デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.265-268(DK370063k) ページ画像

昭和4年7月20日(1929年)

是日、当協会臨時理事会当協会事務所ニ開カレ、栄一出席シテ故添田副会長後任者ノ件其他ニ就キ協議シ、副会長詮考ハ総裁及ビ会長一任ニ決ス。仍ツテ山川端夫ニ就任ヲ求メ、八月十六日ニ至リ山川是ヲ承引ス。


■資料

国際聯盟協会書類(四) 【昭和四年七月十三日】(DK370063k-0001)
第37巻 p.265 ページ画像

国際聯盟協会書類(四) (渋沢子爵家所蔵)
  昭和四年七月十三日
                国際聯盟協会々長
                      渋沢栄一
拝啓、至急御相談申度儀有之候に付、来る七月二十日正午本協会集会室に乍恐縮御繰合御来会被成下度、此段御願申上候 敬具
 追伸 同日は午後二時より保険協会に於て談話会有之候
   ○談話会ニ就イテハ次掲ノ資料参照。

 - 第37巻 p.266 -ページ画像 

(国際聯盟協会)理事会 自昭和三年四月(DK370063k-0002)
第37巻 p.266 ページ画像

(国際聯盟協会)理事会 自昭和三年四月
                   (社団法人日本国際協会所蔵)
    臨時理事会開催
                   昭和四年七月二十日正午
                   於 本協会事務所
出席者
 徳川総裁 渋沢会長 阪谷副会長 山川・二荒・田川・松永・宮岡・林・内ケ崎・荒木・坂本各理事 大倉監事 奥山主事
○中略
一、渋沢会長より故添田副会長の後任として、理事中より若くは理事以外より副会長選任に関し提案ありたる処、林理事より其詮考は総裁及会長に御一任したき旨動議あり、一同賛成。
○下略


(山川端夫)書翰 渋沢栄一宛(昭和四年)八月一六日(DK370063k-0003)
第37巻 p.266 ページ画像

(山川端夫)書翰 渋沢栄一宛(昭和四年)八月一六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓仕候、愈御清適奉大賀候、陳者過般御指命相成候聯盟協会副会長ノ件、熟考ノ末謹テ拝授仕候事ニ決意致候、唯学薄ク経験ニモ乏シキ不肖ノ身ニ候間、何卒充分ノ御指導ト御鞭撻トニ依リ此重任ヲ果シ度ト存候、此段乍延引御回答申上度如斯ニ御座候 敬具
  八月十六日
                         山川端夫
    渋沢子爵閣下
神奈川県箱根小涌谷 子爵渋沢栄一閣下 親展
封 東京市外渋谷町 大山五 (栄一鉛筆) 八月二十三日控之如き回答状発送候事 山川端夫 (栄一鉛筆) 八月十九日一覧 (朱書) 昭和四年八月十八日入


渋沢栄一書翰 控 山川端夫宛昭和四年八月二三日(DK370063k-0004)
第37巻 p.266-267 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 山川端夫宛昭和四年八月二三日 (渋沢子爵家所蔵)
粛啓、爾来益御清適奉賀候、然ハ過般拝願いたし候国際聯盟協会副会長御就任之件ハ、御熟考之末御引受相成候事ニ御決意之趣、特ニ尊翰御恵投被下御厚意欽承仕候、早速徳川総裁・阪谷副会長其外夫々通知仕候間、御承引可被下候、尊書中ニ将来充分之指導鞭撻抔と頗る御謙損之文字《(遜)》を以て御懇示有之候得共、老生こと本職に任して厚顔今日まて継続致居候ハ、既に御熟知之事情にて、不得已一時を糊塗致し候義ニ付、是非近々篤と愚見も陳上致し御考慮相願申度と期念致居候間、
 - 第37巻 p.267 -ページ画像 
此段予め御聞置被下度候、右旅行中乍延引拝答如此御座候 匆々敬具
  昭和四年八月廿三日
                        渋沢栄一
    山川端夫様 親展
            貴下
   ○右ハ栄一自筆ノ下書ナリ。


国際聯盟協会書類(四) 【(控) 拝啓 客月二十日開会の本協会臨時理事会に於て…】(DK370063k-0005)
第37巻 p.267 ページ画像

国際聯盟協会書類(四) (渋沢子爵家所蔵)
(控)
拝啓
客月二十日開会の本協会臨時理事会に於て、添田副会長逝去につき後任選挙の件上程せられ、全会一致を以て徳川総裁及老生に、右指名方一任の儀決定相成候処、今般理事山川端夫氏を指名の上、同氏の承諾を得候に付、御承知被下度、此段御通報申上候 敬具
  昭和四年八月二十七日
                 国際聯盟協会々長
                     子爵 渋沢栄一


国際メール 第四二号・第五丁昭和四年九月一〇日 協会日誌(八月)(DK370063k-0006)
第37巻 p.267 ページ画像

国際メール 第四二号・第五丁昭和四年九月一〇日
(謄写版)
    ◎協会日誌(八月)
 二十七日 故添田副会長の後任として、協会常務理事山川端夫博士が副会長に就任せられた。


国際メール 第三九号・第一丁一九二九年七月二五日 露支問題と本協会の態度 昭和四年七月二十日国際聯盟協会臨時理事会に於て決定(DK370063k-0007)
第37巻 p.267-268 ページ画像

国際メール 第三九号・第一丁一九二九年七月二五日
(謄写版)
    ○露支問題と本協会の態度
  昭和四年七月二十日国際聯盟協会臨時理事会に於て決定
     (一)
東支鉄道問題に起因し、露支国交の断絶に至れるは、吾人の大に遺憾とする所である。露支両国は我親善なる友邦であるのみならず、東支鉄道は東西洋交通の大路であり、又満蒙地方に於ては、日本は抜くべからざる特殊の権益を有し、同地方の静謐は東洋の平和に関係する所極めて重大なるに顧み、一層此感を深ふせざるを得ない。
     (二)
露支両国共に不戦条約の加盟国であり、特に支那は国際聯盟の原締盟国であることを思ひ、吾人は両当事国が相互に戦争に訴ふるが如きことなく、飽迄協調の精神を以て、あらゆる平和手段を尽し、円満なる解決を見るに至らんことを信ずるものである。
     (三)
吾人は関係両国が全局の利害を顧念し、平和の支持を愆らざることを期待すると共に、我政府が右平和的解決の目的を達する為に、国際聯盟の精神に基き、慎重なる考慮を払はれんことを希望するのである。
   ○渋沢子爵家所蔵文書「国際聯盟協会書類(四)」ニ右決定文ノ案文アリ、其紙
 - 第37巻 p.268 -ページ画像 
上ニ朱筆ニテ左ノ書入アリ。
    昭和四年七月二十日国際聯盟協会協議会ニ於テ本案ヲ大体ニ於テ承認シ、字句ノ修正ヲ渋沢会長ニ一任セラレタル由ナリ。


国際聯盟協会書類(四) 【(印刷物・葉書) 第七十一回談話会案内】(DK370063k-0008)
第37巻 p.268 ページ画像

国際聯盟協会書類(四)         (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物・葉書)
    第七十一回談話会案内
拝啓 向暑の候益御清栄奉大賀候、然ば巴里に於ける独逸賠償再査定委員会に、本邦代表として出席せられ、来る十五日帰朝の森賢吾氏を御招きし、左記次第により御講話を願ふことゝ致候に付、御繰合せ御来駕被下度、此段御案内申上候 敬具
 一、日時 来る七月廿日(土)午後二時
 一、会場 丸ノ内三ノ四 保険協会
 一、講話 題未定        森賢吾氏
  昭和四年七月十三日
                      国際聯盟協会


国際メール 第四〇号・第六丁一九二九年八月一〇日 協会日誌(七月)(DK370063k-0009)
第37巻 p.268 ページ画像

国際メール 第四〇号・第六丁一九二九年八月一〇日
(謄写版)
    ◎協会日誌(七月)
 二十日○中略
第七十一回談話会として、森賢吾氏の独逸賠償再査定委員会会合に関する講演を保険協会講堂に開く。
   ○大正十三年九月十五日、当協会第三十五回研究会ニ於テ森賢吾ノ「独逸賠償金問題ノ経過ト外債ノ成立」ト題スル講演アリタリ。