デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.221-227(DK370052k) ページ画像

昭和3年11月11日(1928年)

是日栄一、当協会会長トシテ、芝区愛宕山ノ東京中央放送局ヨリ、第十回平和記念日ノ記念講演ヲ放送ス。


■資料

集会日時通知表 昭和三年(DK370052k-0001)
第37巻 p.221 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 日 午前十時半 ラヂオ御講演
   ○中略。
十一月廿六日 月 午前十時 国際聯盟協会蓄音器ノ件


社団法人国際聯盟協会会務報告 昭和三年度 同協会編 昭和四年五月刊(DK370052k-0002)
第37巻 p.221 ページ画像

社団法人国際聯盟協会会務報告 昭和三年度 同協会編
                       昭和四年五月刊
    ◇休戦記念日(十一月十一日)
ラヂオ放送
 渋沢会長 は「即位の御大礼に際して迎ふる休戦記念日に就て」と題して東京より放送し、中継により仙台・名古屋・大阪・広島・熊本より全国的に伝ふ。


竜門雑誌 第四八二号・第一〇四―一〇六頁昭和三年一一月 ○青淵先生説話集其他 御大礼に際して迎ふる休戦記念日に就て(DK370052k-0003)
第37巻 p.221-223 ページ画像

竜門雑誌 第四八二号・第一〇四―一〇六頁昭和三年一一月
 ○青淵先生説話集其他
    御大礼に際して迎ふる休戦記念日に就て
 私が只今紹介された渋沢栄一であります、第十回の休戦記念日に当り、国際聯盟会々長として、此席に於て、一言の所感を述ぶるを得るのは、私の光栄と思ふと同時に、大なる義務と感ずるのであります。それ故に、老衰の結果、とかく起居不自由で、殊に音声も通りませぬかと懸念しますけれども、今日は押して出席したのであります。聴衆各位には、どうぞ私の微衷を御諒恕下さるよう御願ひ申します。
 本年は、御即位の大礼を行はせられ、国を挙げて御祝ひ申上げて居る、誠に芽出度い時であります、又私個人と致しましても、昨年米寿に躋りました祝ひを、本年に至つて各方面から御催し下され、誠に恐縮に堪へぬのであります。斯く国を挙げて恭賀すべき時に当り、自身としても祝ふべきことの重なると云ふのは、長生きの御蔭でもありますが、上に世界に比類なき万世一系の 皇室を戴く有り難さであると思ひますと、私一生涯の中の最も喜ばしい思出になり、実に感激に堪へぬのであります。私は健康上、御大礼の盛儀に参列することは出来
 - 第37巻 p.222 -ページ画像 
ませんでしたが、今日此機会に中心の喜悦を申上げることの出来たのを、深く満足とするのであります。
 此曠世の御盛儀は、昨日行はれたのでありますが、十一月十一日と云ふ今日は、世界戦争の平和克復第十周年の記念日に相当するのであります。「戦争が済んでから、もう満十年になる、」平和の歳月が却て矢の如くに迅速であります。さりながら、戦争中の五年が決して短いものと申すことは出来ないのであります。殊に戦禍に苦んだ国に於きましては、此五年は単なる五年ではありません。取分け其国民としては、後年其子孫の運命に如何に災ひしたことでありませうか。無数の孤児寡婦の境遇を思ふ時に、其悲惨は単に戦場ばかりに限られて居ないことを痛感するのであります。
 最近物質文明の開展は、世界を日に月に縮少せしめて、各国間の利害関係が、非常に密接になつて参りました。殊に科学の進歩から、機械其他の新発明が加はつて、戦争を昔日よりは二重にも三重にも、激烈惨澹たらしめて居ります。つまりそれは、武器其他戦具の破壊力が極度に増加して来たと云ふ事実と、各国民の生活関係が、種々に入り組んで来て居ると云ふことでありますが、若し一旦戦争となると、此緊密な国際関係が根本から破壊されるからであります。それは近い例を言ふならば、恰も大正十二年の関東の震災が、東京・横浜などの大都市は、家屋のまばらな田舎町とは被害の程度が同日の論でなかつたのと同様であります。国際聯盟は此国際関係に起る紛争を、平和的に解決することを努めて来て居るものでありますが、曩に米国に於て催されたワシントン会議や、本年調印された不戦条約なども、亦此精神の現はれであると見ることが出来ませう。
 最近私が衷心喜びに堪へないのは、国際聯盟が其事業として、経済方面から世界の協調を図らうとして居ることであります。昨年も一昨年も私は此席から申上げましたが、凡そ国家が真正の隆治を希望するには、是非とも其政治経済を道徳と一致せしめねならぬものである。而して国際間の経済の協調が、聯盟の精神を以て行はるゝならば、決して一国の利益のみを主張することは出来ない。他国の利害を顧みないと云ふのは、正しい道徳ではない。所謂共存共栄でなくては、国際的に国を為して行くことは出来ないのであります。経済の平和が行はれて、始めて各国民が其生に安んずることが出来る。而して此経済の平和は、民心の平和に基を置かねばならぬことは、申すまでもありません。他に対する思ひやりがあつて、即ち自己に忠恕の心が充実して始めて能く経済協調を遂げ得るのであります。中庸に、誠者天之道也誠之者人之道也と云ふ警句があります。如何にも天は昭々として公平無私で、四季寒暑皆其時を違へず、常に誠を尽して万物を生育して居りますが、人間は之に反して互に相欺き相争ひ、此天の誠を人の道とすることを忘却して居るのは、実に苦々しい限りであります。どうぞ前に申した通り、一人一国の利益のみを主張せず、政治経済を道徳と一致せしめて、真正なる世界の平和を招来せんことを、諸君と共に努めたいのであります。
 玆に国家の大典を行はるゝに際して、休戦第十周年の記念日を迎へ
 - 第37巻 p.223 -ページ画像 
得たことは、或は永遠の平和を招来する現象であらうと思ふて、私は心から御祝ひ申上げる次第であります。
これで私のお話を終ります(十一月十一日東京中央放送局にて)


十一月十一日・休戦記念日広告(DK370052k-0004)
第37巻 p.223 ページ画像

十一月十一日・休戦記念日広告     (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
ラヂオ 東京中央放送局より(全国中継)―午後七時廿五分より 一、講演 「休戦記念日に就て」 国際聯盟協会会長子爵 渋沢栄一氏 一、同 「世界大戦の回顧」 伯爵 内田康哉氏 一、同 「題未定」 外務大臣男爵 幣原喜重郎氏 一、音楽 JOAKオーケストラ
   ○右ビラハ当日ノ各新聞ニ約二十万枚ヲ折込ミタルモノナリ。(国際知識第九巻第一号第九七頁)
   ○当日ノ放送ハ当協会ニヨリレコードニ録音サレタリ。
   ○平和記念日ニ於ケル放送ハ大正十五年・昭和三年及昭和四年ニモ行ハレタリ。各日ノ条参照。而シテ本年ハ「休戦記念日」ノ名ヲ用ヒタリ、イマ前年ノ例ニヨリ綱文ニハ平和記念日ノ名ヲ採ル。


国際知識 第一二巻第二号・第五五―五八頁昭和七年二月 休戦記念日の想ひ出 故渋沢子爵秘書役白石喜太郎(DK370052k-0005)
第37巻 p.223-227 ページ画像

国際知識 第一二巻第二号・第五五―五八頁昭和七年二月
    休戦記念日の想ひ出
                  故渋沢子爵秘書役 白石喜太郎
      (一)はしがき
 葬儀に、法要に、追悼会に紛れて居た淋しさ悲しさは、年改まり稍一段落となつた今日此頃泌々感ぜられる。渋沢子爵に仕へた十八年の教訓と慈愛と激励とに充ちた日々を思ひ返して感激禁ぜざるものがある。追想は果てしなく在りし日の種々の場面は浮んでは消えて行く。かたみがはりに展開する情景の一々に無量の感慨とゞめあへず、そゞろ眼底の熱きを覚える。そのくさぐさの情景の中に、クツキリ浮ぶは「十一月十一日」のことである。国際人であり、世界平和の熱愛者であつた渋沢子爵が、十一月十一日に如何に深き関心を有つて居たかは贅する迄もない。晩年の年中行事の一として休戦記念日の放送を楽しみにせられたことは、一般によく知られたことである。斯くて、「十一月十一日」は渋沢子爵を想ふ毎に、必ず聯想されるであらう日である。然も昨秋長逝の日が「十一月十一日」であつたことによつて一層深き感触を覚え、永久に忘るゝ能はざる日となつた。此意義深き日を記念せん為、稍近い年々の此日の子爵を記して見たい。
      (二)第十回休戦記念日の放送(昭和三年)
 午前九時飛鳥山邸へ行く。此頃朝の遅い子爵がもうすつかり用意を整へて、今日の講演の原稿に手を入れて居られる。西洋館の居間の北側の窓に面し、青羅紗を張つた低い円卓を前にして居られる。正面からは弱い光が差し、稍後の東側の大きな窓から美しい朝日が勢よく飛込んで居る。強弱二様の光の相交錯する辺りに、九十に近い子爵が眼
 - 第37巻 p.224 -ページ画像 
鏡も掛けずに筆を運ぶ様はどうしても画である。明窓浄几と題すべき形である。華盛頓会議や不戦条約の年次などを訊かれながら、盛に筆を加へられる。先づ之で宜からうと云ひながら、筆を擱かれたのが午前九時三十分。一覧を勧められて急いで目を通す。僭越ながら二・三の気付を言ふと大に然りとして訂正される。彼是する内に時間は容赦なく経ち、午前九時四十五分になつたので愈邸を後にする。駒込橋へ来ると御大典気分が横溢して居る。両側の紅白の幕が美しく、何となく変つた町を見るようである。それから色とりどりの奉祝提灯や、各種の幕に輝く町々を縫ふて宮城前に出る。二重橋前の凱旋道路に千に近い人だかりがある。よく見ると二台の神輿が揉みに揉んで居るのを老若男女打寄つて見て居る。余りに広き背景の前で極めて小さく動く神輿が、何となく間が抜けて居る。然し燦然と朝の陽に眩く輝く金色の鳳凰が、厳かに場を圧する様には頭の下る感がある。
 巴町の通りの紅白紫の内を抜けるとJOAKの坂である。例によつて恐しく急である。前の車の子爵の中山帽が右に左に揺れるのが気になる。ハラハラして居る内にあの無趣味な放送局の建物が見え、玄関からホールを抜けて例の応接間に入る。
 紅茶呑む間もなく、国際聯盟協会の奈良君の注文で「鳩の便り」を始められる。
 「今日は第十回の休戦記念日で、愛宕山から記念放送をしましたが偶々大阪放送局で鳩の便りを催すのを聞きまして、一言少年少女諸君に対して申し上げます。
 記念日に於て何が必要であるかと云ふと、記憶が必要であると申さねばなりません。即ちよく覚える事が必要であります。記念日は記念が意義があるのではなく、記憶するといふ事が尊いのでありますこの点から考へましても人は記憶と云ふことが必要であります。此記憶は少年時代から心掛けて、練習せねばなりませんから、小学校時代から注意するやうにしたいと思ひます。其れには一の方法があります。心の用ひ方が大切であります。或事に感触を強くしますとよく記憶します。きわ立つた事がありますと感触を強くします。之が重要な手段であります。然し手をツネルとか頭を打つことかによつて、感触を強くするのは品が悪いので面白くはありません。」
 国際聯盟協会主事奥山清治氏が入つて来る、話を切つた子爵がポケツトから原稿を出しながら奥山氏に話しかける。
 「此間戴いた原稿を少し手を入れましてこんなのが出来ました。どうも充分ではありませんがこれでやらうと思ひます。一つ見て下さい」
 「子爵は飛鳥山邸を出掛けるまで頻りに筆を入れて居られました」
 「どうもありがとう御座います。子爵がお話下さると云ふだけで結構で御座いますのに、かくまで熱心にしていたゞきますのは、実に御礼の申しようもありません。それでは拝見致します」
 奥山氏が黙読する間に子爵は「鳩の便り」の「メツセージ」を続けられる。
 「私は寝る時と起きる時を利用します。特に寝る時が大切でござい
 - 第37巻 p.225 -ページ画像 
ます。誰でも寝付くまでは数分若しくは十数分かゝります。此時間に其日のことを想ひ返します。すると彼の時はどう、此の時は斯様と目の前に浮びます。叮嚀に幾度も繰り返しますと記憶出来ます。
 此の間病気で引籠つて居る間に、梁川星巌の詩を十日ばかりも見ましたが、未だによく覚えません。若い時は三度か五度読めば記憶しましたが、此頃では記憶のなくなつたのをつくづく嘆じて居ります何卒皆様はこれから記憶の練習をして、此嘆を発せられぬようにあり度いと切に希望致します。
 本日の記念日に当り記憶の必要を主張致しますのも、蓋し無用の弁ではないと信じます。」
 「これ位でよからう。ほんとに記憶と云ふことは大切でネー。私も人から頻りに記憶がよいと云はれたものだが、今云ふ寝る時に思ひ返した為めですよ。之は誰れに教へられたと云ふ訳でもなくやり出したが、真に良い方法であると思ふて居ります」
 此時頻りに黙読して居た奥山氏が顔を上げる。
 「誠に結構で御座います。非常によく直りました。それではお返し致します」
 時に午前十時二十分。事務員の先導で二階へ上る。今度は一昨年使用した北側の小放送室である。時間を無駄にせぬ子爵はアナウンサーと奥山氏を相手に直に口を開く
 「此頃は放送が中々上手になりましたネ。昨夜も田中総理の話を聞きましたが、まるですぐ傍で聞いて居るようで、調子と云ひ、話しと云ひ、其儘に聞え、とても京都からとは思へませんでした」
 「有線中継でして、中々よく入りました」
 「今日の子爵の御講演も有線中継で、全国へ放送せられる訳で御座います」
 「丁度田中さんのときと反対に、京都でも聞ける訳だネ」
 「左様で御座います」
 「一体話し方は如何云ふのがよいのですか。人によつては誠に聞き苦しいことがありますが………」
 「調子の早い方は具合が悪うございます。悠りの方がよく入るようで御座います。かん高い方でも早くなければ、そんなに聞き苦しくはありません」
 此間に時間は移り、余す所二分になる。
 「それでは有線中継のことを断りましてから、私が御紹介を申上げますから、それから御始め願ひます」
 子爵の首肯せられるのを待つてスイツチを切る。針の音も聞えるような沈黙が室を占領する。一礼したアナウンサーはマイクロホンに近づく。
 「JOAKこちらは東京中央放送局であります。これから御大礼記念国際講演に移ります。有線中継でありますから準備の都合で、暫く其儘お待ち願ひます」
 又しても異常の沈黙が広がる。事実一分経たぬかも知れないが、非常に長いような気がする。やがて沈黙は破れた。
 - 第37巻 p.226 -ページ画像 
 「お待たせ致しました。それではこれから御大礼に際して迎ふる休戦記念日に就て、と題する子爵渋沢栄一氏の講演がございます」
 子爵は徐ろに原稿を拡げ、眼鏡なしで始められる。
 「私が只今紹介された渋沢栄一であります。」反響のない室のせいか稍低く聞えるが、語調と云ひ、語勢と云ひ、極めてよい。とても朗読とは思へぬ話し振である。時々原稿をはなれて註釈を加へられ又原稿に戻るのが、極めて自然で、原稿を知らぬ人には恐らく分るまいと思はれる程である。
 咳を一度されたきりで、水一つ飲まれず、元気に続けられる。
 「これで私のお話を終ります」
と結ばれても猶話したそうに見えた。アナウンサーの結辞をまつて静かに室を出る。吉例によつて記念撮影である。子爵一人のが二枚一同のが一枚。かくして応接室へ下ると揮毫である。子爵は嫌な顔もせず健筆を揮はれる。其間に「鳩の便り」を纏める。揮毫を終つて子爵が寛かれた所へ「メツセージ」を朗読する。其内に奥山氏や放送部長の矢部謙次郎氏などが入つて来る。「メツセージ」を聴き終つた子爵が口を切る。
 「それでよからう。先刻も云ふたが記憶はほんとに必要ですよ。此頃は全然駄目でネ、此間も病中頻りに星巌の詩をよんだが、中々覚えられませぬ、その中に『詠蝶』と云ふのがありました。
  問紫依尋緑  傞々九十春
  翅軽惟是舞  眉細也能顰
  乍透衣中影  徐来扇外塵
  韓魂与荘夢  誰復弁其真」
 「それだけ覚えて居られゝば満点ですネ」
 「然し此外に大分あるからネ、中々うまいとは思ふが、覚えられないので閉口して居ります」
 「今日の放送は全国で聞いて居たそうですが、一体東京で聞くのと京都で聞くのと、時間はどれ程違ひますか」
 「さあ、有線中継ですと、一秒間に地球を七廻り半程廻るそうですから、違ふと云へば違ひますが、其差を言ひ表はすことは六かしいと思ひます」
 「それは何が走りますか」
 「電波で御座います」
 「ハヽア、左様ですか。驚いたものですネー」
 「今日は東京は勿論、大阪・広島・熊本・名古屋・仙台・札幌の各放送局で同時に放送しましたので、少くとも三十万人は聴いて居ります。」
 「それは恐縮ですネー。御覧の通り老人ですし、殊に声もかれて居りますので、苦しう御座いましたが、奮発してやりました。こんなにしてやつてもあまり効果はないかも知れませんが、何度言ふても直らんからと云ふて、やらなければ猶更直りませんから、強いて喋言つた訳で御座います」
 「ほんとにその通りで御座います。誠に有り難う御座いました」
 - 第37巻 p.227 -ページ画像 
 「それではもう一場所約束が御座いますからこれで失礼します」
 一同の目礼中に、学士会館で催される埼玉学生誘掖会寄宿舎々友会の米寿祝賀会へ向はれた。時に午前十一時三十五分であつた。
○下略
   ○「鳩の便り」トハ少年少女ノ為ニ当協会ヨリ発行セル小冊子ナリ。