デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.671-675(DK360230k) ページ画像

大正14年5月11日(1925年)

是日栄一、当協会会長トシテ、当協会第五回通常総会ニ於テ可決セラレタル平和議定書ニ対スル声明ヲ、外務大臣幣原喜重郎ニ提出シ、同時ニ国際聯盟事務局長ジェームズ・イー・ドラモンド、国際聯盟協会聯合会書記長テオドール・リュイセン及ビ各国ノ国際聯盟協会宛発送ス。


■資料

社団法人国際聯盟協会会務報告 大正一四年度 同協会編 第二―三頁 大正一五年四月刊(DK360230k-0001)
第36巻 p.671 ページ画像

社団法人国際聯盟協会会務報告 大正一四年度 同協会編
                     第二―三頁
                     大正一五年四月刊
 ○三 総会・理事会・委員会
    (一)第五回通常総会
 本協会第五回通常総会は、昨年五月九日丸の内保険協会に於て、阪谷副会長を議長として開かれた、決算の承認、予算の協算《(マヽ)》、役員の選挙をなし、亦国際聯盟に於て御尽力になられた、石井・林・安達・松田・杉村の諸氏に対して、我国民の深厚なる謝意を表する決議をなし平和議定書に関し次の決議を満場一致可決しました。

図表を画像で表示平和議定書に対する日本国際聯盟協会第五回

   平和議定書に対する日本国際聯盟協会第五回   通常総会の声明 国際聯盟第五回総会に於て採択せられたる、国際紛争平和的処理に関する議定書は、戦争の機会を減じ、軍備の縮少を実現せんとする一大計画であつて、日本国際聯盟協会は当初より之が成立を熱望してゐたのであるが、その効力発生に必要なる批准数を得るに至らなかつたことは、吾々の極めて遺憾とする処である。  右の計画は、来るべき第六回聯盟総会に於て再び審議せらるることになつたが、吾々は平和議定書の如き計画は聯盟の当然行くべき道を指示して居ることを確信して居る立場から、其成立を希望する。  然し若し国際間の現状に照らして、右議定書を其のまゝ実現するに困難なる事情ある場合には、相当の修正を加へても其の大趣旨を貫徹せしめる様にしたい。  以上の立場から日本国際聯盟協会は 一、国際聯盟総会が右議定書を慎重に研究し修正すると否とに拘はらず、議定書が有する大目的を実現するやう努めらるゝことを切望し、尚ほ 二、日本帝国政府が右議定書討議に際して世界のよりよき平和を実現すると云ふ高所から、議定書の大精神を達成するに必要な努力を致されんことを希望する。 



○下略

 - 第36巻 p.672 -ページ画像 

(国際聯盟協会) 会務報告 第三一輯 自大正一四年四月二七日至同年六月一二日(DK360230k-0002)
第36巻 p.672 ページ画像

(国際聯盟協会) 会務報告  第三一輯 自大正一四年四月二七日至同年六月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    五、平和議定書声明の所置
総会に於て満場一致可決されたる平和議定書声明は、五月十一日渋沢会長より外務大臣宛提出すると共に、国際聯盟事務局長イーリック・ドラモンド氏、国際聯盟協会聯合会書記長テオドール・リュイッセン氏及各国聯盟協会宛送附せり。
  ○是ヨリ先、大正十四年二月六日ニ開カレタル当協会第五十一回理事会ノ決議ニヨリ、理事会ノ名ヲ以テ平和議定書ニ対スル理事会ノ決議ヲ外務大臣ニ提出セリ。



〔参考〕外交余録 石井菊次郎著 第一七七―一八四頁昭和六年六月三版刊(DK360230k-0003)
第36巻 p.672-675 ページ画像

外交余録 石井菊次郎著  第一七七―一八四頁昭和六年六月三版刊
 ○第一編 第七章 第三節 総会と理事会
    三、寿府平和議定書
 翌一九二四年、聯盟総会は一躍して戦争全廃を期する、謂ゆる寿府議定書なるものを議決したが、議定書の速成は心ある聯盟支持者に鮮からざる憂慮を起さしめ、間もなく軽進者流に深甚の教訓を与ふるに終つた。是より先、英国労働党内閣の首相兼外相マクドナルド氏と、仏国社会急進党内閣の首相兼外相ヱリオ氏とは、何れ劣らぬ平和論者であつて、両人の肝胆相照し、積年の問題たる独逸の賠償問題を倫敦会議に於て、独逸の首相及外相等を招き談笑の間に纏め、謂ゆるドウス案の実行となり、延て仏国のルゥル占領軍を撤退することとなり、玆に欧洲政局を陣営外交より円卓外交に、完全に引き直すの奇功を奏したのであつた。此は英・仏両国の平和内閣の顕著なる成功として、世界一般に謳歌せらるる所となつた。実に一九二四年七月より八月に亘りての一大事件である。マクドナルド氏とヱリオ氏とは、倫敦会議成功の余勢を以て寿府に於ける国際聯盟総会に臨み、玆に更に大なる成功を収めむと申合はせたかに思はれた。欧洲の平和を打建てたる彼等は一気呵成、玆に世界の平和を確立せしめむと企てたのであつた。元来総会と言はず理事会と言はず、英・仏の間常に緩急の意見相違ありて、他国は或は英に賛し或は仏に同し、結局双方歩み合ひ、両者の中頃に妥協するを例としたのだが、今回は夫と趣を異にし、英・仏両首相が相結托して来たから、総会を風靡するの慨が見えた、況んや彼等の主張する国際平和実現手段としての、軍備制限乃至義務的仲裁裁判の如きは、他国殊に小国側一般の宿論と能く投合する所であるから誰か之に向つて反声を放つものあらんやで、世界平和速成の声は玆に至つて、江河の決するが如き勢を以て突進し出した。附和雷同の政客は皆デマゴグ的狂熱を発揮し、是非とも此総会中に世界平和の大憲章を成立せしめむと意気込むだのであつた。軍備制限は総会第三委員会の主管であるから、其方で進捗せしめ、同時に第一委員会に於ては、第一に従来聯盟規約に於て已むを得ざるものとして、存在を黙認したる戦争条項を悉く改訂して、将来規約より戦争の這ひ出づる孔を悉く塞ぎ去り、以て戦争を現世界より全然根絶せんと企て、第二に総ての国際紛争は義務的仲裁裁判に依つて、平和的に処理すべき条項を定め
 - 第36巻 p.673 -ページ画像 
むとした。然る上に猶ほ武力に訴ふるものあらば、夫は謂ゆる侵略者として、平和の敵として聯盟各国の合力を以て膺懲せんと高唱した。其目的の美にして理想の崇高なる言ふにや及ぶであるが、而も国際平和の樹立てふ至高至大の重要事業が、斯るデマゴグ的運動に由り旬日の間に達成せらるるものであらう歟。一夜造りの大伽藍が砂上の楼閣世間の物笑に終りては、聯盟発達の前途に由々しき障碍とならざるやこれ実に日本代表部の深憂せる所であつた。我等は冷静の態度を取り徐々と着実の進歩を遂げんと欲して、他国同僚の頭を冷さんと努めた然し彼等の熱は高くして一服の清涼剤では何の利目もなかつた。彼等は鹿を追ふて山を見ざる猟師となり、徒らに功を急ぎ出したから仕事は自ら粗漏となつて来た。侵略戦争の定義及其適用準用に至り、殊に然るを見た。彼等は聯盟規約第十五条第八項の問題にして、理事会が之を内国専管問題と認めて手を引き、其結果として起りたる戦争に就ても、戦争の手出を為したるものを侵略者と視ることに立案した。而も其立案は第一委員会分科会に於て、日本代表を除きては全部の賛成を以て通過した。抑規約第十五条第八項には、紛争当事国の一方に於て紛争が国際法上、専ら当事国の管轄に属する事項に付生じたるものなる事を主張し、聯盟理事会之を是認する時は、理事会は其旨を報告し、之が解決に関し何等の勧告をも為さざるものとすとある。例へば在留外国人差別待遇問題に関し、日・米両国間に紛争起り之を聯盟理事会に提出したるに、理事会が米国側の主張通り紛争は専ら米国管轄の問題より生じたりと為して、其旨を報告し他に何等妥協の途を図り又は解決案を具して勧告する事なしと仮定せんに、紛争は聯盟より見放されて自然に進むべき途を辿りて、終に戦争状態が現はれた場合国際聯盟は曩には紛争は内国問題であるから我不関焉と云ひ、即ち我には斯種問題の管轄権なしと言ひながら、今は自ら進むで日本は戦争の手出をしたから侵略者であると裁断し、聯盟各国に命じ、日本膺懲の戦争に赴かしむる事になるのである。斯る没道理なる案が分科会で通過するなど奇怪千万な事であつた。我輩は日米戦争など夢想だにせざるは勿論であるが、左ればとて斯る奇怪千万なる案が現はれた以上、今まで隠忍して居つた日本代表部は最早此上黙過すべきに非ずとなし各代表手を分けて主要国代表を歴訪し、日本は分科会の決議に断然反対すと声明し、問題の進捗を欲するなら本項を削除するか、又は我より提出すべき修正を採用すべしと迫つた。躁急連は日本若し反対ならば決議に際し投票を棄権して貰ひたし、此重要事業将さに成らんとするに際し、日本の横鎗のため挫折せしむる訳には行かない。加ふるに斯くては世界平和に対する日本の責任は余りに重大であると、脅迫がましく逆襲して来た。我輩は宜しい日本の責任は日本で引受ける。此大業に直面して躁急事を誤るの責任こそ、日本の避けんと欲する所であると酬い、日本代表は斯る重要問題に対し、投票を棄権するが如き無責任なる行動に出る能はず、投票となれば明白にノウと言ふの外なしと断言した。斯くて総会将に終らんとするに際し、図らずも一大難局は起つた。之躁急連中の軽挙の致す所、日本側としては誠に已むを得ざるに出でたのであつた。謂ゆる日本事件と称せられたものが之で
 - 第36巻 p.674 -ページ画像 
ある。此時聯盟の主脳とも謂ふべき理事会各員と、総会議長外二・三の者秘密会を開き、善後策を講ずることとなつた。其席上我輩は聯盟が此大問題に逢着して、余りに躁急にして軽挙に失したるを指摘し、分科会の決議は余りに無理解であると喝破し、玆に患者あり、来りて苦痛を訴へ療治を乞ふたるに対し、其は拙者の能力の外なり拙者は何等の薬石をも勧告する事克はずとて、手を引きたる医師ありと仮定し患者が苦痛の余り劇薬を服用したりとせば、諸君は此患者を劇薬使用違犯として罰する積りなりやと借問した。仏国代表ブリアン氏先づ開口、石井子爵の言を聴き問題の重大性及決議の妥当ならざるを解せり自分は何とかして日本に満足を与へざる可らずと思考すと述べた。満場終に「ブ」氏に賛同し分科会は再考を促され、日本の満足すべき修正に依つて謂ゆる日本事件は、首尾よく結了を告げたのであつた。偖斯うなつて見ると各国代表中、今まで心裡に思ひながら口外し得ざりし連中は、来りて日本代表部に祝詞を述ぶるのがあつた。各代表は今更の如く慎重審議の必要を感じ出し、終に寿府議定書なるものは総会に於ける各代表間の一応の決議として、之に条約署名の形式を与へず単に聯盟より各聯盟国に照会して、其考慮を需むるの手続を採ることとなつた。泰山鳴動鼠一匹と云ふ始末であつた。而も其一匹の鼠すら後に至り、英国の断乎たる反対の為め生死不明となつた。寿府議定書は其後毎年の総会に於て回想せられ論及せられる、猶存命なれば活動せしめたし、死せるものなら復活せしめたしとは一九二七年の総会にも現はれた希望であつた。本件に就き我輩は大正十四年九月総会中、ヂェネバに於ける国際新聞通信員協会午餐会に、理事会同僚と共に招かれた席上に於て小演説を試みた、大要左の通りであつた。
  「ヂェネバ議定書は已に死せりや、夫とも未だ生存するものなりやとは吾人が毎日受くる質問であるが、之に対する答案は国に因り人に因つて異るであらう。
 私は此問題に正面から答弁する代りに、一の日本の比喩的逸話を諸君に御紹介しようと思ふ。西暦千七百年頃は我日本は数百年に亘る封建戦争で疲弊し、人民は只管平和を望むで已まなかつた。其時天下統一を志し大業を企てたのが織田信長で、豊臣秀吉之に次だが大成は終に徳川家康に依つて実現せられた、或る人が此三偉人の性格及事業を比考して、吐血鳥の三俳句を擬作した、作に曰はく、躁急暴戻なる信長
 鳴かなくば殺してしまへほととぎす
権柄なる秀吉
 鳴かなくば鳴かして見ようほととぎす
陰忍智謀の家康
 鳴かなくば鳴くまで待たうほととぎす
(此時大拍子)諸君、天下は終に家康の手に帰し、三百年の平和は彼の陰忍と智謀とに依つて日本に築かれました。私は汎く世界各国の歴史を読渉して、未だ三百年の継続せる平和の例を他国に見出すことが出来ませんでした。世界の平和を使命とする国際聯盟としては、須く平和鳥を殺すことなく、其嚠朗たる奏楽を聴くの日を待つ
 - 第36巻 p.675 -ページ画像 
のが賢明の策ではありませんか。」
 其翌日巴里のプチ・ジュルナール紙上に、右午饗会に関するヂェネバ通信が現はれ、其中に石井子爵はヂェネバ議定書に関し、日本の比喩的逸話を紹介すと冒頭し満座を驚かしたが、一同は其逸話の婉雅なる妙味と高遠なる哲理を含むを見て、是ぞ議定書哲学と称すべきだと評し合つた云々の記事が見えた。
 寿府平和議定書に於て、辛き経験を嘗めた国際聯盟は、躁急熱狂の大事を誤る所以を深く悟り、今や堅忍不抜の精神を以て国際平和の大業に当つて居る。軍備縮小準備委員会設けられて玆に四年、仲裁裁判安全保障の問題亦特に小委員会に依つて審査中である。斯る大事業は決して速成を望む可きにあらず、徐行し続行して終局の大成を期するの外に途はない。聯盟が這般の真理を飽くまで会得したるは、蓋し寿府平和議定書の賜である。
  ○栄一、是年三月ヨリ約半歳病ノ為メ摂養ス、三月初メ大磯ニ転地セシモ多クハ自邸ニアリ。五月九日開カレタル総会ニハ出席セズ。