デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
5款 財団法人日華学会
■綱文

第36巻 p.94-107(DK360043k) ページ画像

大正7年5月(1918年)

中華民国留学生ノタメ教育上ノ施設ヲナシ、且諸般ノ便宜ヲ図ル目的ヲ以テ、是月、日華学会設立セラル。栄一、其顧問トナル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正六年(DK360043k-0001)
第36巻 p.94 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年          (渋沢子爵家所蔵)
二月八日 晴 小寒
○上略 午前十時白岩竜平氏来ル、今日開会スル日支協会ニ出席シ得サルニ付代理ヲ托シ意見ヲ述フ○下略


集会日時通知表 大正六年(DK360043k-0002)
第36巻 p.94 ページ画像

集会日時通知表 大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
二月八日  木 午前十一時  日支協会ノ件(ツキ地精養軒)


集会日時通知表 大正七年(DK360043k-0003)
第36巻 p.94 ページ画像

集会日時通知表 大正七年      (渋沢子爵家所蔵)
三月四日  月 正午     白岩・内藤・小松原三氏ト御会合(ホテル)
三月五日  火 正午     日支協会ノ件(ホテル)
○中略。
四月十日  水 午前十一時  支那留学生同情会之件(ホテル)
○中略。
四月十六日 火 午前十一時半 白岩竜平氏来約(ホテル)
○中略。
四月十九日 金 午後三時   白岩・小松原氏等来約(兜町)
○中略。
五月十八日 土 午前十一時  白岩竜平氏来約(兜町)
○中略。
五月廿二日 水 正午     日華学会ノ件(帝国ホテル)


竜門雑誌 第三六一号・第八三―八四頁 大正七年六月 ○日華学会設立の挙(DK360043k-0004)
第36巻 p.94-95 ページ画像

竜門雑誌  第三六一号・第八三―八四頁 大正七年六月
○日華学会設立の挙 日支親善の緊要なることは彼我朝野の士の斉しく絶叫し熱望しつゝある事乍ら、其実現に到つては、口善く之を唱ふるも、実之に伴はざるの憾あり。最近に於ける日支防禦協約の交渉説一度び世上に伝はるや、在留支那留学生は其真相を誤解し、猥に臆測を恣にして悲憤慷慨陸続として帰国するもの一時千名を越たりと称せらる。而して右協約の発表せられ、其内容を精究するに、一も隣邦に災する所無きのみか、却つて日支両国間の親交をして益強固ならしめんが為めに結ばれたる日支親善の協約なりしが如き又実に其類なり。然るに今回山本条太郎氏主唱の下に、近く日華学会なるものを創設して日支親善に資せんとするの計画あり。主唱者山本氏の語る所に依れ
 - 第36巻 p.95 -ページ画像 
ば、右の学会には青淵先生に其顧問たることを希望し居るものゝ如く其談左の如し。
 将来国民の中堅となるべき留学生に悪感を抱かせて両国親善、東亜共存の大義が実現されやう筈はない、恰度第一革命の時留学生の学資金が杜絶した時、私は留学生同情会と言ふを組織し其窮困を救つた事がある、此の頃になつて当時貸与した学資金を返しに来る者が多いので、是れに有志の寄附を加へ五・六万円の資金を作り学会の基本金とした、第一に留学生に悪い印象を与へるものは下宿と不親切な教育者だと思ふ、冷酷と薄情と誘惑の淵と言つても可い位だ、日本人で外国に留学し好感情を以て帰るのは多く中流以上の家庭に寄食した人達だ、それで本会は第一に中流以上の家庭を留学生に周旋し、氷のやうな下宿屋の暗室から救ひ、真に日本人の温情を以て抱擁したいと思つてゐる、次には学校の選択周旋をもし、実地見学や実習の紹介をも試み、留学生の為図書館及び運動場の設備などを速かに完成する筈であるが、将来は日本及び民国に予備校を設立し教育実質の改善をも予期してゐる、会長には小松原前文相、顧問には清浦子・岡部帝国教育会長・渋沢男・山川帝大総長始め実業界の一流筋、理事には自分の外内藤久寛・白岩竜平氏等が当り、多くもないが先づ基本金全部を投じ、好結果を挙ぐれば更に寄附を求めて仕事を進める心算である云云(国民新聞)


日華学会第一回報告 自大正七年五月至大正八年三月 第一―五頁(大正八年)刊(DK360043k-0005)
第36巻 p.95-96 ページ画像

日華学会第一回報告  自大正七年五月至大正八年三月  第一―五頁(大正八年)刊
    ○創立
大正七年五月
 一本会事務所ヲ東洋協会建物内ニ設ケ事務ヲ開始ス
 一本会規程及処務細則ヲ定ム(別冊ニアリ)
 一本会役員ヲ左ノ通推薦セリ
                 会長   小松原英太郎
                 理事   内藤久寛
                      山本条太郎
                      白岩竜平
                 常務理事 浜野虎吉
    資金
大正七年五月
 一元支那留学生同情会寄附金参万七千五百参拾四円五拾九銭及内藤久寛氏寄附金壱万円ヲ以テ資金トス
    顧問
大正七年五月
  子爵 清浦奎吾 子爵     岡部長職
  男爵 渋沢栄一 理学博士男爵 山川健次郎
  男爵 近藤廉平 男爵     益田孝
     豊川良平 文学博士   沢柳政太郎
     田所美治
  ノ諸氏ヲ推薦セリ
 - 第36巻 p.96 -ページ画像 
同年七月
    中華民国留日学生監督 江庸
   氏ヲ推薦セリ
    評議員
大正七年六月
       石田新太郎      小幡酉吉
       小川平吉  法学博士 岡実
  理学博士 和田猪三郎      嘉納治五郎
       柏原文太郎      川口義久
  工学博士 吉武栄之進      武部直松
       武部欽一       谷山初七郎
       田島義方       竹内義一
       松浦鎮次郎      松本亀次郎
       前田多蔵    侯爵 小村欣一
  法学博士 寺尾亨        赤司鷹一郎
  工学博士 阪田貞一  法学博士 佐野善作
       佐藤正之       斎藤清太郎
       斎藤秀三郎      湯原元一
       瀬戸虎記       須藤伝次郎
  ノ諸氏ヲ推薦セリ
同年七月
  法学博士 平沼淑郎  留学生監督所学務科長 金之錚
  ノ両氏ヲ推薦セリ
同年十一月
       南弘
  氏ヲ推薦セリ
同年十二月
       岡本英太郎      埴原正直
  ノ両氏ヲ推薦セリ


日華学会第一回報告 自大正七年五月至大正八年三月 第五―一三頁(大正八年)刊(DK360043k-0006)
第36巻 p.96-98 ページ画像

日華学会第一回報告 自大正七年五月至大正八年三月  第五―一三頁(大正八年)刊
    会務打合セ及趣旨発表
大正七年五月
 一、顧問ヲ帝国ホテルニ招待シ会務ノ打合セヲナセリ
  出席者左ノ如シ
                 子爵 清浦奎吾
                 子爵 岡部長職
                 男爵 渋沢栄一
            理学博士 男爵 山川健次郎
                 男爵 近藤廉平
同年六月
 一、都下ノ主ナル新聞記者拾九名ヲ築地精養軒ニ招待シ、小松原会長及渋沢顧問ヨリ本会設立ノ趣旨ヲ演述シ意見ヲ交換セリ
  出席者左ノ如シ
 - 第36巻 p.97 -ページ画像 
          時事新報社        小川節氏
                       桜井轍三氏
          東京朝日新聞社      小松謙助氏
          東京日日新聞社      中西淳亮氏
                       福良虎雄氏
          報知新聞社法学博士    添田寿一氏
                       和井内喜徳氏
          国民新聞社        山川瑞三氏
                       尾間立顕氏
          やまと新聞社       松井広吉氏
          朝報社          松浦孝治氏
          都新聞社         新美鋭次氏
          読売新聞社        砥上常雄氏
          中央新聞社        吉植庄一郎氏
          中央商業新報社《(マヽ)》 明渡泰次郎氏
          東京毎夕新聞社      清水住氏
                       永松浅造氏
          東京毎日新聞社      藤田勇氏
 一、文部当局ニシテ本会ノ顧問又ハ評議員タル人々ヲ富士見軒ニ招待シ、留学生教育上ニ関シ打合セヲナセリ
  出席者左ノ如シ
             文部次官   田所美治氏
             普通学務局長 赤司鷹一郎氏
             専門学務局長 松浦鎮次郎氏
             文部省参事官 武部欽一氏
同年七月
 一、評議員ヲ富士見軒ニ招待シ、事業着手ノ方針及中華民国留学生教育上ニ関シ打合セヲセリ
  出席者左ノ如シ
                    赤司鷹一郎氏
                    武部欽一氏
               法学博士 岡実氏
                    嘉納治五郎氏
               理学博士 和田猪三郎氏
                    湯原元一氏
               工学博士 阪田貞一氏
               工学博士 吉武栄之進氏
                    須藤伝次郎氏
                    谷山初七郎氏
                    斎藤清太郎氏
                    小川平吉氏
                    川口義久氏
                    竹内義一氏
               法学博士 寺尾亨氏
 - 第36巻 p.98 -ページ画像 
                    松本亀次郎氏
 一、章中華民国駐日公使、江留日学生監督及該公使館員、留日学生監督処員ノ重ナル諸氏ヲ帝国ホテルニ招待シ、小松原会長ヨリ本会設立ノ趣旨ヲ演述セリ
  出席者左ノ如シ
          公使館員 公使 章宗祥氏
                  荘景阿氏
                  厳智崇氏
                  郭左淇氏
          監督処員
               監督 江庸氏
                  金之錚氏
                  熊元襄氏
 一、中華民国留日学生ニ対スル学術講演会ニ関シ、服部・市村両博士其他ノ諸氏ヲ富士見軒ニ招待シ、之ガ打合セヲナセリ
  出席者左ノ如シ
               文学博士 服部宇之吉氏
               文学博士 市村瓚次郎氏
                    中村勝麿氏
                    安井小太郎氏
                    松井等氏
同年九月
 一、渋沢顧問其他ノ諸氏ヲ富士見軒ニ招待シ、留学生ニ対スル学術講演会ニ関シ打合セヲナセリ
  出席者左ノ如シ
                男爵   渋沢栄一氏
                文学博士 市村瓚次郎氏
                     中村勝麿氏
                     安井小太郎氏
同年十一月
 一、留学生ニ対スル学術講演会ニ関シ文学博士白鳥庫吉・法学博士吉野作造ノ両氏ヲ築地精養軒ニ招待シ、之ガ打合セヲナセリ
 一、田所顧問及赤司・松浦・武部ノ三評議員ヲ富士見軒ニ招待シ、対支教育上ノ施設ニ関スル大体ノ計画方針ニ就キ打合セヲナセリ


財団法人 日華学会第八回年報 自大正十三年四月至大正十四年三月 第一―二頁 大正一四年八月刊 本会ノ目的及略沿革(DK360043k-0007)
第36巻 p.98-99 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

日華学会二十年史 砂田実編 第二―一一頁 昭和一四年五月刊(DK360043k-0008)
第36巻 p.99-102 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

日華学会二十年史 砂田実編 第二二―二七頁 昭和一四年五月刊(DK360043k-0009)
第36巻 p.102-105 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年三月九日(DK360043k-0010)
第36巻 p.105-107 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編  昭和三年三月九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
    日華学会
一、創立  大正七年四月
一、所在地 東京市神田区中猿楽町十五番地
一、基本金 主として各方面の寄附金を以て経費に充つ、而して創立以来昭和二年三月現在迄の寄附金及寄贈品額は十九万四千七百八円の外に毛布百五十枚。外に大正十年五月文部省より国庫補助金十五万円を下附され下谷真島町に寄宿舎を設く、大正十五年三月十日附を以て、同十五年度経費不足額金二万五千円也を国庫補助の儀、
 - 第36巻 p.106 -ページ画像 
細川会長より其筋へ出願し、同年四月一日附を以て補助の命令書を受く、尚ほ同会の経営に依る東亜高等予備学校は授業料、入学料及雑収入にては経営困難なるに依り、大正十五年三月十四日附を以て細川本校長より同十五年度経営不足額金二万三千円也を国庫補助の儀其筋へ出願し、同年七月十三日附を以て補助の指令書を受く
一、創立関係者 小松原英太郎・内藤久寛・山本条太郎・白岩竜平・浜野虎吉・青淵先生・清浦(奎吾)子爵・岡部子爵・近藤男爵・益田男爵・田所美治・豊川良平・江庸
一、青淵先生との関係 同会の前身支那留学生同情会の創立者の一人。日華学会の創立と同時に顧問に推さる
      大正九年四月会長に推選さる、同十年六月会長辞任、目下顧問たり
一、創立目的 日華学会年報一頁及竜門雑誌第三百六十一号八十四頁参照
一、創立迄の沿革 支那第一革命の当時、留学生の学資金が杜絶、依て山本条太郎氏や青淵先生等斡旋して支那留学生同情会を組職して其窮困を救済す。革命鎮まつて後当時貸与した学資金を返済する者多し、因つて山本氏等主唱して是れに有志の寄附を加へ五・六万円の資金を基本金として日華学会を創立
一、創立後の沿革 イ大正七年十月本郷湯島天神町に寄宿舎向家屋を借入し第一中華学舎とす、同十二月開舎以来入舎希望者多数忽ち満員
○中略
     ニ同十一年六月中渡来教育観察団中華民国四川省高等師範学校生徒五十余名中の劉某外三名着京後腸チブスに患みたるを以て、神田区神保院に入院せしめたるに療養効を奏し、最も重態なりし王氏は五十日間、他は三十四・五日にて全快無事帰国す。一行は旅費の外更に余裕なきを以て、同会は右四名に対し一千数百円を支出して入院費に充てたり、一行帰国後本人及母校より懇篤なる謝状を同会に致す
○中略
     ヘ大正十二年秋北京政府は其年限り官費留学生を廃止する事を声明したる結果、我文部省は支那政府との特約に依り第一高等学校、高等師範学校、高等工業学校に特設したる支那学生の特別予科を廃止せんとす、是等の学校に入学する目的を有する四百余名の留学生は留学上に係る一大事なるを以て、数次の会合後日華学会に苦衷を訴ふ、依つて同会は文部省、第一高等学校長高等工業学校長に会見の上留学生の希望を訴へたる結果、各当局は学生の意の在る処を諒して特別予科存置
 - 第36巻 p.107 -ページ画像 
を諾す
     ト同十二年九月一日の大震災に当り、中華民国の留学生にして鮮人と誤認され、中には危害を蒙りたるものあり、日華学会は国交上の重大事件の発生を慮り、九月四日出淵外務アジア局長を訪ひ事情の報告と共に、中華学生救護方懇請す、同局長は之を快諾す、依て救済に力を注ぐことゝなり、先づ本郷追分町卅一番地第二中華学舎内に仮事務所を設けて、救護事務を開始す、第一高等学校の宿寄舎を借人れて収容所とし、数台の救護用自働車に《(を)》用意して市内外に派遣し、百方収容救護に努め、炊出しを為し、傷病者の看護に従事する等全員不眠不休の活動を為すこと十数日間、尚帰国希望者に対しては外務省より日本郵船会社に命じて船舶の用意を為さしめ無賃送還の途を講じ、荷物の整理運搬及び護送其他の事務は日華学会之を担当し、又上海に至る迄毎便船に同会職員一名づゝ附添はしめ船中の斡旋に任ず、斯くて五回の便船にて送還したる人員合計四百五十二人に及ぶ、而も帰国者には各一人当り五十円の救護金が外務省より下附されたり
     チ同十三年九月一日は大震災の一周年なるを以て、異域に斃れたる民国留学生鐘明厚外二十五名の為め日華学会は各方面の援助を得て、民国留学生癸亥地震遭難招魂碑を本郷区竜岡町麟祥院境内に建設、九月二十七日竣功と同時に除幕式を挙げ追悼会を行ふ
     リ同十五年三月東亜高等学校学則を制定し、同月三十日東京府知事に申請書を提出して、四月二十日認可せらる、(日華学会年報参照)
     ヌ同十五年二月から中華留学生中、資性善良なる者にして学資窮乏者中六名に宿所の無料提供を開始
     ル館山夏季寄宿舎、大正十二年日華学舎は館山西浜に家屋を借入し、之を消夏団寄宿舎《(銷)》に充てたるを手始めに同十四年該建物を購入、修繕して留学生の臨海寄宿舎とす
一、寄宿舎の状況(日華学会年報参照)
  ○右ニハ当会ノ創立ヲ大正七年四月トスレドモ、拠ルベキ資料ナク、他ノ資料ハムシロ五月ヲ示ス。