デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
7款 大日本平和協会
■綱文

第35巻 p.492-498(DK350076k) ページ画像

明治45年2月7日(1912年)

是日当協会理事会開カレ、栄一、名誉評議員ニ推挙セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK350076k-0001)
第35巻 p.492 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四五年          (渋沢子爵家所蔵)
二月二十五日 晴 軽寒
○上略午前十時事務所ニ抵リ○中略堀越善重郎氏来リ平和協会寄附金ノ事ヲ談ス○下略


大日本平和協会書類(DK350076k-0002)
第35巻 p.492 ページ画像

大日本平和協会書類             (阪谷子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓益々御清祥奉賀候、陳者世界の平和運動は年と共に盛にして、一昨々年我国実業団体諸氏の米国各州を訪問せるも、昨年阪谷男爵、新渡戸博士、島田代議士等の海外を漫遊せるも、米国よりジヨルダン、ホルト、ラツセル、ヒル諸博士の来遊せるも皆平和促進の目的に外ならずと存じ候、本会に於ても将来大に業務の刷新拡張の必要を認め候折柄朝野有力者諸氏の同情をも得、本年一月の総会に於て本会の規則に改正を加へ、組織を新にし、事務所を京橋区山城町六番地に設け、従来の役員諸氏の外に新に名誉評議員として渋沢男爵、副会長として阪谷男爵、理事として早川千吉郎、新渡戸稲造、尾崎行雄、高田早苗、箕浦勝人、島田三郎諸氏に就任の承諾を得、特に阪谷男爵には主任としての尽力を依頼し、又日本興業銀行に交渉して金銭出納方を託し、万事面目を一新し、主として基礎の鞏固を図り着実に事業の進行発展を期し候次第に有之候、就ては会員諸君は勿論内外の有力者諸君に於ても、特種の御好意を以て本会の事業を迎へられ、資金の御寄附其他演説・論文等本会の目的を貫徹するの手段に就て御助力を惜まれざらむことを懇願仕り候、右得貴意度如斯御座候 敬具
  明治四十五年二月
          大日本平和協会々長 伯爵 大隈重信
        殿
         侍史


(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 明治四五年(DK350076k-0003)
第35巻 p.492-493 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 明治四五年
                 (阪谷子爵家所蔵)
四十四年七月六日、大隈伯余ノ為ニ午餐会ヲ開キ別ヲ送ラル、此日大日本平和協会ニ入会ス
七月十一日出発、ベルン会議ニ出席シ、十月廿一日帰国ス

○明治四十五年二月七日、日本クラブニテ理事会
 出席 ボールス、江原、渡瀬、林、高田
 - 第35巻 p.493 -ページ画像 
    樋口、向(事務員)道又勇太郎早稲田鶴巻町四三一 宇野方
一、富山接三ノ事務引継ヲ了ス
一、雑誌平和ハ小山東助ヲ出版部長トシ、毎月三十円ノ請合ニテ発行ノコトヲ決ス
一、事務所ヲ東京統計協会ニ一ケ月十円以内ニテ頼ムコトヲ、阪谷ニ託ス
一、ボールス君ヨリ日本語教授ノ設備ニ付テ不正式ニ話アリ、理事会ハ賛成ス
一、当日幹事ノ選定左ノ通リ
 会計    為貝敬昌
 庶務、記録 樋口勘治郎、但当分会計ヲ兼ヌ
 出版部長  小山東助
 編輯    鈴木文次《(鈴木文治)》
 庶務    向
一、理事左ノ如シ
 会長 大隈伯 副会長 阪谷・江原
 理事 島田、新渡戸、早川、高田(早苗)、尾崎(行雄)、箕浦、寺尾、服部、林(包明)、ボールス、大橋、鎌田、中野、渡瀬、ケネジー、福岡、姉崎、佐竹、セール
 計二十二人 外フレーザー氏ハ帰国中ニ付理事見合ス
 名誉評議員 渋沢男
一、ボールス君ヨリ規則修正案送付アリ、其審査ヲ幹事ニ託ス


大日本平和協会書類(DK350076k-0004)
第35巻 p.493-496 ページ画像

大日本平和協会書類           (阪谷子爵家所蔵)
(印刷物)
    大日本平和協会会則
      第一章 目的及事業
第一条 本会の目的は人種間及国家間の関係をして親密ならしめ、国際紛議が成るべく平和的手段を以て解決せらるゝ様に尽力し、以て世界の平和を保全し人類の幸福を増進するにあり
第二条 本会は前条の目的を達する為め左の事業を行ふ
 (一)家庭・諸学校及一般国民間に本会の目的を普及する事
 (二)本会の目的に関し研究及調査する事
 (三)講演会を開き若くは印刷物を発行して輿論を喚起する事
 (四)政治・教育・宗教・実業・社交其他社会的各種団体に本会目的の賛助を求むる事
 (五)必要に因り当該官府に建白請願する事
 (六)内外同志と聯絡を通じ協同して適当の処置を執る事
 (七)特に本会に於て緊要と認めたる事項
      第二章 名称及位置
第三条 本会は大日本平和協会と称す
第四条 本会は事務所を東京市京橋区山城町六番地に置く
      第三章 経費
第五条 本会の経費は会費・寄附金及本会の所有財産、又は事業より
 - 第35巻 p.494 -ページ画像 
生ずる収入を以て支弁す
      第四章 会員
第六条 本会の趣旨を賛する丁年以上の男女にして、会費負担を約する者は之を会員とす
第七条 本会の会員は之を分ちて普通会員・維持会員・終身会員及名誉会員の四種とす
 普通会員 会費年額金壱円を納むる者
 維持会員 会費毎月金五拾銭又は年額金五円を納むる者
 終身会員 普通会員にして会費二十ケ年分以上、維持会員にして会費十ケ年分以上を完納したる者、若くは金五拾円以上を寄附したる者
 名誉会員 理事会に於て推薦せられたる者
第八条 会員にして退会せんとするときは其旨届其づ可し
第九条 会員にして本会の面目を毀損したる者は、理事会の決議を経て之を除名する事あるべし
      第五章 役員
第十条 本会に理事若干名を置き理事会を組織し本会を代表せしむ
 理事会は少く共毎年三回以上之を開き会務を議する者とす
第十一条 理事は通常総会に於て会員中より之を選挙す
 理事の任期は二ケ年とす
  但し再選することを得
 理事に欠員を生じたる時は理事会之を補欠することを得
第十二条 理事会は会長一名、副会長若干名を会員中より選挙す
 会長は理事会を代表し理事会其他の諸集会を召集し其議長となる
 副会長は会長を補佐し又は其代理となる
第十三条 理事会は理事中より会計監督を互選す
第十四条 理事会は会員中より幹事若干名を選任し理事会の決議を執行せしむ
第十五条 理事会は必要に因り理事中より幹事長一名を選任する事を得
 幹事長は幹事を指揮監督するものとす
第十六条 幹事長及び幹事は有給とすることを得
      第六章 総裁
第十七条 本会は総裁を推戴する事あるべし
      第七章 評議員
第十八条 本会に名誉評議員及評議員若干名を置く
 名誉評議員及評議員は重要なる会務に関し理事会の求めに由りて意見を開陳し、又自ら意見を提出する者とす
第十九条 名誉評議員及評議員は理事会に於て之を推薦す
      第八章 総会
第二十条 本会は毎年一回通常総会を開く
 通常総会に於ては事務及決算の報告、予算及事業の決定、理事の選挙を為し其他必要の事項を決議す
第二十一条 理事会の決議若くは会員十分一以上の請求により臨時総
 - 第35巻 p.495 -ページ画像 
会を開くことを得
第二十二条 総会に於て決議権・選挙権を有するものは、出席会員に限る
 総会の議事は過半数を以て決す
      第九章 支部
第二十三条 理事会は必要に応じ支部を設くる事を得
 支部に関する規定は別に之を定む
      附則
第二十四条 本会則は理事会又は会員五分一以上の提出せる議案により総会出席会員三分二以上の同意あるに非れば変更することを得ず

        ○評議員
      名誉評議員      男爵       渋沢栄一
        ○役員     (イロハ順)
      会長         伯爵       大隈重信
      副会長        法学博士男爵   阪谷芳郎
      副会長                 江原素六
      理事                  服部綾雄
      理事                  早川千吉郎
      理事                  林包明
      理事         農学博士法学博士 新渡戸稲造
      理事                  ギルバート・ボールス

      理事                  尾崎行雄
      理事                  大橋新太郎
      理事                  渡瀬寅治郎
      理事                  鎌田栄吉
      理事         法学博士     高田早苗
      理事                  中野武営
      理事                  ゼー・アール・ケネデー
      理事                  福岡秀猪
      理事         法学博士     寺尾亨
      理事         文学博士     姉崎正治
      理事(会計監督)            佐竹作太郎
      理事                  箕浦勝人
      理事                  島田三郎
      理事                エフ・ジー・セール
      幹事(会計主任)            為貝敬昌
      幹事(出版部主任)           向軍治
      幹事(普及部主任)           平沢均治
      幹事(庶務主任)            樋口勘治郎
            東京市京橋区山城町六番地
                    大日本平和協会
               東京統計協会内(電話新橋二九九九番)
(手書)
 - 第35巻 p.496 -ページ画像 
  此協会ハ明治三十九年ノ創始ナリ
  明治四十五年三月四日評議員ニ推選ス、宮岡恒次郎
  元年十一月三日ベルン中央局補助金来ル
  二年一月廿九日常務理事ヲ置ク
  元、十一月廿五日向退任、福田錠二之ニ代ル
  理事 松浦伯、宮岡、堀越
  福田錠二○幹事
  山本弥内○幹事


大日本平和協会一覧(DK350076k-0005)
第35巻 p.496 ページ画像

大日本平和協会一覧          (阪谷子爵家所蔵)
(印刷物)
会員数 五百六十二名(明治四十五年二月現在)
 男女別   男   五五一 女   一一
 内外国人別 内国人 四七八 外国人 八四
会員種別
 名誉会員 二    終身会員  二六
 維持会員 一一九  普通会員 四〇〇
 種別未定 一五



〔参考〕(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 明治四五年(DK350076k-0006)
第35巻 p.496-497 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 明治四五年
                 (阪谷子爵家所蔵)
    大日本平和協会改革ニ付テ
○四十四年十二月二十日、富山接三氏来訪
○十二月二十一日、渋沢男ニ書信ス、男ヨリ電答アリ
○同  二十二日、富山及ボール《(ボールズ)》二氏来訪、此夕一寸内田外相○内田康哉ニ談ス
 同  二十三日、渋沢男ヲ王子ニ訪フ
  渡瀬寅次郎来訪密談ス
 ×追記十二月二十四日 渋沢・桂・西園寺三氏ニ通信ス
   同 二十六日 西園寺侯会見
   同 二十七日 桂・松方・内田三氏会見
   同 二十九日 渋沢男・富山兄弟会見
 同十二月三十日午前ボールス来訪密談ス、ボールスヨリホルトニ発電ス
○四十五年
 一月一日、桂公ニ談ス、宮中ニテ同六日添田ニ談ス
 一月九日、ボールス氏次女死去ニ付会見ヲ延ハス
 一月十五日、日本クラブニテボールス及渡瀬ト会見ス
 一月十九日、青年会館ニテ理事会アリ、余ヲ理事副会長ニ推撰ノ由ナリ
○一月二十二日付ボールス来状、ホルト氏宛書面文案ノ件云々、翌日同意ノ旨ヲ回答ス
 一月二十七日、渡瀬氏ヨリ大隈伯ニ面会云々電話アリ
 一月二十五日、珍田男ニ話ス
 - 第35巻 p.497 -ページ画像 
四十五年一月十九日、理事会、一月二十九日、青年会館演説会、同夕刻築地精養軒ニテ島田氏懽迎
 二月二日、ボールス氏来状、昨年十一月十三日付ホルト氏ニ宛ヘ《(テ)》タル平和協会ニ援助ヲ求ムル書翰ノ写


〔参考〕富山接三談話筆記(DK350076k-0007)
第35巻 p.497-498 ページ画像

富山接三談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
             昭和十一年五月一日、於第一銀行編纂員佐治祐吉筆記
    大日本平和協会に就て
 ○私が同会の幹事として尽力しましたのは、明治四十三年から明治四十五年までで、明治四十五年に私は米国へ渡りまして、その後は関係を致してをりません。それはアメリカで平和運動の実際を見て、為す無きを覚つたからです。
 それに平和運動と云ふものは欧洲大戦で非常な打撃を受け、戦後は国際聯盟協会が出来た関係上、一層力の抜けたものになりました。然しながら元来、国際聯盟と平和運動とは違つたもので、各々活動範囲があるのであるが、欧洲大戦中に於ける世界各国の平和運動といふものは、各国とも夫々努力はしてゐたが、誠に情無いものであつた。独逸の協会も活動はしましたが圧迫されました。アメリカでもQuaker派(Friend Mission派の人々で出来てゐた)のPeace Associationは絶えず努力してゐましたが、其他の団体は、御話にならんので、殊にAmerican Peace Societyなどといふものは誠に不都合な活動を致しまして、戦争を謳歌するといつたやうな事になつて了いました。
 ○扨、渋沢閣下が大日本平和協会へ御関係になられた次第を申しますと、明治四十二年子爵は渡米実業団を組織して米国内を旅行せられボストンへ御出の時に、有名な平和運動家の夫人、ジン氏及一行中の佐竹作太郎・中野武営・大橋新太郎の諸氏と会談中、帰国の後日本に於ても平和協会を作らうといふ話になった――さういふ事を米国の友人から私に通信がありました。
 ○私は早速中野武営氏を訪ねて、此事を相談しました。すると中野氏は曰く「それはよいが、自分や渋沢男爵は、先づ実業界の公卿のやうなものである、渋沢男爵から寄附金は取らぬやうに、大橋・佐竹の両氏から出して貰へ」といふ訳で、私は次に佐竹氏を訪うて承諾を得寄附金として九百何円かの金を受取りました。
 ○次で渋沢閣下を兜町の事務所へ度々御訪ねしたのです。それには先づ当時の秘書の八十島君が友人だつたので、よく此平和運動の主旨を同君に述べ、その肝煎で、閣下にお目にかゝりました。所が閣下は「自分の如き実業家は教育事業とか、人道的救済的のものならば援助するが、さういふ運動には援助は出来ぬ」といふお話でした、――これはいかん、これは何か閣下が誤解せられてをる、それに心当りもあつたのです、それといふのは、当時平和運動と社会主義とが同一視され易く、現に沢田節蔵氏が平和協会に関係してをる時に、木下尚江氏から合同法を二・三回申込まれたといふ事もあつたのです。それで私は猶改めて八十島君に会ひ、十分に平和運動の本質を説き、平和運動を社会主義と混同せられては困る、殊に閣下のやうな社会的に大きな
 - 第35巻 p.498 -ページ画像 
立場に立つてをられる人がかゝる誤解を抱かれては困ると抗議して、なほ数回――八十島君は非常に多忙だつたので――折を見ては会見して、十分に了解するまで話しておきましたが、渋沢閣下の方はそのままに致しておきました。だから明治四十三・四年には協会と閣下との御関係は無いのです。たゞ大隈伯爵邸で催した晩餐会とか、其他の催のある時には渋沢閣下とか岩崎氏等を招待しましたので、其時に臨席せられた位でした。
 ○私が明治四十五年に渡欧する際に、然るべき人に平和協会の仕事をやつて貰いたいと考へまして、阪谷男爵は国際経済会議に使節として御渡欧にもなつてゐられるし、男爵にお願したいと考へました。当時男爵は多分大隈伯が協会の会長であつた関係からか会員にもなつてをられませんでした。それで私が協会の副会長に御就任を乞ふと、いづれ渋沢男爵と相談してから返事をしようといふ事でしたが、明治四十五年の初に其就任を承諾せられて事実上の事務を執られる事になり此時に渋沢男爵を名誉評議員にお願する事になりました。正式に渋沢男爵が協会と関係せられたのは此時からです。
 ○協会では機関雑誌として「平和」を発行してゐました。それが多分大正六年頃迄続いてゐたやうです。会の幹事は早稲田大学の樋口勘次郎氏と向軍治氏とYMCAの副理事長と私とでした。
 ○渋沢男爵が一つ興味を持たれた事件を申上げませう。それは支那第二革命の時平和運動の活動を国際的に認められるやうにせねばならぬと考へてゐましたが、丁度鵠沼の寺尾亨博士の別邸に参りましてそれから同地の東屋で寺尾博士と頭山満氏と三人で会合しまして、此際大日本平和協会の平和使節を支那へ送らうといふ事を考へ、次に尾崎行雄氏に此事を相談しました――海軍から軍艦を借りて万国旗を掲げ大隈伯爵を正使に渋沢男爵を副使として支那に派遣し、軍を止めよといふ事を支那の両軍に話して戦はずして平和を来すやうにしたい――といふのが其計画で、……尾崎氏は之を聞いて大いに賛成し、それは良い案だ、己が外務省と海軍省へ行つて話してやるといふ訳で……
 ○大隈伯もよからうといひ、渋沢男爵も「お前面白い事を考へるぢやないか、よしよし大いにやらう」といはれました。
 ○所が是非此仕事を己にやらせてくれと云ふ人が出て来て、私は手を引きました。何でも一・二ケ月の後に大日本平和協会の名で、アメリカと倫敦の平和協会へ電報を打つて此挙に賛成するかどうかを問合せたさうです。するとこんな事は時機の問題ですから、もう時が経つてゐるので、向ふからは「今其時機にあらず」といふ返電が来て、此事は立消になつて了つたのでした。