デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
21款 太平洋問題調査会
■綱文

第37巻 p.593-596(DK370131k) ページ画像

昭和3年11月6日(1928年)

是日、太平洋問題調査会中央事務局幹事チャールズ・エフ・ルーミス飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト会見ス。


■資料

(太平洋問題調査会)彙報 第一号昭和三年一〇月刊 第三回大会準備の一般経過(DK370131k-0001)
第37巻 p.593 ページ画像

(太平洋問題調査会)彙報  第一号昭和三年一〇月刊
○第三回大会準備の一般経過
我が国に於て明年大会を開催することが決定するや、去る六日ハワイ中央事務局より、幹事長デビス氏来朝、早速諸般の打合せをなし、更に中央事務局幹事ルーミス氏は、米・英・ヨーロツパ諸国・支那等を訪ひて、明年大会の議題につき各国の意見を纏めるため、十一月一日上京、目下我が調査会各委員と意見を交換中である。


竜門雑誌 第四八二号・第九七―一〇〇頁昭和三年一一月 太平洋問題調査会幹事チャールス・エフ・ルーミス氏来訪(DK370131k-0002)
第37巻 p.593-595 ページ画像

竜門雑誌  第四八二号・第九七―一〇〇頁昭和三年一一月
    太平洋問題調査会幹事チャールス・エフ・ルーミス氏来訪
 十一月六日、来朝中の太平洋問題調査会幹事チャールス・エフ・ルーミス氏は、斎藤惣一氏と同伴で飛鳥山邸に来訪され子爵と会見、次の如き談話を交換した。
ル氏「子爵がハワイのカンツリー倶楽部で、アサートンさんの歓迎会へ臨まれました折、私も陪席して一度お目にかゝつたことがございますが、今日又もお目にかゝることの出来ましたのを光栄と致します。太平洋問題調査会を子爵の如き方が、深い興味を以て御後援下さると云ふので、ロックフエラー財団から、研究資金が出るやうになりました。これなど偏に子爵のお蔭でございます」
子爵「私は青年時代に西洋の学問をしなかつたので、英語が出来ません。と云つて勿論学者ではありませんが、たゞ東洋の歴史を多少とも知つて居ります。そして世の移り変りの間には、新興国が次へ次へと出て来て時に感情の行違ひなどから、平和を乱すやうなこともあります。例へば米国の勃興の如きであります。又日本も小さいながら新興国の一つであります。従つて兎もすると他国の嫉視を受け太平洋のことで物議を醸すやうなことになります。就中各国が自国の利益を先にして、自国の都合のみ考へると、勢ひ争ひが起るのでこれは歴史に明かな事実であります。故に米国人も日本人も、此点
 - 第37巻 p.594 -ページ画像 
に考を及ぼし、仁義道徳を重んじ、太平洋上に道理を進める必要があります。私は老人であるから斯様な感じが特に強いのであります 太平洋と申せばハワイが中心に当りますので、世界的の関係もさることながら、此の日米の間柄に間違があつてはならぬと考へますので、斯く遠慮なく申上げる次第であります」
ル氏「子爵のお話を伺ひまして喜びに堪へません。太平洋問題調査会はホノルルで二回、大会を開きましたが、明年第三回を京都で開くことになつて居りまして、其の打合せ旁今度私が参りました。此調査会にはアサートンさんは勿論、ラモントさん、スタンフォード大学のウヰルバーさん等大変興味を持ち、東洋文化の感化を米国に与へたいと思ひ、此点からも日米の間が親密を増すやうにしたいと考へて居るのであります」
子爵「私は由来日米の間をよくしようとして、約二十年の間努力して居りますが、充分の効果のないことを恥ぢて居ります。それは兎に角私は太平洋を日米の間に極限して考へたいと思ひます。そして私は常に米国の人々に過激でないやう、日本人にも心苦しい行動がないやうにと申して居るのであります。殊にハワイ、加州等に居ります日本人の移民中によくないものがあつたり、又新聞を売らんが為めの宣伝的な記事を掲げる為め、狂人走つて不狂人亦走るに至るのを常に憂へて居ります。実際米国の方々にしても吾々日本人にしても、お互に気をつけなければなりません。これに関しては桑港のアレキサンダーさんや、ハワイのアサートンさんとよく話合つて間違の起らぬやうにと心配して居ります。要するに私は日米の間、大きく云へば太平洋に関することには出来るだけ力を尽して居ります。斯様な次第でございますから、貴方が御力添の太平洋問題調査会に対しては、出来るだけ微力をお添へ致したいと存じます。そして又貴方の御尽力を感謝する次第であります」
ル氏「子爵に御会ひしました米国の有力者等は、何れも非常に光栄に思つて居ります。然るに私如き若輩に御会ひ下されたのみか、色々御話を下さいまして感謝に堪へませぬ。此光栄は生涯忘れは致しませぬ」
子爵「御丁寧な御言葉で恐れ入ります。わざわざ御訪ね下さいましたことを私の方から御礼申さねばなりません。御帰りの上は必ずアサートンさんにお会ひの事と思ひますが、其節は引続いての御厚情を喜んで居ると申上げて下さい。尚ほハワイの現在将来に就て日系米人がどうなるか、百姓が学問してもよくなる人もあるが、中途はんぱで悪くなる人が多いので心配です。実際此の二世がよくないと日本の面汚しとなり、又一・二の悪い者の為めに日本人全体が米国人に嫌はれる結果になります。ハワイに居る奥村と云ふ人が、其の点を憂慮して啓発運動をして居りますが、私も同情を持ち及ばずながら激励して居ります。之はハワイや加州のみの問題でなく、日米両国の大問題であると思ひますから、特に申上げるのであります」
ル氏「丁度第二世のお話が出ましたので申しますが、私に面白い経験があります。と申すのは、大連の大和ホテルに居た婦人が英語が実
 - 第37巻 p.595 -ページ画像 
に上手ですからよく聞くと、ハワイ生れの日本人であると申しました。又京都同志社大学の商科に若い教授が三人ありますが、三人ともハワイ生れの日本人で、米国本土で高等教育を受け、日本へ来て居るのです。かう云ふ人達は真に日米の間を親密にして行く人々でありませう。此の三人はハワイに居た時分、何れも私の主宰して居る聖書研究会へ出て居たのでよく知つて居ります」
子爵「二世に関して私の申上げたのは悪い方の例、貴方の御話はよい方の例でありますが、次第に貴方の仰せのやうになつて来ることを望みます。――此の書物は昨年刊行したもので、彼の明治維新前、日本の開国に当つて尽力して下さつた、タウンセンド・ハリス氏の記念碑建設に私が携つた理由を書いたものであります。実際ハリス氏は日本の為めを思つて修交に尽して下されたが、中にも通訳のヒユースケン氏が浪人の為めに殺された時、他の国々の公使は全部横浜に引上げたに拘らず、新らしい国を開くには、それ位の犠牲は覚悟しなければならぬと唱へ、若し自分が危害を受けるやうなことがあれば一死あるのみ、とて米国公使館であつた麻布の善福寺から、断乎として一歩も退かなかつたのであります。之れはハリス氏の行動の一例に過ぎませんが、私はハリス氏に敬服して居る一人でありますので、記念の為め碑を建てました。その除幕式の日に現駐日米国大使マグヴエー氏が、同じく日本を思つて下さる演説をせられました、これがその演説であります。又別冊はルーズベルト氏が、欧洲戦争中独逸の宣伝による日米間の離間策に対して、日米観として発表されたもので、ボストンのミレット氏が特に送つて下されたから、翻訳させて読み悉く感服しましたので、印刷に附して知人に頒つたものであります。御閑暇の折御読み下さるやう―」
ル氏「これ等は太平洋調査会の図書室へ永久に保存致します。誠に有難うございました。今日御引見の栄を賜はりました事を呉れ呉れも厚く御礼申上げます」
  ○カンツリー・クラブニ於ケル歓迎会トハ、栄一ガ大正十一年一月十六日アメリカ合衆国ヨリノ帰途、ハワイニ立寄リシ際、同知事ファーリントンガ催セル晩餐会ヲ指スカ。ルーミスハ右ヲアサートンノ催ス所ト記憶セルモノナルベシ。アサートン主催ノ晩餐会ハ十八日パシフイツク・クラブニ催サル。
  ○右ニ就テハ本資料第三十三巻所収「第四回米国行」大正十一年一月十日ノ条参照。
  ○奥村多喜衛ニ就テハ本資料第三十三巻所収「日米関係委員会」大正九年八月三日ノ条参照。
  ○ルーミスニ贈呈シタル三書ハ「日本に於けるタウンゼント・ハリス君の事蹟」「ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞」及ビ「ルーズヴェルト氏の日本観」ナリ。



〔参考〕太平洋問題調査会書類(二)(DK370131k-0003)
第37巻 p.595-596 ページ画像

太平洋問題調査会書類(二)        (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、御清祥奉賀候、扨太平洋問題調査会より先月末来、第三回大会費用醵出方接御照会候処、右義捐の振合氏名等毎時御手数に候へとも御存知限り内報奉煩度、御依頼申上候 敬具
 - 第37巻 p.596 -ページ画像 
  昭和四年七月四日
               財団法人森村豊明会財団法人森村豊明会
    渋沢事務所御中

拝啓、太平洋問題調査、今秋第三回大会費義捐に対し、御用多中御詳報被成下奉謝候、就てハ金弐千円寄附申込度可然煩御手数申候、尚右納入すへき日時並場所等、御再報被願候ハヽ仕合申候、以上得御意申候 敬具
  昭和四年七月十日
               財団法人森村豊明会財団法人森村豊明会
   渋沢事務所
    渡辺得男殿