デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
22款 日本国際児童親善会
■綱文

第38巻 p.165-168(DK380014k) ページ画像

昭和3年8月6日(1928年)

是日当会委員会、渋沢事務所ニ開カル。栄一出席シ、委員長トシテ挨拶ヲ述ブ。親善人形ヲ携ヘテ渡米セル関屋竜吉出席シテ其報告ヲナス。


■資料

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380014k-0001)
第38巻 p.165-166 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然ば昨年日本児童より米国児童に寄送したる人形を伴ひ渡米したる関屋竜吉氏、今回帰朝せられ候に付ては、同国に於ける右人形に関する報告を聴取致度候間、炎暑の折柄御迷惑とは存候得共、来る八月六日(月)午後三時麹町区永楽町二丁目一番地小生事務所に御来車被成下度、此段御通知申上候 敬具
  昭和三年七月三十一日
               日本国際児童親善会
                   会長 渋沢栄一
    委員各位
拝啓、炎暑の候益御清適奉賀候、然ば此程無事御帰朝の由敬賀此事に御座候、就ては御多忙の処御迷惑と存候得共、来る八月六日(月)午後三時永楽町の事務所に於て、日本国際児童親善会委員諸氏と共に親善人形に関する爾来の経過に就き、御報告拝聴致度候間御枉駕被成下
 - 第38巻 p.166 -ページ画像 
度、此段御案内申上候 敬具
  昭和三年七月三十一日
                     渋沢栄一
    関屋竜吉様


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380014k-0002)
第38巻 p.166 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
    日本国際児童親善会委員
          (別筆)
          昭和三年八月六日(月)午後三時当事務所に於て会合
               (太丸ハ朱印)
    委員長        ○子爵 渋沢栄一
    委員            ○関屋竜吉
    同        (文部省)○菊池豊三郎
    同          (〃)○佐々木豊次郎
    同          (〃)○上田寿
    同          (〃)欠佐藤正能
    同        (外務省)○石沢豊
    同      (帝国教育会)○野口援太郎
    同       (日米協会)○武田円治
    同     (国際聯盟協会)○木川正男
    同        (〃 〃)欠奈良正造
    同     (婦人平和協会)欠塚本はま子
    同             欠ボールズ夫人
    同      (渋沢事務所)○増田明六
    同        (〃 〃)○小畑久五郎
       文部省普通学学務局長 ○武部欽一


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380014k-0003)
第38巻 p.166-167 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
○日本国際児童親善会
    (昭和三年八月六日午後三時ヨリ渋沢事務所ニテ開催)
 当日ノ出席者左ノ如シ
 (渋沢事務所) ○渋沢子爵 増田明六氏 小畑久五郎氏
         ○関屋竜吉氏
 (外務省)   ○石沢事務官
 (帝国教育会) ○野口援太郎氏
 (日米協会)  ○武田円治氏
 (国際聯盟)  ○木川正男氏
 (文部省)   ○武部普通局長。菊池書記官。佐々木豊治郎氏。上田寿
        以上十二名。
   協議録
一、渋沢子爵挨拶ノ後、関屋竜吉氏ノ米国ニ於ケル日本答礼人形歓迎状況等ニ関シテ、詳細ナル説明報告アリ。
  後、左記ノ事項ニ関シテ協議ス。
   一、日本国際児童親善会ノ存続問題。
 - 第38巻 p.167 -ページ画像 
     [解散ノ可非遂ニ決定ヲ見ズ。]
     (以下三行別筆)
     但し従来日米間に行はれ来る意味の親善は、結末の就き次第解散すること、上田氏と電話にて交渉の上訂正
     三、九、一八、小畑
   二、答礼人形ノ毀損ノ修繕及着物ノ取更等ニ関スル件
     [各人形出身地ニテ考慮シタラバ如何トノ説高シ]
   三、日米両国間ニ交換セラレタル親善人形ニ関シテ、日本児童ニ其ノ好意ヲ長ク記念セシムル良案ヲ講ズル事。
     [重ニ第四項参照]
   四、本件ノ結末トシテ米国ニ於ケル日本答礼人形ノ状況経過等ヲ「パンフレツト」ニシテ、之ヲ先ニ人形ヲ送レル諸学校ニ配布スル事
     [此ノ案ノ最モ善キ方法ナルコトハ、諸氏ニ於テモ異論ナシト雖モ、ソノ経費ノ点ニ関シテ諸難アリ。遂ニソノ決定ヲ見ザリシモ大体ニ於テ、本件ニ好意ヲ有スル東京府学務課ニ相談交渉スベキ旨ヲ約シテ打チ切ル]
   五、今回ノ人形交換ニヨリテ、日米両国間ノ親善ヲ深メタルコト甚大ナルニ付キ、更ニギューリック博士ヨリ、若干ノ人形ヲ送附シタシトノ照会ニ関スル件
     [同件ニ関シテハ本会事業ノ一段落ツキタル後、ギユーリツク博士ニ人形受納諾否ノ回答ヲナス事ニ決セリ]
                        以上。
   ○右記録一通ハ文部省上田寿氏ヨリ渋沢事務所ニ送越セルモノナリ。


AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA. p.299. Nov., 1937.(DK380014k-0004)
第38巻 p.167-168 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA P. 299 Nov.,1937.
          CHAPTER XIII
     IMPRESSION OF FOREIGN FRIENBS
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         SIDNEY L. GULICK
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  Among my most delightful memories of the Viscount was his charming cooperation in connection with the adventure of the 13,000 Doll Messengers of Friendship that went to Japan in 1926 from the children of America to those of Japan. He also had much to do with the coming to America from the children of Japan of the three-score handsome, or I should rather say superb Doll Ambassadors of Goodwill, a couple of years later.The Viscount graciously consented to serve as Chairman of the Japanese Committee on World Friendship Among Children, entering into the spirit of that highly idealistic and somewhat humorous adventure with the enthusiasm of youth. He presided at several great public gatherings when the American Dolls were welcomed, and on their memorable journey to and
 - 第38巻 p.168 -ページ画像 
 through the United States. I love to look at the photograph of the Viscount holding in his arms one of those blue-eyed American Dolls and smiling as he listened to its gentle voice saying, "mama"
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