デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
12款 財団法人日仏会館
■綱文

第36巻 p.342-350(DK360141k) ページ画像

昭和3年12月15日(1928年)

是日、当会館及ビ日仏協会共同主催国際聯盟国際労働局長アルベール・トーマ及ビ一行歓迎午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。午後、当会館主催トーマ招待懇談会丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一同ジク出席ス。


■資料

日仏会館書類(三) 【(別筆・太字ハ朱書) 昭和三年十二月十五日後〇時半 アルベール・トーマ氏一行招待会】(DK360141k-0001)
第36巻 p.342-343 ページ画像

日仏会館書類(三)            (渋沢子爵家所蔵)
               (別筆・太字ハ朱書)
               昭和三年十二月十五日後〇時半
               アルベール・トーマ氏一行招待会
拝啓
時下益々御清穆奉恭賀候、陳者今般来朝せられたる国際労働局長アルベール・トーマ氏及一行を招請し、来る十五日(土曜)午後零時半丸之内日本工業倶楽部(東京駅前)に於て歓迎午餐会相催し候間、御繰合せ御光臨被成下度、此段御案内迄奉得貴意候 敬具
 - 第36巻 p.343 -ページ画像 
  昭和三年十二月八日
                日仏会館理事長
                   子爵 渋沢栄一
                日仏協会理事長
                   子爵 曾我祐邦
    国際聯盟協会
      会長子爵渋沢栄一殿
 追而乍御手数別紙○略スを以て貴答願上候


財団法人日仏会館第五回報告(昭和三年四月一日昭和四年三月三一日)第一〇―一一頁刊(DK360141k-0002)
第36巻 p.343 ページ画像

財団法人日仏会館第五回報告(昭和三年四月一日昭和四年三月三一日)第一〇―一一頁刊
    七、集会及接伴
○上略
一、昭和三年十二月十五日、本会館ハ日仏協会ト共同主催ニテ、今般来京ノ国際聯盟労働局長アルベール・トーマ氏及其一行六名、並ニ同氏関係官民代表者、任満テ帰仏ノ仏国大使館附陸軍武官ルノンドウ大佐及同夫人、並同氏後任バロン少佐及同夫人、及神戸市コントアール・ソア会社ヘ赴任スル当館留学生マルセル・ルキエン氏ヲ招待シ、丸之内日本工業倶楽部ニ於テ送迎午餐会ヲ催ホス、会員ノ外外交団其他内外人百五名ノ出席アリタリ。
○下略


日仏協会第二十一回報告(自昭和三年四月一日至昭和四年三月三一日)第四―五頁刊(DK360141k-0003)
第36巻 p.343 ページ画像

日仏協会第二十一回報告(自昭和三年四月一日至昭和四年三月三一日)第四―五頁刊
    六、送迎会及講演会
○上略
一、昭和三年十二月十五日、本会ト日仏会館ト共同ニテ、今般来京ノ国際労働局長アルベール・トーマ氏及其一行、任満チ帰国ノ仏国大使館附武官ルノンドウ大佐・同夫人及同令嬢、同氏後任バロン少佐及同夫人、並ニ神戸コントアール・ソア会社ニ勤務スル事トナレル当館留学生マルセル・ルキアン氏ヲ招キ日本工業倶楽部ニ於テ送迎午餐会ヲ催ホス、両会々員外交団其他内外人百五名ノ出席アリタリ
○下略


竜門雑誌 第四八四号・第八七―九八頁昭和四年一月 労働問題懇談会○日仏会館主催(DK360141k-0004)
第36巻 p.343-350 ページ画像

竜門雑誌 第四八四号・第八七―九八頁昭和四年一月
    労働問題懇談会○日仏会館主催
 昭和三年十二月十五日午後二時半より、東京銀行倶楽部に於て催された、アルベール・トーマ氏招待懇談会に於いて、次のやうな意見の交換が行はれた。
  出席者
  アルベールトーマ氏 鮎沢巌氏
  渋沢子爵      阪谷男爵
  添田寿一氏     添田敬一郎氏
  頭本元貞氏     鈴木文治氏
  白石喜太郎氏    小畑久五郎氏
       ***
 - 第36巻 p.344 -ページ画像 
午後三時、トーマ氏・鮎沢氏と共に来著
渋沢子爵 御忙しいトーマさんに御無理千万とは思ひましたが、暫時御繰合せを願ひお話を願ひたいと思ひまして、そのことを申上げましたところ、特に御差繰り下さつて玆に御出席を得ましたことを先づ以て御礼申上げます。私は仏蘭西語を話すことが出来ませんから充分意志が徹底せぬ嫌がありますが、どうぞ御容謝を願ひます。
 私は日本流の計算で御座いますと、来年九十歳になりますが、そんな老人ですからあなたの生れる前に仏蘭西に参り、ナポレオン三世と握手したので御座います。六十年前から仏蘭西に親しみを持つて居る人間であると云ふことを御記憶願ひたいのであります。あなたが国際聯盟に御座つて、段々に種々なよいことをせられ、又世界の有様がどうであるかと云ふことを、知らせて下さるに対し深く感謝致して居ります。又今度来られて日本の事態を御覧下さつて、世界に対して日本は斯る状態であると云ふことを知らせて下さることゝ思ひ、予め深謝致します。それに付ては悪い所は悪いとし、其代り善い所は善いとして、即ち有るが儘の実態を見誤らぬようにしていたゞきたいので御座います。又吾々に対しては、御覧下さつた所により、遠慮なく御注意下さるやうに願ひます。
 日本は外国と御付合を始めてから左まで年月が経つて居りませぬ。国際関係から見ますと、国が新らしく、従て総てになれて居りませぬ。此点は特に御注意を願ひたいと思ひます。
 私は労働問題に古くから多少心配致して居ります。此処に出席の添田敬一郎君が心配して居る協調会にも微力を致して居ります。又鈴木文治君も古くから交つて居りまして、資本と労働の程よい接触を見たいと思ひまして、甚だ微力では御座いますが、心配して来ました。今日は友人連中が少数寄りましたが、何れも此問題に付て心配して居る人々で御座いますので、御遠慮なく、胸襟を開いて御話願ひたいと思ひます。
トーマ氏 御親切な御言葉をいたゞきまして誠にありがたう御座います。渋沢子爵が仏蘭西の古い友達で居られることは、予て承知致して居りましたが、今日親しく御目にかゝることが出来まして此上ない喜びを感ずる次第で御座います。ナポレオン三世にお会ひになつた御方に親しく御話が出来ますのは、実に珍らしいことで御座います。私の生れ方が少しおくれました。
 仏蘭西は古い国で御座いますが、今度古い伝統を有する日本を訪問しまして、種々面白い感じを得たので御座います。然し何しろ参りましてから三週間にしかなりませんので、意見を申上げるなどと云ふことは思ひもよりませぬ。
 私は国際労働局長の職に居りますが、其の関係から種々面倒な問題や困る事柄が御座いますので、此等のことを解決する為め皆様の御助力を得たいと思ふて居ります。御親切な言葉をいただき、且注意があれば遠慮なく話せと云ふことで御座いますが、前にも申したやうに日本へ参りましてから僅かに三週間にしかなりませんので、おこがましいことは申上げ兼ねます。故に之は措きまして、自身が従
 - 第36巻 p.345 -ページ画像 
来経験した所に徴して申上げたいと思ひますことは忌憚なく申上げる積りで御座います。
子爵 誠に吾々の望む所で御座います。今日は此所に出席して居ります人々の外に、日本銀行・三井・三菱などの人々にも通知しましたが、病気又は差支の為め出席しませんでした。然し此所に出席した人々は皆労働問題には一部の関係があり、又日本の実情を知つて居りますので、聞く耳は持つて居る人々で御座いますから、御遠慮のない所を露骨に御話し下さるように希望致します。
トーマ氏 遠慮なく話すようにとの事で御座いますから、無遠慮に申上げますから、其点は御諒承願ひます。国際労働局長としまして、条約批準の促進と云ふ事が焦眉の急務で御座います。従来も幾度か之が為め努力しました。今度参りましても社会局の人々にも話しましたし、資本団体の主なる人々にも話しました。然るに日本は特殊の事情があるから、急に行かぬと口を揃へて云はれます。今日は第何条がどうで第何条がこうであると云ふやうな専門的のことは措きまして、概括的に申上げたいと思ひます。第一に申上げたいのは資本と労働の関係で御座います。国際労働機関は御承知の通り、政府と使用者(資本家)と労働者の三種の代表者が参与します。各国に於て此問題を解決するに当つても亦、此三者が調和して始めて其目的を達成することが出来ます。斯くしてこそ国際協調の精神が発現するのであります。そこで今度参りましたに付きまして皆様の御了解を得たいと思ひまして、政府の方々とも会ひ、資本家や労働者とも話し合ひました。昨日も日本工業倶楽部で団琢磨氏に会見し、懇談約二時間に亘りました。団体協約のことを話しましたが「日本は不幸にして労働組合が発達して居らぬ。労働者の教育も進んで居らぬ。言葉を換へると日本の労働問題はまだ成人期に達して居らぬ。成人したら考慮するが、発達して居ない現在に於て之を考へることは出来ない。それに一体労働組合の出来たのが、恰度各国に於て革命の行はれた時であつた。故に誠に具合が悪い。こんな理由から、吾々は労働組合を当てにしない」と言はれました。
 私は日本に於て種々の労働組合の会合にも出席しました。国際会議に労働代表を送つた組合を見たときの感じは、中々馬鹿にならぬと云ふのでありました。極端な左傾のもの所謂赤いものは別ですが、大体に於て欧羅巴の組合に比較して考へて甚しい差はありませぬ。相当尊敬を払ひ得るやうに思はれました。代表者も理解があり、教育があります。本日出席して居られる鈴木文治氏なども其一人で御座います。以上は大体論で御座いまして、個々に付て考へて見ますと、組織の完全でないのもないではありません。話を前に戻しまして団男爵の話でありますが、労働者は教育もなし、理解もないと云はれましたけれども、只今申上げましたやうに私は左様は思ひませぬ。団さんの言はれるのはほんの一部分で、大部分は教育もあり、理解もあると見て居ります。そこで今日若し団さんが見えて居られたら、継続討論をしたいと思ふて参りましたが、御出席がなくて其意を得ませんので残念千万で御座います。
 - 第36巻 p.346 -ページ画像 
 鈴木氏は資本家側のことを、よく理解して居ります。教育もあります。同氏の如きは国際会議に代表として出席すると共に、日本政府の組織して居る経済審議会にも臨むようありたいと希望致します。それから労働組合の起源が悪いから直ぐ衝突し、どうも協調が出来ないと云ふ点に付ては、仏蘭西にも同様の例があります。クレマンソーが首相であつた時代に、労働組合を極端に嫌ひまして、国家将来の大策を論ずる場合に、彼等の如き協調出来ない人々を入れるのはいけないと云ふ理由で絶対に排斥しました。然るに数年経過しまして、労働組合の綱領は同一であり、幹部も全然変らぬに不拘、同一首領たるジユオーを此会議に列せしめ、内外重要の会議に臨ましめることになりました。ジユオーは国際軍縮会議にも出掛け、国際経済会議にも列し、国際聯盟の会議にも臨みました。仏蘭西は斯くの如くジユオーを危険どころでなく必要人としたのであります。
 仏蘭西の労働組合は日本に比べますと歴史が古く人数も多いのであります。従て種々のものがありますが労働組合の危険であるか否かと云ふ点に付ては、前申しました如く、危険ではない、必要であると認めました。議論は兎に角、実際に付て考へましても、関係して居る人物や組合の沿革が、皆真摯でありまして、危険ではありません。
 私は日本に対しては憧憬を有つて居りましたが、愈々日本に参りまして親しく視まして、予想と違ふ点がないでもありません。その一は日本では労働者が認められないと云ふ点であります。労働者の教育が足らぬと云ふことが主要理由であると聞きました。此労働者の教育と云ふことは、実際問題に当面しながら授けることが出来ます此種の教育は自分の経験から考へて確かに実行し得ると信じて居りますのみならず、是非実行せねばならぬと思ふて居ります。資本家と労働者の相互了解と云ふことは、現在世界に於ける根本的必要条件であります。英国に於ては最初は之を重んじなかつたのでありますが、その為め大に苦しみました。最近其非をさとりましたので、大に恩恵を受けて居ります。相互了解は国家繁栄の基礎である所の経済振興の鍵であると信じて居ります。
 以上が私の忌憚ない説でありますが、何しろ三週間位の観察で御座いますから、見当違のこともあらうかと存じますので、御遠慮なく御訂正下さるよう御願ひ致します。
添田寿一氏 渋沢子爵の労働問題に対する立場をよく御了解願ひたいと思ひますが、御自身からは言ひ悪い点もあるだらうと思ひますので、私から打開けて申して置きたいと思ひます。
 団さんの言はれたやうに日本の労働問題は非常に幼稚であります。時が経たない為めに極めて混雑して居ります。一方非常に極端なのがあるかと思ふと、一方非常に守旧的なものがあります。
 此二つが現在の日本では非常な衝突を惹起し勝ちで御座います。そこで渋沢子爵は極めて公平な地位から調和しようとして起たれたのであります。今日出て居ります鈴木文治君の最初やつて居た友愛会の如き、非常に子爵の御蔭を蒙つて居ります。若し渋沢子爵なかつ
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せば鈴木君今日の大をなすを得なかつたと断言して憚りませぬ。子爵は労働者からはブルジヨワーと罵られ、資本家からは労働者の贔屓をすると悪まれながら敢然孤軍奮闘して今日となつたのであります。又一方添田敬一郎君の尽力して居られる協調会の如きも労働と資本をハーモナイズするインスチチユーシヨンとして、子爵の御尽力によつて出来たものであります。創立以来種々働きましたが最近の大きな功績は野田の醤油の争議ををさめたことで御座います。
 要之総て今日日本の労働問題が穏健に行つて居るのは、渋沢子爵の指導宜しきを得た為めであると断言して憚かりませぬ。
 此等のことを頭に置いていたゞいて、他の場所とは違へて腹蔵のない忠言を吐かれること望みます。日本の労働問題は斯く考へねばならぬと云ふことを、忌憚なく話して貰ひたいのであります。
 又渋沢子爵は、日米・日支其他世界の平和に献身的努力をして居られます。国際聯盟に於て子爵の希望する世界平和が確保出来るように努力していたゞくことが、子爵の老後を慰める所以であると思ひます。斯く国際平和を熱望する人が居られると云ふことを知られたのは、貴方にはいゝ御土産であらうと思ひます。
 それから日本に於ては如何なることでも渋沢子爵の指導を受けぬものはありません。故に若し日本に於て希望を実現せんとせらるゝならば、子爵に頼むのが最良の方法であると云ふことを記憶していただきたいのであります。
 前申上げたやうに、日本の労働問題は進んで居りません。子爵の努力によつて進めていたゞきたいと思ふて居りますが、若し日本だけで御座いますと、此所までも進み得なかつたらうと思ひます。それでは何によつて進んで来たかと云ふと、国際労働会議の刺激によるのであります。国際労働会議の為めに此所まで進み得たのであります。故に将来国際聯盟で努力されるならば、当然日本の労働問題に響くのであります。
 一体国際聯盟と云ふものはどうなるかと考へますと、政治的国際聯盟は将来或は如何なるかと思ひますが、若し政治的国際聯盟が生命を絶つ時代に於ても、労働方面の国際聯盟は持続すると思ひます。就ては益御努力下さることを望みますが、努力せられると共に子爵の此苦心をよく御了解ありたいと望みます。
トーマ氏 渋沢子爵が如何に社会問題・労働問題、並に平和事業に努力せられたか、如何に尊い立場に居られるかと云ふ事はよく承知して居りました。然るに只今添田博士から詳しく御話が御座いましたので一層よく分り、極めて困難な立場に居られる事に対し、御同情――と申上げては当りませぬが――御察し申上げます。子爵とは到底比較にはなりませんが、私も同様板挟みに会ふ地位に居りますのでよく分ります。之が協調をはかる者の悩みであると思ひます。此悩みに打克つ為めには、矢張板挟みの状態を続けて行かねばならぬと思ひます。それにつけても、子爵のことを伺ひますと、心の底から大にやらねばならぬと思ひます。将来益双方の事情を知るに努め一層奮励する積りで御座います。
 - 第36巻 p.348 -ページ画像 
 仏蘭西にも英吉利にも平和論者が御座います。各国の平和論者が子爵のことを知りましたならば、挙つて尊敬するに相違ありません。子爵がかく大きな事業をやつて居られることを知り、予て私が確信して居る所の「世界平和は空想でなく、将来必ず実現するものである」と云ふことを裏書されたやうに思ひまして愉快に堪へませぬ。日本の年号は昭和でありますが、其年号の表現するように世界全体が昭《あきらか》に和する時代が来ることを信じて疑ひませぬ。
子爵 御親切な御言葉で痛み入ります。添田博士から私の事に付て種種御話になりましたが微力以上で、過褒敢て当りませぬ。到底左様に大きな力はありませぬ。
 六十年前仏蘭西に参りました時に、日本の有様と全く違ふと云ふことを深く感じました。私はもとは政治家として立つ積りで御座いましたが、仏蘭西に居る内に政変が起り、私の主人である徳川慶喜公は政権を返上しました。それ等の関係から政治家たることを断念し実業界に入り、仏蘭西で見て来たことを力にして、商工業に力を入れました。そして此商工業を盛にするには合本法でなくてはならぬと考へまして、合本法――只今の株式組織を奨励致しました。此株式組織の事業が段々起りました結果、労働問題が生じました。そこで、私が株式組織を勧めた為めに労働問題が起つて来たとも申し得るので、労働問題の俑を作つたのは私であると云へるかも知れませぬ。然し私は斯る面倒を惹起するは予期致しませんでした。それは兎に角資本と労働が相争ふ有様にならぬように、程よい調停をしたいと思ひましたが、宜い思案もなく今日に至つたのであります。
 協調会も此目的で――此調和を計る為めに創設しましたが、思ふ様に参りませぬ。
 今度トーマさんが見えられて、資本家や労働者諸君と直接御話になりましたのは各方面に大に功能があると思ひます。私は老人で此後永く働くことは出来まいと思ひますが、将来のことを考へますと、今度働いて下さつたことを非常に嬉しく感じます。今日承りました所でも節々に深く感じました。私もたとへ老ひたりと雖、決して自棄するやうなことはせず、引続き努力したいとは思ふて居ります。御懇切な御話を承ることを得ましたことを深く喜び、厚く御礼申上げます。
添田敬一郎氏 私からも一言申上げたいと思ひます。労働組合を認める以上は、団体交渉権を認めることが肝要であることは申す迄もありませぬ。協調会としましても、渋沢子爵としましても、此点に付ては議論の余地がなく、理窟は明瞭で御座います。先程から種々の御話しのあつたやうに労働問題が起つてから年所を経て居らず、従つて訓練も充分でありませぬ。鈴木君も友愛会以来努力して居りますが、中々理想通りに行きませぬ。徒らに思はざるフリクシヨンを起し、遂に乱暴に陥る例が少くありませぬ。之は一つは資本家の方の準備が充分でない内に突如として労働問題が生じた為めでもあるが、最早団体交渉権は議論の余地はなくなつて居ります。然し実際問題としては、残念ながら直ぐに採用出来ないのでありまして、此
 - 第36巻 p.349 -ページ画像 
点は団さんの言はれる所が尤であると思ひます。
 然し気運は向いて来たと思ひます。政治家も進みましたし、一般の輿論も進みました。ですから遠からざるうちに解決し得るやうになると思ひます。故に板挟みになりながら努力を続けて行きたいと思ふて居りますが、子爵の御意見も蓋し同様であると信じます。
添(寿) 私も添田君と同感であります。私は議会に席を有つて居りますので、労働組合法案の必要を議会で熱心に唱へて居りますが、未だ通過するに至りませぬ。然し此法案に対する人気は工場法制定の時代に比べますと、非常に違つて居ると申しますのは、工場法の時代は輿論が極めて悪かつたが、労働組合法案は輿論が必要と認めて居ります。故に気運の点に於ては楽観的に見ることに賛成であります。
鈴木文治氏 私も同感で御座います。日本が封建制度から近代国家に変つたのは六十年前で御座います。然し今日に於ても封建思想は依然抜け切りません。封建時代に人格を認められたのは武士階級のみでありました。町人・百姓は人間以下と見られました。同様に現今では労働者は人間以下――人外と取扱はれ、資本家からは奴隷のやうに見られて居ります。かゝる取扱を受ける労働者はどうであるかと云ふと、何と云はれても、蹴られても踏まれても、主人に対して従順であるのが道徳であると思はれて居ります。理由なき黙従を続けるのが美風であると考へられて居ります。之が日本の労働者が頭を上げ得ない有力な原因であります。「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」と云ふのが、封建時代の士に対する訓でありました。如何なる無理をされても臣下は黙つて居らねばなりませんでした。此思想の残つて居る日本では「労働組合の如きを認めて権利を主張する事を許すことは出来ない。そんなことを云ふのは舶来思想を其儘輸入するもので間違も甚しい」と云ふ議論が多かつたのであります。此間に立つて、未熟な私が労働運動に携はりましたので、容易ならざる苦心をし、絶えず渋沢子爵の激励と指導とを受けて参つたので御座います。
 協調会は協調を目的として成立つたもので御座います。先程、添田(敬)さんの言はれた所では、労働組合を認めることは当然で議論のない所であると云ふことでありましたが、関係者個々の意見は蓋し労働組合を認めるやうにはなつて居ないだらうと思ひます。協調会は言葉を換へますと労働組合の発生を阻止する為めに出来たもので御座います。協調会の出来たのは床次竹次郎氏が内務大臣であり只今の台湾総督川村竹治氏が警保局長であつた時代でした。此等の人々によつて案出されたものであります。此顔振れでも明なやうに労働組合を認めないものであります。当時私は年少でありましたが労働組合をぬきにして労働界の発達を予期することは出来ないと考へました。兜町の事務所で子爵に御会ひしまして意見を徴せられましたので只今申上げたと同様のことをお話したことがあります。其後も子爵に御会ひしまして「協調会で労働組合承認の気運促進に努めねばいけませぬ」と御話し致しました。之に対して「自分は賛成
 - 第36巻 p.350 -ページ画像 
であるが協調会でやる訳にいかぬ」と言はれたので「協調会でやつていたゞかなくては何もなりませぬ」と御答へ致しました。これは五・六年前のことで御座います。然るに其後国際労働局の刺激から穏健な組合を育て之と共にするのが適当であると云ふ意見が多くなりました。斯かる折柄トーマさんが来られて朝野各方面と接触せられたのは朝野各方面の人々を啓発すること多いことゝ思ひます。
添(敬) 大体に於て鈴木君の話は事情に通じて居ります。協調会の創立当時に、鈴木君の言ふたやうな考を持つ人のあつたのは事実です。今猶組合の発達を喜ばぬ人があります。徳川公爵や渋沢子爵は固より、私の先任者である桑田熊蔵君にしても、此等の人々と思想上闘つて来たのであります。協調会当局の今日迄続けて来た苦闘は其為めであります。現に其局にある吾々としては、一面労働組合の健全なる発達を希望し、一面資本家の反省を促し、気運を醸成しようとして努力して居る次第であります。此点に苦労は多いのであるが、相互に柔ぐのも左程遠い将来ではあるまいと思ふて居ります。此事を付加へて置きます。
トーマ氏 段々承りました所によつて、根本は全然一致して居る事を知りました。労働組合は近代産業に於ける必要な武器であります。之を欠いでは産業が成立せぬと確く信じて居ります。米国では初め労働組合を認めず、御用組合を作つて頻りに其発達を邪魔しましたが、結局力つきてゴムパースのフエデレーシヨン・オブ・レーボアーを認めました。之を認める事によつて米国の産業は成立つたのであります。過日或る集会で「若し労働組合が腫物であると仮定すれば死ぬまで持つて行かねばならぬ性質のものである」と云ふたのですが、労働組合は腫物でも病気でもなく寧ろ近代産業の実際の病気である所の共産主義と戦ふ唯一の武器で御座います。一体現代国家はいづれも産業に基礎を置いて居ります。故に其の産業の根幹をなす所の労働組合は、国家繁栄の基礎であると言ひ得ると思ひます。
子爵 全然同感で御座います。私は日本の工業を家内工業から工場工業に代へたいのでありますが、之は仏蘭西の御手本によつてやりました。そして労働問題が起ると、資本家からも労働者からも悪く云はれました。然るに今度トーマさんが来て下さつて、親しくお申訳をして下さつたのは実に嬉しう御座います。
トーマ氏 渋沢子爵は仏蘭西の制度を持つて来たと云はれますが、それならば労働組合を輸入していたゞきたいと思ひます。
一同大笑 かくして散会してのは午後五時であつた。
   ○栄一ハ、トーマノ希望ニヨリ十二月十八日更ニ少数有志者トノ懇談会ヲ催セリ。本資料第四十巻所収「其他ノ外国人接待」昭和三年十二月十日ノ条参照。
   ○本資料第三十七巻所収「国際聯盟協会」昭和三年十二月八日ノ条参照。