デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
10款 在日米人平和協会
■綱文

第36巻 p.257-258(DK360081k) ページ画像

大正6年6月(1917年)

栄一、在日米人平和協会機関誌「平和時報」ニ「世界ニ対スル将来ノ希望」ト題スル意見ヲ英文ニテ公表ス。ソノ和訳是月「竜門雑誌」ニ掲載サル。


■資料

竜門雑誌 第三四九号・第二二―二四頁 大正六年六月 ○世界に対する将来の希望 青淵先生(DK360081k-0001)
第36巻 p.257-258 ページ画像

竜門雑誌 第三四九号・第二二―二四頁 大正六年六月
    ○世界に対する将来の希望 青淵先生
 本編は在日米人平和協会発行の「平和時報」主事ギルバート・ボウルス氏より「目下の欧洲大戦終結後に於ける国際平和の維持に関する方法如何」に就き青淵先生に之が意見の公表を懇請し来りたるより右の如き題目の下に英文にて回答を答へられたるものゝ和訳なり。余をして腹蔵なく簡短に語らしめよ。
 旧日本時代即ち泰西の文明に接して之を咀嚼するものなりし維新前後の日本に於ては、亜細亜の文明は精神的優秀なりと雖も、西洋の文明は単に物質的皮相のものに過ぎずと妄断して憚らざりし幾多の人士ありたり、而して恥しながら余も亦た其内の一人たるを免かれざりしなり、爾来年所を経て余は漸次西洋文明の真価値を認識するに至りたりと雖も、特に西洋文明に対する余が従前の妄断を啓発するに至りし原因は、千八百六十年代に於て巴里に赴き親しく泰西の人士に親炙し泰西の事物に接触したるの一事に存す、斯くて余は近世文明の尊重者となれり。然りと雖も目下の欧洲大戦争勃発以来、余は此近世文明の価値に対して浅からざる疑惑を抱くに至りぬ、但し余は決して厭世的思想を抱くものに非ず、寧ろ戦後に於て新秩序の発生し、新文明の隆起するものあるべきを信じて疑はざるなり。
 抑も今回の大戦争が発生するに至りたるは深奥なる原因の存するものあり、聯合側は聯合側として種々なる事情を有し、独逸側は独逸側として亦た相当の理由を陳ず、然りと雖も一言以て之れを掩へば、列国間に保有すべき相互的調和の理法よりも、実力応用の競争心が勝を制したるが為めに生じたる自然の結果に外ならずと云ふを得べし、斯く云へばとて余は今回の戦争を当然の事件なりと弁護するに非ず、唯だ事実を事実の上より説明したるに過ぎざるなり。
 競争の必要及び競争の方法等に就ては仮令如何なる議論を陳じ得べしとするも、要するに競争の極まる所は人生を野獣化せずんば止まざるなり、而して之れに反して国家と国家、階級と階級、箇人と箇人との間に真の協力調和の行はるゝあらば、玆に初めて真正なる文明の発達を見るものとす。
 人は天使たるの必要なしとするも、然かも虎狼となるを許さゞるなり、虎狼と雖も同類相食まず、人相屠戮するの戦争を廃せざれば之れ虎狼にだも如かざるなり、人は果して人らしく生存し人らしく進歩す
 - 第36巻 p.258 -ページ画像 
る能はざるものなりや、余惑なきを得ざるなり。
 今や欧洲諸国民は互に憎悪の念を逞しうして流血淋漓の戦闘に従事しつゝあり、彼等今にして悔い今にして改めざれば、其終局は即ち滅亡なり。
 見よ独逸国民は其名誉心と其食慾心との為めに起りたる戦争が如何に自己の為めに空しきものなるやを切実に経験しつゝあるに非ずや。
 開戦直後幾多独逸の学者等は自己の名を連署して彼の有名なる告白書を天下に公けにし、以て独逸の立場を弁護し戦争の避くべからざるを陳じたりと雖も、彼等は今日に至りても尚ほ此大戦を弁護するの勇気ありや否や、之れ余の聞くべく欲する所たるなり。
 余自身は言ふ迄もなく聯合側に同情を有す、蓋し聯合側の諸国は自己の権利を保護せんが為め防禦的戦争に従事しつゝあるに過ぎざればなり、今や此大戦争に際し此等聯合国の態度は正義にして且つ人道的なるを疑はず、只一切なる点は、将来平和克復の後に於て目下の大戦争より得たる苦がき経験に鑑み、武力侵略の手段を棄てゝ能く其国際的政策の方針を調和と協力の基礎の上に据ゆるに至るべきや否や、是れ世界の将来に関して最も重大の事なりとす。
 産業組織の改革、貿易上の競争、領土の拡張、生存競争、外交的譎詐、国際的猜疑等は第十九世紀を通じ国々相互に行ひたる所のものなり、然りと雖も今や時代は一転化せんとしつゝあり、望むらくは列国互に過去の過失を改め今後に於ける其国際的政策をして真に協和協力の精神に則らしめんことを、若し夫れ今後国際の関係が此協和協力の原則に支配せらるゝ能はずとせば、現代の文明も亦た過去の文明の如くやがて滅亡の運命に到着するを免かれざるなり。
 戦争の如き悲惨事が将来世に発生せざるべきを望むものは、須らく今後の国際関係を真面目なる協力主義の下に置かしむべく努力せざるべからず、而して若し各国の政治家及び思想家等が確乎として此協力主義を遵奉するに於ては、乃ち将来に於ける戦争の発生は必ず之れを避け得べきものなりとす。世界に恒久的平和を樹立せしめんが為めには従来幾多の方策の提案せられたることありしと雖も、併かも其最も根本的なる方策は各国の先覚者が互に胸襟を開きて和衷協同の態度を採るの一事に存す、国際的平和を現出せしむるの手段としては、国際仲裁々判所若くは国際警察の如き方法も必ずしも無用に非ずと雖も、尚ほ一歩を進めて倫理的宗教的の高尚なる精神を振起し、以て今後の国際関係を支配せしめざるべからず。
 以上余の述べたる所稍や具体的ならざるの嫌なきを免かれずと雖も然かも余の目的は単に人道に基く根本的思想を披陳するに止まりて、其内容に亘たる箇々の具体的方策は、今後の政治家及び思想家をして其時代々々に適応したる態度を採らしめんと欲するに在り。
 余は人道の力と価値とを信ずるが故に、仮令目前に刻下の欧洲大戦の如き人生の悲惨事を見るも、毫も世界の将来に就て失望することを為さゞるなり、望むらくば国籍・人種及宗教の異同に関せず、苟も余と希望を同うするの人士が一致協力して、世界の正義人道の為め誓つて奮励努力せられんことを。