デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
8款 聖路加国際病院
■綱文

第36巻 p.255(DK360079k) ページ画像

昭和6年11月11日(1931年)

是日、栄一逝ク。当病院職員一同ヨリ、弔辞ヲ贈ル。


■資料

聖路加 昭和六年秋季号・第二―三頁 昭和六年一二月 嗚呼渋沢子爵(DK360079k-0001)
第36巻 p.255 ページ画像

聖路加  昭和六年秋季号・第二―三頁 昭和六年一二月
    嗚呼渋沢子爵
 世界平和第十三辰の紀念日十一月十一日、雨蕭々の夜、風啾々の暁日本新興史を飾る一人者とし、将た、東京市民の大慈父たる渋沢老子爵遂に逝けり矣。茫々たる天地、万象咸く寂として声なし。嗚呼悲哉。
 顧みれば子爵が遠く幕末の時代より、維新・明治・大正・昭和を通じ、其の財界・政界・学界並に社会公共事業に於ける一世の偉業と功蹟とは、吾人挙げて玆に諸を贅するの要を認めず。今や邦家は満蒙の重大問題に直面し内外頗る多端の秋、動もすれば子爵の扶掖と誘導に竢たざる可からざる際、突如として此訃報に接す。吾人七千万の国民が等しく哀惜して措かざる、蓋し所以あるかな。
 聖路加国際病院に於ける子爵の関係は、単に評議員とし会長たるの一員に過ぎざれ共、其円満なる人格を以て、既往十数年、院の事業を指導し、専ら国際親善の一路に鋭意尽瘁せられたる効績や、頗る甚大なるものありといはざる可からず。吁、仰げば高し東洋の新殿堂、正に明年を以て完成の域に達し、生前の子爵が、常に傾倒せる社会的万般の施設は、近く淊々として院外に澎湃せんと欲す。而して今や其人亡し。嗚呼悲哉。
 祇園精舎の鐘、沙羅双樹の花、徒らに諸行無常を感ず。吾人は此際子爵の遺訓縄墨に即し、其瞑目を祈るの外他事無きを信ず。時已に霜月中瀚、飛鳥山頭の楓葉は驟かに落ち、滝の川の渓流為めに韓紅を呈す。国際病院職員一同、清酌庶羞の奠を以て長く英霊を弔ふ。尚くは髣髴として来り餐けよ。