デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.119-122(DK370017k) ページ画像

大正15年11月23日(1926年)

是日、当協会主催第二回東洋赤十字会議参列者招待茶話会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一臨席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

社団法人国際聯盟協会会務報告 大正一五年度 第九頁昭和二年五月刊(DK370017k-0001)
第37巻 p.119 ページ画像

社団法人国際聯盟協会会務報告 大正一五年度 第九頁昭和二年五月刊
    九 招待会
○上略
 十一月二十三日 渋沢子爵邸に於て東京に開催された第二回万国《(東洋)》赤十字大会《(会議)》参列者を招待す。
○下略


子爵及外国人会見記録 【第三回《(二)》東洋赤十字会議参列海外委員歓迎茶話会に於ける挨拶】(DK370017k-0002)
第37巻 p.119-120 ページ画像

子爵及外国人会見記録              (渋沢子爵家所蔵)
    第三回《(二)》東洋赤十字会議参列海外委員歓迎茶話会に於ける挨拶
   十一月廿三日午后三時、国際聯盟協会主催にて第三回東洋赤十字会議参列の海外委員を飛鳥山邸に招待し、茶話会を開いた。其際の青淵先生の挨拶は左の如くである。
 - 第37巻 p.120 -ページ画像 
 今日国際聯盟協会に於て、此度東洋赤十字会議に御参列の皆様をお招き致しましたところ、折悪しく雨天でありまして、私は主人役として、恐縮千万に存じます。誠に手狭では御座いますが、天気が好ければ庭でも散歩して頂きますことも出来まして、いくらか御慰め出来ますがそれも出来ませず、皆私の到らぬ為めであると深く御詫を申上げます。併し大して降らぬのをまだしもと自ら慰め、それも皆様の御精進の然らしむるものであつたらうと考へて居る次第で御座います。
 私は赤十字社の事に就ては、全然門外漢でありますけれども、平和を希望するものでありまして、赤十字が平和の招来に対してなさるゝ努力は、常に誠に愉快に感じて居るのであります。今日国際聯盟協会でお招き致しましたのも、蓋し方面は国際平和に対して努力しつゝあるからであります。本協会は御承知の通り世界大戦によつて生れました所の、国際聯盟を支持し徹底せしむる機関で御座いまして、未だ微力ではありますが、世界平和の為に尽力致して居るのであります。勿論東洋に偏在する日本の一団体のことでありますから、大したことも出来ませぬが、其創立以来会長となり、其発達には力を入れて居る訳で御座います。
 此処に平和にちなむ赤十字社の方々と、国際聯盟協会の吾々と共に相会して、愉快に歓談することの出来たことは、蓋し無意味のことではなからうかと、私共の此些々たる会の為めに御多忙の時間を割かれ遠路尊来を得たことを衷心より感謝し、然るに拘らず天気も悪く、設備万端不行届のことを重ねて陳謝致す次第で御座います。


中外商業新報 第一四六三九号大正一五年一一月二四日 晩秋静けき飛鳥山に国際愛の集ひ 赤十字の海外代表者を渋沢子邸に招待(DK370017k-0003)
第37巻 p.120-121 ページ画像

中外商業新報 第一四六三九号大正一五年一一月二四日
    晩秋静けき飛鳥山に国際愛の集ひ
      赤十字の海外代表者を渋沢子邸に招待
第二回東洋赤十字会議で、目下来朝中の海外代表五十余名のため、国際聯盟協会長の
資格 で渋沢子爵は、廿三日午後三時からその飛鳥山の邸に招待会を開いた、今度の会議で平山男と共に、共同議長として働いた米国赤十字中央委員長ジヨン・バトラー・ペイン氏を始め、海外代表約四十名日赤の平山社長・坂本副会長・蜷川顧問、国際聯盟協会の添田博士など出席、園遊会の予定だつたのが午前中の冷雨のため、お茶の会に変更されたけれども
会場 に当てられた洋風大広間の総硝子の戸の外は、今を名残りの庭の紅葉が時雨に濡れて鮮かに室のなかには盛りの菊を飾られて、日本の秋の美しさはこゝに象徴されてゐる、メインテーブルを囲んで渋沢子の正面が平山男、右隣がペイン氏、一としきり歓談の花が咲いたあとで、渋沢子は
 折角御招待申上げた日が、雨降りで自分の罪のやうな気がしますが昼過ぎて雨がやんだのは皆様の徳のせいでせう、赤十字といひ、国際聯盟といひ、同じ国際平和の道に努力する吾々が、一堂に集ることが出来て非常に喜ばしいことです、今後とも協力して人類のために尽したいと思ひますと
 - 第37巻 p.121 -ページ画像 
挨拶 をのべ、ペイン氏がこれに答へて
 「戸外に暖い日は照らずとも、この室は美しい人の心で輝いてゐます」
と謝辞を述べて、四時すぎ名残りを惜みつゝ宴を終つた(写真は左端がペイン氏其右が渋沢子)○写真略



〔参考〕中外商業新報 第一四六四二号大正一五年一一月二七日 震災当時の同情に対し思出も新たな謝恩 各国赤十字代表を帝劇に招じ感激に満ちたきのふの謝恩会(DK370017k-0004)
第37巻 p.121-122 ページ画像

中外商業新報 第一四六四二号大正一五年一一月二七日
    震災当時の同情に対し思出も新たな謝恩
      各国赤十字代表を帝劇に招じ
        感激に満ちたきのふの謝恩会
諸外国の赤十字代表者が多勢来朝中を機会に、過ぐる大正十二年の大震災に当つて、物質的に精神的に多大の同情を寄せられたお礼の会―震災救援謝恩会が、昨廿六日午後二時から帝劇で開かれた、お客さんは例のペイン氏始め
 アメリカ、支那、印度、蘭領東印度、シヤム、ベルギー、イギリスイスパニヤ、フランス、ドイツ、オランダ、伊太利、諾威、バラグワイ、ポーランド、瑞典、濠洲
の赤十字代表として、第二回東洋赤十字会議に列席した人々である。主催が東京府・市・商業会議所となつてゐて、過ぐる日の思ひ出も新に馳せ参じた市民でさしも広い帝劇の各階が満員になつて、午後二時舞台の幕があくと、中央よりやゝ左に寄つて演壇が設けられて、その右側にペイン氏以下ずらりと外国代表が居流れ、左側は発起人代表として渋沢子・平塚知事・西久保市長・藤田東京商議会頭といふ顔ぶれである、先づ平塚知事が簡単な開会の辞をのべ、渋沢子の挨拶に移る
 あの大難の日に寄せられた、列国の同情が、真に醇乎なるものであり、災害が大きかつたがために、吾々の感謝の心も深く、今日のこの会を開くに至らしめたのです、今や罹災民の生活もやゝ安定し、たまたま列国代表の御来朝を見たので、この期に感謝の意を披瀝する次第です、どうぞ御帰国の暁はこの市民の謝意を国民にお伝へ下さい
と、これに答へてペイン氏が、前日摂政宮から受けたばかりの勲章を胸間に輝かして、破れるやうな拍手のうちに壇に立つ
 来朝以来、至るところで日米の国旗や、赤十字の旗で歓迎され、その何れもが誠意の迸しりであるがために、深く心を打たれました
と、今日この東京の復興ぶりを見て、日本国民の強さに驚いたこと、震災の二・三年前の米国議会は、油田問題で日本の松島事件のやうな騒ぎがあり、日本が米国を攻めやうとしてゐるなど流言を吐くものも出たが、誠意から出ぬものに真個の価値はなく、あの日の義捐金は忽ちにして予想以上に集つた、真に人道博愛のうへに立つ力の強さを祝福したいと述べて、この日の集まりの盛況は、偏に日本国民の誠意にあると結ぶ、次で西久保市長の発声で、起立の代表たちを前に堂をゆるがす万歳三唱、藤田会頭の閉会の辞で式を終り、余興としての「草摺引」や「勢獅子」を見物して、午後四時盛会裡に散会した
 - 第37巻 p.122 -ページ画像 
   ○十一月二十六日日米関係委員会主催ペーン招待午餐会開カレタリ、本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」同日ノ条参照。
   ○第一回東洋赤十字会議ハ大正十一年十一月二十九日ヨリ十二月七日マデシャム国バンコックニ開カレタリ。