デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
8款 日米協会
■綱文

第35巻 p.548-553(DK350100k) ページ画像

大正6年2月22日(1917年)

是日、当協会組織協議会麹町区内山下町華族会館ニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。金子堅太郎・高峰譲吉及ビ栄一ノ発起スル所ナリ。四月十三日、創立会同所ニ催サレ、栄一名誉副会長ニ選出セラル。次イデ同月二十四日、執行委員会帝国ホテルニ開カル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正六年(DK350100k-0001)
第35巻 p.548 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年 (渋沢子爵家所蔵)
二月二十二日 晴 寒
○上略 四時華族会館ニ抵リテ日米協会設立ノ事ヲ協議ス


(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正六年(DK350100k-0002)
第35巻 p.548 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正六年
                    (阪谷子爵家所蔵)
○二月廿二日、華族会館ニ会合ス、金子・渋沢・高峰三氏ノ召集、米大使ガスリー演説ス、創立ニ決ス


(日米協会)邦文記録 第壱号(DK350100k-0003)
第35巻 p.548-549 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第壱号 (社団法人日米協会所蔵)
日米協会記録
    本協会創立の動機
 従来我国には邦人間に米友協会あり、又在留米人間には米国協会の存するあり、其他日米間に関する団体は一にして足らずと雖、未だ両国人を一団となし互に相識り相理解して其交情を温め彼我文物技芸の紹介に資する良機関を欠く、最近故米国大使ガスリー氏の如き最熱心に之が組織に奔走せられし人にして、同氏を初め本邦在留米人の有志者間には此機に際し日米両国の修交をして一層敦厚ならしむる目的を以て、米国紐育日本協会に傚ひ有力なる一団体を組織するの議あり、我国朝野の有志者も亦多大の好感を以て之を迎へ種々協議尽力の結果愈大正六年二月十六日子爵金子堅太郎、男爵渋沢栄一及び高峰譲吉三氏の名を以て、左の勧誘状を重に米国に関係ある人士に向つて発送せり、
(書状写)
 拝啓、愈御清祥奉賀候、陳者近来日米間に従来よりも一層接近して親交を温めんことを希望する傾向を増長しつゝあるは誠に御同慶の至りに奉存候、就而は此際将来相互の関係を益敦厚ならしむる目的を以て有力なる会を組織し度旨在留代表的米国人より交渉有之候に付、右御協議の為め来る二十二日午後四時華族会館に於て、米人代表者弐拾名程、邦人約同数の者相会し相談致度候間、御繁忙中恐縮に候得共御来臨被下度此段御案内申上候、尤も当日は一時間乃至一間半にて協議を約了可致予定に御座候 敬具
 - 第35巻 p.549 -ページ画像 
  二月十六日            子爵 金子堅太郎
                   男爵 渋沢栄一
                      高峰譲吉
    何某殿
     追而当日は米国大使ガスリー氏も臨席せらるゝ筈に御座候
右書状を発送せし人名左の如し
 男爵高橋是清○以下日本人二十名氏名略ス
 エツチ・ダブリユー・アンドリユー○以下アメリカ合衆国人二十一名氏名略ス
第壱 日米人の新団体組織協議会
 (1)時日 大正六年二月廿二日午後四時
 (2)場所 華族会館
 (3)出席者 男爵渋沢栄一○以下日本人二十名氏名略ス
   米国人側 米国大使ガスリー○以下アメリカ合衆国人二十二名氏名略ス
 (4)議事順序
   開会と共に子爵金子堅太郎氏推されて座長席に着き、同氏開会の辞に次ぐに数氏の演説ありき、今其演説の要項を示せば左の如し
     金子子爵の演説
     米国大使ガスリー氏の演説
     フライシヤー氏の演説(以上の演説は英文記録に在り)
     高峰譲吉氏の演説
     渋沢男爵の演説
   右演説の後議事に移る
    (一)委員撰挙○略ス
    (二)臨時幹事の推薦○略ス
   右議事終つて既に午後五時二十分、他日継続会議を為すを約し一時散会せり
   ○米友協会ニ就イテハ本資料第三十六巻所収「米友協会」参照。


(日米協会)英文記録 第壱号(DK350100k-0004)
第35巻 p.549-551 ページ画像

(日米協会)英文記録 第壱号 (社団法人日米協会所蔵)
  Founders' meeting of the America Society of Tokyo.
  The anti-Japanese sentiment which had seen its definite and public expressions in the acts of the civic authorities of San Francisco and of the Legistalure of the state of California and the attempts of similar nature repeated by some other states of the Union had inspired the feeling of anxiety or even that of alarm in the minds of wellwishers of both Japan and America.Since that the desire for ameliorating international relations between the time two countries has been growing daily stronger and more universal among the two peoples. The movement so opportunely initiated by Mr. Fleisher, together with Viscount Kaneko, Dr. Takamine, Dr. MacCauley and others, has taken a definite shape. Thus on the 《(16th)》 of February, invitations were issued in the names of Baron Shibusawa & Viscount Kaneko and Baron Sakatani 《(Dr. Takamine)》 to some thirty 《(twenty-one)》 Japanese and thirty 《(twenty-two)》
 - 第35巻 p.550 -ページ画像 
 Americans to meet and consider the project of establishing an association for the purpose of promoting and facilitating the inter-mingling of Japanese and Americans. The invitations have met with a very hearty reception of all to whom they were addressed. On the 22nd of February, Washington's Birthday, at 4 P.M., the following gentlemen met at the Peer's Club and proceeded in the manner hereinafter recorded.
  ............
         Viscount Kaneko's Address
  There is in America the Japan Society of New York, which has done excellent work to give a correct interpretation of Japan to Americans and to cultivate better relationship between Japanese and Americans. There are a number of societies in Japan, such as the America's Friends Association, which is purely Japanese, the American Association, which is solely American and there is a necessity for an active organization in Tokio whose membership should be open to both Japanese and Americans. We feel that the organization of such an association is a timely one. Both Japan and the United States are becoming more and more important factors in the Far East. The more important the two nations become, the more necessary it is that the two peoples should unterstand each other more correctly and the Association will bring Japanese and Americans together more freely and permit of frequent exchange of ideas and closer relationships.
        Baron Shibusawa's Address
  Baron Shibusawa said that he heartily welcomed the advent of such a society and congratulated those who started the movement. He will, however, refrain from making an extended speech, lest he might interfere with quick dispatch of the business of the day, as he is too eager to see the earliest realization of the scheme.
        Appointment of Committee
  Mr. Fleisher moved that a Committee of six members (3 Japanese & 3 Americens) be appointed for drafting a Constitution. The motion was seconded.
  Mr. Hioki proposed an amendment to the foregoing motion to the effect that the number of the members may be ten instead of six (5 Japanese & 5 Americans) and that the Committee may also be authorized to issue invitation for the inaugural meeting. The amendment was seconded and carried and the appointment of the Committee was entrusted to the temporary Chairman, Viscount Kaneko.
  Dr. MacCauley moved that the Hioki be appointed
 - 第35巻 p.551 -ページ画像 
Secretary Pro Tempore of the meeting. It was seconded and carried.
  The meeting was adjourned sine die at 5, 30 P.M.


竜門雑誌 第三四六号・第七一頁大正六年三月 △日米協会の新設(DK350100k-0005)
第35巻 p.551 ページ画像

竜門雑誌 第三四六号・第七一頁大正六年三月
△日米協会の新設 日米親善を挙ぐる為め、両国の社交上大規模の機械《(会)》を設くる必要あり、今回新に日米協会を新設するに決し、去る二月二十二日午後四時より華族会館に於て該発起人会を開かれ、金子堅太郎子を座長に推し、米国大使・青淵先生・高峰博士其他の演説あり、続いて晩餐会に移りしが、当夜は内外知名の外交家、実業家及び新聞記者等五十余名の出席あり、頗る盛会なりきと報ぜらる。


東京日日新聞 第一四四八八号大正六年二月二四日 ○日米協会発起会(DK350100k-0006)
第35巻 p.551 ページ画像

東京日日新聞 第一四四八八号大正六年二月二四日
   ○日米協会発起会
日米協会発起会は廿二日午後四時より華族会館に於て開会、参会者は米大使を初め大使館員・在留知名米人・幣原外務次官・中村通商局長渋沢男・目賀田男・高橋男・添田寿一氏・高峰譲吉氏・団琢磨氏・井上正金頭取・串田万蔵氏等数十名にして、金子子座長席に着き、日米協会組織の必要急務なる旨を述べ、アドヴアタイザー紙のフライシヤー氏起つて至極賛同の意を表し、続いて米大使は
 「今日池上に行き図らずも米船オネイダ号遭難水夫の記念碑を建設しあるを発見せるが、日本人の永久的好意は今更ら感動に堪へざる所なり、斯くの如く両国間には常に暖かき情味流れ居るにも拘はらず、今日の如く種々なる誤解を惹起する事あるは米人が日本人の真情に疎き為ならん、要するに日米の間には互に了知せざる部分尚多く、此際本協会の設立は時宜に適したるもの、衷心賛成なり」
と述べ、次に高峰博士・渋沢男等の賛成演説あり、斯くて金子子爵の指名にて十名の設立委員を挙げ、規約を制定し迅速に大会を開催すべき件等を協議し、午後五時半散会せり


(日米協会)邦文記録 第壱号(DK350100k-0007)
第35巻 p.551-552 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第壱号 (社団法人日米協会所蔵)
第四 日米協会創立会
 (1) 時日 大正六年四月拾三日午后四時
 (2) 場所 華族会館
 (3) 出席者○記入ナシ
 (4) 議事順序
  第一、発会式開会の件○略ス
  第二、会則決定○略ス
  第三、役員選挙 役員選挙に関してはホーン氏並に宮岡氏の説ありし後ち、シドモーア氏の発議あり、マキム氏の賛成ありて左の諸氏に決定す
  各誉会長 米国大使
  名誉副会長 クレー・マコーレ博士、目賀田種太郎男、リンゼーラツセル氏、阪谷芳郎男、渋沢栄一男、高峰譲吉、徳川家達公
 - 第35巻 p.552 -ページ画像 
高橋是清男
  会長 金子堅太郎子
 ○下略
   ○当日栄一出席セズ。


集会日時通知表 大正六年(DK350100k-0008)
第35巻 p.552 ページ画像

集会日時通知表 大正六年 (渋沢子爵家所蔵)
四月廿四日 火 〇時半 日米協会委員会(帝国ホテル)


(日米協会)邦文記録 第壱号(DK350100k-0009)
第35巻 p.552-553 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第壱号 (社団法人日米協会所蔵)
第五 執行委員会開催
 (1)時日 四月廿四日午后一時
 (2)場所 帝国ホテル
 (3)出席者○記載ナシ
 (4)議事順序 本日金子会長は欠席にて、フライシヤー氏代つて座長席に着き開会す
  第一、副会長辞任及選挙、団副会長は都合上辞任を申出しが為め之を承諾し、マコーレ氏の発案に依り日置益氏を副会長に、シドモーア氏を名誉副会長に推薦する事に可決す
 右役員選挙終ると同時に、フライシヤー氏は座長席を新任日置副会長に譲り、更に議事を進行せり
  第二、執行委員増員案 ゲーリー氏は執行委員廿一名説を提議しトイスラー氏の賛成ありて動議成立、更に全員に諮るに一致可決せり、選挙の結果左の五氏を推薦す
    団琢磨、神田武男《(神田武乃脱カ)》、三島弥太郎子
    添田寿一、ポスト・ホイラー。
  第三、晩餐会招待状発送人名 全委員の提出に係るものに多少修正を加へ可決
  第四、本会創立趣意書並に招待文 討議の上編製す本文左の如し
  (設立趣意書の写)
    ▽趣意書
日米両国は年来既に甚深なる歴史的及伝統的関係を有し、而して両国の間に於る交通貿易年を逐ふて愈よ其殷盛を加へんとす、殊に輓近中外の時局は無端日米両国人の猛省を促がし、益々相親善ならんと欲するの情切なるものあり、是れ内には則ち両国民の性情自然に相接近せしむるものあると共に、外には則ち両国の国際上に於ける共通的利害に対して各々其覚醒を来せるものにして、洵に時勢自然の数なりと謂はずんばあらず、抑々人間相親むは相識るに在り、相識りて而して相親むは則ち真に相親む所以なり、若し一度玆に至れば文明の淵源を異にすと謂ふが如き、言語風俗を同ふせずと謂ふが如き、毫も相関する所なきなり
昨今吾邦在留米人の有志者間に於て日米両国の修交をして一層敦厚ならしめんと欲す目的を以て、有力なる一団体を組織せんとの議有り、我が有志の士亦之に和し屡次交渉の結果、玆に日米協会の組織成、広く在留米人及本邦人中の有力者を網羅し、倶に相倚り相翼け彼我両国
 - 第35巻 p.553 -ページ画像 
をして益益相領解せしめ、愈よ相親和せしめ、一層其共同の利益を増進せしめ、聊か以て両国の修好利福に貢献せんことを期す、吾邦既に米友協会の在るあり、米国協会の在るあり、前者は米国に関係深き本邦人より成り、後者は吾邦に同情多き在留米人を以て組織す、我が日米協会は則ち日米両国人協同の下に成立し、敢て前両者の未だ為さゞる所を為さんことを冀ふ、乃ち玆に謹で江湖諸彦の有力なる賛襄を翹望するものなり
(招待文の写)○記載ナシ
   第五、部会設置案 阪谷芳郎男の提議あり、添田寿一氏の賛成ありて、左の如く選定組織せり
   (一)永久的委員
    (1)財務委員   小野英二郎、ゼー・アール・ゲーリ。団琢磨、井上準之助、串田万蔵
    (2)会員委員   福井菊三郎、中島久万吉男、ビーゲー・スヰフト。
   (二)臨時委員
    (1)晩餐会委員  ビー・ダブルユー・フライシヤ。阪井徳太郎、福井菊三郎、串田万蔵、成瀬正恭、中島久万吉男
    (2)電報新聞委員 クレー・マコーレ、ゼー・アール・ゲーリ。日置益
    (3)演説委員   小野英二郎、福井菊三郎、エツチ・エー・エンスウオース。ビー・ダブルー・フライシヤ。成瀬正恭
   ○当日栄一ノ出欠未詳。