デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
8款 日米協会
■綱文

第35巻 p.599-602(DK350122k) ページ画像

大正12年10月1日(1923年)

是日、当協会主催アメリカ合衆国フィリピン総督参謀長陸軍少将フランク・アール・マッコイ一行歓待執行委員午餐会、帝国ホテルニ催サレ、栄一出席ス。


■資料

(日米協会)邦文記録 第参号(DK350122k-0001)
第35巻 p.599-600 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第参号 (社団法人日米協会所蔵)
大正十二年度
 - 第35巻 p.600 -ページ画像 
    第二十六 マツコイ少将一行驩待執行委員午餐会
一、時日 大正十二年十月一日午後零時五十分
二、場所 帝国ホテル
三、司会者 金子会長
四、出席委員 徳川名誉副会長、渋沢名誉副会長、阪谷名誉副会長
       ○以下十八名氏名略ス
五、正賓 比島総督参謀長陸軍少将フランク・アール・マツコイ氏
   ○以下アメリカ合衆国陸海軍将校二十一名外六名氏名略ス
  陪賓 米国大使サイラス・イー・ウツヅ氏○以下アメリカ合衆国人十九名、日本人外務大臣男爵伊集院彦吉以下十四名、外日本新聞記者、氏名略ス
六、演説○略ス
右終ツテ出席日本人委員ハ満場一致左ノ通リ決議セリ
 日米協会ニ於ケル日本人側会員ハ今次ノ震災ニ際シテ、米国赤十字ガ自国政府及陸海軍ト協力シテ驚クベキ迅速サヲ以テ救済ニ臨マレタ広大無限ノ助力ニ対シ、単ニ幾百万ノ罹災者ノミナラズ実ニ日本全国民ヲ代表シテ最モ深甚ナル感謝ノ意ヲ表ス、此不幸ナル時期ニ於テ臨機応変莫大ナル食糧品並ニ各種物資ヲ救恤ノ為メニ寄贈セラレタルハ、即チ米国民ノ厚キ同情ノ結晶ニシテ、我国民ノ永ク感謝措ク能ハザル処ナリ
 日本及日本国民ノ安寧福祉ニ対スル米国民ノ有スル真摯ナル願望ハ今回図ラズモ鞏固ナル日米親善ノ覊絆ヲ助長スルニ至リ、其ノ所有救済ハ我全国民ノ非常ナル感謝ト喜悦トノ裡ニ納メラレタリ
 吾人ハ我国民ノ為メニ偉大且不撓不屈ノ努力ヲ尽サレタル米国大使米国東洋艦隊司令長官アンダーソン提督並ニマツコイ将軍ニ対シ玆ニ謹ンテ深謝ス
 本午餐会ハ震災後最初ノ会合ニシテ、災余半壊家屋ノ爆破作業中ニ開カレ、時機必然ノ結果トシテ略式ナリシガ、米人側ハ所有努力ヲ以テ救済ニ熱中シ居リ、日本人側ハ感激ニ満チタル際ニテ極度ノ緊張厳粛ヲ以テ終始シ、午後三時二十分散会セリ
   ○右記事並ニ感謝決議文ハ左ノ書ニ掲ゲラレアリ。
    「日米外交史」(川島伊佐美著)(第六六九―六七〇頁、昭和七年二月刊)



〔参考〕Japan Times No. 8068. Oct. 1, 1923 Japanese-American Unity Is Pledged In Time To Come : Aid Given In Period Of Trouble Is Remembered(DK350122k-0002)
第35巻 p.600-601 ページ画像

Japan Times No. 8068. Oct, 1923.
  Japanese-American Unity Is Pledged In Time To Come

    Aid Given In Period Of Trouble Is Remembered

  Under the auspices of the Japan-American Association, a reception in honor of Ambassador Cyrus E. Woods, Major-General McCoy, chief of the American Red Cross relief corps, Dr. T. Jaggar, volcanologist of Hawaii, and others who have come to Japan for relief work was given at noon today at the Imperial hotel.
  More than 150 prominent Americans and Japanese were
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 present, including Prince Tokugawa, Viscounts Kaneko and Shibusawa, Dr. Soyeda, Mr. Matsudaira, Vice-Minister of the Foreign Offic, Mr. Hirayama, President of the Japan Red Cross Society and Dr. Soyeda.
  Viscount Kaneko declared that America, who gave all possible assistance after the recent calamity, would be an intimate friend of Japan permanently, and the Japanese nation would not forget the enthusiastic sympathy of the people of America.
  In response, Ambassador Woods said that America would aid the restoration of Tokyo with all their strength.



〔参考〕時事新報 第一四四四四号大正一二年一〇月三日 震災救済に就て米国への感謝会 米大使罹災当時の日本人の勇気を褒める(DK350122k-0003)
第35巻 p.601 ページ画像

時事新報 第一四四四四号大正一二年一〇月三日
  震災救済に就て米国への感謝会
    米大使罹災当時の
      日本人の勇気を褒める
十月一日日米協会では帝国ホテルニ於て今回の震災に非常なる救助に努力せし米国に対し感謝の意を表し、米大使ウーズ氏、マコイ氏等を招待して感謝会を開いた、席上金子会長並に伊集院外相は、今回米国官民の一方ならぬ救済事業に努力されたことを言を尽して謝した、殊に金子子が演説の一節中
 「今回私の葉山別荘は悉く震災と火災で烏有となりましたが其中でたつた三つの写真が残りました、それは先帝及先皇后の御真影と元米国大統領ルーズベルト氏のです、私の家では召使に至るまで先帝の御真影を至高至上のものと心掛けてをると同時にルーズベルト氏の写真をも非常に尊敬して居りましたから……」
とあつたので盛に米人側からの拍手を受けた、マコイ将軍又「日本今回の不幸は今更云ふ迄もないが日本人の訓練された行為には感心する外なし」と挨拶を述べ、大使ウーズ氏もまた「私が今日此席で語らんとする処は第一に、私の一生を通じて二つとない熱烈な演説を試みたい」と前提し、今回の罹災に際する日本国民不□《(撓脱)》不屈の落付きたる行為をあらゆる賛辞を以て賞め立てた
○下略



〔参考〕東京朝日新聞 第一三四〇六号大正一二年一〇月三日 「米国第一」のめざましい発揮 キビキビした救援振りにきのふ感謝の午餐会(DK350122k-0004)
第35巻 p.601-602 ページ画像

東京朝日新聞 第一三四〇六号大正一二年一〇月三日
  「米国第一」のめざましい発揮
    キビキビした救援振りに
      きのふ感謝の午餐会
所謂「米国第一」の標語は今度の大震災に対して遺憾なく発揮され、米国の救援は実に我当局すら驚異に値するものであつた、日米協会では此の米国救護団の労を謝するの意味で一日正午帝国ホテルで米大使ウツヅ氏を主賓とし、目下
 来 朝 中の名士比島赤十字班長マコイ少将、ハワイ火山観測長ジヤガア博士、ロックフエラー研究所リーチ博士、外三十名を招待して午餐会を開いた、今回の震災に外国使臣中特筆すべき活動を起して真
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先に深厚な同情を寄せたものは実に米国大使ウツヅ氏で、大使の震災当日直に独断で先づ東洋艦隊司令官ヘンダーソン卿に食糧品を積載して東京湾に廻航する様電命し、又三日には自身外務省に
 出 頭 して救済善後に就て外相と打合せし、次で、百万人分の衣類・糧食・ナマコ板等取寄せの電報を本国に発してま事にキビキビしたアメリカ気質を発揮したものだ、一方米国の救済資金募集も是亦アメリカ型をそのまゝ七日には米赤十字から十万弗を電送し、十一日にはロスアンゼルスの米人丈で三十万弗の募集を予定し、十四日には百万弗を赤十字社から救済事務局に送金、ボストン・ジヤパン・ソサイテイは千五百弗を米国赤十字に委託、二十三日絹業協会は四十万弗以上を
 送 金 して来たと外務省情報部の発表を見たゞけでも米国の活動は思ひやられる、近くはアメリカの水兵が三万何千号と云ふ番号入の軍用自動車で焼ケ野原の東京を縦横に駆け廻つて救護に尽してゐる姿は、市民にとつては実に涙ぐましい感謝の印章《(象)》である