デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.305-309(DK370078k) ページ画像

昭和5年6月29日(1930年)

是ヨリ先、四月十三日ヨリ、東京中央放送局ニ於テ、国際聯盟成立十週年記念ラジオ連続国際講座、放送セラル。是日最終日ニ際シ、栄一、当協会会長トシテ終了ノ辞「平和に対する努力」ヲ放送ス。


■資料

集会日時通知表 昭和五年(DK370078k-0001)
第37巻 p.305 ページ画像

集会日時通知表 昭和五年
六月廿九日 日 午前十一・五〇時迄ニ 東京放送局ニ御出向(愛宕山)


国際メール 第六二号・第一三丁昭和五年七月一〇日 協会日誌(六月中)(DK370078k-0002)
第37巻 p.305 ページ画像

国際メール 第六二号・第一三丁昭和五年七月一〇日
(謄写版)
    ◎協会日誌(六月中)
 廿九日 ラヂオ連続国際講座第十三講「日本と太平洋問題」米田実博士及講座終了の辞として、渋沢会長の「平和に対する努力」あり。


竜門雑誌 第五〇四号・第六九―七四頁昭和五年九月 ○青淵先生説話集其他 平和に対する努力(DK370078k-0003)
第37巻 p.305-309 ページ画像

竜門雑誌 第五〇四号・第六九―七四頁昭和五年九月
 - 第37巻 p.306 -ページ画像 
   ○青淵先生説話集其他
    平和に対する努力
 たゞ今紹介を受けた渋沢でございます。段々老衰しまして口中が悪くてお話しすることが満足でないと思ひますけれども、それに拘らずかうして出てお話しするのでありますから、多少分らぬ言葉はどうぞお聞き分け下さるのが、お聞き下さる方の義務とお考へを願ふやうにいたしたうございます。
 申上げます事は国際聯盟の事でございます、而して国際聯盟も最早や段々歳月を重ねて、満十年を迎へるやうに相成りまして、我聯盟協会でも記念の心をもちまして、夫々の学者・政治家といふやうなお方方にお願ひいたし、放送局の御高配を以て記念放送をいたしました、幸ひ各方面の学者方が皆各々その長所によつて、即ち国際問題に関する御意見を発表せられましたので、定めて皆様も大いにこれを価値あるものとお聴取り下されたであらうと思ふて、協会に於ても深く喜んで居りまする。玆にその記念の連続講話が一段落を告げましたから、私は名ばかりの会長ではありますけれども、協会を代表して講演者諸氏にお礼を申すと共に、また一般の聴衆諸君に、どうぞそのお聴き下さつた事をたゞ聴き流しになさらんやうに、十分に翫味し、またある場合には応用するといふことにまでして頂きたいと、お礼やら御依頼やら併せて申上げます次第でございます。
 これで私の本務は済む訳でございます。さりながら、斯く愚見陳述の機会を得ましたに付ては、たゞそれのみで終るのは甚だ物足らぬやうに考へまして、聊か感ずる所を申述べて見たいと思ひます。前に陳べました通り私は会長といふ名を有つて居りますけれども、国際聯盟協会の事については、知識が乏しくお役に立ちませぬ。それにも拘らずその虚名を、何時までも有つて居りますのは、その事柄の甚だ必要であると思ふのと、仮令物を知らんにも拘らず、兎に角この聯盟協会を必要と見てお仲間入りをした、その趣旨をどうかして貫きたいと思ふ為めであります。之が為め今日も九十の年を越えました身にも拘らず、尚且つこゝに罷出て、或は愚痴らしく聞ゆるかも知れませんけれども、かゝる陳述をいたすのでございます。
 私は学問界に甚だ縁の遠い者であります。さりながら浅薄ではありますけれども、支那の書物は少しは読んで居りまして、殊に孔子の著はした論語は、もう少年の頃から好んで読みました。斯く老衰いたしましても、始終見てゐるやうな次第であります。斯様な次第で論語の所謂忠恕の道だけは、人の本務として行ひたいと常に期して居りますそしてこれが完全に行はれたならば、人としても、更に進んでは国としてもまた世界としても、決して争ひなどなくて済むに相違ない。といふことを私は深く信じて居るのでございます。論語は二十篇あつて随分大部の書物でございますけれども、これを一貫する忠恕といふものが、其の精神でございます。多分里仁篇だつたかと思ひますが、曾子が孔夫子と一緒に居つて、孔夫子が「参也、吾が道は一以てこれを貫く」とかういつて言葉をかけられた時、曾子曰く「唯」即ち曾子が「畏りました」と答へた。無論そこには多勢の門人が居たのでありま
 - 第37巻 p.307 -ページ画像 
すけれども、誰もそれが分らなかつた。孔子が出られて後で、他の門弟達がいふには「あなたは『唯』といつたがよく分つたんですか」それに答へて曾子が「一以て貫く、その一とは忠恕の事である、『夫子の道は忠恕のみ』である」と答へた。論語二十篇を翫味すると忠恕の一に帰る。忠とは内自ら欺かず、恕とは己を推して人に及ぼすことである。この働きが完全になれば人たるの道はこれで全いものである、独り人の道の全いのみでない、王道もこれによつて行はれる、孔子がそこまで申したかどうか、それは書物に書いてございません。これは私の註釈です、曾子はそれ位までいつたらうかと思ふのですが、即ち忠恕といふものを最も必要として居る、忠とは何ぞや、今前に申す通り内自ら欺かず、恕とは何ぞや、己を推して他に及ぼす、所謂『我身をつねつて人の痛さを知れ』といふことに当らうかと思ひます。論語に「己の欲せざる所は人に施す事勿れ」とあります。これは論語の中でも大事な言葉であります。斯の如き事が完全に行はるれば、国として、一郷・一村として、更に小さくては一家としても、必ず円満無事に進んで行くに相違ない、又若しこの忠恕に反すれば、如何に親しい間柄でも必ず争ひが起るのであります。故に忠恕といふものは真に大事なことであります。論語二十篇、種々な部分があり、種々な言葉があるけれども、期する所はこの忠恕にあると云ふて差支ないのであります。私は論語を研究的に読んだ訳ではありませんけれども、一通りは理解して居ると思ふて居ります。而してまづ人たるものは忠恕の道を守らねばならぬと共に、一郷若くは一国、更に進んでは世界は忠恕によつて平和が維持され、相共に進み行くことが出来るものであるといふことを深く信じもし、また希望もして居るのです。故に私は例へばキリスト教信者とか、また仏教信者とかいふやうに、一つの信仰は有つて居りませんけれども、今の孔子の忠恕の教へによつて一の信念は有つて居ります。これあれば必ず家も治まり、村も治まり、一郷も治まる、広く申せば一国も治まる、否な更に大きくすれば世界も治まる、世界の平和といふものも、是非これから推し及ぼしたいものである、私かにかういふ念望を有つて居るのでございますにも拘らず、世界の有様を見まするといふと、悪くいへば弱肉強食――力ある者が力の弱い者を虐げる、賢い人が他の人を欺く、洵に忠恕などといふものは何処に在るか、或は失はれてしまつたではないかといふやうな有様でありました。交際が彼此繁くなり、人文の進むに従つて、その度が進んで行くといふ有様で、孔子をして今日に在らしめたならば、情ないと歎息せられるであらう、私は何とかしてこの世界平和といふものが、もつと心から成立つやうな途はないものかと、深く思つて居りましたのでございます。其内遂に世界大戦乱となりました。そして漸く世界の大戦乱が終つたについて、これから世界の平和を講ずる途がないもんであらうかと、独り一朝一夕に心配したんではございませんがマア甚だ至らん心を労して種々考へた訳であります。そこへこの国際聯盟といふものが成立しました。国際聯盟によつて平和を維持する手段があるといふことは、あまり突飛な話で、行きがかりの事をよくお話しないと接続が甚だ迂遠になりますが、これはどうぞ宜しく御諒解
 - 第37巻 p.308 -ページ画像 
を願ひたい、こゝに於て、なる程この方法は一方には精神を以てやるんだが、一方には事実を押へて平和を維持させる方法を講ずる、これも一種の方法であるなと深く考へ当りました。又国際聯盟を支持する目的で、各国に国際聯盟協会が組織せられ、日本にも終にこの国際聯盟協会といふものが出来ました。当時私は海外の事は余りよく知りませんからかくしてかうしてといふやうな、具体的の考案は有つて居なかつたのであります。併し丁度従来懇親であつた添田博士が、是非これを成立させたいといつて、私に大いに力を添へよと懇切に勧められました。のみならず添田君の極く親しい友人であり、私の親戚である阪谷男爵なども、是非組立てるといふやうなことで、私にもその会の創立に仲間に入つて力を添へよといふ、またそれには組織のみならずこれを維持するについても、多少他の方法に於て私にもさういふことに、力を添ふべき場所があるから、是非仲間に入つてくれといふ勧めでありました。多分築地の精養軒であつたと記憶しますが、協会を起すについての会が開かれまして、添田君が是非私にも出よと申して参りました。私は添田君から勧められる儘に、組立に対する楽屋うちの話は詳しく承知もせず出席したのでありますが、だんだん話が進みまして、国際聯盟協会といふ名を以て組立てることになり、それには会長がなければならん、会長には相当の年輩の者がよい、また会として費用もかゝるから、さういふ点も考へねばならぬ、といふやうなことから、私に是非立てといふことを、その場で添田君のみならず集りの人々から勧誘されました。私は甚だ意外の感を以て、知つた事ならいいけれども、海外の事は一も知らん、また外国語は英書も読めず、仏蘭西語も僅かに五十にも足らん位しか知らないやうな私が、そんな事に携はることではないと思つて、頻りに辞退しましたけれども、どうも私が絶対に辞すると、その日の国際聯盟協会の組織を妨げさうでございましたので、マア少し情に捉はれて「今日だけをお引受けするが到底これは私には出来ませんぞ」と申して、その場で会長をお引受けしたやうに記憶いたします。爾来今申す通り十年の歳月を経まして、今日に及んだのでありまするが、独り物を知らんのみならず、だんだん年をとつて忘れます。覚えるものでも覚えればまだよいが、覚えはせず却つて忘れるだけで、自然益々虚名を有つて居ると云ふ感じが強くなります。けれども直ぐ嫌やだと申しても、他の方々が困るだらうと思ふて、何だか嫌やとも申上げかねるといふやうな次第で、其儘になつて居ります。この場合愚痴を云ふやうになつて、甚だ恐縮でございますけれども、私の衷心から苦悶に堪へませんことでございますから、敢て申上げる次第であります。マア私の国際聯盟協会の会長といふのは右のやうな事情で、この十年の記念に、会の為めに講演をして頂いた皆様にお礼を申上げると共に、多数聴衆のお方々が、本会をよく認めて下さることを喜んで、これから更に皆さんに大いに御尽力を願はねばならぬといふ場合に、何だか自己の愚痴を申上げるやうに聞えるのは、甚だ恐れ入りますけれども、已むを得ず真相を臆面なく申上げるのであります。
 併しこゝに申上げて置きたいことは、私はこの国際聯盟といふやう
 - 第37巻 p.309 -ページ画像 
な大切な事を決して忘れず、また自分の力で出来得る限りの事は、仮令如何に老衰して居ても、敢て人後に落ちないつもりで居ることでございます。これを要するに、国際聯盟協会も設立出来、既に十年経ちました。此十年の間に相当の進歩をしたと申上げても、決して過言ではなからうと思ひます、またこれが必要なものだといふことはいひ得るだらうと思ひます、ただ不幸にしてこの私が、国際聯盟の事柄に未熟であるといふことは、飽くまでも恐縮でございますけれども、マア今まで知らんながらも、なほよく忍耐してやつて居るといふことを、せめてもの事と御諒察を願ひたいのであります。そして大いにこれから先、またかゝる事柄に力を入れんければならん事が起つて参りませうが、此等は次の記念日に申上げる積でございます。記念日即ち十一月十一日には、毎年協会として当放送局に於て、意見を陳述することに致して居りまして、既に四回放送したと思ひます、当年も亦必要な事と思ふものを取調べて放送しようと思つて居ります。これで御免蒙ります。
    (六月廿九日連続国際講座として東京中央放送局に於て)


国際メール 第五八号・第八―九丁昭和五年五月一〇日 協会日誌(四月)(DK370078k-0004)
第37巻 p.309 ページ画像

国際メール 第五八号・第八―九丁昭和五年五月一〇日
(謄写版)
    ◎協会日誌(四月)
 十三日 国際聯盟十周年記念ラヂオ連続国際講座を、本日より六月二十九日迄、毎日曜日午前十一時乃至十二時全国中継で開く。
本日は徳川公爵の所感と、石井子の「聯盟の回顧」とがあつた。
○下略
   ○栄一ノ放送ハ大正十五年十一月十一日国際平和記念日ニ於ケルモノヲ始メトシ、以降四年ニ亘リ毎年同日ニ行ハレタリ、各日ノ条参照。