デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.154-166(DK350035k) ページ画像

昭和5年5月24日(1930年)

是ヨリ先五月二日、栄一、アメリカ合衆国特命全権大使ウィリアム・アール・キヤッスルヲ東洋拓殖ビルディング内同国大使館ニ訪ヒ、日米両国ノ関係ニ付キ懇談ス。是日、当委員会主催同大使送別午餐会、丸ノ内東京会館ニ開カレ、栄一出席ス。二十七日、大使帰国スルニ付キ、帝国ホテルニ同
 - 第35巻 p.155 -ページ画像 
大使ヲ訪ヒ、惜別ノ辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第五〇〇号・第一一四―一一九頁 昭和五年五月 米国大使ウヰリアム・アール・キヤツスル氏訪問(DK350035k-0001)
第35巻 p.155-158 ページ画像

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日米関係委員会往復書類(三)(DK350035k-0002)
第35巻 p.158 ページ画像

日米関係委員会往復書類(三)      (日米関係委員会所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば米国大使ウヰリアム・アール・キヤツスル氏近々帰国被成候に付ては、御送別の為め小宴相催度と存候間、来廿三日(金)零時半東京会館へ尊来被成下度候、右御案内申上度如此御座候 敬具
  昭和五年五月十七日
                日米関係委員会
                 常務委員 渋沢栄一
                 同    藤山雷太
  追て乍御手数御諾否封中端書にて御都合御回示願上候


日米関係委員会往復書類(三)(DK350035k-0003)
第35巻 p.158-159 ページ画像

日米関係委員会往復書類(三)      (日米関係委員会所蔵)
 - 第35巻 p.159 -ページ画像 
拝啓、益御清適奉賀候、然ば先便米国大使並同令夫人御送別の為め来廿三日(金)零時半東京会館に小宴相催度御案内申上置候処、其後宮中の御都合にて同日同時刻同氏御夫妻を召さるゝ事と相成候趣承知致候に付ては、本会の送別会は翌廿四日(土)零時半より東京会館に於て開催の事と変更致候間、左様御承引被下御繰合尊来被下度候、此段重ねて御案内申上度如此御座候 敬具
  昭和五年五月二十日
               日米関係委員会
                常務委員 渋沢栄一
                同    藤山雷太
  御諾否乍御手数折返し御示願上候


日米関係委員会集会記事摘要(二)(DK350035k-0004)
第35巻 p.159-161 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要(二)    (日米関係委員会所蔵)
  昭和五年五月二十四日(土)零時半、於東京会館、米国大使ウヰリアム・アール・キヤツスル氏及同夫人送別午餐会
                   主催 日米関係委員会
 当日出席者左の如し
      来賓
         大使 ウヰリアム・アール・キヤツスル
            同令夫人
        参事官 エドウヰン・エル・ネヴヰル
            同令夫人
         武官 ジエームス・ジー・マツキロイ
            同令夫人
      二等書記官 ローレンス・イー・ソルスベリー
                  以上大使館関係
      小学校時代の大使の友人 ミス・アグネス・ビー・アレキサンダー
            通商局長 武富敏彦
                 新渡戸氏令夫人
                 服部文四郎氏令夫人
       以下委員、嘱託、幹事
                男爵 団琢磨
                   頭本元貞
                   串田万蔵
                   藤山雷太
                男爵 阪谷芳郎
                子爵 渋沢栄一
                男爵 森村市左衛門
                   鈴木島吉
                   高木八尺
                   服部文四郎
                   白石喜太郎
                   小畑久五郎
 - 第35巻 p.160 -ページ画像 
    記事概要
子爵は健康勝れざる為め午餐の席に付かざる事となりしを以て大使に対し食前に挨拶をなさるゝ事となれり、因つて食堂に入る前左の如き談話ありたり
子爵「大使閣下、閣下には御出発間際御多忙の処御繰合せに相成り御参列下さいました事を感謝致します。折角御招き申上げて食事の席に列する事の出来ぬを遺憾に存じ且つ失礼とは思ひますけれども、健康が勝れませんので止むを得ず此処で一言申上げて御免を蒙り度う存じます。
 御赴任後短時日なるにも拘らず米日の関係は勿論、国際関係に多大の貢献をなされました事を厚く御礼申上げます、一寸日米関係委員会の成立及其沿革に就いて申上げて置き度いと思ひますが、本会は一千九百十五年私が貴国に参りました時、桑港商業会議所の会頭ウオレス・エム・アレキサンダー氏と面会して種々日米問題に関して懇談致した結果出来たもので御座いまして、本会の組織せられましたのは一千九百十六年の春で御座いました。アレキサンダー氏の申されますのには当商業会議所内に米日関係委員会なるものがあるから、之れに相対したものを東京にも設けて共々に日米問題の解決に尽力するようにしたいといふのでありました。私は至極結構な事と思ひましたので、帰国早々友人に謀り日米関係委員会を組織したので御座います。別に目立つた仕事は致して居りませんが、両国民の意志の疏通を計り、謬伝・誤解が起つて其れが両国の国交を阻碍する様な場合には必ず之れが訂正に努めるといふので御座います。会員の数は三十名足らずで御座いますが、学者・政治家・実業家を網羅して居ります。申上げたい事は数々御座いますが詳細に亘ることを避けます。重ねて厚く閣下の御尽力並御高配を感謝致します。食卓の方は阪谷男爵に依頼致しましたが、御目にかゝつて親しく御礼を申上げ度い為め参りました次第で御座います」
大使「子爵が御健康の勝れさせざるにも拘らず、態々御出で下さいまして御丁寧なる御言葉を賜はりました事を厚く感謝致します。何卒十分に御注意をなさいまして御健康を御恢復なさる様御願ひ申上げます。私が僅か計りなしました事に付き御賞讚の御言葉を賜はり恐縮に存じます。私が四ケ月間丈け聊か尽力致しました事に就て御讚辞を戴きましたが、子爵は五十年間即ち百五十倍の長年月間日米親善並世界の平和の為めに御尽瘁なさつた訳で御座いますから、子爵の御功績は真に偉大なものと申上げねばなりません。若し再び参る機会にても御座いますれば、必ず喜んで御目にかゝり度いと存じます。呉々も御厚意を感謝致します」
其れより一同食堂に入る。子爵は食堂まで大使令夫人を御案内せられ直ちに退場せられたり。
食後阪谷男爵と大使との間に左の談話を交換せられたり
阪谷男「大使閣下、私は先づ第一に私の未熟な英語に就いて大使閣下に御詫を申さねばなりませぬが、然し私は英語通を以て任じて居る者なるは御承知置きを願ひ度い(笑声起る)。私の申上げやうと思ひ
 - 第35巻 p.161 -ページ画像 
ます事は已に渋沢子爵が御話なさいましたから、別に改めて申述べる事も御座いませんが、大使閣下が倫敦会議を成功せしめた関係者の御一人であると思ひます。此点に於て大使閣下の御貢献は長く記憶さるべきものと思ひます。然し大使閣下は日米親善の為めに今後なさるゝ事が多々ある事と存じまして、私共は有力なる後援者を得た事を喜ぶものであります。御承知の通り渋沢子爵は長らく日米親善の為めに尽され、今も尚ほ心配して居られます。子爵の希望は日米両国の間に寸毫の支障なき親善関係を見て瞑目したいといふので御座います。私の短い御挨拶を結ぶに当り此一言を付け加へて置きます。」
大使「私は阪谷男爵が英語通でいらつしやる如く自分は日本語通であるとは申しかねますが、日本語に真に重宝な言葉がありまして、私は此言葉によつて面倒な場合を切抜けた事が度々御座います。其れは「アノネ」で御座います。私は今日又渋沢子爵に御目にかゝる機会を得ました事を大に喜ぶ者であります。此席上で私の口から申上げてよろしいかどうかと思ひますが、ワシントンよりの最近の情報によりますると、下院の移民委員長たるアルバート・ジヨンソン氏は一千九百二十四年の排日移民法を修正して、日本に比率を適用するやうにするといふ事で御座います。大使として自国の法律に反抗する様な行動を取るべきではありませんが、彼の排日移民法丈は私が始めから改正を願つて居つたものであります。国際間の親善は常に相互の善意と完全な了解とに因るべきものと思ひます。吾々米国民はまだまだ日本を了解して居りません。支那に対する亜米利加の態度は実際上日本の夫れと聊かも異つて居りません。私は日本に参りまして始めて、百聞一見に若かずといふ日本の諺の如何に正鵠を得たものであるかといふことを泌々と味ひました。日本人は亜米利加人と同様な考を以て居られます。私は東京に於ける米国の大使、ワシントンに於ける日本の大使は、立派な人格者でなければならぬと思ひます。私は帰りましたならば一層日米親善増進の為めに尽さうと思つて居ります。私共夫婦が今回受けました御親切御厚意は、とても筆舌を以て表はす事は出来ません。衷心から感謝して居ります。日米関係委見会は民間の有志より成る有力な会と承はつて居りますが、之れは真に結構な団体と思ひます。私は嘗て太平洋問題調査会より演説を頼まれた事がありましたが其時御断り致しました。其理由は私の如き役人が関係すべき場所では無いといふのでありました。私は将来日米親善の為め一層努力すると申上げましたが、出来る丈の努力を致す覚悟で御座いますから、どうか何ぞ御用が御座いましたならば、私に直接御手紙を下さるよう願ひます。斯く申しますと、ネヴヰル参事官が気を揉むかも知れませんが、然し夫れは大丈夫で御座います。私は万事を参事官に打明ける考で居りますから。私共夫婦の為めに斯る御盛宴を御設け下した皆様に、重ねて厚く厚く御礼を申上げます。」


竜門雑誌 第五〇一号・第一〇二―一〇三頁 昭和五年六月 ○青淵先生記事 帝国ホテルに於て米国大使キヤツスル氏に送別せらる(昭和五年五月二十七日(火)午前十時半)(DK350035k-0005)
第35巻 p.161-162 ページ画像

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(小畑久五郎)書翰 ウィリアム・アール・キャッスル宛 一九三〇年三月一四日(DK350035k-0006)
第35巻 p.162-163 ページ画像

(小畑久五郎)書翰  ウィリアム・アール・キャッスル宛 一九三〇年三月一四日
                      (渋沢子爵家所蔵)
             (COPY)
                      March 14, 1930
His Excellency
Ambassador William R. Castle
  The American Embassy
  Totaku Building, Uchisaiwaicho
  Kojimachiku, Tokyo
Dear Sir:
  Yesterday I took with me the translation of your address given at the banquet of the America-Japan Society in the evening of Feb. 4th, and read it before Viscount Shibusawa. I need not tell you that he was highly pleased with the frank and straightforward presentation of your views with reference to the problems relative to America, China and Japan, and also to the London Conference.
  I left the article into his hand, because he told me that he is going to read it more carefully.
  The Viscount instructed me to write to you to the effect that it is his desire to see you as early as possible. For the
 - 第35巻 p.163 -ページ画像 
 first time since January 10th, he took a little walk the day before yesterday in the garden, which seemed to have done him good. So it will not be long before he can receive visitors. I shall watch the opportunity favorable to a possible interview between you and him, and inform you about it whenever it presents itself.
Yours very sincerely,
(Signed)
K. Obata
Secretary to Viscount Shibusawa

(ウィリアム・アール・キャッスル)書翰 小畑久五郎宛 一九三〇年三月一五日(DK350035k-0007)
第35巻 p.163 ページ画像

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(ウィリアム・アール・キャッスル)書翰 小畑久五郎宛(一九三〇年)五月三〇日(DK350035k-0008)
第35巻 p.163-164 ページ画像

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(小畑久五郎)書翰 ウィリアム・アール・キャッスル宛 一九三〇年七月三一日(DK350035k-0009)
第35巻 p.164-165 ページ画像

(小畑久五郎)書翰  ウィリアム・アール・キャッスル宛 一九三〇年七月三一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
              (COPY)
          K. Obata
          c/o Shibusawa Jimusho
          2 Itchome, Marunouchi, Kojimachi-ku
          Tokyo, Japan
                      July 31, 1930
Mr. W. R. Castle, Jr.
  State Department
  Washington, D. C.
 - 第35巻 p.165 -ページ画像 
Dear Mr. Castle,
  Your esteemed letter written on board the steamer on your way home, was duly to hand, and I thank you most heartily for your kindness in writing to me as you did. The letter was at once translated and submitted to Viscount Shibusawa. He was very appreciative of your kind expressions, and strongly urged me to be sure to tell you that he desires to reciprocate the deep courtesy with which your letter was filled.
  The unveiling of the monument for the Grant's trees was indeed a beautiful piece illustrating enviable international friendship and goodwill between America and Japan. I wished very much that you could have been there to not only witness, but also take part in, the ceremony.
  I have watched with a very keen interest the proceedings of the Senate in its extraordinary session for the ratification of the London Treaty. Somewhat similar fight has been and is still going on here in Japan. Now that the Senate did finally ratify the Treaty it would have a tremendous moral effect upon the future handling of the Treaty here, and the same kind of result would, I am quite confident, follw. Minister Takarabe seems to be facing tremendous odds.
  It is getting very hot here. Many foreigners of Tokyo left for summer resorts. The Viscount with his all-the-year-round Derby hat on his unusually large head and with the frock coat on, comes to the office to attend to his routine work. He is a constant inspiration and perpetual wonder to us who are privileged to serve him. He may spend a few weeks in a cooler region. You may be pleased to hear that he is quite well, inspite of the scorching heat.
  Trusting this will find you in the best of health, I beg to remain,
            Very sincerely yours,
                    (Signed)
                   K. Obata
              Secretary to Viscount Shibusawa



〔参考〕覚書 【日米関係委員会ノ件】(DK350035k-0010)
第35巻 p.165-166 ページ画像

覚書                   (渋沢子爵家所蔵)
    日米関係委員会ノ件
一、従来ノ状況ヨリ見テ会長ヲ置クコト適当ナリ
一、会長ヲ置クトスレハ其下ニ常務委員三名ヲ置クコト好都合ナリ
  幹事ノ案トシテハ
  会長渋沢子爵
  常務委員藤山雷太、阪谷男爵、新渡戸稲造三氏
一、退会又ハ死亡ノ為メ欠員アルニ付左ノ諸氏ヲ補充シタシ
 - 第35巻 p.166 -ページ画像 
  佐々木勇之助・井阪孝・森広蔵・藤沢利喜太郎・海老名弾正以上五氏
一、会員ニ対シ米国ニ関スル知識供与ノ目的ヲ以テ適当ニ米国事情、重要ナル米国人来翰等ヲ印刷配布シ、又機会アル毎ニ米国ニ関スル談話ヲ聞クコト
        以上

  (栄一鉛筆)
  日米関係委員会ニ関スル書類在中
  阪谷男爵ト協議シテ後現会員中ノ有志者数名ノ意向聞合セ其模様ニヨリ一同ヘ協議スヘキ事
    五年五月念八

  ○当時ノ幹事ノ一人タル白石喜太郎ノ談ニヨレバ、右ノ覚書ハ幹事ノ案ニシテ、会長設置案ハ取止トナリ、補充会員トシテハ井阪孝・森広蔵ノ二氏入会シ、小冊子ノ印刷及ビ談話会ノ件ニ就イテハ是認セラレテ、幾分之ヲ実行セリト云フ。