デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.132-140(DK350031k) ページ画像

昭和4年10月4日(1929年)


 - 第35巻 p.133 -ページ画像 

是日、当委員会主催アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会委員ロバート・エヌ・リンチ及ビチャールズ・シー・ムーア並ニ同国ハワイ大学教授原田助歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。


■資料

渋沢栄一電報控 リンチ、ムーア宛 一九二九年九月二八日(DK350031k-0001)
第35巻 p.133 ページ画像

渋沢栄一電報控  リンチ、ムーア宛 一九二九年九月二八日  (渋沢子爵家所蔵)
          (COPY)
MISTERS LYNCH AND MOORE, S S MALOLO
               September 28, 1929
HEARTY WELCOME REQUEST YOUR PRESENCE AT LUNCHEON
FRIDAY FOURTH REPLY IMMEDIATELY
            EIICHI SHIBUSAWA
                   TOKYO
(右訳文)
    リンチ
    モーア
                東京
                 渋沢栄一
御来遊ヲ喜ブ
四日(金)午餐会ヘ御参列ヲ懇請ス
折返ヘシ御返電乞フ


(チャールズ・シー・ムーアロバート・エヌ・リンチ)電報 渋沢栄一宛一九二九年九月二九日(DK350031k-0002)
第35巻 p.133 ページ画像

(チャールズ・シー・ムーアロバート・エヌ・リンチ)電報 渋沢栄一宛一九二九年九月二九日
                 (渋沢子爵家所蔵)
  MALOLO, RADIO.
VISCOUNT EIICHI SHIBUSAWA, TOKIO Sept. 29, 1929
ACCEPT YOUR KIND INVITATION LUNCHEON FRIDAY
EAGERLY ANTICIPATING SEEING YOU AGAIN MOOR AND LYNCH
(右訳文)
金曜日ノ午餐ニ御寵招ヲ蒙リ難有拝諾ス
鶴首シテ再会ノ日ヲ待ツ
                         モーア
                         リンチ


日米関係委員会往復書類(二)(DK350031k-0003)
第35巻 p.133-134 ページ画像

日米関係委員会往復書類(二)       (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適賀上候、然ば今般桑港商業会議所副会頭にして桑港米日関係委員会会員たるロバート・エン・リンチ氏、並に大正四年桑港に開催せられたるパナマ運河開通記念博覧会々長たりしチヤールス・エム《(シー)》・モーア氏来遊せられ候に付、来十月四日(金)正午丸ノ内東京銀行倶楽部に於て歓迎午餐会相催度と存候間、万障御差繰の上御出席被成下度此段御案内申上候 敬具
  昭和四年九月廿九日
 - 第35巻 p.134 -ページ画像 
                日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同    藤山雷太
    会員全部殿
  追て当日は御平服に願上候、尚御諾否折返し御回示被下度候


日米関係委員会集会記事摘要(DK350031k-0004)
第35巻 p.134-137 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要    (渋沢子爵家所蔵)
    米国人リンチ及モーア両氏歓迎午餐会
(十月四日正午、於東京銀行倶楽部、日米関係委員会主催)小畑
      出席者
 主賓 桑港商業会議所副会頭、桑港米日関係委員会委員
               ロバート・エン・リンチ氏
    大正四年、桑港、パナマ運河開通記念博覧会々長
              チャールズ・シー・モーア氏
    布哇大学教授        原田助氏
 会員               団男爵
                  服部金太郎氏
                  堀越善重郎氏
                  串田万蔵氏
                  阪谷男爵
                  渋沢子爵
                  頭本元貞氏
 調査嘱託             高木八尺氏
             (幹事) 小畑久五郎氏
             臨時手伝 佐治祐吉氏
  リンチ及モーアの両氏は桑港商業会議所の太平洋巡回遊覧(Around Pacific Cruise. 1929)団を組織してマロロ(Malolo)と称する二万三千噸の巨船を借切つて、最初に日本へ渡つて来た。
  遊覧の傍貿易の開発に着眼して太平洋沿岸を巡回するといふ素晴らしい計画である。
 当日は朝からの雨であつた。
 子爵が早くから銀行倶楽部で御待兼の所へ、最初に見えたのは太平洋問題調査会の大会で帰朝した布哇大学の原田助博士であつた。
 子爵は原田氏の前に立つて諄々と日米関係と日米関係委員会との事に就て説いてゐられた。「私達は全力を尽して一刻も休まず日米関係改善の為に尽して居ます。博士もかうしたらよからうとか、斯ういふ所はかう改めねばならぬとか、御心付の点はどうぞ東京の方へ御知らせを願ひたい」と倦まずに話されるのであつた。原田博士は謹厳そのもののやうに子爵のお話を謹聴してゐられた。
 団男爵を最後に出席者が全部揃はれた所へ、堀越善重郎氏がリンチ氏並にモーア氏を自分の自動車に同乗して見えられた。
 両氏は子爵に近づき、一とき懐旧談を取りかはされ、頭本元貞氏の通訳で左のやうな話をされた。
 リンチ氏「自分にとつて子爵は永い間の親友でいられます。今十年
 - 第35巻 p.135 -ページ画像 
前と少しも変られない子爵の矍鑠たる御様子を拝する事が出来るのは子爵の為に誠に慶賀に堪へぬ所であります。」
 子爵「回顧すれば大正四年の事でしたが、桑港に博覧会のあつた時に、貴方やアレキサンダーさんや其他の人々と御相談を致しました結果、日米関係委員会を作つて、お互に協力して日米関係の改善に尽して行かうといふ話が纏りまして、此委員会を組織したのであります。」
 リンチ氏「子爵閣下を始め会員皆様の御熱心は感謝の他は御座いません。斯く長日月に亘つて子爵が御尽力遊されております問題は、幸にも近来米国人の間に理解を得、米国内の空気は漸次我々の目的とする親善に変つて来ました。」
 モーア氏「私は博覧会で子爵閣下に拝顔の栄を得てから、絶えず子爵を尊敬致して来ました。我桑港では渋沢子爵と云へば誰一人知らぬものは無いのであります。子爵は御高齢にも拘らずあの千九百十五年当時と少しもお変りがいらせられない!」
 リンチ氏「まつたく、千九百廿四年の移民法制定当時、子爵が日米関係委員会々長として、日本国内の激昂状態をよく緩和せられなかつたならば、どんなに事態が険悪になつたか判らないのであります。」
 子爵は旧友との再会を喜ばれたが、残念にも数日来便秘の為苦んで居られ、今日一日はどうしても休養する必要があつたので、食卓に就かず惜しい別れを告げて帰られた。
 食卓では阪谷男爵と団男爵とが主人役として中心に向ひ合ひ、リンチ氏は阪谷男爵の右に、串田万蔵氏は同男爵の左に就かれ、モーア氏は団男爵の右に、服部金太郎氏は其左に就かれた。リンチ氏は頻りにその流暢な愛想のよい話振で頭本元貞氏と話合つてゐた。
 デザート・コースに入るや、阪谷男爵は起つて英語を以て左の歓迎の辞を述べられた。
 阪谷男爵「今日、日米関係に最も功労のある三氏を招待して歓迎午餐会を開く事の出来ましたのは、誠に喜ばしい事であります。
 ロバート・リンチ氏は千九百十九年(大正八年)桑港商業会議所会頭アレキサンダー氏と共に日本に来遊され、日米協議会の件に関して渋沢子爵と打合せ、翌年アレキサンダー氏がパーチーを作つて御来遊になつたのは、実にリンチ氏の尽力その多きに居るものであります。当時は加州の排日気勢が挙つた時でありまして、我々日米関係委員会は大正九年三月に此アレキサンダー・パーチーを招いて、引続き同年四月にはヴアンダーリップ・パーチーを招いて其対策法を研究したのであります。而かも残念な事には其同じ年の秋にかの排日的人民投票が行はれたのであります。此間に立つて桑港に於ける米日関係委員の苦心は容易ならぬもので御座いました。
 チヤールズ・モーア氏は千九百十五年の桑港に於けるパナマ運河開通記念博覧会の会長として日米親善に尽されたる知名の士であつて、私は氏の名声は夙に承つてをりました、また氏の風丯には度々グラフの上で接してをりましたが、今日親しく拝顔の栄を得てグラフの上で見ますよりも遥に若々しい御様子に驚きました訳であります。(拍手)
 又原田博士は七年以前より日本側の関係委員として重要なる努力を
 - 第35巻 p.136 -ページ画像 
つゞけて来られた方であります。
 本日此三氏を迎へて午餐を共にする事の出来ましたのは一同の非常に喜とする所であります。一言一同に代つて歓迎の辞を申述べた次第であります。」
 モーア氏「阪谷男爵閣下及其他の会員諸君、私共今回の太平洋沿岸諸国巡航は、実に将来に於て効果を齎すでありませう。此効果は目前にこれと云つて目立つやうなものは期待する事は出来ますまい、けれども太平洋沿岸諸国の歴遊といふ先例を開いたといふ所に、誠に重要な意義があると考へます。
 つまり此航路によつて、吾人は各国の有識者と接触し得る機会を与へられるのが大切な所であります。而して此太平洋沿岸諸国巡航は実に二ケ年前より熟慮計画せられたものであります。」
 モーア氏の跡を継いでリンチ氏が立たれた。氏の語調は明るく且つ熱心に満ちて居た。
 リンチ氏「渋沢子爵は実に御強健で、老を知らぬ人であります。今日久し振りで子爵の温容に接して、自分も亦若返つたやうな心持が致します。丁度十年以前、千九百十九年にアレキサンダー氏と共に日本に訪れた当時の事なども思ひ起すのであります。
 あれ以来日米双方の日米関係委員会は、実に日米親善の楔をなして居るとも過言ではないのであります。
 然し乍ら千九百廿年の秋に加州の人民投票が行はれました時は、桑港の我米日関係委員会は全く孤独の状態に陥りました。けれども全力を尽して奮闘したのであります。
 今秋京都で太平洋問題調査会大会が開かれる事となりましたが、これなども桑港と東京とに日米関係委員会があつたればこそであるとも云ふ事が出来るのであります。
 次にモーア氏は世界的の人物でありまして、これは千九百十五年の博覧会でよく証明せられました。今回の私共の太平洋沿岸巡航は氏の大計画の一つであります。此一行は最厳選せられた人々で組織せられたものでありまして、希望に従つて、参加を許したものではありません、それは、加州の代表的人物を日本に渡来せしめて、吾々が嘗て諸君より示された所の美点を、此等の人々にも見せて頂きたいといふ私共の希望によつたのであります、それで特に第一に日本を目指して参つたといふ訳であります。本日日本財界の代表者たる諸君と食卓を囲んで歓談に時を移すといふのは誠に得難い仕合であります。
 私は千九百十九年に今の大統領フーヴア氏が商務卿の時代に会つてをりますが、フーヴア氏は性格から言つても経歴から言つても極めてよく国際問題に興味を有する人でありまして、今フーヴア氏が大統領の地位に在る事は、日米問題解決上一大便宜を与ふるものと信じて疑はぬのであります。と申します訳は、日米問題は先づ加州に於て了解を得る事が最も大切であるからでありまして、フーヴア氏が加州人である事と世界的問題に同情を有する事は、百万の味方を得たよりも心強いことでなければなりません。
 桑港に於ける善良なる市民は、取も直さず北米合衆国の善良なる市
 - 第35巻 p.137 -ページ画像 
民の一部を構成するものでありまして、此桑港に於ける有力家が漸次排日問題に対して理解を生じますならば、従つて之を合衆国全部に弘める事は敢て難事では御座いません。
 今や不戦条約も目出度く訂結せられました。かの野蛮な血腥い戦争といふやうなものは、過去の話となつて了ふでありませう。これも亦日米親善を側面から擁護するものと信ずるのであります。」
 モーア氏「渋沢子爵の寛大と堅忍との御精神は実に推賞の辞に苦しむ所でありまして、子爵の斯る方面を表現するには私よりもリンチ君の方が適任者で御座います。
 子爵は実に熱情の人であり、且つ、単に「日本のグランド・オウルド・マン」と称すべき人でなく、実に「世界のグランド・オウルド・マン」と称せねばならぬ方であります。従つて子爵の価値は現在に於ては十分に世人に会得せられぬに相違ありませぬ。然し乍ら後世に至つてはいよいよその光輝を発するものであります。子爵は普通人よりも七十年も先の事を洞見してゐられます。
 現在の世の中では商業は単に経済界を支配するのみならず、道徳をも政治をも支配するといふ実状でありまして、商業の発達は一刻も忽にしてはならぬ問題であります。私共今回の太平洋沿岸巡航も畢竟この考から出立したものとも云へるのであります。
 次に昨秋日本の御大礼に際しまして勲三等に叙せられ瑞宝章を賜はりました。これ身に余る光栄でありまして、なほ全力を尽して日米親善増進に努力し、この恩典に報い度いと思ふのであります。」
 原田氏「本日東京の日米関係委見会が桑港の二巨人を迎へて歓迎午餐会を開かれるに当りまして、私も久し振の帰朝といふ所から賓客の一人にお加へ下すつた事は、感謝の至りで御座います。幾年ぶりかで帰朝致しまして子爵の御壮健な御様子を拝しましたので、日米関係委員会にとりまましても誠に心強い感じに堪へぬのであります。一言御礼の御挨拶を申上げます。」
 これより先、阪谷男爵の発言で、桑港商業会議所並に桑港米日関係委員会の為に乾杯し、会を閉づるに先立つて、再びリンチ氏の発言で日米関係委員会並に渋沢子爵の為に乾杯した。
 かくて別室に入つて、モーア氏の日本の旧友山脇春樹氏を迎へて委員諸氏と共に歓談に時を移し、リンチ及モーアの両氏はこれより再び堀越善重郎氏の自動車に乗じて、東京会館に開催せられた東京商工会議所の招待会に向つた。
  ○右記事ハ「竜門雑誌」第四九三号(昭和四年一〇月)ニ転載セラレタリ。


(ロバート・エヌ・リンチ)書翰 渋沢栄一宛 一九二九年一〇月一三日(DK350031k-0005)
第35巻 p.137-138 ページ画像

(ロバート・エヌ・リンチ)書翰  渋沢栄一宛 一九二九年一〇月一三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                 S. S. "MALOLO"
                   October 13, 1928
Viscount Eiichi Shibusawa
  Oji, Tokyo, Japan
My dear Viscount:
 - 第35巻 p.138 -ページ画像 
  Both Mr. Moore and myself greatly appreciate the fine luncheon you gave us at the Bankers' Club during our visit in Tokyo. It was an inspiration to meet the members of the American-Japanese Relations Committee and particularly the opportunity of seeing you again.
  Our party had a very wonderful visit in Japan and are carrying away the finest impressions.
  With very kindest wishes for your own health and the hope that you will have many additional years of rich service, I am
             Sincerely yours,
                   (Signed)
              Robert Newton Lynch
(右訳文)
          (別筆)
          回答済 昭和五年四月七日白石秘書を経て御下附
          (栄一鉛筆)
          四年十一月十一日一覧
          回答案を作り早々発送致度候、但其文中には銀行倶楽部に於る歓迎会ニ当り余が他ニ要務ありて中途にて欠席せし欠礼を、丁寧ニ陳謝する旨申添へ有之度候事
 東京市               (十月廿一日入手)
  渋沢子爵閣下
   一九二九年十月十三日
               汽船マロロ号
                ロバート・ニートン・リンチ
拝啓 益御清適奉賀候、然ば貴都訪問の際は銀行倶楽部に於て結構なる午餐会の御饗応を忝ふしモーア氏共々奉深謝候、日米関係委員会の諸賢と会見し、特に閣下と再び拝光の機会を得、感激措く能はざる次第に御座候、小生等の旅行団は驚嘆すべき日本漫遊を終り、最善の印象を得て其後の航海を続け居候
閣下には益御健勝にて猶幾久しく社会人道のため御奉仕あらんことを衷心より奉祈願候、先は御礼迄得貴意候 敬具


渋沢栄一書翰控 ロバート・エヌ・リンチ宛 一九三〇年五月九日(DK350031k-0006)
第35巻 p.138-139 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ロバート・エヌ・リンチ宛 一九三〇年五月九日
                   (渋沢子爵家所蔵)
          (別筆)
          昭和五年四月十九日御承認済
 米国桑港商業会議所
  ロバート・ニユートン・リンチ殿
    一九三〇年五月九日
                   東京 渋沢栄一
拝復、益御清穆奉慶賀候、然者マローロ号よりの昨年十月十三日附尊書順着難有拝読仕候、就て早速御返書差上ぐべき筈の処俗務多忙の為
 - 第35巻 p.139 -ページ画像 
め遷延致、其内流行感冒の為め籠居静養の已むなきに立到、事務を廃し居候為め、遂に今日に及候次第に御座候、頃日漸く稍快方致玆に一書拝呈仕候義に候
昨年は太平洋沿岸諸国御巡遊の途に被上、真先に日本を御訪問被下、東京銀行倶楽部に於て久闊を叙し且御懇談の機を得候事欣快の至に御座候、然るに当時老生腹部の故障有之、腹痛の為止むなく中座致、折角の機会を逸し、且尊台始め尊来の各位に対して礼を失し候事誠に恐縮且残懐の至に不堪候、事情御推察被下、失礼の段は何卒御容恕被下度候
尊台等御一行の有力者諸氏の日本御訪問が、如何ばかり将来の米日関係に好影響を与ふべきかを思うて欣喜不禁、御訪問に対し深く感謝罷在候
乍末筆アレキサンダ氏・モーア氏並に桑港米日関係委員会の諸氏によろしく御致声被下度候
右乍遷延貴答迄如此御座候 敬具



〔参考〕集会日時通知表 昭和四年(DK350031k-0007)
第35巻 p.139 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年         (渋沢子爵家所蔵)
九月廿四日 火 午前九時 原田助氏来約(飛鳥山邸)



〔参考〕(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛 一九二九年八月一二日(DK350031k-0008)
第35巻 p.139-140 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰  渋沢栄一宛 一九二九年八月一二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            Commission on
      INTERNATIONAL JUSTICE AND GOODWILL
              of the
  FEDERAL COUNCIL OF THE CHURCHES OF CHRIST IN AMERICA
          105 EAST 22ND STREET
           NEW YORK, N. Y.
                  August 12, 1929
Viscount E. Shibusawa
  1 Nichome Yeirakucho Kojimachiku
  Tokyo, Japan
My dear Viscount Shibusawa:
  Among one of my best friends who is soon to be visiting Japan is Dr. Stephen P. Duggan, Director of the Institute of International Education. He will be in Japan during October and November.
  I am sure you will be glad to meet him and to talk with him about conditions in Japan and also about American-Japanese relations. He is a member of our American-Japanese Relations Committee here in New York and is deeply interested in everything that will help to promote understanding, appreciation and goodwill between our two countries.
  Trusting that you are once more enjoying good health notwithstanding your many long years of arduous service, I am as ever,
 - 第35巻 p.140 -ページ画像 
               Cordially yours,
              (Signed) Sidney L, Gulick
                    Secretary
(右訳文)
            (栄一鉛筆)
            四年九月十一日閲了
            添書持参ノ人到着次第面会可致事
 東京市                 (九月二日入手)
  渋沢子爵閣下       紐育市
    一九二九年八月十二日  シドネー・エル・ギユリツク
拝啓、益御清適奉賀候、然ば近々日本漫遊に出発すべき小生の親友中に国際教育協会理事ステヴン・ピー・ダガン博士有之候、同氏は十月及び十一月の間日本に滞留可仕候
閣下は喜むで同博士と御会見の上日本の情態及び日米関係問題に就きて御懇談被遊候事と奉存候、同氏は当紐育市に於ける日米関係委員会の一員として、両国間の理解尊敬及び好意促進の助けとなる事柄には凡て深き興味を有し居候
閣下には御健康を恢復せられ、多年の繁劇なる奉仕的御生涯にも拘らず、益御健勝の事と存候
右得貴意度如此御座候 敬具