デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
2款 日露協会
■綱文

第36巻 p.15-18(DK360006k) ページ画像

大正5年1月15日(1916年)

是ヨリ先十四日、閑院宮載仁親王ハ当協会総裁トシテロシア皇族ゲオルギー・ミハイロウィッチ太公招待午餐会ヲ同宮邸ニ催シ、栄一出席ス。是日当協会主催同太公招待晩餐会、日本銀行総裁舎宅ニ開カレ、栄一出席ス。


■資料

中外商業新報 第一〇六八五号 大正五年一月一五日 ○太公彙報 閑院宮午餐会 日露協会総裁御資格(DK360006k-0001)
第36巻 p.15 ページ画像

中外商業新報 第一〇六八五号 大正五年一月一五日
  ○太公彙報
    ▽閑院宮午餐会
      日露協会総裁御資格
閑院宮載仁親王殿下には日露協会総裁の御資格を以て、十四日午後零時半永田町御本邸に於て露国太公殿下を御主賓として随員・接伴員及日露協会職員を召させられ、御鄭重なる午餐会を催されたり、右に就き太公殿下には随員を随へ正午過御着邸、宮殿下並に田内別当・中島御附武官・松井事務官等の奉迎中に御休憩室に御少憩の後、次で華麗なる装飾を施し各種盆栽盛花を配置せる大食堂に成らせられ御着席、次で大宮殿下には田内別当以下を随へ指定の御椅子に着かせ給ひ、両殿下と互に御乾杯、式部官の御通訳にて種々御物語り遊ばされ、太公殿下には非常の御満足にて午後二時御退出相成りたるが、当日御召しの人々左の如し
 随員八名△露国大使△同参事官△寺内日露協会々頭△後藤同副会頭△目賀田男△石井外相△大島陸軍次官△安達公使△渋沢男△阪谷男△浅野総一郎△豊川良平△添田総裁△加藤正義△田中参謀次長△大橋新太郎△鈴木於莵平△高田慎蔵△小池政務局長△清野長太郎△神山潤次△倉知鉄吉△田内別当△中島御附武官△松井事務官


中外商業新報 第一〇六八六号 大正五年一月一六日 ○太公彙報 日露協会盛宴 梅若の能楽御覧(DK360006k-0002)
第36巻 p.15-16 ページ画像

中外商業新報 第一〇六八六号 大正五年一月一六日
  ○太公彙報
    ▽日露協会盛宴
      梅若の能楽御覧
日露協会にては十五日午後七時より日本橋区新堀町日本銀行総裁舎宅に露国太公殿下を御招待、御晩餐会を催せり、右につき寺内会頭・後藤副会頭以下各職員関係者は種々準備をなし、午後六時半総裁閑院宮
 - 第36巻 p.16 -ページ画像 
載仁親王殿下には中島御附武官・松井事務官を随へ御台臨、職員の奉迎中に御休憩室に御少憩、引続き波多野宮相・石井外相・戸田式部長官・露国大使マレウヰツチ氏を始め諸大官続いて参集し、午後六時五十分頃太公殿下には随員八名を随へ接伴員と共に御着、総裁宮殿下を始め奉り波多野宮相・石井外相・寺内会頭其他の奉迎中に御応接室に御少憩の後、太公殿下・総裁宮殿下には種々装飾を施したる大食堂に臨場、指定の位置に御着席遊ばされ、互ひに御乾盃、太公殿下には接伴員の御通訳にて総裁宮殿下を始め奉り其他の諸官と御款語を交へさせ給ひ、畢つて梅若の能楽を御覧ぜられ、いたく興がらせ給ひ、午後十時頃御機嫌麗しく御帰還相成りたるが、当夜参列諸員左の如し
随員八名△露国大使△同参事官△御附武官ベル・ウスクレセンスキー△モーレル大佐△波多野宮相△石井外相△戸田式部長官△寺内会頭△後藤副会頭△花房赤十字社長△青木梅三郎△三島日銀総裁△目賀田・渋沢・近藤・三井(八郎次郎)・岩崎(久弥)・大倉・郷・高橋古河(各男爵)△中村満鉄総裁△幣原外務次官△安達公使△坂田局長△吉田式部官△中野武営△早川千吉郎△村井吉兵衛△馬越恭平△志村源太郎△中橋徳五郎△中村是公△倉知鉄吉△鈴木於莵平△団琢磨△水町袈裟六△改野耕三△服部金太郎△中島陸軍少将△中島御附武官△松井事務官△樺山資英 合計五十余名
 ○尚、本資料第三十九巻所収「ロシア皇族ゲルオルギー・ミハロウィッチ歓迎」ノ条参照。



〔参考〕集会日時通知表 大正五年(DK360006k-0003)
第36巻 p.16 ページ画像

集会日時通知表 大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 月 午後一時 日露協会ノ件(内幸町同会)



〔参考〕東京日日新聞 第一四〇七九号 大正五年一月一二日 露国太公を迎ふ 日露親善の実を挙ぐるの好機(DK360006k-0004)
第36巻 p.16-17 ページ画像

東京日日新聞 第一四〇七九号 大正五年一月一二日
    露国太公を迎ふ
      日露親善の実を挙ぐるの好機
露国皇帝陛下の御名代ゲオルギー・ミハイロウヰッチ太公殿下には、去る六日長春に御安着あらせられてより、我接伴委員の接伴を受けさせられつゝ、海陸恙なく今朝を以て御入京あらせられんとす。此間太公殿下の我官民に対し、数々鄭重なる御会釈を賜ひたることは、随時本紙の報道せし如くなるが、殊に下関に於て、我社特派員が、接伴委員を経て、我国民が太公殿下の御来航を歓迎せる旨を言上したるに対し、折返し接伴委員を通じて『今回貴国訪問に就ては、到る処熱誠なる歓迎を受け、殊に日本天皇陛下の一等戦闘艦を以て、航海を許させ給へるは、誠に此上なき光栄にして、予が満腔の謝意を表することを然るべく貴国民に伝へられんことを望む』との極めて御懇篤なる御言葉を腸はりたるが如き、如何に太公殿下が親日の御誠意を披瀝せらるるの篤きかを窺ふに足るべく、吾輩日露両国の為に、洵に怡悦せずんばあらざるなり。
太公殿下の御使命は、我天皇陛下の即位の大礼を了らせられたるに対し、親しく露国皇帝陛下の御祝詞を致さるゝに在りと称せらるゝも、
 - 第36巻 p.17 -ページ画像 
露国は今や兵馬倥偬、国歩多艱の秋而も太公殿下の如き、露国皇帝に於て最も重要なる地位に在らせらるゝ方の、此際特使として我国に御来航あらせらるゝに就ては、尚他に或重大なる使命を帯ばせらるゝなしとせざるが如し。現に露国側の報道は既に数日前の紙上に掲載せし如く『太公殿下の真の御使命は、北満洲に於ける露国既得権の一部及び樺太の残部を我国に提供し、同時に我国より兵器の供給並に軍事上格別の便宜を得んとするに在るものゝ如し』と伝へ来れるなり。此説の真偽は吾輩之を審らかにせずと雖も、露国が目下兵器並に軍需品の欠乏を感じ、之を求めんが為には如何なる高価を払ふも敢て辞せざらんとするの状あるに察すれば、必ずしも此事なしといふべからず。
斯くの如きの果して事実なりとせば、事頗る重大にして軽々に断ずべからずと雖も、亦決して成立せしめ難きの事となすべからざるなり。即ち露国より我に提供せんとすと称せらるゝ樺太の北半部は、我国の大に熱望する所にあらずとするも、素より否む所に非ず。又『北満洲に於ける露国既得権の一部』と称せらるゝの、果して世上に噂せらるる如く東清鉄道の長春・哈爾賓線を指すものなりとせば、之が譲渡しを受くることは、我国の最も熱望する所なるべし。蓋し該線を我に於て管理すれば、欧亜聯絡上幾多の便益を得べし、之が為に利するもの独り我国のみにあらざればなり。而して露国の我より求めんとする兵器の供給に就ては、従来とても我国は露国に対し、相当の援助を与へ来れるもの、随いて今後に於ても亦我国力の許す限り、其要給に応ずべきや勿論なるべし。只其『軍事上格別の便宜』といふの一事の若し兵力の援助を意味するならんには、そは吾輩は嘗て数次論述せし如く実際不可能の事に属するを以て、遺憾ながら直に其要求に応ずる能はざるなり。尤も兵器の輸送若くは使用の為に要する少数の将卒を供給するが如きは、素より何等の不都合を感ぜざるのみならず、出来得る丈の助力を与るべきこと、又敢て言を俟たざるべし。
顧みれば日露両国の関係は、近年に及んで大に和親の度を加へたりと雖も、露人の我を解するの浅き、尚両国の将来を危倶するものありて夫のクロパトキン将軍の如きすら、往年の日露戦争を以て纔に前衛戦に過ぎずとなし、更に将来東亜に於て一大戦争の免るべからざることを説述せるなり。斯の如くなるを以て、今次開戦の当時、露国に於ては、我国が其背後を襲はんことを虞れ、甚だしく疑心暗鬼に囚はれたり。而も事実は全く之に反し、却て露国の敵たる独逸に対して宣戦し青島の攻略に従事したるを以て、漸く意を安んずることを得たりしなり。爾来我国は、露国の為に能ふ丈の便宜を計り、軍需品は勿論、今や貨幣の鋳造さへ其需に応じつゝあるの有様にて、昨今に於ける彼我の親善は、殆ど其極に達せるの観を呈すと雖も、尚両国間に解決を要すべき問題尠しとせず。長春・哈爾賓間の東清鉄道譲渡問題の如き実に其最も重要なるものゝ一たるなり。



〔参考〕大百科事典 平凡社編 第二〇巻・第二七頁 昭和八年七月刊 【ニチロキヨーヤク】(DK360006k-0005)
第36巻 p.17-18 ページ画像

大百科事典 平凡社編 第二〇巻・第二七頁 昭和八年七月刊
  ニチロキヨーヤク ○中略
一九一四年世界戦争勃発、日本はドイツに対して戦争を宜し、陸に海
 - 第36巻 p.18 -ページ画像 
に戦つたが、ロシヤは日本の援助を求むるところ多かつたので、一九一六年(大正五年)一月ゲオルギー・ミハイロヴイチ大公は、ロシヤ皇帝の名代として来朝し、表面は大正天皇即位の大典に対し祝意を表するにあつたが、裏面は日露の関係を一層親善濃密にせんとする政治的の意味を含んだものであつた。この結果としてこれより半年後の七月三日、本野大使とロシヤ外相サゾーノフとの間に、三度日露協約が締結されたのである。○下略



〔参考〕大百科事典 平凡社編 第二六巻・第五四七頁 昭和九年一月刊 【ロシヤ】(DK360006k-0006)
第36巻 p.18 ページ画像

大百科事典 平凡社編 第二六巻・第五四七頁 昭和九年一月刊
  ロシヤ ○中略
    一七 我国との関係
○中略
大正の始め世界大戦起るや、ロシヤは西欧の形勢に鑑み愈々日本との親善に傾き、五年(一九一六)一月大公ミハイロウイツチを我国に派し単独不媾和を約して武器の供給を請ひ、続いて七月三日外務大臣サゾノフは駐露公使本野一郎と協約を締結して、ロシヤは日本に敵対する如何なる取極にも政治的結合に参加せざることを約し、日本もまたロシヤに対して同様のことを約し、且つ極東に於て両国の領土的権利及び特殊の利益が脅かされた場合は、互に援護し協力する目的を以て協議する旨を約し、且つ別に秘密条約に於て両国は支那が両国に敵対する第三国の政治的勢力の下になるのを防止することに協力し、そのために戦争が生じた時は互に武力的援助を与ふべき旨を約した。○下略



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第四四三頁 昭和七年二月刊(DK360006k-0007)
第36巻 p.18 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕集会日時通知表 大正五年(DK360006k-0008)
第36巻 p.18 ページ画像

集会日時通知表 大正五年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月四日 土 午後七時 日露協会晩餐会(華族会館)



〔参考〕集会日時通知表 大正六年(DK360006k-0009)
第36巻 p.18 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十六日 火 午前十一時―正午 露国大使ヲ御訪問(同大使館)
        午後七時     日露協会晩餐会(華族会館)
                  燕尾服副章同会徽章佩用