デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第35巻 p.234-244(DK350044k) ページ画像

昭和6年12月4日(1931年)

是ヨリ先十一月十一日、栄一歿ス。仍ツテ是日、当委員会委員有志相諮リ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ会シテ栄一ノ遺志ヲ継ギ、且ツアメリカ合衆国サン・フランシスコ、ハワイ及ビニュー・ヨークノ三米日関係委員会ノ希望ヲ斟ミ、当委員会ヲ存続スベキ事ヲ申合ハス。翌昭和七年一月二十二日会員総会ヲ同所ニ開キテ之ヲ決議ス。


■資料

日米関係委員会往復書類(三)(DK350044k-0001)
第35巻 p.234 ページ画像

日米関係委員会往復書類(三)     (日米関係委員会所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば日米関係委員会の重要事項に関し篤と御協議相願度候間、御多用中御迷惑とは存候得共、来十二月四日午前十一時東京銀行倶楽部へ御枉駕被成下度、此段御案内申上候 敬具
  昭和六年十一月廿八日       男爵 阪谷芳郎
                      藤山雷太
  尚ほ当日左の方々に御出席を願置候(イロハ順)
   新渡戸氏・堀越氏・団男爵・頭本氏・内田氏・串田氏・森村男爵
  追つて御出席の諾否御回示願上候
    昼餐の用意致置候間御含置被下度候


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK350044k-0002)
第35巻 p.234 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控     (日米関係委員会所蔵)
 昭和六年十二月四日午前十一時於東京銀行倶楽部
 日米関係委員会小委員会
                (太丸・太字ハ朱書)
                ○男爵 阪谷芳郎
                ○   藤山雷太
                ○男爵 団琢磨
                ○男爵 森村市左衛門
                ○   串田万蔵
                ○   内田嘉吉
                ○   新渡戸稲造
                ○   堀越善重郎
                ○   頭本元貞
                欠   服部文四郎
                ○   白石喜太郎
                ○   小畑久五郎


日米関係委員会集会記事摘要(二)(DK350044k-0003)
第35巻 p.234-237 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要(二)   (日米関係委員会所蔵)
 昭和六年十二月四日午前十一時、於東京銀行倶楽部、日米関係委員会小委員会開催
  出席会員
   男爵阪谷芳郎氏・藤山雷太氏・男爵団琢磨氏・男爵森村市左衛
 - 第35巻 p.235 -ページ画像 
門氏・串田万蔵氏・内田嘉吉氏・新渡戸稲造氏・堀越善重郎・頭本元貞氏
  幹事
   白石喜太郎・小畑久五郎
    協議概要
開会に先ち阪谷男爵座長に推さる。午前十一時半開会
○座長 渋沢子爵御欠席の場合は代理をつとめました例もありますから僭越ながら座長の席を汚します。今日御集会を願ひましたのは過日渋沢子爵が逝去しましたに付ては、本会の将来を如何するかといふ事を御協議願ひ度い為であります。更めて申すまでもなく、本会は渋沢子爵によつて組織せられ、渋沢子爵を中心として活動して来たものでありますから、子爵逝去の今日、将来を如何にすべきか即ち此機会に止めるか、存続するかといふことは当然起るべき問題でありますが、ハワイ、サン・フランシスコ。及ニュー・ヨーク等に於ける米日関係委員会との関係を考慮し、又此頃漸次好転しつゝある排日移民法修正の気運を考へますと、今俄に本会を解散することは如何であらうかと思はれます。殊に渋沢子爵が逝去されたからと云ふ理由で廃止するのは故子爵の御意志でないと考へます。蓋し皆様も御同感であらうと思ひますから、此際存続致すことにしては如何でせう?……皆様も御異存はない様ですから御同意の事と認めます。就ては私から申すのも如何かと思ひますが、渋沢子爵があの通りの人でしたから、一人で代りになると云ふことは六ケしいと思ひます。そこで全会員がよつてたかつてやるより外ありませんがそれにしても御世話を願ふ方を決めて置きませんと困りますので、御迷惑でも団男爵に御願ひしたらばと思ひます。之は私見でありますが私自身は左様思うて居ります。其為今日も押して出席した次第でありまして、私の考へる所では団男爵が日本経済聯盟会の会長であり且つ昔米国に遊学せられた関係から米国の事情に通じて居られ、御友人も多い事でありますから、米国に対する関係から最適任者と考へますので、何かと御多忙の事を承知して居ります私としては真に恐縮に存じますけれども、是非御願ひ申上げたいと思ひます。
○団男爵 唯今の御話はよく承りました。此会を続けるといふ事は全然御同感で御座います。唯渋沢子爵の代りとなることに就ては私の如き者では到底勤りませんのみならず、くだらぬ用が種々と多い為失礼することが多からうと思ひます為、御辞退致したいのであります。然らばドナタに御願ひするかと申しますと、阪谷男爵を煩はしたいのです。阪谷男爵は従来も渋沢子爵の御代理を勤められたことでもあり、米国人に知己の多い関係もあり、且故子爵との御関係から考へても、当然子爵の後継者として御立ち下さることゝ勝手ながら考へて居りました次第で、今猶同様に考へますので皆様の御賛同を得て阪谷男を推選致したいと思ひます。藤山君の御継続は勿論の事で、御迷惑でも御願することでありますから更めて申上げる必要はないと存じます。
○藤山氏 段々の御話で本会を継続することに付ては、皆様御同意の
 - 第35巻 p.236 -ページ画像 
様に承知致します。就ては此事を本会々員に知らせねばならぬではないかと存じますが如何でせう。会員に知らせる事の必要は御認め下さる様でありますが、然らば其方法を如何にすべきか、通知状を出すか、又は全委員会を催して協議するか、此二つの内何れを採るかを御決定いたゞきたいと存じます。
 次に団男爵から私に是非常務委員として継続する様にと云ふ御話でありましたが、私は当時東京商業会議所会頭であつた関係から、常務委員に推されたのでありますが、最早其関係もないので、渋沢子爵の如き富士山にも譬へられた御方にくつついて居りましたから勤まりましたが、私の如き者、殊に英語を話すことの出来ない者には勤まりませんので此際退きまして、後は是非阪谷男爵と団男爵とに御願ひ申上げたいと存じます。
○団男爵 藤山君の御言葉ではありますが、阪谷男爵は故子爵の後継者として当然立たるべきであると同時に、従来の関係上藤山君の御留任は勿論の事であります。御両君に宜敷御願ひ致します。
○頭本氏 阪谷男爵が故子爵の後継者として常務委員を御受け下さるべきは勿論であると思ひますが、御健康も未だ十分御恢復でない様に御見受け致しますから、此際団男爵に御加はりを願ひ、又藤山君は勿論引続き御配慮下さると云ふことにして、御三人で常務委員を御引受下さるのが適当であらうと存じます。
○森村男爵 常務委員御三人説は至極賛成で御座います。団男爵には是非御引受けを願ひます。
○内田氏 私も御同感で御座います。
○串田氏 阪谷男爵は故子爵の後継者として先方と文通せらるゝこととなるであらうと存じます。又種々御多忙なる事も起る事と存じますから、阪谷男爵を御援助申上げる意味に於て、是非団男爵の御受け下さるやう願ひます。
○阪谷座長 それでは皆様の御意志も明かで御座いますから、失礼ながら座長から宣言致します。
 (一)本会は存続する事。
 (二)常務委員を藤山・団・及阪谷の三名とする事。
 尚ほアサートン。アレキサンダー。ギューリック等に本会の将来に関し通知する必要あると思ひますが、今日の経過を知らして当方の態度を諒解して貰ふ事が結構と存じます。
○白石幹事 大体御協議は終りました様ですから、私一身のことで恐れ入りますが、申上げて置きたいと存じますのは、私は本会の幹事になつて居りますが、これは渋沢子爵との関係からでありますので子爵御薨去後の今日となりましては、其職に止まることは無意味であらうと存じますから、退くことを御話し願ひたいのであります。
 次に本会の事務所でありすが、之亦渋沢子爵の関係から渋沢事務所内に置いてありますが、同様の理由により他へ移すことに願ひたいと思ひます。此二つを御願ひ致します。
○阪谷座長 尤もの様にも思はれるが、急に様子を変へると云ふことは面白くないから此際は現状維持といふことにし、将来渋沢事務所
 - 第35巻 p.237 -ページ画像 
に変更の生ずる場合には本会の事務所に就ても考ふることにしたいと思ひます。幹事辞任のことも更に考慮することにしたいと考へます。
各出席会員賛成の意を表す。
○阪谷座長 皆様も同様に御考への様でありますから、現状維持と云ふことに御諒承ありたいと思ひます。それではこれで散会致します
 時に零時半、後食卓に就く。
              以上



〔参考〕(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 昭和六年(DK350044k-0004)
第35巻 p.237 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記  昭和六年
                  (阪谷子爵家所蔵)
六、十一、廿一 小畑久五郎・白石喜太郎両氏日米関係委員会ノ将来ニ付相談ニ来ル、余ハ存続ヲ主張ス、重モナル人々ニ内交渉セシム(第一廃スルトシテモ一、二年ハ猶予ヲ要スヘシ)
   ○中略
 ○十二、十六 日米関係委員会存続、幹事名ニテ通知、各会員並紐育ギユーリツク、桑港アレキサンダー、布哇アサートン宛


〔参考〕(小畑久五郎)書翰控 フランク・シー・アサートン宛一九三一年一二月一七日(DK350044k-0005)
第35巻 p.237-238 ページ画像

(小畑久五郎)書翰控  フランク・シー・アサートン宛一九三一年一二月一七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    THE JAPANESE-AMERICAN RELATIONS COMMITTEE
        Office: Shibusawa Jimusho
      2 Itchome, Marunouchi, Kojimachi-Ku
             Tokyo
                December 17, 1931
Mr. Frank C. Atherton
  Honolulu. Hawaii
Dear Mr. Atherton:
  Very naturally, you may be anxious to know what will become of the Japanese-American Relations Committee of Tokyo since its organizer and great leader, Viscount E. Shibusawa, passed away. On the 4th inst. nine members of the Committee:- Baron Sakatani, Baron Dan, Baron Morimura, Mr. Kushida, Mr. Fuijyama, Mr. Uchida, Dr. Nitobe, Mr. Horikoshi and Mr, Zumoto gathered together at the Tokyo Bankers' Club for the informal discussion of its future welfare. They unanimously agreed that the organization should be kept up for the reason that it can not be the will of the late Viscount nor the wish of the sister organizations of Hawaii, San Francisco and of New York to give it up at least until the time, when the revision of the anti-Japanese Immigration Law, toward which the American public opinion is favorably turning will be achieved. Baron Sakatani and Baron Dan in addition to Mr. Fujiyama
 - 第35巻 p.238 -ページ画像 
 who has served as an Executive Committee together with the late Viscount may likely be elected new Executive Committee in case the organization should continue to function.
  Owing to the busy time of the closing year, no general meeting of the Committee to confirm the above propositions will be held within the year. Instead, it will be held early next year.
  As secretary of the Committee, I am writing to you of the situation here in order that you may be relieved from worry and assured of the possible decision of the entire Committee, with which it will face the future.
  Trusting this will find you in the best of health, I remain,
            Yours most sincerely,
                 (Signed) K. Obata
(右文大意)
渋沢子爵の薨去後日米関係委員会の将来に対しさぞかし御心配下されたるなるべし、本月四日九名の委員相会し本会を存続せざるは故人の意志にあらず、又布哇・桑港及紐育米日関係委員会の希望にあらざるべしとの事より、全会一致を以て継続の事に確定したれば取あへず右通知す
  ○ナホアメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォーレス・エム・アレグザンダーニ対シテモ右ト同文ノ書ヲ発シタリ。


〔参考〕(フランク・シー・アサートン)書翰 小畑久五郎宛一九三二年一月六日(DK350044k-0006)
第35巻 p.238-239 ページ画像

(フランク・シー・アサートン)書翰  小畑久五郎宛一九三二年一月六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
F. C. ATHERTON
HONOLULU, HAWAII
                    January 6, 1932
Dr. K. Obata
  2 Itchome, Marunouchi
  Kojimachi-Ku, Tokyo, Japan
Dear Dr. Obata:
  I was very glad to hear from you recently and to learn that The Japanese-American Relations Committee will still be actively maintained in spite of the death of its leader, the late Viscount E. Shibusawa.
  The many friends of the late Viscount in Hawaii were very sorry to learn of his death. I immediately wired my sympathy to Baron Sakatani and followed this with a letter to him and one to Mr. I《(K)》. Shibusawa expressing my sincere sympathy at their bereavement.
  I considered Viscount Shibusawa one of the world's great citizens and his loss will be felt not only by the Japanese Empire but by the citizens of many countries throughout the world.
  I sincerely trust that The Japanese-American Relations
 - 第35巻 p.239 -ページ画像 
 Committee through its various affiliated groups will be able to carry on the good work it has accomplished in the past, and that in due time our United States immigration law will be amended so as to place the Japanese on an equal footing with the peoples of other countries.
  With best wishes for the NewYear, I remain.
              Sincerely yours,
             (Signed) F. C. Atherton
E2-B
(右文大意)
日米関係委員会が、其指導者渋沢子爵を失ひたれども、猶継続して活動すとの報知を得たるは予の本懐とする所にして、尚同会が従前遂行したる事業を継承し、移民法改正の目的を達せらるべき事を信じて疑はず


〔参考〕日米関係委員会往復書類(三)(DK350044k-0007)
第35巻 p.239 ページ画像

日米関係委員会往復書類(三)    (日米関係委員会所蔵)
      案
拝啓、益御清適奉賀候、然ば過般渋沢子爵御長逝被成候に付ては本会の中心点を失ひ候次第にて、自然本会の存廃に付考慮する必要有之候義と存じ、去る四日会員有志相会し種々懇談仕候処、故子爵の御意志及布哇・桑港及紐育に於ける米日関係委員会に対する関係、並に排日移民法修正の機運等を考慮致候はゞ、今俄に本会を廃し候は当を不得義と被存候に付、存続することに意見一致し、又常務委員としては藤山雷太氏に引続き御尽力を請ふと共に、新に団男爵並に阪谷男爵に御高配願上度と一同希望致候に付ては、本委員会開催右等詳細申上、篤と御協議願上候かとも奉存候得共、歳末御多忙の折柄御迷惑と存じ態と差控へ単に御報告申上候に止め、来春適当の時機に於て更めて御会合御協議願上度奉存候間、左様御承知置被下度候
右得貴意度如此御座候 敬具
 昭和六年十二月十九日
                    日米関係委員会幹事


〔参考〕日米関係委員会往復書類(三)(DK350044k-0008)
第35巻 p.239 ページ画像

日米関係委員会往復書類(三)     (日米関係委員会所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば旧臘幹事より申上置候本会の重要事項に関し篤と御協議願上候為、来一月廿二日(金)正午より丸ノ内東京銀行倶楽部に於て全委員会開催致度候間、御多用中御迷惑ながら御出席被下度候此段御通知申上候 敬具
   尚当日満洲事件に関する米国の抗議に付御高見伺度と存候間、御含被下度添て申上候
  昭和七年一月十四日
                日米関係委員会
                 常務委員 藤山雷太
  追て当日午餐の用意致候に付準備の都合も有之、御手数恐縮ながら御都合同封葉書にて御回示願上候

 - 第35巻 p.240 -ページ画像 

〔参考〕日米関係委員会集会ニ関スル控(DK350044k-0009)
第35巻 p.240 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控     (日米関係委員会所蔵)
 昭和七年一月廿二日(金)正午於東京銀行倶楽部
  本会ニ関スル重要事項協議会及外一件

                    井上準之助
                   欠一宮鈴太郎
                    服部金太郎7/1/18付
                   欠原富太郎
                    原田助
十五日ヨリ神経痛(腰部)臥床中ニ付出席困難ナリト思ハルヽニ付 欠新渡戸稲造
                   (太丸ハ朱書)
                   ○堀越善重郎
                欠男爵 大倉喜七郎
                欠子爵 金子堅太郎
                   欠各務鎌吉
                ○男爵 団琢磨
                   ○頭本元貞
                欠男爵 瓜生外吉
                   ○内田嘉吉
                   ○串田万蔵
(手書)(手書)
山田氏終に出席せられたり 二十二日電報ニテ御断リ欠山田三良
                欠男爵 古河虎之助
              ○常務委員 藤山雷太
                   欠江口定条
                   欠姉崎正治
                ○男爵 阪谷芳郎
                ○男爵 森村市左衛門
        幹事及嘱託ノ部
                ○幹事 服部文四郎
                ○同  白石喜太郎
                ○同  小畑久五郎
              ○調査嘱託 高木八尺


〔参考〕日米関係委員会集会記事摘要(二)(DK350044k-0010)
第35巻 p.240-242 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要(二)   (日米関係委員会所蔵)
    日米関係委員会会員総会
 昭和七年一月二十二日(金)正午、於東京銀行倶楽部開催
  出席会員
   堀越善重郎氏・団男爵・頭本元貞氏・内田嘉吉氏・串田万蔵氏山田三良氏・藤山雷太氏・阪谷男爵・森村男爵
   調査嘱託 高木八尺氏
   幹事 白石喜太郎・小畑久五郎
常務委員藤山雷太氏座長席に着き大要左の如き挨拶を述べたり。
 昨年十一月本会の創立者であり又爾来常務委員として一方ならぬ御尽力を得ました渋沢子爵が薨去せられましたに付て、本会の善後策
 - 第35巻 p.241 -ページ画像 
に付き不取敢有志の会合を催しまして懇談致しました結果
 (一)本委員会を存続すること
 (二)常務委員二名を増し阪谷男爵並団男爵に就任を請ふこと
 (三)満州問題に関して米国有力者に対し声明書を発表すること
 等に関して大体意見の一致を見ましたが、正式決議の権限がありませんので更めて会員総会を催し決議を請ふ事となりましたので、玆に皆様に御参集を御願ひ致した訳で御座います。就ては甚だ僭越では御座いますけれども、従来の関係上私が座長の席に着き右等の件に付御諮り申上ぐる次第で御座います。先づ第一に本会存続の件に付て御考慮願ひたいと存じます。之れに付きまして御意見が御座いますならば承りたいと思ひます。……
 別に御異存が無い様で御座いますから御賛成と認めまして次の常務委員増員選挙するの件に移ります。敢て蛇足を加へる必要もないと思ひますから、阪谷・団両男爵に御就任を願ふことに致したいと思ひます。
○阪谷男爵 先きに有志の会合で常務委員に御推薦を蒙りまして恐縮に存じます。満洲問題もあり、一千九百廿四年の排日移民法改正の機運も熟しつゝある際でもあり、俄に廃止することは如何かと考へますし、故子爵の意志でもないと思ひます。殊に紐育・桑港及布哇の委員会との関係を考慮しますと、廃止するのは適当でない許りでなく、寧ろ益々相提携して目的を達成する事は緊要の事柄と存じます。斯く考へました為兎に角存続して経過を見たいと述べまして、御出席の諸君の御同意を得た訳でありますが、繰返して申上げるまでもなく今日御列席の皆様も御賛成のことゝ存じます。斯く存続することになりますと、私から申すも如何かと思ひますけれども、故子爵があれだけの人であつただけに、後を受けて経営するに付ては中々骨が折れることを覚悟せねばなりません。そこで従来藤山君が故子爵と共に常務委員として御尽力下さいましたので、引続き御世話願ふことは勿論でありますが、更に二人を増し、常務委員三人で協力すればと云ふことになり、それには団男爵と私とがよからうと云ふことに御相談が出来ました。団男爵は声望閲歴から見て是非御願ひせねばなりませんが、私は御覧の通病後でもあり到底其任ではありませんけれども、故子爵との関係から是非にと云はれますので御受け致した次第で御座います。甚だ覚束ないと存じますがよろしく願ひます。
○団男爵 渋沢子爵の御逝去に就ては子爵の御意志を継承して本委員会を継続せねばならぬと云ふ事には至極賛成で御座いますが、私が常務委員を御受けする事は適当でないと思ひます。微力であるのみでなく、俗務多忙の為到底御役に立ち兼ねますので、本会の為却て害をなすことになりますから平に辞退致度いと思ひますので、有志の会合の際にも繰返して御免を蒙りたいと主張致しましたが、其際座長であつた阪谷男爵を始め皆様からたつての御勧誘もあり、強て御断り致す事も不本意と存じ御受け致した次第で御座います。御受け致しても何等御役に立ちません事を遺憾に存じます。どうぞ不悪
 - 第35巻 p.242 -ページ画像 
御諒承願ひます。
○藤山氏 私は故渋沢子爵が本委員会を組織せられました当時東京商業会議所の会頭で御座いました為に、子爵の御勧めにより常務委員として子爵の驥尾に附して参つたので御座いますが、其後会議所会頭の職を辞しましたので、本会の常務委員も辞したいと思ひ其旨申出でたのですが、子爵は御聞き容れなく、今日に至りましたので、此際阪谷男爵並に団男爵が常務委員を御承諾下さいました上は私は当然御免を蒙るべきものと考へ辞任を決意し其事を申出でましたのですが、そう言はんで其儘継続せよとの事で、私も皆様の御勧誘に従ひ従来の通り常務委員の席末を汚す事となりました次第です。其処で改めて皆様に御謀り致しますが、両男爵を常務委員に選挙致す事に関して御意見御座いませうか。……
 満場一致御賛成と認めます。それでは両男爵は新たに常務委員となられましたので、私は御免を蒙りまして之れより阪谷男爵に座長を御願ひ致します。
○阪谷男爵 今日の協議会は藤山君の座長で御進行を願ひます。
 満洲問題に関して米国政府が発表した声明書に関し米国に於ける各委員会に対し、当委員会の態度を知らしめて置く必要があると思ひます。
○団男爵 満洲問題に関してゞ御座いますが、之れに付きまして串田君・頭本君等の御尽力により日本経済聯盟会の名に於て声明書を電報にて発しましたが、之れには種々反響があり、特に英国に於てはモーニング・ポスト紙の如きは論説を掲げて日本に好意を表して呉れました。全文の翻訳は後に致す事として一寸其写の大意を頭本君から皆様に御披露して頂きます。
 (頭本氏大意を意訳せらる。其後全文の翻訳出来せしには付爰に添付す)○右訳文略ス
○阪谷男爵 米国各地の関係委員会に対する本会のステートメントの草案は頭本君と小畑君に願ふ事と致し度いと存じますが、如何でせうか。……
 此動議に皆様の御賛同を御願ひ致します。
○座長 阪谷男爵の御動議に皆様御賛成と認めます。それでは頭本君と小畑君とで宜しく御願ひ致します。
   午後一時一同食卓に着く。


〔参考〕日米関係委員会往復書類(三)(DK350044k-0011)
第35巻 p.242-243 ページ画像

日米関係委員会往復書類(三) (日米関係委員会所蔵)
(COPY)
    THE JAPANESE AMERICAN RELATIONS COMMITTEE
         Office: Shibusawa Jimusho
          Teikoku Seimei Kan
      1 Itchome, Marunouchi, Kojimachi-ku
            Tokyo,Japan
                   March 5, 1932
Dear Mr.………:
  Mr. Obata has already advised you of the provisionary resolution voted by a small but representative group of the
 - 第35巻 p.243 -ページ画像 
 members of the Japanese American-Relations Committee of Tokyo to the effect that, in veiw of the increasing importance of friendly relations between the two countries, this Committee be continued despite the lamented death of Viscount Eiichi Shibusawa, and that the Executive Council shall consist of Baron Takuma Dan and Mr. Raita Fujiyama beside myself.
  I am now pleased to report to you that this provisionary resolution has been unanimously approved by the general sentiment of the whole Committee.
  It is the earnest wish of the newly appointed Executive Council that there shall be as hearty a cooperation as heretofore between the Tokyo Committee and the sister organizations in the United States in the cause of good fellowship and understanding between our two great nations.
  In the meanwhile, I beg to mail to you under separate cover ……… copies of a printed statement issued by our Committee on the subject of the Manchurian trouble. We believe it embodies the main points on which there is no difference of views among our people.
  If agreeable to you, we hope you will kindly place them where they may do most good.
  With regard to the trouble in Shanghai, we hope it will be over soon. In any case it seems too early yet to attempt any statement on this subject. Its progress will, however, receive due attention on our part, and you may rest assured that we will do our best to keep you informed in case it assumes wider and more important aspects.
           I remain,
              Yours sincerely,
               (Signed) Y. Sakatani


〔参考〕(フランク・シー・アサートン)書翰 阪谷芳郎宛一九三二年四月五日(DK350044k-0012)
第35巻 p.243-244 ページ画像

(フランク・シー・アサートン)書翰  阪谷芳郎宛一九三二年四月五日
                   (日米関係委員会所蔵)
F. C. ATHERTON
HONOLLU, HAWAII
                     April 5, 1932
Baron Y. Sakatani
  c/o The Japanese-American Relations Committee
  1 Itchome, Marunouchi, Kojimachi-ku
  Tokyo, Japan
My dear Baron Sakatani:
  I want to thank you for your good letter of March 15th《(sic)》in regard to the personnel and activities of the Japanese-American Relations Committee; also, for the pamphlets on the Manchurian situation which you recently sent to me. These I am turning
 - 第35巻 p.244 -ページ画像 
 over to the Institute of Pacific Relations to be distributed among various people here in our city.
  We were deeply grieved to learn of the assassination of Baron Dan. He was certainly an outstanding leader of your people and one who took such a keen interest in improving the relations between his country and the United States. We sympathize very keenly with you and your country in the great loss which it has sustained in his untimely death.
  I had the pleasure of meeting Mr. Komatsu last week on his return to Japan, and had an interesting interview with him.
  Trusting this will find you well and with kindest regards, I remain,
             Yours very truly,
              (Signed) F. C. Atherton
E2-B


〔参考〕(ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム)書翰 阪谷芳郎宛一九三二年四月一三日(DK350044k-0013)
第35巻 p.244 ページ画像

(ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム)書翰  阪谷芳郎宛一九三二年四月一三日
                (日米関係委員会所蔵)
              (別筆)
               五月五日一覧 阪谷
                     40 Wall Street
                      New Yrok
                  April 13, 1932
Mr. Y. Sakatani
 The Japanese American Relations Committee
  Shibusawa Jimusho, Teikoku Seimei Kan
   1 Itchome, Marunouchi, Kojimachi-ku
        Tokyo, Japan
My dear Mr. Sakatani:
  I have your kind letter of March 5th, and I am very glad that you and your associates have decided to carry on the work of the Japanese-American Relations Committee of Tokyo. despite the lamented death of Viscount Shibusawa. Your letter was written before the deeply lamented death of Baron Takuma Dan, but I assume that Mr. Fujiyama and yourself will carry on the Executive Committee. I have received under separate cover the copies of the printed statement issued by your Committee on the subject of the Manchurian trouble, which I will see are distributed where they will do the most good. I am hoping that the Shanghai affair may be drawn to an early termination.
  With kindest regards, believe me to be,
              Yours faithfully,
           (Signed) Geo. W. Wickersham
CWW-B