デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
21款 太平洋問題調査会
■綱文

第37巻 p.586-588(DK370128k) ページ画像

昭和2年10月11日(1927年)

是日、当調査会及ビ東京朝日新聞社合同主催太平洋問題講演会、東京朝日新聞社講堂ニ開カル。栄一、臨場シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

太平洋問題調査会書類(一)(DK370128k-0001)
第37巻 p.586 ページ画像

太平洋問題調査会書類(一)        (渋沢子爵家所蔵)
 (葉書表)
府下滝野川西ケ原飛鳥山 子爵渋沢栄一殿 (別筆朱書) 十月十一日後六半 昭和弐年拾月八日 (消印二・一〇・七)

(裏・謄写版)
拝啓 秋冷の候益々御健勝奉賀候
扨今回、東京朝日新聞社と共同主催にて、左記プログラムの如き太平洋問題講演会開催致すことと相成申候間、何卒御来聴被下度、此段御案内申上候 敬具
      会場 東京朝日新聞社
      日時 十月十一日(火)午後六時卅分
一、太平洋の将来 日本銀行総裁太平洋問題調査会理事長 井上準之助氏
二、第二回太平洋会議の印象 東京帝国大学教授農学博士 那須皓氏
三、太平洋沿岸諸国に於ける帝国主義の種々相 東京帝国大学助教授 蝋山政道氏
            太平洋問題調査会
                  理事長 井上準之助
 追而当日は、講演開始十五分前迄御座席保留可仕候間、乍御手数この葉書持参の上、係りの者に御示し被下度候
 (手書)
 尚渋沢子爵の御挨拶有之候


太平洋問題講演会広告(DK370128k-0002)
第37巻 p.586 ページ画像

太平洋問題講演会広告        (太平洋問題調査会所蔵)

図表を画像で表示太平洋問題講演会広告 

       太平洋問題講演会   来聴歓迎   但し満員の際は御気の毒乍ら定刻前と雖も御断り致します        日時 十月十一日(火)午後六時三十分        会場 東京朝日新聞社講堂  司 会         東京朝日新聞社     緒方竹虎氏              編輯局長  挨 拶         太平洋問題調査会  子爵渋沢栄一氏              評議員会長  太平洋の将来      日本銀行総裁      井上準之助氏              太平洋問題調査会理事長  第二回太平洋会議の印象 東京帝国大学教授    那須皓氏              農学博士  太平洋沿岸諸国に於け  東京帝国大学助教授   蝋山政道氏  る帝国主義の種々相   聴講無料                主催 太平洋問題調査会                   東京朝日新聞社 



  ○右ハ印刷サレタルビラナリ。

 - 第37巻 p.587 -ページ画像 

太平洋問題調査会書類(一)(DK370128k-0003)
第37巻 p.587 ページ画像

太平洋問題調査会書類(一)        (渋沢子爵家所蔵)
    会務報告
昭和三年一月廿五日(火)第十二回理事会ニ於ケル報告
第十一回理事会(昭和二年九月廿日(火)銀行集会所ニ於テ開催)以来ノ会務ニ就キ、其概略ヲ左ニ報告ス
一、昭和二年十月十一日(火)午后六時三十分ヨリ、東京朝日講堂ニ於テ『太平洋問題講演会』ヲ開催シ、渋沢子爵・井上理事長・那須博士・蝋山助教授ノ講演アリ、本会ノ精神、活動状態及ホノルルニ於ケル第二回大会ニ関シ夫々開陳アリ、聴衆約千二百名、入場スルヲ得ズシテ止ムナク帰リタル者千名、頗ル盛会裡ニ会ヲ閉ヂタリ、同日ノプログラム左ノ如シ
  挨拶            太平洋問題調査会評議員会長 子爵渋沢栄一氏
  太平洋ノ将来      日本銀行総裁太平洋問題調査会理事長 井上準之助氏
  第二回太平洋会議ノ印象      東京帝国大学教授医学博士 那須皓氏
  太平洋沿岸諸国ニ於ケル帝国主義ノ種々相 東京帝国大学助教授 蝋山政道氏


東京朝日新聞 第一四八七三号昭和二年一〇月一一日 久振りで演壇に起つ渋沢翁 きかぬ気の大元気で あすの太平洋問題講演会(DK370128k-0004)
第37巻 p.587 ページ画像

東京朝日新聞  第一四八七三号昭和二年一〇月一一日
    久振りで演壇に起つ渋沢翁
      きかぬ気の大元気で
        あすの太平洋問題講演会
今年の始め頃から、健康が余り優れずして静養をして来た渋沢子が、八十八歳の老躯をもつて久しぶりで公開の演壇に出る、それは十一日(火曜日)午後六時半から、本社大講堂で開かれる太平洋問題調査会と本社との共同主催になる太平洋問題講演会においてゞある、同子が日米問題に熱心であることは今更のことではないが、身体が弱つてをつても、日米問題・太平洋問題のことになると黙つてをらない、家族や医師の勧めを無視して飛びだすのが常である、先頃はハリスの記念碑除幕式に伊豆下田までゆき、今度は又演壇に立つことになつたのだ太平洋問題調査会といふのは、同子が評議員会会長で、井上日銀総裁が理事であり、今年の夏はホノルルで会議を催し、日本からは沢柳政太郎博士・那須皓・鶴見祐輔その他の諸氏が参会し、有力なる学者・思想家と太平洋問題を研究した会である、来年の同会は東京で催すかも知れないとのことで、さうなれば近来にない国際大会議になるのでその準備のためもあつて、本社と共同主催で第一回講演会を催すことになつたのである、同会はこれを機会に太平洋問題解決のために躍進するとのことで、十一日の講演会に出席する講師は、渋沢子の外に、井上準之助・那須皓・蝋山政道の諸氏である(入場無料)


東京朝日新聞 第一四八七四号昭和二年一〇月一二日 「日本国民」を辞せずと老渋沢の雄弁 ゆうべ本社講堂における太平洋問題講演会(DK370128k-0005)
第37巻 p.587-588 ページ画像

東京朝日新聞  第一四八七四号昭和二年一〇月一二日
    「日本国民」を辞せずと老渋沢の雄弁
      ゆうべ本社講堂における太平洋問題講演会
『私は銀行の頭取もやめました、その他の公職も辞しました、然し私はまだ日本国民たることを辞職したことはありません、日本国民たる以上は老衰の身といへども無学の身といへども叫ばざるを得ません』
 - 第37巻 p.588 -ページ画像 
      ◇
今年八十八歳になる渋沢子爵は、満堂の聴衆を見ながらかう口を切つた。十一日午後六時半から、本社大講堂に開かれた太平洋問題講演会においてである、同会は太平洋問題調査会と本社との共同主催になつた者であるが、定刻一時間前にはすでに満員で、多数は入場を謝絶するの外はなかつた、会は本社の緒方編輯局長の開会の辞に始められ、井上準之助氏は太平洋問題調査会理事長として、同会の組織・性質等について説明し、ついで渋沢老子爵が起つたのである
      ◇
渋沢子は『かうした演題にたつたのは絶後ではありませんけれども、空前であります』とて太平洋の重要性と日本の将来を論じ、頻々たる喝さいを受けて壇を下りた
      ◇
続いて那須皓博士は『太平洋会議の印象』との題下に、ホノルルに開かれたる同会が円卓を囲んで、如何に大胆に論議したるかを述べ、支那問題・食糧問題を論じた
      ◇
つぎに帝大助教授蝋山政道氏は『太平洋問題の種々相』と題して太平洋問題の起源より説き、帝国主義とは主に経済的問題を意味するが、資本の流動だけの理由をもつて帝国主義とはいひ得ざる事を例証をあげ、その他食糧の問題・人口問題等に言及した
      ◇
最後に井上日銀総裁は
世界の重大問題は太平洋に移つた、その太平洋でもつとも著しい現象は戦後米国が急に頭をもたげたことである、世界大戦頃までは借金国であつた米国は、今や過去五・六年間に二百二十億円の貸金国となつた、日本は一時頭をもたげたけれども、近頃は値段が下つた様である又支那・ロシア等はまだ国情定まらず、かうした状態において太平洋は当分問題があるまい、しかし日本は日本人によつて内外の問題を解決されねばならぬ
と述べ、終りに渋沢子は再びあいさつをのべ、九時四十分閉会した
  ○〔写真は壇上に壮者をしのぐ渋沢翁〕写真略ス。