デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.452-457(DK360174k) ページ画像

大正11年11月2日(1922年)

是日、当協会理事会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。十七日、当協会主催国際司法裁判所判事織田万歓迎晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カレ、同ジク出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK360174k-0001)
第36巻 p.452-453 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年 (渋沢子爵家所蔵)
十一月二日  木 午後四時 国際聯盟協会理事会(同会)
   ○中略。
十一月十日  金 午後四時 大熊真氏来約(兜町)
   ○中略。
十一月十七日 金 午後六時 国際聯盟協会催
              織田万・矢作栄蔵両氏招待会(工業クラブ)
 - 第36巻 p.453 -ページ画像 
   ○十一月二日ノ理事会ハ第何回ナルヤ未詳。


国際知識 第三巻第一号・第一一―一六頁大正一二年一月 世界最高の司法機関 常設国際司法裁判所に就て 法学博士国際司法裁判所判事 織田万(DK360174k-0002)
第36巻 p.453-457 ページ画像

国際知識 第三巻第一号・第一一―一六頁大正一二年一月
    世界最高の司法機関
      常設国際司法裁判所に就て
        法学博士国際司法裁判所判事 織田万
 (人類有史以来、始めて成立を告げたる国際司法裁判所の判事の任命に就ては、それが世界最高の司法裁判所であるがため、世界最高の法律的権威を網羅せなければならぬことは勿論であるが、同時にまた世界の各人種、各文明、各風俗を代表する判事を以てせねばならぬことはいふまでもない。該裁判所の判事は、各の国家の代表者でないのであるから、その選挙は専らその個人の人格・閲歴、及び学識に依つて定まるのである。倘し、裁判所判事の選挙に当つて東洋から誰れ一人も選挙せらるゝ所がなかつたならば、数千年の古き文明を有する印度・支那・日本の特殊的哲学宗教風俗は何に依つて、此の世界裁判所に保たるゝことを予期できやうか。幸にして織田博士が十一名の正判事の一名に選挙せられたことは、仮令一面に於て、仏教・儒教その他偉大なる東洋思想、数億のアジヤ民族、日本の光栄ある歴史等の背景あつた為めではあらうけれども、また博士自身の人格と学識に俟つたこと勿論である。
 法律学の範囲に於ては、日本は一種独特のオリヂナリテイを以つてゐる。一八六八年の維新以来、日本は西欧諸国と関係を密接にして、欧米のあらゆる法律思想を研学し、之れを印度及支那の制度に順応せしめ、玆に殆んど全人類の法律思想を包含する独特の制度、組織を涵養し来つたのである。斯くして、東京帝国大学及京都帝国大学は、支那・シヤム、その他東洋諸国の法制の源泉となり来つたことは、今更説明を要するまでもなく、有賀博士が支那の憲法の起草を委託せられたるが如き、また岡田教授が支那の刑法の起草を託せられ、志田教授が支那の民法及商法の完成を委託されたるが如きまた政尾教授がシヤムの憲法・民刑、その他一切の法律の起草の為め招かれたるが如き、幾多の例を有するのである。
国際法に関しては、世界的学者に乏しからず雖も、京都帝国大学の織田万博士は、ヘーグの国際仲裁々判所判事を兼ね、全生涯を法律学の研学に委ね、帝国学士院の一員として今や押しも押されもせぬ権威である。然も氏は幾多有名なる著書があり、ひろく斯界の権威として引用せられつゝあることはいふまでもない。
 一方、国際司法裁判所判事に当選した百十一名の判事を見るに、英国のロード・フインレーの如き、米のバセツト・ムーア教授の如き、前者は検事総長・大法官その他諸国家の最高司法事務にたづさはり来れる世界的名士であり、後者は、屡々合衆国々務次官、その他法律顧問として世界的権威。かゝる人々と共に我織田博士が、人類最高の司直の府に立たれたことは、渋沢子爵と共に『日本も始めて、どうやら世界の列国に対し、ほんたうのお仲入りが出来たやうな感がして、何だか肩身が広いやうに思はれる』次第である。
 - 第36巻 p.454 -ページ画像 
  博士が此の度、第一回通常開廷を終へて帰国せられたるにつき、本会は十一月二日丸の内工業倶楽部に氏を招待し、歓迎の宴を開いた。渋沢・阪谷・添田・山田・山川・宮岡・藤沢、その他内外人四十名すべて斯界の権威相集り、博士より左記の如きお話を承り、宮岡・渋沢・添田・阪谷・藤沢諸氏、その他より最も興味ある質問続出し、主客打ち和らいで意見の交換を行ひ、最も意味ある夕を過ごした次第である。以下、織田氏の談話の一部に記者の見聞を附記したものである。)(一記者)
      一、仲裁裁判所との相違
 従来、国際司法裁判所は、常設仲裁裁判所と往々にして混同せられてゐた。即ち国際司法裁判所は、仲裁々判所に代るべきものであるかの如く誤解せられてゐたのであるが、之れは間違ひであることはいふまでもない。
 常設仲裁々判所は、一八九九年及び一九〇七年、海牙に於ける第二回平和会議の結果として、夙に成立してゐたものであるに反し、国際司法裁判所は巴里講和条約、国際聯盟規約第十四条の
  『聯盟理事会は、常設国際司法裁判所設置案を作成し、之を聯盟国の採択に附すべし、該裁判所は、国際的性質を有する一切の紛争にして、其当事国の付託に係るものを裁判するの権限を有す、尚該裁判所は、聯盟理事会又は聯盟総会の諮問する一切の紛争、又は問題に関し意見を提出することを得』
との条文に基いて出来たのである。
 従つて、仲裁々判所と国際司法裁判所は、その根本に於て性質を異にしてゐるものであることを、玆に特に一言して置く次第である。
 以下、少しく国際司法裁判所の何者であるかを、極めて簡単に叙述しやうと思ふ。
      二、海牙準備委員会
 国際司法裁判所の由来を述ぶるに、之は前述の如く聯盟規約第十四条に基礎を置いてゐる。而して、大正九年二月倫敦に於て開かれたる第二回国際聯盟理事会は、之に依つて草案を作る必要上、各国より十二名の公法学者を召集して、準備委員会を組織した。斯くて一九二〇年六月末より七月末にかけて、ヘーグで所謂公法家会議を開催し、前後三十三回に亘つて議事を進め、該裁判所の構成案を審議した。この会議に依りて国際司法裁判所の立案を調査し、決定した結果、之を同年十月ブリユツセルに開かれた第十回聯盟理事会に附し、理事会は之れを審査して後、該規約案は、聯盟規約第十四条の規定と異り、紛争当事国に対し応訴の義務を認めたるものであつたから、此の原案に訂正を加へ、応訴義務の点を削りたる上、第一回聯盟総会に附し、而して玆に規定の成立を見たのである。此の義定書《(議)》に批准して現行の国際司法裁判所が出来た。公法家会議には、当時ブラツセル駐在公使安達氏が、外交官の資格でなく学者として、我国を代表して参列し、大いに尽す所があつた。
 次に此の裁判所の梗概を述べることにするが、前述の如く之は一九〇七年、第二回ヘーグ会議で設立された仲裁裁判所と混同する事の出
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来ないものであつて、此の二者は各独立、無関係に存続するものである。此の仲裁裁判所の我国代表の裁判官は、穂積(陳重)・富井両博士、幣原及び私(織田氏)の四名である。
      三、裁判所の取扱ふ問題
 国際司法裁判所の取扱ふ事務は法律問題である。仲裁裁判所は、凡ゆる紛争問題を管轄するのであるが、法律問題を取扱つても差支ない国際司法裁判所は、苟も司法裁判所である以上、訴訟の拘束関係を認めねばならぬ。即ち一般に応訴の義務を認めねばならぬ。此の問題に就ては公法家会議で、大いに議論のあつた所で、我国委員は応訴の義務を否認した。英米委員も時期尚早なりとして、之は各国の選択に任せた。若し、無条件又は相互条件で応訴の義務を認むる国あらば、議定書中に署名することを要すとした。が実際は、相互応訴即ち相手方が認むれば、当方も認めるとする国しか無い。斯る国家間に於ては、一方で出訴すれば他は応訴義務あり、従つて裁判所は其の紛争に就て管轄権を有することとなる。
 之に反して我国の如き、一般応訴を認めざる国に在りては、双方相談の上に、国際司法裁判所の裁判を仰ぎたいと云ふ時に、始めて私訴応訴がある。即ち此点が仲裁裁判所と同一である。其の裁判官は如何にして選出するか、之は選挙に依る。総会(議会に相当する)、理事会(政府に相当する)が独立に選挙して、双方に於て絶対多数を占めた者が当選者となる。
 而して、裁判官に選挙さるべき人の資格は、徳望高くして其の国で最高司法官に任ぜられる資格ある者、若しくは国際法に堪能なる法律家であることだ。此の規程に依れば、私は正しく無資格である。此の候補者は常設仲裁裁判所のある国で、仲裁裁判官が斡旋して、国籍を不問四人の候補者を挙げる。但し、自国人を候補とする場合は二人に限る。我国では私と立博士が推されたが、選挙運動の困難上、私一人を応援することとなつた。
      四、諮問手続に就て
 総会は聯盟各国は皆平等の投票権が有るけれ共、理事会は、投票権の有るのは日・英・米・仏・白・ブラジル・西・希臘の八ケ国だけである。故に理事会と総会で絶対多数を得ることは困難である。第一回選挙の結果は、私が当選したのではなくて、実は日本国が当選したのだ。又、私の名が簡単である為に選挙されたのであると言ひたい。正裁判官は一名づつ各国選出し、予備裁判官は四名である。而して、裁判官の席順は年齢に依る。次に、此の裁判所の権限に就て一言する。
 聯盟規約第十四条で定むる所で、訴訟事件に対して裁判権があり、又、総会・理事会よりの諮問事件に附て諮問する権限がある。即ち、裁判権と諮問回答権の二つである。が後者に就ては一言の規定もない一昨年諮問事件審議手続及び諮問回答権に就いての議論が有つた。が草案成らず、理事会でも同様で、総会では致し方なしとして、裁判所の自由裁量に任じた。元来裁判官が他の諮問官となることは考へられぬ事である、裁判所は独立し、其の意見は拘束力を有すべきだ。単なる諮問回答に過ぎずして拘束力無しとせば、それは裁判官の威厳を損
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する結果を招く。故に、諮問手続は裁判手続と同一にする。それ故諮問も公開される、苟も諮問事件が理事会総会から提出さるれば聯盟各国に通知し、其の諮問回答は公開するに止まらず、裁判所では利害関係国として陳述を欲する国々は、公開法廷で口頭弁論をなし得る。此の裁判所は全員部と特別部とに分ち、後者は更に、労働部・交通部及簡易手続部(書類のみで審理する)に分れてゐる。
      五、第一回開廷と諮問事項
 第一回の諮問事件は、
 (一)第三回国際労働会議の和蘭労働代表者は、ヴエルサイユ条約第三八九条第三項に適合するや否や
 (二)国際労働組織の権限は、農業に使用せられる者の労働条件に及ぶべきか。
 更に附随条項として、農業に関するものであるが、国際司法裁判官は大いに努力して、裁判所の信頼を増大せしめん事に努めてゐる。戦後の国際関係は人工的に作られた様な所がある。国際紛争が後日多く起るとすれば此の点からであらう。
 国際司法裁判所は聯盟の機関なるが故に、国際聯盟と其の生命を共にすべきである。殊に米国の聯盟不加入は大なる打撃である。されど安んずべきは、米国は国際聯盟に恐怖を抱いて、之を破壊することも不辞の観はあるが、国際司法裁判所は飽くまで擁護せんとするの傾向がある、米は聯盟に加入はせぬが一人の正裁判官を出す(これは南米諸国の投票に依りしが如し)要するに米は自国の組織を其のまま世界に応用して国家聯合を作り、国際司法裁判所を米の高等法院の如くし而して国際紛争を解結《(決)》せんと希望してゐる。故に国際聯盟其の者の運命は断言するに難けれども、国際司法裁判所は将来大いに嘱望するの価値ある事は、我田引水の論を離れて公平に断言し得る所である。

      附記 重要規約梗概
 以上は織田博士の説述された所であるが、次に特に博士の所説中の国際司法裁判所規約の重なるものに就て、参考の為め叙述すれば、第二条に於て裁判所は、徳望高く且各其の国に於て最高司法の職を行ふに必要なる資格を有する者、又は国際法に堪能の名ある法律家中より其の国籍の如何を問はず選任したる独立裁判官の団体を以て、之を構成することを規定してある、而して本職判事十一名及予備判事四名の十五名を以て之を構成する。次に第十七条には本裁判所判事は如何なる国際的事件に就ても、代理人・補佐人又は弁護人の職務を行ふことを得ず、予備判事に付ては裁判所に於て其の審理を担当する事件に関してのみ、本条の規定を適用すとあり、第十八条には本裁判所判事は他の判事の全員一致を以て、必要なる資格を欠くに至りたることを決定せられたる場合を除くの外、其の職を奪はるゝことなしと規定し、また判事は其の職務執行中、外交官の特権及免除を享有する。それから判事は総て職務を執るに先ち、公開廷に於て全然公平に、且総て良心に従ひ其の職務を行ふことを厳粛に宣言することを要する。而して裁判所の所在地は云ふまでもなく海牙であつて、裁判所は毎年一回開
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廷する。それから裁判所の管轄に対する規定には聯盟員たる国のみが裁判所に出訴するの資格を有することゝし、現行条約に特別の規定ある場合を除くの外、本裁判所を他の国に公開する条件は、聯盟理事会之を定む。如何なる場合と雖、当事国に対し裁判上の不平等を来さしむることを得ない、更に第三十六条には本裁判所の管轄は、当事者が裁判所に付託する一切の事項、及現行の条約に規定する特別の事件に亘る。聯盟国及聯盟規約附属書記載の国は、本法附属議定書の調印若は批准の時、又は其の後に於て自今特別の合意なき場合と雖、同様の義務を承認する国家に対し、左記各号の法律的性質を有する紛争の全部又は一部に付、本裁判所の裁判管轄を義務的と認むることを宣言することを得。
 イ 条約の解釈。
 ロ 国際法上の一切の問題。
 ハ 国際義務の違反と為るべき一切の事実の存否。
 ニ 国際義務の違反に対する賠償の性質及範囲。
 前項の宣言は無条件に又は多数若は或聯盟員、又は国に於て相互的に之を認むることを条件とし、又は一定の期間を附し之を為すことを得ると規定してある。更に訴訟手続に就ては、第三十九条に裁判所の公用語は仏語及英語とす、当事者全手続を仏語を以て為すことを合意したるときは、判決の宣告は仏語を以て之を為す、当事者全手続を英語を以て為すことを合意したるときは、判決の宣告は英語を以て之を為す。用語の決定に関し何等合意なき普通の場合に於いては、当事者は口頭弁論に於いて両国語中、其の選択する国語を使用することを得判決は仏語及英語を以て之を為す、其の場合に於ては裁判所は同時に右両正文中、何れを以て決定文と為すかを示すべし。裁判所は当事者の請求に依り、仏語又は英語以外の国語の使用を許可することを得ると定めてある。
   ○織田万歓迎晩餐会ハ前掲資料ニヨレバ「十一月二日」トアルモ、「増田明六日誌」、「竜門雑誌」第四一四号(大正一一年一一月)ニハ、十一月二日ハ午後六時ヨリジヨルダン博士・デーン博士歓迎晩餐会開催ノ記録及記事アルヲ以テ、ココニハ「集会日時通知表」ニヨリテ十一月十七日トス。