デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
7款 大日本平和協会
■綱文

第35巻 p.501-506(DK350078k) ページ画像

明治45年5月18日(1912年)

是日、当協会主催ヘーグ・デー、基督教青年会館ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 明治四五年(DK350078k-0001)
第35巻 p.501 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 明治四五年
                  (阪谷子爵家所蔵)
○四月十五日、平和協会理事会、ボールス、宮岡、渡瀬、為貝、樋口及余会ス○中略
  五月十八日ヘーグデー演説者予定、大隈、渋沢、エリオツト、尾崎、串田、高田、鎌田、江原、阪谷等、右実行委員樋口、平沢両幹事
  ○中略。
○五月十八日、ヘーグデー神田青年会館ニテ演説○夕三河屋ニテ晩餐寺尾亨、乾○精末、ビードル三氏懽迎
  ○中略。
○五月二十二日、道又来訪ス、平和協会ヘーグデー演説速記渋沢○中略
  ○中略
○五月二十五日、ヘーグデー演説筆記ヲ校正シテ返付ス(余ノ分ナリ)
  渋沢男ノ分ハ増田明六ニ催促ス


竜門雑誌 第二八九号・第三九―四五頁明治四五年六月 実業界より見たる平和 青淵先生(DK350078k-0002)
第35巻 p.501-506 ページ画像

竜門雑誌 第二八九号・第三九―四五頁明治四五年六月
    実業界より見たる平和
                     青淵先生
 本篇は青淵先生が五月十八日平和協会に於て演説せられたるものなり(編者識)
△受身の平和と働き掛けの平和 商売とか、工業とかいふことでござ
 - 第35巻 p.502 -ページ画像 
いますと、諸君を益するお話は出来ぬでも、本職たる位置に居りますから、考が無いといふことは責任としても申されませぬけれども、平和といふ問題も勿論実業家に最も必要なものでありますが、併し此平和といふても受け身の平和は実業家にあるが、働き掛ける方は、非実業家即ち政事家・学者の方に多くある様に考える、故に今日の場合私の本分からは受け身の平和を言ふて宜いか、働き掛ける平和を言ふて宜いか、言葉を換へて言へば平和たらしむるのでなく平和を希望すると言ふ位で、俗に申す世間に事なかれ主義者であるから、唯斯く希望して居るといふ如きもので、平和といふ問題に対しては頗る卑近な所謂通俗的の子供に申す様なことしか申されませぬ、諸君を益することの出来ませぬことは偏に御諒恕を希ひます(拍手)
 平和の問題が進んで参りますといふことは学者・政治家が追々に講究しつゝある、殊に米国のカーネギー抔といふ偉人が、全世界の平和を企図されて各種の方面の学者達から完全な講究方法を設けられ、世界を以て一団ともしやうといふ様な希望を以て其筋々の人々が研究調査を重ねつゝ居りますから、今日立案して明日成就するといふことは勿論出来ますまいけれども、終には我々も黄金世界を見ることが出来るかも知れませぬ、併し諸君はお若いが私は老人である、今日は大隈伯が御出にならぬから百二十五歳の寿命は請合ふ訳にいかぬ、故に斯る大問題は私の如き老人が果して遭遇し得るや否は分からぬが、併し人世の命と世界の寿命とは丸で話が別だから、明日死なうとも百年千年の希望を持つが至当だから、今日の場合私が生命の短きを以て世の中を短く感ずることは相成らぬと思ふので御座います(拍手喝采)
△戦後の商工業界 私は玆に実業界から見たる平和といふ問題に就て申上げて見たいと思ふのでありますが、誠に卑近な申分だが平和といふことは誰でも望む、相対して殴り合をするのが結構だとは言はない一家にしても父子の争論、夫婦喧嘩抔といふものは宜しくない、所がどうも一身一家にも何か欠点があると平和を欠く、延いて一郷一国、或は国際間に総て此不和といふものが追々に関聯して来る、小にすれば個人一家、大にすれば宇宙間に其関係が波及して参ります、而して実業界から此問題を論ずると明治四十五年の今日までに兎角実業界の連中には、平和で無かつた場合に国の富力が増したとか、商売が伸長したとかいふ誤解がある、誤解ぢやない、事実がある、それで此平和といふ問題に対して一寸迷ひを惹起す、恰も昔時火事は江戸の花と言つて、火事がないと市中が衰頽するといふこともあつた、甚しきは放火したか知りませぬが、近頃そんなことを言ふ人はなくなりましたが(拍手)火事と戦争とは違いますけれども、兎角事物の変化を起すといふことが、或る場合に一つの動機になつて、気運の革新を見るといふことがある、即ち明治の初御一新の騒動は、極僅少であつたからそれが商売に大いなる影響を為したといふことは証拠立て申されませぬが或は之を綿密に穿鑿したら相応の例となり得るか知れませぬが……其後国内で一回、外国と二回随分憂ふべき程の戦争があつた、即ち明治十年の役と、二十七年、三十七年の役であつた、此三度の戦役以後に我邦の商工業は大に進歩して居る、十年の戦役に付ては俄に国費が増
 - 第35巻 p.503 -ページ画像 
大した為に紙幣を発行して之を支弁した、引続いて十二年・十三年頃には銀貨と紙幣の差が生じて、経済界に大なる物議が生じた、物議が生じたが商売は大に繁昌した、又二十七年の役後以後は著しく諸事業が拡張した、殊に二十八年・九年・三十年頃には国内各地に鉄道敷設の出願は其筋にて殆んど応接に暇ないといふ位であつた、左様に出願した線路は事実延長はしなかつたが、併し鉄道に対する一般の希望は戦後俄に膨脹した、独り鉄道計りではなく他の事業即ち海運に、若くは工業に各方面ともに大に進歩した、三十七年の戦役後も三十九年には一時に諸事業の勃興は凄まじいものでありました、併し之は短い時日で四十年の初から大に変化して所謂急転直下で下落した、但し三十九年から四十年の春迄の膨脹力は中々に強かつた、故に世間殊に実業界では君は平和を説くけれ共いつも無事であつては商業に活気がない従て又意外の利益を受くるといふことは出来ぬ、同時に事業の或部分は進歩することが乏しい、して見ると平和を其様に希望せぬでも宜いぢやないか、時々戦争のあるのが国の富を増すのだ、国家の富が勃興するではないかと、甚しきは政治家・学者中でもかく論ずる人がないとは言へぬ(拍手喝采)
△戦争と富 併しながらこれは其人の誤解と私は言はなければならぬ戦争の為に富が増したと思ふのはそれは経済上の真理を知らぬ申分であつて、寧ろ皆無と言はなければならぬ、尤も日清戦争の如きは、大に償金といふものが這入つて来たからして為に国家の何れかの部分に利益を与へたに相違ないから、それ等が自然と実業界にも潤沢したでありませうけれども、詰り其間に戦争の為に大なる貨財が費消され、戦争の為に壮丁の力を費し、戦争の為に総ての事物が損耗したといふことは、目で見た通り算盤で算えた通りの事実に相違ない、果して然らば何故跡で商工業に景気附くかと言へば国に変化があるから変化の為に生ずる動揺である、譬へば此処に空気が減ずると脇の方の空気が来る、旋風が起ると音が発したり物に変動を起す様になる、見た所では活気が生じた様だがこれは所謂空中の活気だらう、賞めた話でない既に活気を生ずるから事業に景気が附く、従て貧富の懸隔が強くなつてくる、俄に富む者が出来るから浪費も多くなつてくる。それは畢竟戦争の関係からして現はして来る形状であつて、其以前に於て事実の働きが強ければ、戦争以後に進み得た様に見える、若し反対に戦争前に追々に国家の実力が衰へて居つて、生産力も乏しく産業上の数額が減じて尚且つ戦争に遭遇したといふならば、或る僅少の部分には変化の為に利益するものがありとするも、其部分甚だ少くして損害した人が頗る多い、為に必ず創痍といふものが数年経ても健全に復することは出来ない(拍手喝采)近い有様に徴して見ても、例へば二十七年と三十七年との戦後の有様は、事に大小がありまして其結果も大に相違したので、其跡の創痍の癒え方の遅速が大に違ふといふことは明瞭に分ります、此の二度の戦役に就て静に一般の有様を観察して見ると、戦争は富を増すとか、戦争は商売を繁昌さすとかいふことは、実に妄言である、誠に誤りであるといふことは私が玆に長々とお話せぬでも明かであらうと思ふ、但し戦争が富を増すといふ誤解は私一人持つて
 - 第35巻 p.504 -ページ画像 
居つて、満場諸君が持たないならば私一人の誤解であるが、若しもさういふ誤解が世間にありますならそれは実に誤謬であるといふことを玆に申上げて置きたいと思ふ(拍手喝采)
△経済に国境なし 更にモウ一つ平和といふことに付て、私の考へて居るのは国内の事と国際間に生ずる事とは此平和に差がある様な感じを惹起す、例へば自国の商売に付てはお互に譲り合うが宜いけれども他国に対しては、富は取り得だ、利益は得次第だといふ様な観念が兎角に生じ易い、これは独り商売計りでない政治上にもさういふ観念を持ちはせぬかと思ひますが、是れに於て私は商売といふものは全然さうでないと言ひたいのであります、即ち国際間の商売は飽くまでも至公至平、即ち平和を以て進むといふことが、真正の富を増すのであつて、国際間の事は別段だと考へるのは一種の迷謬である、誤解であると斯う私は申したいと思ひます。成程或る場合には此航路を日本に得るが利益だ、他の国に取られるのは不利益だ、試みに能く人の話頭に出ることであるが、私は世界の地図を委しく存じませぬが、例へばスエズ・カナルのことに付て英吉利の当時の宰相が即決して力を入れたといふ昔話を、国際間であると、隣国の心付かぬ間にそれを取つたのは大層の働きだと賞讃する、もし個人として見るならば甚だ不道徳であるといふ如きことが間々聞える、若し此等の行為を国際間に拡張して行くならば、国内の平和は前に言ふ通りであるが、国際間は隣の気附きのない所を附狙う、隣の及ばぬ所を押倒すといふことであつたならば、結局平和を完全無欠に行ふことは出来ぬではありますまいか、これは最も講究をせねばならぬ所であらうと思ひます、然らば各国共に其事業上に於て、恰も道を歩く人が先へ立つことを欲するから、自分は跡から歩くのが感心だといふ許りにもありませぬが、併し欺いてもせねばならぬ、又すべきが相当だ、それが国際間では決して恥る所でないと若し論断するならば、遂に真正の平和といふものは見ることは出来ないだらうと思ひます(拍手)故に之は能く生ずる間違でございますが、国内である時にはお互に譲り合ふが宜いけれども国際間になつてはさうはいかぬといふのは、矢張り一つの妄執である、迷謬である、経済に国境なし、何れの方面に於ても我が智慧と勉強に依て進むことを主義として他の欠点に附込むとか、他の不能を圧迫するとか或は気附かぬ所に乗ずるとか、詐つて之を陥れるといふが如きことは決して道理に叶つた事業でない、道理に叶つた事業でなければ、個人個人の間でも宜しくない、国内でもいけないから国際もいけない、人の心付かぬ間隙に乗ずるといふ、左様な考を持つのが、果して真正の商工業者ではないと思ふ、斯くの如く考へたならば商工業者には国際間丈けは別だといふことは誤つた説だと思ふ、去りながらこれを実際に行ふには日本だけがそれで宜いといふ訳にはいかぬ、外の国々が共共に協同して行かなければ満足に行はれぬ、例へば玆に二人で一の道路を通行するにも共に譲合はなければ必ず衝突することになる、これは普通の道路の通行にさへあることだから、押なべての公徳が進んで行かなければ其位置にはなりませぬ、蓋し実業界の平和を論ずるも前に申す通り事物の変化が利益を増すが如く誤解するのと、自国だけは
 - 第35巻 p.505 -ページ画像 
兎も角も国際間は別段であるから、道徳は要らぬ、王道は無用だ、文明は不利益だといふ誤解は、我々実業界にても深く承知せぬと、縦しや玆に学者・政治家が我々に対して平和を与へて呉れても、我々の実際の行為が遂に打破ることになりはせぬかと私は深く恐れますので御座います(拍手喝采)
△平和と王道 是は私が唯己の見地から平和といふものに付て、平和なる哉、平和なる哉、平和に論はありませぬけれども、時々に生ずる誤解がございますので、己の誤解を正すと共に、諸君は如何にお考になるか、御参考に供して十分なる賢慮を請ひたいと思ふのであります
これより更に一歩進んで政治界から、若くは学問界から我々に此平和を完全に与へて貰ひたいといふ希望を一言述べて置きたいと思ふのでございます、蓋し平和といふことを満足に行ひ得るのは、私は近頃西洋語で言ふ文明とか、又昔から東洋に伝つて居る王道といふものが十分に発達して参りましたら、自然と平和が行ひ得るだらうと思ふのであります、果して然らば此平和の破れるといふことは、皆中正を失つて王道に欠けた、文明でない行為から生ずるものだと思ひます、英吉利であれ、仏蘭西であれ、独乙であれ、亜米利加であれ、若しも此平和を破るといふことのあつた場合には、己れは平和を希望したけれども先方に不都合があつたから、已むを得ないといふ弁解が必ずあるに相違ない、併し無理に弁護したならば、己を善くする議論は幾らでも付きませうが、己れを善くする議論が既に平和の敵手である、平和の妨害者であると、斯く論断して差支ないと思ふ、支那人の古言に乱人あつて乱国なし、治人あつて治邦なしと、三千年前に荀子といふ人の格言がある、若し道を行へば国は乱れぬ、故にもし乱れるは人が乱すのだ、又国が治まるのでなく人が治めるのだ、即ち或る国際に、彼れが此の如き仕向けがあつたから己も拠ろなく斯ういふ仕向けをしたといふのは、個人々々の間に彼が馬鹿野郎と言つたから己が横面を殴つたと言うたことゝ同じ様になつて仕舞ふ、真正の文明、真正の王道が行はれるならば、さういふことには必ずなるまいと思ふのであります
殊に前席の弁士が頻に我邦今日の財政経済の現状に付て他の国々との比較を御論じになりまして、国費の割合、国民の負担が他の国々よりも甚多いといふことを論ぜられましたが、これは私共が細かい調査をして其計算を諸君に御訴へ申したい位に考へて居ることでありました
併し前席で斯くの如く詳細に各国の数字を並べて御話がありましたから枝葉のことは申上げませぬが、今月の我政府の経営は詰り力不相応なる設備、力不相応なる不生産的の計画で、其結果は或る場合には平和の保護者でなくて大に平和の妨害者になりはせぬかと憂ふるのであります(拍手喝采)即ち治人でなくて、乱人になりはしないか(拍手)若し此乱人になるとしたならば国家は如何でありませうか、日露の戦役後五年経つた今日が各種の事業が敢て退歩いたしたとは申さぬが、若し戦争がなかつたならばどういふ有様であつたかといふことを、玆に各事業の種類に付て観察して見たならば、戦争に於ける二十億の国費は国民に大なる困難だといふことは、どなたも御記憶になつて居るだらうと思ふ(拍手)今日我邦の有様は唯力あるのみである、其力と
 - 第35巻 p.506 -ページ画像 
いふものは武力に由るものである、富の力は国民多数がどうかするであらうといふ空ら頼みを以て政府は只管武力を増すことを勉めるのは或は私が失言の様であるけれども平和の妨害者といふも、敢て諸君に御不同意はなからうと思ふのでございます、故に実業界から見ましても平和といふものが益我が事業を進め、我が幸福を増すものである、而して其間に於ける誤解は、私が今陳弁した通りを是とするならば、決して不祥な事はなく順当に進んで行くとしますれば、我々が実業界から望む所からして政治界・軍事界其他の方面からも十分に観察を尽される様に、御集りの諸君にも御尽力を願ひたいと思ひます。私は此平和に対する極く卑俗な自分の常に思ふて居る愚見を玆に陳述いたした次第で御座います(拍手大喝采)