デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
5款 日米有志協議会
■綱文

第35巻 p.449-468(DK350059k) ページ画像

大正9年5月14日(1920年)

是日アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ一行横浜ヨリ帰国ノ途ニ就ク。九月二十二日、帝国ホテルニ於テ米賓歓迎会報告会及ビ接待員慰労会開カレ、栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

中外商業新報 第一二二六五号大正九年五月一五日 ○覚書は咲いた花 之から実の収穫 使命を果した米賓一行 帰国の船上に喜びと感謝を繰り返しつゝ斯く語る……(DK350059k-0001)
第35巻 p.449-450 ページ画像

中外商業新報 第一二二六五号大正九年五月一五日
  ○覚書は咲いた花
    之から実の収穫
      使命を果した米賓一行
        帰国の船上に喜びと感謝を
        繰り返しつゝ斯く語る……
「私は来朝以来各所の熱誠にして親切なる歓迎会の席上に於て、嬉しさの余りもう腹の底まで叩いて日本に対する
 ▽所感を 吐出して仕舞つた、けれ共未だ言へと言ふなら未だ此上どれだけでもお話しやう、本当に私共の一行は予期に二十倍も五十倍もの好感を与へられて、貴国におさらばを告げることを此機会に於てお伝へを願ひたい」……十四日午前十一時半横浜発桑港に向ふ東洋汽船コレヤ丸の甲板上忙しい銅羅の音を聞きながら、ヴアンダーリツプ氏は斯う言つて心からなる感謝の
 ▽表情を 見せた、客月廿四日来朝以来日米親善の為に努力した米国実業団廿二名の一行(キングスレー、ストリート、クラーク三氏を除き)は廿一日振りで今帰国の途に就かうといふのである、其処へ杉原東京副会頭、大谷横浜会頭を始め日米協議員連並に新代議士の井上神奈川県知事、久保田横浜市長等夥しい見送りの名士で甲板はゴツタ返し、ヴア氏は美しい令嬢を顧みながら語り続ける「私が何よりも
 ▽嬉しい ことは日本の主なる人々と隔意なき協議を遂げたことである、其結果は既に一種の非公式の公式の覚書となつて現れたが、今後は此覚書の実を如何にして結ばしむるかに努力せねばならぬ、私は有らゆる機会に於て米国朝野の各方面に日本の真意と東洋に於ける立場を語り、併せてドシドシ日本観光の旅に上らしめたいと思ふ、将来に於ける太平洋は主として
 ▽日英米 三国が解決せねばならぬのは私の持論で、重ねて又誰でも知つて居ることである、それには親密協同の外はない、此点に於て日本がそれを待受けて居ることを知つて愉快に堪へない、日本は東洋に於て座頭である許りでなく、実に世界に於て重なる立役者の一人であることを充分御了解が願ひたい」と言ふ中にも発船の時刻が迫つて来る、其処へ之も帰国の途に就くモルガン商会員のラモント氏が四国借款の
 ▽要務も 目出度く終へた喜ばしさを見せながら乗船する、斯くて
 - 第35巻 p.450 -ページ画像 
一同はサルーンに入りシヤンパンの杯を高く捧げて日米親善を祈り、船はブリツヂに互に重なりながら打揮ふハンケチを名残り惜しげに見せつゝ正午桟橋から纜を切つた、ボン・ウオヱーヂ・ツー・ユア・パーチーの声を浴びながら……


中央新聞 第一二七一四号大正九年五月一五日 日米親善の楔子 バ氏一行のお帰り 正午解纜のコレア丸で(DK350059k-0002)
第35巻 p.450 ページ画像

中央新聞 第一二七一四号大正九年五月一五日
  日米親善の楔子
    バ氏一行のお帰り
      正午解纜のコレア丸で
日米親善の効果を挙げる為めに重大使命を帯びて去月下旬来朝したる米国実業界巨頭の一行は、二旬に足らざる短日月の裡に東奔西行我国の実業家との間に
▽▽折衝懇談を
重ね、在来の日米間の支障たりし種種の問題にも融和を計り、両国経済界の基礎も固めて、実を挙げ功成りし米賓の一行は、美しい日本の風景を慕ひ来りしも、悠々と観光の暇もなく(十四日)午前九時二十五分東京駅発臨時列車にて横浜に向つて出発したが、ヴアンダーリツプ氏
▽▽同夫人令嬢
ベネデクトさんを始めとしてタフト同夫人、シヤーマン博士同夫人、キングスレー同夫人、クロレウエル同夫人、ガージエ、イーストマンダアヴエス同夫人、モルガン、セルンベツク氏等の一行は初夏に適はしき軽装にて日米協会員金子子爵、添田博士、阪谷男、目賀田男、商業会議所の藤山雷太氏等も夫人令嬢同伴にて華々しき一行を囲みて温き交歓に哀別の名残を惜しみ握手に忙しく、軈て
▽▽汽笛の合図
と共に一行は日米協会から送られたる美しき花環を前にしたるヴアンダリツプ氏は、最後に三百余人の見送人に恭しく感謝の意を表して乗車するや、列車は静かにプラツトホームを放れた、見送人の万歳が微に聞えずなる迄、一行は窓より手巾を振つて居た


竜門雑誌 第三八五号・第三七―三八頁大正九年六月 ○ヴアンダーリツプ氏の無線電信(DK350059k-0003)
第35巻 p.450-451 ページ画像

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(フランク・エー・ヴァンダーリップ)書翰控 渋沢栄一宛一九二〇年七月九日(DK350059k-0004)
第35巻 p.451-452 ページ画像

(フランク・エー・ヴァンダーリップ)書翰控 渋沢栄一宛一九二〇年七月九日
           (フランク・エー・ヴァンダーリップ氏所蔵)
               (COPY)
                 Point Loma, California
                     June 9th, 1920
Baron E. Shibusawa
  Tokyo, Japan
My dear Baron :
  Now that I am safely home again, my mind turns backward to the weeks just ended when we were the honored recipients of the most generous hospitality of yourself and your associates of the "Welcome Association of Japan." In thinking it over, it seems incredible that your thought should have conceived, and your generosity of spirit have endorsed and carried into
 - 第35巻 p.452 -ページ画像 
effect, such a wonderful program.
  You may believe that all of us who constituted the Vanderlip party will never forget the grace, the delicacy, and the unprecedented magnanimity of yourself and your friends, who gave us such cordial welcome to your country. But it is not this alone which has so impressed us. The intellectual, spiritual contact with Baron Shibusawa and the representative men of Japan who sat with us for six successive days around the council table in friendly conference, made even still deeper marks upon our hearts and minds. We rejoice that the clouds of misapprehension and misunderstanding were dissipated so completely, and the strong foundation of mutual respect, mutual confidence and thorough good-will was established.
  We are but a feeble folk, this small group of whom you gave such regard and attention, but be assured, you and your associates, that according to our voice and influence, we shall stand for justice, equity and friendship between the United States and Japan. Your problems are sympathetically our problems, and for their solution our hearts and our minds will be engaged.
  If the ideals and aspirations cherished by that group of splendid men who met us with frankness and openness of speech and manner, are now, or shall become, the ideals and aspirations of your people as a whole, the future of Japan is assured. She will be recognized as the older, but yet younger member of the advanced nations, who must and will learn that by friendly cooperation, mutual toleration and the broad spirit of a just reciprocity, our respective national interests will be best secured, and the whole world with which we are all in contact, will be helped to gain the high road of peace, industry, material progress and spiritual wellbeing, which are constructively possible to humaity.
  With best esteem and regard, I am
               Truly yours,

                  F. A. Vanderlip


日米有志協議会記録 同協議会編 第二五三―二七七頁大正一〇年三月刊(DK350059k-0005)
第35巻 p.452-461 ページ画像

日米有志協議会記録 同協議会編 第二五三―二七七頁大正一〇年三月刊
 ○附録
    ヴアンダーリップ氏一行の帰米
ヴアンダーリップ氏一行は日米有志協議会閉会後、日光、箱根より関西を漫遊し、左の如く順次帰米の途に就かれたり。
 五月十四日 これや丸正午横浜出帆
  ヴアンダーリップ氏一家、ベネクト氏《(ベネデクト)》、タフト氏、シヤーマン氏
 - 第35巻 p.453 -ページ画像 
一家、クロムウエル氏一家、ゲージ氏、イーストマン氏、デヴイス氏一家、ムリガン氏。
  当日右一行は午前九時二十八分東京駅より特別仕立電車を以て横浜に向はれ、米賓歓迎会会員・接待員等多数見送れり。
 六月八日 天洋丸正午横浜出帆
  ストリート氏一家、クラーク氏一家、セレンベス氏。
  ストリート氏は著述材料蒐集の為め、クラーク氏一家並にセレンベス氏は、五月十九日東京を出発し支那視察中なりしが為め帰米遅延したるなり。
 六月三十日 春洋丸正午横浜出帆
  キングスレー氏一家。
  キングスレー氏は五月十七日東京を出発し支那視察中なりしなり
尚ほ此等船室には本会より花籠・菓子折・果物籠を贈れり、而してヴアンダーリップ氏一行は五月二十三日、ストリート氏並にクラーク氏は六月九日、執れも船中より無線電信を以て感謝の意を表はされ、キングスレー氏は支那に向け出発に際し本会宛感謝状を寄せられたり、本会又之に対して答ふる所ありき。
    米賓歓迎会会計
ヴアンダーリップ氏の一行は我国より其来朝を希望したるものなるを以て、同一行が米国の岸を離れて米国の岸に到着するまで之に必要なる費用は凡て我国に於て之を負担することとし、米賓歓迎会は悉く其費用の支出に応ぜり、米賓歓迎会の会計左の如し。
      ヴアンダーリップ氏一行招待総係費計算書
一金壱万六千四拾参円四拾弐銭  来航費
 金壱万五千参百六拾七円弐銭   一行二十七名鹿島丸室代
 金六拾四円           電報料
 金六百拾弐円四拾銭       船中に於ける酒代其他
     〆
一金七千参百九拾参円四拾七銭  華族会館に於ける歓迎会費
 金弐千弐百五拾円        料理代主客百二十五人分
 金八百五拾壱円参拾七銭     酒及飲料代
 金八百七拾五円         茶菓代
 金壱千参拾円          余興能狂言費
 金千八拾参円拾五銭       装飾費
 金百八拾八円          会館使用料
 金参百四円五拾銭        弁当及寿司代
 金五百九拾七円四拾五銭     植木損料雇人料等
 金八拾五円           奏楽費
 金百弐拾九円          来賓及接待員徽章代
     〆
一金五百拾七円五拾九銭     協議会場費
 金弐百拾円          会場使用料
 金参百七円五拾九銭      食事及雑費
     〆
 - 第35巻 p.454 -ページ画像 
一金壱万弐千九百四拾八円六拾九銭 各地観光費
 金千四百七十五円五拾参銭     日光観光費
 金五百参拾六円弐拾四銭       日光上野間汽車往復借切費
 金七百四拾五円拾銭         金谷ホテル宿泊に掛る費用
 金百九拾四円拾九銭         東照宮寄附金其他雑費
金千七百八拾参円弐銭        箱根観光費
 金百五拾五円弐拾参銭        東京国府津間汽車借切賃
 金九百五拾九円九銭         富士屋ホテル宿泊に掛る費用
 金六百六拾八円七拾銭        自動車賃及諸雑費
金四千六拾円弐拾銭         京都観光費
 金九百七拾壱円五拾参銭       国府津京都間汽車借切賃
 金弐千五百六拾弐円弐拾四銭     都ホテル宿泊に掛る費用
 金参百五拾参円四拾参銭       自動車及附近汽車賃
 金百七拾参円            諸雑費
金千参百五拾円七拾銭        奈良観光費
 金八百四拾六円八拾四銭       奈良ホテル宿泊に掛る費用
 金四百八拾弐円九拾八銭       自動車賃
 金弐拾円八拾八銭          附近汽車賃及雑費
金四千弐百七拾九円弐拾四銭     神戸・大阪観光費
 金千四百六拾参円五拾銭       オリエンタルホテル宿泊に掛る費用
 金六百九拾六円五拾銭        自動車賃
 金参百九拾四円五拾四銭       ボーイ手当其他雑費
 金弐百九拾九円拾六銭        大阪神戸間汽車借切料
 金千弐百五拾四円五拾銭       神戸東京間汽車借切料
 金百七拾壱円四銭          汽車中諸掛
     〆
一金五千拾五円八拾参銭       帝国ホテルに於ける送別会費
 金弐千五百五拾円          料理代主客百七十名分
 金九百参拾弐円六拾五銭       酒並飲料代
 金八百九拾円            装飾費
 金六百四拾参円拾八銭        煙草・メヌー・其他
     〆
一金壱万弐千参百拾六円       自動車借切費
 金壱万弐千参百拾六円        一行の宿泊所備付常用分
     〆
一金四千五百円           謝儀費
 金四千五百円            通訳者及掛員一同へ謝儀
     〆
一金四千百弐拾六円参拾参銭     諸印刷費
 金参千円              協議会議事録和英両文印刷費
 金百八拾七円弐拾参銭        一行招待状印刷費(於紐育)
 金四百四拾七円拾銭         宴会用各種招待状等印刷費
 金弐百八拾六円弐拾銭        会議事項等印刷費
 金弐百五円八拾銭          通知状・プログラム等印刷費
 - 第35巻 p.455 -ページ画像 
     〆
一金参千参百拾四円五拾銭      記念品費
 金八百参拾弐円           一行寄贈日本歴史図録
 金九百八拾弐円五拾銭        写真撮影費
 金壱千五百円            記念帳費
     〆
一金千七百六拾弐円参拾弐銭     一行在京宿泊料
 金千七百六拾弐円参拾弐銭      帝国ホテル宿泊料及諸掛
     〆
一金壱万六千八百四拾四円七拾六銭  帰航費
 金壱万六千百四拾四円七拾六銭    一行二十七名コレア丸及天洋丸室代
 金七百円              船中諸雑費
     〆
一金弐千円             広告費
 金弐千円              ジヤパン・アドバータイザ社広料告
     〆
一金五千百六拾六円七拾弐銭     諸雑費
 金千百九拾五円拾壱銭        一行接待用シガーシガレツト代
 金弐百四拾九円弐拾八銭       新聞記者招待費
 金百九拾四円五拾六銭        東京桜木町間電車買切二回分
 金六百参拾壱円           速記料筆耕及翻訳料
 金八百五円             一行荷物運搬費
 金四百八円             一行復航船中贈物代
 金六拾九円拾八銭          協議会準備打合せ会費
 金六百九拾八円拾五銭        一行到着の日晩餐会費
 金参百参拾参円五拾銭        事務取扱員弁当料
 金参百拾八円八拾七銭        同上乗車賃
 金百参円五拾銭           雑手当
 金百六拾円五拾七銭         諸雑費
     〆
一金四千円             報告会並慰労会費
 金四千円              会員及接待員報告並慰労会費用
     〆
一金弐千弐百四拾九円七拾壱銭    通信費
 金弐千弐百四拾九円七拾壱銭     電信料及郵便税
     〆
以上総計金九万八千百九拾九円参拾四銭
    内
 金六万円       特別寄附金
差引残
 金参万八千百九拾九円参拾四銭 不足金
  但此不足金は別紙経費負担金額割当に御同意を得て補塡す
      米賓歓迎会経費負担金額割当案

 割当金額     氏名     割当金額   氏名
 - 第35巻 p.456 -ページ画像 
一、〇〇〇    浅野総一郎氏   一、〇〇〇    服部金太郎氏
一、〇〇〇    団琢磨氏     一、〇〇〇    早川千吉郎氏
  五〇〇    江口定条氏      五〇〇    土方久徴氏
一、〇〇〇    藤山雷太氏      五〇〇    堀越善重郎氏
  五〇〇    福原有信氏      五〇〇    池田謙三氏
  五〇〇    福井菊三郎氏   一、〇〇〇    井上準之助氏
一、〇〇〇 男爵 古河虎之助氏     五〇〇    井上公二氏
  五〇〇 男爵 郷誠之助氏    一、〇〇〇 男爵 岩崎小弥太氏
  五〇〇    原六郎氏     一、〇〇〇    梶原仲治氏
一、〇〇〇    原富太郎氏      五〇〇    神田鐳蔵氏
  五〇〇    橋本圭三郎氏     五〇〇    川崎八右衛門氏
  五〇〇    小池国三氏    一、〇〇〇 男爵 大倉喜八郎氏
一、〇〇〇 男爵 近藤廉平氏      五〇〇    大村彦太郎氏
一、〇〇〇    串田万蔵氏      五〇〇    大谷嘉兵衛氏
  五〇〇    増田増蔵氏      五〇〇    桜井鉄太郎氏
  五〇〇    松方巌氏       五〇〇    佐々木勇之助氏
  五〇〇    美濃部俊吉氏   一、〇〇〇 男爵 渋沢栄一氏
一、〇〇〇 男爵 三井八郎右衛門氏   五〇〇    志村源太郎氏
一、〇〇〇 男爵 森村開作氏      五〇〇    菅原通敬氏
  五〇〇    村井吉兵衛氏     五〇〇    山科礼蔵氏
  五〇〇 男爵 中島久万吉氏   一、〇〇〇    山下亀三郎氏
  五〇〇    中村房次郎氏     五〇〇    安田善三郎氏
  五〇〇    内藤久寛氏      五〇〇    湯川寛吉氏
  五〇〇    野村竜太郎氏     五〇〇    和田豊治氏
  五〇〇    大橋新太郎氏   一、〇〇〇    日本銀行
一、〇〇〇    横浜正金銀行   二、〇〇〇    東洋汽船会社
二、〇〇〇    日本郵船会社
  以上 合計金参万九千円也

    報告並に慰安会
日米有志協議会既に終了しヴアンダーリップ氏一行又帰米せられ、米賓歓迎会の日米両国々交の上に貢献したる所少なからざるを以て、五月十五日渋沢会長は本会の為に特に尽力せられたる接待員を始め其他の人々に或は記念品、或は謝礼、或は感謝状を贈り、五月十六日には其私邸を開放して米賓の旅館に当られし渋沢家・大倉家・三井家・古河家・近藤家及浅野家に対し各々鄭重なる感謝状を送付せられたり、而して米賓歓迎会々員に対しては是又直ちに本会の経過報告をなすべき予定なりしも、折柄会長渋沢男爵老齢の身を以て引続き奔走せられたる結果、二豎の冒す所となり引籠られしを以て、同男爵快癒の上秋冷の候を待ち、九月二十二日午後五時より帝国ホテルに於て報告会を開催し、次で会員並に接待員の慰労会を開けり
    記念写真帖
ヴアンダーリップ一行の来朝は日米国交上大いに記念すべきことなるを以て、同一行の我国に滞在中撮影したる主なる写真を一括し之を記念写真帖となし、ヴアンダーリップ氏一行並に米賓歓迎会々員其他関
 - 第35巻 p.457 -ページ画像 
係者に配付したり。
    米賓の履歴
ヴアンダーリップ氏一行の重なる人々の履歴概要を翻訳し、米賓歓迎会に於て印刷し之を会員並に其他に頒布したるもの左の如し。
    米賓の略歴
     一、フランク・エイ・ヴアンダーリップ氏
君は銀行家にして一八六四年十一月十七日イリノイ州オーロラ市に生れ、イリノイ州立及びシカゴ両大学に学び、一九〇三年シカゴ市のナーシツサ・コツクス嬢と結婚せり、一九〇五年イリノイ大学よりマスター・オブ・アーツの学位を授与せられ、一九一一年コルゲート大学より法学博士の名誉学位を授けらる、一八八九年シカゴ・トリビユーン紙の記者となり、後ち同紙経済記者たり、一八九四年より一八九七年迄はシカゴ市の週刊雑誌エコノミストの編輯長なりき、一八九七年三月四日より六月一日まで当時の大蔵卿ライマン・ジヤクソン・ゲージ氏の秘書となり、一八九七年より一九〇一年までは大蔵次官の職にあり、一九〇一年より一九〇九年までは紐育市ナシヨナル・シテー・バンク副頭取、一九〇九年一月より一九一九年までは同銀行頭取なりき。
氏は目下アメリカン・インターナシヨナル・コーポレーシヨンの総裁にして其他氏が取締役たる会社は左の如し。
 ハスケル・アンド・バーカー商会、ミツドヴェール・スティール・アンド・オードナンス製鉄会社、ユニオン・パシフヰツク鉄道会社マキントシユ・シーモアー会社、オレゴン・シヨートライン鉄道会社、オレゴン・ワシントン鉄道及海運会社、ピークスキル・ライテング・アンド・レールロード・コンパニー、ユーナイテツド・ステーツ・リアルテー・アンド・イムプーヴメント・コンパニー、ナシヨナル・シテー・コンパニー、レール・ジヨイント・コンパニー、エス・ケー・エフ・ボール・ベァリング・コムパニー、インター・ナシヨナル・マーカンテイル・マリーン・コムパニー総務理事、紐育エデイソン・コムパニー監査役、コルソルデーテツド・ギヤス・コムパニー監査役、ノーザン・ウエストチェスター・ライテイングコムパニー監査役、マーカンテイル・セーフ・デポジツト・コンパニー監査役、戦時貯蓄委員長(一九一七年米国政府発行の戦時貯蓄証券発売の為めに大蔵卿より任命せられたり)、カーネギー財団及紐育大学評議員、紐育銀行交換所協会前会頭、レツチウオース・ヴヰレツヂ理事長、紐育州商業会議所実行委員。
氏は一九〇一年財政工業の状態視察の為め渡欧し、一九〇二年白耳義オステンド市に開催せられたる国際商工会議の米国代表者として出席せり、猶ほ戦後の欧洲経済状態視察の為め一九一九年二月渡欧し、帰国後「戦後の欧羅巴」と題する著書を公にせり、氏は左記の倶楽部の会員たり。
紐育市 エコノミツク倶楽部、メトロポリタン倶楽部、インディア・ハウス倶楽部、シテー倶楽部、ユニオン・リーグ倶楽部。
華府 コスモス倶楽部、メトロポリタン倶楽部、コムマーシヤル倶
 - 第35巻 p.458 -ページ画像 
楽部。
シカゴ 記者倶楽部、コムマーシヤル倶楽部、エニオン・リーグ倶楽部。
紐育州 スカボロー町のスリピホロー・カントリーの会長。
氏の著書は左の如し。
 一、シカゴ市街鉄道
 一、欧洲に於ける米国商業的侵略
 一、商業と教育
 一、欧洲の政事問題(一九〇七年)
 一、戦後の欧羅巴
 其他財政経済に関する重要なる記事あり
住所 紐育州ハドソン河畔スカーボロー町
事務所 紐育市ブロードウエー百二十番
     二、ハーリー、イー・ベネデイクト氏
君はヴアンダーリップ氏の秘書役にして米国戦時貯蓄委員の書記長たり、且つ戦時公債に関して政府顧問の一人たりき、現時ヴアンダーリップ氏関係会社の重役として重要なる地位を占む。
     三、シモアー・クロムウエル氏
君は紐育株式取引所の副会頭にして、ストロング・スタージェス会社(銀行業)持主の一人なり、仏蘭西孤児協会々頭にて其功労に依て昨年仏国政府より勲章を授けらる、米国赤十字社紐育支部長にして慈善家を以て名あり。
     四、ルヰス・エル・クラーク氏
君は紐育市アメリカン・エキチェンヂ国立銀行の頭取なり。
     五、ライマン・ヂエー・ゲーヂ氏
君は前大蔵卿にして、一八三六年六月二十八日紐育州マデソン郡デライター市に生る、一八四八年父母と共に紐育州ローマ市に移転し、ローマ・アカデミーに学びたり、一八九七年ベロイト大学より、一九〇三年紐育大学より法学博士の名誉学位を授与せらる、一八六四年ミネソタ州ヘーステイグの庭師エセリツヂ氏の令嬢セーラと結婚し、同夫人は一八七四年死亡せるが故に、一八八七年六月七日デンヴァー氏《(市カ)》のコーネリア・ワシユポーン・ゲーヂ夫人と再婚し、猶一九〇九年十一月二十五日加州サンデァゴ市フランセス・アダパルー夫人と結婚せり十七歳の時オネーダ中央銀行に小使として雇はれ、一八五五年シカゴに移住するまでは同銀行に番頭として勤務し、一八五八年迄製板工場の番頭となり、一八五八年より一八六一年までマーチャント・ローンエンド・トラスト・コンパニー(銀行)の簿記役となり、一八六一年より一八六八年まで同銀行の出納係に昇進せり、一八六八年シカゴ・フアースト・ナシヨナル銀行の出納係となり、一八八二年に同銀行副頭取、一八九一年頭取に累進し、一八九七年より一九〇二年まで大統領マッキンレー及ロウズヴェルト内閣の大蔵卿なりき、一九〇二年より一九〇六年まで紐育市ユーナイテッド・ステーツ・トラスト・コンパニーの社長にして一九〇六年に実業界を退隠せり、君はシカゴ博覧会最初の理事長にして、米国銀行家協会の会頭たりしこと前後三回、
 - 第35巻 p.459 -ページ画像 
シカゴ銀行家倶楽部の最初の会長にして、シカゴ市民聯合会々長たりしこと二回にして、華府カーネギ・インステチューションの評議員なり。
住所 カルフォルニア州サンデァゴ市
     六、ダーウェン・ピー・キングスレー氏
君は生命保険業者にして一八五七年五月五日ヴァーモント州オルパーグに生れ、一八八一年ヴァーモント州立大学よりバチエラー・オブ・アーツ、及一八八四年マスター・オブ・アーツの学位を授与せられ、一九〇四年同大学より法学博士の名誉学位を授けらる、一八八四年六月十九日同州ミルトンに於てメリー・ミッチェル嬢と結婚し、一八九五年十二月三日ジョセフヰン・マコール嬢と再婚せり、一八八四年大統領予選会にデラウェアー州を代表して出席し、一八八七年より一八八八年までコロラド州会計監査官となり共和党に属せり、一八九八年より一九〇七年まで紐育生命保険会社の副社長にして一九〇七年六月七日社長となれり、目下君はシテズンス・ナショナル銀行及紐育鉄道会社の理事、ヴァーモント州立大学評議員にして米国博物学博物館の終身会員なり、君は紐育市の大学倶楽部、ユニオン・リーグ倶楽部、メトロポリタン倶楽部、銀行倶楽部、マーチャンツ倶楽部、スリーピーハロー倶楽部、ナショナル倶楽部、ブラインド・ブルック及び東北協会及びバーンス協会及び加州カタリナのチューナ倶楽部の会員にして、紐育州ハドソン河畔リヴァーデルに住居し、事務所は紐育市ブロートウェー三四六なり。
     七、ジェー・グルド・シャーマン博士
君はコーネル大学総長にして、一八五四年五月二十二日フリータウンに生れ、紐育和蘭人の子孫なり、一八七五年ロンドン大学に於て加奈陀ギリクリスト奨学金を授与せられ、一八七七年同大学よりバチエラー・オブ・アーツ及び一八七八年マスター・オブ・アーツの学位を授与せられ、一八七七―八年は巴里及エデインボロ大学に学び、一八七八年エ大学よりドクトル・オブ・サイエンスの学位を受け、一八七八―八〇年ハイデルバーグ、ベルリン、ゲッティンゲン大学及び伊太利に学びたり、一八九二年コロンビア大学より、一九〇一年エール大学より、一九〇二年エデインボロ大学より、一九〇八年ウヰリアムス大学より、一九〇九年ダートマス及びハーヴァード両大学より、一九一四年ブラウン大学より、一九一七年ペンシルウェニア大学より名誉法学博士の学位を授与せらる、一八八四年十月一日ヂョージ・モンロー氏令嬢バラバラと結婚し、一八八〇年―加奈陀アーケディア大学に哲学を教授し、一八八六―九二年コーネル大学セージ哲学講座の教授となり、一八九二年以来同大学総長たり、君は第一回合衆国比律賓コムミッションの委員長として一八九九年比島に約一箇年を費し、一九一二―一三年ギリシャ及モンテネグロ駐剳米国公使に任命せられ、一九一四年プリンストン大学に講演し、一九一五年紐育州憲法会議の副議長に選挙せられ、一九一七年紐育州食料委員に任命せらる。
氏の著書としては左の如きものあり。
 一、カントの倫理及進化の倫理(一八八一年出版)
 - 第35巻 p.460 -ページ画像 
 一、ダーウヰン説の倫理的意義(一八八八年)
 一、神の信仰(一八九〇年)
 一、不可思議論と宗教(一八八六年)
 一、コーネル大学の一代(一八九八年)
 一、比律賓委員の議会への報告、四冊(一九〇〇年)
 一、比島問題(一九〇二年)
 一、懐旧及大観(一九〇二年)
 一、バルカン戦争(一九一二―一三年)
 一、何故に米国は参戦せる乎(一九一七年)
住所 紐育州イサカ市
     八、ジュリアン・ストリート氏
君は著述家にして一八七九年四月十二日シカゴ市に生れ、シカゴ公立学校及ビリトリー・カレッヂ及び加奈陀オンタリオ・セント・カサリンに学び、一九〇〇年一月十三日インデアナ州ラポート市アダヒルト嬢と結婚せり、一八九九年紐育メール及びエキス・プレッス紙(今のイブニング・メール紙)の記者となり、一九九〇《(マヽ)》―一年同紙の劇壇主任となれり、紐育市プレーアース倶楽部会員なり。
氏の著書は左の如し。
 一、我敵自動車(一九〇八年)
 一、巴里アラカート(一九一一年)
 一、金魚(幼年の謎)(一九一二年)
 一、自国に於ける外国(一九一四年)
 一、米国冒険(一九一七年)
 一、変化の必要(一九〇九年)
 一、船嫌ひ(一九一一年)
 一、我市へ歓迎(一九一三年)
 一、最も興味ある米国人(一九一五年)
 一、田舎の徒弟(ブースターキントン共著)
 其他諸雑誌への寄稿あり。
住所 紐育市八十六丁目百五十一番
     九、ヘンリー・ダブリウー・タフト氏
君は弁護士にして、一八五九年五月二十七日オハイオ州シンシナテー市に生れ、前大統領タフト氏及ホレースダットン氏の令弟にして、チャールス・タフト氏と異母兄弟なり、一八八〇年エール大学よりバチエラー・オブ・アーツの学位を授けられ、シンシナテー及コロンビヤ法科大学に学び、一八八二年弁護士となり、紐育に開業し、キヤド・ワラダー、ウィカシャム・アンド・タフト法律事務所の一員なり、一九〇六年の煙草トラスト調査及起訴に関して合衆国検事総長の特別助手に任ぜられ一九〇七年一月辞職す、ミューチュアル生命保険会社評議員にして、一八九六―一九〇〇年紐育市教務課委員にして、一九〇一年大紐育憲法改正に際し改正委員に選ばれ、一九〇三―五年紐育市立大学評議員たり、一九〇八年以降紐育出版図書館の評議員たり、紐育市大学移民修養所の会長なり、大統領ロウズヴェルト氏に依つて紐育州合衆国高等法院判事に指命せられたれども之を辞退したり、目下
 - 第35巻 p.461 -ページ画像 
紐育州及市法律協会及米国法律協会会員なり、其他氏の会員たる倶楽部はスカル・アンド・ボーシス、サイ・イプシロン、大学倶楽部、センチュリー倶楽部、エール倶楽部、ガーデン・シテー・ゴルフ倶楽部レパブリカン倶楽部、其他十数個所に達す。
住所 紐育市四十八丁目西三六
事務所 紐育市ウォール街四〇


竜門雑誌 第三八九号・第六七―六八頁大正九年一〇月 ○米賓歓迎会の報告会(DK350059k-0006)
第35巻 p.461-462 ページ画像

竜門雑誌 第三八九号・第六七―六八頁大正九年一〇月
○米賓歓迎会の報告会 青淵先生会長の下に組織されたる米賓歓迎会にては、今春四月下旬米国紐育市ヴアンダーリツプ氏一行を招待し、日米問題に関し種々協議する処あり、其後一行は内地観光の上孰れも大満足を以て同五月中旬帰米し、同会は玆に当初所期の目的を完全に達したる次第なるが、先生には去五・六の両月を病気の為め療養に費され、又七・八の両月は暑中休暇の候ともなりし為め、段々延引して去九月廿二日午後五時より帝国ホテルにて同会々員に対する報告を兼ね、一行接待員に対する慰労会開催せられたり、当日は開会に際し先生より同会協議会の顛末及歓迎接待及会計に関する報告及接待委員に対する謝辞あり、会員大倉男爵より先生に対する謝辞ありて晩餐会に移り、終りて余興あり、一同歓を尽し散会せりと云ふ。
当日の出席者、順序、余興は左の如し。
   △来賓
 吉田要作氏     小畑久五郎氏    笠井重治氏
 増田明六氏     福島喜三次氏    宮岡恒次郎氏
 同 令夫人     阪井徳太郎氏    本川一郎氏
 植原悦次郎氏令夫人 堀越善重郎氏令夫人 福井菊三郎氏令夫人
 服部文四郎氏    阿部洋平氏     原譲氏
 白石喜太郎氏    鈴木勝氏      水崎基一氏
 森田宗馬氏     小倉敬止氏     幸田文輔氏
   △主人側
 今西兼二氏     池田謙三氏     服部金太郎氏
 早川千吉郎氏    堀越善重郎氏    小野英二郎氏
 大谷嘉兵衛氏    梶原仲治氏     金子堅太郎氏
 神田鐳蔵氏     高田釜吉氏     添田寿一氏
 頭本元貞氏     中島久万吉男    瓜生外吉男
 大倉喜八郎男    倉知鉄吉氏     串田万蔵氏
 山科礼蔵氏     藤山雷太氏     福原有信氏
 近藤廉平男     荒井賢太郎氏    浅野総一郎氏
 佐々木勇之助氏   阪谷芳郎男     美濃部俊吉氏
 青淵先生      森村開作男     菅原通敬氏
   △順序
一、報告会 ヴアンダーリツプ氏一行協議会経過報告
一、晩餐会
一、慰労会
  余興
 - 第35巻 p.462 -ページ画像 
  狂言   宗論   奥村金之助外一名
  浄瑠璃  戻駕   藤間勘四郎外七名
  狂言   三人片輪 奥村金之助外二名



〔参考〕(ダーウィン・ピー・キングズリー)書翰 渋沢栄一宛一九二五年四月七日(DK350059k-0007)
第35巻 p.462 ページ画像

(ダーウィン・ピー・キングズリー)書翰 渋沢栄一宛一九二五年四月七日
                   (渋沢子爵家所蔵)
           Darwin P. Kingsley
            346 BROADWAY
            NEW YORK, N.Y.
                      April 7, 1925
My dear Viscount :
  This letter will reach you very nearly on the day which will mark the fifth anniversary of the landing of the so-called Vanderlip group in Tokyo in 1920.
  The years have gone by all too rapidly. Their passage, however, has only served to emphasize the deep interest of Mrs. Kingsley and myself in Japan, and to increase the affectionate regard in which we hold the people with whom we came in contact then and later on.
  We sincerely hope that the years have dealt gently with you and that both you and your wife are in good health.
           Very sincerely yours,
             (Signed) D. P. Kingsley
Viscount E. Shibusawa
  2 Kabutocho Nihonbashi
  Tokyo, Japan
(右訳文)
                (別筆)
                五月十□日御一覧
                要回答 回答案作製済
 東京市日本橋区兜町二 (五月一日入手)
  子爵渋沢栄一閣下   紐育、一九二五年四月七日
              ダーウヰン・ピー・キングスレー
拝啓、本書は恰も一九二〇年にヴアンダーリツプ氏一行が東京に着せる五周年に相当する頃、御手許に到着可致と存候
爾来歳月は匆々として経過致候得共、氏一行の旅行によりて小生夫妻は日本に対して益興味を深ふすると共に、当時及其後に面会せる人々に対する友情を厚うする事を得申候
其後閣下には御老年にも不狗御変もなく、令夫人と共に益御健勝の事と謹んで祈上候 敬具



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ダーウィン・ピー・キングズリー宛大正一四年六月二二日(DK350059k-0008)
第35巻 p.462-463 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ダーウィン・ピー・キングズリー宛大正一四年六月二二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
      案
 紐育市ブロードウエー三四六
  ダーウヰン・ピー・キングスレー殿
 - 第35巻 p.463 -ページ画像 
    大正十四年六月廿二日       東京
                      渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば先年貴下並に令夫人がヴアンダリツプ氏一行として我国に御来着第五周年の当日に於て、其当時を御追懐相成り、其折の事共何呉となく想起され、そゞろに興を催され候由の御通信に接し、老生も亦当時の光景を昨日の出来事の如く記憶致居候こととて、感興殊に深く面白く拝読仕候、貴台が御帰国以来別而日本及日本人に対し深き興味を抱かれ候を承知致し、当時御接待申し上候身として真に欣快に堪ず候処、今又温情籠れる尊書に接し、先年の御会同の重要なりし義を泌々と思返し申候
先便申上候通り、老生昨年十一月下旬以来病気の為め引続き籠居致候処本年三月頃に至り殆んど全快の域に達し候得共、其の後又々多少の発熱有之、未だ平癒不致苦悶罷在候、然しながら幸に精神的活動上には何等の差障無之、記臆力・判断力等に差して衰へたりとも覚え不申候、肉体的病症に付ても老齢の為めに恢復遅々としてもとかしくは候得共、憂ふ可き病状には無之と主治医も申し居り候へば、軈て快方に相向候事と期待罷在候間、御安心可被下候
乍末筆令夫人へ宜敷御鳳声被下度御願申上候、右御回答旁可得貴意如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ジユリアン・ストリート宛大正一五年一〇月二三日(DK350059k-0009)
第35巻 p.463 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ジユリアン・ストリート宛大正一五年一〇月二三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                 (栄一墨書)
                 十五年十月廿三日閲了
 紐育市
  ジユリアン・ストリート殿 東京市
                      渋沢栄一
拝啓、然ば御送付の新聞切抜により令夫人御逝去の由拝承、余りに突然の事とて真に驚き入り其真否を疑ふ許りに御座候、貴台を始め皆々様御愁傷の程察入候
先年御来遊の際に三田綱町拙宅に御滞留被下候事共想ひ起し、感慨殊に深きを覚え、哀悼の情殊に切なるもの有之候、玆に謹んで弔意を表し度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ大正十五年十月二十三日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕(ジユリアン・ストリート)書翰 渋沢栄一宛一九二六年一一月三〇日(DK350059k-0010)
第35巻 p.463-464 ページ画像

(ジユリアン・ストリート)書翰 渋沢栄一宛一九二六年一一月三〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   Princeton, N. J.
                    Nov. 30. 1926
Dear Viscount Shibusawa :
  I very much appreciate your letter of sympathy. When such a blow has fallen on one, ones' mind runs back over happy memories, and one of the most beautiful memories I have which I shared with my wife, is of our visit to Japan ― a visit
 - 第35巻 p.464 -ページ画像 
for which we have you to thank. We never passed happier or more interesting days than those with you, and in your villa at Mita ; and lovely as my memories of that visit were, they are now so much the more precious to me.
  My wife learned to have a deep and sincere affection for Japan and the Japanese people. When legislation which we thought unjust was passed in this country as affecting the Japanese, her heart ached, as mine did also. I feel that a little piece of Japan was buried with her heart, and will be with mine when the time comes.
  Our holiday season is drawing near and your New Year will be at hand when this reaches you.
  I send you and your family my warmest good wishes for all the blessing of this life, both from myself and from my wife, who would wish me to do so.
  With high respect,
              Faithfully yours.
                (Signed) Julian Street
(右訳文)
              (栄一鉛筆)
              昭和二年一月二十一日一覧
 東京市(十二月卅一日入手)
  渋沢子爵閣下   プリンストン、一九二六年十一月三十日
                  ジユリアン・ストリート
拝啓、益御清適奉賀候、然ば妻死去に関し御懇篤なる御悔み状を頂戴致し誠に難有厚く御礼申上候、斯の如き打撃を蒙れる際には往々にして過ぎ去りし幸福なる思出に耽るものに候、而して小生の最も美しき記憶の一は妻と共にせしものにして彼の日本の旅行に候、此旅行に付ては小生等は閣下に感謝せざるべからず候、閣下と共にせし数日及三田の貴邸に過せし日夜は、小生等にとり曾てなき幸福且愉快に暮せし日々に御座候、而して此の旅行の記憶が楽しかりし丈け今や小生にとりて愈貴重なるものと相成候
妻は日本及日本人に対し深厚にして真実なる愛着の念を抱くに至り候小生等が不条理なりと思惟せし排日法が日本人に悪影響を及ぼすに至りし時、妻は私と同様心を痛め申候、日本の片影は妻の心と共に葬られし事と思はれ候、軈て時来らば小生も亦胸深く日本の面影を抱きて久遠の床に眠るなるべく候
小生の祝賀するクリスマスも次第に迫り来候、本書の御入手の頃には日本人の慶賀せらる新年も間近き事と存候
閣下を始め御家族様方に対し、有る限りの御幸福を得られんことを神かけて奉祈候、定めし亡妻も斯く祈り候事と存候 拝具



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ宛昭和二年二月一四日(DK350059k-0011)
第35巻 p.464-465 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ宛昭和二年二月一四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
         (別筆)
         口頭にて申上けし事を後に綴りしもの
 - 第35巻 p.465 -ページ画像 
 紐育州スカバロー・オン・ハドソン
  ナーシツサ・コツクス・ヴアンダーリツプ夫人様
            東京市、一九二七年二月十四日
                      渋沢栄一
拝啓、益御清栄之段奉賀候、扨而横浜市シー・エフ・トーマス氏を通して果実及胡桃の御贈物を忝うし正に落手致し候、御親切誠に難有奉深謝候
右入手の節早速小生はトーマス氏へ請書を差出し置き候、御恵送の品は誠に結構にて荊妻その他一同と共に賞味仕候、近日中更めて一書差上げ可申積りには候得共不取敢御礼まで申上候
貴殿及御良人様の御健康を祈念奉り候 敬具
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ宛昭和二年三月一六日(DK350059k-0012)
第35巻 p.465 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ宛昭和二年三月一六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                (栄一鉛筆)
                昭和二年三月十一日一覧
      案
 紐育州スカーバロー・オン・ハドソン市
  ナーシツサ・コツクス・ヴアンダリツプ夫人殿
                   東京 渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば過般珍味種々御恵投被下難有拝受日々拝味御厚意感謝罷在候、就て当方よりも何か拝呈仕度と種々配慮致候得共格別の気付も無之、結局本邦一般に珍重せられ居候ものを御目にかけ候方御興味可有之と相考へ、二・三種を箱詰めとして別便発送仕候間御受納被下度候、尚絹製袱紗二枚同封致置候処、右は携帯品を包む為めに広く使用せられ居候、先年御来遊の当時御承知かとも被存候まま兼子の申出により相添候
右に対する日本郵船会社領収証玆許同封致候間此と引換に御受取被成下度候、尚拝送の品々に対し関税賦課の見込有之候に付予め当方に於て支払手続致度種々交渉致候得共、結局不得其意已むなく貴国輸入関税は未払の儘御送付仕候、就ては税金御支出被成候場合は早速当方より御送金仕度候間、失礼なから御遠慮なく御通知被下度候
右得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ昭和二年三月十六日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕(ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ)書翰 渋沢栄一宛一九二八年一〇月四日(DK350059k-0013)
第35巻 p.465-467 ページ画像

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〔参考〕(ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ)書翰 渋沢栄一宛一九二九年六月一日(DK350059k-0014)
第35巻 p.467-468 ページ画像

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〔参考〕外務省関係書類 (三)(DK350059k-0015)
第35巻 p.468 ページ画像

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