハ本会ニ通知ヲ請フ、其場合本会ハ大ニ助スルコトヽ致シタシ
ト希望シ一同之ニ一致シ、ガイ氏又之ヲ快約シタリ
    以上


集会日時通知表 昭和二年(DK350007k-0005)
第35巻 p.46 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年     (渋沢子爵家所蔵)
十月五日 水 午前十時 ガイ博士来約(飛鳥山)
十一月十日 木 夕四時半 日米関係委員会ノ件、ガイ博士招待会(銀行クラブ)
十二月一日 木 正午 日米関係委員会催ガイ博士招待会(銀行クラブ)
十二月八日 木 午後〇時半 ガイ氏より御案内(東京会館)


(ハーヴェー・エッチ・ガイ) 書翰 渋沢栄一宛一九二七年一二月二日(DK350007k-0006)
第35巻 p.46-49 ページ画像

(ハーヴェー・エッチ・ガイ) 書翰  渋沢栄一宛一九二七年一二月二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
           HARVEY H. GUY
         2515 HILLEGASS AVENUE
          BERKELEY, CALIFORNIA
                   December 2, 1927
Viscount Eichi Shibusawa
  Takinoagwa, Tokyo, Japan
Dear Viscount :
 - 第35巻 p.47 -ページ画像 
  In a few days I shall be leaving for America and I am taking advantage of a few vacant moments to express to you how deeply I feel concerning the unstinted courtesy with which you have entertained me on several occasions. I am especially thankful for the frank manner in which you talked with me concerning the very delicate question of the immigration law. I think frank interviews such as we have had lately will greatly set forward good understanding and bring a solution of all these problems within reasonable expectation. Your sincerity and openmindedness have greatly impressed me and I am returning with new determination that as long as I have life I shall work for the complete understanding between our two countries.
  I visited Manchuria also and I feel now that I understand Japan's policy in that land much better than when I looked at it from a distance. It seems to me to be one of the greatest industrial acts of true statesmanship I have ever seen. In the long future this investment of life and capital will doubtless pay some real returns but at the present time there must surely arise an annual deficit if looked at from the point of cold business.
  I think, also, that I have gained a better view of Japan's China policy as a whole. I feel now that territorial ambition is not in her mind but trade and commerce. I felt when in China that great harm had been done Japan by the misrepresentations which have gone from China, particuarly to America. The whole matter has assumed a different aspect since I saw with my own eyes the actual conditions there. Japan must maintain a friendly attitude to China in order to accomplish her purpose of increasing her trade with that great land. And I firmly believe this is her intention.
  I personally feel that the laws of which you justly make complaint will soon be revised and that the American people will do this without much urging from without. I beleive this will be done when the true feeling and purpose of Japan is understood.
  Especially I wish to thank you for listening to my plea for the second-generation Japanese boys and girls in America. I hope you will assist me to help them to a successful and useful life in the land of their birth. I may say that I have found a young man whom I think would be very useful in helping to solve this problem. He is Mr. Akagi of New York. I shall find more about him when I return to America and write you more fully. I understand he would probably come out to California if we could offer him $200 per month. I shall talk
 - 第35巻 p.48 -ページ画像 
this over with Mr. Alexander when I see him in January.
  As I leave Japan I wish to thank you very sincerely for many favors and pledge you that I shall do all in my power to assist my American friends to understand Japan.
            With high regard,
                  (Signed)
                Harvey H. Guy
(右訳文)
          (栄一鉛筆)
          十二月八日落手、一覧後ガイ氏王子宅へ来訪ニ付、書中之要項ハ口頭にて談話し、且桑港アレキサンダー氏へも書通之積打合候事
          此書状之回答ハ前記之如く本人面話ニて稍相尽し候ニ付、特ニ返書ニ不及と存候事
 東京市               (十二月六日入手) 明六
  渋沢子爵閣下
            一九二七年十二月二日
                   ハーベー・エチ・ガイ
拝啓、益御清適奉賀候、然ば小生数日後米国に向つて出発可致候へば小閑を利用して玆に小生を数度御款待被下候御寛宏なる御厚意に対し深厚なる謝意を申述度と存候、特に極めて難渋なる移民問題に関し閣下の御腹蔵なき御感想を覗ひ候事を深く感謝致候、惟ふに最近小生の忝ふしたるが如き腹蔵なき会見は、良好なる諒解の増進及び此等の問題の解決を相当範囲まで進め得べきものと存候、閣下の真摯且つ公明正大なる態度は小生に深大なる印象を与へ、小生は生ある限り両国間の完全なる諒解の為めに尽力せんとの決心を新にして帰国の途につき可申候
小生は満洲をも見学致候が、今にして思へば、遠くより眺め居りし際よりも遥に良く、彼地に於ける日本の政策を諒解するに至りし様に存候、右は従来小生の見たる真の為政家の最大の勤勉の行為の一として小生の眼に映じ申候、長き将来に於ては斯る生命財産の投資は、必ずや真に良好なる結果を齎らすべく候へども、目下の処冷静なる事業的見地より見る時は、確に年々損失を生じ居るものと存候
尚ほ小生は日本の支那政策の大要をも、更によく見る事を得たる様に候、日本は貿易及商業の外領土的野心無之ものと存候、小生は支那に在りし時、日本は日本に対する支那の悪宣伝、特に米国に伝はりし悪宣伝によりて多大の害を受け居るを感じ申候、小生が支那にて実状を見し以来、万事事情を異にせるを承知致候、日本は支那大陸との通商増進の目的を達する為めには、支那に対し親善態度を抱持せざるべからずと存候が、日本の意志も之れに外ならずと確信致居候
閣下が常に御不満を抱かれ居候彼の法律は不日改正せらるべく、又米国民は外部より催促を受けずして此れを為すべくと小生は感じ居候、小生は日本の真意とその感情とが米国に諒解せらるゝ時之れが実現を
 - 第35巻 p.49 -ページ画像 
見得べくと信申候
「第二世」に関する小生の意見に対し御傾聴を忝うし特に御礼申上候彼等がその生れし国土に於て成功且つ有為の生活を営むに可至様彼等の為の事業を御援助被下候様御願申上候、小生は一青年を見出し候処同人は此問題解決の為めに有為なる援助を与へ呉るべき旨を申上度候右は紐育市に在る赤木氏に候、小生は米国へ帰着の上にて同人の事を更に調査可致候へば詳細はその節申上ぐべく候、若し月給二百弗を提供せば同人は加州へ多分参るべしと仄聞致候、此儀に就ては来一月アレキサンダー氏と会見の節協議可致候
小生は日本を去るに臨み小生の忝ふせし多くの御厚意に対し衷心より御礼を申上げ、併せて米国の友人が日本を諒解致候様能ふ限り努力致すべき義を玆に御請合ひ申上候 敬具


(ハーヴェー・エッチ・ガイ) 書翰 渋沢栄一宛一九二七年一二月八日(DK350007k-0007)
第35巻 p.49-50 ページ画像

(ハーヴェー・エッチ・ガイ) 書翰  渋沢栄一宛一九二七年一二月八日
                 (渋沢子爵家所蔵)
        HARVEY H. GUY
       2515 HILLEGASS AVENUE
       BERKELEY, CALIFORNIA
                December 8, 1927
Viscount Shibusawa
  Tokko, Japan
Dear Viscount :
  Mr. Obata has just brought to me a very beautiful and precious present of a set of rolls portraying the life and customs of an interesting period of ancient Japan. I appreciate this gift the more when I am told it was through your generosity this work was done, and most of all I shall treasure this as a token of yourself and shall be helped to a broader view of life as I remember the character of the one who gave this.
  At the same time Mr. Obata presented me with a gift from the members of your committee, a gift quite undeserved by me I assure you, but fully appreciated. I wish through you to express my deep feeling of gratitude to the committee for this too great honor which this represents.
  I am humbled in the presence of such generosity and cannot find words with which sufficiently to express my sense of indebtedness to you all. Japan has been kind to me and I shall treasure the memories of this trip as the most interesting of all my life.
              Wigh high regard,
              (Signed) Harvey H. Guy
(右訳文)
                  (栄一鉛筆)
                  十二月十七日一覧
 東京市            (十二月十二日入手) 明六
  渋沢子爵閣下
 - 第35巻 p.50 -ページ画像 
            東京、一九二七年十二月八日
                   ハーベー・エチ・ガイ
拝啓、益御清栄奉賀候、然者興味ある古代日本の風俗習慣を描写せる美麗且つ貴重なる絵巻物を御恵送に与り小畑氏より正に入手仕候、此は閣下の御発意に基きて作製せられし旨を承り一層珍重の念を深ふ致候、小生は閣下の御厚意の印として永く此れを保存し、且つ此貴重品を拝見致す毎に、御恵投被下候御方の人格を回想して其範に倣ひ、小生の人生観を広くするを可得候、尚ほ又貴委員会々員より贈られたる結構なる御贈物をも小畑氏より入手致候、小生は右を御受け可致価値無之を恥つる次第には御座候へども難有拝受仕候、身に余る光栄に与り感佩の至に存候に付ては、適当の機会に於て貴委員会会員諸氏に対し、此旨閣下より宜敷く御伝へ被下候様懇願仕候
小生は斯くの如き御厚意を忝ふし恐縮至極に存候、閣下を初め皆々様に対する謝意を充分に現はすべき言葉無之を遺憾とする所に御座候、小生は至る所に款待を蒙り、今回の旅行は小生の生涯に於ける最も興味あるものとして小生の記臆に永く留り可申候
右御礼旁得貴意度如此御座候 敬具


渋沢栄一書翰 控 ウォレス・エム・アレグザンダー宛昭和二年一二月五日(DK350007k-0008)
第35巻 p.50-51 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ウォレス・エム・アレグザンダー宛昭和二年一二月五日
                 (渋沢子爵家所蔵)
                (栄一鉛筆)
                十一月二十八日一覧 明六
      案
 加州桑港、桑港商業会議所
  ウオレス・エム・アレキサンダー殿
                   東京 渋沢栄一
拝復、御友人ガイ博士に御託の九月十二日付尊書同博士より正に拝受早速翻訳為致読了仕候、然ば尊台には今夏ホノルヽ市に開催せられたる太平洋問題会議に御参列の由にて、右に関する御感想御漏し被下興味を以て拝読仕候、来示の如く此種の会議は太平洋沿岸諸国民の親善並に諒解の増進に資する所不尠、真に結構なる企劃と存候、同会議が我邦に於て開催せらるゝ場合には老生にも出席致其模様を親しく視察致候様との御注意至極御尤と拝承仕候、《(以下十五字栄一鉛筆加筆)》其機会之到来を今日より期待仕候
日米関係委員会に於て本月十日ガイ博士の歓迎晩餐会を銀行倶楽部に開催し有力なる会員諸氏出席致、同博士と種々懇談仕候、老生は御承知の通り英語を了解致兼候に付外国人との接触に当り通訳による必要有之、稍不自由を感じ居候処、ガイ博士は稀に見る日本語の達人にして、自由に日本語にて談話し得候義真に愉快にて時の移るを忘れ候
同博士は第二世即ち日系米国人指導の為米日両国人より成る委員会組織の必要を力説相成候に付、米国市民たる日系米国人の指導に付て純日本人の加はる事は如何あるべきかとの懸念も有之、此儀特に申上候得共、ガイ博士は右は杞憂に過ずとの御意見に有之、依て結局一同賛成致候、就て何れ同博士御帰国の上右に関し御協議可有之と存候間、其際は可然御高配被下度予め懇願仕候
 - 第35巻 p.51 -ページ画像 
ガイ博士の如く我が国語並に国情に精通せらるゝ人士の時々渡来の上国情の変化、発展の模様を視察せられ、其結果を貴国民殊に加州の人人に紹介せらるゝは、両国親善の上に貢献する所大なるべくと信じ、今回の博士の御渡航に期待する所尠からず候、尚少数の熱心なる友人等と共に近く再び同博士を請じて一会相催し懇談致候筈に相成居候
右遷延ながら拝復旁得貴意度如此御座候 敬具
  右英文書翰ハ昭和二年十二月五日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰 控 ウォレス・エム・アレグザンダー宛昭和二年一二月九日(DK350007k-0009)
第35巻 p.51 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ウォレス・エム・アレグザンダー宛昭和二年一二月九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                (栄一鉛筆)
                十二月十九日一覧 明六
      案
 加州桑港
 桑港商業会議所
  ウオレス・エム・アレキサンダー殿
                昭和二年十二月九日
                   東京 渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば先般ガイ博士に御託し被下候尊書に対しては不取敢御回答申上置候に付御落手の事と存候、ガイ博士は凡そ二ケ月半に亘り日本内地の外朝鮮・満州・北京等を視察せられ候由にて日支両国の関係、満州の状況などに関し、新たなる印象と理解とを得られたるやに承知致候、博士今回の来訪は吾々日米関係委員に取り真に有益なりし事を申上候、老生は博士と自国の言語を以て自由に談話致候為め特に愉快に感じ申候、博士は首尾能く旅行を全うせられて明日帰途に就き途中ホノルヽ市に立寄り二週間程滞在せらるゝ由に有之候、吾々日米関係委員は「第二世」指導の為め有力なる米日人より成る委員会を組織致し度しとの博士の提案に賛意を表し申候、之れに関し唯爰に御注意までに申上度き義は右委員会の事業を進むるに当り専ら沈着摯実を旨とし徒らに声を高くせざる様致度く、去ればとて之れを秘密に致さゞるべからずと申す次第には無之候、博士と吾吾との間に交換せられたる談話に関しては博士より詳細の御報告可有之と存候擱筆に臨み再び博士今回の渡来の有益なりし事を申上げ、併せて貴台の御健在を祈り申候
右御挨拶旁得貴意度如此御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ十二月九日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰 控 フランク・シー・アサートン宛昭和二年一二月九日(DK350007k-0010)
第35巻 p.51-52 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  フランク・シー・アサートン宛昭和二年一二月九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                (栄一鉛筆)
                昭和二年十二月十九日一覧
     案
 ホノルヽ市
  アサートン殿
                昭和二年十二月九日
                   東京 渋沢栄一
 - 第35巻 p.52 -ページ画像 
拝啓、益御清適奉賀候、然ば嘗て日本に十五年間滞留せられたる基督教宣教師ガイ博士夫妻が、今回二十年目に再び我邦を訪問せられ候事は已に御聞き及びの事と存候、博士は稀に見る日本語の達人に候へば老生及我日米関係委員は日米問題に関し自由に且つ腹蔵なく有益なる協議を遂げ申候、同博士との懇談中に起り候重要の問題は、同博士によりて提出せられたる日系米人指導の為め加州に於ける有力なる米日人より成る委員を設け度しとの事にて、本提案にはアレキサンダー氏も賛成し居らるる由に有之候、吾々委員はアレキサンダー氏及ガイ博士が斯くも熱心に「第二世」の将来に就き御配慮下され候義を多とし感佩措く能はざる次第に御座候、従つて右の如き委員会を組織せらるる事に賛意を表し申候
博士が帰途御市に二週間程滞在せらるゝ由に有之候へば、自然本問題に関し御談話可有之、同時に貴台の御同情と御声援を求めらるゝ事と推察罷在候、斯る委員会を組織致候事は誠に時宜に叶ふ企図と存候得共、愈成立の暁には徒らに声を高くせず、沈着且つ摯実に之れを実行致度く存候、乍去之れを秘密に致すべしと申す次第には無之候
ガイ博士今回の渡来は吾々に取り真に有益なりし事を申述べ、貴地に於ても同様なるべきを期望して止まざる次第に御座候
右御挨拶旁得貴意度如此御座候 敬具


(ハーヴェー・エッチ・ガイ) 書翰 渋沢栄一宛一九二八年一一月二八日(DK350007k-0011)
第35巻 p.52-54 ページ画像

(ハーヴェー・エッチ・ガイ) 書翰  渋沢栄一宛一九二八年一一月二八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
            HARVEY H. GUY
          2515 HILLEGASS AVENUE
           BERKELEY, CALIFORNIA
                    November 28, 1928
Viscount Eichi Shibusawa
  Tokyo, Japan
My dear Viscount :
  May I, first of all, extend to you the greetings of the season and wish for you a most happy and prosperous New Year.
  About this time, one year ago, I was in Japan enjoying the unequalled hospitality of the Japanese people, and in particular I cease not to remember the undeserved and quite unexpected welcome which you and your Committee gave me.
  Since returning home I have been doing what I could to further the good understanding between the United States and Japan and between their respective peoples. I have delivered many addresses and held many conferences all with one purpose in mind, to secure mutual understanding and mutual respect. I believe some good has been accomplished. In visiting various parts of the state I have always made it a point to speak to the Japanese residents and to encourage them in their work. I have particularly discussed with them the matter of the education of the second generation. These young people are a high-
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grade group of enthusiastic citizens. They are facing many difficulties but I feel quite sure that they will succeed. It is one of our great responsibilities to encourage and direct these young people and, if possible, someone should be giving all his time to this work.
  Mr. Wallace M. Alexander has been doing every possible thing to secure positions for the American-born Japanese in this state. Some time ago he appointed the following Committee to handle this problem. Harvey H. Guy, Chairman, Mr. Wallace M. Alexander, Mr. Fred. C. Michaels. This committee has held many meetings and Mr. Alexander has made two trips East in an effort to find positions for well prepared College graduates. We have now asked the Chicago Y. M. C. A. to assist us and they have consented to do so and it looks like we were now going to be able to do something very practical and helpful in the near future. You may be assured that our Committee will do all in its power to accomplish the desired results.
  The opposition of extremists in this state has practically died out and a more friendly attitude is being taken. This is a very opportune time to do something worth while and the outlook for the future is decidedly brighter than it was a year ago.
  Will you kindly convey to the members of your Committee my warmest greetings and best wishes.
            With high regard,
             (Signed) Harvey H. Guy
(右訳文)
          三年十二月三十一日閲 来意ニ対して充分之了解を以て鄭寧なる回答致度且アレキサンダー氏とあるは桑港なる関係委員長之事ならむと存候事
 東京市                (十二月十七日入手)
  渋沢子爵閣下
               加州バークレー
    一九二八年十一月廿八日  ハーヴエー・エツチ・ガイ
拝啓、益御清適奉賀候、然ば先以て季節の御挨拶を申上げ幸福にして栄ある新年を御迎へ被遊候様祈上候
昨年の今頃は貴国訪問中にて皆様の比類なき御款待に与り、特に閣下及び日米関係委員諸賢より過分にして全く意想外なる歓迎を蒙り候を難有追懐仕候
帰朝後は日米両国及び両国民の理解親善促進のため及ばずながら努力致居候、相互の理解を進め互譲の精神を喚起せしむる唯一の目的を念頭に置き数回の演説をなし、又諸種の会議を開催して多少の効果を収めたる事と信じ候、本州各地を訪問するや必ず在留日本人に対して所
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感を述べ其事業を奨励するを常と致候、特に第二世の教育問題に関し在留日本人と意見を交換仕候、此等第二世は高級の熱誠なる市民団にして幾多の困難に当面致居候得共終には必ず成功する事と存候、此等の青年を奨励指導するは吾人の大責任の一に有之候、若し出来得べくんば、此事業のために全力を捧ぐる人士を得申度き希望に御座候
ウオーレス・エム・アレキサンダー氏は加州に於ける日系米国人のために就職口を得る為めあらゆる手段を講じ居られ候、先般同氏は左記委員即ちハーヴエー・エッチ・ガイ(会長)、ウオーレス・エム・アレキサンダー氏、フレツド・シー・ミケールス氏を挙げて該問題に当らしむることゝ致候、同委員は度々会合しアレキサンダー氏は優良なる大学卒業者のため就職口斡旋のため弐回東部に旅行致候、市俄古基督教青年会に援助を依頼し既に其快諾を得候故、近き将来に於ては頗る実際的にして有力なる事を為し得ることと信じ居候、委員等は希望達成の為め全力を傾倒致すべく候に付御承知置き被下度候
本加州に於ける過激派の反対も事実上終熄して従来よりも一層親善の態度を示し居る有様に有之候へば、此機会を逸する事なく更に親善の効果を挙ぐべきものと存候、前途は一年以前よりも確かに希望に輝き居候、日米関係委員諸賢にも何卒宜しく御鶴声被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具


渋沢栄一書翰 控 ハーヴェー・エッチ・ガイ宛昭和四年一月一九日(DK350007k-0012)
第35巻 p.54-55 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ハーヴェー・エッチ・ガイ宛昭和四年一月一九日
                      (渋沢子爵家所蔵)
          (栄一鉛筆)
          昭和四年一月十七日一覧
          本案にて異存無之に付早々出状致度候事
      案
 加州バークレー市
 ヒーレガツス街二五一五
  ヒユーゴー《(ハーヴェー)》・エチ・ガイ殿
                   東京 渋沢栄一
拝復、昨年十一月廿八日付尊書順着拝誦仕候、然ば御鄭重なる季節の御挨拶を賜はり難有奉深謝候、老生幸に無異新春を迎へ九十歳の老翁と相成候、年頭往事を追懐し将来を想見し感慨不禁、拙詩作成致候間左に供覧致候
  義利何時能両全 毎逢佳節思悠然
  回頭愧我少成事 流水開花九十年
一千八百二十七年《(九)》の秋御来遊の節は御款待思ふに不任遺憾欠敬此事に御座候、然るにも拘らず忘れ難き思出を被得候由被申聞候は真に望外の満悦に御座候、日米関係委員会委員諸氏に於ても欣慰の至りと奉存候、貴台の如く我邦の言語・風俗に通暁せらるゝ人々が御渡来被下候上親しく御観察被下候はゞ、日米親善に貢献する所多大なるべきは言を俟たず、老生等の喜悦措く能はざる所に御座候
加州各地に於ける御講話は啓発の功顕著なるべきを信じ衷心より感佩罷在候、アレキサンダー氏と御提携相成日系米人第二世の将来に関し種々御高配被下候由感謝を以て拝承仕候、第二世は純然たる米国人に
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候間之に付老生等の敢て容喙すべき義には無之候得共、彼等の運命は極めて重大なる意義を有する義に候へば、日米親善増進を希望する者の注視する所に御座候、従つて貴台を始めアレキサンダー氏等の御尽瘁に対し衷心より拝謝致候次第に御座候、アレキサンダー氏に御会見の節は老生の微衷御伝達被下度懇願の至に御座候
右拝復旁得貴意度如此御座候 敬具
  昭和四年一月十八日
  ○右英文書翰ハ一月十九日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ウォレス・エム・アレグザンダー宛一九二六年五月一一日(DK350007k-0013)
第35巻 p.55-56 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ウォレス・エム・アレグザンダー宛一九二六年五月一一日
                      (渋沢子爵家所蔵)
                     (栄一鉛筆)
                     七月三日一覧
 桑港
  ダブルユー・エム・アレキサンダー殿
               東京、一九二六年五月十一日
                      渋沢栄一
拝啓、倫敦駐在日本大使館員堀之内謙介氏最近帰任の途上布哇に立寄られ候に付、貴下宛の紹介状を手交致置候処、同氏よりの来状によればホノルヽに於て貴下と会見相成り意見を交換せられ候由承知致候、日本側に於ては忍耐を要すとの御談は誠に意義あるものとして深く御礼申上候、小生が両国間の親善と友誼との為めに常に微力を相尽し候に対し、堀内氏を通じて御賞辞を賜はり候段難有奉深謝候
桑港《*》よりの来信によれば、加州大学に於る東洋語並に文学担当教授ウヰリアムス博士近く辞職相成べく候へば空席出来候由に御座候、小生は紳士として又支那学者として同氏に敬意を表するものに候、乍併ウヰリアムス博士を知るものは東洋に関する氏が知識は支那にのみ局限せられ、従つて東洋文化に関する氏が見地は此方面に於ける日本の多大の貢献を無視する嫌あるは頗る遺憾とする処に御座候
然る処同大学関係者も此事を充分に認むる事と相成候は欣快とする処にして、中にはウリアムス博士の後継者としては、日本の事に通せる人を選ぶべしとの説を為すものも有之候由に聞き及び居候
本件は貴下の思慮ある御注意を受け居候事と存候、貴下には候補者として可然人の御考へ有之候哉、此重要なる地位に擬すべき優秀なる人物を見出さんが為めには遠きに之れを求むる必要無之、小生はエチ・ヱチ・ガイ博士を推し度と存候、博士は日本語に通ぜられ、吾国の歴史・文学・習慣・制度等に精通せられ候事は小生の常に感服する処に御座候、全米国に亘り他の適任者を物色せらるゝとも、ガイ博士に優る人物を得る事は不可能と存候、日本に関する講座を同博士が担当せらるゝ事に関しては何人も異議を挟まざる処と存候、反対を為す者或ひは同博士は支那に通ぜずと称するやも計り難く候得共、仮令博士が特に支那に関する研究を試みずとも、日本の思想と制度とに関する研究を為せるものは、日本文化の淵源たる支那学に通ぜざれば到底之れを為す能はざるものに御座候、支那に関する此概括的知識の基礎に立つ時は西洋諸国の日本研究者はその学究的目的に必要なるが如き専門
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的知識を得るに難らざるべくと存候
以上の見地より、小生はガイ博士を右の重要なる地位に推薦する事を得るものに候、若し御賛成に候はゞ同大学の当局者に対し、同博士以上の適任者なしとて可然御手配願はる間敷く候哉、此目的貫徹の為めに小生に於て何か為すべき事有之候はゞ、申すまでもなく御遠慮なく御申越被下度候 敬具
*(欄外別筆)
  [発送したる後改めて訳文を御覧に入れしものなり。
  ○右英文書翰ハ大正十五年五月十一日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 武富敏彦宛大正一五年五月一四日(DK350007k-0014)
第35巻 p.56 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  武富敏彦宛大正一五年五月一四日 (渋沢子爵家所蔵)
  武富桑港総領事殿
拝啓、時下益御清適奉賀候、然はUniversity of CaliforniaのDepartment of Oriental Languages and Literatureにて東洋文化及国際関係の講座を担当せるウヰリアムス博士老齢退任の為め、目下其後任者物色中の趣出淵次官より伝承候処、右は東洋の文化と国際状況を会得する識者を以て其任に当つる事最も必要と被思候処、之には御地のガイ博士が最も適当と思惟被致候に付、是非同博士を採用ある様致度と此旨桑港のアレキサンダー氏宛別紙の通出状致候間、御覧の上何卒御尽力被成下、拙望の相達し候様希上申候 匆々敬具
  大正十五年五月十四日        渋沢栄一
  ○別紙見当ラザルモ前掲書翰控参照。